オセロ 第24話(スザルル)

24


 四度目の吐精を果たしたルルーシュが、ベッドに深く沈み込みながら荒く息を吐き出した。
 濃密に流れる空気の中、同じく荒い息を吐いたスザクが隣で寝転びながら、ルルーシュの頭をくしゃくしゃと撫でてくる。
 途中で何度も意識が飛びかけたが、スザクはその度に強い刺激を与えることでルルーシュの意識を呼び戻した。
 ここまで激しい交わり方をしたことなど一度も無い。一年前とは大きく異なるスザクの抱き方は、まさしく抱き潰すという表現に相応しいものだった。
「ようやく言ったね」
「……何がだ」
 くったりと枕に顔を沈めたままうつ伏せていたルルーシュが気怠そうに尋ねてみると、肘を枕にして仰向けになっていたスザクはつらっとした顔で「僕と寝て『いい』って言わなかったの、今までで君だけだから」と呟いた。
「大した自信だな。……お前はどこのジゴロだ」
 ご大層な台詞に呆れてしまう。経験豊富なのは疑いようも無い事実なのだろうが、自分で言うことでもないだろう。
 スザクは背中を軽く揺らしてふっと笑ったルルーシュには一瞥すら寄越さず、ただ茫洋とした眼差しを天井へと向けたまま続けてくる。
「只の事実だよ。君が他の人たちに比べて素直じゃなかっただけだ。……そういう意味でも、君は僕にとって初めての人ってことになるのかな」
 不本意だけどね、と付け加えたスザクが、ごろりと体を転がしてルルーシュの方へと向き直ってきた。
「そういう意味でも……?」
 ルルーシュは付いた肘で頭を支えながら髪に触れてくるスザクへと訊き返した。スザクにとって、まだ何か初めてのことが他にもあるような口ぶりだ。
 激しい情事の名残で潤んだままの瞳を向けてきたルルーシュへと頷きながら、スザクはルルーシュの髪に潜らせた指で優しく梳く動作を繰り返す。
 汗ばんだ頭皮に触れられるのが何となく嫌で、ルルーシュはこそばゆそうにスザクの手を避けようとしていたが、気にせず弄られているうちにどうでも良くなって、好きなように毛先で遊ばせてやることにした。
 ――ふと、スザクが幼い頃、将来床屋になりたいと言い出すほど、人の髪を触るのが好きだったことを思い出したからだ。
「君と一緒に居ると、初めてのことばかりだ。知りたくなかったことばかり知らされるし、経験のないことにばかり遭遇させられる。君がもし、僕のことを少しでも酷いと思ってるとしたら、それは全部君の所為だよ。ルルーシュ」
 スザクの台詞を聞きつけたルルーシュが、また呆れたように笑った。
「そう言い切るお前の方が酷いだろ」
 ルルーシュの脳裏に、唐突に一年前の記憶が蘇った。
(まさかこいつが、俺と同じことを考えるようになるとはな)
 初めて体を重ねた翌日にルルーシュが思ったことと同じことを考えているスザクが、ルルーシュには少し可笑しく感じられた。
 思い出し笑いしているルルーシュを見て不審そうにしているスザクへと、伸び上がったルルーシュは自分から口付けていく。
 両頬を挟み込むようにして唇を合わせていると、スザクはルルーシュの両手を取り上げてベッドに縫い付けながら、また押し倒して貪ってこようと舌を絡めてきた。
「ん、馬鹿……も、無理だっ……」
 一度目が終わった時ですらそう思ったのに、その後、立て続けに三回も求められたルルーシュは既にへとへとだった。
 体を捩るルルーシュに体重をかけて押さえ込みながら、スザクは感じやすい首筋や耳元ばかりを責めてくる。
「や、めっ……! 殺す気かお前は!」
 さすがに苛々したルルーシュが睨む眼差しの鋭さを強めて鬱陶しげに毒づくと、悪戯っぽく目を細めたスザクは「まだ足りないのかと思った」などと呟きながらもう一度口付けてくる。
「んんっ、だ、からっ、も、やめ……っ!」
 スザクの後ろ髪をぎゅっと掴んで無理やり引き離したルルーシュは、咄嗟に抱えた枕を盾にしてスザクから逃げた。
「何だよそれ。随分可愛い抵抗だな」
「そういうことを言うのはもうやめろ、この馬鹿が! 俺は男だぞ!」
 行為の最中にも耳が腐るほど聞かされた形容だ。抗議の意味も兼ねて怒るルルーシュを抱き寄せたスザクは、腰と背中に回した腕でルルーシュの体を自分の上へと乗せながら、渋々「解ったよ」と呟いた。
 両腕でいとおしげにぎゅっと抱きしめてくるスザクに一瞬重くないのだろうかと思ったが、ルルーシュはスザクの胸に頬を乗せたまま無言で心臓の音を聞いていた。
(暖かいな……)
 とくん、とくん、と鳴り続ける心臓の音が心地いい。
 ……だが、これは嘗て、ルルーシュが一度は殺そうとした男の鼓動なのだ。
 撃ち合った時のことを思い出したルルーシュは、辛そうに眉を寄せたまま瞼を閉じた。
(お前が生きていてくれて、本当に良かった)
 殺さずに済んで、本当に――。
 身勝手な考えだと重々承知している。だが、例えそう思うことですら勝手なことだと解っていても、死にたがりのスザクが今も生きてくれていることに感謝せずにはいられない。
 決して伝えられない言葉を心の中で呟きながら、ルルーシュはスザクの胸の上で震えそうになる手を強く握り締めた。
(もしこいつを殺していたら、俺は……)
 充分過ぎるほど有り得たIfについて考えるだけで、全身に震えが走る。
 もしもあの時、スザクを喪っていたら。
 ――もし、永遠にこの温もりに触れられなくなっていたとしたら。
 そこまで考えて、ルルーシュは思考をストップさせた。……これ以上はもう、想像すらしたくない。
 スザクに向けて放った銃弾。この男がそれを避けてくれたからこそ、スザクは今も生きている。心臓を動かし、呼吸をして、力強い腕でこうして抱きしめてくれもする。
 けれど、それを良かったとしみじみ思う自分を俯瞰しているもう一人の自分は、やはり今も酷薄な笑みを浮かべながらルルーシュの想いを嘲弄していた。
 ――いつもそうだ。
(スザク。それでも俺は、お前を殺したくない。失いたくない。例えこの先、俺たちの間にどんな事があったとしても……)
『生きろ』とスザクに命じたあの時と同じ強さで、ルルーシュは願った。
 屋上で犯された後に抱きしめられた時には、暖かいとも冷たいとも感じられなかったスザクの体温。
 それなのに、今は身に染み渡るように暖かい。――こんなにも。
(敵同士だというのにな。今の俺たちは)
 弛んでいるし、爛れていると解ってはいる。
 けれど、つくづく堕落した関係だと解り切っていても尚、離れられないし離れ難い。
 出来ることなら、このままずっと溺れ続けていたかった。
(駄目だ……)
 ふと、閉じた瞼の裏が熱くなり、ルルーシュは堪えるように強く歯を食いしばった。
 ――スザクが好きだ。今でも。こんなに。
 ただ自覚するだけで、涙が零れそうになってしまうほど。
 覚悟など疾うに決めている。それでも、このスザクと敵同士という事実を受け入れられず、現実を直視するだけで崩れ落ちてしまいそうになる。
 ルルーシュは冷静にならなければと思い直した。
(感傷に耽っている暇など無いだろう。今の俺には)
 一時的な感情に揺り動かされている場合ではない。ナナリーを取り戻し、あの男――皇帝を打ち倒し、ブリタニアという巨大な帝国を破壊するまでは、決して立ち止まることなど出来はしないのだから。
 けれど――。
 例え冷酷な悪魔であっても、人を愛する悪魔だって居てもいい。
 とことん勝手な生き様を貫こうとするのであれば、尚更だ。
 そう思いながら、ルルーシュはスザクに問いかけた。
「そういえばお前、前に違和感が無いって言ってたな」
「……君と寝て?」
「ああ。後悔してないかとしつこく訊いてきた後に」
 平然と問いかけたルルーシュが、もう大丈夫だと思ったその時。
 ルルーシュの眦に溜まっていた潤みがぽろりと一滴、スザクの胸元へと零れ落ちた。
「……っ!!」
 ぽたりと落ちてきた水分に気付いたスザクが、はっとしながら体を起こそうとする。
「ルルーシュ? ――君、もしかして泣いてるの?」
 息を飲んだルルーシュは顔を背けたまま慌ててスザクの体から降りようとしたが、すかさず伸びてきたスザクの手に顎を取り押さえられ、仰向けに転がされて無理やり顔を上向かせられてしまう。
「やめろ! 見るな!」
「どうして泣いてるの?」
 覆い被さって顔を覗き込んできたスザクが、困惑した表情で訊いてくる。
 一度は堪えようとしたのに、失敗してしまった。
(情けない……!)
 よりにもよって、スザクの前で泣いてしまうとは。
 生理的に流れるものとは全く質の異なる涙に羞恥と自己嫌悪を隠し切れず、ルルーシュは悔しげに唇を噛み締めながら手で口元を覆った。
 その間も、零れ落ちる涙は留まることすら忘れたように頬を濡らし続けていく。
「ルルーシュ……」
 スザクに震える声で名を呼ばれ、背中に潜らせた腕で突然強く抱きしめられたルルーシュは息が止まりそうになった。
「どうしたの」
「だからっ……! 何でもな、」
「嘘だろそんなの」
 強い口調で遮られると、もうそれ以上何も言えなくなる。
 ルルーシュは無言でふるふると首を振った。涙腺は完全に決壊してしまったのか、涙は次から次へと頬を伝い、堰を切ったように溢れ出してくる。
 泣いている理由など言いたくない。――言えるものか。
 こんな弱い姿は見せたくない。ましてや、スザク相手に本音を漏らすなど言語道断だ。
(馬鹿か俺は! こいつ相手にこんなことで弱みを見せてどうする!)
 今のスザクは敵なのに――。
 顔を見られないようにスザクの肩口へと顔を埋めたルルーシュは、忘れる訳にはいかないと自分に言い聞かせながら、やっとの思いで切り出した。
「思い出した、だけだ……。昔の……一年前の、ことを……」
 当然これは只の言い逃れであり、その場凌ぎの嘘に過ぎない。
 けれど、重なり合った体に違和感が無く、生まれた瞬間に分かたれた半身のようだと思ったのは本当だった。
 だから、この言葉の半分は本当で、もう半分は嘘。……スザクとはいつも、そんな風にしか話せない。
 本当は、ただ伝えたかっただけなのに――出てくる言葉は嘘ばかり。
 一年前からずっと、身に染み付いたこの癖だけは変わらない。
 しかし、スザクは「そうか」と頷いた後、辛うじて聞き取れるくらいの微かな声で、小さく「ごめん」と呟いた。
「何故謝る」
 顔を伏せたまま尋ねると、スザクはルルーシュの額に当てた手で顔を上げさせ、涙の滴るルルーシュの頬へと口付けてから再び強く抱き締めてくる。
「君を拒絶する理由なんか今の僕には無いよ。……それでもまだ、僕が怖い?」
「……馬鹿を言え。怖くなんかない」
 ルルーシュは「誰が」と気丈に呟いたものの、耳元に落とされたスザクの囁きはこの上なく優しかった。
(それは誤解だ。スザク)
 スザクは明らかに、ルルーシュが流した涙の意味を取り違えていた。
 嘘の答えに、まともな返事など必要ないのに。
 沈黙したルルーシュへと向き直ってきたスザクが、あやすように背中を撫でながら何度も口付けを降らせてくる。
「泣かないで……。好きだよルルーシュ。八年前からずっと、君だけを愛してる。だって君は、初めて僕を救ってくれた人だもの」
「え……?」
 スザクは唇の上に溜まっていた涙の粒を吸い上げながら、不思議そうに訊き返したルルーシュの手を取って自分の頬へと当てていた。
「あの雨の日にだよ。……わかるだろ?」
「…………」
 それを言うなら逆だろうと言いかけたルルーシュだが、寸でのところで踏み止まった。
 救うどころか、ルルーシュは果てなく続く懺悔と後悔の闇へとスザクを叩き落とした張本人の筈だ。
「いや、そうじゃなくて――君は、僕が生まれて初めて救いを求めた相手だったから、かな。……だから君は、僕にとっては恩人のようなものでもあるんだよ。ルルーシュ」
 スザクは少し考えてから、改めて言い直してくる。
 一年前、初めて学園に入学してきたスザクの言葉を、ルルーシュは唐突に思い出した。
『七年前の借りを返しただけ』
 二人きりの屋上で、スザクが口にした台詞だ。
 流れる涙に泣き濡れながらも、ルルーシュは徐々に冷静さを取り戻し始めた。
 記憶が過去へと立ち戻り、冷えた思考でクリアになった頭が冴えていく。
(本当は、その時のことではないんだろうがな)
 いや、たった今スザクが口にした通り、もしかするとその時のことも含めてなのかもしれないが。
 スザクが父を殺し、『俺』から『僕』へと変貌を遂げたその日以降、ルルーシュたち兄妹は枢木の別邸へと身柄を移され、数日後、学校を辞めたスザクも二人の後を追うようにしてやってきた。
 ……あの、肌身離さず傍らに置いていた木刀だけを携えて。
(あれはギリギリの質問だったな)
 三日前、屋上でスザクが木刀を携帯するようになった理由について言及したことを思い出し、ルルーシュは一瞬ひやりとした。
 スザクはルルーシュたちを誘拐しようとした者たちに、たった一人で立ち向かって行ったことがある。
 ルルーシュたち兄妹を先に逃がし、大の大人数人を相手に木刀一本で果敢に挑んだスザクだが、とうとう打ち負けて取り押さえられたその時、間一髪で戻ってきたルルーシュが策を弄して彼らを追い返したのだった。
 ――スザクの言う『七年前の借り』とは、その時のことだ。
 今のルルーシュに、一年前屋上でスザクに言われた台詞に関する記憶は残されていない。
 だが、八年前の悲劇を詳細に知らされた今、もう何もかもに気付いていた。
 枢木ゲンブが死去した後も、皇族だったルルーシュたちの立場は変わらない。例え皇位継承権を剥奪され、既に廃嫡させられていたとしてもだ。
 首相が亡くなったことを知ってからは、おそらくキョウト側に属していた誰か――恐らく藤堂辺りだろう――が首相代理を務めていたに違いないが、基本、ルルーシュたちを始末したい方向そのものに変わりは無かっただろう。
 確かに、ルルーシュたち兄妹を誘拐しようとしたのはアッシュフォードの者たちだったが、そもそも彼らがルルーシュたちを誘拐しようとした動機は、皇位継承権を持つ他の皇族と繋がりのある貴族たちが、ルルーシュたち兄妹へと差し向けた刺客から守る為だった。
 ルルーシュたち二人より遅れてやってきたスザクが片時も木刀を手放さなかったのも、これらの事情をどこからか聞きつけ、周囲の大人たちを信用出来なくなっていた所為なのだろう。
 皇族でないルルーシュたちの命を、貴族が狙うことは無い。
 だが、改竄された記憶によって一般人ということにされているとはいえ、スザクによってゲンブが殺害された時点で、ルルーシュたちの命を狙う者は居なくなったかといえば、答えはノーだ。
(てっきりあの男の差し金かと思っていたが……。しかし、日本側でそういう動きがあったのなら、裏で貴族どもを嗾けていたのは桐原本人だな)
 ゲンブがルルーシュたちを始末するならそれでいい。
 だが、スザクがゲンブを殺してしまったことにより、計画が狂った彼らは別ルートを用意して始末しなければならなくなったという訳だ。
(いや、奴らがゲンブの目論見に気付いていても、いなかったとしても、元々俺たち兄妹を殺すつもりだったこと自体に変わりはない、か……。目的は別にしても、奴らが同じことを考えていたのだとしたら、ゲンブが俺たちを殺そうと画策する前から根回ししていた可能性の方が遥かに高いな)
 別邸に移ってから襲われた記憶が、何故そのまま残されていたのか。
 杜撰な改変具合だったとはいえ、ルルーシュ自身おかしいと思いつつも曖昧なまま口にした台詞だった。
(自分がしたことで無ければほったらかしとは。あの男……余程俺から恨まれたいらしいな)
 ルルーシュは心の中で憎々しげにひとりごちた。
(本を糾せば、この俺に恨まれず、反逆もさせない為に書き換えた記憶だろうが)
 貴族に狙われることの無い一般人としての記憶しか持たない筈のルルーシュが、何故ゲンブ死亡後もスザクがルルーシュたちを守ろうとしていたことに気付けたのか。
 キョウトとゲンブとの確執について打ち明けられる前に、万一その点に関してスザクに勘繰られでもしていたら、それなりに面倒なことにはなっていたかもしれない。
(まあ、答えようと思えば幾らでも答えられることではあるがな……)
 言い訳など、軽く十数通りは思いつく。
 当時、本格的な開戦を待たずして、ブリタニア軍は既に日本への侵略を開始していた。国土は蹂躙され、焦土と化し、比較的安全な別邸へと避難させられていたルルーシュたち兄妹とスザクの周囲も、決してその例外ではなかった。
 只でさえはっきり異国人だと解る顔立ちのルルーシュだ。侵略国の者だと知れれば、差し向けられた刺客以外の誰に命を狙われようともおかしくはない。
 実際には、スザクと離れたルルーシュたちはアッシュフォードに引き取られていたが、改竄された記憶の中では正常な国交が断絶され、ブリタニア本土へと帰れなくなっていたルルーシュたち兄妹……いや、兄弟を無事に送り返したのが、その時誘拐しようとしていたアッシュフォードだったという風に筋書きが変えられている。
 ルルーシュの涙は、いつの間にか止まっていた。
「救われたのは、俺たち兄弟の方だろう?」
 ようやく顔を向けてきたルルーシュに向かって安心したように微笑んだスザクが、緩く首を振りながら続けてくる。
「いや。君は、僕が初めて縋った相手だ。僕が自分から、自分以外の誰かを求めて縋った相手は、今までで君一人だけだよ」
「…………」
「おかしく思うかい?」
 それはそうだと思いながら、ルルーシュは閉口した。
 ユーフェミアはどうしたと思っていながらも、敢えて口にしないルルーシュの意図に気付いているのだろう。スザクは自分の頬に当てていたルルーシュの手を離し、愛しげに口付けてから喋り始めた。
「あの日、僕はどうして君たちの所に向かったのか、正直よく覚えていないんだ。でも、雨の中で灯る小さな離れの明かりは、その時の僕にとっては何かの救いであるようにさえ思えていた。……それでも僕は、背を向けようとしたよ。でも君は真っ先に飛び出してきて、駆け寄って来てくれた。君たちに合わせる顔が無いと思って逃げようとしていた、僕の傍に」
「…………」
「それまでの僕はずっと一匹狼で、手の付けられない乱暴物って呼ばれてて――友達なんか一人も居なくて。だから君は、そんな僕にとって初めて出来た本当の友達だった。僕は他の子供たちを見下していたし、特に仲良くなりたいと思ったことも無かったよ。でも、君たち二人とは、何故か自然と友達になることが出来た」
 スザクは遠い記憶を一つ一つ掘り起こすように、言葉を選びながら慎重に話していた。
 ルルーシュはスザクの告白に戸惑いながらも、一言も聞き漏らさないよう、黙ってスザクの言葉に耳を傾けている。
「君は昔から意地っ張りで気が強くて――でも気高くて。再会してからも、そういう所はちっとも変わっていないのが凄く嬉しかった。ああ、やっぱりルルーシュはルルーシュのままだ。……そう思えたから。喧嘩は僕の方が強かったけど、君はつまらなく思えるばかりだった他の子供たちにも、そして僕にも無い特別な強さを持っているんだって、僕はずっとそう思ってた。怒鳴られて気圧されたことさえあったよ。大の大人たちでさえ、力で捻じ伏せてきたこの僕が。――でも、だからこそ僕は、君に縋ることが出来たんだ。あの時、僕の目の前に来てくれたのが、他でもない君だったから……」
 スザクは「どれほど救われたか解るかい?」と尋ねながら、抱きしめていたルルーシュに頬ずりした。
 覗き込んでくるスザクの深緑があまりにも真摯で、目を逸らせない。
 ベッドで二人横たわったまま見つめ合っていると、時の流れが止まってしまったようにさえ感じられた。
 スザクは涙に濡れていたルルーシュの睫を軽く指先で撫でてから、再び話し始める。
「だから、あの時君に取り縋った僕は、心の底から必死だった。一生君を守ろうと思ったよ。それしか生きる道は無いとさえ……。でも――僕たち二人は引き離れてしまった。当時の僕たちどちらにとっても、どうすることも出来ない事情によって……。それまで『俺』と言っていたのに『僕』に変えようと思ったのも、今思えば君の模倣だったんだろうな、きっと。――だって、そこに居てくれたのが、ルルーシュだったから」
「え……?」
 打ち明けられた思いがけない事実に、ルルーシュは思わず瞳を見開いた。
「僕はね、ずっと憧れていたんだよ。君に」
「俺に……?」
「ああ。あの頃の僕にとって、君は僕の世界そのものを大きく変えてしまうほどの存在だった。君は僕よりもずっと賢くて、沢山のことをよく知っていた。大人のことも、世の中のことも――そして、人というのがどういう生き物なのかということでさえ、君は僕とは比較にならないほどの冷静さで見つめることの出来る子供だった。……だからかな。初めて『勝てない』と思ったのは」
 スザクはそこで一度、言葉を切った。
 長く続く告白に黙って耳を傾けていたルルーシュは、複雑な気持ちでスザクを見つめたまま尋ねた。
「そこまで言われるほど立派な子供だったか? 俺は。確かにそこらの子供たちより多少は大人びていたかもしれないが、幾らなんでも買いかぶりすぎだろう」
 正直、意外な思いを隠せない。
 美化されていたのは知っていたものの、まさかここまでとは。
「何かにつけ、俺を褒めちぎるのがお前の癖だったな。そういえば」
 ルルーシュは内心の驚きを隠したまま、茶化した口調で肩を竦めた。
 今より遥かに口の悪かった八年前のスザクには、それこそ耳を塞ぎたくなるほど幼稚な罵詈雑言を浴びせかけられたものだが、そのスザクがまさか、心の内側でそんなことを考えていたとは思いもよらなかった。
 しかし、幼い頃に比べて語彙も豊富になり、決して達者だったとは言えない口も成長したことで滑らかになったのだろう。思えば確かに、スザクと再会してからの一年間、憚ることなく褒め言葉を口にされては、しょっちゅう面映い思いをさせられ続けてきたような気もする。
 おどけてみせたルルーシュに苦笑したスザクだったが、突然真顔に戻ってから口を開いた。
「ねえ、ルルーシュ」
「ん?」
「僕はこの間『君を縛っておきたい』って言ったけど、そんなことしたくないって思ってるのも本当なんだよ」
「…………」
 優しい瞳に浮かぶ慈しみの色。
 言われなくても解る。――これは『僕』としての、スザクの言葉だ。
「だから、君が本心では僕から離れたいと思っているなら、逃げても構わない」
「――――」
 真っ直ぐなスザクの瞳に射抜かれたまま、ルルーシュは口ごもった。
 スザクに『お前はどうしたいんだ』と尋ねたルルーシュだが、自分からはどうしたいとも伝えてはいない。一応了解して受け入れはしたものの、それはあくまでも『受け入れた』だけだ。
 見方によっては、ただ単にスザクの押しに負け、成り行き任せに元通りの関係へとなだれ込んだようにも見えなくは無かった。
「――って。……もし、僕がそう言ったら、君はどうする?」
 黙り込んだルルーシュに向けてふっと笑ったスザクが、冗談めかした声音で続けてくる。
「本気か?」
「うん。……君は、どうしたい?」
 ルルーシュはスザクから目を逸らし、瞼を伏せたまま思案した。
(テストのつもりなのか? スザク)
 今日屋上で言った台詞とて、スザクは無論忘れてはいまい。
 三日前にも『僕の気持ちを理解するべきだ』と言っていたスザクだが、これはルルーシュがその言葉の意味をどの程度解っているのか計ろうとしての台詞なのだろうか。
 それとも――。
(俺の記憶が戻っているなら、こいつは当然、こんな密接な関係などとっとと解消したいと考えるだろうと思っている筈だ)
 記憶が回復しているかどうか反応を探っているのか。もしくは、もっと単純に『ルルーシュ』の本音を探っているのか。
(お前は何を知りたがっている?)
 離れたくないと思う気持ちや、スザクを愛する気持ち。
 知りたがっているのは、どれなのだろう。
(あるいは、その全部なのか? スザク)
 これは単なる期待だが、もしかするとそうかもしれない。
(昔見た夢を思い出すな……)
 一年前、初めてスザクの夢を見た。今のスザクは皮肉にも、その時見た夢に出てきたスザクに一番近いような気がする。
 何でも打ち明け、心のままに話してくれる。ルルーシュが知りたいと願い続けてきた、スザク自身のことを。
 ……それなのに、知りたいと望み続けた真実は、どうしてこうも残酷なことばかりなのだろう。
(夢とそっくりなのに)
 ――夢とは大違いだ。
 チクリと傷んだ胸の疼きを、ルルーシュはわざと無視した。
 答えを待っているスザクの頭を引き寄せ、柔らかな癖っ毛に顔を埋めたルルーシュは密やかな声で呟く。
「俺が逃げたら、お前は追いかけるんだろ? 俺を捕まえる為に」
 答えるルルーシュの表情を見逃すまいと思っているのか、ルルーシュから離れたスザクが皿のような目を凝らしてじっと顔を見つめてきた。
 どこかに嘘が隠れていないか探っているようだが、探したところで見つかるまい。……何故ならこの言葉だけは、紛うことなきルルーシュ自身の本音なのだから。
「模範解答だっただろ? スザク」
 ルルーシュはゆるりと目を閉じて、自分からスザクへと口付けた。
 よく解ったねというように、触れ合ったスザクの口角がゆっくりと上がっていく。
「離さないって言ったよな。俺のこと」
「うん。絶対にね」
「それも本気なんだろう?」
「……そうだよ」
 例え逃げないと言っても、スザクはきっと信じない。かといって、では逃げようかと答えれば、スザクがどうするのかなど知れていた。
 所詮、どちらの答えを選んでも駄目なのだ。――もう。
(だったら、解らせてやるしかないだろう)
 ルルーシュ自身と同じくらい諦めの悪い、この男の為に。
「なあ、スザク。……俺のことが好きか?」
 初めて体を重ねた時と同じように、ルルーシュは尋ねた。
「うん。愛してるよ」
 ほとんど即答でスザクが答えた。
 ストレートに返されたのは、一年前の当時よりもっと欲の色が濃く、古来より使い古されてきた愛の言葉だ。
「……では、俺のことが憎いか?」
 一度目を閉じたルルーシュが再び尋ねると、無表情になったスザクは暫くの間黙り込んでから、言った。
「ああ。――とても」
 言いながら、今度はスザクから口付けてくる。
 ルルーシュは薄く目を開いたまま、無言でスザクのキスを受け入れた。
 死の接吻。……そんな言葉が頭を過ぎる。
「知ってるかい? ルルーシュ。僕は結構寂しがりだし、本当は凄く甘えん坊なんだ。そして君は、そんな僕が唯一我侭を言える、とても貴重な存在でもあるんだよ」
 聞いているこちらの方が恥ずかしくなるような台詞を平然と口にするスザクに、ルルーシュは笑った。
「確かにそう言われてみれば、お前は他の奴らに対しては妙におとなしい癖に、俺に対してだけはあまり遠慮しない所があったかもな」
「そうだ。だからこそ、僕を甘やかすのは良くないことなんだ。本当は」
 懐かしい台詞だと思い返しながら、全くだとルルーシュは思った。
『僕を甘やかしても、良い事はないよ』
 確か一年前にも言っていた台詞だ。
 ……けれど。
「知ってるだろ? 俺はお前を甘やかすのが好きなんだ」
「……甘えられるのも?」
「ああ。ちなみに、お前に甘えられるのはもっと好きだな」
 一言話す度に、そっと啄ばむように口付けてくるスザクの唇が心地良い。
「ルルーシュ。そういう所、なんだかお母さんみたいだね」
「そうか?」
「そうだよ。……駄目にされそうだ」
 もうなっているだろうと思いながら、ルルーシュは胸元に寄せられたスザクの頭を抱えたまま目を閉じた。
 深く息を吐き出したスザクも安心し切ったように目を閉じて、安らかな眠りに就こうとしている。
「こら、重いだろ。降りろよ」
「嫌だ。我慢してよ」
「嫌だ」
「じゃあ、膝枕してくれる……?」
 ここまで開き直ってグダグダに甘えてくるスザクは見たことがない。
 ――やはり駄目になっている。もう充分すぎるほど。
「じゃあって何だ。俺は疲れてるんだよ。ゆっくり眠らせてくれたっていいだろう?」
 あれだけ好き放題しておいてと内心毒づきながら、ルルーシュは邪魔くさそうにスザクを退かそうとしたが、無視したスザクは梃子でも退かないと言わんばかりに体重を乗せてくる。
「甘やかすの好きなんだろ。自分で言ったことには責任とれよ。ルルーシュ」
「何が責任だ。馬鹿が……」
 うるさそうに身を捩りながら抱きついてくるスザクの態度にチッと舌打ちしながらも、ルルーシュは仕方なく胸元に寄せられたスザクの頭を撫でてやった。
 ふわふわした髪の手触りは、そう悪くない。――いや、正直かなり良い。
 ……ほんの束の間、ルルーシュは確かに幸せだった。
 ずっとこのまま、時が止まってしまえばいいと願ってしまうくらいには。
(駄目にされそうなのは、俺の方だ)
 本心の織り込まれた嘘ほど上手な嘘は無い。
 嘘と本音、拒絶と執着、憎悪と愛情。二つの心の狭間で、スザクは振り子のように揺れ動く。
 例え相反するように見えていても、その根底が同じなのだとは気付かぬまま。
 時によってジキルとハイドのように移り変わるスザクの姿に、ルルーシュの心もまた、否応無く雁字搦めにされていくようだった。
 さながら、たった二人きりの舞台。……でなければ、くるくる回るメリーゴーランドの上で、果ての無い追いかけっこでも続けているのだろうか。いつまでも、いつまでも。
 眠りに落ちる寸前、ルルーシュは願う。あくまでも貪欲に。
 もしも願いが叶うなら、どうかもう少しだけこのままで――と。
 けれど時は進んでゆく。破滅へのタイムリミットはすぐそこまで迫っている。
 ……そう。すぐ其処まで。
 一分一秒と、逆さに回る時計の秒針が、刻々と運命を刻んでいく音が聞こえてくるようだった。
 いっそ残酷なほど、正確に。
(悪趣味なことだ。我ながら)
 何か熱いものが込み上げてくる。喉が痛い。……いや、気のせいだ。
 それでさえ、自分に言い聞かせた嘘でしかないと知ったのは、そっと開いた視界がぼんやり歪んでいたからだった。
 眠りに落ちたスザクの寝息を聞きながら、あまりの愛おしさに窒息しそうになる。
 傷みに潰れた心臓を今すぐにでも取り出して、どこかに放り投げてしまえたら。
 まだ残る愛や、情や、心ごと。――そうしたら、せめて少しは楽になれるのだろうか。
 目などずっと閉じたまま、開かなければ良い。せめてこの夢から覚めるまで。
 そう思いながら、ルルーシュは一人静かに涙を零した。

 愛の深さと同じだというのなら、憎まれていても構わなかった。
 それでもスザクと共に居られるのなら、もう、それだけで――。

オセロ 第23.5話(スザルル)

※R20警報発令中です。

完全なるサービス回により、急遽23、5話化しました。
最初から最後まで延々と(割と激しめな)大人シーンが続いておりますので、未成年の方は絶対にリンクをクリックしてはなりません……。



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オセロ 第23話(スザルル)

※性描写含みますので畳みます。続き読まれる方のみリンククリックでどぞ!


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オセロ 第22話(スザルル)

22


『切り札を晒すなら更に奥の手を持て』とはよく言ったものだ。
 スザクの編入学から三日後。学園主催の歓迎会中、屋上へと抜け出したルルーシュの元にスザクがやってきた。
「ゼロはもう必要ないんだ」
「ナイトオブワンになる」と宣言したスザクに「間接統治か」と切り返した直後、遮るように告げられた台詞と共に手渡された携帯。
「来週赴任される、新しいエリア11の総督だよ」
 背中を向けておいて正解だったとルルーシュは思った。受話口から流れてきた音声を聴いた瞬間、ルルーシュの紫玉が零れ落ちそうなほど大きく見開かれる。
(――スザクめ。やってくれる!)
 心の中でルルーシュが漏らした第一声がそれだった。
 一年ぶりに聞く妹の声。まさかナナリーをダシに使ってくるとは……。えげつない事この上ない。
 初日に仕掛けてきたのはスザクなりの最後の賭けなのだと思っていた。父を殺してでも守ろうと思った友人を失うことになれば、スザクはもっと苦しむ。何のために父を殺したのかわからなくなってしまう。……だから、その思いも本物なのだろうと。
 ――そう。つまりは油断していた。
 ナナリーには嘘がつけない。何があってもナナリーにだけは。そう思いながら巡らせた視線の先に居たのは、屋上へと追いかけてきたらしいロロだった。
 残りの秒数を示すように掲げられた指が、一本、また一本と折り曲げられていく。
「よくやった、ロロ!」
 初日に出し抜かれた為、スザクに対する警戒を強めたのだろう。既にロロがルルーシュによって篭絡されていることにスザクは気付いていない。
 困惑しているナナリーに矢継ぎ早な口調で状況を説明したルルーシュは、辛うじて事なきを得た。
 最後の切り札はもう切ったものとばかり思っていたのに。――さすがだな、とルルーシュは思う。
 お前ほど、俺という人間を知り尽くしている男は居ない……と。
「今は他人の振りをしなければならない」と告げた時、ナナリーは明らかに混乱していた。ということは、これは恐らくスザク個人の策略だ。
 冷えた臓腑が煮えくり返るのがルルーシュにも解った。
「ごめん、ナナリー。誤解させるような形になってしまって」
 思うような成果を上げられず、当てが外れて焦れる気持ちもどこかにあるのだろう。疑惑の針で突き刺すような眼差しでルルーシュから携帯を受け取ったスザクは、ナナリーに一言告げてから呟いた。
「――で、違うよね? やっぱり」
 ワントーン下がった冷たい声音。尋ねられたナナリーの反応が目に浮かぶ。
 記憶を操作されていないらしいナナリーにとっては、きっと意味の解らない質問だったに違いない。
「なんてことするんだ。ビックリしたじゃないか」
 スザクが通話を終えるのを見計らってから、ルルーシュは切り出した。
「ああ、ごめん。驚かせちゃったよね」
 疑いを隠しもしない露骨な態度を取っていたスザクが、複雑そうな笑みを浮かべながら振り返ってくる。
 まだルルーシュの記憶は戻っていない。スザクにとってもそう判断せざるを得なかっただろう。
(ナナリーがエリア11の新総督だと?)
 一方、ルルーシュも演技を続行しながら思索を巡らせる。記憶の回復したルルーシュに対する人質としてナナリーを使うなら皇帝だろうとばかり踏んでいたのに、まさかスザクまでそれに一枚噛んでくるとは。
(だが、ナナリーがブリタニアという巨大な枠の外に出てくるのなら、奪還する手段はある)
 わざわざ手の届く場所に送り込んできてくれるとは……。考えようによっては却って好都合だ。
 早速作戦を練らなければとルルーシュが思案していると、スザクは一時的に安心したような顔を見せながら閉じた携帯を懐へと仕舞い込んだ。……だが、それも恐らくは演技だろう。
 ルルーシュは平静を装ってスザクに尋ねた。
「……で? 『違うよね、やっぱり』ってのは何なんだ? なんで俺が皇女殿下と電話するようなことになる?」
『記憶の無いルルーシュ』であれば当然ともいえる質問だ。
 スザクは問い質そうとするルルーシュに貼り付けたような笑みで応えながら、平然と言葉を返してくる。
「そういう君こそ。ナナリー総督は何とおっしゃっていたんだい?」
「ああ……。俺にもよく解らないが、何だか勘違いだったって言ってたな」
「そうか。実はね、ナナリー総督はお知り合いを探していらっしゃる様なんだ」
「お知り合い?」
「うん。僕はこのエリアの担当だから、これから新総督の補佐に就くことになってるんだけど……。だからちょっと、人探しのお手伝いをね」
 白々しいにも程がある答えだったが、ルルーシュは「ふうん」と頷きながら、全く意味が解らなかった振りをした。
「でも、だからって……なんでその相手が俺なんだ? 俺は一般庶民だぞ。皇族に知り合いなんかいる訳ないだろ」
 納得し切れない様子のルルーシュに向かって、スザクは乾いた声でわざとらしく「あはは」と笑いながら「それもそうだね」と投げやりに返してくる。
 疑問を抱かれようが最早どうでもいいのだろう。せめて違和感だけでも無いよう気を配ろうとする意思すら感じられない。
 このふざけ切った言い訳にしても同じことだった。スザクは『記憶の無いルルーシュ』ではなく、明らかに『記憶回復しているルルーシュ』に向けて言っている。
「何だよ、お前……。じゃあ今のは単なる自慢みたいなものか? ナイトオブセブン様」
「さあね、ご想像にお任せするよ」
 開き直ったスザクは余裕綽々だ。見るからに腹に一物抱えて胡散臭い笑顔を浮かべている様ですらふてぶてしい。
 こみ上げる怒りは表に出さず、ルルーシュは茶化した口調で応えを返しながら、困惑と呆れを混在させたような表情でスザクを見返していた。
(何がお知り合いだ……!)
 電話に出た途端、ナナリーはすぐに「お兄様」と叫んできた。
(ナナリーが俺の声を聞いて何を話すか、それくらいお前にだって想像が付くだろう!)
 つくづく神経を逆撫でさせられる。全くもって許しがたい卑劣さだった。ただ奪っただけでは飽き足らず、事もあろうに利用するとは。あのナナリーを!
 勿論、これもルルーシュの記憶が戻っていると睨んだが故に選択した手段なのだろうが、それにしても……。
(だが、下手にこれ以上突っ込んだことを聞くのもまずい)
 ルルーシュはずっと気になっていたことを切り出す時のように、一旦俯いてから再び顔を上げた。
「冗談だったんなら別にいいが……。それにしてもスザク。お前……この間からなんかおかしいぞ」
「おかしい? 僕が?」
「ああ。だって変じゃないか。さっきも思ったんだが、ゼロがどうとかって話だって俺には全く関係ないだろ。何故俺に言ってくる? この間からずっと気になっていたんだが、何かあったのか?」
 ルルーシュが戸惑いがちに問いかけると、スザクは途端に目つきを鋭くする。
「……何かとは?」
「だから、あの話のことを抜きにしても、その……お前の態度は少し、きつすぎないか? 今の電話のことにしても、何か変だ。お前が何を考えてるのか俺にはさっぱりわからないんだが……。それに、俺との会話の中で頻繁にゼロの名を出してくるのは何故なんだ?……もしかしてお前、俺を主義者か何かだと勘違いしてるんじゃないだろうな?」
 ルルーシュは訳がわからないとばかりに、スザクに向かって不安そうに問いかけた。
 電話中の刺々しい目つきといい、通話する前の慇懃な態度といい、スザクは記憶の無いルルーシュからすれば身に覚えの無いことで責められているとしか思えないような言動しかしてきていない。
(そろそろ、この辺りで言っておかないとな……)
 この間というのは当然、スザクが入学してきた初日の話だ。立て続けに自分とは無関係の人物名を話の引き合いに出されて、不審に思わない筈が無い。
「この際だから言っておくが、俺はゼロに関しては馬鹿なテロリストどもの親玉くらいにしか思っていない。この時勢で傾倒してるなんて思われるのは真っ平だ。一応お前の立場はわかってるつもりだが、俺に変な疑いを抱いてるなら止してくれよ? 俺には弟だっているんだ。テロに関わるなんて冗談じゃない。それに、親友のお前に疑われるのだってごめんだからな」
 意味不明な事ばかり言ったりやったりするのもいい加減にしてくれと言わんばかりに念を押すと、スザクは一向にぼろを出す気配の無いルルーシュに苛立っているのか、浮かべている苦笑とは裏腹なため息を漏らしながら目を逸らした。
「……ごめん。でも別に、疑ってるとかそういう訳じゃないから」
「だったら何なんだ。……もしかして、まだ三日前の怒りでも引きずってるのか?」
 ルルーシュは言いづらそうに続けた。
 屋上で八年前のことを打ち明けられた後、これから仕事があるというスザク(学園地下の監視ルームに来たとロロから聞いている)とは分かれてしまった為、結局これからどういう関係にしていくのか、まだきちんと決まっていない。
「いや……この間は確かに言い過ぎたけど、そうじゃないよ。ただ、君には前科があるだろ?」
「前科?」
 はぁ? と言い出さんばかりにルルーシュが尋ね返すと、スザクは「一年前のことだよ」と呟きながら横目で軽く睨んでくる。
「一年前って……。昔の事だろ。それは……」
 スザクに対する負い目が頭を過ぎり、ルルーシュはばつが悪そうに口ごもった。
「昔ってほど昔じゃないだろ。たった一年前なんだから」
「……今はもう、昔ほど出歩いたりはしていない」
 常に監視されている立場とはいえ、機情局は掌握済み。屋上に来る直前にヴィレッタも無事落とした。監視網など今や完全にザルと化している。
 目くらましが完璧である以上、今でもしょっちゅう学園を抜け出している事実などスザクに伝わる由も無い。
 ルルーシュは気まずそうに「そういえば」と話題を変えてみた。
「しかし、その……何というか、まだ随分若いようだが。今度来る新総督というのは、今お幾つくらいの方なんだ?」
「…………」
 当たり障りの無い話題を口に出すルルーシュをスザクは無言で見つめていた。
「スザク?」
 答えないスザクに呼びかけてみると、スザクは突然「ルルーシュ」と強めの声で名前を呼んでくる。
「ん?」
「妹でも欲しいのかい?」
「え……?」
 予想外なほど鋭い切り替えしに一瞬ギクリとしたものの、ルルーシュはいかにも意外そうに眉を上げた。
 スザクは不自然さの欠片も無いルルーシュの反応をじっと見守りながら言葉を続けてくる。
「いや、年が気になるなんて、もしかしたらそうなのかなって思っただけだけど?」
 スザクの瞳はこの上なく冷えていた。表面上は穏やかな笑みを浮かべてこそいるものの、今にも「僕、そんなに変なことでも訊いた?」とでも言いたげな顔をしている。
(言ってくれるじゃないか、スザク……)
 甚振る趣味があったとは驚きだ。いささか八つ当たりめいてはいるが、幾らなんでもあからさますぎるとルルーシュは思った。こちらの動揺を誘おうと揺さぶりをかけているのが丸解りだ。
 きょとんとしていたルルーシュは、内心、覚えてろと歯噛みしながら、スザクの言い分に「ああ……」と納得してみせる。
「何だよ、急に。欲しいと思って出来るものじゃないだろ。そういうのは……」
 ルルーシュはわざと素っ気無い口調で流してから、可笑しそうに「変な奴だな」と付け加えておいた。
(いい度胸だな、スザク……。俺がその程度の揺さぶりに引っ掛かるとでも思ってるのか。侮るなよ)
 スザクがそういうつもりなら負けていられない。年季の違いを見せ付けてやると言わんばかりにルルーシュも応戦する。
「だが、そうだな……確かに妹でもいれば、もしかすると少しは違っていたかもしれない。ロロは昔から人見知りが激しかったからな」
「……うん。そういえば、彼は昔から君にべったりだったね」
 この場にいない弟の話題を懐かしそうに振ってみると、スザクも一応合わせてはくる。……が、しかし。先程までに比べると明らかに歯切れが悪い。
(ほう。乗ってくるのか……。では、ついでだ。どの程度ロロの話について来られるのか見せてもらおうか)
 ルルーシュにはナナリーと暮らしてきた記憶とロロとの記憶の両方が揃っているが、スザクはナナリーとの記憶しか持っていない。
(精々ぼろでも出すがいい。この人非人が!)
 途中で口ごもったり話せなくなったりしようものなら容赦なく突っ込んでやると思いながら、ルルーシュは邪気の欠片も無い完璧な作り笑いを浮かべてみせる。
 それに、例え目的のためにナナリーを一時的に利用したとしても、このスザクという男は、ロロとの事を懐かしげに語るルルーシュを見て、ナナリーに対する罪悪感など何一つ感じずにいられるほど非情になり切れるタイプではない。
「お前にはとうとう最後まで懐かなかったもんな。今でもよそよそしいだろ」
「そうでもないよ……。一応、少しは話してくれてる」
「そうか。昔とは立場が変わったとはいえ、一応幼馴染だっていうのに。色々と気を使わせてしまってすまないな」
「いや、別に……そんなことはないけど……」
 スザクもまずいと感じてはいるのだろう。ルルーシュがロロのことを口にすればするほど、歯切れの悪さを増していく。
(学園初日がお前とロロとの初対面だったと俺は知っているんだよ……。報告書の内容全てを暗記出来る頭と、人物像そのものを口頭で違和感なく再現させられるだけの想像力がお前にあるなら話は別だがな)
 面識自体が浅いのに、その人となりに関する詳しい話など出来よう筈が無い。
「ルルーシュ」
「ん、何だ?」
「――今から、君の部屋に行っても?」
(何っ!?)
 唐突に会話が途切れた。
 びくっと硬直したルルーシュを、スザクは試すような眼差しで凝視している。
(スザク……! お前!)
 あくまでも疑いを解くつもりは無いという訳か。心底、厄介な……と思いながらも、ルルーシュは舌打ちしたくなるのを辛うじて控えた。
 部屋に来たがる意図など知れている。ルルーシュがあの電話の後でも平静に振舞えるかどうかだけではなく、ナナリーを騙して策略の道具にしたスザクにどういう態度を取るのか、最後まで見届けようというのだろう。
「おいおい……誰の為の歓迎会だと思ってるんだ? 主役がいなくなってどうする」
「みんな楽しんでるみたいだし。別にいいだろ?」
 スザクはこれでもかというほど、とびっきり甘い笑顔で微笑んでくる。
(こいつ……。何でもその方法で押し切ろうとしてないか?)
 苦虫を百匹ほど噛み潰したくなる思いを堪えながら、ルルーシュは困ったように眉を下げた。
(全くそんな気分ではないんだがな……)
 部屋に来られた後の展開も何となく予想はつく。ワンパターンにも程があるだろうとは思ったが、ここでまた強硬手段に訴えられでもしたらと思うとたまったものではない。
「仕方ない奴だな……」
「嫌?」
 折角ひと泡吹かせてやろうと思っていた矢先にこれだ。勝ち誇ったようなスザクの顔が勘に触る。
「……俺が、お前の頼みを断ったりすると思うのか?」
 恥じらいながらも渋々了解の意を示すルルーシュを見て、スザクは僅かに目を細めた。
 スザクのゼロに対する執念は本物だ。ここまで形振り構わずな手段を使ってくるとは……。正直少し見くびっていた。
 歩み寄ってきたスザクが肩に腕を回してくる。
「お、おい……」
「大丈夫。部屋までは我慢するから」
「そうじゃない。まだこれからどういう関係にするかも決めていないだろ。そういうのは……」
 反射的に体をずらして避けようとしたが、捕らえようとするスザクの手の方が早かった。
 ルルーシュの肩を抱いたスザクが顔を寄せ、すかさず頬にちゅっと口付けてくる。
「好きだよ。ルルーシュ」
 梃子でもその方向に持ち込むつもりなのだろう。スザクは拒否しようとするルルーシュの言葉を遮って好き勝手に振舞おうとする。
「……大胆だな」
「うん。誰も聞いてないよ。君以外は……。だから、その話は君の部屋に行ってからきちんと話そう?」
 頬にかかっていたルルーシュの髪を耳にかけてやりながら、スザクは甘い声で囁いた。
「話し合いに……なるのか? これで……」
「さあ……。なるかならないかは君次第、かな?」
 耳朶を食む唇の感触がくすぐったくて首を竦めていると、スザクはつい、と指先で顎を撫でてくる。
(クソ。スザクの奴。遊んでやがる……!)
 ルルーシュは口汚く心の中で罵った。――立派なホストになれそうだ。
「何ならここで決めても僕は構わない。君への気持ちは今言った通りだから」
「………………」
 よく言うと思いながら、ルルーシュは無言で眉を顰めた。
(あれだけのことをしておいて、よくそんな歯の浮いたような台詞を言えるものだな)
 一体どういうつもりなのだろうか。言動が支離滅裂すぎる。
 ルルーシュが憎いと散々詰り倒したことを忘れてしまったのだろうか。
「で、君の答えは?」
「言わせる気か? こんな所で。……照れるだろ?」
「でも聞きたいな」
「………」
「駄目?」
 スザクは瞼へと口付けてから、今度は唇で睫を食んで強請ってくる。
 答えを促されるまま、ルルーシュは妖艶な眼差しでゆるりとスザクを見返した。
「……ああ。俺もお前のことが好きだよ。スザク」
「それ、本当?」
「何だよ。疑ってるのか?」
「君は嘘つきだから」
 スザクは思い通りの答えを手に入れて満足したのか、それとも、それですら演技なのか判然としない表情でルルーシュの顔を覗き込んだ。
「疑うなら、下で女とでも踊ってくればいいじゃないか。お前と踊りたがってる女なら腐るほどいるだろう?」
「お断りだ。でも君となら踊ってもいい。エスコートしようか?」
「冗談……バカ言うな。なんでお前と……」
「つれないな」
 君らしいけど、と続けながら、スザクはルルーシュの手を取った。屋上からの階段前で引き上げられた手をくるりと返され、その場で一回転させられる。
「やめろ馬鹿。ふざけるな」
「いいじゃないか。ダンスは得意なんだろ? ルルーシュは」
「……ダンスは、とは何だ」
 スザクは「あれ、バレちゃった?」と笑いながら、再びルルーシュの肩を抱き寄せた。
 密着したまま数段降りたところでいきなり体を裏返され、壁と向かい合う形で押し付けられる。
「なっ……!」
「ちょっとだけこうさせて?」
 スザクは言うなり襟足にかかったルルーシュの髪をかきあげ、剥き出しになった項へと吸い付いた。
「やっ……め!」
「うん。ちょっとだけだから」
 後ろから抱きついた姿勢のまま舌で耳の裏から首筋へと辿っていたスザクが、もう一度ルルーシュの体を元の方向へと裏返す。
 顎にかけた手で顔を上向けられたと思った次の瞬間、深く口付けてきたスザクに思い切り舌を吸い上げられ、ルルーシュは喉を鳴らしながら背中をのけぞらせた。
「んっ……!」
 腰が砕けそうなほど長く続く口付けの最中、視点が合わないほど間近に迫ったスザクにルルーシュが咎めるような視線を送れば、スザクは離れる寸前に下唇をやんわりと噛んでくる。
 引き千切られるのかと思って身構えたルルーシュを面白そうに眺めていたスザクは、離した唇を舌先でぺろりと舐めてから首筋へと顔を埋めた。
「ごめん。嘘ついちゃった」
「全くだ……」
「でも、ちょっとだけって言ったのは本当だっただろ?」
「そこだけ本当でどうする……」
 この変態が、と呟いたルルーシュがキスの余韻に潤んだ瞳で睨んでやると、スザクはもう一度名残を惜しむようにゆっくりと口付けてくる。
「我慢出来なかったんだ。過失だよ。故意じゃない」
「ものは言いようだな」
「ついでに言うなら君のせいだ」
 親指でルルーシュの唇をなぞりながら、スザクは悪びれもせずに言い返してきた。
「……続き、したくなった?」
「そういう目的だったのか」
「まあね」
 薄闇の中で悪戯っぽく光るスザクの深緑。ふと、スザクは元からこんな顔をしていただろうかとルルーシュは不思議に思う。
 改めて間近で見たスザクの顔は、一年経って何だか精悍さが増している気がした。
「三日前にも思ったことだけど……」
「……ん?」
 言い淀むスザクへと訊き返したルルーシュが数回瞬きしていると、スザクは餌を前にした獣のように飢えた眼差しでルルーシュの顔を眺め回してから、熱っぽい吐息を細く吐き出している。
「君はやっぱり綺麗だ。実は小さい頃からずっとそう思ってた」
「……俺は男だぞ」
「うん。でも欲しくなるよ。どうしようもなく」
 嘘ばかり吐く唇なら、いっそ塞いだままにしておいた方がいいのかな。
 そう呟きながら、ルルーシュの手を引いたスザクが先に階段を降りていく。
「好きにすればいいだろう」
「ああ――君は僕のものだ。離さないよ。これからもずっと」
「……………」
 自分の手を引くスザクの手を見つめながら、ルルーシュはこの場にロロが居ないことを幸運に思った。
 ……ロロのギアスがあれば、スザクでさえ難なく殺せてしまう。
(こいつが俺に手を出していると知ったら、あいつなら殺りかねないな)
 依存どころか偏愛されている自覚はある。――勿論、そうなるよう仕向けたのはルルーシュ本人なのだが。
(人を狂わせる素養でもあるんだろうか、俺には……)
 CCにも『人たらし』と言われてはいたが……だとしたら、それもまた随分と悪魔らしいものだ。
 スザクに狂わされているのは、寧ろこちらの方だとばかり思っていたのに。
 思えばスザクとは、一年前からずっとこんな駆け引きばかり続けているような気がルルーシュはした。
(――まるで劇団だ)
 繋ぎ合った互いの手を見つめたまま、ルルーシュは心の底から、そう思った。


オセロ 第21話(スザルル)

21


 フェンスに叩きつけられたスザクの拳がずるりと落ちる様を、その場に座り込んだルルーシュは凍りついたように見つめていた。
 しかし、これは勿論ただの演技であり、頭の中はごく冷静だった。
 気圧されたのは確かだが、困惑もしていなければおかしい。『記憶の無いルルーシュ』であれば、何故ここでゼロの話が引き合いに出されるのか全く解らない筈だからだ。
 過去、スザクに対して騎士団を擁護する発言をした事は事実だが、傾倒まではしていない。
 それに、スザクの生き方や矜持を決定的に歪めた原因はギアスであって、ルルーシュから持ちかけたゲームが直接の切欠となった訳ではない。
 スザクの言い分は酷く一方的だったが、それもそうだ。演技をかなぐり捨てたあの台詞は、どれもやり場の無いスザク自身の本音なのだから。
 本当の俺は凄く自分勝手だと苦しむスザクに、ルルーシュはユフィの言葉を思い出した。
『自分を嫌いにならないで』――忘れられない台詞だ。
(必要悪を肯定出来ないこいつらしい言い分だな)
 ユフィがスザクにこう言ったという事は、恐らくスザク本人から父殺しの件について聞いていたのだろう。
 ユフィから尋ねたにせよ、スザクから打ち明けたにせよ同じ事だ。あれはスザクの本質を理解していなければ言えない台詞だった。
 長短紙一重という言葉を知らないのだろうか。人間は一面だけで出来ている訳ではない。多面的であって当然。ルルーシュとて自身の中に嫌悪する部分があり、そこをスザクに隠してもいる。
 スザクに対してだけではない。この学園の友人やナナリーに対してもだ。
(いや……。俺も同じ、か――)
 ルルーシュだって切り分けている。スザクと同じように。
 反逆を志し、人殺しを請け負うゼロとしての『私』、そして、ルルーシュとしての『俺』
(元々、俺がルルーシュという名を残した事だって――)
 そこまで考えて、ルルーシュは「やはり違う」と思い直した。自分、ルルーシュとスザクは同じではない。少なくとも、ルルーシュはゼロである『私』を否定していない。受け入れている。
(俺は俺だ。ゼロもルルーシュも、全て……)
 そこから目を逸らして見ない振りをしようと思った事など、一度もない。
 見せて欲しいと望まれれば、受け入れたいと望んでさえくれれば――例えば、それがスザクから求められた事だったとしたら、ルルーシュは躊躇せずゼロとしての自分を明かしたに違いない。
 一瞬、ユフィと同じように『自分が嫌いなのか』と尋ねようかと思ったが、スザクの中にいるユフィを汚すことになるような気がして言えなかった。――あとは、単純なプライドの問題だ。
(他人の言葉を借りての訴えが、真の意味で人の心に届く筈など無い……)
 スザクの言いたいことは解る。嘗て自分が守ろうとした存在が危険を冒すのではと危惧するのは、人として当然の事だ。
 過保護というより過干渉。そう言い換えてもいいほどの心配性はそういう理由だったのかと納得もする。
 但し、今のルルーシュにゼロとしての記憶が無い以上、少なくとも『殺してやりたい』と言われる程の事などしていない――と、そういう話になってくる訳なのだが。
「お前は、俺にどうして欲しいんだ……?」
「…………」
 ルルーシュが尋ねてみても、スザクは無言だった。つい先程まで興奮で荒げられていた息は潜められ、今はルルーシュから顔を背けて座り込んでいる。
 物言わぬスザクの横顔を、ルルーシュはじっと見つめていた。返事の代わりだろうか。力を失って床に落ちたスザクの拳に、また力が込められていく。
 肝心な所で黙り込む癖も一年前のままだ。
(いや、八年前と同じか……)
 スザクの言い分は矛盾している。手放す気は無いと豪語しながら、その対象であるルルーシュが自分を苦しめていると訴えているのだから。
「どうすればお前は満足出来るというんだ。俺に受け入れろというのか? 自ら望んでお前に縛られろと? だが、それはお前にとっても見たくない自分の姿を見せ付けられる事になるのと同じ意味なんじゃないのか?」
 スザクは相変わらずだんまりを決め込んでいたが、ルルーシュにとっては答えてもらわねば困る話だ。
 白黒はっきり付けておかなければ学園生活がままならなくなるばかりか、人形の振りさえ満足に続けられない。
「一年前と同じ関係を続けていきたいのか、それとも終わらせた方がいいのか。せめてそれだけでもハッキリさせてくれないか。……お前は俺と、どうしたいんだ?」
 スザクは昏い眼差しを一度だけルルーシュへと向け、また同じ方角へと逸らした。
「……それは、離れようと思えば、君にはそれが出来るってこと?」
 自分で口に出す事さえ不快だったのだろう。スザクはくっと息を詰まらせてから閉じていた唇を歪ませた。
 ふいに漏れる自嘲。吊り上がった口角がピクリと痙攣している。
「どうしたいか、だって? よくそんな台詞を言えるな。そんなの僕の方が知りたいよ」
 眉間に皺を寄せたスザクが忌々しげに吐き捨ててから鼻で笑う。
「だったら、俺が決めていいのか?」
 挑発的なルルーシュの台詞に、スザクがゆるりと振り返った。
「決める……? 君が? ……何を?」
 スザクが纏う空気に怒気が混じる。
 猛獣がもぞりと寝返りを打つ様によく似ていると思いながら、一瞬閉口しかけたルルーシュは辛うじて台詞を繋いでいく。
「お前が言いたいのはこういう事だろう?――つまり、自分がこうなってしまった責任を、俺に取れと」
 すると、スザクがはっとしたように言い返してきた。
「違う! 僕は……俺は……!」
「違わないんだよ。僕の気持ちを理解するべきだと言っただろう。お前は」
「……っ!」
 断定口調で告げてやると、スザクは悔しげに唇を噛み締めながら俯いている。
 父殺しについては自分の責だと言い張ってはいるが、その過去がスザクにとってルルーシュに対する執着にも深く絡んでいる以上、訴えの内容はそういう意味なのだと解釈せざるを得ない。
(二重人格でもあるまいし)
 スザクは自身の中にいる『俺』を押さえ込んでおかなければ生きる価値が無いと思い込んでいる様だが、父殺しに直結する人格でもある自分自身を恐れているのだ。あまつさえそれを刺激し、知りたがり、見たいとさえ望むルルーシュの事も。
 ましてや、ルルーシュはスザクが父を殺した動機そのものに直接関わる人間だ。下手に関係を深めようとすればするほど、スザクは自身の犯した過去の罪についても思い出さずにはいられまい。
(何のことは無い。離れてしまえば済む話だ)
 関わらなければいいのだ。これ以上。
 だが、そう出来なくさせてしまったのもルルーシュなのだ。――ここまで深い愛憎を向けられる程に。
 美化されていた事も知っている。……ならば、その対象に裏切られた場合、憎しみを昇華してやれる存在になれるのも裏切った本人だけという事になる。
「でも、父を殺したのは君のせいじゃない。僕の責任だ。……さっきも言っただろ」
「…………」
 今度はルルーシュが沈黙する番だった。
(そこに拘られても困るんだがな)
 自分でも矛盾していると気付いているだろうに。相変わらず頭の固い男だ。
 ルルーシュは募る苛々を吐き出すように深くため息をついた。
「要するに、お前が安心出来るようにすればいいんだろ? 俺は」
 事情が事情なのだから、仕方が無い。ルルーシュは自身に言い訳しながら肩を落とした。
(こいつといると、結局こうなるのか)
 ――どうやら折れてやるしかなさそうだ。
(やはりお前は、俺にとって最悪の敵だよ。スザク)
 諦め混じりに嘆息しながら、ルルーシュは想定したパターンの中で最悪の道を選ぶ羽目になった事を軽く呪った。
 別に高を括っていたつもりは無いが、C.C.をおびき寄せる為の餌として監視を受けているのだから、今はスザクの目的とて自分ではないだろうと判じていたのが仇になったようだ。
 表情を消したまま目を逸らしていたスザクが、ちらりと視線を向けてくる。――と、同時に、今までずっと無表情だったその顔に、ふと翳りが生まれた。
「僕を安心させるなんて、君には一生かかったって無理だ」
 さっきのように吐き捨てる響きではない。深い諦めの滲む声だった。
「だったらどうする。俺の部屋に監視カメラでも取り付けてみるか?」
 ルルーシュがむっつりと顔を顰めながら痛烈な皮肉をお見舞いしてやると、スザクは少し考え込む素振りを見せた後に言った。
「もう付けてある、と言ったら……君はどうする?」
「……はぁ?」
 何とも大胆な台詞だ。
 スザクはルルーシュの反応を試しているのか、怪訝そうな顔をするルルーシュの様子を伺っている。
「ある訳ないだろ、そんなもの。もしあったとしたらとっくに見つけてる」
 目を細めていたスザクは、ふん、と笑ってから視線を逸らした。
 内心「本当に、もう付けてあるんだよ」とでも思っているのかもしれない。
「冗談だよ」
(本気のくせに)
 演技が上手くなったと思ったのは只の勘違いだったようだ。
(根本的に自信家な奴は警戒を緩めるのが早いな)
 昔から空気を読まない所があるとは思っていたが、空気が読めないのではなく読む気が無いのと同じように、疑っているのがバレてこちらが困惑していようと、お構いなしというだけの事だ。
「冗談でも勘弁してくれ」
 顔に出すぎだと呆れながらルルーシュは答えた。
(『僕と同じになって欲しくない』か……)
 ずっと、父殺しの事だけを指しているのかと思っていた。――だが、スザクの根底にあるのは罪の意識だ。
 ルルーシュは嘗て自分がスザクに言った言葉を思い出していた。
『懺悔など後で幾らでも出来る』
 ブリタニアへと送られる途中、スザクは言った。
『本当に懺悔する事の意味すら知らないくせに』
(こいつの言う『僕』というのは、罪を背負った償いの為の自分という事か)
 ルルーシュはスザクの想いを裏切り、スザクにとっての神を殺したばかりか、ルルーシュたち兄妹の為に罪を背負った『僕』としてのスザクそのものを否定し、軽んじてしまったのだ。
(憎まれるのも無理は無いな……)
 思えば、スザクが真の意味で激昂したのは、ルルーシュがあの台詞を言い放った瞬間だった。それまで辛うじて理性を保っていたスザクは言った。
『いいや、君には無理だ』
 そして、ぶつけてきたのだ。あらん限りの憎悪を込めた存在否定の言葉を。
(先に言葉にしてしまったのは、俺の方だったのか)
 尤も、スザクの思いを何も聞かされていなかったルルーシュにとって、それはあくまでもスザク個人の事情に過ぎなかったのだが。
 しかし、例えば、もっと早く打ち明けられていたとしたら―――。
 ルルーシュが一人思案に耽っていると、スザクが突然立ち上がった。
「どこへ行く?」
 まさかこんなはしたない状態のままでいる自分を置いていくつもりでいるのかと問いかけると、スザクは見上げるルルーシュを一瞥してから「別に置いていくつもりじゃないよ」と答えた。
「水気のあるタオルか何か、取ってくるから。そこでちょっと待ってて」
 そのまますたすたと出口に向かうスザクの背に向かって、ルルーシュが声をかける。
「だったらさっさと取って来い。寄り道するなよ」
 強引に組み敷かれ、体を開かれた恨みは忘れていない。憎まれ口を叩くルルーシュに、スザクは背中を向けたまま答えた。
「そういう所も変わってないんだな」
 記憶が無くても、と、括弧閉じで語尾に続く言葉が聞こえるようだった。
(いい性格になったものだな。スザク)
『僕』としての自分で生きるという基本姿勢は変わっていないようだが、ひび割れた仮面の裏側から『俺』が微妙に透けている。
 以前、スザクに言われたことのある台詞がルルーシュの脳裏に蘇った。
『性格が良かったらルルーシュの友達は務まらないよ』
 ……という事は、一応自覚はある訳だ。
(今のこいつにだけは言われたくない台詞だな)
 閉まるドアの音を聞きながら、その場に一人残されたルルーシュは心の中で呟いた。
 フェンスに背を向けて寄りかかり、やはり馬鹿みたいに青く晴れ渡った空を眺めていると、一年前に言われたスザクの台詞が次々と蘇ってくる。

『人の気も知らないで』

『言えよ、スザク』
『……言わないよ』

 スザクはこれらの台詞を一体どんな気持ちで言ったのだろう。今も知る由は無い。
(踊らされていたと後から気付かされるのは、やはり俺の性に合わないな)
 例え、裏にどんな事情があったとしても……。
 渡された心の鍵。開いた扉の向こう側にあったものは、あまりにも無慈悲な真実だった。
 真実とは、そして世界とは、何故こうも不条理なのだろうか。守りたいと願ったものばかりが、掌から零れる砂のように滑り落ちていく。
 ――だが。
(俺は過去に一度……いや、二度、スザクを切り捨てている)
 一年前。そして、八年前にも。……勿論、八年前に関しては言い方を悪くすればだが。
 もう一度漏らした嘆息は、決してルルーシュの心を楽にはしてくれなかった。
 手に入ると見込んだものに対しては貪欲なまでに、それこそ命を賭けてでも手に入れようとするルルーシュだが、別離を受け入れるしかないと判断した時点で「もう会う事は無い」と覚悟して別れてきた。
 誰と別れる時であっても、その考え方は変わらない。覚悟とはそういう事だ。少なくともルルーシュにとっては。
 八年前、スザクに『アッシュフォードが引き取ってくれる』とあっさり言ったのは、スザクには藤堂がいると思っていたからでもあるが、軍に引き取られると知っても『そうか』と思っただけだった。
 淡白な反応に見えただろうが、しかし、だからこそ「ブリタニアをぶっ壊す」というルルーシュの信念は強く、そして根深い。
 スザクは『また会えると思っていなかった』と言っていたが、ルルーシュとてその思いは同じだったのだ。
 例えこのまま二度と生きて会えなかったとしてもスザクの事は決して忘れないし、スザクの故郷を奪い、これから自分たち兄妹以上に過酷な生き方をしなければならないであろうスザクの仇は、例え自分の身がどうなろうとも必ず討ってやると心に決めていた。
 別れても……いや、別れた事で、ルルーシュは今から八年前に、スザクの無念を背負ったつもりでいたのだ。
 引き離されてしまったからこそ、その思いは当時十歳だったルルーシュの胸に色濃く焼きついた。
 たった一人でぽつんと立ち尽くすスザクの姿を、ルルーシュは車の中からいつまでも、いつまでも見つめていた。
 ブリタニアへの反逆は、ナナリーが安全に暮らせる世界を作る為であるのと同時に、唯一の友であるスザクへの思いと、失われたその存在を想ってこそ。
 だからこそギアスを手に入れた時も、ルルーシュは迷わず力を行使する事が出来た。人を殺し、自らの手を血で染めることにも、躊躇いなど一切感じなかった。
 スザクが軍に志願したと知った時、筋違いとは思えど裏切られたようにさえ感じたのはその所為だ。ただ騙されているだけ。解っていないだけ。中から変えようと思っていたとしても、いつか認識を改める日が来るだろうと頑なに信じていた。
 しかし、幾度仲間になれと訴えてもスザクの考えは変わらず、結局道は最後まで違えたまま。プライベートでも拒絶が続き、その度にルルーシュは酷く傷付いた。
 同時に、自分たち兄妹を誰よりもよく知るスザクなら、昔と変わらず自分たちの傍に居てくれる。決して他の誰かを選んだりはしないと、何の疑問も抱かず思い込んでいた。
 スザクならそうする。……但し、昔通りのスザクなら。
 表面上変わっていたとしても、根底の部分では変わっていない。そう思えたからこそ信頼していた。
(だが、時の流れとは残酷なものだ)
 二人の道は分かたれてしまった。……それも、決定的なまでに。
 ユフィを利用し尽くすと決めた時も、ブラックリベリオンでスザクを切り捨てた時も、そして、八年前に別れを受け入れた時も――例えどんな思いがあったとしても、心を一時棚上げにして冷徹な判断を下そうと思えば、ルルーシュはいつでも下す事が出来た。
 人として不自然なほど現実的で、合理的で、冷静。
 人ではなく、悪魔のようだとルルーシュは思う。
(本当に残酷なのは時の流れなんかじゃない。この俺だ)
 救世主(メシア)になんかなれはしない。なれるとしたら、魔王だけだ。
 いつか思ったのと同じことを、心の中でルルーシュは再び繰り返す。
 どうせ嘘をつくのなら、せめて嘘泣きでも出来れば良かったのに、と……。
 八年前も、一年前も、そして今も。――せめて泣けていたら、まだ違っていただろうか。
 だが、振り返らないと決めたのだ。引き返す道など要らないと。
(なんという皮肉だ)
 そこまで想っていたのは自分の方だけだと考えていた。
 スザクは自分で選んだ道を行く。またルルーシュと離れ離れになってしまっても、もう構わないのだと。
 スザクにとって、ルルーシュは過去。だから、八年前からずっと、そこまで強い想いを抱き続けていたのは自分の方だけに違いない。……そう思っていた。
 けれど、なんという酷さだろう。なんという惨さ。冷酷さ。
 己の考えに戦慄すら覚えること無く、ルルーシュはこう思っていた。
(だから、もっと早く言えと言ったのに)
 見せれば良かったのだ。もっと早く、ブリタニアへの反逆を開始したばかりの頃に、本当の『俺』としてのスザクを。
(では、もっと早く教えられていたとしたら、俺は反逆を諦めたのか?)
 自身に問いかけてから、ルルーシュはうっそりと自嘲した。
 答えは否だ。
(なあ、スザク。……俺はどこまでも、お前を傷付ける存在にしかなれはしないんだな)
 自分本位で自分勝手な己の思考に呆れてしまう。
 こう言えば、おそらくスザクは怒るだろう。それ以上に、嘘を吐かれていたと知った時のように傷付くのかもしれない。……それでも。
 ―――ただ、どうしようもなく嬉しかった。
 そして、ふと思った。
(いつか、俺は死ぬだろう)
 そう遠くない未来に。
 どうして急に、こんな事を思うのかは解らない。
 けれど、思えばこれが、ルルーシュが己の死をリアルにイメージした初めての瞬間だった。
(これからもきっと、俺は沢山お前を傷付け、怒らせてしまうんだろうな)
 いつだって叶わない願いにばかり手を伸ばす。それがルルーシュ自身の業なのだから。
 けれど、今も願わずにはいられなかった。叶わない願いかもしれないと解っていても……やはり、諦め切る事など出来はしない。
 晴れ渡った空を見上げながら「今みたいな青空だと尚いい」と、ルルーシュは思った。


(いつか、俺が死を迎えるその時は――)


 スザク。
 誰よりも傍に、お前が居て欲しい。



プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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