大人の階段1

「スザクくん、ルルーシュくんとはその後どう?」
「どうって?」
「だから、何か進展はあったのかなーって」
 姿見の前に立ち、振り返ってコケティッシュな笑みを向けてくる彼女のこと、僕は決して嫌いじゃない。むしろ好きだ。大体、こんなことを頼んで嫌がらない女の人には感謝しないといけないよね。……まあ、僕から頼んだ訳じゃないけど。
「どうしてそんなこと訊くの?」
「だって、今日すっごく良かったもん。彼といいことあったんでしょ」
 うん、やっぱり好き。たとえばこういう察しのいい所とか。
 土曜の夜、遊びに来た彼女と寝るのは今夜が最後になるかもしれない。そう思いながらベッドに寝転んで、こらえきれず顔面に広がる笑みを彼女の向こう側にいる見えないルルーシュへと送る。
「あのね……とうとうキスしちゃった」
 内緒話のようなトーンで打ち明けると、彼女はまだ少し毛先が湿ったままの髪をかきあげ、胸元に巻いたバスタオルの乱れを直しながら「ほらやっぱりー」と僕のほうへ歩み寄ってきた。隣に座って覗き込んでくる笑顔は悪戯を思いついた子供みたいに無邪気だ。僕もたぶん似たような顔をしているんだろう。
「ルルーシュくんからビンタされなかった?」
「されないよ。口元押さえて驚いてた」
「ファーストキスだったんじゃない?」
「そうだと思う。っていうか、僕ちっちゃい頃ルルーシュが昼寝してる隙に奪っちゃったから、どのみち僕が初めてだよ」
 じゃあ全然とうとうじゃないじゃーん、と言いつつコロコロ笑う彼女のツッコミはごもっとも。さっき帰る時、本当は舌入れたかったのに我慢した僕、すごく偉い。この忍耐力を褒めてほしい。
 ころんと僕の隣に寝転んで、彼女は両足をぶらぶらさせながら「あーあ」と漏らした。その顔はしょうがないなぁというふうに笑っている。
「こーんな悪いお兄さんにロックオンされちゃって、ルルーシュくん本当にかわいそう。あんなに綺麗でモデルみたいな子なのに、女の子とエッチさせてもらえないんだ~」
「無理だよ。だってルルーシュ体力ないから、するよりされる側になる方がいいって」
「それスザクくんの都合でしょー?」
「体力ないのはホントだよ? 前マラソン大会で女子に負けてて。だったらウケやる方が楽だと思わない?」
 彼女が「ひっどい男!」と吹き出す。そうかなぁ、僕ルルーシュが相手ならマグロでいてくれて全然かまわないと思ってるだけなのに。しかし、枕に突っ伏してくつくつ揺れる肩と背中を見ていると、決して作っている態度じゃないって判るから本当に助かる。
「私スザクくんのこと好きだけど、付き合うのは絶対無理」
「セックスするのはいいんだ?」
「エッチだけならいいよ? スザクくん上手いし」
「僕上手いのかな……」
「うん。優しいし、今までの男とは段違い。お腹もチンコも硬いし。もっかい舐めていい?」
「えっと……じゃあ乳首以外でお願いします」
「乳首弱かったっけ」
「んー、なんかヤだ。乳首いじられると苛々するんだよね。女の子じゃないから感じないよ」
「えぇ? ルルーシュくんも男じゃない。どうするの?」
「ルルーシュの乳首は僕が開発するからいいんだ」
「年期入ってるホモ怖い!」
 頭に枕が飛んできた。
「ちょ、いったっ! 違うって、僕ホモじゃないよ、ルルーシュ以外にはノンケ。だって、他の男がシャツ越しに乳首立ててたら殴りたくなるし」
「ヤダ余計こわぁい!!」
 僕のパンツを引き下ろしながら彼女が爆笑している。そんな彼女から言わせると、僕は「顔が可愛くてかっこいい年期の入ったホモ」なんだそうだ。大丈夫? そんなホモとカレカノごっこしてるなんて――って。だから、ルルーシュ以外にはノンケだってば。
 彼女とは付き合ってない。いわゆるセフレ。一応、僕のTwitterを見ているルルーシュのために、表向きには彼女ってことにさせてもらってる。
 何故かって? それはもちろん、彼女よりも君が大切ってアピールするため。それと、嫉妬を煽ってルルーシュとの関係を発展させるため。
 断っておくけど、そうしようって言い出したのは僕じゃない。言い出しっぺは大学のサークルで意気投合して、今は僕のちんちんで遊んでるこの悪いお姉さんです。
「ねえお姉さん」
「なぁに~?」
「僕のちんちんふやけちゃう」
「気持ちよくない?」
「気持ちいいです……」
「早くルルーシュくんに舐めてもらえたらいいね?」
「そういう君も、あんなダメな男振って早く幸せになりなよ」
 すると、フェラを中断して急にガックリと項垂れた彼女が、あからさまに落ち込んでいますという顔を隠そうと抱きついてきた。まるで後輩みたいだ、この人。仕方なく体を起こして膝に乗せ、よしよしと頭を撫でておく。
「誰かいい男紹介して!」
「わかったってば。友達紹介するから。君より年下でも僕から見ていい男だよ、ルックスも抜群だし性格も悪くない。だから……、今の彼は駄目だ。ちゃんと別れて?」
 僕の肩口に顔を埋め、彼女がこくりと頷く。
「わかった……。頑張る」
 Twitterにツーショ写真アップしたりしてたけど、つまり、僕とこのお姉さんはこういう関係だったりする。慰める代わりに彼女のふりをしてもらう。飲み会でグダグダに酔って迫られた時はかなり焦って正直引いたし、好きな人がいるからと一度は断りもした。でも色々話しているうちに事情を聴いて、更に僕にとってうまみのある交換条件を持ち出されて気が変わった。
 好きな人が同性だって言ったら絶対引かれると思ったのに……びっくりするほど協力的だったんだ。ちなみに、平日会わないようにして土日だけ会いに行く方が焦らし方としては効果的、そうアドバイスしてくれたのもこのお姉さん。今日はルルーシュとあっさりしたキスしか出来なくて生殺し状態だったから、欲求不満を持て余して僕から誘った。いくら抱いても代わりにならないことなんて判り切ってる。ああ、早くルルーシュとこういうこと出来る仲になりたい。
 その後、髪を乾かして服を着た彼女は「今日こそ別れてくる!」と力強く言い残して帰っていった。大丈夫かなぁ。別に泊まっていってもいいっちゃいいんだけど、初めて泊める相手はルルーシュがいいって前に言ったの覚えてるんだろうな。変なところで律儀というか、情の深いお姉さんだ。ダメな人だとは思う。あんな浮気性なモラハラクズ、とっとと捨てなよ。何なら僕が代わりにやっつけておこうか?
 ひとまず、彼女が帰って一人になったところでルルーシュにLINEを入れておく。「また明日ね」って言った手前……というか、もちろん僕が会うって言ったら絶対会いに行くし、これからルルーシュが作ろうとしてるかもしれない彼女との仲も当然ぶち壊させてもらう。
 『明日スイーツビュッフェに行かない? おごるよ』そう送ると、既読になって一時間くらいしてから『どういうつもりだ』とようやく一言返ってきた。
 いずれにせよ、すっごく悩んだんだろうな。返信するか無視するか、とかキスのことを質問しようかやめておくか、とか。ぐるぐる考えた末にやっぱり訊くことにしたなら、さぞかし勇気が要っただろう。まあ無視しても押しかけてこられるから、どのみち逃げられないって考えたのかも。そう思うと、もう可愛くて可愛くてたまらない。
 即『明日話すよ。十一時に迎えに行くから支度しておいてね』と打ち込んで強引に切り上げる。予想通り、返信はなかった。これは了解の意だと解釈するし、最初から断らせる気なんて微塵もない。
 今日は理由を言わない。これは一種の賭けだから。知りたいんだったら出てきてもらうよ。ね、ルルーシュ。
 心の中で呟いて、待受のルルーシュにキスをした。

 僕はマカロンとお腹にたまらないスフレと口直しのクロワッサン、ルルーシュはフルーツタルトと苺のババロアとクレームブリュレを選んで二人席に座った。気付かれてないと思っていそうだけど、ルルーシュは僕の皿に乗っているマカロンをちらりと流し見て、マカロンが並んでいる場所をさりげなくチェックしている。次に選ぼうとしてるのかな、と何となく解ってしまい、可愛さにつられてつい頬が緩む。
 迎えに行ったときのルルーシュは明らかに不機嫌だったし、僕と視線も合わせなかった。でも今は、色とりどりのスイーツを選んでそこそこ食べるつもりでいるらしい。上品に盛られた皿を見て、やっぱりここに連れてきたのは正解だったと胸を撫で下ろした。電車内でのルルーシュは僕が関係ない話を振るたびに、何か言いかけてはムッと口を噤むことの繰り返しで、ろくな会話にならなかったから。
 ――で、今。ルルーシュは向かい側でまた『どういうつもりだ』という顔をして僕を睨んでいる。彼女がいるくせに、どうしてキスなんかしたんだ? きっとそう責め立てたくなっているに違いない。
「今日は、お前のおごりじゃなくていい」
 意外にも口火を切ったのはルルーシュだった。
「なんでさ」
「俺だって小遣いくらい自分で稼いでる」
「ギャンブルで?」
「っ、なんでお前が!」
「君の友達から聞いたよ。ルルーシュも生徒会で忙しいんだろ? で、最近は悪いバイトもしてるって」
 途端、苦虫を噛み潰したような顔でルルーシュが黙り込む。情報通のリヴァルって奴がルルーシュの悪友で、彼とはしょっちゅう情報交換している。チェスが特技でギャンブル好きなルルーシュ。タチの悪いことに、最近カジノでバイト中のリヴァルを伝手に、そこで大枚儲ける方法を思いついたらしい。すかさず「駄目だよ、賭け事は」と釘を刺せば、ルルーシュも該当人物に思い至ったのか忌々しげに「あいつ……」と舌打ちしていた。
「例の件だけど、別にからかったんじゃないよ。犬に噛まれたようなものだ、なんて誤解されたら困るから言っておく。あれは、決して冗談でやったことじゃない」
「何のことだ」
「だから、キスのこと」
「――っ!」
 苺のババロアを食べ始めていたルルーシュが、手を止めてフォークを皿に置く。ふい、と気まずげに僕から視線を逸らし、居心地悪そうにもじもじしながら横を向いていた。でも納得しきれず、それなら尚のことどうして? と問いかける代わりにキリキリと眉尻が上がっていく。
「彼女だって思ってるんだろ? 本当に付き合ってるように見えた?」
一瞬唖然とした後、ルルーシュは震える声で「は……?」と漏らして振り向いてきた。
「実は、今付き合ってる人は彼女じゃないんだ。体だけの関係」
「!」
「どうしてか解る?」
 ルルーシュはカッとなり、人目も憚らずドンとテーブルを拳で叩いて叫んだ。
「解る訳ないだろう、そんなこと!」
 目を見開き、肩をいからせて叫ぶ姿を直視してまっすぐに伝える。
「ルルーシュが好きだから」
「――――」
「僕が、ルルーシュのことを好きだからだ」
 本気で困惑したのか暫く視線をさまよわせ、やがてルルーシュは正面から謎の生き物を見るような目を僕に向けてきた。どうやら全く意味が通じていないらしい。そんな想像を裏付けるかのように、
「だからって、どうしてそうなる……?」
 僕が思った通りの問いかけ方をしてきた。
 僕は、ずっとルルーシュが好きだったから、今まで遊んではいても特定の彼女を作ったことはなかった。ルルーシュが僕に対して一定以上の好意を抱いてくれている、それは今回の件で解ったけれど、そういう意味で同性の幼馴染に意識してもらうのは難しい。
 切欠を作ってくれた彼女には感謝しかない。そう思いながら、ルルーシュが答えを待っていると知りつつスフレを口に運んだ。
今だって、ルルーシュは男同士だからという部分が引っかかっていて、まだ恋愛という意味で僕を意識しているとは言いがたい。絶対、自覚するまでには至っていないだろう。
 スフレを飲み込み、溜息を一つ落として僕も口を開いた。
「君は男だし、僕らは幼馴染で……、君はまだ十七歳。抱きたくても抱けないだろ?」
 だからだよ、と続けたところでルルーシュが「なんだよ、それ」とあからさまな嫌悪を顔面に滲ませる。
「抱けないからって他で済ませられる、そんな感情――!」
「自然なことだよ。君にはまだ解らないかもしれない。だけど、好きだったら抱きたくなるのはとりたてて変なことじゃない。むしろ我慢する方が難しいんだ。だからって、その欲望を他の誰かで補完する行為を正当化しようとは思ってない。だから今、軽蔑されるのを承知で正直に話してる」
「け……、…………俺は……」
 ルルーシュはぐっと唇をかみしめて、痛切な表情を隠すように俯いた。
 軽蔑なんてしていない。そう言いたくても言えなかったんだろう。
「それにしても、どうしてルルーシュが怒るんだ? 僕の気持ちや行動がどうだろうと、君には関係ないだろ」
「キスしただろうが!」
 ハッと我に返って慌てて周囲を見回し、ルルーシュはぎゅっと眉根を寄せて椅子の上で縮こまっている。
「そうだね」
 確かに、仕掛けたのは僕だ。やろうと思えば今までだって出来たかもしれない。でも、一度導火線に着火したら消し止められない。勢い余って抱き潰してしまいそうで怖かった。
「……君は、ナナリーと僕を選べって言われたらナナリーを選ぶだろ? でも僕は、彼女と君のどちらかを選べって言われたら、迷わず君を選ぶよ」
「……っ!」
 挑む気持ちで見据えれば、ルルーシュは僕の眼差しに動揺し、頬にさあっと朱を走らせる。けれど、薄く開いた唇を引き結び、再び意義を唱えた。
「付き合ってなかったんだろう?」
「そうだ。でも、情はある。もし彼女と付き合う流れになったら……、もし、君が僕の気持ちに応えられないって言うなら、本当に彼氏彼女の関係になることだって出来なくはない」
「…………」
「ねえルルーシュ、どっちか選んでよ」
「え……?」
「来週会う女の子とのデート、僕は断って欲しい」
「なっ――」
「君に彼女が出来るのは嫌なんだ。だから……選んでくれ」
 逡巡し、惑うルルーシュに追い打ちをかけるように言い募れば、ルルーシュはしばし絶句したのち鋭い目つきで僕を睨んだ。
「だったら――」
「?」
「だったら今、俺の目の前でその偽の彼女とやらに電話してみろ。今後一切関わりを断つ。そう言えるか?」
 ルルーシュは何故か思い詰めているようだった。同じ大学だから完全に関わりを断つのは無理だ。一応電話はできる。でも……。
「そうしたら君は、僕と付き合うと了承したことになる。――いいの?」
「それとこれとは話が別だ!」
 確かに、けじめをつけろという意味ならルルーシュの言い分に理があるし、ルルーシュが付き合ってくれるなら彼女と寝ることは今後一切無いと断言出来る。そう思いながら胸元のポケットから携帯を取り出した。会話の合間、他のテーブルの人達が揉め事の気配を察知したのか、抑えた声量ながらもよく通るルルーシュの声と、僕とのやり取りに耳をそばだてているのが何となく伝わってくる。
「もしもし、今いいかな。うん……実はさ、今ルルーシュと一緒にいて、付き合うことになりそうなんだ」
「おい!」
 ルルーシュが怒っているのを無視して彼女に告げた。
「でね、悪いんだけど、君からも説明してくれないかな、僕に対する恋愛感情は特にないって。……うん、僕らの関係を話したら怒らせちゃって。……そう、言ったんだ。でも誤解してるみたい」
「待て、スザク!」
 ルルーシュは怒りよりも困惑をあらわにし、けれど彼女との話には関心を引かれたのか僕が話すさまを凝視している。ルルーシュとしっかり目を合わせたまま僕は彼女と話していた。そのまま「はい」と携帯を手渡せば、ルルーシュは話すべきか否か迷って手元を見つめ、耳に当てられずにいる。特に人見知りじゃないし肝も据わっている方だから、これは単に話したくないんだろう。だから、黙って携帯を取り上げてスピーカーに変えた。
「直接話してもらおうと思ったら、ルルーシュちょっと戸惑ってて……。ごめん、君もだよね。手間かけちゃって本当にごめん。今スピーカーにしたから、一言だけでいいんだ。……うん、有難う、恩に着るよ」

『ルルーシュくん、聞こえる? スザクくんは私と一緒にいても、いつもルルーシュくんの話しかしないのよ!』

 ルルーシュが呆然としている。要件は済んだと判断し、後でお礼をさせてもらおうと思いつつ僕は通話を切った。彼女の声ははっきり届いた筈だ。なのに、ルルーシュの機嫌は優れない。聞いた瞬間はハッとした様子を見せたものの、どこを見ているのか解らない眼差しになって徐々に表情を凍てつかせていく。
 そして――。
「ずいぶん……信頼しあっているんだな」
ぽつりと、思いもかけぬ一言を繰り出してきた。
「さっきも言った通り、僕の一番はルルーシュだよ」
「そういう問題じゃないだろ……」
 ルルーシュは会話を打ち切り、さして美味しくもなさそうに淡々と皿のスイーツを片付け始めた。フォークを握り、口元に運ぶ手つきをじっと見つめる。僕の視線に気付いていながら知らんふりを装い、ルルーシュはお代わりのマカロンも取りにいかずに「帰ろう」と言ってきた。
 ここまで明確に言ったのに、何が気に入らないんだろう。『信頼しあっている』。そう見えるんだろうか。彼女と話すことなんて、大体ルルーシュのことだけだよ?
 どうして伝わらないのかな、こんなに君のことだけが好きなのに。


――――――



 付き合うと了承してもいない俺に、彼女とスザクとの関係について口を出す権利はない。
 とてもスイーツを楽しむどころの雰囲気ではなくなり、帰ってきたあの日から既に三日が経過している。スザクはいつも通り家まで送ってくれた。口論にならないよう俺を気遣ったのか、痛いほどの沈黙をむやみにかき乱すでもなく、かといって、結局おごらせておきながら空気を悪くした俺を責めるでもなく。
 この感情にどう名を付ければいいのか解らない。どうして他の女を抱くことができるんだ、俺のことが好きだと言っておきながら……。そして何故、俺はスザクと彼女との間にあれほどの信頼関係が築かれていることに苛ついて、許せないと思ってしまうのか。
 家に着き、ドアの前で「なじっていいよ」と言ったスザクと、かつてここまで険悪な仲になったことなどあっただろうかと疑問に思いながら、俺が感じていたのはスザクの感覚に届かないもどかしさだった。
 『どうしてルルーシュが怒るんだ? 僕の気持ちや行動がどうだろうと、君には関係ないだろ』――その通りだ。でも、何も言えないのに全てに腹が立つ。スザクにも、女にも、そしてままならない自分自身の心にさえも。
 確かに、俺とスザクは性格が真逆だし、人種系統も異なると言っていい。それでも俺たち二人はいつだって互いの考えなら手に取るようにわかったし、突飛なあいつの言動に腹を立てて喧嘩したことならあっても、その思考に全く理解が及ばないなんてことは今まで一度もなかったんだ。だからこそ、幼馴染のまま付き合いを続けてこられた。そう思っていたのに……。
 一週間音沙汰がなく、しかし週末にスザクからLINEが来た。ランプが点滅しているだけで解る、あいつからだと。
 トークを開かず新着を見てみると、スザクのアイコンの横に「明日のデート、どうするのかはルルーシュが決めることだけど、行っ」と表示されている。
 何が言いたいのかは大体解った。わずかに過ぎった「まだ追われている」という安堵と優越感に素早く蓋をして、未読にしたままLINEを閉じた。
 こういうの、未読無視っていうんだろう? 知ってるさそれくらい。でもいいじゃないか。なんでよりにもよってスイーツビュッフェで体の関係がある女との会話なんてさせられなきゃならないんだ? 昔からデリカシーに欠けている奴だと思ってはいたが、俺はまだ怒っている。キスしたからって付き合ってる訳じゃないだろう、俺とお前は……だったら別に、いちいちどうするのか報告してやる義務なんかない。
 ポケットに仕舞った携帯を制服越しに握りしめながら、金曜の五限を終えてまっすぐ帰路に着く。本当はリヴァルと賭けに行く約束をしていたのに、スザクに駄目だしを食らったとかでキャンセルさせてくれと付け足されたのが重ね重ね業腹だ。何の取引をしたんだか。どうせ合コンのセッティングとか、精々女の紹介とかだろう。上手く乗せられやがって……俺よりスザクに従うのか、と思うと二重三重に腹立たしい。

 『だったら越えればいいじゃないか。僕とルルーシュの方が彼女よりはるかに付き合い長いのに』
 ――だから腹が立つんだろう。俺より彼女との付き合いの方がお前は短いのに。
 『彼女には付き合っている人がいるよ。でももう別れるんだ。だから、僕の友達を紹介することになってる』
 ――おまえの友達じゃなくて、お前と付き合うことだって出来るんだろう? その彼女とやらとお前も!

 あの日帰宅した時に言われた台詞を反芻し、LINEを未読にしたままブロックしてやろうかとさえ思い始める。家に着くまでの俺の形相はきっと、苛々鬱々としていたことだろう。ひたすら言いたくても言えなかった言葉を心の中でスザクにぶつけながら、俺は久々にスザクのいない週末を家で迎えようとしていた。


 LINE未読のまま、また一週間が経ち、次の金曜。先週、スザクはうちに来なかった。
 今まで会いたかったから来ていたのなら、もう会いたくなくなったのなら来ない。そういうことだろう。あいつがそれでいいというなら知ったことか。別に毎週末来ていたのなんて、偽の彼女と寝ていた一か月間だけ。それも俺が好きで抱きたい――なんて冗談じゃない!――という理由で、しかも体だけの関係の女を作るなんて意味の解らないことをしておいて、ただ悪びれる様子もなく開き直って弁解してくる男なんか。……それでも、「どうでもいい」と言い切れないのは弱さなんだろうか。
 淋しくなんかない、俺は怒っているんだから。つまらなくなんかない、リヴァルと賭けに行けなくなったって。デートだって何とか断ったけれど、本当は当てつけに彼女を作ってやろうと思ったことを話したら、あいつはどんな顔をするんだろう。
 ――馬鹿、言える訳ないじゃないか、そんな不実なこと。馬鹿げた理由で女と付き合う趣味もないし、付き合わされる女だって迷惑だろう。あいつの気持ちだって解っているのに。
 心の中で罵倒しては言い訳をするの繰り返しで、主に頭の中が忙しくて暇を感じる暇がない。全部スザクのせいだ。あいつの……!
 苛々しながら夕食で焼くステーキ肉の厚さを計ったり、調味料を量りにかけたりしていると、部活帰りのナナリーが帰宅するなり俺の手元の肉を見て、「スザクさん、今週はいらっしゃるんですね」と嬉しそうに問いかけてくる。
 違う、これは部活でスタミナ不足に陥らないため、お前の為に作っているんだよ、ナナリー、という台詞を飲み込んだ。不意に、スザクの為だったら味付けはデミグラスで、と頭に過ぎったせいだ。苛々しながらも結局あいつのことを考えている。それをナナリーに悟られたくなかった。かといって、二週間連絡していないどころかLINEさえ未読にしているとは口が裂けても言えず。
「今週は来ないよ。あいつも忙しいんだろう。なにせ彼女がいるからな。俺にばかり構っているとフラれるぞといつも言ってるのに聞かないから、ちょうどいいんじゃないか?」
 心にもない台詞が勝手に口から飛び出す。するとナナリーはちょっと残念そうな顔をして、「だったら予定を聞いて、今度はお兄様から平日に会いに行ってみてはどうでしょう」と忌憚なく返してきた。
「えっ?」
「いつも来てもらってばかりですし、たまにはどこかに……、あっ、そういえば!」
「な、何かなナナリー」
「先々週、お二人でスイーツビュッフェに行ったとか。じゃあお礼に、スザクさんの好きなビーフシチューやハンバーグを作って持って行って差し上げては?」
 僅かに動揺が走った。俺から……スザクの元に?
「な、ナナリー……スザクから聞いたのかい? スイーツビュッフェに行ったって」
 何故それを、と尋ねられずにいると、ナナリーは天使の微笑みを浮かべて鞄から携帯を取り出した。
「もう、お兄様ったら。私とスザクさんもLINEしているんですよ。『マカロンを食べたそうに見ていたけど、ルルーシュは食が細いから』って。本当にお兄様のことをよく見ていらっしゃって、まるでお兄様のナイトみたい!」
 スザクの魔の手がナナリーにまで! というか、食べそびれたのは誰のせいだと思っている! お前のせいだろうお前の!!
 ――そうじゃなく。
「他に、何か妙なことを言っていなかったか?」
 ナナリーは不思議そうな顔つきで可愛らしく小首を傾げた。
「他にって……。妙なこと?」
「ああいや、別に何も言ってなかったならいいんだ」
 調理に戻ろうとすると、ナナリーはしばらく黙ったまま食卓テーブルの横に立ち尽くし、不意に「お兄様」と鈴の音のように愛らしい声で呼びかけてくる。
「ん?」
 もうちょっとでステーキが焼けるから支度をしておいで。振り返ってそう言いかけた口が、ナナリーのやけに神妙な面持ちで開きっぱなしになってしまった。口調とは裏腹な表情に見えて少々戸惑う。
「スザクさん、お兄様のことを心配なさっていましたよ。『風邪とかひいてないか』って」
「――っ!」
 でもナナリーは、それだけ言うと「じゃあ私、上に行って着替えてきますね」と制服の裾を翻して階段を駆け上がっていった。パタリとドアの閉まる音がする。ナナリーが二階の自室に戻り、キッチンに一人残されてから台詞の意味を一気に理解した。
 ナナリーは気付いている。俺とスザクがこの二週間、実は連絡を取っていないということに。

 夕食を全く関係のない語らいでつつがなく終え、日付を跨いで土曜になった夜半過ぎ。宵っ張りの俺は、いつも寝るのは一時前後だ。スザクは「夜更かしは良くない」とうるさいが、なんだかんだと俺に付き合う。それを思い出し、部屋のベッドに横たわったまま、机に無造作に置きっぱなしにしてある携帯に横目を向けた。
 今週、スザクからLINEは来ていない。来ないままの土曜を迎えたのは久しぶりのことだった。当然といえばそうかもしれない。俺からのレスポンスがないうちに――それも未読のままにされているというのに――次のトークを送信したって仕方がないのだから。
 LINEは一度ブロックされると、トークを送った側からは幾度送信しても未読表示のままになるという。
 もしかすると、スザクは誤解したかもしれない。二週間も未読のままとなれば、俺からブロックされていると考えた可能性はある。ナナリーに俺の安否を気遣うLINEが来たのがいつだったのかは聞きそびれてしまったが、もし、それが昨日だったとしたら?
 せめて既読にしておくべきだった。そう後悔するや否やベッドから立ち上がり、机上の携帯を手に取っていた。ロックをスライド解除してLINEのアイコンをタップし、未読になったままのトーク画面を開く。暫し逡巡したものの、思い切ってスザクの黒猫アイコンの欄を開くと、スザクからはいつもの壁から猫が覗いているスタンプと一緒に、二件メッセージが届いていた。
 『先週は気分を悪くさせちゃって本当にごめん。彼女は前の彼氏と別れて新しい彼氏が出来ました。上手くいったみたいで、もう僕との関係は切れたよ』
 『明日のデート、どうするのかはルルーシュが決めることだけど、行ってほしくないと思うのは僕の我儘で…。嫌な思いをさせてしまって本当にごめんなさい』
 ツキリと胸に痛みが走る。謝罪の言葉でさえ読んでもらえず、二週間も未読にされ続けて、スザクは一体どんな気持ちでナナリーにLINEを送ったんだろう。
 トークはそれ以上入っておらず、俺は机の前に突っ立ったままスザクとのトーク履歴を遡り始めた。……そして、気付いた。一か月以上前に遡ってみても、いつも先にコンタクトを取ってきているのはスザクの方。俺から送ったことなど、二、三度ほどしかない。
 遡るのをやめ、スクロールバーを最新のトークに戻し、記憶をほじくり返してみてもそうだった。
 いつも、話しかけられるのを待っているだけ、俺からスザクに声をかけたことなど、ほとんどない。そんな事実に愕然とした。
 スザクからLINEしてくるのが当たり前。そうしてもらって当たり前。
 立て続けに、ナナリーに言われた言葉が蘇る。
『いつも来てもらってばかりですし、たまにはどこかに……』
 ……ずっと、当たり前だと思っていた。スザクに乞われ、誘われ、あいつからうちに遊びに来たがることが。全部、「求められているから応じているだけ」だった、そんな自分に気付いてしまった、たった今。
 本当は俺だって、会いたいと思っていたくせに……。
 子供扱いされる訳だ。何でもしてもらって当たり前。そんな関係、誰との間でも続く訳なんかないのに。
 ブロックされているのは俺の方かもしれない。とっくにそうされていたって何もおかしくなんかない。
 もし、愛想を尽かされていたら……?
 急に酷く不安になって、震える手でおそるおそるスタンプを送ってみる。
 と同時に、俺は我が目を疑った。
 『起きてる?』
 その一言が送ったばかりのスタンプの前に増えていることに気が付いたからだ。
「……!?」
 トーク画面を開きっぱなしにしていたから、向こうにはもう既読が付いてしまっている。それに、送った瞬間既読が付いたなら、俺がスザクとのLINEを開いている真っ最中だったことも悟られたかもしれない。画面を閉じようか、どうすべきか、目まぐるしく頭が回転し始める。
 なのに、頭を巡るのはこの一言だけ。
 ――会いたい、今すぐに。
 そんな俺の気持ちを裏切るかのように、スザクはこう返してきた。
『読んでくれてすごく嬉しいよ。君の既読を待ってた』
「……!」
『今日は終電がもう無いから、明日また連絡するね』
 読み上げるなり足腰から力が抜け、へなへなと床に座り込んでしまう。自分でも信じられないほどホッとした。心の底からの安堵だ。
「待ってた、って……いつから?」
 二週間前から? つい漏れ出た独白に心の中で付け足す。
 あいつは二週間前から、自分の送ったLINEを俺が読む時を待っていたっていうのか。ずっと……? LINEの画面、一体何回開いたんだ?
「馬鹿……。ブロックされたかもしれないなんて、疑った俺が間抜けみたいじゃないか」
 ぐっと携帯を握りしめる。スザクの気持ちに嘘偽りは一切ない。そんなの解ってた。俺が勝手に疑心暗鬼に陥っただけで、あいつが宣言したことが宣言通りじゃなかったことなど一度もない。それくらいよく解っていたつもりだったのに。
「あいつ……、本当に、俺のことが……?」
 好きなのか、そんなに。
 否応なく伝わってきて眉が寄る。
 それを俺は、あいつの執着をいいことに、その上に胡坐をかくような真似をして……。
 携帯を片手に急いで部屋を飛び出し、階段を駆け下りて冷蔵庫内の食材を確認する。
「よし、足りる」
 明日、スザクの家に行く。スザクから連絡が来る前に。いきなり行って驚かせてやる。もう決めた。
 そして、もう絶対子供扱いなんかさせないように言ってやるんだ。「俺もお前が好きだ」って。
 スザクの住所なら携帯にメモしてある。行くのは初めてだが何とかなるだろう。突然来られてもスザクは迷惑かもしれない。でも知ったことか、お前だっていつも俺の家に突然来るじゃないか。
 唇に自然と笑みが浮かぶ。食材を取り出して調理している間、俺は久々に無心になることが出来た。


――――


 たぶん、ここ二週間の俺は人を殺しそうな目つきをしていたと思う。ルルーシュはどうだったんだろう。愛想笑いが苦痛に思えたのは久々だった。
 もともとせっかちな性格だと自覚はしている。でも、「いつまで未読無視決め込むつもりなんだ?」と苛々しては、心のどこかでルルーシュを責めて、それでも頻繁にLINEを開かずにはいられない。そんな俺は、とてもじゃないが優しい彼氏にはなれそうもないだろう。
 未読表示のままのメッセージを見るたびに傷つく。「これで終わりになんてさせるもんか」という未練がましい気持ちと、「次に会ったら覚えてろルルーシュ」という理不尽な怒りとに板挟みにされ、つくづく待つことが苦手な自分にガッカリしたり、こんなんじゃ駄目だって今度は自分を責めてみたり、諫めてみたり。常に、心の中は暴風雨のようだった。
 いつも眠るのが一時過ぎのルルーシュ。本当はあいつのことばかり言っていられない。俺だって十二時過ぎに寝るのなんてしょっちゅうだし、夜通しルルーシュと語り明かしたことなんて子供の頃から数えきれないくらいある。「まさか夜遊びしてるんじゃないだろうな?」と疑う瞬間が一番嫌いで、厄介だと煩わしく思えた。ルルーシュはインドアだから、としつこく言い聞かせてやっと落ち着くくらい、自分でも強い方だとハッキリ解る独占欲が、今まで危うい均衡ながらもかろうじて保ってきた平常心をしつこくかき乱す。
 昨夜、やっと既読がついた。寝る前に携帯を見るルルーシュを想像しながら、画面を開いてみたら既読になっていてハッとした。返信くらいしてくれてもいいじゃないかと不満に思いつつ、つい「起きてる?」と送ってみたら、一拍も置かずに既読が付いてビックリだ。そして、ルルーシュにしては珍しく、数秒経たずにスタンプを送ってきたから、「まさか見てる真っ最中だったのか?」と気が付いて……。
 その瞬間、今までの鬱屈が全部吹き飛んで、一発で歓喜に変わったっていうんだから呆れてしまう。タイミングの凄さでその喜びは倍加した。
 現金なものだ、なんて可愛いんだろう。生意気で素直じゃないルルーシュに腹を立てていたくせに、気が付いたらとっくに許していて、それどころか「そんな所がルルーシュらしいな」だなんて……。未読無視し続けたことも、後で謝るくらいだったら最初からやらないと開き直るタイプだったと思い出し、そこがまた高潔で羨ましくもあって、それでもこっそり携帯を見ていた強がりで意地っ張りなルルーシュがやっぱり可愛い、いじらしい、放っておけないと思ってしまうだなんて……もう一種の病気じゃないだろうか。
 だって、僕からのLINEがないことに焦れてたのかもしれないだろう? ルルーシュだって怒ってたんだから。しつこく送れば送るほど拒絶されるって解っていながら、SNSで口論になり、しまいには大喧嘩に発展だなんていかにもありそうだ。それを見越して「送るな」ってあの人に忠告されたりもした。言われなくても一応はそうするよ。でも、もしこのまま繋がりが断ち切れてしまったらどうしようって不安は増すばかりだったし、全然大人になんかなり切れてないなって改めて痛感した。

 その後、「ルルーシュがやっとLINEを読んでくれた」と友達に延々とのろけ続け、気付けばいつの間にか寝落ちて翌日の朝。
 ルルーシュはもう起きているだろうか。『明日また連絡するね』と言った手前、何と送ろうか考え、直接会いに行った方がいいか、でも今の段階でいきなり家に行くのは……と躊躇してもみて、LINEって便利な反面不便なものだなと頭によぎった。悩んだ末に打ち明けようと思ったのは偽らざる本音。連絡が取れない間、僕が何をしていたかを正直に伝えることにした。
『君が寝るのはいつも一時すぎだから、あの時間に見たんだ。昼間も三十分おきとか、一時間おきにLINEを見てて、それでも既読になってなかったから、もう会えなくなったらどうしようってすごく不安だったよ』
 これはちょっとズルいと思う。本当は怒ってたくせに、そこは伏せるだなんて。大人って汚い。
 そのメッセージはすぐに既読になった。ルルーシュからの返信はないけれど、今何か手が離せない用事があるんだろう。ちょうど朝食の時間帯と重なってるし、ナナリーと自分のごはんを作っている真っ最中かもしれないと一人勝手に納得し、僕も味噌汁の出汁を仕込みながらのんびりと返信を待つ。
 今日は日曜日。体力維持の為のトレーニングをしてから軽くシャワーを浴び、朝食を摂ったあとに時々携帯を開いて、ひたすらルルーシュのことを考える。今どうしているかな、なんて返そうか考えてるのかな、とか。
 すると、ソファで寛いで珈琲を飲んでいる最中に、来客を告げるチャイムの音が鳴り響いた。
「誰だろう? こんな朝早くから……」
 立ち上がり、インターフォンのモニタを覗いてぎょっとする。
「ルルーシュ!?」
 ドアの外には、何かの包みを持ったルルーシュが少し緊張した面持ちで立っていて、息も止まるくらい驚いた。まさかルルーシュが、僕の家に直接アポなしでやってくるとは想像もしていなかったからだ。
 留守だと勘違いされたら困る。慌てて玄関に飛び出した。迷わずドアを開けると、俯いていたルルーシュが複雑そうな表情で顔を上げる。
「スザク……。その……、急に来てしまって――」
「ルルーシュ……どうして? あ、いや……上がって?」
 上げてしまっていいのか? と内心過ぎったけれど、心の声には無視を決め込み玄関に通す。ルルーシュはすぐには靴を脱がず、僕の顔をじっと見上げて黙っている。そして、おもむろに持っていた包みをおずおずと差し出してくるので、僕も無言で受け取った。その包みはずっしりと重い。
「弁当、作ってきたんだ。要らないなら、捨てていいから……」
 えっ、ルルーシュの作った弁当!? 欲しいよ! もちろん食べるに決まってる。
「それで、こんな朝早くに?」
「あ、ああ……。すまん、迷惑だったか?」
 ルルーシュはすまなさそうな眼差しを僕に向け、どことなく不安げな表情。ああ……何か、何かうまいことを言わないと。誤解させてしまう。
「有難う、すごく嬉しい、君の作るご飯大好きだから」
「そ、そうか……!」
 ほんのりとルルーシュの顔に喜色が滲む。本当はごはんだけじゃなく、むしろルルーシュ本人が大好きでたまらないって部分はあえて伏せた。僕ら二人は手狭な玄関に立っていて、隙間らしい隙間がほとんどない。お互い何を話せばいいのかよく解らないまま、特に気まずい訳ではないけれど沈黙が落ちる。
 ルルーシュはうっすらと唇に笑みを乗せ、明らかに照れ臭そうだ。それ以上に、僕が弁当を喜ぶという反応に安心し、ほっとしているように見える。
「ルルーシュ……」
「?」
 そんな様子を見て、思わず溜息が出た。「君には危機感とか警戒心ってものが足りないよ」と思わず喉から出かかる。ルルーシュは「やはり迷惑だったのか?」という顔で僕を見上げるけれど、溜息のニュアンスの違いを解ってない。
「駄目じゃないか。君を好きだと言ってる男の家に一人きりで来たりして……」
 この近すぎる距離もまずい。ルルーシュが使っている淡いコロンの香りや、衣類から漂う柔軟剤の香り、何よりルルーシュの髪や肌から立ち上るなんとも言えない良い匂いに煽られて、思わず理性が飛びそうになる。ルルーシュは「上がって」と言った僕の言葉に遠慮して、ずかずかと上がり込むような真似をしないし、僕も上げてしまって大丈夫なのかと問われれば、ハッキリ言って自信がなかった。
 だって……。
「お前が悪いんだぞ、他の女と寝たりするから」
 可愛すぎる一言に絶句する。もう……勘弁してよ!
「ルルーシュ。ちょっと……ここ、触ってみて」
「は?」
「いいから」
 戸惑っているルルーシュの手を取り、自分の其処に導く。ルルーシュは何が起こっているのか全く分かっていなさそうな様子で、でも、僕が自分の股間を触らせようとしているのだとは気付き、ぎょっとしたように僕を見る。
「お前は……っ! 何をさせるんだ俺に!」
 勃っていると知ってルルーシュは性的な意味ではなく、単純に驚いているようだった。何、その無垢な反応。君は男の怖さを全く解ってないよ。
 握らせたはいいものの、ルルーシュは特に真っ赤になるでもなく、焦る様子もなく、ただひたすら純粋に驚いているだけのようだ。逆に興味を駆り立てられたのか、無邪気に僕のものをにぎ、にぎ、と掴む。完全に白旗を上げて全面降伏してしまいたい。額を押さえている僕を不思議そうに見上げるルルーシュが可愛すぎて。
「お前――、俺が……、俺で、こんなふうになるのか?」
 トドメの一言で倒れそうになった。ああああっ!!!! もう!!!!!! と叫びだしたくなる衝動と戦いつつ、「君はならないの?」とあえぐように尋ねる。
「悪かったな」
 多少気分を害したというふうに訴えてきたから、ストレートに伝えた。
「これが恋だよ。抑えきれなくなる。言っただろ? 難しいんだ、本当に」
「……」
 もういいか? といった感じで手を放し、ルルーシュは僕の顔をまじまじと見つめ、また僕の股間をしげしげと眺めていた。本当に鈍いんだから! とたまらず抱きしめ、それでも何が起こっているのかよく分かっていなさそうなルルーシュの黒髪に顔を埋める。
自分でも解ってる。気付いている。息がとんでもなく荒くなってること。
「ルルーシュ……。僕、十年以上待ったんだよ、耐えたんだ。我慢出来なくなる感覚、解ってよ」
 たまらない気持ちでルルーシュの唇を奪う。もう一切我慢が利かなくて、とうとう舌を入れてしまった。ルルーシュは抵抗しない。どころか、手が空いているのを良いことに、勃ったままの僕の股間をぎゅっと掴んで意地悪そうにフンと鼻で笑う。
「だったら何故、最初から俺としようとしないんだ、お前は!」
 眦をきりきりと釣り上げ、でもさすがに舌を入れるキスには動揺したのかどことなく悔しそうに……そして、ずっとこの一言が言いたかったんだというふうに吐き捨てる。
「抱きたいんだろう? だったら抱けばいい」
「ルルーシュ……」
 大胆にも程がある。
「出来ないよ。無茶言うなよ、君十七歳だろう? 子供に手を出したら俺はっ……! あ、ちょっ――と。ダメ、だって……ッ!」
 ルルーシュが僕の怒張をわざと擦ってきて、慌てて身をよじった。そういえば、ルルーシュは子供扱いされるのが嫌いなんだった。悪かった、悪かったから! その触り方はやめて!
「……っあ、これ以上触っちゃダメだ! 本気で抑えが利かなくなる!」
 っていうか、感じるツボが解ってるってことはルルーシュやり方知ってるんだ。いつの間に……? ついこの間まで僕が湯浴み手伝ってたくらい小さかったのに。
「でも、そうだ……ルルーシュだって男だもんな。十七歳、僕は、何してたっけ」
 ――ルルーシュで抜いてた。そんなしょうもないことを考えていると、ルルーシュは。
「スザク。男は十六を過ぎたら婚姻出来る。同意があれば、問題ないだろ。それに……」
 ぽつりと一言。
「キスしたくせに」
「――――」
 なんでそんなに時々男らしいんだ、ルルーシュ? 僕がそう焦りつつ「キスしたは、したよ?」と答えると、ルルーシュが「そうじゃなく」と呆れた目つきで僕を睨めつける。
「お前……俺が子供の頃……」
 えっ……?
 思わずポカンとして、じわじわと頬が熱くなっていくのを意識しながら尋ねた。
「起きて、たのか……?」
 はい。僕は、ルルーシュが子供の頃、昼寝の真っ最中にルルーシュの唇を奪いました。ファーストキスだと解っていて。確信犯です。
 ルルーシュはばつが悪いんだろう。「あれで起きた。当時は……何か悪いことをしたような、されたような気になって、黙ってたけど」と途切れ途切れに言い、目をそらす。
 うっ。と声が漏れ、つい「ごめん」と謝ってしまった。
「うん……そうだルルーシュ。僕は……、俺は、昔から君のことが……。ずっと、君のことしか――っ!」
 ルルーシュは前のめりになって訴える僕の頬をさらりと撫で、フッと鼻に抜いて笑った。
「ああ、俺もだ」
 華が綻ぶような笑顔。それを見た途端、思わず涙が溢れそうになり、ぐっと堪えてルルーシュに抱きついた。小さな頭をかき抱き、真剣に言葉を紡ぐ。
「ルルーシュ。遊びの相手と違うんだ。本気で好きな相手には、そう簡単に手なんか出せない。何をするか解らないし……。もし、怖くなったら――」
「怖くない。だから……」
「――っ、るるーしゅ!!」
 ぎゅっと目を瞑った。万感の想いを込めてキスを送る。
 愛しい。ただただいとおしい。可愛い。好きだ。大好きなんだ。愛してる。そんな言葉で幾ら伝えたって全然足りない。

 だから。
 だから、抱きたいんだ、ルルーシュ。




――――




続きます! R18になだれ込む寸前で寸止め……_(:3 」∠)_
そしてモブお姉さんに冷酷な枢木しか見たことがないので、この枢木はアリなのか激しく疑問。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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