二.五次元の君 2




2.

 『明日の味噌汁は豚汁がいいな』とスザクに言われ、ルルーシュは買い出しに来ていた。スーパーでお買い得商品を吟味する姿はそこらの主婦と変わらない。スザクはこれが食べたい、あれが食べたい、と具体的に料理名を挙げてくれるのでルルーシュは助かっている。
 大学はちょうど春休みだ。レポートをさっさと終わらせ、先に休みに入ったルルーシュとは裏腹に、学部の違うスザクはバイトと仕事に忙殺されて風邪をひき、更に運の悪いことに補講が重なり、休みに入るのがすっかり遅れてしまった。
 体力馬鹿のスザクといえども寝不足には勝てなかったようだ。この生活では、漫画を描く余裕がないどころか身体を壊してしまう。見かねたルルーシュが看病し、バイトを減らさせる代わりに食事を差し入れることにしたのは必然ともいえる流れだった。
 そんなスザクは今日、新作のネームを見せるために担当の人と会っている。数日間ネタをひねり出そうと唸っていて、かなり苦労していたのはルルーシュも見ていた。打ち合わせ中に詰めていく部分もあるのだろう。そのネタが通るかどうか定かではないが、長引けば今夜会える時間は少なくなってしまう。スザクとは学部が違う上に夜くらいしか会えないので、長期の休みはルルーシュにとって二人きりで居られる貴重な時間だった。
 手頃な豚肉と野菜を購入し、帰宅して玄関ドアを開くなり携帯電話のバイブ音が鳴り響く。
「スザクか、どうした」
『あ、ルルーシュ? 今晩のことなんだけど――』
 スザクの声は心なしか申し訳なさそうだ。
『これから担当さんとご飯食べに行くことになっちゃって。頼んでおいたのにごめん、今日は遅くなりそう』
 昨日の話では、夕方近くまでかかると言っていた。ところが担当の人が空腹を訴えてきたので、そのまま外で食事を摂りながら打ち合わせし続けることになったらしい。
 玄関からリビングに抜け、キッチンに買い物袋を置く。もやもやした霧がルルーシュの中に立ち込めた。
 スザクの家の合鍵など当然、持たされてはいない。担当者との詳しい話も掘り込んで尋ねたことはなく、その担当者が実は女で、しかも外で会っているものと思っていたら毎回家に入れていた、というのも初めて聞かされた。
(何だよそれ……)
 心の中で呟きながら携帯を切る。仕事だから仕方がない、割り切るべきだと解ってはいる。スザクとはあくまで友達で、人付き合いに関して口出ししたり、制限を設けたりする権利などルルーシュは持っていないのだから。……でも、決して面白くはない。
 急に料理する気分ではなくなり、ルルーシュはぼんやりとキッチンに立ち尽くした。食べて欲しい相手はスザクだけ。漫画家としての仕事が順調そうなのは何よりだと思うものの、邪推と解っているのに否応なく一つの懸念が浮かび上がってくる。
 いまいち冴えない外見でもスザクの顔立ちは整っていて、もともとアウトドア派でもあるので脱ぐと凄い。体力づくりも仕事のうちと言い、日々トレーニングにも励んでいる。犬っころのような雰囲気のくせに相当な女好きなのもルルーシュは知っていた。以前読ませてもらった漫画もいまいち冴えない主人公の男が、次々と登場してくる美少女たちに言い寄られるという典型的なストーリーだ。
(あれは本人の願望だろう、やはり)
 ラッキースケベと量産型パンチラ美少女。作画もディティールが凝っていて、美少女たちの系統はそれぞれ異なっているし一人ひとりの胸の大きさまで違う。中でも、パンツの凝りようは異常だ。やたらと生地の質感がリアルなだけでなく、フリルや柄に関しても一切、妥協が見受けられない。股に入る皺の付け方に至っては「どこで見てきた」と問い詰めたくなる作画で、そういうことに疎いルルーシュでさえ「あれはフェチ性の問題だ」と勘ぐってしまう。
 今描いているのは擬人化する猫の話のようだが――ほっこりする要素が随所に取り入れられているとはいえ――やはりエロコメに等しいものがある。だいたい擬人化と言っているのに何故、猫耳と尻尾の生えたツンデレ美少女でなければならないのか。しかも、無駄な露出の多さまでセットでなければならないのか。
(俺には一生かかっても解らない……)
 ぼんやりし続けているのも何なので、ルルーシュは気持ちを切り替えてとりあえず調理することにした。エプロンを身に着けて放置していたエコバッグから食材を取り出し、おもむろに下ごしらえを始める。
 遅くなるならドアノブにでもかけておけばいい。何か作ろうにもスザクの家に食べられるものなんて残っていないだろうし、そもそも冷蔵庫さえ申し訳程度の小さなものだ。もし行った時に帰って来ているなら重箱や水筒だけでも回収しておきたいし、ちょっと顔を見るだけで帰ってくるのでもいい。
 ルルーシュは思案した。重箱の換えはもちろん用意してあったが、空になったそれらを外に置いておいてくれ、と頼んでおくべきだっただろうか。
 包丁を置き、ズボンのポケットから携帯を取り出す。
「…………」
 メールで行く旨を伝えようとして思い止まった。まだ打ち合わせの最中だろうから、もしかしたら邪魔になってしまうかもしれない。スザクは空気を読まない奴だが気遣いはする方だ。行くと言ったら早めに帰ろうとする可能性だって充分ある。
(料理はいいものだ、何も考えずに手を動かしていられるから)
 ロックし直した携帯をポケットに仕舞い込み、ルルーシュはしつこくモヤモヤし続ける気持ちを今度こそ無にするために、もう一度包丁を握った。



『幼馴染は最強っていうけど、恋敵が現れた場合は負けフラグだよ』
 いつだったか漫画でのセオリー、いわゆるお約束展開についてスザクが話していた時、ルルーシュは心臓が止まりそうな思いをした。時々湧き立つ不安は以前から感じていたけれど、気付かないふりをしていただけだったからだ。
『今の担当さんは凄くいい人でさ、僕の作品も僕自身のことも、物凄くよく解ってくれてるんだ』
 ルルーシュが嫌な予感を覚えたのは、その女の担当さんをスザクが家に入れていると聞いた時からだ。理解してくれる相手なら誰でもいいんだろう、俺じゃなくても。その時にもルルーシュは内心腹立たしく思ったものだが、昨夜遂に決定的なものを見てしまった。
 スザクの部屋の入口。開いたドアの手前で抱き合う担当さん、と思しき女性とスザク。スザクの腕はかろうじて抱きしめ返してはいなかったが、その女性の背中に中途半端に回しかけていたのは見えた。耳元の辺りに顔を寄せ、何か囁きかけていたのも。
 会話の内容までは聞き取れなかったが、気にはなってしまう。あれから二人はどうしたのだろう? 低い声で話すスザクとキスを待つように見上げる女性。その生々しい光景があまりにもショックでルルーシュは逃げ出してしまった。
 黒縁眼鏡に隠れてよくは見えなくても、スザクが今まで見たこともないような真剣な顔をしていたのは覚えている。
(俺は対象外なのか? 幼馴染だから)
 持ち帰ってきてしまった荷物の中から重箱を取り出す元気もなく、ルルーシュは自室で一人うなだれていた。ベッドの縁に腰掛けたまま一歩も動けず、そのまま横向きに倒れて寝転がってしまう。
(それ以前に、二人とも男だ)
 今更当たり前の事実に思い至って自嘲の笑みが零れた。昔からルルーシュを綺麗だの何だのと褒めそやしてはしても、やはりスザクが好きなのは女なのだろう。幼馴染といっても実は特別でも何でもなく、ただ都合のいい相手と思われていただけなのかもしれない。
(便利な友達。そう思っていたから一緒にいただけか?)
 ドクンと心臓が鳴った。頼まれなくても料理を作ると言い、部屋の掃除もしてくれる便利な幼馴染。突然、胸が痛み始めたように思えてルルーシュはうずくまった。
(結論を急ぎすぎだ、直接確かめた訳じゃない)
 だけど、どうやって確かめればいい? 勘違いかどうか尋ねることなんて出来やしないのに。
 疑いたくない、と思いながらも悪い方向に自分を追い詰めている自覚がルルーシュにはあった。でも止められない、疑惑だけがどんどん深まっていく。
 あの野暮ったさに漫画オタクという要素がプラスされた中学高校時代、異性との付き合いを意識する年頃のスザクは投稿に打ち込んでいてモテなかった。その頃も今も、スザクの隣に居るのはルルーシュ只一人だ。
 ずっと見てきたから何もかも知っているつもりでいた。でも、ルルーシュの知らないところでスザクはスザクなりに、異性との付き合いだって経験してきたのではないか?
 逆に、ルルーシュに経験がないことをスザクは知っている。異性関係の話をすぐ逸らしてしまうのも、ひょっとすると密かに気遣われていたからなのかもしれない。
(小さい頃から一緒だったからな)
 枕を抱きしめてルルーシュは顔を埋めた。もっと冷静にならなければ、と繰り返し自分に言い聞かせる。考えたことさえなかった。自分がスザクにとって、恋愛の障害になっているかもしれないなんて……。
 地の底まで落ち込みそうになっていたその時、突然来客を告げるチャイムの音が鳴り響いた。
「……?」
 音の方を見てベッドから起き上がる。気を許した相手であっても外で会うようにしているので、ルルーシュが自分の家に招くのも実際に通したことがあるのもスザク一人だけだ。
 インターフォンを取ろうとして躊躇し、玄関ドアの魚眼レンズを覗き込む。
「スザク?」
 外に立っていたのは、ふわふわした茶色い頭だ。
 声が聞こえたらしく、スザクが顔を上げる。内側から鍵が開くのを待ってドアノブに視線をやり、いつまで経っても開かないのでおかしいな、という顔をしていた。
(どうする……)
 何故わざわざ家にまで来たのだろう? ルルーシュが戸惑っていると、外でスザクの声がした。
「ルルーシュ? いるんだろ、開けて?」
 コンコンコン、とせっかちそうにドアを叩く音。仕事の合間に来たなら急いでいるかもしれないし、そうでないなら上がっていいかと訊かれるかもしれない。ルルーシュはためらいながらチェーンキーを外してゆっくり鍵を回した。
「どうしたの、具合でも悪いのかルルーシュ?」
 その音を聞きつけてスザクが勝手にドアを開く。ルルーシュの顔を見るなり怪訝そうに眉を寄せた。
 ルルーシュが一歩引いてふる、と首を動かす。覚悟を決めて向き直るとスザクがこわばっているルルーシュの顔をまじまじと見つめ、何かあったのかと目線で訴えてくる。
「お前こそどうした、急に?」
「えっ」
 先に話しかけるとスザクは小さく唇を開け、「ああ」と言いかけて小脇に抱えていた重箱をルルーシュに差し出した。
「持ってきたんだ、この間の」
 剥き出しのそれはきちんと洗ったあとのようで、蓋の表面がピカピカにされている。ルルーシュはドアノブを握りしめたままぎこちなくそれを受け取った。
「昨夜はごめん」
 と、スザクが先に口を開く。
「こっちから頼んだのに……ルルーシュ今日は時間ある?」
「時間?」
 反射的に断ろうとしているのが伝わったのだろう。スザクは再び怪訝そうに眉を寄せた。
「君いつもと違うよ、どうかした?」
 スザクの声がワントーン落ちる。
「そうか?」
 うん、と頷き、スザクはルルーシュの顔を凝視して「何か変だ」と呟いた。驚異的な勘の良さだ。ルルーシュの性格を知り尽くしているせいか、スザクは自分に関わることで様子がおかしいのではないかと察したらしい。
 固い表情で重箱を抱え、ルルーシュは「いや」と目を逸らした。
「なんでもない、さっきまで寝てたんだ」
「…………」
 探る視線が「本当?」と問うている。黒縁眼鏡の奥でスザクの瞳がスッと細くなった――スザクは嘘を嫌う。
「上がってもいいかな」
 続けて「上がるよ」と決めた口調で言い添え、答えを待たずに靴を脱ぎ。スザクは遮ろうとしたルルーシュを避けて勝手に部屋へ上がり込んだ。
「おい!」
「寝てたんだろう? でも話があるんだ」
 有無を言わさぬ物言いに飲まれてルルーシュは断れず、そこで昨夜の弁当――重箱の入ったいつもの荷物がテーブルの上に置きっぱなしになっていた、と思い出して慌てて後を追った。スザクはもうリビングのドアを開けており、羽織っていたパーカーを脱いでいる。
「作ってくれてたんだ? いつの?」
 テーブルの上を一瞥し、振り返ってスザクは尋ねた。何気ない訊き方であってもルルーシュには詰問に聞こえる。昨夜のものではないのか、本当は持ってきたんじゃないのかと問われているみたいだ。
「これから持っていくつもりだった。ちょうど良かった」
 嘘に嘘を重ねることになると知りつつルルーシュは言い訳した。スザクは短く「そうか」と言い、口を閉ざしたルルーシュと荷物とを見比べて荷物の中に手を突っ込む。
「あ――!」
 当然、弁当は冷えている。咄嗟の嘘だったから。
(しまった)
 スザクが荷物から手を引き抜き、こいつはこういう奴だった、と歯噛みするルルーシュを無言で流し見る。
「昨日来たんだ?」
「!」
 今度こそ誤魔化せなかった。単刀直入に、しかも断定的に尋ねられてルルーシュが顔色を変える。スザクはそのさまを見咎めて小さく嘆息した。
「なんで黙ってるの?」
 訊き方こそ柔らかくても言い逃れさせるつもりはなさそうだ。ルルーシュが昨夜来たのだ、とスザクは既に確信している。
「嘘を吐くつもりはなかったんだ、その……」
 尻すぼみになって答える。だが同時に、理不尽にも思えた。好きで盗み見した訳でもないのに、何故自分が後ろめたい気持ちになどならなければならないのだろう。
(あんな往来で抱き合う方が悪い)
 見られたくないなら部屋の中でやれというのだ。
 ルルーシュは急に苛々してきた。スザクは瞬きもせず台詞の続きを待っている。ルルーシュは身体の横に下ろした手を握りしめ、顔を背けてむっと唇を閉ざした。スザクが諦めたように肩を落とす。
「何を見たのかは大体解ったよ。でも誤解だ」
「言い訳しなくていい」
 そんな義理などお前にはないのだから――。胸中での呟きが返す刀となって、ルルーシュの胸を鋭く抉った。
「そうだな、ルルーシュには関係ない」
 はっきりと言い置いてスザクが切り出す。
「でもだったら、どうして怒ってるんだ?」
「!」
 ルルーシュは言い返したいのをぐっと堪えた。別に怒ってなどいない、そう否定しながらも内心、ますます苛立ちが募った。スザクは断りもせずソファに行き、浅く腰掛けて黙り込むルルーシュを正面から見据えている。
「話があるって言っただろ?」
「俺は、」
「デッサンさせてくれないかな」
「……?」
 唐突な申し出にルルーシュが戸惑っていると、スザクは開いた足の間で指を組み、軽く溜息をついて再び口を開いた。
「今描いてる漫画のキャラクター、モデルが実はルルーシュでさ。ヌードモデルだから他の人には頼めなくて」
 俄かに何を言い出すのか。ルルーシュは目を瞠った。
(ヌード、と言ったのか? こいつは?)
「俺に脱げっていうのか」
 頭が真っ白になり、よく考える前に口走ってしまう。ルルーシュを見据えたままスザクは悪びれもせずに頷いた。
 やはり、都合のいい友達と思われているだけ。そういうのも担当の仕事なのではないか? 強い反発と疑惑が湧き上がってきたが、スザクはルルーシュの考えを先取りするように「君にしか頼めないんだ」と言う。
「僕が自分で脱ごうにも体型だって違う、モデルは君だから」
 噛んで含めるように言い聞かせる。もちろんルルーシュにも解るだろう、という口調でこう付け加えた。
「担当さんは女だ、頼めないだろ?」
「――――」
 ルルーシュの気持ちが急速に冷えていく。
 大雑把、天然、朴念仁――無神経。
(三つ目までは許してやる。だが最後の四つ目だけは許さん!)
 大切な彼女の代わりに、とでも考えているのだろうか。どす黒い感情で潰れてしまいそうだ。
 頭の中を占めるものは二人の関係、ただそれだけだった。今までスザクを最優先にしてきたのも、スザクに最優先にされてきたのもルルーシュだ。隣に居たのも、居て当然だったのも……。
 そう思った瞬間、疎外感で心が軋んだ。
「付き合ってるのか?」
「は?」
「だから、その女と」
「……?」
 押し殺した声で尋ねてくるルルーシュにスザクはぽかんとしていたが、すぐに思い至って「ああ」と呟く。
「担当さんと?」
 尋ねる声に苦笑が滲む。ルルーシュには「だから何?」と言っているふうに聞こえた。
 嫉妬で胸が焦げ付く。自分に成り変わろうとする存在など邪魔だ、消してしまいたい。
(そこは俺の場所なのに)
 スザクが認めたものと思い込み、ルルーシュは逸る感情にまかせて吐き捨てた。
「ずいぶん色ぼけたな。漫画家としても駆け出しなんだろう、お前は」
「そうだけど」
 妙な空気にたじろぐでもなく、けれど少しは困惑しているのかスザクが眉尻を下げて瞬く。ルルーシュの頭上を中心に、部屋全体に真っ黒な暗雲が垂れ込めてきたかのようだ。
「親に認められるような漫画家になるのが夢なんじゃなかったのか?」
 顔を逸らし、静かに問うルルーシュをスザクは黙って見つめていた。その間も、『恋敵が現れた場合は負けフラグだよ』というスザクの一言がルルーシュの頭をずっと回っている。
(負け……俺の負け。幼馴染は最強? どこがだ)
 あの一言も実は、スザクなりの牽制だったのかもしれない。
(こいつは仕事に対して真面目な奴だから、中途半端なことなどしたくないのだろうと思っていた。服装にさほど気を遣っていないのも、色恋に興味がなさそうなのもそれが理由なのだと)
 でも本当は、年相応に男女の付き合いにだって興味があって当然。気になる異性が現れれば、付き合いの長い幼馴染よりも大切になってしまうことだって――。
「モデルの件は断る」
 唸るように言い放ち、ルルーシュが拳を握りしめる。
「どうして?」
 君にしか頼めないんだよ? と訴えかける口ぶりでスザクは尋ねた。
「説明が必要か?」
 平静さを崩さないスザクをルルーシュが険しい眼光で射抜く。幾らなんでも非常識だ。憤りながら踵を返し、ついでのように振り返った。
「俺はお前のアシスタントでもなければ便利屋でもない。他を当たれ!」
 足音高く歩き、帰宅を促そうと玄関に続く扉を開けに行く。
「ルルーシュ」
 後を追おうとスザクも立ち上がった。ついてくる気配を感じながらルルーシュがドアノブに手を掛ける。荒く手前に引いて振り返ろうとした瞬間、足早になったスザクは後ろからルルーシュに抱きついた。
「おい……ッ!?」
 手が外れ、ドアノブがガチャリと耳障りな音を立てる。驚く以上に本能的な怯えがルルーシュを襲った。思い切り腕を振ろうとするとスザクがぎゅっと力を込め、吐息が首筋にかかってルルーシュがビクリと竦み上がる。
「――ッ、まえ……っ!」
 ドア前でもがいていると「ルルーシュ」と、耳元でスザクが小さく呼びかけた。囁く声音にルルーシュの動きが止まる。絡んでくる腕はきつくて痛みさえ感じるほどだ。
「離せ、この馬鹿が!」
 振りほどけずにいるうちにスザクがかけていた黒縁眼鏡を外し、器用に片手でフレームを折り畳む。無造作に尻ポケットに突っ込んでいる隙をみてルルーシュは抜け出した。スザクがすかさず腕を伸ばし、その腕を避けようとしてルルーシュがドアにぶつかる。背中にその固さを感じながら、ルルーシュは僅かに目を瞠った。
「あ――」
 間近にいたのは裸眼になったスザク。何年振りかに見る素顔だ。
 そこで、スザクの真面目な表情が急に崩れた。噴き出す寸前の唇を無理に引き締めようとしている。ルルーシュは間抜けにも自分があんぐりと口を開け、眼鏡のないスザクの顔に見入っていたことに気付いた。
(くそっ、何がおかしい!)
 腹を立てながらも黙り込んでしまう。スザクは更に一歩踏み出し、挙動不審になったルルーシュを閉じ込めようと顔の真横に手を付いた。
「お、前――?」
 見えるのか? と尋ねかけたルルーシュの声と、スザクの慇懃な「ルルーシュさん」という呼びかけとが重なる。
「まだ言ってなかったよ、夢ならもう一つあるって」
「……?」
「ルルーシュ・ランペルージさん」
 なんだ改まって。ルルーシュが問い返す前に、スザクは不意打ちのように顔を近付けてルルーシュの唇を奪った。
「――ッ!?」
 頬に手が添えられ、舌が入り込んできて仰天する。ルルーシュは呼吸の仕方が解らず、苦しげに喉を喘がせながら深く重なってくる唇を受け入れるしかなかった。
 鼻先が頬にこすれ、角度を変えてスザクが絡ませ合った舌を吸う。耳や首の後ろを掠めていく手にゾクリと背筋が震え、ルルーシュは甘く痺れるような初めての感覚に膝から下の力が抜け落ちていくのを感じていた。
 首筋から頬を辿り、スザクの手が顎下へと回る。親指と人差し指の股で引っ掛けるようにしてルルーシュの顎を持ち上げ、スザクは息継ぎの暇を与えずに何度も深い口付けを繰り返した。
 ルルーシュに解るのはただ、酷く手慣れたキスということだけ。
「僕とお付き合いして下さい、正式に」
「え……?」
 ぼうっとしながら涙目になり、ルルーシュはぼやけた視界に映るスザクを見つめて細い吐息を漏らした。今のがキスなのか、本当にされたのか。言われた言葉を反芻してよく噛みしめてみる。
(お付き合い……? 俺と?)
 何故、という思いと湧かない実感にひたすら混乱する。どこからこんな話になったのか。まだ湿る唇の感触は告白が現実なのだと告げている。
 顔が近いせいだろうか。まっすぐ向けられたスザクの目線はブレていない。
(極度の近眼、だった筈じゃ?)
 ルルーシュが頼りなく瞳を揺らす。
「お前……、見えるのか?」
「うん」
 どうして。
 訝しげにしているルルーシュを見て察したのだろう。スザクが「どうしてって……」と言い淀む。
「ルルーシュは知らなくていいよ」
 平坦な声だった。ルルーシュはまた関係ないと言われたのか、と肝を冷やしたがニュアンスが違う。スザクの顔面にうっすらと広がる酷薄な笑みは、君は気にしなくていいよ、という意図も込められた別の誰かへのものだ。
「スザク……?」
 不安になって呼びかけてみれば、応えの代わりにスザクが軽く眉を上げる。
「なんで」
 食い下がるルルーシュをスザクは真顔で見つめていた。ことん、と首を傾けて悪戯っぽく笑う。
「さあ……何故でしょう?」
 にこりと笑む唇は少し歪んでいた。それに気付いてスザクはくしゃりと弱った顔になり、今度は酷く優しげに目元を和らげている。
(何だ今のは。はぐらかすつもりか?)
 その目に惹きつけられているうちにスザクがまたちゅっと口付けてきて、ルルーシュは気が抜けたようにへなへなと腰を抜かした。スザクがさりげなく支え、一緒に屈もうとして思い出したかのように尻ポケットを探る。
「僕が認められたかったのは君にだ、やきもち妬いてくれるのは嬉しいよ」
「やきもち?」
 うん、と返しながらスザクも向かい合ってしゃがみ込んだ。フレームが折れないよう取り出した眼鏡を床に置く。伊達でしかなかったそれを見ていたルルーシュと視線を合わせ、安心させるように微笑みかけながらスザクは話し出した。
「本当は連載が決まってからプロポーズしたい、って思ってて……でも忙しくなってからじゃ、デートも出来ないよな」
 眼鏡をかけていた理由は解らないが、スザクはどうやら秘密にしておきたいらしい。
「まだ俺は、付き合うとは……」
 もごもご言い訳しつつルルーシュが視線を泳がせていると、スザクは「ふうん?」と意地悪な顔付きになった。
「でも、もう付き合ってるようなものだって思ってなかった?」
「……っ」
 図星を突かれてルルーシュが口ごもる。スザクはいたく満足そうに「これからも思っててよ」と言い、何故か誇らしげにタチの悪そうな笑みを浮かべていた。
「馬鹿が」
 自信満々な態度にルルーシュがぶすくれていると、スザクが苦笑しながら隣に座り込む。
「僕だって、その気もないのに旅行に誘ったりしないよ?」
 愛しげな声だった。ぴったりと肩をくっ付けてきたので、スザクのリアルな体温と息遣いにどぎまぎしながらルルーシュはチラリと顔を見た。しばらく互いに見つめ合っていると、ふとスザクが目線を落として「それに」と続ける。
「僕がオタクっぽくしてても態度を変えなかったのは、君だけだ」
 今まで悪しざまに言う人がいなかった訳ではない。悔しげに唇を噛み締めるルルーシュにスザクは気にするな、というふうに淡く笑いかけた。縮こまるルルーシュに寄りかかって片膝を抱え、前を向いたままぽつりと呟く。
「見られちゃってさ、眼鏡外してるトコ」
「えっ?」
 例の担当さんのことだろうか。
 スザクの横顔は大人びていた。それ以上語るつもりはないらしい。
 蒸し返したくはないのだろう。居た堪れなくなってルルーシュが俯いていると、スザクは肩に回した手でルルーシュの頭を抱き寄せ、頬を押し付けながら「驚かせてごめん」と囁く。
「小さい頃『結婚しよう』って約束したのに。忘れた?」
「……!」
 下からスザクに覗き込まれ、思わずルルーシュの背筋が伸びる。
「お前……」
 幼い頃の約束。描いた絵を見比べて、競い合った日のことを思い出す。

『スザクは絵がうまいな、しょうらい画家になったらどうだ?』
『いやだよ、めんどくさい』
『ならマンガ家は?』
『おまえがなればいいだろ? 女みたいでいやだ』
『ぼくが女みたいって言いたいのか?』
『そうじゃないよ。じゃあおれがマンガ家ってやつになれたら、おまえどうする?』
『ぼくは、』
『なれたらおまえとケッコンしてやる!』
『結婚!?』
『男どうしはできない、なんていうなよ? マンガ家になっておまえとケッコンする。やくそくだからな!』

 他愛ない口約束にすぎないと思い、その時もルルーシュは本気になどしていなかった。大きくなるにつれ現実主義になり、半ば忘れかけてさえいたかもしれない。……だが、スザクはそうではなかった。忘れてしまったように見せかけていただけ。
「限りなく二次元に近い存在なんだ、君は」
「解るように言え」
「だから、ルルーシュ以上の美人なんていないってこと。僕の人生に現れて好きになってくれる、それこそ漫画の世界だ」
 天文学的な確率なんじゃないかな、とスザクがひとりごちる。妙にしみじみとした口ぶりにルルーシュも笑ってしまった。
スザクが肩を抱き寄せて耳打ちする。
 極端な貧乏暮らしやガスコンロを置いてさえいないのも、そうしていればルルーシュが毎日のように家に通ってきてくれると思っていたから。
 そう言われてしまえばもう、ルルーシュも怒るに怒れない。

二.五次元の君 1




1.

 ルルーシュはピカピカに磨き上げられた重箱を取り出して、手際よく出来上がったばかりのおかずを詰めていく。この重箱はスザク専用のものだった。成人男子の食欲は、弁当箱程度のサイズでは決して補い切れない。
 スザクの好物のうちの一つは納豆で、昨日リクエストされたのはあろうことか納豆巻きだった。カットしない方が食べやすいので切らなくていいと言われても、ルルーシュは正直言ってあれだけは触りたくない。ついでに言えば、匂いも受け付けないのでパックさえ開けたくなかった。
(俺の苦手なものくらい覚えておけよ、朴念仁が)
 なるべく安価なものを、という気遣いは解るのだが、自分の食事を作るついでだと申し出たのはルルーシュの方だ。
 昔からスザクはそうだった。大雑把で天然、異様に勘が良いくせに肝心なところだけ鈍感だ。幼馴染の好き嫌いくらい把握していてもよさそうなのに、とルルーシュは恨めしく思いながら弁当用のアルミホイルを手に取った。
(確かに、栄養価は高い)
 でも、偏るのはまずい。そう判断したルルーシュは重箱の上段に野菜を多めに入れ、ついでに巻きすとひきわり納豆をパックごと鞄に放り込んだ。大き目のお握りを三つ作り、そのほかに炊きたてのご飯で作った酢飯を使い捨てのポリパック二つにたっぷりと盛っておく。半分にカットした海苔を軽く炙って包装用のフィルムに数枚入れておき、密封し終えたところでタイミング良くだし汁入りの鍋が沸いた。次は味噌汁作りだ。
 二人は生まれた頃から一緒だった。家が隣同士で幼馴染、遡れば幼稚園の頃から進学先まで一緒。生徒会副会長のルルーシュと、風紀委員のスザク。つかず離れずな関係は高校卒業後も続き、今のルルーシュは大学生、スザクは駆け出しの漫画家だった。地道に投稿を続けてやっとデビューし、担当が付いたのはついこの間のこと。将来プロとしてやっていくと告げたら親に大反対されてしまい、学業と両立出来なくなるから、と止めさせられそうになって家を飛び出した。
 もちろん仕送りなど期待出来る筈もなく、卒業までに連載が決まらなければ諦めるという条件で、辛うじて一人暮らしが許されたらしい。おかげでバイトを掛け持ちしていても収入が安定せず、スザクは安アパートで絵に描いたような貧乏暮らしを送っている。
 調理器具どころかガスコンロさえない家。ルルーシュはまだ温かいうちに届けてやろうと、今日もまた鞄に三食分の食事を詰めて甲斐甲斐しくスザクのもとへと通うのだった。


「よ、スザク。進み具合はどうだ?」
「担当さんみたいなこと言わないでよ、お腹空いたよルルーシュ……」
 作業机の前に陣取って、スザクは一心不乱にペンを走らせていた。その声は死にかけだ。部屋を見渡せばアニメの設定資料集にラブシーンデッサン集、女体のモデル人形、極め付けに汚い。机の横には雑然と積まれた資料とネーム用紙、床にまでスクリーントーンが散乱している。
「お前……」
 幾らなんでもコレはないぞ、と苦言をぶつけかけたルルーシュにスザクが「うわきたっ!」と小さく叫ぶ。
「わかってる、わかってるよルルーシュ。でも今は無理、色々と無理……」
 ぶつぶつとうわごとのように呟くので、ルルーシュはがっくりと肩を落とした。慣れてはいても嘆かわしいことだ、昨日片付けたばかりでこのザマとは。散らかす才能が並じゃない。
(俺がいないと駄目か)
 世話焼きの才能とセットであるべき、というささやかな自負に浸ってルルーシュは鼻を鳴らした。
「一段落したら食べろ」
「ありがと。このコマ終わったらね」
 その前にまず掃除からか、とルルーシュが腕をまくる。
 会話していても、スザクは勝手に入ってきたルルーシュへは一切目を向けない。修羅場の時はいつもそうだ。Tシャツにスウェット、額に黒のヘアバンドというラフにも程がある恰好で原稿に集中している。ペン入れの最中は特に神経を使うようで、わきまえているルルーシュは散らばったトーンを番号ごとにまとめて片付け始めた。振動が伝わらぬよう折りたたみ式テーブルの足をそっと伸ばし、スザクの生真面目そうな横顔を盗み見る。
(これ以上視力が落ちなければいいが……)
 小さいころ裸眼だったスザクは黒縁眼鏡をかけている。高校時代から常時外さなくなったそれは地味なデザインで、童顔のスザクに似合っているとは今でも言い難い。その野暮ったい眼鏡の奥に光る団栗眼の下には薄く隈が出来ており、昨夜もろくに睡眠をとっていないことが伺えた。
(服といい眼鏡といい、こいつは)
 顔の半分が隠れているというのに、全く頓着していなさそうなのも大雑把だからだろうか。物心ついた頃から漫画一筋、ジョギングする時とバイトの時以外ほとんど外出せず、ルルーシュが見たことのあるスザクの私服は常にジャージか灰色のスウェット上下だ。またはどことなく薄汚れた感のあるジーンズと、オタク然としたチェックのネルシャツ。良くて二、三千円台のTシャツとGショックの腕時計。それが精一杯のお洒落だった。
 真っ白な蛍光灯の下、消しゴムとスクリーントーンのカス塗れになって机にかじりつく姿はお世辞にも格好いいとは言えず。それでもルルーシュは、ずっと前からそんなスザクへと密かに想いを寄せているのだった。
 ルルーシュが鞄の中から重箱を取り出し、蓋を開けてテーブルの上に広げる。箸を並べたところでスザクが軽く息をつき、ようやく手を止めてルルーシュの方へと向き直った。
「今日のも美味しそうだね、君は?」
「俺は食べてきた」
「そっか――え、もうこんな時間?」
 机に置かれたデジタル時計に目をやってスザクが立ち上がる。スウェットの太腿で手汗を拭い、ルルーシュの向かい側に座椅子を移動させてそこに腰を下ろした。
「食事中は切り替えろ。そんなにヤバいのか?」
「消しゴムかけ手伝って」
「馬鹿言え、俺はアシじゃない」
「出世払いでお願いします。肩痛いんだよ、じゃマッサージ」
「甘えるな」
「そこを何とか!」
「いいから食えって」
「うん……いただきます」
 箸を取ってスザクが手を合わせている。昨日何をリクエストしたか忘れた訳ではないだろうに、違うメニューが並んでいても文句ひとつ零さなかった。
「納豆巻きだけどな、昨日の」
「?」
 さっそくお握りにかぶりつき、頬を膨らませながらスザクがぱちくりと瞬く。
「いや、いい」
 ルルーシュが言葉を濁し、スザクは口をもぐもぐさせながら頷いた。
「おいひいよ? 君のおはん」
「空腹が最高のスパイスか?」
「ほうひゃ、――そうじゃなくて」
 途中でごくんと飲み込んで、スザクが大好物のデミグラスソースのかかったミートボールに箸を伸ばす。隣の人参ソテーと玉ねぎも一緒に口へ運ぶのを見てルルーシュも自然と頬を緩めた。
「海苔と米、持ってきたから明日自分で巻け」
「納豆巻き!?」
「俺の前では作るなよ?」
「ほんとに? あるの? パックごと」
「特売だった。ひきわり三パック八十五円」
「普通だ……」
「普通だな」
「ひきわり買わなくても、」
「俺は肉と野菜しか刻まない」
「………………」
 即座に打ち消され、黙り込んだスザクが「そう」と複雑な面持ちになり、箸の先を咥えたまま上目遣いでルルーシュを見る。
「『俺はフ●ーしか泳がない』みたいだった、今」
「何の話だ」
「京ア●ってわかる?」
「知るか」
「つれないでござる」
「完全にアウトだろその口調。お前は新撰組辺りもこじらせてるのか?」
「幕末イコール新撰組じゃないんだよルルーシュ、る●うに剣●だよ。映画見に行こう?」
「原稿が終わったらな」
「映画は夏だよ。解ってるよ……」
「終わらせるんだ、お前が」
「拙者働きたくないでござる。ルルーシュに見捨てられたら死ぬかも」
「!」
 だからその喋り方やめろ、これだからオタクは。寸でのところでルルーシュがその二言を飲み込んだのは、スザクの拗ねたような不意打ちの一言にうっかり萌えてしまったからだ。
(こいつの場合は口だけだ)
 スザクは仕事に関して妥協しない。甘えたことを言っていても両親に止められた時、ルルーシュが不安定な進路だと口にしたら『途中で投げ出すつもりはないよ』と切り口上で反発された。
 普段怒らない奴に限って怒ると怖い。スザクが本当は責任感が強く、言い出したらきかない頑固な性分だとルルーシュは心得ていた。
「良かったな、まだ死ななくて済みそうで」
「まだ……」
 繰り返すスザクからルルーシュは目を逸らした。スザクもそんなルルーシュをじっと見つめ、まばたきに合わせて余所に視線を逃す。
「ルルーシュ」
「ん?」
「ホントに嫌いだよな、納豆」
「苦手と知りつつリクエストしたのか」
「食べたかったんだ」
 ルルーシュへと視線を戻してスザクは「怒った?」と尋ねた。ルルーシュはすぐには答えずスザクを軽く睨む。
「ぬるぬるねばねば……あんなもの」
「恨みがこもってる」
「臭いだろ、腐ってる」
「臭いけど美味しいんだってば、腐ってるけど」
 他愛ない会話をかわしながら、スザクはパクパクとおかずを平らげていった。食欲旺盛なスザクをルルーシュも黙って見守る。
(こいつらしいな)
 悪意がない代わりに遠慮もない。美味しそうに食べる姿だって本当は目の保養だ。幼馴染としての特権と理解、そこに実はちゃんと把握されていたと知ったがゆえの面映ゆさも混じり合い、ルルーシュは胸の内でこっそりと嬉しさを噛み締めながらスザクとのやり取りに和んでいた。
「風呂に入ったのか?」
 忙しい中でも入る暇を無理やり作ったのか、スザクの茶色い癖毛が綿あめみたいにふわふわと膨らんでいる。
「シャワーだよ。ルルーシュ僕の髪の毛見るのやめて?」
「なんで」
「膨らんでるんだろ、かっこわるいよ」
「お前は普段からかっ……こわるくはないぞ」
「『大丈夫だ問題ない』みたいな顔しても駄目だよ、ルルーシュ結構顔に出るんだから」
 そんなことはない、と言い返そうとしてルルーシュはついムッとしてしまい、勝ち誇ったように「ほらやっぱり」とスザクに笑われてしまった。お返しに重箱ごと奪おうとするとスザクがぶるぶると首を振り、口に入れたばかりのものをもぐもぐさせながら必死で取り返そうとする。
 ルルーシュは自分も箸を割り、戻した重箱の中からポテトの欧風炒めを選んでスザクの口に放り込んでやった。
「もっと野菜を摂れ、野菜を」
「おいひい!」
「そうだろうそうだろう、もっと褒めろ」
「るるーひゅ、へんはい!」
「変態はお前の方だろうが!」
 噴き出したスザクが「ちあうよ!」と首を振る。笑いを堪えながら慌てて口を覆い、大急ぎでごくりと飲み込んだ。
「落ち着いて食べろ、この漫画馬鹿が」
「天才っていったのに。次ブロッコリーがいいな」
「天才……? フン」
 当然だ、と言いながらルルーシュが注文通り食べさせてやると、スザクが「うん」と満足げにかぶりつく。
「へんはい」
「どうも『変態』と言っているように聞こえるな……」
 口にものを入れたまま喋るな、と注意したいルルーシュだったが、スザクの締まりのない笑顔を見て諦めた。いったん箸を前に置き、テーブルに肘をついて指を組む。
「難儀な仕事を選んだな、お前も。風呂に入る時間もないとは」
「ん――。時間はあるけど、なくなっちゃうんだ。君がいてくれて助かるよ」
「人を便利屋みたいに言うな」
 ルルーシュが本気で毒づいているとはスザクも思っていないのだろう。ただ、曖昧な笑みを口元に乗せて思わせぶりに黙り込む。
「気になるか?」
「ん?」
「髪だよ、髪」
「ああ……」
 スザクはヘアバンドでずっと頭を締めつけていたことに気付いたようだ。溜息交じりに首元へずらし、癖のついた前髪をかき上げてまた付け直した。
「それよりさ、修羅場が終わったら温泉に行きたいよ、銭湯でもいいし。脱稿した直後でも構わないから」
「温泉、ね……」
 やや唐突に話を逸らされた感じがしたのは気のせいだろうか。ルルーシュがぼやくスザクに頷きつつ三個目のお握りを手渡し、食べ終えた二個分のホイルを片付ける。
(スザクは元々こうだ)
 自分に言い聞かせるようにしてルルーシュは疑惑をかき消した。人の話を聞かないのも話題がぽんぽん飛ぶのもスザクの特徴、ルルーシュも単なる癖としか捉えていない。しかし、スザクは自分の容姿や異性の件、特に恋愛関係に話が及びそうになるとさっさと話題を変えてしまう。
 ルルーシュが水筒のカップにシジミの味噌汁を注いでやると、差し出されたおかわりを勢いよく飲み込んでスザクは「あちっ!」と眉を顰めていた。
「おい、気を付けろ」
 聞こえているのかいないのか、スザクがふうふうと息を吹きかけながら今度は慎重に啜る。はーっと吐息で美味しさを表現し、幸せそうに緩む目元を見ていると、ルルーシュもときおり芽生える小さな違和感など大した問題ではないと流してしまうのだった。
「ルルーシュ温泉行くならどこがいい?」
 水を向けられてルルーシュは肩を竦めた。
「無理するな、お前が忙しいのは知ってる」
「してないよ、もし行くとしたら」
「うん……」
 今の生活に不満はないので、行きたい所と言われてもすぐには思いつかない。スザクと一緒にいた期間は長く、私生活を共に出来るくらい解り合えていて、気を許してくれているとも思っている。幼馴染だから特別と驕っている訳ではなくとも、自分以上にスザクを好いていて理解している奴などいない筈。少なくともルルーシュはそう信じていた。
(こうして食事を作りに来る恋人が他にいる、というのならともかく)
 でも、二人きりの旅行というのは普通、恋人同士でやることではないのか?
(こいつに想いを……俺から?)
 急に現実に引き戻されてルルーシュは憂鬱になった。
 スザクとの関係は一見、安定しているように見える。本当は、いつ割れるともしれない薄氷の上に居るのにだ。今だって付き合っているのと同じようなものではあるけれど、もしこの先、本気で好きな相手がスザクに出来てしまったら?
「どうかした? 黙って」
「あ、ああ……そうだな」
 不審そうに眉を寄せるスザクにルルーシュが頷く。
「なるべく静かな旅館なんかいいな」
 上の空な答え方をして、ルルーシュは物思いにふけった。スザクは「旅館かぁ」と首をひねり、バイト先で貰ってきたらしい旅行雑誌を机の下から引っ張り出す。
 テーブルの向かいでお握りの最後の一口を頬張り、ページをめくるスザクの姿をルルーシュは複雑な気分で眺めていた。実際に行ける訳ではなくとも、一緒に行く相手として想定してくれるだけでも嬉しい。
(他の奴にも同じことを言っていたりはしないよな?)
 まさか、と思う。心の中でなら尋ねられることでも口には出せない。鈍感なスザクがルルーシュの想いに気付く日などこれからも来ないだろうし、そういう対象として意識されているということもなさそうだからだ。
(男同士でも旅行くらい行くものかもしれないが――)
 なら、一度くらい勇気を出してみてもいいだろうか。スザクには今、好きな人や気になる相手はいないのかと。
「スザ――」
「よし食べ終わった、ごちそうさま!」
 話しかけたタイミングと重なってしまい、うん、と伸びをしたスザクがルルーシュに「何?」と問いかける。ルルーシュはきょとんとしているさまに何となく切り出す意欲を削がれ、黙って首を振った。
「食べ終わったら歯を磨けよ。食事の前も手を洗わなかっただろう」
「ルルーシュは細かいな、シャワー浴びたから平気だよ。でもそうしておく」
 スザクは軽口を交えつつ、どこかほっとしたように相好を崩した。
「限界まで描いたらそのまま眠っちゃうだろうし、今夜中にペン入れ終わらせないと」
 頑張ろう、と呟いてスザクはルルーシュの忠告通り洗面所へ向かった。
(なんといっても、こいつはスザクだからな)
 安堵の中に落胆が滲む。ルルーシュはわざとそれに気付かないふりをした。
 もしスザクが貧乏でちょっとダサいオタクではなく、もっと格好良くて恋心にも聡い男だったら、今頃はとっくに別の誰かに奪われていたかもしれない。
 スザクが別の誰か――特に、女が寄ってくるようなタイプでなくて良かった、とルルーシュは改めて胸を撫で下ろすのだった。

→2

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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