オセロ 第22話(スザルル)
22
『切り札を晒すなら更に奥の手を持て』とはよく言ったものだ。
スザクの編入学から三日後。学園主催の歓迎会中、屋上へと抜け出したルルーシュの元にスザクがやってきた。
「ゼロはもう必要ないんだ」
「ナイトオブワンになる」と宣言したスザクに「間接統治か」と切り返した直後、遮るように告げられた台詞と共に手渡された携帯。
「来週赴任される、新しいエリア11の総督だよ」
背中を向けておいて正解だったとルルーシュは思った。受話口から流れてきた音声を聴いた瞬間、ルルーシュの紫玉が零れ落ちそうなほど大きく見開かれる。
(――スザクめ。やってくれる!)
心の中でルルーシュが漏らした第一声がそれだった。
一年ぶりに聞く妹の声。まさかナナリーをダシに使ってくるとは……。えげつない事この上ない。
初日に仕掛けてきたのはスザクなりの最後の賭けなのだと思っていた。父を殺してでも守ろうと思った友人を失うことになれば、スザクはもっと苦しむ。何のために父を殺したのかわからなくなってしまう。……だから、その思いも本物なのだろうと。
――そう。つまりは油断していた。
ナナリーには嘘がつけない。何があってもナナリーにだけは。そう思いながら巡らせた視線の先に居たのは、屋上へと追いかけてきたらしいロロだった。
残りの秒数を示すように掲げられた指が、一本、また一本と折り曲げられていく。
「よくやった、ロロ!」
初日に出し抜かれた為、スザクに対する警戒を強めたのだろう。既にロロがルルーシュによって篭絡されていることにスザクは気付いていない。
困惑しているナナリーに矢継ぎ早な口調で状況を説明したルルーシュは、辛うじて事なきを得た。
最後の切り札はもう切ったものとばかり思っていたのに。――さすがだな、とルルーシュは思う。
お前ほど、俺という人間を知り尽くしている男は居ない……と。
「今は他人の振りをしなければならない」と告げた時、ナナリーは明らかに混乱していた。ということは、これは恐らくスザク個人の策略だ。
冷えた臓腑が煮えくり返るのがルルーシュにも解った。
「ごめん、ナナリー。誤解させるような形になってしまって」
思うような成果を上げられず、当てが外れて焦れる気持ちもどこかにあるのだろう。疑惑の針で突き刺すような眼差しでルルーシュから携帯を受け取ったスザクは、ナナリーに一言告げてから呟いた。
「――で、違うよね? やっぱり」
ワントーン下がった冷たい声音。尋ねられたナナリーの反応が目に浮かぶ。
記憶を操作されていないらしいナナリーにとっては、きっと意味の解らない質問だったに違いない。
「なんてことするんだ。ビックリしたじゃないか」
スザクが通話を終えるのを見計らってから、ルルーシュは切り出した。
「ああ、ごめん。驚かせちゃったよね」
疑いを隠しもしない露骨な態度を取っていたスザクが、複雑そうな笑みを浮かべながら振り返ってくる。
まだルルーシュの記憶は戻っていない。スザクにとってもそう判断せざるを得なかっただろう。
(ナナリーがエリア11の新総督だと?)
一方、ルルーシュも演技を続行しながら思索を巡らせる。記憶の回復したルルーシュに対する人質としてナナリーを使うなら皇帝だろうとばかり踏んでいたのに、まさかスザクまでそれに一枚噛んでくるとは。
(だが、ナナリーがブリタニアという巨大な枠の外に出てくるのなら、奪還する手段はある)
わざわざ手の届く場所に送り込んできてくれるとは……。考えようによっては却って好都合だ。
早速作戦を練らなければとルルーシュが思案していると、スザクは一時的に安心したような顔を見せながら閉じた携帯を懐へと仕舞い込んだ。……だが、それも恐らくは演技だろう。
ルルーシュは平静を装ってスザクに尋ねた。
「……で? 『違うよね、やっぱり』ってのは何なんだ? なんで俺が皇女殿下と電話するようなことになる?」
『記憶の無いルルーシュ』であれば当然ともいえる質問だ。
スザクは問い質そうとするルルーシュに貼り付けたような笑みで応えながら、平然と言葉を返してくる。
「そういう君こそ。ナナリー総督は何とおっしゃっていたんだい?」
「ああ……。俺にもよく解らないが、何だか勘違いだったって言ってたな」
「そうか。実はね、ナナリー総督はお知り合いを探していらっしゃる様なんだ」
「お知り合い?」
「うん。僕はこのエリアの担当だから、これから新総督の補佐に就くことになってるんだけど……。だからちょっと、人探しのお手伝いをね」
白々しいにも程がある答えだったが、ルルーシュは「ふうん」と頷きながら、全く意味が解らなかった振りをした。
「でも、だからって……なんでその相手が俺なんだ? 俺は一般庶民だぞ。皇族に知り合いなんかいる訳ないだろ」
納得し切れない様子のルルーシュに向かって、スザクは乾いた声でわざとらしく「あはは」と笑いながら「それもそうだね」と投げやりに返してくる。
疑問を抱かれようが最早どうでもいいのだろう。せめて違和感だけでも無いよう気を配ろうとする意思すら感じられない。
このふざけ切った言い訳にしても同じことだった。スザクは『記憶の無いルルーシュ』ではなく、明らかに『記憶回復しているルルーシュ』に向けて言っている。
「何だよ、お前……。じゃあ今のは単なる自慢みたいなものか? ナイトオブセブン様」
「さあね、ご想像にお任せするよ」
開き直ったスザクは余裕綽々だ。見るからに腹に一物抱えて胡散臭い笑顔を浮かべている様ですらふてぶてしい。
こみ上げる怒りは表に出さず、ルルーシュは茶化した口調で応えを返しながら、困惑と呆れを混在させたような表情でスザクを見返していた。
(何がお知り合いだ……!)
電話に出た途端、ナナリーはすぐに「お兄様」と叫んできた。
(ナナリーが俺の声を聞いて何を話すか、それくらいお前にだって想像が付くだろう!)
つくづく神経を逆撫でさせられる。全くもって許しがたい卑劣さだった。ただ奪っただけでは飽き足らず、事もあろうに利用するとは。あのナナリーを!
勿論、これもルルーシュの記憶が戻っていると睨んだが故に選択した手段なのだろうが、それにしても……。
(だが、下手にこれ以上突っ込んだことを聞くのもまずい)
ルルーシュはずっと気になっていたことを切り出す時のように、一旦俯いてから再び顔を上げた。
「冗談だったんなら別にいいが……。それにしてもスザク。お前……この間からなんかおかしいぞ」
「おかしい? 僕が?」
「ああ。だって変じゃないか。さっきも思ったんだが、ゼロがどうとかって話だって俺には全く関係ないだろ。何故俺に言ってくる? この間からずっと気になっていたんだが、何かあったのか?」
ルルーシュが戸惑いがちに問いかけると、スザクは途端に目つきを鋭くする。
「……何かとは?」
「だから、あの話のことを抜きにしても、その……お前の態度は少し、きつすぎないか? 今の電話のことにしても、何か変だ。お前が何を考えてるのか俺にはさっぱりわからないんだが……。それに、俺との会話の中で頻繁にゼロの名を出してくるのは何故なんだ?……もしかしてお前、俺を主義者か何かだと勘違いしてるんじゃないだろうな?」
ルルーシュは訳がわからないとばかりに、スザクに向かって不安そうに問いかけた。
電話中の刺々しい目つきといい、通話する前の慇懃な態度といい、スザクは記憶の無いルルーシュからすれば身に覚えの無いことで責められているとしか思えないような言動しかしてきていない。
(そろそろ、この辺りで言っておかないとな……)
この間というのは当然、スザクが入学してきた初日の話だ。立て続けに自分とは無関係の人物名を話の引き合いに出されて、不審に思わない筈が無い。
「この際だから言っておくが、俺はゼロに関しては馬鹿なテロリストどもの親玉くらいにしか思っていない。この時勢で傾倒してるなんて思われるのは真っ平だ。一応お前の立場はわかってるつもりだが、俺に変な疑いを抱いてるなら止してくれよ? 俺には弟だっているんだ。テロに関わるなんて冗談じゃない。それに、親友のお前に疑われるのだってごめんだからな」
意味不明な事ばかり言ったりやったりするのもいい加減にしてくれと言わんばかりに念を押すと、スザクは一向にぼろを出す気配の無いルルーシュに苛立っているのか、浮かべている苦笑とは裏腹なため息を漏らしながら目を逸らした。
「……ごめん。でも別に、疑ってるとかそういう訳じゃないから」
「だったら何なんだ。……もしかして、まだ三日前の怒りでも引きずってるのか?」
ルルーシュは言いづらそうに続けた。
屋上で八年前のことを打ち明けられた後、これから仕事があるというスザク(学園地下の監視ルームに来たとロロから聞いている)とは分かれてしまった為、結局これからどういう関係にしていくのか、まだきちんと決まっていない。
「いや……この間は確かに言い過ぎたけど、そうじゃないよ。ただ、君には前科があるだろ?」
「前科?」
はぁ? と言い出さんばかりにルルーシュが尋ね返すと、スザクは「一年前のことだよ」と呟きながら横目で軽く睨んでくる。
「一年前って……。昔の事だろ。それは……」
スザクに対する負い目が頭を過ぎり、ルルーシュはばつが悪そうに口ごもった。
「昔ってほど昔じゃないだろ。たった一年前なんだから」
「……今はもう、昔ほど出歩いたりはしていない」
常に監視されている立場とはいえ、機情局は掌握済み。屋上に来る直前にヴィレッタも無事落とした。監視網など今や完全にザルと化している。
目くらましが完璧である以上、今でもしょっちゅう学園を抜け出している事実などスザクに伝わる由も無い。
ルルーシュは気まずそうに「そういえば」と話題を変えてみた。
「しかし、その……何というか、まだ随分若いようだが。今度来る新総督というのは、今お幾つくらいの方なんだ?」
「…………」
当たり障りの無い話題を口に出すルルーシュをスザクは無言で見つめていた。
「スザク?」
答えないスザクに呼びかけてみると、スザクは突然「ルルーシュ」と強めの声で名前を呼んでくる。
「ん?」
「妹でも欲しいのかい?」
「え……?」
予想外なほど鋭い切り替えしに一瞬ギクリとしたものの、ルルーシュはいかにも意外そうに眉を上げた。
スザクは不自然さの欠片も無いルルーシュの反応をじっと見守りながら言葉を続けてくる。
「いや、年が気になるなんて、もしかしたらそうなのかなって思っただけだけど?」
スザクの瞳はこの上なく冷えていた。表面上は穏やかな笑みを浮かべてこそいるものの、今にも「僕、そんなに変なことでも訊いた?」とでも言いたげな顔をしている。
(言ってくれるじゃないか、スザク……)
甚振る趣味があったとは驚きだ。いささか八つ当たりめいてはいるが、幾らなんでもあからさますぎるとルルーシュは思った。こちらの動揺を誘おうと揺さぶりをかけているのが丸解りだ。
きょとんとしていたルルーシュは、内心、覚えてろと歯噛みしながら、スザクの言い分に「ああ……」と納得してみせる。
「何だよ、急に。欲しいと思って出来るものじゃないだろ。そういうのは……」
ルルーシュはわざと素っ気無い口調で流してから、可笑しそうに「変な奴だな」と付け加えておいた。
(いい度胸だな、スザク……。俺がその程度の揺さぶりに引っ掛かるとでも思ってるのか。侮るなよ)
スザクがそういうつもりなら負けていられない。年季の違いを見せ付けてやると言わんばかりにルルーシュも応戦する。
「だが、そうだな……確かに妹でもいれば、もしかすると少しは違っていたかもしれない。ロロは昔から人見知りが激しかったからな」
「……うん。そういえば、彼は昔から君にべったりだったね」
この場にいない弟の話題を懐かしそうに振ってみると、スザクも一応合わせてはくる。……が、しかし。先程までに比べると明らかに歯切れが悪い。
(ほう。乗ってくるのか……。では、ついでだ。どの程度ロロの話について来られるのか見せてもらおうか)
ルルーシュにはナナリーと暮らしてきた記憶とロロとの記憶の両方が揃っているが、スザクはナナリーとの記憶しか持っていない。
(精々ぼろでも出すがいい。この人非人が!)
途中で口ごもったり話せなくなったりしようものなら容赦なく突っ込んでやると思いながら、ルルーシュは邪気の欠片も無い完璧な作り笑いを浮かべてみせる。
それに、例え目的のためにナナリーを一時的に利用したとしても、このスザクという男は、ロロとの事を懐かしげに語るルルーシュを見て、ナナリーに対する罪悪感など何一つ感じずにいられるほど非情になり切れるタイプではない。
「お前にはとうとう最後まで懐かなかったもんな。今でもよそよそしいだろ」
「そうでもないよ……。一応、少しは話してくれてる」
「そうか。昔とは立場が変わったとはいえ、一応幼馴染だっていうのに。色々と気を使わせてしまってすまないな」
「いや、別に……そんなことはないけど……」
スザクもまずいと感じてはいるのだろう。ルルーシュがロロのことを口にすればするほど、歯切れの悪さを増していく。
(学園初日がお前とロロとの初対面だったと俺は知っているんだよ……。報告書の内容全てを暗記出来る頭と、人物像そのものを口頭で違和感なく再現させられるだけの想像力がお前にあるなら話は別だがな)
面識自体が浅いのに、その人となりに関する詳しい話など出来よう筈が無い。
「ルルーシュ」
「ん、何だ?」
「――今から、君の部屋に行っても?」
(何っ!?)
唐突に会話が途切れた。
びくっと硬直したルルーシュを、スザクは試すような眼差しで凝視している。
(スザク……! お前!)
あくまでも疑いを解くつもりは無いという訳か。心底、厄介な……と思いながらも、ルルーシュは舌打ちしたくなるのを辛うじて控えた。
部屋に来たがる意図など知れている。ルルーシュがあの電話の後でも平静に振舞えるかどうかだけではなく、ナナリーを騙して策略の道具にしたスザクにどういう態度を取るのか、最後まで見届けようというのだろう。
「おいおい……誰の為の歓迎会だと思ってるんだ? 主役がいなくなってどうする」
「みんな楽しんでるみたいだし。別にいいだろ?」
スザクはこれでもかというほど、とびっきり甘い笑顔で微笑んでくる。
(こいつ……。何でもその方法で押し切ろうとしてないか?)
苦虫を百匹ほど噛み潰したくなる思いを堪えながら、ルルーシュは困ったように眉を下げた。
(全くそんな気分ではないんだがな……)
部屋に来られた後の展開も何となく予想はつく。ワンパターンにも程があるだろうとは思ったが、ここでまた強硬手段に訴えられでもしたらと思うとたまったものではない。
「仕方ない奴だな……」
「嫌?」
折角ひと泡吹かせてやろうと思っていた矢先にこれだ。勝ち誇ったようなスザクの顔が勘に触る。
「……俺が、お前の頼みを断ったりすると思うのか?」
恥じらいながらも渋々了解の意を示すルルーシュを見て、スザクは僅かに目を細めた。
スザクのゼロに対する執念は本物だ。ここまで形振り構わずな手段を使ってくるとは……。正直少し見くびっていた。
歩み寄ってきたスザクが肩に腕を回してくる。
「お、おい……」
「大丈夫。部屋までは我慢するから」
「そうじゃない。まだこれからどういう関係にするかも決めていないだろ。そういうのは……」
反射的に体をずらして避けようとしたが、捕らえようとするスザクの手の方が早かった。
ルルーシュの肩を抱いたスザクが顔を寄せ、すかさず頬にちゅっと口付けてくる。
「好きだよ。ルルーシュ」
梃子でもその方向に持ち込むつもりなのだろう。スザクは拒否しようとするルルーシュの言葉を遮って好き勝手に振舞おうとする。
「……大胆だな」
「うん。誰も聞いてないよ。君以外は……。だから、その話は君の部屋に行ってからきちんと話そう?」
頬にかかっていたルルーシュの髪を耳にかけてやりながら、スザクは甘い声で囁いた。
「話し合いに……なるのか? これで……」
「さあ……。なるかならないかは君次第、かな?」
耳朶を食む唇の感触がくすぐったくて首を竦めていると、スザクはつい、と指先で顎を撫でてくる。
(クソ。スザクの奴。遊んでやがる……!)
ルルーシュは口汚く心の中で罵った。――立派なホストになれそうだ。
「何ならここで決めても僕は構わない。君への気持ちは今言った通りだから」
「………………」
よく言うと思いながら、ルルーシュは無言で眉を顰めた。
(あれだけのことをしておいて、よくそんな歯の浮いたような台詞を言えるものだな)
一体どういうつもりなのだろうか。言動が支離滅裂すぎる。
ルルーシュが憎いと散々詰り倒したことを忘れてしまったのだろうか。
「で、君の答えは?」
「言わせる気か? こんな所で。……照れるだろ?」
「でも聞きたいな」
「………」
「駄目?」
スザクは瞼へと口付けてから、今度は唇で睫を食んで強請ってくる。
答えを促されるまま、ルルーシュは妖艶な眼差しでゆるりとスザクを見返した。
「……ああ。俺もお前のことが好きだよ。スザク」
「それ、本当?」
「何だよ。疑ってるのか?」
「君は嘘つきだから」
スザクは思い通りの答えを手に入れて満足したのか、それとも、それですら演技なのか判然としない表情でルルーシュの顔を覗き込んだ。
「疑うなら、下で女とでも踊ってくればいいじゃないか。お前と踊りたがってる女なら腐るほどいるだろう?」
「お断りだ。でも君となら踊ってもいい。エスコートしようか?」
「冗談……バカ言うな。なんでお前と……」
「つれないな」
君らしいけど、と続けながら、スザクはルルーシュの手を取った。屋上からの階段前で引き上げられた手をくるりと返され、その場で一回転させられる。
「やめろ馬鹿。ふざけるな」
「いいじゃないか。ダンスは得意なんだろ? ルルーシュは」
「……ダンスは、とは何だ」
スザクは「あれ、バレちゃった?」と笑いながら、再びルルーシュの肩を抱き寄せた。
密着したまま数段降りたところでいきなり体を裏返され、壁と向かい合う形で押し付けられる。
「なっ……!」
「ちょっとだけこうさせて?」
スザクは言うなり襟足にかかったルルーシュの髪をかきあげ、剥き出しになった項へと吸い付いた。
「やっ……め!」
「うん。ちょっとだけだから」
後ろから抱きついた姿勢のまま舌で耳の裏から首筋へと辿っていたスザクが、もう一度ルルーシュの体を元の方向へと裏返す。
顎にかけた手で顔を上向けられたと思った次の瞬間、深く口付けてきたスザクに思い切り舌を吸い上げられ、ルルーシュは喉を鳴らしながら背中をのけぞらせた。
「んっ……!」
腰が砕けそうなほど長く続く口付けの最中、視点が合わないほど間近に迫ったスザクにルルーシュが咎めるような視線を送れば、スザクは離れる寸前に下唇をやんわりと噛んでくる。
引き千切られるのかと思って身構えたルルーシュを面白そうに眺めていたスザクは、離した唇を舌先でぺろりと舐めてから首筋へと顔を埋めた。
「ごめん。嘘ついちゃった」
「全くだ……」
「でも、ちょっとだけって言ったのは本当だっただろ?」
「そこだけ本当でどうする……」
この変態が、と呟いたルルーシュがキスの余韻に潤んだ瞳で睨んでやると、スザクはもう一度名残を惜しむようにゆっくりと口付けてくる。
「我慢出来なかったんだ。過失だよ。故意じゃない」
「ものは言いようだな」
「ついでに言うなら君のせいだ」
親指でルルーシュの唇をなぞりながら、スザクは悪びれもせずに言い返してきた。
「……続き、したくなった?」
「そういう目的だったのか」
「まあね」
薄闇の中で悪戯っぽく光るスザクの深緑。ふと、スザクは元からこんな顔をしていただろうかとルルーシュは不思議に思う。
改めて間近で見たスザクの顔は、一年経って何だか精悍さが増している気がした。
「三日前にも思ったことだけど……」
「……ん?」
言い淀むスザクへと訊き返したルルーシュが数回瞬きしていると、スザクは餌を前にした獣のように飢えた眼差しでルルーシュの顔を眺め回してから、熱っぽい吐息を細く吐き出している。
「君はやっぱり綺麗だ。実は小さい頃からずっとそう思ってた」
「……俺は男だぞ」
「うん。でも欲しくなるよ。どうしようもなく」
嘘ばかり吐く唇なら、いっそ塞いだままにしておいた方がいいのかな。
そう呟きながら、ルルーシュの手を引いたスザクが先に階段を降りていく。
「好きにすればいいだろう」
「ああ――君は僕のものだ。離さないよ。これからもずっと」
「……………」
自分の手を引くスザクの手を見つめながら、ルルーシュはこの場にロロが居ないことを幸運に思った。
……ロロのギアスがあれば、スザクでさえ難なく殺せてしまう。
(こいつが俺に手を出していると知ったら、あいつなら殺りかねないな)
依存どころか偏愛されている自覚はある。――勿論、そうなるよう仕向けたのはルルーシュ本人なのだが。
(人を狂わせる素養でもあるんだろうか、俺には……)
CCにも『人たらし』と言われてはいたが……だとしたら、それもまた随分と悪魔らしいものだ。
スザクに狂わされているのは、寧ろこちらの方だとばかり思っていたのに。
思えばスザクとは、一年前からずっとこんな駆け引きばかり続けているような気がルルーシュはした。
(――まるで劇団だ)
繋ぎ合った互いの手を見つめたまま、ルルーシュは心の底から、そう思った。
『切り札を晒すなら更に奥の手を持て』とはよく言ったものだ。
スザクの編入学から三日後。学園主催の歓迎会中、屋上へと抜け出したルルーシュの元にスザクがやってきた。
「ゼロはもう必要ないんだ」
「ナイトオブワンになる」と宣言したスザクに「間接統治か」と切り返した直後、遮るように告げられた台詞と共に手渡された携帯。
「来週赴任される、新しいエリア11の総督だよ」
背中を向けておいて正解だったとルルーシュは思った。受話口から流れてきた音声を聴いた瞬間、ルルーシュの紫玉が零れ落ちそうなほど大きく見開かれる。
(――スザクめ。やってくれる!)
心の中でルルーシュが漏らした第一声がそれだった。
一年ぶりに聞く妹の声。まさかナナリーをダシに使ってくるとは……。えげつない事この上ない。
初日に仕掛けてきたのはスザクなりの最後の賭けなのだと思っていた。父を殺してでも守ろうと思った友人を失うことになれば、スザクはもっと苦しむ。何のために父を殺したのかわからなくなってしまう。……だから、その思いも本物なのだろうと。
――そう。つまりは油断していた。
ナナリーには嘘がつけない。何があってもナナリーにだけは。そう思いながら巡らせた視線の先に居たのは、屋上へと追いかけてきたらしいロロだった。
残りの秒数を示すように掲げられた指が、一本、また一本と折り曲げられていく。
「よくやった、ロロ!」
初日に出し抜かれた為、スザクに対する警戒を強めたのだろう。既にロロがルルーシュによって篭絡されていることにスザクは気付いていない。
困惑しているナナリーに矢継ぎ早な口調で状況を説明したルルーシュは、辛うじて事なきを得た。
最後の切り札はもう切ったものとばかり思っていたのに。――さすがだな、とルルーシュは思う。
お前ほど、俺という人間を知り尽くしている男は居ない……と。
「今は他人の振りをしなければならない」と告げた時、ナナリーは明らかに混乱していた。ということは、これは恐らくスザク個人の策略だ。
冷えた臓腑が煮えくり返るのがルルーシュにも解った。
「ごめん、ナナリー。誤解させるような形になってしまって」
思うような成果を上げられず、当てが外れて焦れる気持ちもどこかにあるのだろう。疑惑の針で突き刺すような眼差しでルルーシュから携帯を受け取ったスザクは、ナナリーに一言告げてから呟いた。
「――で、違うよね? やっぱり」
ワントーン下がった冷たい声音。尋ねられたナナリーの反応が目に浮かぶ。
記憶を操作されていないらしいナナリーにとっては、きっと意味の解らない質問だったに違いない。
「なんてことするんだ。ビックリしたじゃないか」
スザクが通話を終えるのを見計らってから、ルルーシュは切り出した。
「ああ、ごめん。驚かせちゃったよね」
疑いを隠しもしない露骨な態度を取っていたスザクが、複雑そうな笑みを浮かべながら振り返ってくる。
まだルルーシュの記憶は戻っていない。スザクにとってもそう判断せざるを得なかっただろう。
(ナナリーがエリア11の新総督だと?)
一方、ルルーシュも演技を続行しながら思索を巡らせる。記憶の回復したルルーシュに対する人質としてナナリーを使うなら皇帝だろうとばかり踏んでいたのに、まさかスザクまでそれに一枚噛んでくるとは。
(だが、ナナリーがブリタニアという巨大な枠の外に出てくるのなら、奪還する手段はある)
わざわざ手の届く場所に送り込んできてくれるとは……。考えようによっては却って好都合だ。
早速作戦を練らなければとルルーシュが思案していると、スザクは一時的に安心したような顔を見せながら閉じた携帯を懐へと仕舞い込んだ。……だが、それも恐らくは演技だろう。
ルルーシュは平静を装ってスザクに尋ねた。
「……で? 『違うよね、やっぱり』ってのは何なんだ? なんで俺が皇女殿下と電話するようなことになる?」
『記憶の無いルルーシュ』であれば当然ともいえる質問だ。
スザクは問い質そうとするルルーシュに貼り付けたような笑みで応えながら、平然と言葉を返してくる。
「そういう君こそ。ナナリー総督は何とおっしゃっていたんだい?」
「ああ……。俺にもよく解らないが、何だか勘違いだったって言ってたな」
「そうか。実はね、ナナリー総督はお知り合いを探していらっしゃる様なんだ」
「お知り合い?」
「うん。僕はこのエリアの担当だから、これから新総督の補佐に就くことになってるんだけど……。だからちょっと、人探しのお手伝いをね」
白々しいにも程がある答えだったが、ルルーシュは「ふうん」と頷きながら、全く意味が解らなかった振りをした。
「でも、だからって……なんでその相手が俺なんだ? 俺は一般庶民だぞ。皇族に知り合いなんかいる訳ないだろ」
納得し切れない様子のルルーシュに向かって、スザクは乾いた声でわざとらしく「あはは」と笑いながら「それもそうだね」と投げやりに返してくる。
疑問を抱かれようが最早どうでもいいのだろう。せめて違和感だけでも無いよう気を配ろうとする意思すら感じられない。
このふざけ切った言い訳にしても同じことだった。スザクは『記憶の無いルルーシュ』ではなく、明らかに『記憶回復しているルルーシュ』に向けて言っている。
「何だよ、お前……。じゃあ今のは単なる自慢みたいなものか? ナイトオブセブン様」
「さあね、ご想像にお任せするよ」
開き直ったスザクは余裕綽々だ。見るからに腹に一物抱えて胡散臭い笑顔を浮かべている様ですらふてぶてしい。
こみ上げる怒りは表に出さず、ルルーシュは茶化した口調で応えを返しながら、困惑と呆れを混在させたような表情でスザクを見返していた。
(何がお知り合いだ……!)
電話に出た途端、ナナリーはすぐに「お兄様」と叫んできた。
(ナナリーが俺の声を聞いて何を話すか、それくらいお前にだって想像が付くだろう!)
つくづく神経を逆撫でさせられる。全くもって許しがたい卑劣さだった。ただ奪っただけでは飽き足らず、事もあろうに利用するとは。あのナナリーを!
勿論、これもルルーシュの記憶が戻っていると睨んだが故に選択した手段なのだろうが、それにしても……。
(だが、下手にこれ以上突っ込んだことを聞くのもまずい)
ルルーシュはずっと気になっていたことを切り出す時のように、一旦俯いてから再び顔を上げた。
「冗談だったんなら別にいいが……。それにしてもスザク。お前……この間からなんかおかしいぞ」
「おかしい? 僕が?」
「ああ。だって変じゃないか。さっきも思ったんだが、ゼロがどうとかって話だって俺には全く関係ないだろ。何故俺に言ってくる? この間からずっと気になっていたんだが、何かあったのか?」
ルルーシュが戸惑いがちに問いかけると、スザクは途端に目つきを鋭くする。
「……何かとは?」
「だから、あの話のことを抜きにしても、その……お前の態度は少し、きつすぎないか? 今の電話のことにしても、何か変だ。お前が何を考えてるのか俺にはさっぱりわからないんだが……。それに、俺との会話の中で頻繁にゼロの名を出してくるのは何故なんだ?……もしかしてお前、俺を主義者か何かだと勘違いしてるんじゃないだろうな?」
ルルーシュは訳がわからないとばかりに、スザクに向かって不安そうに問いかけた。
電話中の刺々しい目つきといい、通話する前の慇懃な態度といい、スザクは記憶の無いルルーシュからすれば身に覚えの無いことで責められているとしか思えないような言動しかしてきていない。
(そろそろ、この辺りで言っておかないとな……)
この間というのは当然、スザクが入学してきた初日の話だ。立て続けに自分とは無関係の人物名を話の引き合いに出されて、不審に思わない筈が無い。
「この際だから言っておくが、俺はゼロに関しては馬鹿なテロリストどもの親玉くらいにしか思っていない。この時勢で傾倒してるなんて思われるのは真っ平だ。一応お前の立場はわかってるつもりだが、俺に変な疑いを抱いてるなら止してくれよ? 俺には弟だっているんだ。テロに関わるなんて冗談じゃない。それに、親友のお前に疑われるのだってごめんだからな」
意味不明な事ばかり言ったりやったりするのもいい加減にしてくれと言わんばかりに念を押すと、スザクは一向にぼろを出す気配の無いルルーシュに苛立っているのか、浮かべている苦笑とは裏腹なため息を漏らしながら目を逸らした。
「……ごめん。でも別に、疑ってるとかそういう訳じゃないから」
「だったら何なんだ。……もしかして、まだ三日前の怒りでも引きずってるのか?」
ルルーシュは言いづらそうに続けた。
屋上で八年前のことを打ち明けられた後、これから仕事があるというスザク(学園地下の監視ルームに来たとロロから聞いている)とは分かれてしまった為、結局これからどういう関係にしていくのか、まだきちんと決まっていない。
「いや……この間は確かに言い過ぎたけど、そうじゃないよ。ただ、君には前科があるだろ?」
「前科?」
はぁ? と言い出さんばかりにルルーシュが尋ね返すと、スザクは「一年前のことだよ」と呟きながら横目で軽く睨んでくる。
「一年前って……。昔の事だろ。それは……」
スザクに対する負い目が頭を過ぎり、ルルーシュはばつが悪そうに口ごもった。
「昔ってほど昔じゃないだろ。たった一年前なんだから」
「……今はもう、昔ほど出歩いたりはしていない」
常に監視されている立場とはいえ、機情局は掌握済み。屋上に来る直前にヴィレッタも無事落とした。監視網など今や完全にザルと化している。
目くらましが完璧である以上、今でもしょっちゅう学園を抜け出している事実などスザクに伝わる由も無い。
ルルーシュは気まずそうに「そういえば」と話題を変えてみた。
「しかし、その……何というか、まだ随分若いようだが。今度来る新総督というのは、今お幾つくらいの方なんだ?」
「…………」
当たり障りの無い話題を口に出すルルーシュをスザクは無言で見つめていた。
「スザク?」
答えないスザクに呼びかけてみると、スザクは突然「ルルーシュ」と強めの声で名前を呼んでくる。
「ん?」
「妹でも欲しいのかい?」
「え……?」
予想外なほど鋭い切り替えしに一瞬ギクリとしたものの、ルルーシュはいかにも意外そうに眉を上げた。
スザクは不自然さの欠片も無いルルーシュの反応をじっと見守りながら言葉を続けてくる。
「いや、年が気になるなんて、もしかしたらそうなのかなって思っただけだけど?」
スザクの瞳はこの上なく冷えていた。表面上は穏やかな笑みを浮かべてこそいるものの、今にも「僕、そんなに変なことでも訊いた?」とでも言いたげな顔をしている。
(言ってくれるじゃないか、スザク……)
甚振る趣味があったとは驚きだ。いささか八つ当たりめいてはいるが、幾らなんでもあからさますぎるとルルーシュは思った。こちらの動揺を誘おうと揺さぶりをかけているのが丸解りだ。
きょとんとしていたルルーシュは、内心、覚えてろと歯噛みしながら、スザクの言い分に「ああ……」と納得してみせる。
「何だよ、急に。欲しいと思って出来るものじゃないだろ。そういうのは……」
ルルーシュはわざと素っ気無い口調で流してから、可笑しそうに「変な奴だな」と付け加えておいた。
(いい度胸だな、スザク……。俺がその程度の揺さぶりに引っ掛かるとでも思ってるのか。侮るなよ)
スザクがそういうつもりなら負けていられない。年季の違いを見せ付けてやると言わんばかりにルルーシュも応戦する。
「だが、そうだな……確かに妹でもいれば、もしかすると少しは違っていたかもしれない。ロロは昔から人見知りが激しかったからな」
「……うん。そういえば、彼は昔から君にべったりだったね」
この場にいない弟の話題を懐かしそうに振ってみると、スザクも一応合わせてはくる。……が、しかし。先程までに比べると明らかに歯切れが悪い。
(ほう。乗ってくるのか……。では、ついでだ。どの程度ロロの話について来られるのか見せてもらおうか)
ルルーシュにはナナリーと暮らしてきた記憶とロロとの記憶の両方が揃っているが、スザクはナナリーとの記憶しか持っていない。
(精々ぼろでも出すがいい。この人非人が!)
途中で口ごもったり話せなくなったりしようものなら容赦なく突っ込んでやると思いながら、ルルーシュは邪気の欠片も無い完璧な作り笑いを浮かべてみせる。
それに、例え目的のためにナナリーを一時的に利用したとしても、このスザクという男は、ロロとの事を懐かしげに語るルルーシュを見て、ナナリーに対する罪悪感など何一つ感じずにいられるほど非情になり切れるタイプではない。
「お前にはとうとう最後まで懐かなかったもんな。今でもよそよそしいだろ」
「そうでもないよ……。一応、少しは話してくれてる」
「そうか。昔とは立場が変わったとはいえ、一応幼馴染だっていうのに。色々と気を使わせてしまってすまないな」
「いや、別に……そんなことはないけど……」
スザクもまずいと感じてはいるのだろう。ルルーシュがロロのことを口にすればするほど、歯切れの悪さを増していく。
(学園初日がお前とロロとの初対面だったと俺は知っているんだよ……。報告書の内容全てを暗記出来る頭と、人物像そのものを口頭で違和感なく再現させられるだけの想像力がお前にあるなら話は別だがな)
面識自体が浅いのに、その人となりに関する詳しい話など出来よう筈が無い。
「ルルーシュ」
「ん、何だ?」
「――今から、君の部屋に行っても?」
(何っ!?)
唐突に会話が途切れた。
びくっと硬直したルルーシュを、スザクは試すような眼差しで凝視している。
(スザク……! お前!)
あくまでも疑いを解くつもりは無いという訳か。心底、厄介な……と思いながらも、ルルーシュは舌打ちしたくなるのを辛うじて控えた。
部屋に来たがる意図など知れている。ルルーシュがあの電話の後でも平静に振舞えるかどうかだけではなく、ナナリーを騙して策略の道具にしたスザクにどういう態度を取るのか、最後まで見届けようというのだろう。
「おいおい……誰の為の歓迎会だと思ってるんだ? 主役がいなくなってどうする」
「みんな楽しんでるみたいだし。別にいいだろ?」
スザクはこれでもかというほど、とびっきり甘い笑顔で微笑んでくる。
(こいつ……。何でもその方法で押し切ろうとしてないか?)
苦虫を百匹ほど噛み潰したくなる思いを堪えながら、ルルーシュは困ったように眉を下げた。
(全くそんな気分ではないんだがな……)
部屋に来られた後の展開も何となく予想はつく。ワンパターンにも程があるだろうとは思ったが、ここでまた強硬手段に訴えられでもしたらと思うとたまったものではない。
「仕方ない奴だな……」
「嫌?」
折角ひと泡吹かせてやろうと思っていた矢先にこれだ。勝ち誇ったようなスザクの顔が勘に触る。
「……俺が、お前の頼みを断ったりすると思うのか?」
恥じらいながらも渋々了解の意を示すルルーシュを見て、スザクは僅かに目を細めた。
スザクのゼロに対する執念は本物だ。ここまで形振り構わずな手段を使ってくるとは……。正直少し見くびっていた。
歩み寄ってきたスザクが肩に腕を回してくる。
「お、おい……」
「大丈夫。部屋までは我慢するから」
「そうじゃない。まだこれからどういう関係にするかも決めていないだろ。そういうのは……」
反射的に体をずらして避けようとしたが、捕らえようとするスザクの手の方が早かった。
ルルーシュの肩を抱いたスザクが顔を寄せ、すかさず頬にちゅっと口付けてくる。
「好きだよ。ルルーシュ」
梃子でもその方向に持ち込むつもりなのだろう。スザクは拒否しようとするルルーシュの言葉を遮って好き勝手に振舞おうとする。
「……大胆だな」
「うん。誰も聞いてないよ。君以外は……。だから、その話は君の部屋に行ってからきちんと話そう?」
頬にかかっていたルルーシュの髪を耳にかけてやりながら、スザクは甘い声で囁いた。
「話し合いに……なるのか? これで……」
「さあ……。なるかならないかは君次第、かな?」
耳朶を食む唇の感触がくすぐったくて首を竦めていると、スザクはつい、と指先で顎を撫でてくる。
(クソ。スザクの奴。遊んでやがる……!)
ルルーシュは口汚く心の中で罵った。――立派なホストになれそうだ。
「何ならここで決めても僕は構わない。君への気持ちは今言った通りだから」
「………………」
よく言うと思いながら、ルルーシュは無言で眉を顰めた。
(あれだけのことをしておいて、よくそんな歯の浮いたような台詞を言えるものだな)
一体どういうつもりなのだろうか。言動が支離滅裂すぎる。
ルルーシュが憎いと散々詰り倒したことを忘れてしまったのだろうか。
「で、君の答えは?」
「言わせる気か? こんな所で。……照れるだろ?」
「でも聞きたいな」
「………」
「駄目?」
スザクは瞼へと口付けてから、今度は唇で睫を食んで強請ってくる。
答えを促されるまま、ルルーシュは妖艶な眼差しでゆるりとスザクを見返した。
「……ああ。俺もお前のことが好きだよ。スザク」
「それ、本当?」
「何だよ。疑ってるのか?」
「君は嘘つきだから」
スザクは思い通りの答えを手に入れて満足したのか、それとも、それですら演技なのか判然としない表情でルルーシュの顔を覗き込んだ。
「疑うなら、下で女とでも踊ってくればいいじゃないか。お前と踊りたがってる女なら腐るほどいるだろう?」
「お断りだ。でも君となら踊ってもいい。エスコートしようか?」
「冗談……バカ言うな。なんでお前と……」
「つれないな」
君らしいけど、と続けながら、スザクはルルーシュの手を取った。屋上からの階段前で引き上げられた手をくるりと返され、その場で一回転させられる。
「やめろ馬鹿。ふざけるな」
「いいじゃないか。ダンスは得意なんだろ? ルルーシュは」
「……ダンスは、とは何だ」
スザクは「あれ、バレちゃった?」と笑いながら、再びルルーシュの肩を抱き寄せた。
密着したまま数段降りたところでいきなり体を裏返され、壁と向かい合う形で押し付けられる。
「なっ……!」
「ちょっとだけこうさせて?」
スザクは言うなり襟足にかかったルルーシュの髪をかきあげ、剥き出しになった項へと吸い付いた。
「やっ……め!」
「うん。ちょっとだけだから」
後ろから抱きついた姿勢のまま舌で耳の裏から首筋へと辿っていたスザクが、もう一度ルルーシュの体を元の方向へと裏返す。
顎にかけた手で顔を上向けられたと思った次の瞬間、深く口付けてきたスザクに思い切り舌を吸い上げられ、ルルーシュは喉を鳴らしながら背中をのけぞらせた。
「んっ……!」
腰が砕けそうなほど長く続く口付けの最中、視点が合わないほど間近に迫ったスザクにルルーシュが咎めるような視線を送れば、スザクは離れる寸前に下唇をやんわりと噛んでくる。
引き千切られるのかと思って身構えたルルーシュを面白そうに眺めていたスザクは、離した唇を舌先でぺろりと舐めてから首筋へと顔を埋めた。
「ごめん。嘘ついちゃった」
「全くだ……」
「でも、ちょっとだけって言ったのは本当だっただろ?」
「そこだけ本当でどうする……」
この変態が、と呟いたルルーシュがキスの余韻に潤んだ瞳で睨んでやると、スザクはもう一度名残を惜しむようにゆっくりと口付けてくる。
「我慢出来なかったんだ。過失だよ。故意じゃない」
「ものは言いようだな」
「ついでに言うなら君のせいだ」
親指でルルーシュの唇をなぞりながら、スザクは悪びれもせずに言い返してきた。
「……続き、したくなった?」
「そういう目的だったのか」
「まあね」
薄闇の中で悪戯っぽく光るスザクの深緑。ふと、スザクは元からこんな顔をしていただろうかとルルーシュは不思議に思う。
改めて間近で見たスザクの顔は、一年経って何だか精悍さが増している気がした。
「三日前にも思ったことだけど……」
「……ん?」
言い淀むスザクへと訊き返したルルーシュが数回瞬きしていると、スザクは餌を前にした獣のように飢えた眼差しでルルーシュの顔を眺め回してから、熱っぽい吐息を細く吐き出している。
「君はやっぱり綺麗だ。実は小さい頃からずっとそう思ってた」
「……俺は男だぞ」
「うん。でも欲しくなるよ。どうしようもなく」
嘘ばかり吐く唇なら、いっそ塞いだままにしておいた方がいいのかな。
そう呟きながら、ルルーシュの手を引いたスザクが先に階段を降りていく。
「好きにすればいいだろう」
「ああ――君は僕のものだ。離さないよ。これからもずっと」
「……………」
自分の手を引くスザクの手を見つめながら、ルルーシュはこの場にロロが居ないことを幸運に思った。
……ロロのギアスがあれば、スザクでさえ難なく殺せてしまう。
(こいつが俺に手を出していると知ったら、あいつなら殺りかねないな)
依存どころか偏愛されている自覚はある。――勿論、そうなるよう仕向けたのはルルーシュ本人なのだが。
(人を狂わせる素養でもあるんだろうか、俺には……)
CCにも『人たらし』と言われてはいたが……だとしたら、それもまた随分と悪魔らしいものだ。
スザクに狂わされているのは、寧ろこちらの方だとばかり思っていたのに。
思えばスザクとは、一年前からずっとこんな駆け引きばかり続けているような気がルルーシュはした。
(――まるで劇団だ)
繋ぎ合った互いの手を見つめたまま、ルルーシュは心の底から、そう思った。