夏風邪のルルーシュ 6(END)
ほんのりと暖かい……。これは、何だ……?
背筋を辿る柔らかな生地の動きにつられて、意識がゆっくりと浮上する。
これは、もしかして濡れタオルだろうか。汗のべとつきが取れて、肌がサラサラした感触に戻っていくのが何とも心地いい。
まだとろとろと重い瞼をようやくの思いで開いてみると、まず真っ白なシーツが視界に飛び込んできた。パリッと糊の効いたシーツ。いつの間に眠ってしまったのだろう。
うつ伏せになっていた俺は、どうやら誰かに体を拭かれているようだ。
「ルルーシュ? 起きた?」
「……?」
まだ覚醒し切らないうちに声をかけられ、俺はぼんやりと横を見た。
「スザク……?」
舌が縺れて上手く言葉にならない。呂律が回らないのは顔の下半分がシーツと密着しているせいか。それとも、単に寝起きで頭が回っていないせいだろうか。
タオルを片手ににっこりと笑ったスザクの足元には、使用済みらしいシーツの白い塊が落ちていた。その横に置かれているのは、ごちゃごちゃと物の詰まった大きめのバスケット。
「君が寝てる間に全部取り替えておいたよ。どこか気持ちの悪いところは無い?」
強いて言えば、喉が痛い。水を飲みたい気もする。……そういえば、足腰が異様にだるい気がするのは何故だろう?
と、そこまで考えてから俺はようやく思い出した。寝落ちるまでの嬌態を。
「――っ!!」
がばっと跳ね起きた俺は、自分が一糸纏わぬ姿であることに気付いた。何故……何故裸? そうだ。俺はスザクと……。
思い至るなり俺は布団を手繰り寄せ、露出した肌を慌てて隠した。女じゃあるまいしと自己嫌悪に陥りそうになりながらも、状況を思えば仕方がないと無理やり自身を納得させる。
スザクはあたふたと布団をかき寄せる俺の姿を見て、苦笑しながら何かを差し出してきた。
「はい、これ。体も拭いておいたから、そのまま着ちゃっても大丈夫だよ」
綺麗に折りたたまれた衣類。スザクに手渡されたのは新しいパジャマだった。――それから、下着。
「お前っ……!」
今ので完全に目が覚めた。
拭いたってどこまでだ。もしかして全身か!? 気付くなりカッとなった俺はスザクを仰ぎ見た。
妙にさっぱりしていると思ったらそういうことか。……最悪だ。既に全身の至るところまで見られてしまっているとはいえ、まさか後処理までされてしまうとは。
そのパジャマにしたって、一体どこから出してきたとか、いつの間にとか、言いたいことは山ほどある。
だが、今はそれどころじゃない。胃薬を飲ませると見せかけて無理やりキスを仕掛けられ、訳の分からない理屈を展開され、挙句の果てにあんな……。
スザクは苦笑を浮かべたまま「やっぱり怒ってるよね」と肩を竦めている。
「ごめん」
「だからって謝るなよ」
思い返しただけで顔から火が出そうだ。とんだ醜態。よりにもよってスザクと……。
しかし、謝られたところでもう遅い。全ては終わったことだ。まさかあんなことになるとは思っていなかったものの、流された俺にも非はあるだろう。
とはいえ、未遂で済む雰囲気では決して無かったが。
スザクは畳まれた寝巻きの上から下着を退かし、取り上げたシャツを広げて俺の肩にそっと被せてきた。
「僕は後悔してないよ」
ぽつりと漏らされた一言に、思わず空気を読めと叫びたくなる。
「誰もそんなことは訊いていない!」
「うん。だからね、僕が言いたいのは君を抱いたことを謝ってるんじゃなくて、乱暴な抱き方してごめんって意味だ」
「……それだって、別に謝られたところでどうなるものでもないだろ」
「まあ、そうかもね」
シャツの合わせを握り締めたまま俯いている俺の横にスザクが腰掛けてくる。
なんだって突然横に来るんだお前は。椅子にでも座っていればいいだろう。
ベッドが体重で沈むなり、俺はつい焦って距離を置いてしまった。少々露骨な反応だっただろうか。反射的な行動とはいえ、幾らなんでも意識しすぎだ。
「さっきは君があまりにも可愛くて……それで加減出来なくなっちゃったんだ。謝るよ。本当にごめん」
隣に座ったスザクも気まずいのか、視線がやや余所の方に向いている。俺と会話しているというよりも、まるで独り言でも喋っているかのようだ。
「可愛いって……お前な」
「本当はもっと優しくするつもりだったんだけど、君も僕と同じ気持ちなんだと思ったら止められなくなっちゃって。次からは気を付けるよ」
「―――!?」
さらりと言ってのけられたスザクの台詞に、俺はピシリと凍り付く。
……こいつは今、なんと言った?
「次?」
「えっ?」
何を当たり前のことを、とでも言いたそうな顔でスザクが俺を見る。
こいつは次があると本気で思っているのか? いや待て、その前に――。
「本当なのか?」
「ん、何が?」
「だから、お前がその、俺のことを……」
「ああ、好きってこと? 本当だよ?」
「――っ!」
これもまた当然の如くさらりと言い切られ、俺は二の句を失った。覚えのある眩暈に再び襲われ、世界がくらりと反転する。
ただの悪夢かと思っていたが、どうやら夢ではないらしい。最早ここまで来れば諦めの境地といった心境ではあるが、俺の気持ちを知ってか知らずか、スザクは実にしれっとした顔で続けてくる。
「じゃなきゃ君相手に手なんか出さないよ。関係がおかしくなっちゃうだろ?」
「それは……そうだが」
実際おかしな関係になってしまっているというのに、開き直って言うことではないだろう。
大体、なんでこうなる?
俺は正直困惑していた。再会してからのこいつは、確かに俺と深く関わることを避けているように思えていたのに。
「お前の気持ちはともかくとして、俺はまだ応じるとも何とも……。それなのにお前は……」
「うん、そうだね。確かに一方的すぎた」
言うなりスザクは俺との距離を詰めてきた。咄嗟に逃げを打ったものの、下肢を覆っていた布団がもたついて上手く動けず、俺は後ずさった勢いのまま横向きに倒れた。
「……っ、おい」
顔の横に置かれた手に気付くと同時に視界が暗くなり、言い得ようのない恐怖が込み上げる。
また、何かされるのだろうか。
さながら肉食獣に追い詰められた獲物の気分だ。普通に話せば済むことだろうに、スザクは腕立て伏せのような体勢になって俺に圧し掛かってくる。
「言って、ルルーシュ。僕が好き? それとも嫌い?」
「――――」
身構えた俺は、肘を付いたままスザクを見上げた。真正面、それも超至近距離から見下ろしてくる一対の深緑。
意識が落ちるまでの出来事が一気に蘇り、羞恥だけで俺は死にそうになった。
大体なんで、その二択なんだ?……混乱する。両サイドには腕が聳え立っていて逃げ場は無いし、布団越しに下肢が触れるだけで緊張が走る。
キスされた時と同じ体勢。とてもではないが、熱っぽく射抜いてくるスザクの眼差しを正視出来ない。さっきから何とかして目を逸らそうとしているのに、俺はどうして出来ないんだ? スザクは何故、こんな目で俺を見る……?
「言わなくてもいいって、言っただろ……」
ずっと硬直し続けていた俺は、気力を振り絞ってようやくスザクから顔を背けた。――近すぎだ。こいつだって、俺が警戒していることくらい気付いているんだろうに。
目を伏せていれば頬に吐息がかかり、背筋にゾクリと震えが走った。スザクはそんな俺の様子を見てクスリと笑い、尚も畳み掛けてくる。
「確かに言わなくてもいいとは言ったよ。でも、順番が違うのは嫌なんだろ? 君が流されてくれたことが了承の証なんだって僕は受け取ったけど……そう思ったのは僕の思い違いだったってことか?」
「…………」
「僕に触れられるのは、もう嫌?」
スザクが浮かべているのは見るも寂しげな微笑みだ。応とも否とも言えぬまま俺は口ごもった。不安げな声音にも関わらず、切実で真剣なその囁きはどこまでも甘くて――。
なあ、スザク。それは、あまりにも卑怯な尋ね方なんじゃないのか?
横目で伺い見たそこには、緩く弧を描くスザクの唇。そこで止まってしまった視線を、俺は逸らせない。
……早く、動け。でないと気付かれる。
どこ見てるの? とでも言うように、スザクの口角が釣り上がった。視界が翳り、掌が近付く。
「……っ!」
俺は一瞬息を飲んだが、スザクに他意は無かったらしい。俺の前髪を払って熱を確かめようと、スザクは額に掌を乗せてくる。
警戒が解けて、少しだけ気が緩んだ。今何度あるのかは解らないが、夕食の頃に比べればかなり楽だ。
少し落ち着いたことを察したのか、スザクの目元も和らぐ。
まだ薬が効いているんだろう。スザクに飲まされた薬も……。
暖かなスザクの手はやがて額の上を通り抜け、優しく俺の髪を梳き始める。激しい抱き方とは打って変わって繊細な手つき。一見がさつに見えるのに、そういえばこいつは昔から手先が器用だった。
壊れ物に触れるように扱われると、抵抗する気力ですら失せていく。髪を潜る指先が耳元を掠めた瞬間、ビクリと肩が強張った。
やがて、スザクに触れられた箇所が燃えるように熱くなる。
耳に触れたのは故意か。それとも過失だろうか。――わからない。
「お前は……いつもこういう手で女を落とすのか?」
「まさか。僕、自分からこんな風に迫ったことって無いんだけど」
迫ったことが無い? 嘘だろ。だったらいつもどうやって……。いや、別にいつもという訳ではないのかもしれないが、絶対初めてではないだろう、お前は。
特に含みを持たせたつもりはないんだろうが、スザクは何とも余裕な口ぶりだった。明らかに場慣れしているし、物慣れている。経験の差を感じさせられるのが何よりの証拠だ。
じゃあ、お前はいつも迫られる方か。
そう思った途端、胸にじわりと黒いものが広がっていく。――なんだ、これは?
「信じると思うのか? これで」
咄嗟に俺は口を開いていた。頭で考えるよりも早く意識を逸らせれば。……が、遅かった。
嫌でも気付く。今のは嫉妬だ。認めたくは無いが。
無言で唇を噛み締める俺を見て、スザクは幸せそうな微笑みを浮かべていた。クソ。何がおかしい。いちいち笑うなよ。
しかし、たった今まで腹を立てていた筈なのに、既に居た堪れなくなってきているというこの事実。別に俺が悪さをした訳でもないというのに、仕舞いには良心の呵責めいたものまで感じている。……本当に、理不尽なことこの上ない。
こいつにはつくづくペースを乱される。そう思いながら俺は嘆息した。
――それにしても、頬が熱い。
「ルルーシュ、顔、真っ赤だよ」
「調子に乗るな」
頬に触れようとしてきたスザクの手を、俺は即座に払い落とした。ペシリといい音がしたものの、スザクは然程痛くもなさそうだ。
今にも唇が触れ合いそうな距離。こうして見つめられているだけで緊張する。何をされるか解らないのに、顔に触れられるのはまだ抵抗があった。なにせ、相手が相手だ。
スザクは申し訳なさそうに肩を竦めてから、ふっと吐息した。
「ごめん。言葉の方は素直じゃないけど、顔には出るんだなと思って」
続けざまに図星を突かれて更にムッとくる。平静を装うにしても、さすがに顔色までは誤魔化し切れない。
叩かれたっていうのに、随分軽くあしらえるんだな、こいつは。それも余裕があるからなのか?
「簡単にごめんとか言うなよ。押してまかり通るって意味だろ、お前のそれは」
「そんな僕は嫌い?」
……その質問の仕方も相当卑怯だ。
年齢に見合わぬ大人びた表情。こうして未知の面を見せ付けられるたびに、全く知らない男と話している気分になってくる。
「まさかお前がこんな奴だったとはな。誤算だよ」
「驚いた?」
「……ああ。少しね」
再会してからはてっきり大人しくなったとばかり思って油断していたが、人の本質とは早々変わるものではないらしい。であれば、今後は認識を改める必要があるだろう。
そうだ、今からでも遅くはない。いや、充分すぎるほど遅いか……。
俺が苦り切った顔で答えているのにスザクは動じない。精一杯の虚勢を込めて睨んでみても結果は同じだった。
なんなんだよ……。俺の不快はお前の機嫌を上昇させるだけだっていうのか? そもそもスザク、お前はなんで笑ってるんだ。さっきからずっと!
まさかとは思うが、俺は馬鹿にされているのか?
俺がそんな疑問を抱くほどに、スザクは終始にこにこ顔のままだった。
「たらされてるって自覚は一応あるんだ? 嬉しいな」
「嬉しい? 何言ってるんだお前は。はぐらかすなよ」
遊びのつもりで手を出したのであれば、タチが悪いどころの話じゃない。
柔和な童顔は笑うと更に幼くなるくせに、こいつは時折平気で大胆なことを口にしては経験の豊富さを匂わせる。
俺と離れていた七年間がこいつを変えたのか。デリカシーの無さは変わっていないようだが、お前の身の上に一体何が起こったんだ?
「いいかスザク。『たらす』というのは『誑かす』って書くんだぞ」
「酷いな。僕だってそれくらい知ってるよ」
スザクは臆面も無く「でも遊びじゃないよ」と言い放つ。そして、たった今叩き落してやったばかりだというのに、渋面を作った俺の手を躊躇いもなく握ってきた。
こ、こいつ……全然懲りてない!
「お、おい!」
止める間もないとはこのことだ。スザクは取り上げた俺の手の甲へと恭しく口付け、返した掌にも同じように唇を落としてくる。
なんて気障な奴だ。男相手にすることじゃないだろう。
すると、スザクはちょうど俺の気持ちを読んだようなタイミングで告げてきた。
「同性だからどうとかじゃなくて、ルルーシュだからしたくなるんだよ。こういうこと」
「……はぁ?」
思わず間抜けな声が出た。一体どういう意味なんだ、それは?
こいつが予想の斜め上を行くのはいつものことだが、天然の考えることは相変わらずよく解らない。
「君に嫌われたとしても、僕の気持ちは変わらない。嫌なら本気で拒んでくれ。でないと嫌だとは認めない」
「勝手だな」
「そうかな? でも君だって、どうでもいい相手に流されたりなんかしないだろ?」
スザクは言いながら、もう一度俺の掌に口付ける。
見せ付けているつもりなのだとしか思えない艶めいた仕草。まるで、そういった行為の最中を彷彿とさせるような……。
お前、絶対わざとだろ。
俺に手を振り払われても、スザクは余裕ぶった態度を崩さない。自由になった手を再びベッドの上に付き、いっそ楽しそうにさえ見える顔で俺を見下ろしている。
一度行き着くところまで行ってしまったものの、俺はまだ男としての矜持を捨てていない。スザクの目つきに身の危険は感じるものの、押し倒されているようにしか見えないこの体勢にだってひたすら苛立ってくるだけだ。
非難の意味も込めて、俺はスザクを睨んだ。
風邪が悪化したらどうしてくれる。いい加減どけよ。シャツ一枚羽織っているとはいえ、俺はまだ裸のままなんだぞ。
「お前、いつまでこの体勢でいるつもりなんだ?」
「ルルーシュこそ、いつまで口割らないでいるつもり?」
「……どうしても言わせる気か?」
「言いたくなければ言わなくていいよ。でも、僕はルルーシュだから本気になったってこと。それだけは、改めて伝えておくから」
「…………」
――どうする。この状況を一体どうすればいい。
考えろ。こいつはブリタニアの軍人で、俺はゼロで……というより、この期に及んでまだ結論が出ないってどういうことだ? 答えなんかとっくに出てる筈だろ。
そうだ。この関係はまずい。だって、距離を置こうとしていたのはこいつだけじゃない。俺だって同じなのに。
「そういえばさ……」
「?」
「君、前に彼女がいるって言ってたけど……それ、嘘だろ」
「えっ?」
唐突に尋ねられ、更に混乱が増した。
スザク相手にいると言ったのは確かに嘘だが、何を根拠に言っているのかさっぱり解らない。
にっこり笑ってスザクは続けた。
「隠さなくていいよ。あれ、ホントは嘘なんだろ?」
「何故そう言い切れる?」
「君の反応見てれば解るって。キスもセックスも初めて。……違う?」
あからさまな単語に眉が寄る。察しの良さなのか只の勘なのか。おそらく両方だろう。
「ああ、確かに初めてだよ。友達に手篭めにされたのはな」
「手篭めって……人聞き悪いな。――で、どうなの? 本当は」
「…………」
既にバレていることについて嘘を吐き続ける意味はない。
それにしても、こいつは本当に悪びれないな。なんて図太い奴なんだ。寧ろ悪びれろ。少しは!
スザクの意図に気付いた俺は、忌々しげにチッと一つ舌打ちしてから渋々答えた。
「外堀から埋めるつもりだな、お前」
「正解。結構計画的だろ?」
「どうだかな」
「どうだかなって……じゃあルルーシュ、誰かとしたの? そういうこと」
「――そういう、こと?」
俺は一瞬呆けた後、ようやくその意味に気付いて頭が真っ白になった。
……まさか、「そういうこと」って、あれのことか――!?
かあっと赤面していくのが自分でも解る。以前スザクに言われた時は「そういうこと」の指す意味が全く解らなかった俺だが、実体験した今となっては察するに余りありすぎた。
そうか、そういうことってあれのことだったのか。……駄目だ。恥ずかしすぎてクラクラする。頭がおかしくなりそうだ。
スザクは茹蛸のようになっているだろう俺を不思議そうに眺めていた。「どうしたの?」と尋ねてきたが答えられそうにない。
「な、なんでもない!」
「そう? だってルルーシュ、顔……」
「いいから!」
「?」
狼狽する俺の様子を見てスザクは頻りに首を捻っていたが、如何せんこいつは異様に勘が良い。これ以上突っ込んでこられては堪らないとばかりに俺は話を逸らした。
「お前の言うとおりだ。本当に彼女がいたんなら、俺がお前に流されることはないさ……も、もういいだろ!」
これだけ言ってやれば充分だろうと思いながら、俺はやけくそのように叫んだ。
とことんペースが乱される。ただでさえ想定外の事態続きで混乱しているというのに、タイミング悪く薬が切れて熱も上がってきたようだ。
スザクは暫くの間ポカンとしていたが、満面の笑みになるなりぎゅっと抱きついてくる。「おい」と呼びかける俺の声と、スザクの「なあ、ルルーシュ」という呼びかけが重なったが、何故かスザクの声は限りなく低かった。
――何だ。その平坦な低音は。口調も若干変わったような……俺の気のせいか? 何か、とてつもなく嫌な予感がするんだが。
俺はそう思いつつ、お互いどちらともなく顔を見合わせてから口を開いた。
「……なんだ、スザク」
「彼女のでないなら、あの髪の毛は誰のなんだ? ルルーシュ」
――あ。
マズい。とてつもなくマズい。
「髪の毛……あ、ああ。あれはだな、その……」
「もしかしてギャンブル仲間、とか?」
「ああ! そう、似たようなもんだ。よく解ったなスザク。よく金だのピザだのせびりに来る女がいてな。多分その時に落として行ったんだろう」
「その人とはどういう関係? 賭けのお金でも貸してるの?」
「…………」
「ルルーシュ」
「――っ、そうだ! そいつは毎回一文無しで転がり込んでくるような女でな、断じて彼女とかそういう存在じゃない!」
自白を強要してくるスザクの真顔が凄まじく怖い。そして、腕の力が半端ではないのでとても苦しい。
限りなく嘘に近いが、一応嘘じゃない。脳内シュミレーションは完璧だ。
「ルルーシュ」
「なんだ?」
「君の人付き合いに関してあれこれ言うつもりはないけど、お金の貸し借りはよくないよ?」
だろ? と言いながらスザクは首を傾げた。そんな仕草ですら、今はもう凶悪にしか見えない。というか笑顔が怖い。無言の重圧を感じる。いや、威圧か。これは……。
それから、全体重かけて圧し掛かってくるんじゃない。重いんだよ! お前は俺を潰す気か!
「ルルーシュ」
「はい!」
「キスしてもいい?」
「はぁっ?」
直球な質問に呆れてしまう。
お前……さっきの今で、よくそんな台詞が出てくるな。一体どういう神経してるんだ? とはいえ、これは話題を逸らすための絶好のチャンス。
だが……!
「駄目だと言ったら?」
つい捻くれた返答をしてしまう自分に俺は泣きたくなる。
そう。しつこいようだが、これは最後の抵抗だ。スザクが相手である以上、牽制にすらならないかもしれないが……そもそも、俺にNOという選択肢などあるのか? この状況で。
一旦腕を放したスザクは、慈愛に満ち溢れた表情でこうのたまった。
「じゃあ、もうしない。君がいいって言ってくれるまで待つよ」
「嘘をつけ」
「うん。よく解ったね」
「――ぇ?」
朗らかな声と共に、俺の唇はスザクにあっさり奪われた。
――開き直ったスザクほど、俺の手に負えないものはない。
そうだ。スザクは絶対、俺の言うことなんかまともに聞きやしない。昔から……。こいつはそういう男だ。
唇が離されると同時に、スザクは言った。
「ルルーシュ。君の風邪が治ったら、二回目もしようね」
「……そういうことを、か?」
「うん」
有無を言わせぬ口調のスザクに抱きしめられた俺は、半ばぐったりしながら「好きにしてくれ」と呟く。
ああ。風邪なんか、本当にひくものじゃない。
特に、夏風邪は馬鹿がひくものだ。
背筋を辿る柔らかな生地の動きにつられて、意識がゆっくりと浮上する。
これは、もしかして濡れタオルだろうか。汗のべとつきが取れて、肌がサラサラした感触に戻っていくのが何とも心地いい。
まだとろとろと重い瞼をようやくの思いで開いてみると、まず真っ白なシーツが視界に飛び込んできた。パリッと糊の効いたシーツ。いつの間に眠ってしまったのだろう。
うつ伏せになっていた俺は、どうやら誰かに体を拭かれているようだ。
「ルルーシュ? 起きた?」
「……?」
まだ覚醒し切らないうちに声をかけられ、俺はぼんやりと横を見た。
「スザク……?」
舌が縺れて上手く言葉にならない。呂律が回らないのは顔の下半分がシーツと密着しているせいか。それとも、単に寝起きで頭が回っていないせいだろうか。
タオルを片手ににっこりと笑ったスザクの足元には、使用済みらしいシーツの白い塊が落ちていた。その横に置かれているのは、ごちゃごちゃと物の詰まった大きめのバスケット。
「君が寝てる間に全部取り替えておいたよ。どこか気持ちの悪いところは無い?」
強いて言えば、喉が痛い。水を飲みたい気もする。……そういえば、足腰が異様にだるい気がするのは何故だろう?
と、そこまで考えてから俺はようやく思い出した。寝落ちるまでの嬌態を。
「――っ!!」
がばっと跳ね起きた俺は、自分が一糸纏わぬ姿であることに気付いた。何故……何故裸? そうだ。俺はスザクと……。
思い至るなり俺は布団を手繰り寄せ、露出した肌を慌てて隠した。女じゃあるまいしと自己嫌悪に陥りそうになりながらも、状況を思えば仕方がないと無理やり自身を納得させる。
スザクはあたふたと布団をかき寄せる俺の姿を見て、苦笑しながら何かを差し出してきた。
「はい、これ。体も拭いておいたから、そのまま着ちゃっても大丈夫だよ」
綺麗に折りたたまれた衣類。スザクに手渡されたのは新しいパジャマだった。――それから、下着。
「お前っ……!」
今ので完全に目が覚めた。
拭いたってどこまでだ。もしかして全身か!? 気付くなりカッとなった俺はスザクを仰ぎ見た。
妙にさっぱりしていると思ったらそういうことか。……最悪だ。既に全身の至るところまで見られてしまっているとはいえ、まさか後処理までされてしまうとは。
そのパジャマにしたって、一体どこから出してきたとか、いつの間にとか、言いたいことは山ほどある。
だが、今はそれどころじゃない。胃薬を飲ませると見せかけて無理やりキスを仕掛けられ、訳の分からない理屈を展開され、挙句の果てにあんな……。
スザクは苦笑を浮かべたまま「やっぱり怒ってるよね」と肩を竦めている。
「ごめん」
「だからって謝るなよ」
思い返しただけで顔から火が出そうだ。とんだ醜態。よりにもよってスザクと……。
しかし、謝られたところでもう遅い。全ては終わったことだ。まさかあんなことになるとは思っていなかったものの、流された俺にも非はあるだろう。
とはいえ、未遂で済む雰囲気では決して無かったが。
スザクは畳まれた寝巻きの上から下着を退かし、取り上げたシャツを広げて俺の肩にそっと被せてきた。
「僕は後悔してないよ」
ぽつりと漏らされた一言に、思わず空気を読めと叫びたくなる。
「誰もそんなことは訊いていない!」
「うん。だからね、僕が言いたいのは君を抱いたことを謝ってるんじゃなくて、乱暴な抱き方してごめんって意味だ」
「……それだって、別に謝られたところでどうなるものでもないだろ」
「まあ、そうかもね」
シャツの合わせを握り締めたまま俯いている俺の横にスザクが腰掛けてくる。
なんだって突然横に来るんだお前は。椅子にでも座っていればいいだろう。
ベッドが体重で沈むなり、俺はつい焦って距離を置いてしまった。少々露骨な反応だっただろうか。反射的な行動とはいえ、幾らなんでも意識しすぎだ。
「さっきは君があまりにも可愛くて……それで加減出来なくなっちゃったんだ。謝るよ。本当にごめん」
隣に座ったスザクも気まずいのか、視線がやや余所の方に向いている。俺と会話しているというよりも、まるで独り言でも喋っているかのようだ。
「可愛いって……お前な」
「本当はもっと優しくするつもりだったんだけど、君も僕と同じ気持ちなんだと思ったら止められなくなっちゃって。次からは気を付けるよ」
「―――!?」
さらりと言ってのけられたスザクの台詞に、俺はピシリと凍り付く。
……こいつは今、なんと言った?
「次?」
「えっ?」
何を当たり前のことを、とでも言いたそうな顔でスザクが俺を見る。
こいつは次があると本気で思っているのか? いや待て、その前に――。
「本当なのか?」
「ん、何が?」
「だから、お前がその、俺のことを……」
「ああ、好きってこと? 本当だよ?」
「――っ!」
これもまた当然の如くさらりと言い切られ、俺は二の句を失った。覚えのある眩暈に再び襲われ、世界がくらりと反転する。
ただの悪夢かと思っていたが、どうやら夢ではないらしい。最早ここまで来れば諦めの境地といった心境ではあるが、俺の気持ちを知ってか知らずか、スザクは実にしれっとした顔で続けてくる。
「じゃなきゃ君相手に手なんか出さないよ。関係がおかしくなっちゃうだろ?」
「それは……そうだが」
実際おかしな関係になってしまっているというのに、開き直って言うことではないだろう。
大体、なんでこうなる?
俺は正直困惑していた。再会してからのこいつは、確かに俺と深く関わることを避けているように思えていたのに。
「お前の気持ちはともかくとして、俺はまだ応じるとも何とも……。それなのにお前は……」
「うん、そうだね。確かに一方的すぎた」
言うなりスザクは俺との距離を詰めてきた。咄嗟に逃げを打ったものの、下肢を覆っていた布団がもたついて上手く動けず、俺は後ずさった勢いのまま横向きに倒れた。
「……っ、おい」
顔の横に置かれた手に気付くと同時に視界が暗くなり、言い得ようのない恐怖が込み上げる。
また、何かされるのだろうか。
さながら肉食獣に追い詰められた獲物の気分だ。普通に話せば済むことだろうに、スザクは腕立て伏せのような体勢になって俺に圧し掛かってくる。
「言って、ルルーシュ。僕が好き? それとも嫌い?」
「――――」
身構えた俺は、肘を付いたままスザクを見上げた。真正面、それも超至近距離から見下ろしてくる一対の深緑。
意識が落ちるまでの出来事が一気に蘇り、羞恥だけで俺は死にそうになった。
大体なんで、その二択なんだ?……混乱する。両サイドには腕が聳え立っていて逃げ場は無いし、布団越しに下肢が触れるだけで緊張が走る。
キスされた時と同じ体勢。とてもではないが、熱っぽく射抜いてくるスザクの眼差しを正視出来ない。さっきから何とかして目を逸らそうとしているのに、俺はどうして出来ないんだ? スザクは何故、こんな目で俺を見る……?
「言わなくてもいいって、言っただろ……」
ずっと硬直し続けていた俺は、気力を振り絞ってようやくスザクから顔を背けた。――近すぎだ。こいつだって、俺が警戒していることくらい気付いているんだろうに。
目を伏せていれば頬に吐息がかかり、背筋にゾクリと震えが走った。スザクはそんな俺の様子を見てクスリと笑い、尚も畳み掛けてくる。
「確かに言わなくてもいいとは言ったよ。でも、順番が違うのは嫌なんだろ? 君が流されてくれたことが了承の証なんだって僕は受け取ったけど……そう思ったのは僕の思い違いだったってことか?」
「…………」
「僕に触れられるのは、もう嫌?」
スザクが浮かべているのは見るも寂しげな微笑みだ。応とも否とも言えぬまま俺は口ごもった。不安げな声音にも関わらず、切実で真剣なその囁きはどこまでも甘くて――。
なあ、スザク。それは、あまりにも卑怯な尋ね方なんじゃないのか?
横目で伺い見たそこには、緩く弧を描くスザクの唇。そこで止まってしまった視線を、俺は逸らせない。
……早く、動け。でないと気付かれる。
どこ見てるの? とでも言うように、スザクの口角が釣り上がった。視界が翳り、掌が近付く。
「……っ!」
俺は一瞬息を飲んだが、スザクに他意は無かったらしい。俺の前髪を払って熱を確かめようと、スザクは額に掌を乗せてくる。
警戒が解けて、少しだけ気が緩んだ。今何度あるのかは解らないが、夕食の頃に比べればかなり楽だ。
少し落ち着いたことを察したのか、スザクの目元も和らぐ。
まだ薬が効いているんだろう。スザクに飲まされた薬も……。
暖かなスザクの手はやがて額の上を通り抜け、優しく俺の髪を梳き始める。激しい抱き方とは打って変わって繊細な手つき。一見がさつに見えるのに、そういえばこいつは昔から手先が器用だった。
壊れ物に触れるように扱われると、抵抗する気力ですら失せていく。髪を潜る指先が耳元を掠めた瞬間、ビクリと肩が強張った。
やがて、スザクに触れられた箇所が燃えるように熱くなる。
耳に触れたのは故意か。それとも過失だろうか。――わからない。
「お前は……いつもこういう手で女を落とすのか?」
「まさか。僕、自分からこんな風に迫ったことって無いんだけど」
迫ったことが無い? 嘘だろ。だったらいつもどうやって……。いや、別にいつもという訳ではないのかもしれないが、絶対初めてではないだろう、お前は。
特に含みを持たせたつもりはないんだろうが、スザクは何とも余裕な口ぶりだった。明らかに場慣れしているし、物慣れている。経験の差を感じさせられるのが何よりの証拠だ。
じゃあ、お前はいつも迫られる方か。
そう思った途端、胸にじわりと黒いものが広がっていく。――なんだ、これは?
「信じると思うのか? これで」
咄嗟に俺は口を開いていた。頭で考えるよりも早く意識を逸らせれば。……が、遅かった。
嫌でも気付く。今のは嫉妬だ。認めたくは無いが。
無言で唇を噛み締める俺を見て、スザクは幸せそうな微笑みを浮かべていた。クソ。何がおかしい。いちいち笑うなよ。
しかし、たった今まで腹を立てていた筈なのに、既に居た堪れなくなってきているというこの事実。別に俺が悪さをした訳でもないというのに、仕舞いには良心の呵責めいたものまで感じている。……本当に、理不尽なことこの上ない。
こいつにはつくづくペースを乱される。そう思いながら俺は嘆息した。
――それにしても、頬が熱い。
「ルルーシュ、顔、真っ赤だよ」
「調子に乗るな」
頬に触れようとしてきたスザクの手を、俺は即座に払い落とした。ペシリといい音がしたものの、スザクは然程痛くもなさそうだ。
今にも唇が触れ合いそうな距離。こうして見つめられているだけで緊張する。何をされるか解らないのに、顔に触れられるのはまだ抵抗があった。なにせ、相手が相手だ。
スザクは申し訳なさそうに肩を竦めてから、ふっと吐息した。
「ごめん。言葉の方は素直じゃないけど、顔には出るんだなと思って」
続けざまに図星を突かれて更にムッとくる。平静を装うにしても、さすがに顔色までは誤魔化し切れない。
叩かれたっていうのに、随分軽くあしらえるんだな、こいつは。それも余裕があるからなのか?
「簡単にごめんとか言うなよ。押してまかり通るって意味だろ、お前のそれは」
「そんな僕は嫌い?」
……その質問の仕方も相当卑怯だ。
年齢に見合わぬ大人びた表情。こうして未知の面を見せ付けられるたびに、全く知らない男と話している気分になってくる。
「まさかお前がこんな奴だったとはな。誤算だよ」
「驚いた?」
「……ああ。少しね」
再会してからはてっきり大人しくなったとばかり思って油断していたが、人の本質とは早々変わるものではないらしい。であれば、今後は認識を改める必要があるだろう。
そうだ、今からでも遅くはない。いや、充分すぎるほど遅いか……。
俺が苦り切った顔で答えているのにスザクは動じない。精一杯の虚勢を込めて睨んでみても結果は同じだった。
なんなんだよ……。俺の不快はお前の機嫌を上昇させるだけだっていうのか? そもそもスザク、お前はなんで笑ってるんだ。さっきからずっと!
まさかとは思うが、俺は馬鹿にされているのか?
俺がそんな疑問を抱くほどに、スザクは終始にこにこ顔のままだった。
「たらされてるって自覚は一応あるんだ? 嬉しいな」
「嬉しい? 何言ってるんだお前は。はぐらかすなよ」
遊びのつもりで手を出したのであれば、タチが悪いどころの話じゃない。
柔和な童顔は笑うと更に幼くなるくせに、こいつは時折平気で大胆なことを口にしては経験の豊富さを匂わせる。
俺と離れていた七年間がこいつを変えたのか。デリカシーの無さは変わっていないようだが、お前の身の上に一体何が起こったんだ?
「いいかスザク。『たらす』というのは『誑かす』って書くんだぞ」
「酷いな。僕だってそれくらい知ってるよ」
スザクは臆面も無く「でも遊びじゃないよ」と言い放つ。そして、たった今叩き落してやったばかりだというのに、渋面を作った俺の手を躊躇いもなく握ってきた。
こ、こいつ……全然懲りてない!
「お、おい!」
止める間もないとはこのことだ。スザクは取り上げた俺の手の甲へと恭しく口付け、返した掌にも同じように唇を落としてくる。
なんて気障な奴だ。男相手にすることじゃないだろう。
すると、スザクはちょうど俺の気持ちを読んだようなタイミングで告げてきた。
「同性だからどうとかじゃなくて、ルルーシュだからしたくなるんだよ。こういうこと」
「……はぁ?」
思わず間抜けな声が出た。一体どういう意味なんだ、それは?
こいつが予想の斜め上を行くのはいつものことだが、天然の考えることは相変わらずよく解らない。
「君に嫌われたとしても、僕の気持ちは変わらない。嫌なら本気で拒んでくれ。でないと嫌だとは認めない」
「勝手だな」
「そうかな? でも君だって、どうでもいい相手に流されたりなんかしないだろ?」
スザクは言いながら、もう一度俺の掌に口付ける。
見せ付けているつもりなのだとしか思えない艶めいた仕草。まるで、そういった行為の最中を彷彿とさせるような……。
お前、絶対わざとだろ。
俺に手を振り払われても、スザクは余裕ぶった態度を崩さない。自由になった手を再びベッドの上に付き、いっそ楽しそうにさえ見える顔で俺を見下ろしている。
一度行き着くところまで行ってしまったものの、俺はまだ男としての矜持を捨てていない。スザクの目つきに身の危険は感じるものの、押し倒されているようにしか見えないこの体勢にだってひたすら苛立ってくるだけだ。
非難の意味も込めて、俺はスザクを睨んだ。
風邪が悪化したらどうしてくれる。いい加減どけよ。シャツ一枚羽織っているとはいえ、俺はまだ裸のままなんだぞ。
「お前、いつまでこの体勢でいるつもりなんだ?」
「ルルーシュこそ、いつまで口割らないでいるつもり?」
「……どうしても言わせる気か?」
「言いたくなければ言わなくていいよ。でも、僕はルルーシュだから本気になったってこと。それだけは、改めて伝えておくから」
「…………」
――どうする。この状況を一体どうすればいい。
考えろ。こいつはブリタニアの軍人で、俺はゼロで……というより、この期に及んでまだ結論が出ないってどういうことだ? 答えなんかとっくに出てる筈だろ。
そうだ。この関係はまずい。だって、距離を置こうとしていたのはこいつだけじゃない。俺だって同じなのに。
「そういえばさ……」
「?」
「君、前に彼女がいるって言ってたけど……それ、嘘だろ」
「えっ?」
唐突に尋ねられ、更に混乱が増した。
スザク相手にいると言ったのは確かに嘘だが、何を根拠に言っているのかさっぱり解らない。
にっこり笑ってスザクは続けた。
「隠さなくていいよ。あれ、ホントは嘘なんだろ?」
「何故そう言い切れる?」
「君の反応見てれば解るって。キスもセックスも初めて。……違う?」
あからさまな単語に眉が寄る。察しの良さなのか只の勘なのか。おそらく両方だろう。
「ああ、確かに初めてだよ。友達に手篭めにされたのはな」
「手篭めって……人聞き悪いな。――で、どうなの? 本当は」
「…………」
既にバレていることについて嘘を吐き続ける意味はない。
それにしても、こいつは本当に悪びれないな。なんて図太い奴なんだ。寧ろ悪びれろ。少しは!
スザクの意図に気付いた俺は、忌々しげにチッと一つ舌打ちしてから渋々答えた。
「外堀から埋めるつもりだな、お前」
「正解。結構計画的だろ?」
「どうだかな」
「どうだかなって……じゃあルルーシュ、誰かとしたの? そういうこと」
「――そういう、こと?」
俺は一瞬呆けた後、ようやくその意味に気付いて頭が真っ白になった。
……まさか、「そういうこと」って、あれのことか――!?
かあっと赤面していくのが自分でも解る。以前スザクに言われた時は「そういうこと」の指す意味が全く解らなかった俺だが、実体験した今となっては察するに余りありすぎた。
そうか、そういうことってあれのことだったのか。……駄目だ。恥ずかしすぎてクラクラする。頭がおかしくなりそうだ。
スザクは茹蛸のようになっているだろう俺を不思議そうに眺めていた。「どうしたの?」と尋ねてきたが答えられそうにない。
「な、なんでもない!」
「そう? だってルルーシュ、顔……」
「いいから!」
「?」
狼狽する俺の様子を見てスザクは頻りに首を捻っていたが、如何せんこいつは異様に勘が良い。これ以上突っ込んでこられては堪らないとばかりに俺は話を逸らした。
「お前の言うとおりだ。本当に彼女がいたんなら、俺がお前に流されることはないさ……も、もういいだろ!」
これだけ言ってやれば充分だろうと思いながら、俺はやけくそのように叫んだ。
とことんペースが乱される。ただでさえ想定外の事態続きで混乱しているというのに、タイミング悪く薬が切れて熱も上がってきたようだ。
スザクは暫くの間ポカンとしていたが、満面の笑みになるなりぎゅっと抱きついてくる。「おい」と呼びかける俺の声と、スザクの「なあ、ルルーシュ」という呼びかけが重なったが、何故かスザクの声は限りなく低かった。
――何だ。その平坦な低音は。口調も若干変わったような……俺の気のせいか? 何か、とてつもなく嫌な予感がするんだが。
俺はそう思いつつ、お互いどちらともなく顔を見合わせてから口を開いた。
「……なんだ、スザク」
「彼女のでないなら、あの髪の毛は誰のなんだ? ルルーシュ」
――あ。
マズい。とてつもなくマズい。
「髪の毛……あ、ああ。あれはだな、その……」
「もしかしてギャンブル仲間、とか?」
「ああ! そう、似たようなもんだ。よく解ったなスザク。よく金だのピザだのせびりに来る女がいてな。多分その時に落として行ったんだろう」
「その人とはどういう関係? 賭けのお金でも貸してるの?」
「…………」
「ルルーシュ」
「――っ、そうだ! そいつは毎回一文無しで転がり込んでくるような女でな、断じて彼女とかそういう存在じゃない!」
自白を強要してくるスザクの真顔が凄まじく怖い。そして、腕の力が半端ではないのでとても苦しい。
限りなく嘘に近いが、一応嘘じゃない。脳内シュミレーションは完璧だ。
「ルルーシュ」
「なんだ?」
「君の人付き合いに関してあれこれ言うつもりはないけど、お金の貸し借りはよくないよ?」
だろ? と言いながらスザクは首を傾げた。そんな仕草ですら、今はもう凶悪にしか見えない。というか笑顔が怖い。無言の重圧を感じる。いや、威圧か。これは……。
それから、全体重かけて圧し掛かってくるんじゃない。重いんだよ! お前は俺を潰す気か!
「ルルーシュ」
「はい!」
「キスしてもいい?」
「はぁっ?」
直球な質問に呆れてしまう。
お前……さっきの今で、よくそんな台詞が出てくるな。一体どういう神経してるんだ? とはいえ、これは話題を逸らすための絶好のチャンス。
だが……!
「駄目だと言ったら?」
つい捻くれた返答をしてしまう自分に俺は泣きたくなる。
そう。しつこいようだが、これは最後の抵抗だ。スザクが相手である以上、牽制にすらならないかもしれないが……そもそも、俺にNOという選択肢などあるのか? この状況で。
一旦腕を放したスザクは、慈愛に満ち溢れた表情でこうのたまった。
「じゃあ、もうしない。君がいいって言ってくれるまで待つよ」
「嘘をつけ」
「うん。よく解ったね」
「――ぇ?」
朗らかな声と共に、俺の唇はスザクにあっさり奪われた。
――開き直ったスザクほど、俺の手に負えないものはない。
そうだ。スザクは絶対、俺の言うことなんかまともに聞きやしない。昔から……。こいつはそういう男だ。
唇が離されると同時に、スザクは言った。
「ルルーシュ。君の風邪が治ったら、二回目もしようね」
「……そういうことを、か?」
「うん」
有無を言わせぬ口調のスザクに抱きしめられた俺は、半ばぐったりしながら「好きにしてくれ」と呟く。
ああ。風邪なんか、本当にひくものじゃない。
特に、夏風邪は馬鹿がひくものだ。