夏風邪のルルーシュ 6(END)

 ほんのりと暖かい……。これは、何だ……?
 背筋を辿る柔らかな生地の動きにつられて、意識がゆっくりと浮上する。
 これは、もしかして濡れタオルだろうか。汗のべとつきが取れて、肌がサラサラした感触に戻っていくのが何とも心地いい。
 まだとろとろと重い瞼をようやくの思いで開いてみると、まず真っ白なシーツが視界に飛び込んできた。パリッと糊の効いたシーツ。いつの間に眠ってしまったのだろう。
 うつ伏せになっていた俺は、どうやら誰かに体を拭かれているようだ。
「ルルーシュ? 起きた?」
「……?」
 まだ覚醒し切らないうちに声をかけられ、俺はぼんやりと横を見た。
「スザク……?」
 舌が縺れて上手く言葉にならない。呂律が回らないのは顔の下半分がシーツと密着しているせいか。それとも、単に寝起きで頭が回っていないせいだろうか。
 タオルを片手ににっこりと笑ったスザクの足元には、使用済みらしいシーツの白い塊が落ちていた。その横に置かれているのは、ごちゃごちゃと物の詰まった大きめのバスケット。
「君が寝てる間に全部取り替えておいたよ。どこか気持ちの悪いところは無い?」
 強いて言えば、喉が痛い。水を飲みたい気もする。……そういえば、足腰が異様にだるい気がするのは何故だろう?
 と、そこまで考えてから俺はようやく思い出した。寝落ちるまでの嬌態を。
「――っ!!」
 がばっと跳ね起きた俺は、自分が一糸纏わぬ姿であることに気付いた。何故……何故裸? そうだ。俺はスザクと……。
 思い至るなり俺は布団を手繰り寄せ、露出した肌を慌てて隠した。女じゃあるまいしと自己嫌悪に陥りそうになりながらも、状況を思えば仕方がないと無理やり自身を納得させる。
 スザクはあたふたと布団をかき寄せる俺の姿を見て、苦笑しながら何かを差し出してきた。
「はい、これ。体も拭いておいたから、そのまま着ちゃっても大丈夫だよ」
 綺麗に折りたたまれた衣類。スザクに手渡されたのは新しいパジャマだった。――それから、下着。
「お前っ……!」
 今ので完全に目が覚めた。
 拭いたってどこまでだ。もしかして全身か!? 気付くなりカッとなった俺はスザクを仰ぎ見た。
 妙にさっぱりしていると思ったらそういうことか。……最悪だ。既に全身の至るところまで見られてしまっているとはいえ、まさか後処理までされてしまうとは。
 そのパジャマにしたって、一体どこから出してきたとか、いつの間にとか、言いたいことは山ほどある。
 だが、今はそれどころじゃない。胃薬を飲ませると見せかけて無理やりキスを仕掛けられ、訳の分からない理屈を展開され、挙句の果てにあんな……。
 スザクは苦笑を浮かべたまま「やっぱり怒ってるよね」と肩を竦めている。
「ごめん」
「だからって謝るなよ」
 思い返しただけで顔から火が出そうだ。とんだ醜態。よりにもよってスザクと……。
 しかし、謝られたところでもう遅い。全ては終わったことだ。まさかあんなことになるとは思っていなかったものの、流された俺にも非はあるだろう。
 とはいえ、未遂で済む雰囲気では決して無かったが。
 スザクは畳まれた寝巻きの上から下着を退かし、取り上げたシャツを広げて俺の肩にそっと被せてきた。
「僕は後悔してないよ」
 ぽつりと漏らされた一言に、思わず空気を読めと叫びたくなる。
「誰もそんなことは訊いていない!」
「うん。だからね、僕が言いたいのは君を抱いたことを謝ってるんじゃなくて、乱暴な抱き方してごめんって意味だ」
「……それだって、別に謝られたところでどうなるものでもないだろ」
「まあ、そうかもね」
 シャツの合わせを握り締めたまま俯いている俺の横にスザクが腰掛けてくる。
 なんだって突然横に来るんだお前は。椅子にでも座っていればいいだろう。
 ベッドが体重で沈むなり、俺はつい焦って距離を置いてしまった。少々露骨な反応だっただろうか。反射的な行動とはいえ、幾らなんでも意識しすぎだ。
「さっきは君があまりにも可愛くて……それで加減出来なくなっちゃったんだ。謝るよ。本当にごめん」
 隣に座ったスザクも気まずいのか、視線がやや余所の方に向いている。俺と会話しているというよりも、まるで独り言でも喋っているかのようだ。
「可愛いって……お前な」
「本当はもっと優しくするつもりだったんだけど、君も僕と同じ気持ちなんだと思ったら止められなくなっちゃって。次からは気を付けるよ」
「―――!?」
 さらりと言ってのけられたスザクの台詞に、俺はピシリと凍り付く。
 ……こいつは今、なんと言った?
「次?」
「えっ?」
 何を当たり前のことを、とでも言いたそうな顔でスザクが俺を見る。
 こいつは次があると本気で思っているのか? いや待て、その前に――。
「本当なのか?」
「ん、何が?」
「だから、お前がその、俺のことを……」
「ああ、好きってこと? 本当だよ?」
「――っ!」
 これもまた当然の如くさらりと言い切られ、俺は二の句を失った。覚えのある眩暈に再び襲われ、世界がくらりと反転する。
 ただの悪夢かと思っていたが、どうやら夢ではないらしい。最早ここまで来れば諦めの境地といった心境ではあるが、俺の気持ちを知ってか知らずか、スザクは実にしれっとした顔で続けてくる。
「じゃなきゃ君相手に手なんか出さないよ。関係がおかしくなっちゃうだろ?」
「それは……そうだが」
 実際おかしな関係になってしまっているというのに、開き直って言うことではないだろう。
 大体、なんでこうなる?
 俺は正直困惑していた。再会してからのこいつは、確かに俺と深く関わることを避けているように思えていたのに。
「お前の気持ちはともかくとして、俺はまだ応じるとも何とも……。それなのにお前は……」
「うん、そうだね。確かに一方的すぎた」
 言うなりスザクは俺との距離を詰めてきた。咄嗟に逃げを打ったものの、下肢を覆っていた布団がもたついて上手く動けず、俺は後ずさった勢いのまま横向きに倒れた。
「……っ、おい」
 顔の横に置かれた手に気付くと同時に視界が暗くなり、言い得ようのない恐怖が込み上げる。
 また、何かされるのだろうか。
 さながら肉食獣に追い詰められた獲物の気分だ。普通に話せば済むことだろうに、スザクは腕立て伏せのような体勢になって俺に圧し掛かってくる。
「言って、ルルーシュ。僕が好き? それとも嫌い?」
「――――」
 身構えた俺は、肘を付いたままスザクを見上げた。真正面、それも超至近距離から見下ろしてくる一対の深緑。
 意識が落ちるまでの出来事が一気に蘇り、羞恥だけで俺は死にそうになった。
 大体なんで、その二択なんだ?……混乱する。両サイドには腕が聳え立っていて逃げ場は無いし、布団越しに下肢が触れるだけで緊張が走る。
 キスされた時と同じ体勢。とてもではないが、熱っぽく射抜いてくるスザクの眼差しを正視出来ない。さっきから何とかして目を逸らそうとしているのに、俺はどうして出来ないんだ? スザクは何故、こんな目で俺を見る……? 
「言わなくてもいいって、言っただろ……」
 ずっと硬直し続けていた俺は、気力を振り絞ってようやくスザクから顔を背けた。――近すぎだ。こいつだって、俺が警戒していることくらい気付いているんだろうに。
 目を伏せていれば頬に吐息がかかり、背筋にゾクリと震えが走った。スザクはそんな俺の様子を見てクスリと笑い、尚も畳み掛けてくる。
「確かに言わなくてもいいとは言ったよ。でも、順番が違うのは嫌なんだろ? 君が流されてくれたことが了承の証なんだって僕は受け取ったけど……そう思ったのは僕の思い違いだったってことか?」
「…………」
「僕に触れられるのは、もう嫌?」
 スザクが浮かべているのは見るも寂しげな微笑みだ。応とも否とも言えぬまま俺は口ごもった。不安げな声音にも関わらず、切実で真剣なその囁きはどこまでも甘くて――。
 なあ、スザク。それは、あまりにも卑怯な尋ね方なんじゃないのか?
 横目で伺い見たそこには、緩く弧を描くスザクの唇。そこで止まってしまった視線を、俺は逸らせない。
 ……早く、動け。でないと気付かれる。
 どこ見てるの? とでも言うように、スザクの口角が釣り上がった。視界が翳り、掌が近付く。
「……っ!」
 俺は一瞬息を飲んだが、スザクに他意は無かったらしい。俺の前髪を払って熱を確かめようと、スザクは額に掌を乗せてくる。
 警戒が解けて、少しだけ気が緩んだ。今何度あるのかは解らないが、夕食の頃に比べればかなり楽だ。
 少し落ち着いたことを察したのか、スザクの目元も和らぐ。
 まだ薬が効いているんだろう。スザクに飲まされた薬も……。
 暖かなスザクの手はやがて額の上を通り抜け、優しく俺の髪を梳き始める。激しい抱き方とは打って変わって繊細な手つき。一見がさつに見えるのに、そういえばこいつは昔から手先が器用だった。
 壊れ物に触れるように扱われると、抵抗する気力ですら失せていく。髪を潜る指先が耳元を掠めた瞬間、ビクリと肩が強張った。
 やがて、スザクに触れられた箇所が燃えるように熱くなる。
 耳に触れたのは故意か。それとも過失だろうか。――わからない。
「お前は……いつもこういう手で女を落とすのか?」
「まさか。僕、自分からこんな風に迫ったことって無いんだけど」
 迫ったことが無い? 嘘だろ。だったらいつもどうやって……。いや、別にいつもという訳ではないのかもしれないが、絶対初めてではないだろう、お前は。
 特に含みを持たせたつもりはないんだろうが、スザクは何とも余裕な口ぶりだった。明らかに場慣れしているし、物慣れている。経験の差を感じさせられるのが何よりの証拠だ。
 じゃあ、お前はいつも迫られる方か。
 そう思った途端、胸にじわりと黒いものが広がっていく。――なんだ、これは?
「信じると思うのか? これで」
 咄嗟に俺は口を開いていた。頭で考えるよりも早く意識を逸らせれば。……が、遅かった。
 嫌でも気付く。今のは嫉妬だ。認めたくは無いが。
 無言で唇を噛み締める俺を見て、スザクは幸せそうな微笑みを浮かべていた。クソ。何がおかしい。いちいち笑うなよ。
 しかし、たった今まで腹を立てていた筈なのに、既に居た堪れなくなってきているというこの事実。別に俺が悪さをした訳でもないというのに、仕舞いには良心の呵責めいたものまで感じている。……本当に、理不尽なことこの上ない。
 こいつにはつくづくペースを乱される。そう思いながら俺は嘆息した。
 ――それにしても、頬が熱い。
「ルルーシュ、顔、真っ赤だよ」
「調子に乗るな」
 頬に触れようとしてきたスザクの手を、俺は即座に払い落とした。ペシリといい音がしたものの、スザクは然程痛くもなさそうだ。
 今にも唇が触れ合いそうな距離。こうして見つめられているだけで緊張する。何をされるか解らないのに、顔に触れられるのはまだ抵抗があった。なにせ、相手が相手だ。
 スザクは申し訳なさそうに肩を竦めてから、ふっと吐息した。
「ごめん。言葉の方は素直じゃないけど、顔には出るんだなと思って」
 続けざまに図星を突かれて更にムッとくる。平静を装うにしても、さすがに顔色までは誤魔化し切れない。
 叩かれたっていうのに、随分軽くあしらえるんだな、こいつは。それも余裕があるからなのか?
「簡単にごめんとか言うなよ。押してまかり通るって意味だろ、お前のそれは」
「そんな僕は嫌い?」
 ……その質問の仕方も相当卑怯だ。
 年齢に見合わぬ大人びた表情。こうして未知の面を見せ付けられるたびに、全く知らない男と話している気分になってくる。
「まさかお前がこんな奴だったとはな。誤算だよ」
「驚いた?」
「……ああ。少しね」
 再会してからはてっきり大人しくなったとばかり思って油断していたが、人の本質とは早々変わるものではないらしい。であれば、今後は認識を改める必要があるだろう。
 そうだ、今からでも遅くはない。いや、充分すぎるほど遅いか……。
 俺が苦り切った顔で答えているのにスザクは動じない。精一杯の虚勢を込めて睨んでみても結果は同じだった。
 なんなんだよ……。俺の不快はお前の機嫌を上昇させるだけだっていうのか? そもそもスザク、お前はなんで笑ってるんだ。さっきからずっと!
 まさかとは思うが、俺は馬鹿にされているのか?
 俺がそんな疑問を抱くほどに、スザクは終始にこにこ顔のままだった。
「たらされてるって自覚は一応あるんだ? 嬉しいな」
「嬉しい? 何言ってるんだお前は。はぐらかすなよ」
 遊びのつもりで手を出したのであれば、タチが悪いどころの話じゃない。
 柔和な童顔は笑うと更に幼くなるくせに、こいつは時折平気で大胆なことを口にしては経験の豊富さを匂わせる。
 俺と離れていた七年間がこいつを変えたのか。デリカシーの無さは変わっていないようだが、お前の身の上に一体何が起こったんだ?
「いいかスザク。『たらす』というのは『誑かす』って書くんだぞ」
「酷いな。僕だってそれくらい知ってるよ」
 スザクは臆面も無く「でも遊びじゃないよ」と言い放つ。そして、たった今叩き落してやったばかりだというのに、渋面を作った俺の手を躊躇いもなく握ってきた。
 こ、こいつ……全然懲りてない!
「お、おい!」
 止める間もないとはこのことだ。スザクは取り上げた俺の手の甲へと恭しく口付け、返した掌にも同じように唇を落としてくる。
 なんて気障な奴だ。男相手にすることじゃないだろう。
 すると、スザクはちょうど俺の気持ちを読んだようなタイミングで告げてきた。
「同性だからどうとかじゃなくて、ルルーシュだからしたくなるんだよ。こういうこと」
「……はぁ?」
 思わず間抜けな声が出た。一体どういう意味なんだ、それは?
 こいつが予想の斜め上を行くのはいつものことだが、天然の考えることは相変わらずよく解らない。
「君に嫌われたとしても、僕の気持ちは変わらない。嫌なら本気で拒んでくれ。でないと嫌だとは認めない」
「勝手だな」
「そうかな? でも君だって、どうでもいい相手に流されたりなんかしないだろ?」
 スザクは言いながら、もう一度俺の掌に口付ける。
 見せ付けているつもりなのだとしか思えない艶めいた仕草。まるで、そういった行為の最中を彷彿とさせるような……。
 お前、絶対わざとだろ。
 俺に手を振り払われても、スザクは余裕ぶった態度を崩さない。自由になった手を再びベッドの上に付き、いっそ楽しそうにさえ見える顔で俺を見下ろしている。
 一度行き着くところまで行ってしまったものの、俺はまだ男としての矜持を捨てていない。スザクの目つきに身の危険は感じるものの、押し倒されているようにしか見えないこの体勢にだってひたすら苛立ってくるだけだ。
 非難の意味も込めて、俺はスザクを睨んだ。
 風邪が悪化したらどうしてくれる。いい加減どけよ。シャツ一枚羽織っているとはいえ、俺はまだ裸のままなんだぞ。
「お前、いつまでこの体勢でいるつもりなんだ?」
「ルルーシュこそ、いつまで口割らないでいるつもり?」
「……どうしても言わせる気か?」
「言いたくなければ言わなくていいよ。でも、僕はルルーシュだから本気になったってこと。それだけは、改めて伝えておくから」
「…………」
 ――どうする。この状況を一体どうすればいい。
 考えろ。こいつはブリタニアの軍人で、俺はゼロで……というより、この期に及んでまだ結論が出ないってどういうことだ? 答えなんかとっくに出てる筈だろ。
 そうだ。この関係はまずい。だって、距離を置こうとしていたのはこいつだけじゃない。俺だって同じなのに。
「そういえばさ……」
「?」
「君、前に彼女がいるって言ってたけど……それ、嘘だろ」
「えっ?」
 唐突に尋ねられ、更に混乱が増した。
 スザク相手にいると言ったのは確かに嘘だが、何を根拠に言っているのかさっぱり解らない。
 にっこり笑ってスザクは続けた。
「隠さなくていいよ。あれ、ホントは嘘なんだろ?」
「何故そう言い切れる?」
「君の反応見てれば解るって。キスもセックスも初めて。……違う?」
 あからさまな単語に眉が寄る。察しの良さなのか只の勘なのか。おそらく両方だろう。
「ああ、確かに初めてだよ。友達に手篭めにされたのはな」
「手篭めって……人聞き悪いな。――で、どうなの? 本当は」
「…………」
 既にバレていることについて嘘を吐き続ける意味はない。
 それにしても、こいつは本当に悪びれないな。なんて図太い奴なんだ。寧ろ悪びれろ。少しは!
 スザクの意図に気付いた俺は、忌々しげにチッと一つ舌打ちしてから渋々答えた。
「外堀から埋めるつもりだな、お前」
「正解。結構計画的だろ?」
「どうだかな」
「どうだかなって……じゃあルルーシュ、誰かとしたの? そういうこと」
「――そういう、こと?」
 俺は一瞬呆けた後、ようやくその意味に気付いて頭が真っ白になった。
 ……まさか、「そういうこと」って、あれのことか――!? 
 かあっと赤面していくのが自分でも解る。以前スザクに言われた時は「そういうこと」の指す意味が全く解らなかった俺だが、実体験した今となっては察するに余りありすぎた。
 そうか、そういうことってあれのことだったのか。……駄目だ。恥ずかしすぎてクラクラする。頭がおかしくなりそうだ。
 スザクは茹蛸のようになっているだろう俺を不思議そうに眺めていた。「どうしたの?」と尋ねてきたが答えられそうにない。
「な、なんでもない!」
「そう? だってルルーシュ、顔……」
「いいから!」
「?」
 狼狽する俺の様子を見てスザクは頻りに首を捻っていたが、如何せんこいつは異様に勘が良い。これ以上突っ込んでこられては堪らないとばかりに俺は話を逸らした。
「お前の言うとおりだ。本当に彼女がいたんなら、俺がお前に流されることはないさ……も、もういいだろ!」
 これだけ言ってやれば充分だろうと思いながら、俺はやけくそのように叫んだ。
 とことんペースが乱される。ただでさえ想定外の事態続きで混乱しているというのに、タイミング悪く薬が切れて熱も上がってきたようだ。
 スザクは暫くの間ポカンとしていたが、満面の笑みになるなりぎゅっと抱きついてくる。「おい」と呼びかける俺の声と、スザクの「なあ、ルルーシュ」という呼びかけが重なったが、何故かスザクの声は限りなく低かった。
 ――何だ。その平坦な低音は。口調も若干変わったような……俺の気のせいか? 何か、とてつもなく嫌な予感がするんだが。
 俺はそう思いつつ、お互いどちらともなく顔を見合わせてから口を開いた。
「……なんだ、スザク」
「彼女のでないなら、あの髪の毛は誰のなんだ? ルルーシュ」
 ――あ。
 マズい。とてつもなくマズい。
「髪の毛……あ、ああ。あれはだな、その……」
「もしかしてギャンブル仲間、とか?」
「ああ! そう、似たようなもんだ。よく解ったなスザク。よく金だのピザだのせびりに来る女がいてな。多分その時に落として行ったんだろう」
「その人とはどういう関係? 賭けのお金でも貸してるの?」
「…………」
「ルルーシュ」
「――っ、そうだ! そいつは毎回一文無しで転がり込んでくるような女でな、断じて彼女とかそういう存在じゃない!」
 自白を強要してくるスザクの真顔が凄まじく怖い。そして、腕の力が半端ではないのでとても苦しい。
 限りなく嘘に近いが、一応嘘じゃない。脳内シュミレーションは完璧だ。
「ルルーシュ」
「なんだ?」
「君の人付き合いに関してあれこれ言うつもりはないけど、お金の貸し借りはよくないよ?」
 だろ? と言いながらスザクは首を傾げた。そんな仕草ですら、今はもう凶悪にしか見えない。というか笑顔が怖い。無言の重圧を感じる。いや、威圧か。これは……。
 それから、全体重かけて圧し掛かってくるんじゃない。重いんだよ! お前は俺を潰す気か!
「ルルーシュ」
「はい!」
「キスしてもいい?」
「はぁっ?」
 直球な質問に呆れてしまう。
 お前……さっきの今で、よくそんな台詞が出てくるな。一体どういう神経してるんだ? とはいえ、これは話題を逸らすための絶好のチャンス。
 だが……!
「駄目だと言ったら?」
 つい捻くれた返答をしてしまう自分に俺は泣きたくなる。
 そう。しつこいようだが、これは最後の抵抗だ。スザクが相手である以上、牽制にすらならないかもしれないが……そもそも、俺にNOという選択肢などあるのか? この状況で。
 一旦腕を放したスザクは、慈愛に満ち溢れた表情でこうのたまった。
「じゃあ、もうしない。君がいいって言ってくれるまで待つよ」
「嘘をつけ」
「うん。よく解ったね」
「――ぇ?」
 朗らかな声と共に、俺の唇はスザクにあっさり奪われた。


 ――開き直ったスザクほど、俺の手に負えないものはない。
 そうだ。スザクは絶対、俺の言うことなんかまともに聞きやしない。昔から……。こいつはそういう男だ。


 唇が離されると同時に、スザクは言った。
「ルルーシュ。君の風邪が治ったら、二回目もしようね」
「……そういうことを、か?」
「うん」
 有無を言わせぬ口調のスザクに抱きしめられた俺は、半ばぐったりしながら「好きにしてくれ」と呟く。
 

 ああ。風邪なんか、本当にひくものじゃない。
 特に、夏風邪は馬鹿がひくものだ。

夏風邪のルルーシュ 5 

※この先、大人専用です。
R20ですので折々してます。ご注意ください。


more...

夏風邪のルルーシュ 4

※畳んでませんが、BL的表現有ですのでご注意です!




 一見冷たそうにも見えるルルーシュの唇は、開かせてしまえばその中は驚くほど熱かった。
 重ねた瞬間に気付いたのは、男の唇とはとても思えないほどしっとりと吸い付いてくる上唇の感触。薄いそれの先はまるでキスを強請るように形良くつんと尖っていて、それでいて下唇はふかふかと柔らかくて、正にかぷりと吸い付くのに丁度いい按配。
 僕はちょっとした感動さえ覚えた。出来合いの凹凸だって、ここまで上手く重なることはきっと無い。
 これは決してキスとかそういうのじゃないけど、誰かとこうして唇を重ねること自体久しぶりだった僕は、思わずこのまま食べ尽くしてしまい衝動に駆られた。……もしかして僕、欲求不満なのかな。
 指先を掠める頬はすべすべしていて、小作りな顔と同じく捕らえた顎もすごく細くて、無理やり口を大きく開かせたりしようものなら壊れてしまいそうだ。
 ルルーシュの目頭だけじゃなく、僕の瞼にもかかってくる黒髪の柔らかさ。石鹸の香りにも似た、仄かな体臭。
 僕はその全てに酔ってしまったかのように、クラクラと眩暈がしてくるのを止められずにいた。
 相手はルルーシュだと解っているのに、こみ上げてくるのは脳髄が痺れていくような深い陶酔。絡んだ吐息は熱っぽく、唾液に薬の味が混ざってしまうことだけが少し残念だった。
 何もかもが、女の子とは全然違う。似ても似つかない。
 女性は、ちょっと下品なくらいで丁度いい。勿論、そういう時だけは。
 軍にいるとそういう誘いも多いから、これも付き合いだと思って割り切るより仕方ない場合もある。僕は自分から誘ったりは絶対しないし、今でこそ、そういうはしたないことはしないけど……。
 でも、当時は「別に付き合ったりするわけじゃないんだし、相手がいいって言うなら別にそれでいいや」と思ってはいた。
 女性特有の媚や浅ましさ。噎せ返るほどねっとりしたあの甘さ。
 そういった行為の際に、僕が女性に対して一番可愛く感じるものは、実はそれだ。
 当然、男のルルーシュにそんなものは感じない。それなのに、何故かずっとこうしていたくなるような……それどころかもっと奥まで荒らして、乱して、貪りたくなるようなこの感じは何なんだろう?
 乾いた土に染み込んでいく水のような心地よさに、僕は当初の目的も何もかも忘れて、うっかりのめり込みそうになっていた。
 適度に弾力があって、ふっくりしていて、それでいて滑らかで。
 ――ルルーシュの唇は、すごくすごく、気持ちがいい。
「うっ、んんっ……!?」
 舌を深く差し込んで喉の奥まで錠剤を送り届けてやると、それまで呼吸することも瞬きすることも忘れて硬直していたルルーシュはぎゅっと目を瞑ってくぐもった声を漏らし、一瞬ビクリと肩を震わせた。
 反射的に手が突き出されたものの、僕を遠ざけようとしていたその手は、絡み合う舌の感触に耐えるように僕の肩を強く掴むだけだ。
 ――飲んで、ルルーシュ。
 僕がそう思いながらルルーシュの舌の上に落とした錠剤を舌先でコロリと転がしてやると、ルルーシュはえずくように顎を二、三度上下させてから、んく、と喉を鳴らしてコクリと薬を飲み込んだ。
 僕は溶けた錠剤の苦味を散らすために角度を変えてより深く唇を重ね合わせ、絡めたルルーシュの舌から唾液ごと全て吸い取ろうときつく吸ってやる。
「んぅ、ん、ん―――」
 鼻に抜けるような声を漏らしたルルーシュが、僕の下で首を振りながら逃れようとするのを、僕は逃さないよう素早く顎を固定して押さえ込む。
 舌に残る苦味が全て消えるまで、僕は数回に渡ってルルーシュの舌を扱き続けた。すると、肩を掴むルルーシュの手がガクガクと震え出し、口の中で二度、三度と舌を動かすたび、痙攣するようにビクンと体が跳ね上がる。
「――っ、ぁは!」
 ずっと呼吸を止めていたルルーシュは、口を離した瞬間喘ぐように空気を求めて唇を戦慄かせ、引きつけを起こしたような音を立てながら息を吸い込んでいた。よほど苦しかったのか、僕のシャツを握り締めたままもう片方の手で自分の胸元を掴み、かくん、と首を傾けてせわしなく肩を上下させている。
 ルルーシュは、とろん、と蕩けた横目で僕を見た。悔しそうにも切なげにも見える眉の寄せ方。
 それを見た僕の心臓が、ドキリと跳ねる音がした。
 くったりと力の抜けたルルーシュの顔は、見ようによってはうっとりしているようにも思える顔だ。震える唇はまだ開かれたまましっとりと濡れそぼり、その隙間からピンク色の舌先を覗かせているさまは、僕の目には何故か酷く卑猥に映った。
 唾液で濡れ光る唇に、ほんのりと薄桃色に染まった頬。
 妖しく色付き、劣情を誘うように僕を見る目元。
 澄んだ菫色の瞳には涙の膜が張り、眦からは今にも潤みが零れ落ちそうになっている。
 そんな恍惚としたルルーシュの表情を見るなり、僕は自分の腰がずんと重くなるのを感じた。まずいよ。――そう思った途端、たてかましく脳内で警鐘が鳴り響く。
 僕の理性が慌ててブレーキをかける中、今までずっと僕の肩を掴んでいたルルーシュの手が、急に力を失ったようにずるりとベッドに落ちた。
「嫌だった?」
「…………」
 僕はおそるおそる訊いてみたけれど、ルルーシュは何も答えない。はあはあと息を荒げるばかりで呆然としているだけだ。
 多分、答えたくても答えられないんだろう。たった今自分がされたことについて処理し切れていないのか、それとも動揺と混乱の中で思考が麻痺しているだけなのか、途方に暮れたように精気を失った風情でしんなりと座り込んでいる。
 僕はごめん、と続けようとしたけれど、何も言えぬまま黙り込んだ。――ただ、濡れているルルーシュの唇に魅入られたまま、どうしても目が離れない。
 殴られるかと思ったのにとか、どうして抵抗しないのとか、怒らないの? とか。ルルーシュに言いたいことは山ほどある。
 でも、最早そんなことを言えるような雰囲気じゃなかった。
 だって、何? その反応。僕そんなつもりじゃなかったよ。――これは、本当に本当だ。
 すると、不意にひゅっと息を吸い込む音が響き、その次に、また引きつるような音を立てて息を吐き出す音が聞こえた。
「な……で……?」
「…………」
「……ザク……。お、おま……お前……。な、だ……? 今の……」
 ルルーシュは震える声でようやくそれだけを言い終え、最後にはっ、と短く呼気を漏らした。
 ショックが大きすぎて、呼吸さえ満足に出来ていないらしい。
 そんなつもりじゃなかったとか、これは只の事故だとか、ほんの悪戯のつもりで仕掛けただけだとか、ましてや出来心でしたなんて言える状況でもなくて。
 だって、こんな反応されるだなんて思ってもみなかった。本当に。
 それなのに、僕の目はルルーシュの唇に吸い寄せられたまま、全然離れてくれない。
 どうしよう。
 ――もう一回キスしたい。今のは絶対、キスじゃないのに。
 僕は、怯えたように瞳を揺らしながら見つめてくるルルーシュを凝視していた。
 なんで? 今、なんでって訊いた? こっちこそだよ、ルルーシュ。君、どうしてそんな風になってるの? 彼女いるんだろ? したことないの? こういうこと。
 そこまで考えてから、僕は気付いた。
 無いんだ。多分。っていうか、彼女がいるって言ってたこと自体、実は嘘?――まさか。でも、なんだってそんな嘘を?
「ルルーシュ」
 気付けば僕は口火を切っていた。何を言うつもりかも決めないで。
「……?」
 ほんの少しだけ正気を取り戻しかけたのか、ルルーシュが僕の呼びかけに一応ピクリと呼応する。――あ、まだ。まだ完全に正気には戻らないで欲しいんだけど。
 ちょっと言いたいこと、あるからさ。
「君、彼女のこと愛してる?」
 言いながら、あまりにも唐突な質問だと自分でも思ったけれど――でも、止まらなかった。
 ルルーシュはそれにも一応反応し、「……ぇ?」と掠れた声で答えながら、脱力していた上半身を僅かに起こした。
 僕はその様子から目を逸らさずに見守っていたけれど、ルルーシュは当然の如く呆けたままだ。いきなりすぎる質問に釈然としないながらも、何故今そんな話を振られているのか一生懸命考えているらしいことだけは辛うじて伝わってくる。
「あのさ、頼みがあるんだけど」
「――――」
 ルルーシュが僅かに目を見開く。これから僕に何を言われるのか、全く予想出来てないって顔だ。
 ……まあ、当然だろうけど。
「彼女と別れてくれ」
「!?」
 単刀直入な僕の台詞に、ルルーシュがこれ以上無いほど大きく目を剥いた。キスの理由も碌に説明されないまま、いきなりこんな台詞を突き付けられたら誰だって驚くよ。
 ――いや、だから。あれはキスじゃないってば。それより、僕は何を言っている? 一体何考えてるんだ? 彼女と別れろ? 
 どうして――?
 ルルーシュは必死で襲い来る動揺と闘っていた。僕は、シーツをぎゅっと握り締めているルルーシュの手を見つめながら、間の抜けた自分の思考にすかさず突っ込む。けれど、何もかも自分でもよくわからない。
 よくわからないまま、口に出すなよ。また失敗するぞ。
 心のどこかから、そんな声が聞こえてくる。……ような、気が、した。けど。
 ――知るもんか。
「僕にしなよ」
 いいや、言ってしまおう。そう思って口に出してから気が付いた。
「君が好きだ」
 僕の、これが、本音なんだと。
「!!?」
 ルルーシュはルルーシュで、きっと頭の中は大パニックだ。さすがにこれは、言われなくたって解る。
 口に出す言葉を選ぶ余裕ですら完全に消失したのか、ルルーシュは口をぱくぱくさせたまま「あ」とも「う」ともつかない声ばかり発していた。
 可哀相だな、ルルーシュ。
 他人事じゃなくて、そうさせたのは僕だけど。だから、ちゃんと責任は取るよ。ちゃんと……ちゃんとね? いや、取らなきゃ駄目だろう。だって、もう冗談でしたで済まされるような空気じゃない――って、冗談で済ますつもりもないよな? 僕は。
 それに、そもそも相手はルルーシュだし。
 えっ? でも、ちょっと待ってくれ。この雰囲気って一体……。たかだかキス一つで?……いやあれはまだキスじゃないけど! でも、幾らなんでも流されやす過ぎやしないか?
 僕じゃなくて、ルルーシュが。
 ――ん? そんなことより、僕、今なんて思ったんだっけ。ルルーシュになんて言ったんだっけ?……えっと、まだ?
 まだキスじゃないって、どういう、意味……。
 頭の中では精一杯混乱しまくっているのに、気付けば僕はまた、ルルーシュに真顔で言ってしまっていた。
「君も僕のこと好きだろ。彼女と別れて、僕にしろ」
 えええええええええええ!?
 ちょっと! ちょっと、待って! 待ってくれ! 何言ってるんだ僕、いや俺は!?
 ――と。
 自分自身が発した台詞に思いっきり動揺した僕は、今まで無意識でルルーシュに言っていたことを数秒で把握し直し、その直後にようやく正気を取り戻し、気付けばふっと笑っていた。
 なんていうか、突き抜けた。
 つまり、自分に呆れたってことだけど。
「……そっか。解ったよ、ルルーシュ。僕は君が好きだ。君の風邪なら移されてもいいと思うくらいに。君が遠慮するなら無理やりキスまで仕掛けてしまうくらいに――僕は、君を可愛いと思ってる」
「―――――」
 ルルーシュは案の定、絶句した。ルルーシュはルルーシュで、ショックとか衝撃とかいう領域を軽く突き抜けたみたいだ。
 確かに、君の常識の中では、こういう事態は絶対に想定不可能だろうね。
 あ。今、眩暈してるな、と思ったら、ルルーシュはこの世の全てに絶望したような顔であんぐりと口を開けた。そして、間の抜けた顔のままはたはたと瞬きを繰り返し――やっぱり、ぐらっと上半身が傾いた。
 後ろ手を付いてぺたんと背後にへたり込んだルルーシュは、腰を抜かして完全に自失。その直後、見るも鮮やかにかあーっと赤面していく。
 ……首まで真っ赤だ。
 見事だな、と妙に感心する反面、僕は思う。――完璧に大事故だと。
 でも実は、いつかやるんじゃないかと思ってた。
 だって……昔からずっと変だ変だと思ってはいたんだ。友達って、普通はこういう感じじゃないもんな。
 少なくとも、こんなに密接した関係なんかじゃないってことだけは確かだ。
 男の友達を、それが幾ら生まれて初めて出来た友人で、しかも幼馴染であっても、可愛いとかいじらしいとか思ってしまうなんて尋常じゃない。
 だけど無理もない。
 思えば、男だからとか女だからとかじゃなくて、ルルーシュはいつだってルルーシュだった。
 ……だから、いつかやるんじゃないかと思ってはいたんだ。ルルーシュと再会してしまってからは特に。
 近付きすぎるのは危険。「いつか僕は、まともな道を踏み外すんじゃないのか?」って。
 大体、僕も僕だよ。
 なんで気付かないんだ? 『放っておけない』って、男が恋してる相手に対して使う最もポピュラーな常套句じゃないか。
 ああ。すっごいスッキリした。ルルーシュに対してずっと感じてたモヤモヤが全部吹き飛んだ。
 そっか、そうだったのか。僕、ルルーシュのこと好きだったんだ。そういう意味で。
 ずっと保護者か兄弟か身内みたいなつもりでいたけど、ルルーシュは友達であって友達じゃない。無理して只の友達で居続けようとするから、おかしなことになるんだ。
 そんなこと無理なのに。――多分、ルルーシュにも、僕にも。
 未だ無言のルルーシュへじりじりと距離を詰めていきながら、僕は言った。
「別に返事はしなくていいよ。いつか聞かせてもらえるならそれでもいいけど、君が僕を好きなのは言わなくても解っているから。……だから、君は」
「――――」
「これから僕がすることについて、一切拒否しないでいてくれればいい」
 いいや。やっちゃおう。ルルーシュだから大丈夫だ。
 こういう信頼のされ方はルルーシュにとっては不本意の極みでしかないかもしれないけど、ルルーシュは怒っても嫌がっても最後には受け入れてくれる。……うん、これは絶対。
 だって、ルルーシュは絶対に僕のことが好きだ。この反応見れば解るよ。だから拒絶しない。今は戸惑ってても、最後には必ず僕を受け入れる。
 ルルーシュは自分でも気付いてないかもしれないし、こういうこと考える僕も大概かもしれないけど、ルルーシュの愛情には男女の垣根が無いから。
 それに、君にとって、僕は特別だろう?
 言っとくけど、僕にとっても特別だ。僕はストレートだから、こんなこと考えるのだって君に対してだけだ。
 断るなよ、ルルーシュ。僕は君に乱暴したりしない。出来ることなら優しくしたいんだから。……解っているよな?
 ああそれと、僕は、可愛くない君を可愛くするための良い方法を思いついたよ。――たった今。
「ルルーシュ、僕、決めたよ」
 僕は、全身を固く縮めているルルーシュの肩に手を置いて体重を掛ける。そして、ゆっくりと引き倒し、ベッドに寝かせた。
「君を今から、僕のものにする。反論は受け付けない。……いいね?」
「……!? ……!!?」
 横たわったルルーシュが、ビクッ! と上体を震わせた。相当激しい混乱に叩き落されたらしく、百面相になりながらあたふたとベッドに肘を付き、僕から距離を置こうと伸び上がる。
 言ったろ? 拒否するなって。
 逃がさないよ、ルルーシュ。
「君の彼女には悪いけど、きっとその彼女よりも僕の方がよっぽど君のことをよく知ってるし、君のことが好きだ。だからルルーシュ。君にも悪いけど、彼女とのことはすっぱりと諦めて、僕にしろ」
 言うなり僕はルルーシュを押し倒し、浅く短い呼吸ばかり漏らしているその唇をぴったりと塞いだ。
 ……正真正銘、今度こそ本当のキスだ。
「―――っ!? んんんっ!!?」
 途端、可哀相なくらい全身を竦ませていたルルーシュが、組み敷いた僕の下で我に返ったように大暴れし始める。
 ……けど、もう遅いよ、ルルーシュ。
 僕はやめるつもりなんて更々無い。そして君も、拒否出来ない。
 断言してもいい。君は絶対、僕に落ちる。
 何故かというと、本気を出した僕にルルーシュは結局逆らえないからだ。そしてそれは、昔から僕とルルーシュにとってお決まりのパターンだった。
 僕は普段から、ルルーシュに負けてるんじゃない。負けてやってるんだ。いい意味で。
「やっ……! やめっ! やめろスザクっ!!」
「嫌だ」
 唇を解放した瞬間、身を捩って怯え切ったように訴えてくるルルーシュに、僕は即答した。
 今更やめるとか後に引くとか、そんな選択肢なんか最初から無いよ。
「君が欲しい。だから手に入れる。もう決めたんだ」
 聞いているのかいないのか、最早逃げることしか考えていなさそうなルルーシュは、自制を完全に失ってじたばたと暴れている。
 僕は瞳に涙を浮かべながらガクガクと震え、往生際悪くのたうちながらも、何とかして僕から逃れようとしているルルーシュを無理やり押さえつけ、わざと耳元で囁いた。
「愛してる」
「―――!!」
 その刹那、ルルーシュが弾かれたように顔を上げてきた。
 綺麗な涙が一粒、ぽろっと眦から零れ落ちる。
 僕は流れた筋を辿るように舌を巡らせ、ちゅっ、と音を立てながらルルーシュの目元に吸い付いた。本当は塩辛く感じられるはずのルルーシュの涙は、僕にとっては寧ろ甘露だ。……どうしようもないほどに、甘い。
 ルルーシュは首根っこを掴まれた猫みたいに縮み上がり、全く動けずにいる。そんなルルーシュを見て、僕は思った。
 ――多分、ルルーシュはすごく快楽に弱い。気持ち良いことに対する耐性が、物凄く低い。
 何故か、そんな気がする。
 さっき薬を飲ませた時にも思ったけど、そういえばルルーシュって、案外スキンシップ好きだったりするもんな……。
 そういえば、彼女とはどこまでいってたんだろう。キスだけであんな風になるくらいだから、きっとそこまで進んだ関係ではないと思うけど。
 彼女がいる?――で? だから何だ。
『僕らもう十七歳なんだから、そういうことがあったって、普通だろ』
 僕は馬鹿だ。どうしてあんなことを許したりしたんだろう。
 大体、ルルーシュはちょっと流され易すぎるよ。さっきも思ったことだけど、まさかこうやって誰かから迫られるたびに、すぐ大人しくなって受け入れてばかりいるんじゃないだろうな。
 なんだろう……。そう考えると、自分でも少し異常だと思うくらい腹が立つ……。
 そこで、僕は更に追い討ちをかけてやることにした。
「君がそうやって泣いているのも、僕を殴らないのも、君にとって僕が特別で大切な存在だからなんだって、思っていいよな?」
「…………」
「答えて? ルルーシュ」
 僕は、とびっきり優しく聞こえる声を選んでルルーシュの耳元へと吹き込む。
 鼻先を近づけたルルーシュの首筋から、またクラクラするようなとてもいい匂いがした。この髪から香っているんだろうか。それとも、何か変なフェロモンでも出てるのか?
 そうだよ。ルルーシュの、この香りもいけない。だって、あまりにもいい匂いだ。
 これがまた僕の理性を飛ばして、たちまちおかしくしてしまうんだから。
「ねえ……早く。……お願いだ」
 僕はふわふわと揮発するソープの香りにも似たルルーシュの体臭に陶酔しながら、わざと吐息がかかるように囁きを繰り返した。
 すると、ルルーシュの細い顎が堪え切れないように、ひくん、と動く。
 そう。正気には戻らなくていいから。
 それから、余計なことも一切考えなくていい。……ただ、黙って僕を受け入れてくれ。
「……す、ざく……」
 しばらくして、ようやくか細い声が返された。
 動きを止めたルルーシュは大きなアーモンド型の瞳をうるうるさせていて、追い詰められた小動物みたいにカタカタと小刻みに震えていて。
 やばい。……すっごい可愛い。それに、なんか物凄く嗜虐心そそられる。
 気のせいかな。でも、気のせいってことにしておかないと、さすがにちょっとまずいかも。
 ……まあいいや。
 こうなったら、絶対落としてやる。誑かして蕩かせて、絶対に感じさせてやる。
 僕も男だ。相手も男だろうが何だろうが、もう関係ない――。
 僕はそう思うなり、ルルーシュの唇に吸い付いて顎を捕らえ、口を開けさせるために下へ引く。くん、と顎が下がったと同時にきつく引き結ばれていた唇がほどけ、ルルーシュがうろたえたような吐息を漏らした。
 僕はその吐息ごと飲み込むように深く舌を差込み、熱い口腔内で逃げ惑うルルーシュの舌を捕らえる。
 最初はゆるく、徐々にきつく舌を絡めていけば、ルルーシュは息を詰まらせながらポロポロと涙を零した。
「こういう時には、目を閉じるんだよ。ルルーシュ」
「や……」
「いやだ、じゃないだろ。目は閉じてろ」
「……っう」
 低い声で命令すると、ルルーシュはぎゅっと目を瞑った。
 普段なら、僕は絶対、ルルーシュに向かってここまであからさまな命令口調は使わない。ルルーシュだって、僕がもしこんな言い方なんかしようものなら、まず従ったりはしないだろう。
 けれど、全く免疫の無いことをされているせいか、ルルーシュはいつもの尊大な態度もどこへやら、信じられないほど大人しくて従順だった。
 いつもこうだったらどんなにいいか。……でも、そんな都合のいいルルーシュはルルーシュじゃないようにも思える。
 きっと僕だって、それじゃつまらないと思うのかもしれないな。
 ……ああ、そうだね。女の人が行為の時だけちょっと下品でいてくれればいいのと同じように、ルルーシュもこういう時だけ素直になってくれればいい。
 思った通りだ。――ますます可愛い。

夏風邪のルルーシュ 3

 けほ、と小さな咳の音が響いた。
 と、同時に、ルルーシュの瞼がゆうるりと見開かれていく。
「あ、起きた?」
「…………」
 現れた菫色は、天井を向いたまま心許なく揺れていた。まだ熱に浮かされているせいか潤んではいるけれど、呼吸の方は少し寝たこともあってか、さっきより幾分落ち着いている。
「大丈夫か?」
 椅子に座ったまま屈んだ僕は、足元のバスケットからミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
「喉渇いてるだろ。下から持ってきたんだ」
 まだぼんやりしているルルーシュの目前でボトルをかざしてやれば、視線をさ迷わせていたルルーシュの瞳がボトルを捉えてから僕の方へと向けられる。
 キャップを空けて「飲める?」と差し出してやると、ルルーシュはこくんと素直に頷き、布団の中から気だるげに手を伸ばしてボトルを受け取った。
「薬もあるから」
 ベッドからのろのろと起き上がったルルーシュは、ごくごくと喉を鳴らしながら水を飲んでいる。よっぽど喉が渇いていたのだろう。みるみるうちにボトルの中身が少なくなっていく。
 常の彼らしくもなく、今にもえずきそうな勢い。僕が大丈夫かなぁ、と見守っていると、ちょうどボトルの半分あたりまで一気に空けたルルーシュは、案の定口を離すなり「ぷはっ!」と息を切らしていた。
「ちょっとルルーシュ。慌てて飲まなくても、水は逃げないよ?」
 笑いながら言った僕に、はぁ、と重く息をついたルルーシュは、濡れた唇を手の甲で拭いながらようやく顔を向けてくる。
「お前……まだ居たのか」
 まだ居たのかって……。居たに決まってるだろう。
 ばつが悪そうなルルーシュに向かって、僕は肩を竦めながら言った。
「そりゃあね。だって、このまま帰るわけにはいかないじゃないか」
 拭ってもまだ湿り気の残る口元や手の甲が気にかかるらしく、ルルーシュは何かを探すように緩慢な動作で辺りを見回している。
 僕は「あ、タオル」と言いかけてから、テーブルにティッシュの箱が置かれていたことを思い出し、反射的にそこから一枚抜き取ってルルーシュに渡した。
「あ、ああ……。悪い」
 受け取ったティッシュで口元を拭い、手の甲をぽんぽんと叩いていたルルーシュは、くしゃりと丸めたそれをどこへやるともなく握り締めている。
 ゴミ箱、ちょっと遠いな。
 そう思うなり、僕は無言でルルーシュへと手を差し出していた。
「ちょうだい」
「えっ?」
「それ」
「でも――」
「いいから」
 僕はまごついているルルーシュから使用済みのティッシュを奪い取り、後方へと振り返ってゴミ箱に放った。
 固く丸めたそれは、綺麗な放物線を描きながらシュートインだ。
「相変わらず器用だな」
 驚いたルルーシュは目を白黒させている。君はまあ、こういうのは下手そうだよね――とは、さすがに口には出せないので、僕は正直に答える代わりに軽く笑っておく。
 体を起こしたせいか、ルルーシュの額に貼ってあった冷却シートの端が少しめくれかけていた。気付いた僕が貼り直してやろうと手を伸ばしたところで、ルルーシュは何故か遮ってくる。
「ルルーシュ?」
「後は自分でやるから、お前はそろそろ帰れ」
 ルルーシュはそう言いながら、自分で額のシートを貼り直している。
 まだ熱あるくせして何言ってるんだか。またいつもの強がりかと思ってルルーシュを見ていると、ルルーシュは額を押さえたまま「明日仕事だろ」と素っ気無く言い放った。
「無理だよ。だって君、まだそんな状態なのに」
「俺はもう大丈夫だ」
「…………」
 ああまた……。はっきり言って根拠ゼロだよ。
 どこが大丈夫なんだか、と思いながらも僕は黙った。そうやって、いつもやせ我慢ばっかり。まるで弱っているところを見せたがらない猫みたいだ。
 僕が強引にルルーシュの手首を掴んで引き寄せると、ルルーシュは口を小さく「あ」の形にしながら非難がましい目つきで僕を睨んだ。
 掴んだ手首からルルーシュの体温が伝わってくる。――まだ、かなり熱い。
「あっ……」
 汗で粘着力の落ちたシートが再び剥がれそうになり、押さえようとしたルルーシュが一瞬手を引きかける。
 でも、僕は離さない。めくれてきたシートの端を代わりにさっと押さえてやれば、ルルーシュは拒むだけ無駄だと諦めたのか、今度は大人しく目を閉じてされるがままになっていた。
「それ取り替える前に、まず薬飲もうか」
 手首を離してやると、ルルーシュは戸惑いを隠し切れない表情のままおずおずと腕を引き、僕に掴まれていた部分を押さえながらこっちを見つめている。
 まだ、決して納得し切れてはいないようだ。
「ほら、飲んで」
 僕は構わず薬のシートからぷつん、ぷつんと二錠取り出し、広げたルルーシュの掌へと乗せてやった。
 薬嫌いかどうかはわからないけれど、ルルーシュは受け取った薬をすぐに飲もうとはせず、掌に落ちた白い錠剤をほんの少しだけ見つめてから拳を作り、ほどなくしてまた僕へと尋ねてくる。
「だから、お前仕事は? 明日もあるんだろ?」
「言い忘れてたけど、実は明日休みなんだ」
「休み?」
「そう。メディカルチェックでね。明日までっていうか、検査結果が出るまでなんだけど」
 ルルーシュは不審そうに眉を寄せている。というより、いっそあからさまなほど露骨に顔を曇らせた。
 ――ナリタでのことは、ルルーシュには言えない。
 思い出すなり心の壁が分厚く目の前に立ちはだかるのを他人事のように意識しながら、僕は凝視してくるルルーシュから目を逸らした。
 すると、ルルーシュが急に改まったような声で「なあ」と呼びかけてくる。
「ん、何?」
「お前、もしかしてどこか悪いのか?」
「……え?」
 僕は思わず「突っ込んできて欲しくない所にばかり突っ込んでくるんだから」とぼやきそうになった。
「そうじゃなくて、定期検査だよ」
 軍のね、と続けながら、平静を装った僕はそ知らぬ顔をして明るく振舞っておく。
 新しい冷却シートを取り出してフィルムを剥がし、受け取ろうとしたルルーシュの手を避けて「今貼ってるやつ剥がして」と指示すると、ルルーシュはこれもまた大人しく額のそれを剥がした。
 ぺとり。
「――っ」
 ルルーシュが、また冷たさに首を竦めて息を飲む。さっき寝ていた時は、瞼を痙攣させていただけだったけど。
「薬、飲んだ?」
 まだルルーシュが握り締めたままなのを知っていながら僕はわざと訊く。すると、ルルーシュはむっと顔をしかめてから薬を口の中へと放り込み、水と一緒に流し込んだ。
 唇から離れたボトルの水が、中でたぷん、と音を立てる。
「はい、キャップ」
 短く告げて蓋を渡してやると、ルルーシュは一時困惑したように目を泳がせた。蓋を締めてからもボトルを持ったまま、どこに置こうかと枕元を見渡している。
「水、もういいならこっちに置いとくよ」
「…………」
 僕が手を差し出すと、ルルーシュはだんまりしたままボトルを渡してきた。僕は「それも」と、剥がした後の冷却シートも指差し回収にかかる。
 ルルーシュは面白くなさそうな面持ちのまま、指先で摘んでいたシートを僕の掌にぽとんと落とした。僕は受け取ったボトルをバスケットの中に落とし、剥がしたシートはティッシュと同じく手首のスナップを利かせてゴミ箱へと投げ入れる。
 向き直ったそこには、不満も顕にむう、と唇をへの字に曲げているルルーシュがいた。
 人の世話をすることはあっても、自分が世話されることには慣れてないって顔だな、これは。……まあ、僕は結構、君の面倒見てると思うけどね。
「ねえ、ルルーシュ」
「? なんだ」
「いつも思うんだけどさ」
「ん?」
「君、どうしてそういう顔するの?」
「……はぁ?」
 ほら、そのポカンとした顔も。……って、まあ、この顔はそこまででもないか。
 普段学校でつんと取り澄ましている時とは違って、僕と二人きりでいる時のルルーシュは、実はすごく表情が豊かだ。
 どんなアングルから見ても、どんな表情の時でも、確かにルルーシュの造作はずば抜けて整ってはいる。別にいつも繕ってろって言いたいわけじゃないし、ルルーシュにとってはこれが普通なんだってことも、一応は解ってるつもりだ。
 でも何故だろう。時々、とても残念な感じがするのは。
 なまじっか造りが綺麗なだけに、そう思うのかな。――やっぱり君、ちょっとガサツだよ。
 どうやら少しご機嫌斜めらしいその頬を、僕は冗談交じりにちょん、とつついてやった。
「何をする!」
「眉間に皺寄ってるぞ」
「……だから?」
「僕に看病されるのは嫌かい?」
「べ、別に、そういう訳じゃない……。ただ、俺は……」
「移すのが心配?」
 どもるルルーシュにクスリと笑いながら尋ねてやれば、ん、と言葉を詰まらせたルルーシュはむっつりしながら口を噤んだ。
 どう見ても図星だね、という言葉を、僕は喉の奥へと仕舞い込む。
 ……正直に言っちゃうと、そこで遠慮するくらいならもっと違う所でして欲しいかな。ねえ、ルルーシュ。
 常々感じていたことだけど、ルルーシュは遠慮の仕方がすごく変だ。
 人格自体ちょっと捻じれているから仕方ないと思うし、単なる感覚の相違と言ってしまえばそれまでなのかもしれないけど、僕はルルーシュからことごとくピントのズレた配慮をされることが多い。
 そう。例えば、今みたいに。
 というか、どうやら僕たち二人は感覚が真逆だ。僕にとって遠慮して欲しい時には全く遠慮してこないくせに、こうして遠慮して欲しくない時には遠慮する。……ほんとに、君ってややこしい奴だよ。
「それもあるが……定期検査って、具体的にどんなことを調べるんだ?」
「え?」
 突然訊いてきたルルーシュに、そんなの決まってるじゃないか、と返しかけた僕はなんとなく口ごもった。
 どうしてそんなことを訊くんだろう。具体的にって、何?
 ――けど、僕がそう思う時っていうのは、大抵相手に知られたくないことがある時なんだよな。
「本当に、どこか具合が悪いとか、そういうことは無いのか?」
 ルルーシュはぼそぼそと聞き取りづらい声で尚も尋ねてくる。
 やけに真剣な顔で訊いてくるなぁ。どうしたんだろう?
「具合が悪いのは君だろ? 僕はなんともないから、変な心配するなよ」
 なるべくあっさりした口調を選んで言ってやれば、ルルーシュは物言いたげでありながらも一応黙った。
「それならいいが……」
 ふっと目線を下げたルルーシュが、布団の上で組んだ自分の手を見ながら肩を落としている。
 なんだよ、もう。いじらしいなぁ……。
 自分の具合が悪い時にまで僕のことを本気で気遣っているらしいルルーシュの様子に、つい苦笑が漏れてしまう。
 本来なら、男が同性の友達に心配されたり気遣われたり、あれこれ過剰に世話を焼かれるのって鬱陶しいことでしかない筈なんだけど、ことルルーシュを相手にしている時にのみ、僕のそういった基準は若干の誤差修正を強いられる。
 それは一言で言ってしまえば、ルルーシュがルルーシュだからだ。
 身内に対してハッキリと過保護で甘いところのあるルルーシュは、特にそういう傾向が強い。そんなルルーシュからすれば、修正前の僕の感覚は「個人主義」に分類されてしまう訳だけど。――でも多分、僕の感覚は普通だ。
 だからこういう時、僕はやっぱり複雑な気分になるし、考えすぎとは思いつつ警戒もしてしまう。
 ……ルルーシュ、気持ちは有難いけど、君、僕を抱え込んでるような気になってやしないか?
 勿論これは只の勘でしかないけど、ルルーシュを相手にしてる時の僕の勘って、あまり外れたことは無いような気がする。
 それにしても、つくづくルルーシュは「相手イコール自分」になっちゃう奴なんだな。愛情深いというより、きっと情が深いんだろう。
 でも、いつもつんけんした態度ばかり取ってくるくせに、やっぱりこういうところは変わってないんだよな、と思うと、僕はその度にいつもルルーシュに絆されてしまう。
 とてもじゃないけど、ルルーシュ相手にすげない態度なんか取れないよ。
 本当は、人が僕のことを気にかける必要なんて無いと思うのに……。たとえ、それが友達であっても。
 それなのに、どこか捨て置けないほどの可愛らしさやいじらしさに、僕は結局負けてしまう。とにかくこう、根が優しいっていうか、健気っていうか……。
「心配しすぎだよ、ルルーシュ。僕のことより、今は自分の体調のこと考えなってば」
 自然、声音も優しく甘いものになってしまって、僕はまるで女の子と話す時みたいにルルーシュと接してしまっている自分自身に酷く戸惑うことになる。
 けれど、言いながら、心配しすぎなのは僕の方だと少し思った。……ルルーシュが、ナリタでのあの出来事について知っている筈もないのに。
 ナリタで僕は、父さんを見た。
 錯乱してヴァリスを暴発させた僕の様子に、特派の人たちもびっくりしたようだ。
 今回のメディカルチェックは通常の身体検査とは異なり、主にカウンセリングや心理テストを中心としたものになった。身体的なことではなく、心の方に問題があるのではないかと疑われたせいだ。
 でもこれは、ルルーシュにだけは絶対に知られたくない。寧ろ、ルルーシュにだけは絶対知られる訳にいかなかった。
 ――だってこれは、僕にとって最大の秘密なんだから。
「なあ、スザク」
「ん?」
「お前、やっぱり今日は帰れ」
「…………」
 僕はなんともないと言ったのに、ルルーシュは思いつめたような顔を向けてくる。……やっぱりね。引く訳ないか。
 全くもう。言い出すと思った通りのことを言ってくるんだから。
「どうして?」
 目を平たくした僕を見て一瞬はっとしていたルルーシュは、けれどすぐに真顔へと戻ってから言い募ってくる。
「どうしてって……どうしてじゃないだろ。宿題見てやるって話だったけど、それも出来そうに無いし……。それに、お前に移すのだけは絶対に御免だ。俺は、お前にそういった迷惑は、その――」
 一言区切る合間ごとにちらちらと僕の様子を伺いながら、ルルーシュはいかにも言い辛そうにぽつぽつと話した。
 どうしてそんな態度なんだろう?
 と、台詞の裏にあるルルーシュの気持ちを察した僕もまたはっとなり、そして同時に気付く。
 ……あ、そうか。
 気にしてるんだ。さっき僕が言ったこと。
「ルルーシュ」
「え?」
「僕が居たら、休めない?」
「いや、別に……」
「それとも、僕がここにいちゃ何かまずいことでもある?」
「いや、それも特に無いが――って、そうじゃない! まずいに決まってるだろ」
「何が?」
「何がって、お前な……」
 疲れ切ったとも困っているともつかない顔をしたルルーシュは、気まずそうに僕から目を逸らしたまま、頻りに何かを訴えかけては唇を閉ざす。
 その様子は、僕を後悔の渦へと巻き込むのに充分な威力を持っていた。
 言わなきゃよかった。あんなこと。頼ってるとか、甘えてるとか……。だって、ルルーシュはこんなにもプライドが高いのに。
 僕は昔から、腹を立てている時に上手く言葉を選ぶことが出来ない。行動だってそうだ。いつも思い浮かんだまま衝動的に口に出したり振舞ったりしては、こうして失敗する。
 僕は自分のそういうところが大嫌いで、でも、直せない。本当は、もっと思慮深くありたいと思っているのに。
 ルルーシュに捲くし立てた僕は、内心ひどく焦っていた。でも、なんでこんなに必死になっているんだろう?……自分でもよく解らない。
 ただ、断られたらどうしよう。ルルーシュに拒絶されたら――。
 僕の中は、その思いだけで一杯だった。さっきまでの余裕なんかとっくに吹き飛んでいる。……とにかく、不安でたまらない。
「だったらいいじゃない」
 焦燥を隠してあっけらかんと言い放つ僕に、ルルーシュは呆れた声で「はぁ?」と漏らしてきた。
「あのな、そういう問題じゃ……」
「そういう問題なんだよ。だって――」
「……だって、何だ?」
「僕は迷惑じゃない。相手は君だ。そうだろ?」
「――――」
 僕は、強引な理屈だと承知していながら駄目押ししてみる。それも、なるべく優しそうに見える笑顔付きで。
 知ってる。ルルーシュは昔から、こんな風に僕から押されると弱いんだ。
 いつもなら、大体これで負けてくれる。……ところが。
「――っ、駄目だ!」
 ルルーシュは頑として首を縦に振ろうとしなかった。それどころか、まるで聞き分けの無い子供を見るような目つきで僕をじっと見据えている。
「ええ? どうして!?」
 つい情けない声が出た。なんで今日に限って……。
「咲世子さんだって、夜中寝てなきゃ昼間は動けないだろ? 第一、君が早く良くならなきゃナナリーだって心配する!」
 僕は次第に焦れてくる気持ちをなんとか抑えて更に言い立てた。
「それはそうだが……。でも、お前は――」
 ルルーシュは矢継ぎ早に話す僕の勢いに困惑しているのだろう。若干たじろいでいて引き気味だ。
 口ごもりつつもなかなか折れてくれないルルーシュを前に、僕は苛々しながら尚も押そうとしていた。
 ここまでくると自分でも疑問に思えてくる。どうして僕はここまでムキになってるんだろう。別にいいじゃないか。ルルーシュが帰れって言ってるなら、それで――。
 ……いや、解ってる。
 これは、ルルーシュの気持ち云々の問題じゃない。――僕が、帰りたくないんだ。
 結局こうなるのか。そう思いながら、僕は自分自身に呆れたように嘆息した。要するに、また惑わされるんだ。こうやって。
 薬が効き始めているとはいえ、澄んだルルーシュの菫色はまだ少し熱で潤んでいる。線の細い肩だって余計頼りなく見えるし、夜中になったらもっと具合悪くなることだってあるかもしれない。
 複雑な事情を抱えているルルーシュは、そう簡単に病院に行ったりすることもないんだろう。だって、この辺は政庁とも近いから、病院には軍関係者の人間だってよく出入りしているんだし。
 無理して気を使ってまで僕を帰そうとしているルルーシュを放っておくことなんか、やっぱり僕には出来ない。
 さっきは色々ときついことも言ってしまったし、それに……。
「解っているだろ? ルルーシュ。僕相手に変な遠慮なんかしないでよ」
「スザク……」
 しゅんとなったルルーシュは、正に触れなば落ちなんという風情だ。……よし。多分、あと一押し。
 強がっていたって解る。ルルーシュは、本当は僕に帰って欲しいなんて思ってない。
「本当は君、ちょっと気にしてるんだろ。君が僕に頼ってるとか甘えてるとか言ったこと。だからこうやって遠慮しようとしてるんじゃないのか?」
「なっ! 俺は別に、そういうつもりじゃ……!」
 ルルーシュは気色ばんでみせはしたものの、後ろめたそうに瞳を瞬かせながらへどもどと言い訳している。
 やっぱりか、と思った僕は、黙ってルルーシュの鼻を摘んでやった。
「ぶっ、何をする!?」
「隠すなよ、ルルーシュ。君は僕に嘘なんかつけないよ」
「離せ、この馬鹿っ!」
 ルルーシュは怒りながら僕の手をぺしんと叩き落とした。でも、そうやって誤魔化してみたって態度は正直なものだ。
 それに、目は口ほどにものを言う。
 実際口にすれば反発して余計言うことなんか聞かなくなるかもしれないとは思ったけど、こうして正直に自分の気持ちを言うことにしておいて正解だったと僕は思った。
 ルルーシュは頭がいい反面、計算外のことやイレギュラーには極端に弱いから、下手に取り繕ったりするよりも、いっそズバリと本音を言い当ててやった方がよっぽど効果的なような気がしてたから。
「君は遠慮するところを間違ってるよ。こういう時はいいんだ」
「…………」
 無言になったルルーシュが上目遣いで見上げてくる。それに僕がにっこり笑いかけてやると、ルルーシュはとうとうため息を漏らしたきり沈黙した。
 これで、僕の勝ちだ。ルルーシュ風に言えば、チェック・メイト。
 僕は一息つきながら、ルルーシュが眠っていた時に考えていたことについて猛省していた。
 そうだよな。いくら頭が良くたって、ルルーシュが僕相手に隠しごとなんか出来るわけがないんだ。身内に対してはどこまでも甘い、このルルーシュが……。
 一瞬でも疑いを抱こうとした僕が馬鹿だった。――と、僕が思った時、ルルーシュは。
「いや、やはりお前に移したくない。気持ちは有難いが今日は帰れ」
「………………………」
 きっぱりした口調で、信じられないことを口にした。
 どうして君ってそうなんだ? 忍耐力を総動員したとしても、これは、ちょっと、さすがに……。
 ――なんていうか、それはないんじゃないかな。
 僕は何となく自分の目が据わっていくのを感じながら、椅子の横に置かれていたバスケットの中へとおもむろに手を突っ込んだ。
「ルルーシュ。そういえば君、まだ胃薬飲んでないだろ」
「胃薬?」
「うん。市販薬は刺激が強いから、胃薬と一緒に飲んだ方がいいんだ」
 とか何とか言いながら、実はあんまりよく覚えてないんだけど。
 僕はさっき開けたパッケージとは別の薬の箱を開封し、取り出した錠剤を手にしたまま立ち上がった。
「……? 何だ?」
 急にベッドの上へと乗り上げてから腰掛けてきた僕を、ルルーシュは不思議そうな顔をして見上げてくる。
「どうした? スザク」
「うん? いや、別になんでもないけど」
 僕は至近距離からまじまじとルルーシュを観察していた。間近で顔を覗き込まれたルルーシュが、困惑したようにじり、と腰を引く。
 気付けば僕は、そんなルルーシュを更に追い詰めるかのように、無意識にルルーシュとの距離を詰めていた。
「おい……?」
「ん、何?」
「なんだ、これは?」
「うん。何だろうね?」
 僕は、これもほとんど無意識のうちにルルーシュの体の両側を腕でホールドする。ベッドに座っているルルーシュもこれはさすがにおかしいと思ったらしく、どこか怯えたような顔をしながら尋ねてきた。
「お前……。何だろう、じゃないだろ……」
「そう?」
「ふざけてるのか?」
「さあ。どう思う?」
「…………」
 そして、僕はというと。
 ルルーシュの反応を余所に「逃げられないよね、これなら」と、頭のどこかで冷静に考えていた。
 視点が合わないほど近くから見つめていると、アメジストのように光る綺麗な紫色の瞳がぱちぱちと瞬く。宝石っていうより、なんだか飴玉みたいだ。
 ――うん。とりあえず、大丈夫そう。
「ルルーシュさ、彼女いるよね?」
「はぁ?」
 真正面で話しているせいで僕の吐息がかかったらしく、ルルーシュは一度だけ固く閉じた瞼を大きく見開いた。
「か、彼女……?」
「うん。いるだろ? この間いるって言ってたじゃないか」
「……?」 
 記憶検索中なのか、それとも言ったことを覚えていないんだろうか。まあ、ルルーシュに限ってそれはないか。
 ……どっちでもいいけど。
「安心して、ルルーシュ。これは、浮気には入らないから」
「は?」
 ルルーシュにそう言い置きながら、僕はルルーシュの口ではなく、自分の口の中へと錠剤を放り込む。
「おい、お前何して……」
 僕の手が口へと運ばれる所をつぶさに見ていたルルーシュが、驚いたように僕の目を見る。
 弾かれたように顔を上げたその瞬間を、僕は狙った。
「―――っ!?」
 喋りかけていたルルーシュの声は、僕の口腔へと吸い込まれて消えた。
 顎を捕らえて重ねた唇を深くしながら、僕は心の中で呟く。
 そう。簡単なことだ。
 ……移すのがどうしても嫌だっていうんなら、もう、移ること確定にしてしまえばいいんだろう?

夏風邪のルルーシュ 2

 氷の入った枕と冷却シート。着替えに濡れタオルを二枚。
 スポーツ飲料にミネラルウォーター。それから薬もちゃんと用意した。
 きっと沢山汗をかくだろうから、念のためにバスタオルを一枚と、換えのシーツも一枚。……あと、洗面器。
 さっき胸をさすっていたから、もしかしたら吐き気も少しあるのかもしれないし。
 とりあえずこれでいいかな、と荷物をまとめた僕は、バスケットの中身を一つ一つ確認しながらルルーシュの部屋へと続く階段をゆっくりと上っていく。
 汗、かいているといいけど。熱を下げるためには発汗させなきゃいけないから、まずは水分を沢山摂らせた方がいい。
 ……でも、飲めるだろうか。ルルーシュまだ起きてるかな。
 とは言っても、寝ていなきゃ駄目なのも事実なんだけど。
 僕は少し反省していた。さっきはちょっと言い過ぎた。本当に具合が悪そうだったのに。
 人は心配すると怒るって、本当だったんだな。
 ルルーシュが何を差し置いてもナナリーのことを最優先に考えるのは、昔からお決まりのパターンだ。いつもそれで無理ばかりして、自分のことを全て棚上げにしてでも常に妹のことばかり考えて。
 彼らの境遇を思えば、それも無理からぬことなのかもしれない。ただでさえ、たった二人きりの兄妹だ。
 ――でも、と僕は敢えて思う。
 何かと不安定なルルーシュを陰日向となって支えているのは、本当はナナリーの方なんじゃないのかと。
 昔は違っていたけど、今のナナリーは、体のことさえ無ければルルーシュと離れて暮らすことだって出来るのかもしれない。
 離れたが最後、生きられなくなるのはルルーシュだ。
 だから、僕の目にはこう映る。
 本当はナナリーのためというよりも、ルルーシュが自分自身のために彼女を過保護にしているのだと。
 ルルーシュにとってたった一人の肉親である妹が、決して彼自身から離れていこうとしないように――。

 部屋に入ると、少しだけ空気が篭っていた。
 僕はドアの横にあるエアーコンディショナーの換気スイッチを押してから、ベッドの方へと歩み寄る。
 ルルーシュは苦しげに胸を上下させながら眠っていた。薄く開いた唇から漏れ出す息が、少しだけ荒い。
 足元を見回した僕はちょっと考えてから、手持ちのバスケットをベッドサイドに置かれた椅子の横に置いた。
 暑くて寝返りでも打ったんだろうか。ルルーシュを見ると、首元まで覆った筈の布団が乱れて肩が露出している。
 肌蹴たシャツの襟ぐりからそっと手を差し入れると、ルルーシュの肌はうっすらと湿り気を帯びていた。
 ……良かった。汗かいてる。
 ほっと一息ついた僕は、床に置いたバスケットの中から濡れタオルを取り出し、汗で貼りついたルルーシュの前髪をかき分けてから丁寧に額を拭った。掌で湿り気を軽く抑えてから冷却シートのフィルムを剥がし、落ちてくる髪を抑えながら額にぺとりと貼り付けてやる。
「……っ」
 すると、ルルーシュの瞼がピクリと動いた。きっと冷たかったんだろう。
 目を覚ますかと思ったけれど、ルルーシュの瞼は開かない。一度緩やかに息を吐き出したその後は、心地よさそうな顔ですうすうと穏やかな寝息を立てている。
 水分も取らせたいし、熱だって計ってやりたい。それに、薬も飲ませなきゃ。
 あれもこれもと忙しなく考える中、僕の手が唐突にはた、と止まった。
 ……放っておけとか言われたって、こんなにも頼りないのに出来るわけないじゃないか、そんなこと。
 意地っ張りだし、頑固だし、全くもって目が離せないような面倒くさい性格してるくせして、いつも憎まれ口ばっかり叩くんだから。
 時々、本気で腹が立つよ。ルルーシュ。
 子供の頃から思ってたけど、ホント、君って可愛くないよな。ちょっとは素直になってくれ。いつもこうやって、何かと僕を巻き込んでは困らせてばかりいるくせに。
 ルルーシュはあくどくなった。再会してからは特に。
 真面目に来いと言っているのに、学校には全然来ないし。それも、来ている時にまで平然と授業をサボろうとする。
 出てたら出てたで寝ているし、裏社会の賭けチェスなんて非合法のギャンブルには手を出すし。
 不良の元皇族なんて、聞いたことがないよ。
 しかも、逃げたと気付いた僕が追いかけてくると解っていてサボろうとするところが特にあくどい。
 君、絶対に楽しんでるだろ。
 生徒会の皆も、ルルーシュのことで何か困ったことがあったら、とりあえず僕に訊けばいいと思ってる。
 言っておくけど、僕はルルーシュの友達ではあってもお世話係じゃない。幾ら幼馴染とはいえ、別に四六時中一緒にいるわけじゃないんだから、何かある度にルルーシュのことを僕に訊かれても困るよ。
 ……いや、悪いのは皆じゃない。ルルーシュだ。
 大体、普段から出席日数少ないくせして、どうして学校来てる時にまで屋上で電話なんかかけているんだ? 一体、どこの誰と話してるんだよ?
 それに、気になることもある。
 出先から電話をかけてくる時、ルルーシュがその所在について話してくれたことは一度もない。
 最近は特に、その秘密主義ぶりに拍車がかかってる。一体どこから電話をかけてきているんだろう? それに、昼も夜も出掛けているようだけど、君はいつもどこで何をやっている?
 少なくとも、賭けチェスなんかじゃないよな。
 だって、リヴァルから聞いたんだ。「最近付き合いが悪い」って――。
 確かに、ルルーシュは僕に対して「一緒に授業をエスケープしよう」とは一言も言っていないし、面倒を見てくれと頼んできたことだって一度もない。
 ……そう。結局、巻き込まれることを自主的に選んでるのは、いつも僕だ。
 選んでるんじゃなくて、本当は選ばされている。多分そう言った方が正しい。
 ルルーシュはいつも僕を惑わせる。――今日だって、君は無意識に僕を頼ってた。
 君は、本当は知っているんだ。どういう時にどうすれば僕が動くのかちゃんと知っていて、いつも好き放題に振舞ってから「後のことは任せた」みたいに頼ってくる。すごく勝手だ。
 僕はその度に「あ、また!」って思って、そして何だかんだで君に従ってしまう。
 不本意ながらも、必ず面倒を見てしまうんだ。まるで身に染み付いた習性みたいに。
 別に、それが嫌って訳じゃない僕も大概だけど……君は魔性だよ。時折、僕を弄んでいるのかと思うことさえある。
 ずるいよ、ルルーシュ。
 僕は普通の友達でいたいのに、君はいつだってそうはさせてくれない。
 自分が僕を頼ってるってことについては絶対認めないくせに、君は解っているんだ。君を放っておくことの出来ない僕の気持ちを。
 そして振り回す。かき乱すんだ。いつも。
 ……やっぱり、君は僕に甘えてる。
 どう考えても、遠まわしに構われたがっているとしか思えない。
 今日だって――。
 と、そこまで思いかけた僕は、それ以上考えるのをやめておいた。だって、こうして挙げ出したらきりが無いから。
 はあっと大きなため息をついた僕は、力無く横たわるルルーシュをまんじりともせず見つめた。
 無茶ばっかりするんだから。
 この分だと、しばらくは目を覚ましそうに無いな……。だったら、首にも冷却シートを貼った方がいいか。
 あ。でも、その前に氷枕を当ててやらなきゃ。熱、少しは下がったかな。
 確かめるために触れたルルーシュの首へと目をやった僕は、ふと気付く。
 ……細いなぁ、ほんとに。ちょっと力を入れただけで折れてしまいそうだ。
 口を開けば毒ばかり吐くくせに、眠っているルルーシュの顔は性格とは真逆と言ってもいいくらいにあどけなくて、どこか無防備で、いっそたおやかにさえ見えてきて。
 なんだか、妙に保護欲を誘われてしまって本当に困る。
 全く、顔が良いって得だよ。
 性格はひねくれてるくせして、寝顔は可愛いなんてちょっと反則だ。
 いつも思うことだけど、とにかく放っておけない。まるで世話の焼ける弟のような、それでいて、僕より年上なのに手のかかる兄のような……。
 そして、時として母親のような愛情深さで接してくる、僕の大切な友達。
 ――それなのに、そんな君と一緒にいる時の僕は、本当はちょっとだけ複雑だ。
 普段ひんやりと冷たいルルーシュの体温は、今は子供のように高くなっている。ルルーシュの首から手を離した僕は、持ち上げた後頭部を支えながら枕を引き抜き、持ってきた氷枕と入れ替えた。
「ん……」
 ぐったりしたまま、ルルーシュが小さく呻く。
 僕は長い睫が震えているさまを見下ろしながら、これは学園の女の子たちがこぞって騒ぎ立てるのも無理はないな、となんとなく思った。
 ルルーシュは昔から並外れて人目を引く姿の良い子供ではあったけど、成長してからは容姿の良さにも磨きがかかって、とんでもない美人になっていた。
 君にとっては、目立つのなんか困ることでしかない筈なのにね。
 まるでビスクドールのように整ったルルーシュの寝顔を見下ろしながら、僕は思わず苦笑した。
 ……それにしても、可愛いなぁ。こうして静かに眠っていると、本当にお人形さんみたいだ。
 君はもう、ずっとそうやって眠ってたら? その方が、僕もよっぽど安心出来るんだけど……。
 引き上げた布団を肩の上まで被せてから椅子に腰掛けた僕は、心の中でルルーシュに語りかけながら思い出す。
 かなり苛めていたなぁ、小さい頃は。何かというと、すぐ「男のくせに」って。
 ……ああ、さっきも言ってしまったか。
 まあ、それは、子供の頃に言ったのとはまたちょっと違う理由で……つまりは、さっき僕が思ってたような理由なんだけど。
 でも、決してそれだけじゃなくて――。
 枕の中の氷がカラコロと音を立て、傾いたルルーシュの顔が僕の方へと向いてくる。
「う、ん……っ」
 魘されているようなその声に、ルルーシュが目覚めたのかと思った僕はハッと我に返った。眉を寄せたルルーシュが、寝苦しそうに首を捩らせながらこくりと喉を鳴らしている。
 喉が渇いているんだろうに、起きられないのか。
 どうしようかな。本当は早く薬を飲ませた方がいいんだけど、せっかく眠っているのにわざわざ起こすのも可哀相な気がするし……。
 目覚めるのを待つべきか、それとも薬を飲ませるために無理にでも起こすべきか。
 そう思いながら何気なく室内を見回した僕の目に留まった物は、机の上に置かれたルルーシュのパソコンだった。
「――――」
 僕は一体、何を考えている?
 止まったまま動かない目を無理やりパソコンから引き剥がし、僕は安らかな寝息を立てているルルーシュへと視線を移し変えた。
 邪気の欠片もない綺麗な寝顔。
 すっと通った鼻梁に、抜けるような白い肌。ルルーシュは男だと解っているけど、僕はつい見とれてしまう。
 同性だったとしても綺麗なものは綺麗だし、美人は美人だ。勿論、ルルーシュにそんなこと言おうものならこっぴどく怒られてしまうんだろうけど。
 いっそ場違いなほどどうでもいいことを考えながら、僕はルルーシュを見つめていた。
 不意に、チクリと胸が痛む。
『軍の助けは借りない!』
 ついさっきルルーシュが叫んだ台詞が、耳の奥でまだ尾を引いていた。
 やっぱり君は、僕が軍属でいることを嫌がっているんだよな。普段僕の前では口に出さないようにしてるってことも、僕は知っている。
 君が今まであの国にされてきたことを思えば当然だろうけど、君は今でも、具合の悪さも忘れて飛び起きるほどにブリタニアを嫌ってて、憎んでいるんだろう。
 それこそ、容易く口になんか出せないほどに強く、激しく。そして根深く。
 僕の中で、つい数日前、ルルーシュに言われた言葉が蘇る。
『シズオカ工場か?』
 借りていた数学のノートを返しに来た時、明日から出張だと言った僕にルルーシュが訊いてきた言葉だ。
 どうして知っている? 僕はあの時そう思った。
 剣の取れたルルーシュの寝顔をじっと見つめながら、僕は心の中でルルーシュに問いかける。
 ルルーシュ。……君は、軍のことを調べているのか?
 ――何のために?
 あのパソコンの中身を覗いてみれば、少しはわかるんだろうか。再会してから、昔よりもずっと秘密主義になった君の秘密が……。
「彼女を心配させちゃうよ、ルルーシュ」
 頬にかかった艶やかな黒髪を掃い除けてやりながら「早く治さないとな」と心の中で呼びかけたところで、僕はまたも気付く。
 緑色の、長い髪をしているらしい、ルルーシュの彼女。
 そして、ナリタに現れた拘束衣の女。
 その女の長い髪の色も、確か緑色だった、と――。
 突然よぎった自分の考えに、僕はギクリと心臓を縮ませた。
 まさかな。ありえない。僕は自分にそう言い聞かせながら、無理やり思考を断ち切るように目を閉じる。
 ……ルルーシュ、ごめんな。僕は、君に嘘を吐いている。
 技術部所属だと言ったのは確かに嘘じゃないけれど、あのランスロットに乗っているのが本当は僕なんだと知ったら、君は一体どう思うだろうか。
 君が秘密主義に徹しているのも、きっと僕のせいなんだろう。
 僕に一線引かれている。君は、本当はそう思ってる。
 僕は知っているんだ、ルルーシュ。
 君が時々、酷く寂しそうな目で僕を見つめているってこと。
 君は僕に気付かれていないと思ってるかもしれないけど……馬鹿だな、ルルーシュ。気付かないわけないだろう?
 君は意地っ張りだから素っ気無く振舞っているけど、本当は、僕の存在が遠くなってしまったように思えて寂しいんじゃないのか?
 昔の俺なら迷うことなく、何よりも誰よりも、まず友達の気持ちを優先しただろう。
 だけど今の僕は、昔の俺と同じであっちゃいけない。個人的感情よりも、組織の論理を優先しなくちゃいけない。
 ――いや、そう出来る人間になっていなければならないんだ。
 君は尋ねてこようとしないけど、敢えてその話題には触れないようにしてくれているけど、僕がどうして軍に入ったのか、本当は疑問に思っている。
 もしかすると、裏切られたような気持ちにさえなっているのかもしれないな。
 ……でも、その理由について君に話してやることは、絶対に出来ない。
 だから、たとえ君が僕に何か言えない秘密を隠しているのだとしても、僕にそれを責める権利は無いんだ。
 だって、僕も君に対して、どうしても隠しておかなければならない秘密を抱えているんだから……。
 ルルーシュ。
 君が好きだよ。……大好きだ。
 でも、遠慮がちな気持ちを隠しながら誘ってきては、僕がここへ来る度に喜ぶ君を見て、僕は少しだけ不安になる。
 そして、苛々するんだ。七年前と全く同じように接してこようとする君に。
 酷いよな。『俺』は。
 こんなにも君のことが大好きなのに。別に、遠ざけたいなんて思ってる訳じゃないのに。
 もう二度と、君に会うことは出来ないと思っていた。だから僕は、君との再会を果たしてから一つだけ心に決めたことがある。
 今の僕が置かれている状況は、とても特殊だ。
 僕を君と同じ学校に入学させてくれた人は、誰だと思う?
 ユーフェミア皇女殿下なんだよ。――君の、腹違いの妹だ。
 元々ただの一平卒でしかなかった僕の周りには、今や考えられないほど高位の人たちが集っている。……だから僕は、上を目指すよ。中からブリタニアを変えていくために。
 そしていつかこの国を取り戻して、君と……君たち兄妹にとっても住みやすい、命を脅かされる危険のない平和な国にしていくんだ。
 ……僕は、いいんだ。
 たとえ裏切り者と呼ばれても、人殺しだと罵られたとしても。――だって僕は、元々罪人だから。
 だからね、ルルーシュ。
 この願いが叶う日が、いつになるかは解らない。もしかしたら、僕や君が生きているうちには果たせない夢なのかもしれない。
 それでも、見守っていて欲しい。
 守るから。必ず。
 いつかきっと、君たちが幸せに暮らしていける世界を僕が創るから。
 だから、それまで待っていて欲しい。早まったことだけはしないでほしい。
 ゼロなんかに惹かれたりしないで。危ないことには踏み切ろうとしないで。……どうか、思い切らないで。
 頼むから、お願いだから、どうか大人しくしていてくれ。

 ――そして、絶対『こっち側』には来ないで欲しい。


『まさか。ナナリーを泣かせるようなことはしないよ』

 ルルーシュ。
 僕はその言葉、信じてもいいんだよな?
 ……信じているから。
 だから、裏切らないで欲しい。絶対に。――僕の、この想いを。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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