オセロ 第24話(スザルル)

24


 四度目の吐精を果たしたルルーシュが、ベッドに深く沈み込みながら荒く息を吐き出した。
 濃密に流れる空気の中、同じく荒い息を吐いたスザクが隣で寝転びながら、ルルーシュの頭をくしゃくしゃと撫でてくる。
 途中で何度も意識が飛びかけたが、スザクはその度に強い刺激を与えることでルルーシュの意識を呼び戻した。
 ここまで激しい交わり方をしたことなど一度も無い。一年前とは大きく異なるスザクの抱き方は、まさしく抱き潰すという表現に相応しいものだった。
「ようやく言ったね」
「……何がだ」
 くったりと枕に顔を沈めたままうつ伏せていたルルーシュが気怠そうに尋ねてみると、肘を枕にして仰向けになっていたスザクはつらっとした顔で「僕と寝て『いい』って言わなかったの、今までで君だけだから」と呟いた。
「大した自信だな。……お前はどこのジゴロだ」
 ご大層な台詞に呆れてしまう。経験豊富なのは疑いようも無い事実なのだろうが、自分で言うことでもないだろう。
 スザクは背中を軽く揺らしてふっと笑ったルルーシュには一瞥すら寄越さず、ただ茫洋とした眼差しを天井へと向けたまま続けてくる。
「只の事実だよ。君が他の人たちに比べて素直じゃなかっただけだ。……そういう意味でも、君は僕にとって初めての人ってことになるのかな」
 不本意だけどね、と付け加えたスザクが、ごろりと体を転がしてルルーシュの方へと向き直ってきた。
「そういう意味でも……?」
 ルルーシュは付いた肘で頭を支えながら髪に触れてくるスザクへと訊き返した。スザクにとって、まだ何か初めてのことが他にもあるような口ぶりだ。
 激しい情事の名残で潤んだままの瞳を向けてきたルルーシュへと頷きながら、スザクはルルーシュの髪に潜らせた指で優しく梳く動作を繰り返す。
 汗ばんだ頭皮に触れられるのが何となく嫌で、ルルーシュはこそばゆそうにスザクの手を避けようとしていたが、気にせず弄られているうちにどうでも良くなって、好きなように毛先で遊ばせてやることにした。
 ――ふと、スザクが幼い頃、将来床屋になりたいと言い出すほど、人の髪を触るのが好きだったことを思い出したからだ。
「君と一緒に居ると、初めてのことばかりだ。知りたくなかったことばかり知らされるし、経験のないことにばかり遭遇させられる。君がもし、僕のことを少しでも酷いと思ってるとしたら、それは全部君の所為だよ。ルルーシュ」
 スザクの台詞を聞きつけたルルーシュが、また呆れたように笑った。
「そう言い切るお前の方が酷いだろ」
 ルルーシュの脳裏に、唐突に一年前の記憶が蘇った。
(まさかこいつが、俺と同じことを考えるようになるとはな)
 初めて体を重ねた翌日にルルーシュが思ったことと同じことを考えているスザクが、ルルーシュには少し可笑しく感じられた。
 思い出し笑いしているルルーシュを見て不審そうにしているスザクへと、伸び上がったルルーシュは自分から口付けていく。
 両頬を挟み込むようにして唇を合わせていると、スザクはルルーシュの両手を取り上げてベッドに縫い付けながら、また押し倒して貪ってこようと舌を絡めてきた。
「ん、馬鹿……も、無理だっ……」
 一度目が終わった時ですらそう思ったのに、その後、立て続けに三回も求められたルルーシュは既にへとへとだった。
 体を捩るルルーシュに体重をかけて押さえ込みながら、スザクは感じやすい首筋や耳元ばかりを責めてくる。
「や、めっ……! 殺す気かお前は!」
 さすがに苛々したルルーシュが睨む眼差しの鋭さを強めて鬱陶しげに毒づくと、悪戯っぽく目を細めたスザクは「まだ足りないのかと思った」などと呟きながらもう一度口付けてくる。
「んんっ、だ、からっ、も、やめ……っ!」
 スザクの後ろ髪をぎゅっと掴んで無理やり引き離したルルーシュは、咄嗟に抱えた枕を盾にしてスザクから逃げた。
「何だよそれ。随分可愛い抵抗だな」
「そういうことを言うのはもうやめろ、この馬鹿が! 俺は男だぞ!」
 行為の最中にも耳が腐るほど聞かされた形容だ。抗議の意味も兼ねて怒るルルーシュを抱き寄せたスザクは、腰と背中に回した腕でルルーシュの体を自分の上へと乗せながら、渋々「解ったよ」と呟いた。
 両腕でいとおしげにぎゅっと抱きしめてくるスザクに一瞬重くないのだろうかと思ったが、ルルーシュはスザクの胸に頬を乗せたまま無言で心臓の音を聞いていた。
(暖かいな……)
 とくん、とくん、と鳴り続ける心臓の音が心地いい。
 ……だが、これは嘗て、ルルーシュが一度は殺そうとした男の鼓動なのだ。
 撃ち合った時のことを思い出したルルーシュは、辛そうに眉を寄せたまま瞼を閉じた。
(お前が生きていてくれて、本当に良かった)
 殺さずに済んで、本当に――。
 身勝手な考えだと重々承知している。だが、例えそう思うことですら勝手なことだと解っていても、死にたがりのスザクが今も生きてくれていることに感謝せずにはいられない。
 決して伝えられない言葉を心の中で呟きながら、ルルーシュはスザクの胸の上で震えそうになる手を強く握り締めた。
(もしこいつを殺していたら、俺は……)
 充分過ぎるほど有り得たIfについて考えるだけで、全身に震えが走る。
 もしもあの時、スザクを喪っていたら。
 ――もし、永遠にこの温もりに触れられなくなっていたとしたら。
 そこまで考えて、ルルーシュは思考をストップさせた。……これ以上はもう、想像すらしたくない。
 スザクに向けて放った銃弾。この男がそれを避けてくれたからこそ、スザクは今も生きている。心臓を動かし、呼吸をして、力強い腕でこうして抱きしめてくれもする。
 けれど、それを良かったとしみじみ思う自分を俯瞰しているもう一人の自分は、やはり今も酷薄な笑みを浮かべながらルルーシュの想いを嘲弄していた。
 ――いつもそうだ。
(スザク。それでも俺は、お前を殺したくない。失いたくない。例えこの先、俺たちの間にどんな事があったとしても……)
『生きろ』とスザクに命じたあの時と同じ強さで、ルルーシュは願った。
 屋上で犯された後に抱きしめられた時には、暖かいとも冷たいとも感じられなかったスザクの体温。
 それなのに、今は身に染み渡るように暖かい。――こんなにも。
(敵同士だというのにな。今の俺たちは)
 弛んでいるし、爛れていると解ってはいる。
 けれど、つくづく堕落した関係だと解り切っていても尚、離れられないし離れ難い。
 出来ることなら、このままずっと溺れ続けていたかった。
(駄目だ……)
 ふと、閉じた瞼の裏が熱くなり、ルルーシュは堪えるように強く歯を食いしばった。
 ――スザクが好きだ。今でも。こんなに。
 ただ自覚するだけで、涙が零れそうになってしまうほど。
 覚悟など疾うに決めている。それでも、このスザクと敵同士という事実を受け入れられず、現実を直視するだけで崩れ落ちてしまいそうになる。
 ルルーシュは冷静にならなければと思い直した。
(感傷に耽っている暇など無いだろう。今の俺には)
 一時的な感情に揺り動かされている場合ではない。ナナリーを取り戻し、あの男――皇帝を打ち倒し、ブリタニアという巨大な帝国を破壊するまでは、決して立ち止まることなど出来はしないのだから。
 けれど――。
 例え冷酷な悪魔であっても、人を愛する悪魔だって居てもいい。
 とことん勝手な生き様を貫こうとするのであれば、尚更だ。
 そう思いながら、ルルーシュはスザクに問いかけた。
「そういえばお前、前に違和感が無いって言ってたな」
「……君と寝て?」
「ああ。後悔してないかとしつこく訊いてきた後に」
 平然と問いかけたルルーシュが、もう大丈夫だと思ったその時。
 ルルーシュの眦に溜まっていた潤みがぽろりと一滴、スザクの胸元へと零れ落ちた。
「……っ!!」
 ぽたりと落ちてきた水分に気付いたスザクが、はっとしながら体を起こそうとする。
「ルルーシュ? ――君、もしかして泣いてるの?」
 息を飲んだルルーシュは顔を背けたまま慌ててスザクの体から降りようとしたが、すかさず伸びてきたスザクの手に顎を取り押さえられ、仰向けに転がされて無理やり顔を上向かせられてしまう。
「やめろ! 見るな!」
「どうして泣いてるの?」
 覆い被さって顔を覗き込んできたスザクが、困惑した表情で訊いてくる。
 一度は堪えようとしたのに、失敗してしまった。
(情けない……!)
 よりにもよって、スザクの前で泣いてしまうとは。
 生理的に流れるものとは全く質の異なる涙に羞恥と自己嫌悪を隠し切れず、ルルーシュは悔しげに唇を噛み締めながら手で口元を覆った。
 その間も、零れ落ちる涙は留まることすら忘れたように頬を濡らし続けていく。
「ルルーシュ……」
 スザクに震える声で名を呼ばれ、背中に潜らせた腕で突然強く抱きしめられたルルーシュは息が止まりそうになった。
「どうしたの」
「だからっ……! 何でもな、」
「嘘だろそんなの」
 強い口調で遮られると、もうそれ以上何も言えなくなる。
 ルルーシュは無言でふるふると首を振った。涙腺は完全に決壊してしまったのか、涙は次から次へと頬を伝い、堰を切ったように溢れ出してくる。
 泣いている理由など言いたくない。――言えるものか。
 こんな弱い姿は見せたくない。ましてや、スザク相手に本音を漏らすなど言語道断だ。
(馬鹿か俺は! こいつ相手にこんなことで弱みを見せてどうする!)
 今のスザクは敵なのに――。
 顔を見られないようにスザクの肩口へと顔を埋めたルルーシュは、忘れる訳にはいかないと自分に言い聞かせながら、やっとの思いで切り出した。
「思い出した、だけだ……。昔の……一年前の、ことを……」
 当然これは只の言い逃れであり、その場凌ぎの嘘に過ぎない。
 けれど、重なり合った体に違和感が無く、生まれた瞬間に分かたれた半身のようだと思ったのは本当だった。
 だから、この言葉の半分は本当で、もう半分は嘘。……スザクとはいつも、そんな風にしか話せない。
 本当は、ただ伝えたかっただけなのに――出てくる言葉は嘘ばかり。
 一年前からずっと、身に染み付いたこの癖だけは変わらない。
 しかし、スザクは「そうか」と頷いた後、辛うじて聞き取れるくらいの微かな声で、小さく「ごめん」と呟いた。
「何故謝る」
 顔を伏せたまま尋ねると、スザクはルルーシュの額に当てた手で顔を上げさせ、涙の滴るルルーシュの頬へと口付けてから再び強く抱き締めてくる。
「君を拒絶する理由なんか今の僕には無いよ。……それでもまだ、僕が怖い?」
「……馬鹿を言え。怖くなんかない」
 ルルーシュは「誰が」と気丈に呟いたものの、耳元に落とされたスザクの囁きはこの上なく優しかった。
(それは誤解だ。スザク)
 スザクは明らかに、ルルーシュが流した涙の意味を取り違えていた。
 嘘の答えに、まともな返事など必要ないのに。
 沈黙したルルーシュへと向き直ってきたスザクが、あやすように背中を撫でながら何度も口付けを降らせてくる。
「泣かないで……。好きだよルルーシュ。八年前からずっと、君だけを愛してる。だって君は、初めて僕を救ってくれた人だもの」
「え……?」
 スザクは唇の上に溜まっていた涙の粒を吸い上げながら、不思議そうに訊き返したルルーシュの手を取って自分の頬へと当てていた。
「あの雨の日にだよ。……わかるだろ?」
「…………」
 それを言うなら逆だろうと言いかけたルルーシュだが、寸でのところで踏み止まった。
 救うどころか、ルルーシュは果てなく続く懺悔と後悔の闇へとスザクを叩き落とした張本人の筈だ。
「いや、そうじゃなくて――君は、僕が生まれて初めて救いを求めた相手だったから、かな。……だから君は、僕にとっては恩人のようなものでもあるんだよ。ルルーシュ」
 スザクは少し考えてから、改めて言い直してくる。
 一年前、初めて学園に入学してきたスザクの言葉を、ルルーシュは唐突に思い出した。
『七年前の借りを返しただけ』
 二人きりの屋上で、スザクが口にした台詞だ。
 流れる涙に泣き濡れながらも、ルルーシュは徐々に冷静さを取り戻し始めた。
 記憶が過去へと立ち戻り、冷えた思考でクリアになった頭が冴えていく。
(本当は、その時のことではないんだろうがな)
 いや、たった今スザクが口にした通り、もしかするとその時のことも含めてなのかもしれないが。
 スザクが父を殺し、『俺』から『僕』へと変貌を遂げたその日以降、ルルーシュたち兄妹は枢木の別邸へと身柄を移され、数日後、学校を辞めたスザクも二人の後を追うようにしてやってきた。
 ……あの、肌身離さず傍らに置いていた木刀だけを携えて。
(あれはギリギリの質問だったな)
 三日前、屋上でスザクが木刀を携帯するようになった理由について言及したことを思い出し、ルルーシュは一瞬ひやりとした。
 スザクはルルーシュたちを誘拐しようとした者たちに、たった一人で立ち向かって行ったことがある。
 ルルーシュたち兄妹を先に逃がし、大の大人数人を相手に木刀一本で果敢に挑んだスザクだが、とうとう打ち負けて取り押さえられたその時、間一髪で戻ってきたルルーシュが策を弄して彼らを追い返したのだった。
 ――スザクの言う『七年前の借り』とは、その時のことだ。
 今のルルーシュに、一年前屋上でスザクに言われた台詞に関する記憶は残されていない。
 だが、八年前の悲劇を詳細に知らされた今、もう何もかもに気付いていた。
 枢木ゲンブが死去した後も、皇族だったルルーシュたちの立場は変わらない。例え皇位継承権を剥奪され、既に廃嫡させられていたとしてもだ。
 首相が亡くなったことを知ってからは、おそらくキョウト側に属していた誰か――恐らく藤堂辺りだろう――が首相代理を務めていたに違いないが、基本、ルルーシュたちを始末したい方向そのものに変わりは無かっただろう。
 確かに、ルルーシュたち兄妹を誘拐しようとしたのはアッシュフォードの者たちだったが、そもそも彼らがルルーシュたちを誘拐しようとした動機は、皇位継承権を持つ他の皇族と繋がりのある貴族たちが、ルルーシュたち兄妹へと差し向けた刺客から守る為だった。
 ルルーシュたち二人より遅れてやってきたスザクが片時も木刀を手放さなかったのも、これらの事情をどこからか聞きつけ、周囲の大人たちを信用出来なくなっていた所為なのだろう。
 皇族でないルルーシュたちの命を、貴族が狙うことは無い。
 だが、改竄された記憶によって一般人ということにされているとはいえ、スザクによってゲンブが殺害された時点で、ルルーシュたちの命を狙う者は居なくなったかといえば、答えはノーだ。
(てっきりあの男の差し金かと思っていたが……。しかし、日本側でそういう動きがあったのなら、裏で貴族どもを嗾けていたのは桐原本人だな)
 ゲンブがルルーシュたちを始末するならそれでいい。
 だが、スザクがゲンブを殺してしまったことにより、計画が狂った彼らは別ルートを用意して始末しなければならなくなったという訳だ。
(いや、奴らがゲンブの目論見に気付いていても、いなかったとしても、元々俺たち兄妹を殺すつもりだったこと自体に変わりはない、か……。目的は別にしても、奴らが同じことを考えていたのだとしたら、ゲンブが俺たちを殺そうと画策する前から根回ししていた可能性の方が遥かに高いな)
 別邸に移ってから襲われた記憶が、何故そのまま残されていたのか。
 杜撰な改変具合だったとはいえ、ルルーシュ自身おかしいと思いつつも曖昧なまま口にした台詞だった。
(自分がしたことで無ければほったらかしとは。あの男……余程俺から恨まれたいらしいな)
 ルルーシュは心の中で憎々しげにひとりごちた。
(本を糾せば、この俺に恨まれず、反逆もさせない為に書き換えた記憶だろうが)
 貴族に狙われることの無い一般人としての記憶しか持たない筈のルルーシュが、何故ゲンブ死亡後もスザクがルルーシュたちを守ろうとしていたことに気付けたのか。
 キョウトとゲンブとの確執について打ち明けられる前に、万一その点に関してスザクに勘繰られでもしていたら、それなりに面倒なことにはなっていたかもしれない。
(まあ、答えようと思えば幾らでも答えられることではあるがな……)
 言い訳など、軽く十数通りは思いつく。
 当時、本格的な開戦を待たずして、ブリタニア軍は既に日本への侵略を開始していた。国土は蹂躙され、焦土と化し、比較的安全な別邸へと避難させられていたルルーシュたち兄妹とスザクの周囲も、決してその例外ではなかった。
 只でさえはっきり異国人だと解る顔立ちのルルーシュだ。侵略国の者だと知れれば、差し向けられた刺客以外の誰に命を狙われようともおかしくはない。
 実際には、スザクと離れたルルーシュたちはアッシュフォードに引き取られていたが、改竄された記憶の中では正常な国交が断絶され、ブリタニア本土へと帰れなくなっていたルルーシュたち兄妹……いや、兄弟を無事に送り返したのが、その時誘拐しようとしていたアッシュフォードだったという風に筋書きが変えられている。
 ルルーシュの涙は、いつの間にか止まっていた。
「救われたのは、俺たち兄弟の方だろう?」
 ようやく顔を向けてきたルルーシュに向かって安心したように微笑んだスザクが、緩く首を振りながら続けてくる。
「いや。君は、僕が初めて縋った相手だ。僕が自分から、自分以外の誰かを求めて縋った相手は、今までで君一人だけだよ」
「…………」
「おかしく思うかい?」
 それはそうだと思いながら、ルルーシュは閉口した。
 ユーフェミアはどうしたと思っていながらも、敢えて口にしないルルーシュの意図に気付いているのだろう。スザクは自分の頬に当てていたルルーシュの手を離し、愛しげに口付けてから喋り始めた。
「あの日、僕はどうして君たちの所に向かったのか、正直よく覚えていないんだ。でも、雨の中で灯る小さな離れの明かりは、その時の僕にとっては何かの救いであるようにさえ思えていた。……それでも僕は、背を向けようとしたよ。でも君は真っ先に飛び出してきて、駆け寄って来てくれた。君たちに合わせる顔が無いと思って逃げようとしていた、僕の傍に」
「…………」
「それまでの僕はずっと一匹狼で、手の付けられない乱暴物って呼ばれてて――友達なんか一人も居なくて。だから君は、そんな僕にとって初めて出来た本当の友達だった。僕は他の子供たちを見下していたし、特に仲良くなりたいと思ったことも無かったよ。でも、君たち二人とは、何故か自然と友達になることが出来た」
 スザクは遠い記憶を一つ一つ掘り起こすように、言葉を選びながら慎重に話していた。
 ルルーシュはスザクの告白に戸惑いながらも、一言も聞き漏らさないよう、黙ってスザクの言葉に耳を傾けている。
「君は昔から意地っ張りで気が強くて――でも気高くて。再会してからも、そういう所はちっとも変わっていないのが凄く嬉しかった。ああ、やっぱりルルーシュはルルーシュのままだ。……そう思えたから。喧嘩は僕の方が強かったけど、君はつまらなく思えるばかりだった他の子供たちにも、そして僕にも無い特別な強さを持っているんだって、僕はずっとそう思ってた。怒鳴られて気圧されたことさえあったよ。大の大人たちでさえ、力で捻じ伏せてきたこの僕が。――でも、だからこそ僕は、君に縋ることが出来たんだ。あの時、僕の目の前に来てくれたのが、他でもない君だったから……」
 スザクは「どれほど救われたか解るかい?」と尋ねながら、抱きしめていたルルーシュに頬ずりした。
 覗き込んでくるスザクの深緑があまりにも真摯で、目を逸らせない。
 ベッドで二人横たわったまま見つめ合っていると、時の流れが止まってしまったようにさえ感じられた。
 スザクは涙に濡れていたルルーシュの睫を軽く指先で撫でてから、再び話し始める。
「だから、あの時君に取り縋った僕は、心の底から必死だった。一生君を守ろうと思ったよ。それしか生きる道は無いとさえ……。でも――僕たち二人は引き離れてしまった。当時の僕たちどちらにとっても、どうすることも出来ない事情によって……。それまで『俺』と言っていたのに『僕』に変えようと思ったのも、今思えば君の模倣だったんだろうな、きっと。――だって、そこに居てくれたのが、ルルーシュだったから」
「え……?」
 打ち明けられた思いがけない事実に、ルルーシュは思わず瞳を見開いた。
「僕はね、ずっと憧れていたんだよ。君に」
「俺に……?」
「ああ。あの頃の僕にとって、君は僕の世界そのものを大きく変えてしまうほどの存在だった。君は僕よりもずっと賢くて、沢山のことをよく知っていた。大人のことも、世の中のことも――そして、人というのがどういう生き物なのかということでさえ、君は僕とは比較にならないほどの冷静さで見つめることの出来る子供だった。……だからかな。初めて『勝てない』と思ったのは」
 スザクはそこで一度、言葉を切った。
 長く続く告白に黙って耳を傾けていたルルーシュは、複雑な気持ちでスザクを見つめたまま尋ねた。
「そこまで言われるほど立派な子供だったか? 俺は。確かにそこらの子供たちより多少は大人びていたかもしれないが、幾らなんでも買いかぶりすぎだろう」
 正直、意外な思いを隠せない。
 美化されていたのは知っていたものの、まさかここまでとは。
「何かにつけ、俺を褒めちぎるのがお前の癖だったな。そういえば」
 ルルーシュは内心の驚きを隠したまま、茶化した口調で肩を竦めた。
 今より遥かに口の悪かった八年前のスザクには、それこそ耳を塞ぎたくなるほど幼稚な罵詈雑言を浴びせかけられたものだが、そのスザクがまさか、心の内側でそんなことを考えていたとは思いもよらなかった。
 しかし、幼い頃に比べて語彙も豊富になり、決して達者だったとは言えない口も成長したことで滑らかになったのだろう。思えば確かに、スザクと再会してからの一年間、憚ることなく褒め言葉を口にされては、しょっちゅう面映い思いをさせられ続けてきたような気もする。
 おどけてみせたルルーシュに苦笑したスザクだったが、突然真顔に戻ってから口を開いた。
「ねえ、ルルーシュ」
「ん?」
「僕はこの間『君を縛っておきたい』って言ったけど、そんなことしたくないって思ってるのも本当なんだよ」
「…………」
 優しい瞳に浮かぶ慈しみの色。
 言われなくても解る。――これは『僕』としての、スザクの言葉だ。
「だから、君が本心では僕から離れたいと思っているなら、逃げても構わない」
「――――」
 真っ直ぐなスザクの瞳に射抜かれたまま、ルルーシュは口ごもった。
 スザクに『お前はどうしたいんだ』と尋ねたルルーシュだが、自分からはどうしたいとも伝えてはいない。一応了解して受け入れはしたものの、それはあくまでも『受け入れた』だけだ。
 見方によっては、ただ単にスザクの押しに負け、成り行き任せに元通りの関係へとなだれ込んだようにも見えなくは無かった。
「――って。……もし、僕がそう言ったら、君はどうする?」
 黙り込んだルルーシュに向けてふっと笑ったスザクが、冗談めかした声音で続けてくる。
「本気か?」
「うん。……君は、どうしたい?」
 ルルーシュはスザクから目を逸らし、瞼を伏せたまま思案した。
(テストのつもりなのか? スザク)
 今日屋上で言った台詞とて、スザクは無論忘れてはいまい。
 三日前にも『僕の気持ちを理解するべきだ』と言っていたスザクだが、これはルルーシュがその言葉の意味をどの程度解っているのか計ろうとしての台詞なのだろうか。
 それとも――。
(俺の記憶が戻っているなら、こいつは当然、こんな密接な関係などとっとと解消したいと考えるだろうと思っている筈だ)
 記憶が回復しているかどうか反応を探っているのか。もしくは、もっと単純に『ルルーシュ』の本音を探っているのか。
(お前は何を知りたがっている?)
 離れたくないと思う気持ちや、スザクを愛する気持ち。
 知りたがっているのは、どれなのだろう。
(あるいは、その全部なのか? スザク)
 これは単なる期待だが、もしかするとそうかもしれない。
(昔見た夢を思い出すな……)
 一年前、初めてスザクの夢を見た。今のスザクは皮肉にも、その時見た夢に出てきたスザクに一番近いような気がする。
 何でも打ち明け、心のままに話してくれる。ルルーシュが知りたいと願い続けてきた、スザク自身のことを。
 ……それなのに、知りたいと望み続けた真実は、どうしてこうも残酷なことばかりなのだろう。
(夢とそっくりなのに)
 ――夢とは大違いだ。
 チクリと傷んだ胸の疼きを、ルルーシュはわざと無視した。
 答えを待っているスザクの頭を引き寄せ、柔らかな癖っ毛に顔を埋めたルルーシュは密やかな声で呟く。
「俺が逃げたら、お前は追いかけるんだろ? 俺を捕まえる為に」
 答えるルルーシュの表情を見逃すまいと思っているのか、ルルーシュから離れたスザクが皿のような目を凝らしてじっと顔を見つめてきた。
 どこかに嘘が隠れていないか探っているようだが、探したところで見つかるまい。……何故ならこの言葉だけは、紛うことなきルルーシュ自身の本音なのだから。
「模範解答だっただろ? スザク」
 ルルーシュはゆるりと目を閉じて、自分からスザクへと口付けた。
 よく解ったねというように、触れ合ったスザクの口角がゆっくりと上がっていく。
「離さないって言ったよな。俺のこと」
「うん。絶対にね」
「それも本気なんだろう?」
「……そうだよ」
 例え逃げないと言っても、スザクはきっと信じない。かといって、では逃げようかと答えれば、スザクがどうするのかなど知れていた。
 所詮、どちらの答えを選んでも駄目なのだ。――もう。
(だったら、解らせてやるしかないだろう)
 ルルーシュ自身と同じくらい諦めの悪い、この男の為に。
「なあ、スザク。……俺のことが好きか?」
 初めて体を重ねた時と同じように、ルルーシュは尋ねた。
「うん。愛してるよ」
 ほとんど即答でスザクが答えた。
 ストレートに返されたのは、一年前の当時よりもっと欲の色が濃く、古来より使い古されてきた愛の言葉だ。
「……では、俺のことが憎いか?」
 一度目を閉じたルルーシュが再び尋ねると、無表情になったスザクは暫くの間黙り込んでから、言った。
「ああ。――とても」
 言いながら、今度はスザクから口付けてくる。
 ルルーシュは薄く目を開いたまま、無言でスザクのキスを受け入れた。
 死の接吻。……そんな言葉が頭を過ぎる。
「知ってるかい? ルルーシュ。僕は結構寂しがりだし、本当は凄く甘えん坊なんだ。そして君は、そんな僕が唯一我侭を言える、とても貴重な存在でもあるんだよ」
 聞いているこちらの方が恥ずかしくなるような台詞を平然と口にするスザクに、ルルーシュは笑った。
「確かにそう言われてみれば、お前は他の奴らに対しては妙におとなしい癖に、俺に対してだけはあまり遠慮しない所があったかもな」
「そうだ。だからこそ、僕を甘やかすのは良くないことなんだ。本当は」
 懐かしい台詞だと思い返しながら、全くだとルルーシュは思った。
『僕を甘やかしても、良い事はないよ』
 確か一年前にも言っていた台詞だ。
 ……けれど。
「知ってるだろ? 俺はお前を甘やかすのが好きなんだ」
「……甘えられるのも?」
「ああ。ちなみに、お前に甘えられるのはもっと好きだな」
 一言話す度に、そっと啄ばむように口付けてくるスザクの唇が心地良い。
「ルルーシュ。そういう所、なんだかお母さんみたいだね」
「そうか?」
「そうだよ。……駄目にされそうだ」
 もうなっているだろうと思いながら、ルルーシュは胸元に寄せられたスザクの頭を抱えたまま目を閉じた。
 深く息を吐き出したスザクも安心し切ったように目を閉じて、安らかな眠りに就こうとしている。
「こら、重いだろ。降りろよ」
「嫌だ。我慢してよ」
「嫌だ」
「じゃあ、膝枕してくれる……?」
 ここまで開き直ってグダグダに甘えてくるスザクは見たことがない。
 ――やはり駄目になっている。もう充分すぎるほど。
「じゃあって何だ。俺は疲れてるんだよ。ゆっくり眠らせてくれたっていいだろう?」
 あれだけ好き放題しておいてと内心毒づきながら、ルルーシュは邪魔くさそうにスザクを退かそうとしたが、無視したスザクは梃子でも退かないと言わんばかりに体重を乗せてくる。
「甘やかすの好きなんだろ。自分で言ったことには責任とれよ。ルルーシュ」
「何が責任だ。馬鹿が……」
 うるさそうに身を捩りながら抱きついてくるスザクの態度にチッと舌打ちしながらも、ルルーシュは仕方なく胸元に寄せられたスザクの頭を撫でてやった。
 ふわふわした髪の手触りは、そう悪くない。――いや、正直かなり良い。
 ……ほんの束の間、ルルーシュは確かに幸せだった。
 ずっとこのまま、時が止まってしまえばいいと願ってしまうくらいには。
(駄目にされそうなのは、俺の方だ)
 本心の織り込まれた嘘ほど上手な嘘は無い。
 嘘と本音、拒絶と執着、憎悪と愛情。二つの心の狭間で、スザクは振り子のように揺れ動く。
 例え相反するように見えていても、その根底が同じなのだとは気付かぬまま。
 時によってジキルとハイドのように移り変わるスザクの姿に、ルルーシュの心もまた、否応無く雁字搦めにされていくようだった。
 さながら、たった二人きりの舞台。……でなければ、くるくる回るメリーゴーランドの上で、果ての無い追いかけっこでも続けているのだろうか。いつまでも、いつまでも。
 眠りに落ちる寸前、ルルーシュは願う。あくまでも貪欲に。
 もしも願いが叶うなら、どうかもう少しだけこのままで――と。
 けれど時は進んでゆく。破滅へのタイムリミットはすぐそこまで迫っている。
 ……そう。すぐ其処まで。
 一分一秒と、逆さに回る時計の秒針が、刻々と運命を刻んでいく音が聞こえてくるようだった。
 いっそ残酷なほど、正確に。
(悪趣味なことだ。我ながら)
 何か熱いものが込み上げてくる。喉が痛い。……いや、気のせいだ。
 それでさえ、自分に言い聞かせた嘘でしかないと知ったのは、そっと開いた視界がぼんやり歪んでいたからだった。
 眠りに落ちたスザクの寝息を聞きながら、あまりの愛おしさに窒息しそうになる。
 傷みに潰れた心臓を今すぐにでも取り出して、どこかに放り投げてしまえたら。
 まだ残る愛や、情や、心ごと。――そうしたら、せめて少しは楽になれるのだろうか。
 目などずっと閉じたまま、開かなければ良い。せめてこの夢から覚めるまで。
 そう思いながら、ルルーシュは一人静かに涙を零した。

 愛の深さと同じだというのなら、憎まれていても構わなかった。
 それでもスザクと共に居られるのなら、もう、それだけで――。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

スザルル大好きサイトです。版権元とは全く関係ないです。初めましての方は「about」から。ツイッタ―やってます。日記作りました。

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