裏切りの代償
華美な装飾が施された眼帯は仮面に似ている。死による償いを放棄させる呪いとは異なり、皇帝のギアスは対象に複数回かけることが可能のようだ。抗いこそ生の証だと、ルルーシュの――ジュリアスと名を変えられた男が呻く。頻繁な頭痛と意識の混濁。乗り物酔いではないと知っていながらスザクは無視して室外へと出た。
護衛とは名ばかりの目付け役。力を失ってはいても、仮面にも似た眼帯の下でギアスはひっそりと息づいている。改竄された記憶が復活すれば、ただちに殺せるように。
下された命にスザクは背かない。だが、煮えたぎる思いに心は反駁する。部屋を出た真の理由は拭い切れぬ葛藤への、せめてもの抵抗であった。しかしながら、背を向けるという行動をとることはスザクにとっては実に簡単だった。
反して、憎しみを持続させるのは難しいことだろうか? 何故この傲慢な男が生きていて、ユフィがこの世にいないのか。怒りと憎しみが復讐心へと転じ、諦念となって心を汚していく。暗澹とした未来、先は見えない。コールタールにも似た憎悪と絶望は、打ち砕かれた友情と希望の前では酷く儚く、むなしいものに思えた。
敬愛した彼女はもう戻らない。苦悶に顔を歪める狡猾な幼馴染の変わり果てた姿を、その不幸を、手を打って喜べるほどの下劣にも慣れはしないのだろう。当然の報い? 甚だ軽い。それでも――つい癖で「ルルーシュ」と呼びかけそうになる。
「スザク……水、水をくれないか」
部屋に戻るなり掠れた声と共に頼りなく手が伸ばされ、甘えるなと叫んだことを思い出した。突き放したい思いは今も変わらず、スザクは塵芥でも眺める目付きをジュリアスへと向ける。
グラス一杯の水ひとつ満足に飲めない軍師。記憶を書き変えられていても、この男の性質は変わらない。他人を自分の思い通りに動かしたがる、動かせると思い込んでいる都合のいい本性も。
「キングスレイ卿、まだご気分が優れないのですか?」
目付役であって世話係じゃない。今やブリタニアの駒となっているのはお前自身だ。軽蔑と悪意を針のごとく台詞に散らすと、顔を上げたジュリアスはその半分を掌で覆いながらきつく眉をひそめた。
まるで憎まれているかのようだ、そう思っているらしき自嘲の笑みが薄い唇を彩る。自分が引き起こした惨劇を、その責任ごと忘却の檻に閉じ込めているからのうのうとしていられる。スザクにとっては犯した罪を彼方へと追いやり、卑しく己を守る姿としか映らなかった。
「俺達の間に地位の差はないだろう。友人としての頼みだよ」
皮肉っぽい口調とは裏腹に、ジュリアスは寂しげな笑みを浮かべた。余裕を取り戻した風に見せかけているのは無論、演技だ。
スザクの嫌悪感は消えない。芝居がかった声を聴くだけで、顔を見るだけでも吐き気を催しそうになり、ぐっと堪えて瞼を伏せる。布巾を用意させ、濡れたテーブルを拭いていると「早く」とジュリアスが急かした。苛立ちに拍車がかかり、無視しようとしてからスザクは手を止める。
絨毯の敷かれた床に転がるグラスを拾い上げ、水差しの中身を入れ替えてから新しく持ってきたグラスになみなみと注ぎ入れる。幾らかほっとした表情でありながら、クリスタルのグラスを眺めるジュリアスは蒼褪めていた。生気を失って震える指先。一度口元を押さえた手でグラスを取り、苦しげに水を煽る。弱々しい動作は押し込めた情を揺り動かすに充分なものだった。
どうやら疎まれていると気付いているのに、見え隠れするのは縋ろうとするいじましさだ。健気にも見えるし、惨めにも見える。だからこそスザクにとっては恐ろしく、また、疎ましい。
凶悪な殺人犯はこう口にするそうだ。「他人に同情される人間になりたい」と。
スザクは思う。「二度と惑わされるまい、騙されるまい、絆されるまい」と。
握手を交わした時間はごく短く、触れるだけだったその手を男は背中側へと回した。見えない位置で下賤な者に触れたと穢れをこそぎ落とそうとしている。
「どちらですかな? 皇帝陛下の覚えもめでたき軍師殿とは……」
男が慇懃無礼に辺りを見回し、下車してきたジュリアスが朗々と口上を述べる。階段を下りる優雅な足取りを横目に、スザクは黙って引き下がった。悔しさとも軽んじられた屈辱ともいえぬ感情を押し殺して僅かに腰を折る。
傲岸不遜なジュリアス。華々しい戦歴でさえ偽りのものだったが、着任したてのナイトオブラウンズ、成り上がりのイレブンとの格差は歴然としていた。所詮、友人という関係内でしか通用せぬおためごかしだとスザクも解っている。少なくとも、解っているつもりだった。
ギアスのこと、マリアンヌのこと、ナナリーのこと。大切なものと力の全てを剥奪し、過去さえ捻じ曲げて徹底的に貶めた。唯一、スザクとの記憶だけがルルーシュ――ジュリアスの寄る辺となって人格の根底を支えている。スザクも理解しているからこそ葛藤する。ルルーシュを逃がさぬため、スザクに裏切らせぬため、皇帝は自分たち二人を同時に利用しているのだから。
ルルーシュを売って地位を得た。「結託は認める、だが弁えよ」。そういうことなのだろう。解りやすい肩書や権力にこだわっているのは自分の方だと、今なお変わらぬ現状を目の当たりにしてスザクの内で妬みが渦巻く。
越えられない部分がある。幼い頃感銘を受けた純粋無垢な心が。信頼を保とうと、友としての絆を失うまいと、ジュリアスはスザクの態度を責めなかった。
他人の善意や厚意、あるいは好意によって昇進してきた自覚がスザクにはある。そしてまた、スザク自身がこれから立てる武勲でさえもルルーシュの手柄となるのだ。
貶めた筈のルルーシュがまだ「下にいるのに上にいる」ように思えて、焦燥にも似たもどかしさをスザクは感じた。未だ受け続けているこの差別もまた、罪人としての自分にはふさわしい罰なのかもしれない。我が身の不遇に際してスザクは考える。
裏切り者の友人。けれど、この暴虐もまた然り。
復讐という名の建前で飾った卑劣の代償を、スザクは今も支払い続けている。
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公開初日に見に行って、次の日に感想吐き出しがてら書いたものです。
どうやら初対面設定では?という意見の方が多いらしいのですけど、
友人設定で書いてからそのままいじってません。
スザクの方がルルーシュよりも根本的に野心強いんじゃないかと思ってます。
台詞のメモがないままうpるのも何かと思いつつ、そのままアップ。もしかしたら後で直すかも?
実はもう一本R18のが書き上がってるのですが、推敲がまだなのでもうワンクッション置いてからにします。
正反対という才能
(何故、俺たちは正反対である必要があったのだろう)
雲の上からスザクの姿――かつて、枢木スザクという名だった男の姿を見下ろしながらルルーシュは思った。
昔から、あいつは俺がいいと思ったことと正反対の方向にばかり行く。俺の言う通りにしていれば間違いないのに。あの行政特区に参加しないかと言いに来た日だってそう思っていたし、怒っていたし、何より酷く悲しんでいた。損得勘定では人は付いてこない、などと訴えられて頷く奴があるものか。『失敗すると分かっているところにみすみすお前を行かせることはできない』。そう否定した自分のことを、あの時スザクはどう思ったのだろう。
スザクが恐れていたものは、ただ立ち止まって手をこまねいてしかいられない自分だ。何かを成さねばならない焦りならよく知っていた。そのための犠牲など厭わない覚悟で動いていたから、失敗の可能性の方がはるかに高かろうが、命を奪うことにも自分の命を失うかもしれないことにも躊躇はなかった。一介の学生が吠えたところで、どうせ世界は変わらない。『死んでいるのに生きている』と自分に嘘を吐いていた頃がルルーシュにもあったのに、解ってやれなかった。
悲しいということは怒っているということだし、怒っているということは悲しんでいるということなのかもしれないとルルーシュは解りかけていた。けれど、腹がたって腹がたってどうしようもなかったので、自分のそんな気持ちには蓋をして、無視をした。
特区は失敗する。何故なら俺が一計案じるからだと言った訳ではない。だが、たとえルルーシュが自分の目的のために阻止しようとしなかったとしても、ゆくゆくは利用されるだけされてから潰されていただろう。
理由もないのに一つの属領だけ特別扱いすることは出来ない。あの計画に許可を出したのはシュナイゼルで、シュナイゼルにはシュナイゼルの目的があった。ユフィはルルーシュと同じことをして我儘を通したが、ユフィもユフィ自身の目的を叶えるために生きていた。共感したスザクとて、同じではないのか。
(お前の目的はどこにある?)
昔からスザクはそうだ。――そうで、あった。けれど、今のスザクはまるでルルーシュになり切ろうとしているようだった。今のゼロはスザクなのに、やはりルルーシュと同じには振舞えない、僕じゃ本物のゼロには届かないと、とげとげした黒い仮面の下でいつもぼやいている。
(俺はお前がいいと思う通りにしろと言ったのに)
これからの世界はお前が導け。ルルーシュはスザクにそう言い残して死んだ。だから今のルルーシュは、なんとも微妙な気持ちでスザクの動作を見守っていることしか出来なかった。
(だいたい何だ、その腰の動きは。お前は俺じゃないんだぞ、演説する時の身振り手振りまで真似しなくていい。今は戦時中とは違う、平和を目指す時に突き上げる拳など必要ない。あいつに余計なことを吹き込んだのは誰だ、C.C.か?)
――いや、スザクは自分の意思でルルーシュを模倣しようとしている。模倣には限界が来る。いつか誰かに見抜かれる。そんな当たり前のことにさえ気づきもせずに。
正しくはこうだ! と口にこそ出さなかったものの、ルルーシュは一人ポーズを決めてからハッと我に返った。辺りには誰もいない。鋭くツッコミを入れてくるC.C.もいなければ、ルルーシュより先に逝った筈の人達でさえ一人もいない。それなのに、ルルーシュは人目を憚るように周囲をそろりと見回して、少しだけ肩を落とした。
なぜ雲の上にいるのか。それはルルーシュにも解らない。気付いたらここにいて、他に行ける所もなさそうだからずっとこうしている。毎日毎日、飽きもせずに見下ろしているのだ。ルルーシュになり切ろうとしているかのような、無駄というよりはズレた努力を重ねているスザクの姿を。
スザクには昔とは違う敵がたくさん出来た。仮面をかぶっているのが枢木スザク――だった男、だとは奇跡的にバレていないようだったが、祖国の民から奸賊、逆賊などと呼ばれなくなった代わりに、世界各地に敵が散らばるようになった。中にはルルーシュの名を叫びながら襲いかかる者もいる。そして、スザクにとってはそれが最も堪えるようだった。
もちろんスザクは泣きもしないし笑いもしない。死んだように生きろと言った訳ではないのに、心が半分死んでしまって良かったと思っている節さえある。しかし、スザクは公務が済んでから、仮面の下でよくルルーシュに零している。その時だけ、スザクはやっぱり枢木スザクのままのようにルルーシュには感じられた。どう聞いても腹を立てているとしか思えないスザクの言葉を聞くたびに、ルルーシュはやっぱり「怒るということは悲しいということなんだ」と再確認する。
(昔の俺ならどう思っただろう?)
演説を終えたスザクを狙う狙撃手がいる。三百メートルほど離れた所で光る銃口と、ゼロの服に身を包んだスザクとを見比べながらルルーシュは考えた。スザクは正しい。自分とは正反対の生き方を貫こうとするスザクをルルーシュは認めた。それは結果として自らの生き方を否定することにも繋がってしまったが、悔いはない。生きていた頃は何かと衝突したし、理想を押し付けがちだった。また、スザクに同意されることを当然だと思ってもいたけれど、ルルーシュは自分とスザクがまったく別個の存在で、だからこそあんなにも烈しく欲したのだともう受け入れていた。
死してなお、受け入れられなかったのだとしたら問題だ。ルルーシュが軽く笑った時だった。銃口が火を噴いた。
スザクは避けなかった。
(昔の俺ならどう思っただろう?)
ルルーシュは再び考えた。胸に手を当てて、のけぞりながらスザクがうつ伏せに倒れる。
『駄目だ、そんなの』――そう言っていたのではないだろうか。
スザクがもう動かないことをルルーシュは知っていた。そして、自分がいる空にスザクも来られるかどうか、と考えてもいなかった。生きている人達の世界に、ルルーシュは干渉できない。
果たして、あの時託した願いのどこまでをスザクは正しく理解していたのだろう? ルルーシュはそれも確かめたいとは思わなかった。昔から、あいつは俺がいいと思ったことと正反対の方向にばかり行く。ルルーシュは毎日毎日飽きもせずに、そんなスザクを見下ろしてきただけだ。だから……。
(あいつなりに、何かを全う出来たと思える人生だったなら)
ルルーシュは横たわるスザクから目線を外し、淡く、かなしく微笑んだ。
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「こういうケースもあるかも?」と思って書いた、というよりは、
「もしこうなってたとしたら辛いな~」というパターンで書いてみました。
(`=ω=´)
……うん。
ルルーシュはどうなったとしても優しく抱きしめてくれるよ、多分。