Lost Paradise 11(スザルル)

11


 八年前、父の企みを知り「戦争を止めなければ」という思いもあった。
 けれど、その思いの裏側にあったものは決して純粋な思いなどではなく、もっと生々しく個人的な欲望だったように思う。
 罪に手を染めるまでの間にプラスされる要素――戦争を止めるという大義名分さえなければ、俺はもしかするとそこまで踏み切ることなど無かったのかもしれない。
 ……いや、寧ろそう思えれば少しは救いになっただろうか。
『戦争を止めなければならないと思ったんだ』
『そんなつもりじゃなかった』
 ずっと、自分にそう言い聞かせながら生きてきた。
 あの時、父は死ななければならなかった。俺はああするしかなかったんだと。日々降り積もっていく後悔と罪の意識の中で呪いの如く幾度も唱えながら。
 ……けれど、父を殺しても殺さなくても、結局戦争は止められなかった。
 じゃあ、父さんは何のために命を落とした? 俺は一体、何のために父の命を奪ったんだ?
 俺のたった一人の友達。生まれて初めて出来た友達――ルルーシュを、そしてナナリーとの生活を俺から奪おうとした俺の父親。
 そう。父は自分の目的のために、彼らを殺そうとしていたんだ。
 ――だから何だ。
 父と俺と、どう違う?
 所詮後付けの理屈でしかないと、名も知らぬ男に言い当てられたこともある。
 ……知っている。自分でも解っている。戦争を止めようと思ったなどと、所詮その男の言う通り後付けの理屈でしかないのだと。
 認めなければならない。いや、認めていたつもりだった。だからこそ贖罪の道を選んだのだ。
 確かに俺は、ルルーシュたちとの生活を壊されたくなかったがゆえに父をこの手にかけた。
 奪われたくなかった。友達との楽しい日々を。
 父を殺せば戦争を止められると思った。戦争さえ起こらなければ、ルルーシュたちとの楽しい毎日がこれからもずっと続いていく。
 だから、その父が彼らを手にかけようとしていたことなど、言うなれば彼らと一緒に居たいと思っていた俺の動機に理由を与えるための、ほんの切欠にしか過ぎなかったのだ。
 彼らを失いたくないという俺のエゴ。自身の欲を叶えるための理由や言い訳。
 ルルーシュの言葉こそがトリガーになった。……ただそれだけのことだ。
 日本に来てから誰一人として信用しなかったルルーシュ。
 俺とは比較にならない重さと冷静さで自分の置かれた環境を見つめていた彼にとっては、戦争など自分たちとは関係ない大人の世界の出来事だと思い込もうとしていた俺との付き合いなど、きっとのんきな友情ごっこにしか映らなかったことだろう。
 それなのに、彼は、俺のことだけは信じてくれた――。
 父がルルーシュたちを殺すために、ブリタニア皇室と関連のある貴族たちを嗾けていたことは知っていた。
 ナナリーが浚われたあの日。そして、俺が父を殺したあの日。荷物が置かれたままだった道場の鍵を渡そうと、俺は父と話している藤堂さんを探しに行った。
 多分、父の書斎で話しているのだろう。そう思って向かったところで聞いてしまったのだ。父たちの会話を。
 難しい話はほとんど解らない。けれど、これだけは解った。
 ――ブリタニアとの戦争が始まってしまう。
 そして『人質』の意味も。
 ルルーシュたちが影でこう呼ばれていたことは知っていた。だから、その言葉だけがひたすら頭の中でがんがんと鳴り響いていた。
 戦争が始まる? なら、ルルーシュたちはどうなる?――殺される? 何故? どうして? 皇子と皇女なんだろう? 何故見捨てるような真似をする? どうして守ってやらない!
 俺は屋敷の離れに向かって一心不乱に走った。青ざめ、顔を引き攣らせ、吐き気と怒りと混乱の中で。
 中に入った時には既に部屋は滅茶苦茶に荒らされており、もう日が翳っているにも関わらず明かりの一つさえついていなかった。
 薄暗い室内。不吉な静寂の中で悪い予感が駆け抜けていく。俺は大声で名前を呼んだ。
 ルルーシュ、ナナリー、どこだっ! 返事しろ!……それでも、誰も答えない。
 まさか、まさか。もう……?
 わんわんと鳴り響く耳鳴り。おぞましい予感に全身が総毛立ち、体の芯から震えが来る。
 ――死。
 その言葉が頭に浮かんだ瞬間、鼓膜を掠めた微かなうめき声。
 どこだ!? 二階だ。弾かれるように上を見てから、俺は全力で階段を駆け上った。
 扉をぶち抜くようにして寝室に入る。
 そこには、ルルーシュが粗末な寝台の横で倒れていた……。
 たった一人の妹を誘拐され、抗った末に薬物で昏睡させられたルルーシュ。
 ぐったりと力無く寝台に横たわった彼の姿を見て思った。
 ――許せない。
 あの、いつも綺麗に澄んでいた筈の瞳が、焦点を失って濁っていた。たった数時間前に俺の名を呼んだ声音でさえも、憎悪の色に染まって掠れていた。
 どこか懐かしい響き。
 まるで、近しい兄に名を呼ばれているような。
 可愛い弟に慕われているような。
 馬鹿なことだ。
 そんなもの、自分にはいないのに。いるはずもないのに……。そう思ったあの声で、必死で叫んで、猛然と抵抗して、ひしと俺の胸に縋って……。
 あの、誰にも頼ろうとしなかったルルーシュが――。
 妹を守ろうとして抗ったんだろう。たった一人で。
 一人きりで。
 ルルーシュが一体、どんな悪いことをしたっていうんだ? こいつは一生懸命生きていただけだ。自分だって弱いくせに、いつだって妹のためにと必死で生きていた。
 ――そんなルルーシュに、何故こんな酷い真似をする……?

『……ナナリー……ス、スザク……ナナリーを……』
『……ごめん……君のこと……最初……誤解して……た……ごめん……だから……ナナリーだけは……』
『だ、だから……ナナリーの……こと、だけは……』

 意識を失う前に彼が言った一言は、決して俺の姿を見とめてのものではない。
 ルルーシュは、俺がそこに居ると思って助けを求めたのではない。
 でも、確かに呼んだのだ。他の誰でもない俺の名を。
 ごっこ遊びじゃなかった。……それだけで良かった。


『――分かった。待ってろ、ルルーシュ』


 一瞬でありとあらゆる感情が封殺された。
 肉親への愛さえ簡単に上回るほどの情。……激情。その裏に潜んでいた執着という名の凄まじい我欲。
 生まれて初めて得た絆。何としても守る。ルルーシュとの約束を必ず果たしてやる。
 俺が守るんだ。
 その為なら、この手を汚すことなど厭わない!
 あの瞬間、ルルーシュは間違いなく俺の世界の全てだった。例えどんな手段を使っても、彼の願いを叶えることこそが――。
 離れを出た俺は、屋敷の方角に向かってまっすぐにひた走った。

 力。
 力がいる。
 友達との約束を果たすための。
 今の自分には力が無い。
 力さえあれば――。

 数時間前に聞いた、涼やかなルルーシュの声が蘇る。

『なんだ? これは』
『先生の荷物だよ』
『ふ~ん。剣も置いてあるぞ』
『それは剣じゃなくてカタナっていうんだ、カタナ』

 懐から鍵を取り出し、古びた鍵穴へと差し込む。
 がらがらと引き戸を開ける音が無人の道場に響いた。
 夕闇に染まった空。薄暗い道場内に落ちる、長々とした俺の影。
 開け放たれた戸の隙間。がらんと広い床板の上で、ぽつんと置きっ放しにされている風呂敷の包み。
 ……その横に、それは置かれていた。
 俺はひたひたと歩を進め、躊躇いも無くそれを掴み取る。
 ぎゅっと握り締めた柄は冷たく、ずっしりと重い。自分の背丈ほどもある鞘をすらりと抜けば、抜き身の刀身がぎらぎらと鈍い光を放っていた。
 暫しその光を見つめていた俺は、やがて、ゆっくりと立ち上がる。
 その間、俺は自分でも驚くほどに落ち着き払っていて冷静だった。全ての動作を淀みなくスムーズに終わらせて、戸に鍵をかけ直す。
 去り際、何かを思い出しかけたような気がした俺は、一度だけ振り返った。
 昼間、稽古の最中に藤堂さんが俺に言った一言。……確か、覚悟がどうとか。

 ――覚悟ならある。

 そう思った俺は、もう振り返らなかった。

 父を殺し、返り血に染まった胴着と袴。絶命した父が倒れ込むと同時に刀を取り落とした。
 師と仰いだ人の刀。竹刀とは全く異なる重みを持つそれは、確かに武器であり凶器だった。
 所々乾いていながらも、まだぬめる指先。辺りに漂う錆びた鉄のような匂い。
 刺した箇所は父の腹だ。背丈の低い俺の目線とほぼ同じ場所だった。
 顔面に浴びた返り血が、じっとりと血を吸い込んだ合わせの襟から胸元へと伝っていく。
 生暖かい血液の感触。閉じ込められたナナリーに声をかけ、平静を装おうとしたところで、前髪から垂れた血が唇に向かって滴り落ちてくる。
 途端、酷い吐き気に襲われた俺は駆け出した。震える手で唇を拭うと頬にまでぬるりと血が伸びる。薄く伸ばされた部分だけすぐ乾き、頬が突っ張るのが解った。
 取れない。落ちない。擦っても擦っても、血で血を洗っているようなものだ。何故なら、俺の手そのものが血に塗れていたのだから……。
 再び戻った書斎には巨大な血だまりが広がっていた。その真ん中に転がっているのは、無残な肉塊と化した俺の父。
 昏い穴ぼこのように見開かれた瞳孔。
 ――動かない。喋らない。もう二度と。

 俺が殺した。

 殺人。
 それは、出来る人間と出来ない人間との間に決定的な隔たりを伴う行為。
 憎い人間を衝動的に殺害することは過失。
 ……だが。

 桐原さんは言った。
『一度抜いた刃は血を見るまで鞘には納まらぬ。言っておくが、おぬしの刃はまだ納まっていない』
                   、 、 、  、 、  、 、 、  、 、 、
『おぬしの目がそう言っておる。これを行うことのできたおぬし自身の血と体がそう言っておる』


 そう。
 出来てしまったのだ、俺は。


 剣を抜き、実の父親の血に塗れた俺は、そんな己の本性にこそ慄いた。
 そして、その時になってからようやく思い出した。稽古の最中に藤堂さんから教えられていた一言を。

『剣は一度抜いた以上、覚悟を決めておくべきだ』
『一度抜いた真剣は血を見なければ納まらない。そして、その血を覚悟しておくのが、剣の道というものだ』

 ……俺だけが知っている。父を殺したのは、俺がルルーシュたちに対して一方的に抱いていた情が招いた結果だと。
 だからこそ、彼らに罪の肩代わりなど決して求めてはいけない。そう思っていた。
 ――だけど。
 八年前のあの出来事は、正しい選択だったのだと言って欲しい。
 たとえ大義名分を失ってしまっても、決して正当な理由とはいえないと悟ってしまっても、俺は誰かに認めて欲しかったのだ。
 ルルーシュが願った通り、たとえ父親の命を奪ったとしても、彼らの命を優先した俺の選択は正しかったのだと。
 一生守ろうと心に誓った。それ以外生きる術は無いとさえ。
 彼の願いを叶えたいと剣を抜いたあの日から、ルルーシュは俺にとって守るべき存在になった。
 彼が俺に守らせてやるとさえ言ってくれるなら、俺はそれを理由にして生きることが出来る。
 まだ幼かった俺はルルーシュに縋り、心の底から守らせて欲しいと願っていた。
 そして持ち掛けられた約束――相互扶助。
 二度と自分のために自分の力を使わないと言った俺に、ルルーシュは言った。

『君が自分のために自分の力を使わない。そう言うのなら、僕が――いや』
 、
『俺が』

『君のために力を使う』

 ただ一方的に助けられ、守られることを受け入れるのではなく、俺が彼を守るというのなら、彼もまた俺を守るのだとルルーシュは約束してくれた。
 その二十日後のことだ。
 キョウトから寄越された使者が俺に、ルルーシュたちが近いうちに、アッシュフォードに引き取られることになるだろうと伝えに来たのは。
 父さんを殺したあの時、藤堂さんと共にその場へとやってきた桐原さんも、また知っていたのだった。キョウト側と敵対関係にあった俺の父が、ブリタニアに日本を売り渡すためにルルーシュたちの命を狙っていたことを。
 ふらつく足取りで書斎を出た俺の後を追い、藤堂さんは血に塗れた俺の体を洗って着替えさせてくれた。
 父の監視として枢木の本邸に来ていたのだと明かされたのも、その時だ。
『私はもう、君の師ではない』と。
 父が勝手に事を起こさぬための監視。
 ナナリーが誘拐された時も、殺害を阻止するために動いていたのだと藤堂さんは言った。
 戦争が不回避となるまでブリタニアとの関係が悪化せず、また、父が死ぬ前であれば、時機を見て丁重に送り返すことも出来たのだと。
 藤堂さんに謝られた俺は悟ってしまった。
 戦争回避という意味でも、ルルーシュたちを守るという意味でも。
 俺が父を衝動的に殺めたことは――二重の意味で無駄なことでしかなかった。
 でも……。
 だったら、ブリタニアに帰れなくなったルルーシュたちは、これからどうなるんだろう――?
 藤堂さんは謝ってくれた。……だけど、それなら何故、戦争が回避出来ないところまで進んでしまう前に送り返さなかったのか。
 それも、殺されるかもしれないと知っていて。
 ブリタニアは元々人質という手が通用するような国ではないが、日本側へと送りつけられた「預かりもの」であるルルーシュたちを殺してしまえば、決定的な開戦の口実を与えてしまうことになる。
 父の目的は、日本をキョウトから奪うためにブリタニアに売ること。
 日本の実質的権力者であるキョウトからの支配を脱するためにブリタニアに敗戦し、敵国の狗となって統治者としての地位を得る。
 皇族に関連する貴族、果てはブリタニア皇帝とまで密に通じ、地位を確約するという契約を違えさせぬため、ルルーシュとナナリーの命を約束手形として……。
 父の遺志は、徹底抗戦などではない。
 だが、俺が父を殺害したことにより、その事実を隠して死を活用するシナリオを立てるより他なくなってしまった。
「余力を残した最善の負け方」のために選ばれたシナリオは、「軍部を抑えるための首相の自決」。
 そして、抗戦を叫んだ口で「ブリタニアからの預かりもの」を大事に抱えていては、敵にも味方にも信を失う……。
 仮にだ。
 貴族達がルルーシュたちを殺害するのではなく、ブリタニアへの帰国を条件にスパイ紛いの真似をさせようとしてきたら?
 そうなれば、日本側の軍部の情報が流れるだけではなく、いずれは政務やサクラダイト採掘権等を取り仕切る者達を暗殺せよと指示される等、ルルーシュたちが陰謀のために利用されるケースもある。
 抗わせない方法などいくらでもあるだろう。どうせ殺すのなら利用した上でと考える者がいないとも限らない。
 そもそも、ブリタニアがルルーシュたちを預けてきたのも、そして敢えて返せと言ってこないのも、自分達が預けた彼らを日本側が『人質』として扱っていると難癖をつける為。
 実質的には『生贄』だ。
 懐に置いて生かしておくにしても、殺すにしても厄介な存在。
 出来れば送り返したかったのだろうが、時機などとっくに逸して尚、ルルーシュたちを枢木の家に置いていた理由……。
 要は、タイミングの問題だ。
 情勢は既に芳しくない。日本もブリタニアも、双方血を見なければ収まらない所まで行っている。
 ――それならば、いっそ決定的な開戦の切り口をブリタニア側が作ったのだと世界に知らしめるために、「ブリタニアに殺された」として処理するほうが都合がいい。
 元々『人質』として預けられていた皇子と皇女。日本側が彼らを手にかけるより、父と通じていたブリタニアの貴族が勝手にルルーシュたちを始末するならば良し。
 だが、失敗した場合は――。

 ……つまり、俺が父を殺害したというイレギュラーは、残されたルルーシュたちの帰国という道を完全に閉ざし、「ブリタニアからの預かりもの」である彼らを、日本側にとって爆弾のような存在に変えてしまう行為でしかなかったのだった。

 俺がこの件に関して完全に理解出来るようになったのは、ルルーシュたちと離ればなれにされて暫く経ってからのことだ。
 だから、この時の俺にとって理解出来たことは、たった一つ。
 ――このまま枢木の家にいれば、ルルーシュたちはどのみち殺されてしまうかもしれない。
 ブリタニアの貴族がルルーシュたちの命を狙っている。日本にとって完全に厄介ものとなってしまった彼らを助けてくれる人は、きっともう誰もいない。
 俺は、先に別邸へと移されたルルーシュたちのもとへと向かった。
 ルルーシュたちには、その事実を伏せたまま――ただ守らなければと。腰に一本の木刀を携えて。
 ところが。
 枢木の別邸で過ごしていた俺たちを襲った者達は、ルルーシュたちの命を狙う貴族達から彼らを守るために誘拐しようとしていた、アッシュフォードの手の者達だった。
 ルルーシュを逃がした俺は彼らに捕まり、戻ってきたルルーシュが巡らせた姦計によって辛うじて助けられたものの、俺たちの身を案じた藤堂さんは、その後彼らと接触。単身、ルルーシュを逃がすよう話を付けたらしい。
 藤堂さんが桐原さん達にどう事情を説明したのかはわからない。だが、それで厄介払いは済んだことになったようだ。
 父の死を最大限に活用するシナリオ。そして、ルルーシュと引き離されること。
 ……その話を聞かされた俺は、父を殺してからずっと肌身離さず持ち歩いていた木刀を、とうとう手放した。
 不要になった木刀。――ルルーシュを守るための。
 がらんとした道場に置かれたそれが、何故か俺自身の姿とだぶって見えた。
 もう、これを俺の腰に差すことは無いんだ。これが誰かの為に使われることは、二度と無い……。
 そう思いながら向かった先は、ルルーシュたちと三人で釣りをした海だった。
 父の代理を務めていた藤堂さんと久しぶりに顔を合わせ、改めて知らされた現実。
 やはり、戦争は止められないということ。
 ――本当は、誰も望んでなんかいないのに……。

『藤堂さん、俺、剣道をやめます。でも、多分……剣は捨てない、と思います』

 藤堂さんに俺がそう話していた頃、ルルーシュも戸籍上死亡したことにするようアッシュフォードと話し合っていたようだ。
 それは、さしあたって難を逃れるための方法――。
 しばらくしてから俺の座る海辺へとやってきたルルーシュに、俺は『またここで、三人で釣りがしたいな』と話した。
 そう言った俺に呆れ顔になったルルーシュは、『いつかと言わずに、今日だって出来るじゃないか』と答えたが、真実を知らない彼は、これからブリタニアが攻めてくるという事実についても当然まだ知らない。
 そして、近いうちに俺たちが離ればなれにならなければならないということも、また「何故そうなってしまったのか」ということも――。
 皇族としての身分を捨て、戸籍上死んだことにすれば、まだ一緒にいられる。
 今は、まだ……。
 ただ、漠然とした別れの予感だけが俺たち二人の間に漂っていた。
 互いにそこから目を背けながら交わし合った、ささやかな約束。
 ……それが決して果たされることの無い約束であることを、多分俺だけが知っていた。
 数ヵ月後、神聖ブリタニア帝国は日本に対して正式に宣戦布告。
 俺は、故・日本首相の息子として、ブリタニアの保護もとい監視下に入ることとなった。
 堆く積み上げられた死体の山。人の焼ける匂い。
 爆撃を受け、荒れ果てた周囲の光景を目の当たりにした俺は思った。
 俺が父を殺さずに目論見を阻止することさえ出来ていれば、もっと違う未来があったんじゃないのか。
 あるいは、たとえそれがいかに困難なことであり、状況から見てほぼ無理に等しいことであったとしても、真実を全て白日の下へと晒し、首相を交代して一から外交をやり直すというという方法だってあった筈。
 少なくとも、俺が間違った手段を選んでさえいなけなければ、ここまで酷い結果にはならなかったんじゃないのか……?
 せめて、父が生きてさえいれば……。
 俺が衝動的に殺したりさえしなければ。
 ――全て俺のせいだ。
 遂に一歩も前に進めなくなってしまった俺へと、ナナリーを背負ったまま先を歩いていたルルーシュが振り返った。
 手を伸ばそうとするナナリーが俺に触れられるよう、ルルーシュが背中を向けてくる。

『人の体温は涙に効くって、昔、お母様が教えてくれました』

 ナナリーに涙を拭われている俺の姿を、ルルーシュは暫くの間無言で見つめていた。
 やがて、ゆっくりと逸らされていく視線。
 俺に背を向けたその時の彼がどんな顔をしていたのか――俺は知らない。
 引き離される直前に知ったのは、彼が俺と同じく道を違えようとしていたことだ。
 自分を捨てた祖国に対する凄まじい怒り。
 ……ルルーシュはあの時、一体どう思っていたのだろう。
 一番腹を立てていたのは命を軽んじられたことか。妹を傷付けられたことか。――それとも、俺と引き離されたことだろうか。
 今となっては解らないことだが、もしくは全てが同列だったのかもしれない。
 生き別れたあの日、怒りの炎を瞳に宿した彼は祖国を壊すと俺に誓った。
 ――ルルーシュも、いつか俺と同じになるのだろうか。
 そう思った途端、胸に酷い悲しみが過ぎった。
 言わなければ……俺が。俺にしか伝えられないことをルルーシュに言わなければ。
 でないと彼は、いつか道を踏み外してしまう。俺と同じように、もう二度と戻れない遠くに行かなければならなくなる日が来てしまう。
 間違った手段で得た結果に価値など無いと。
 激情に任せ、力を求めた行動の果てに待つものは悲劇でしか無いのだと、彼に伝えなければ。
 ……でも、俺は言えなかった。最後まで。
 ただ、壊れかけた心のどこかで「失ったのだ」とだけ理解した。
 そして、目的の為に殺人という手段を選んだ罪――守るべき存在を守ることでしか償えない、肯定出来ない罪だけが俺に残され、ルルーシュの影を無意識に模倣した『俺』は、いつの日か『僕』という仮面を被って生きるようになった。
 本来の自分を殺し、暗闇の中で手探りしながら歩む日々。
 毎日のように俺は考え続けた。
 俺のために力を使う。そう約束してくれたルルーシュの中にも、俺の中にあるものと同じ我欲が潜んでいるのだとしたら――?
 誰かの為に……そう、例えば妹の為にと、いつか激情に任せて力を求める時が来るとしたら?
 目的の為には手段を選ばず、陽の当たる明るい道ではなく、いずれ暗い方へと続く道のりを選ぶ日が来るとしたら……?
 そんな考えに至るたび、俺は声も無く震える思いだった。
 これとて俺の背負うべき罪か。そう思えばほんの少しだけこの世との繋がりを感じられ、空しさの中で己を偽りながらでも何とか呼吸することは出来たけれど。
 どう償えばいいのか解らず煩悶し、懊悩し、罪人となった己の生き方を探してさ迷い続ける日々。
 生きていてもいい理由が見つからない。
 何のために生きているのか。どうしたら生きることが許されるのか。守るべき存在と生きる意味とを同時に失った俺に、正しい答えなど導き出せる筈もなく。
 そうして俺は、八年前に贖罪の道を選んだ。
 敗戦して尚、抵抗活動が盛んなエリア11。余力を残した敗戦。捨てられない国としてのプライド。
 テロが盛んな原因の一端は間違いなく俺にあった。……だからこそ、これ以上戦わせてはならないと。
 多くの人々が命を落としていく。たった今、この瞬間にも。
 そんな中で、罪を犯した自分一人だけがのうのうと守られ、生き延びてしまっているこの罪は、一体誰になら裁けるというんだ?
 規律と罰を求めた俺は軍属になり、結果、守るべき対象だけに留まらず、家族も親族も全員失った。
 ……その頃の『僕』は、こう思っていた。『弱いことはいけないことだろうか』と。
 十歳の時に見た世界はとても悲しいものに見えた。だからせめて、大切な人を失わなくて済む世界を目指そうと。
 勿論、そうした悲しみを全て無くせるとは思わない。でも、目指すことを止めたら、父さんは無駄死にになってしまう。
 それでも、生きる意味や理由、戦いを終わらせるための具体的な方法だけはいつまでたっても見つけることが出来ず。
 そんな中、次第に目の前にちらつき始めたのは、俺自身の死だった。
 ……本当は、軍に入った時からずっと考えていた。人知れず心の奥底で。
『軍人は死ぬものだ』と。
 価値の無い俺自身の死が世界の役に立てば、それが価値となり償いとなるだろう。俺は罪人だ。生きる意味も目的も理由も無い。
 自身の空虚さに気付けば気付くほど、より強く死に心が傾き、引き寄せられ、正義に殉じた死そのものに魅せられていく自分がいた。
 ――だが、口では贖罪の為と言いながら、背負った罪からの解放を求めている狡さに気付く。
 本当はいつだって救われたくて。許されたくて……。
 なんて浅ましい。何故こうまで醜いんだ、本当の俺は。
 そこまで死について考えるくらいなら、とっとと自殺でも何でもすればいいものを。結局本当の自分から目を背けていたいだけか?
 足掻き続ける自らの姿を醜いと貶めながらも、自罰の如く己を責め続け、殊更に死へと追い込むことで償っているつもりになっているだけ。
 裏切り者。それでも日本人か。ブリタニアの狗。――人殺し。
 違う! ルールに則った戦い方だ。俺は誰かを罰するために軍に居る訳じゃない!
 ……でも、どう罵られようが構わない。イレブンと呼ばれるようになった祖国の人に憎まれようと、恨まれようと、自分ひとりが悪者になることで少しでも平和を齎すことが出来るなら。
 しかし、それも単なる偽善。所詮は只の自己満足。
 本当はいつだって許されたい、解放されたいと願い続けているだけのくせに。
 だからこそ、俺はやはり死ぬべきだ。たとえどれだけの年月を経ても、犯した罪は増えていくことこそあれ減ることなど無い。解っているだろう……?
 けれど、心のどこかで期待していた。
 戦いを、争いを巻き起こした責任を取ることでしか解放されない罪の重みに押し潰されそうになりながらも、この命の正しい使い道を示し続けることで償えば、いつの日か許される日が来るのだろうかと。
 ……そして、いつか「もういいよ」と誰かに言われる日が来ることを……。

 ――けれど。
 その願いを叶えるためのたった一つの光を、たった一本の道筋を指し示してくれた人は、もうこの世にはいない。
 他ならぬ彼が消したのだ。
 俺の全てを否定して。

 誰よりも「助けて良かった」と思える人であって欲しかった、ルルーシュが。


 全てを壊した。


 全ての始まり、全ての終わりには、必ずルルーシュの影がちらついている。
 だからこそ離れようとした。だからこそ、離別して異なる道を歩み始めたのだと知った時から、俺は別の対象を求めてさ迷ってきたのに。
 一年前。
 七年の歳月を経て再び巡り合ったルルーシュは、自分のことを『俺』と呼んでいた。
『ブリタニアをぶっ壊せ!』
 まるで過去の写し身。合わせ鏡。
 封じ込めた筈の俺に、どこか似ている。
 ……嫌な予感がした。

 そして。

『ルルーシュ。君は、殺したいと思うくらい憎い人がいるかい?』
『憎めばいい。ユフィの為だろう? それに、俺はもうとっくに決めたよ。引き返すつもりはない』
『ナナリーの為?』
『ああ。切るぞ、そろそろ』
『ありがとう……ルルーシュ』
『気にするな。俺たち、友達だろう?』
『七年前からずっと』
『ああ。じゃあな』
         、、
『それじゃあ、後で――』

 憎しみに支配されたまま戦えば、それは只の人殺しだ。
 俺は結局、自身に課したそんなルールさえ守ることが出来なかった。
 あれはギアスが犯させた罪だろうか。ルルーシュのせいか? ゼロとしての。
 そう考えてから、すぐに気付く。――あれは、俺の激情。本性。俺が俺であるからこそ犯してしまった罪なのだと。
 数え切れないほどの罪の重さに喘ぎながら生きる辛さに匹敵する痛み。
 八年前に抜いた己の刃。返す刃に切りつけられる苦しみこそが俺にとっての生だった。 
 ……でも。
 腑抜けたようにベッドに横たわったまま、俺は明けていく空を見ていた。
 ルルーシュに記憶を戻させるか、否か。
 そう考えてから思った。
 俺は、何故こうまでして、ルルーシュの本心を確かめようとしているんだろう。
 国の命に背いてまで見極めようとする必要など、どこにもないのに。
 俺が許そうが許すまいが、ルルーシュの罪は消えない。犯した罪は無くならない。
 償わせなければならない。ルルーシュに。そんな俺自身の責任からも逃れられはしない。
 それなのに、俺は何故、許すか許すまいかなどということで悩んでいるんだ? 
 自分が憎しみから解放されて楽になりたいからか?
 ……違う。
 だったら何だ。
 自問したところで、俺はようやく答えに辿り着く。

 いや増す苦しみにさえ反する抗いがたい誘惑。そして、いとおしさ。
 このままルルーシュが記憶を失っていれば、ずっと傍に置いて守ってやることが出来る。
「俺を愛せ」と命じられた通りにしてやれる。

 俺はもう一度、「生きる理由」を手に入れることが出来るんだ。

 ――痛い。本当に痛い。それを認めてしまうことは、彼を慈しんでいたのだと知らされた時よりもっと辛い。
 寝ても覚めても消せない憎しみ。任務に打ち込んでいる間だけその苦しみから逃れることが出来た。辛うじて忘れていることが出来た。
 それがどうだ。
 憎み切ることなど出来ない。嫌いになり切ることも出来ない。
 どうあっても、ルルーシュが好きだ。
 彼を求めている。――だから、許したい。
 それなのに許したくない。許せないからこそ苦しい。

 だから、許させて欲しい。
 そのための口実が欲しい。ただそれだけだ。
 願っているのだ。
 彼を、ルルーシュを、生きる理由を、俺の王を。


「取り戻したい」と。


 関係ないっていうのか、俺は。
 たとえユフィを殺した男でも、俺の進むべき道を閉ざそうとした男でも、最悪の形で裏切った友達だったとしても。
 憎んでいようがいまいが、ルルーシュの行動を一番傍で見守り、彼を俺の目と手の届くところに置いてさえおければ、それで。

 ――許したいと願う時点で、そうなのだ。

 忠誠を誓った国に背き、ルールなど無視してでも。
 それが、俺の本性。


 だとしたら、これほど酷い話も無い。


 自身の本音を悟った俺は、愕然としながら両腕で瞼を覆った。
 憎しみの本質。裏の裏は表だ。
 だからこそ俺は消せないのだ。……この慈しみを。

 ……おそらく、王が剣を選ぶというならば、剣もまた仕えるべき主を選ぶのだろう。
 だからルルーシュ。答えて欲しい。
 王が何故王たり得るのか、君は正しい答えを言えるだろうか。
 仕えるべき主君を失った騎士の気持ちが、君には解るのか?
 真に敬われる存在であるからこそ、王は王であることが出来るのに。

 記憶を無くしたルルーシュに再会した初日、彼が俺の王なのだと理由もなく確信していた。
 それはそうだ。八年前から決まっていたこと。
 たとえ何に引き離されようが、俺は彼の剣としてしか生きられないのだろう。
 だからこそ、八年前に彼を失った時から、俺はずっと暗闇の中にいたのだ。
 もう二度と使われることは無いと、道場に置き去りにされた、あの木刀のように。

 けれど、もしルルーシュが俺の王であるならば、彼は誰よりも正しくなければならない。
 仕える者を迷わせる存在であってはならないのだ。
 もしも王に間違いがあるならば、それを正せるのは王の騎士たる剣だけだ。
 ……たとえ、主君たる王そのものを亡くしても。

 だからルルーシュ。
 君が俺と道を違えることなど、本当はあってはならなかったんだ。







NEXT→ 「Lost Paradise.Ⅱ」 To be continued.

Lost Paradise 10(スザルル)

10


 目覚めた時には既に真夜中を過ぎていた。
 付けっ放しにされた明かりが煌々と室内を照らす中、真隣に視線を向けると、ルルーシュがほの白い胸を上下させながらすやすやと穏やかな寝息をたてている。
 再会当日とほとんど変わらない状況だ。あの後、何をと問う間も無く食卓を片したルルーシュに手を引かれ、俺は誘われるままルルーシュを抱いた。
 ルルーシュは未だ一糸纏わぬ姿でベッドに横たわっている。上掛けから覗く素肌には其処此処と無く赤い鬱血の跡が浮かび上がり、脱ぎ捨てられた衣類は無造作に床の上へと散らばされていた。
 どうやら疲れ切った末に二人して眠ってしまったようだ。
 ――どうしようか。軽く吐息して考えた俺は、あどけないルルーシュの寝顔から整理整頓の行き届いた室内へと目を移した。
 こんなことなら最初から着替えを持ってくるべきだった。制服も部屋だ。今日から登校するというのに、まだ何の支度も済んでいない。
「ん……」
 身じろぎした俺の気配に気付いたのか、ルルーシュがうっすらと目を覚ました。
「ごめん、起こしちゃったかな」
 飛び込んでくる光が眩しかったのだろう。ルルーシュは開きかけた瞼をぎゅっと瞑ってから幾度か瞬かせ、首を巡らせてぼんやりと俺を見返してくる。
「どうしたんです……? 今、何時だ……?」
 眠そうに目を擦りながら起き上がろうとしたルルーシュに「二時だよ」と告げると、ルルーシュはふと動きを止めてから俺を見た。
「もしかして、部屋に?」
「うん、一回戻ろうかと思って。学校の支度とかまだなんだ」
「今から……?」
 朝になってからでも、と呟いたルルーシュが表情を曇らせる。
 同じクラブハウス内だ。用意に然程時間はかからない。――と、考えかけてから思い出す。
「毎朝トレーニングしてるんだ。こっちに来ても一応続けないと」
「走ったりするんですか?」
「うん。六時には起きるよ」
「そうですか……」
 名残惜しそうではあるものの、ルルーシュは寂しそうな笑みを浮かべながら布団に潜り込もうとする。
「寒くないか?」
 上掛けを引き上げて首の辺りまで覆ってやると、ルルーシュは僅かに目を瞠ってからハッとしたように俺の手元を見た。
 どうやら自分が裸のままだったことを急に思い出したらしい。何もする気はないと安心させるために笑いかけてみたが、もそもそと布団を手繰り寄せる動作は、ややぎこちない。
「軍人さんって大変なんですね」
「そうでもないよ。体力作りは昔からの習慣だから」
 言いながら俺はベッドを降りた。
 ルルーシュはシャツを羽織る俺の姿をじっと見つめている。本当は引き止めたいのだろう。とろんと落ちかかってくる瞼を懸命に開いて見送ろうとするさまがどうにも寂しそうで、俺は思わずその頭に手を伸ばした。
「寝てていいよ。朝になったら、また来るから」
 自分でもどうしてこんな台詞を? と疑問に感じたが、躊躇いと同時に浮かんだのはそんな自身への言い訳だった。……きっと今だって、歪められた記憶のせいで生き辛さを抱えているに違いないのだから、と。
 さらさらした手触りのいい黒髪を撫でながら「起こしてあげようか?」と尋ねると、ルルーシュはうっとりと目を閉じたまま控えめに首を振る。
「朝食作って待ってますよ、俺は。体を動かすならお腹が空くでしょう?」
「昨夜の残りでいいよ」
「そういう訳には……」
「いいから」
 困り顔で言い募るルルーシュを俺は敢えて遮った。
 ルルーシュは何も言わないが、昨日は本当に気の毒なことをした。結局ほとんど手を付けぬまま片付けさせてしまったことが今更のように悔やまれる。
「まだ保存してあるんだろう? 折角作ってくれたのに勿体無いよ。凄く美味しかったのに」
「本当ですか?」
「ああ、何なら弁当にしてくれてもいい。昼休みになったら二人で屋上に行かないか? そこで一緒に食べよう」
「わかりました」
 これ以上気遣わせまいと思って提案してみれば、ルルーシュは心底嬉しそうに破顔した。
 枕元に手を付くと、俺を見上げる紫玉に幾許かの緊張が走る。散った黒髪を丁寧に梳いてから頬に手を添えたところで、ルルーシュは交差する視線に促されるままゆっくりと全身の強張りを解いていった。
 閉じられた瞼に口付けながら思う。
 こんなにも初心だというのに、随分思い切った行動に出たものだ。昨夜俺の手を引いたことにしても、誘ったというよりは慰めるつもりでいたことなど訊くまでもない。
 それとて全て俺の為なのかと思えば、浮かぶ言葉は「献身」の二文字。
 覚えたての睦言に対する照れと恥じらい。物慣れない仕草の中に見え隠れする色めいた艶。
 一度離れてから間近で見下ろしていると、けぶるような長い睫がピクリと動き、やがてゆうるりと瞼が開かれていく。
 不可思議な色をした大きな瞳。性差ですら超えたしどけない色気に引き寄せられるが如く唇を重ねれば、ルルーシュは陶然とした面持ちで大人しくそれを受け入れた。
「それじゃ、また後で」
 離れる間際、頬へと掠めるような口付けを送る。首肯の代わりに緩く瞬いたルルーシュは、そのまま目を閉じて再び穏やかな眠りに就いた。
 安心し切った寝顔を眺めながら、俺は幼少時の彼を思い出す。
 誰にも庇護されぬまま人質として敵国へと送り込まれ、周囲に居る人間全てを敵と判じることでしか生きられなかった孤独な皇子としてのルルーシュを。
 俺に気を許してからでさえ、彼は決して警戒を緩めたりしなかった。まして、こんな風に安心し切った顔で眠っているところなど見たことはない。
 ルルーシュは、いつも何かから身を守るように体を固めて眠るのだ。
 一年前でさえ、その癖は直っていなかった。横向きになって蹲り、いつも小さく縮こまったまま眠っていた。
 向けられた背を抱き寄せても体の強張りを解くことはおろか、こちらを向くことさえほとんど無く、ほんの僅かな物音を聞きつけるだけですぐ起きてしまう。
 今思えば、それもゼロとして緊張を強いられる立場に自らを置いていたからこそだったのか……。
 詮無きことだと嘆息しながら、俺はルルーシュの私室を後にした。
 今のルルーシュはあまりにも無垢で、さながら一輪の花のようだ。想起させられるのはナナリーと接していた兄としての姿。
 俺にいい面だけを見せようとしているから「こう」なのだろうか。
 少なくとも、軽口を言える程度には打ち解けている。ルルーシュは昔から気を許していない相手に対してはおそろしく無口になる子供だったが、それは逆を言えば、口が悪くなればなるほど気を許しているという証拠でもあるのだ。
 嘗ての彼は、喩えて言うなら毒花だった。……ならば今の彼は何だろう。咲くこともなく、実を結ぶこともなく散ってしまう徒花なのだろうか。
 ――本当に?
 では、もし最初から、優しさだけに包まれて育っていたら?
『本当の顔って、何です?』
 ふと、昨夜聞いたルルーシュの言葉が頭を過ぎった。
 慈しんでいた、と言い当てられ、粗を探す目でルルーシュを見ることにも早々と疲れ始めている。
『貴方になら嘘を吐かれても構わない』
 そんなルルーシュの言葉に心も折れた。
 ……俺だって嘘をついている。一年前からずっと。
『僕』という仮面を被ってしまった以上、素の自分としては相対出来ない。昔と同じ関係を求められても、俺にとってだけ昔と同じ自分であってはならない理由があり、それをルルーシュに知らせることはどうしても出来なかったからだ。
 知って欲しい、気付いて欲しいと思う反面、知られたくないと恐れる気持ちも本物で。
 ルルーシュのせいにしてはいけない。
 そう思う時点で、彼に責任を被せたがっている自分がどこかに居るかもしれないことが何よりも怖かった。
 八年前の父殺し。それをルルーシュに知られてしまってからは尚のこと距離を置かざるを得なくなり、俺自身の過去を知る彼から逃れたいと思ったことさえあった。
 ――でも、ルルーシュは。
 語気も荒く責め立てた俺に言い返すどころか、ただ癒そうとするだけで――。
『大切な友達に嘘をついて、裏切っても平気でいられる『人間』なんていない』
 心を抉られたこの言葉。
 ……では、ルルーシュはもしかして、「嘘をつく自分は人間ではない」と思っていたのだろうか。あの仮面を被って俺に言い放った否定の言葉は?
 つかつかと進めていた歩が止まる。
 ルルーシュは、本当はどういう気持ちだったのか。
 罪悪感や疚しさを感じてくれていたのか。
 嘘をつくことは苦しかったか? 痛かっただろうか?
「君は俺の為に、少しでも苦しんでいてくれたのか……?」
 応えの返らない問いかけが廊下に響いた。立て続けに、またもルルーシュの言葉が脳裏を過ぎる。
『そういう人だったんですか? 貴方の友達は』
 疚しさなど感じることなく嘘を吐ける人間だっている。そう言った俺に、ルルーシュはこう答えた。
 ――ルルーシュ。
 もしそれが君の本心だったというのなら、答えて欲しい。
 そんな君が、何故ユフィを? 俺に「生きろ」とギアスをかけた君が、何故――?
 隣の棟へと戻った俺は、新たな自室となった部屋のドアを開く。
 引っ越してきたといっても私物は少ない。必要な身の回り品はこちらで適当に買い揃え、本国に戻る際には全て捨てるつもりでいた。
 何に対しても執着がない。そんな生き様を晒すことでしかバランスを保てない自分がいる。
 持って来たものは数着の衣類と軍服、それから制服。後は、トレーニングの際に着る胴着と袴くらいだ。
 クローゼットを開き、幼い頃から着慣れた胴着と袴を目の前にしながら、俺は暗澹たる思いを打ち払おうとかぶりを振った。
 トレーニングなど、とてもではないが今はする気になれない。でも、体を動かせば少しは気分も紛れるだろうか。
 ……いや、駄目だ。考えを整理するために一人になろうと思ったんだろう。それよりも早急に考えなければならないことがある筈だ、俺には。
 自分の気持ちに向き合わなければ、もう先に進むことは出来ない。そう気付いてしまったのだから……。
 クローゼットの扉を閉じてベッドに腰掛けた俺は、そのままごろりと寝転んだ。
 糊の効いたシーツの感触。つい先程まで床を共にしていたルルーシュの寂しげな表情を思い出す。
 後ろ髪を引かれる思いで出てきたものの、トレーニングがあるなどというのは所詮只の言い訳に過ぎない。角が立たぬようルルーシュの部屋を辞してくるための。
 許したいのか、許せないのか。……許してもいいのか。
 そこまで考えてから、胸を掠めていくのはユフィのことだった。
 そんな選択肢など、初めから無いと決めてかかっていた。あり得ない。寧ろあってはならないとさえ。
 けれど、憎んでいることも本当なのに求めてしまう。どうあっても惹かれてしまうのだ。
 ルルーシュは言った。
『仮に思いの全てを裏切られたとしても、もしこの先貴方を憎むことがあったとしても、俺はきっと、心の底から貴方を憎み切ることなど出来はしない。たとえ憎んでも、決して嫌いになり切ることなんか俺には出来ない』
『貴方もそうでしょう? だからこそ、そんなにも苦しんでいるんじゃないんですか?』
 ――その通りだ。
 悔し紛れに目を瞑れば、そこに広がるのは果ての無い暗闇。
 まるで八年前の自分に戻ってしまったみたいだ。あの頃も……いや、本当はあの頃からずっと、俺は暗闇の中でもがき続けているのかもしれない。
 ベッドに横たわったまま、俺はこの一年間ずっと忌避し続けてきた自分の本心について考えた。
 今のルルーシュがいかに純粋で健気であろうと、彼の言うことが本来のルルーシュの発言だと鵜呑みにしてしまう訳にはいかない。
 偽りの記憶から目覚めたルルーシュは、きっと一年前と同じ道を行く。
 ギアスがかかっているとはいえ、抑圧された部分が既に出てきている。まるで演技が出来ないという確証もない。……危険すぎる。
 俺の中に生まれたもう一つの選択肢。――「ルルーシュを許す」ということ。
 彼を許すためには相応の理由が必要になる。そして、覚悟も。
 友達だと言ったのに何故俺を騙したのか、何故裏切ったのか。ユフィを殺した本当の理由。俺に「生きろ」とギアスをかけた理由。
 それら全てを本人の口から直接聞き出すまでは、許すわけにはいかない。
 けれど、もしルルーシュの記憶が回復したら――。
 C.C.を確保した後は、ルルーシュを殺さなければならない。それが俺の本来の任務だ。
 この学園の生徒や教師達は全員サクラであり監視員でもある。C.C.とルルーシュが接触したとなれば、地下の機情、及び俺にもすぐ連絡が入るようになっている。
 学園内は二十四時間体勢で厳重な監視体制と警備の下に置かれ、仕掛けられたカメラやマイクの台数は延べ数百台。ルルーシュの部屋は勿論のこと、学園内の全施設には防犯システムが完備され、スイッチ一つで押された部屋の出入り口にロックが掛かり、ドアのみならず窓にも鉄柵が下りる仕組みになっている。
 また、ロックが掛かった時点でその室内には催眠ガスが放出されるため、閉じ込められた者は否応なく、そのまま中で眠らされてしまうという訳だ。
 手動でも操作可能。……つまり機情でも操作出来る上、女性恐怖症のルルーシュがC.C.と遭遇した際、自分で防犯スイッチを押しても作動する――そういう仕掛けだった。
 これであれば、たとえC.C.が仕掛けてこようが、ルルーシュがゼロとして覚醒しようが関係ない。C.C.諸共ゼロに戻ったルルーシュも同時に確保することが出来る。
 要塞化されたこの学園は、ルルーシュを閉じ込める鳥篭であるのと同時に巨大な牢獄でもあった。有事の際には即・封鎖されるため、それこそナイトメアか重火器、爆薬等を使用して外側から壁をブチ破りでもしない限り、ルルーシュとC.C.が共に脱出するのはまず不可能だ。
 地下には機情、政庁とも数キロと離れておらず、学校でもプライベートでも俺が付きっ切りで随伴することとなった今、ほぼ隙が無い状態だと言っていい。
 故に、問題となるのはルルーシュが学園外に出た時だけだ。
 出掛ける時も監視と尾行付きではあるものの、目の届かない校外に出た時こそ接触する可能性が最も高くなる。
 しかし、過去のトラウマから、ルルーシュは基本的に外出しない。用事がある時も一人歩きを避け、友人連れで出かけるのが常だった。
 日常生活に不自由無い程度に会話は出来るものの、ルルーシュは見知らぬ女性に接近されたり話しかけられたりすることを極端に怖がっている。
 最初は一人きりで出かけようとしていたようだが、外出したルルーシュに女性監視員を数人嗾けたところ、ついに一人きりで出歩くことは無くなった。
 ……勿論、そうなるよう仕向けたのが俺であることなどルルーシュは知らない。
 だが、この状態であれば、C.C.は嫌でも学園に乗り込んでくるしか無いだろう。
 当然やってきた時点で捕まることになるだろうが、考慮しておくべきケースもある。……単身ではなく、複数で乗り込んできた場合だ。
 元・黒の騎士団の主要メンバーは数人を除く全員が検挙済みとなっているが、神根島で行方をくらませたカレン等、まだ逃げ延びている者が数名残っている。彼女を始め、地下協力員等、残党を率いて強襲してこられると少々厄介だった。
 とはいえ、ギアスのことがある以上、一対一になるタイミングは必ずあるだろう。
 C.C.に接触させないまま記憶回復させるように仕向けるか? 今の状況であればそうすることも可能なはず。
 だがその場合、C.C.には勿論のこと、機情にも、そして学園の生徒や教師達にも決してそれを悟られてはならない。
 ――そして。
 ルルーシュがゼロとして復活すれば、彼はきっと、また俺に嘘を吐く。
 ブリタニアに売られた恨みがある以上、ルルーシュが俺を許すことなど決して無いだろう。ましてや本心など絶対話さない。
 つまり、どうあっても敵対せざるを得なくなる。
 彼の演技を見破れず、記憶回復したタイミングを見誤りでもすれば全てが終わりだ。
 頭の切れるルルーシュのこと。ギアスの力を取り戻したとなれば、即、この牙城を切り崩しにかかることだろう。監視者を操ることなど造作もない。機情内部へと手引きさせることも。
 そうなれば学園内の全システムはすぐ穴だらけにされ、最悪、機情そのものが乗っ取られてしまう。
 万一取り逃がすようなことにでもなれば、贖罪の道は絶たれるも同然。かといって、C.C.を釣り出す前に記憶回復したことが明らかとなれば、ルルーシュは捕らえられ、C.C.をおびき寄せる餌としてさえ生きられるかどうか解らない。
 皇帝のギアスに回数制限が無ければ再び記憶を弄られ、一度きりであるならルルーシュは確実に殺される。
 ――と、そこまで考えた俺は、はたと我に返った。
 そもそもだ。
 ルルーシュの記憶が戻り、仮に上手く本心を訊き出せたとして、俺はその後どうするのか。
 忘れていないか? 俺の任務はC.C.を確保し、ルルーシュの記憶が回復し次第彼を殺すこと。……いや、忘れてはいない。
 では、どうする?
 任務に従いルルーシュを引き渡すのか。それとも殺すのか……?
 不意に浮かんだのは、昨夜見たルルーシュの笑顔だった。まるで花が綻ぶような、儚くも美しく、慈愛に満ちた優しい微笑み。
 耳朶を打つ甘い囁き。握られた掌の温かさ。寂しそうな表情。子供のようにあどけない寝顔。
 幼少の折、果物の籠を抱きかかえたまま泣いていたルルーシュの姿がふと浮かんだ。ずっと可愛げがないと思っていたのに、初めて見た笑顔を綺麗だと思ったことも。
 自分でも信じられないことに、嬉しかった。そう思った十歳の俺。
 聞こえない筈の声が耳の奥で蘇る。
『どうせその毒ガスだって、ブリタニアが作ったんだろう。殺すな? だったら、ブリタニアをぶっ壊せ!』
 マスクを外して名前を呼んだ瞬間、驚きに瞠られた薄闇の中の紫玉。
 屋根裏部屋で話そう。襟を引くルルーシュ。
 教室で本を読んでいる端正な横顔。ナナリーと話している時の穏やかな表情。三人で仲良く海辺で遊んだ記憶。
 楽しかった。とても。
 もう二度と会えないと思っていたからこそ、かけがえの無い時間だと大切にしていた。信じていた。
 ――それなのに。
 銃を構えたゼロ。胸を打ち抜かれたユフィ。スローモーションのように倒れていく光景。
 モノクローム。一瞬の沈黙。
 ブレる視界。
 響く俺の絶叫。
 ……最後に、仮面が割れた瞬間に現れたルルーシュの無表情。
 そしてまた、昨夜見たルルーシュの笑顔がそこへと重なっていく。
 フラッシュバックする過去と今。一挙に想起される全てのルルーシュ。
 ――駄目だ。ただそう思った。
 強く頭を振り、俺はひたすら考える。
 殺す? あのルルーシュを?――違う。俺が殺すのはゼロだ。
 許す? それはつまり、皇帝の命に背いてルルーシュと共に逃げるということか?
 動悸が激しくなり、引き攣れたように呼吸が浅くなり、意識が遠のきそうになる。ベッドの上で蹲った俺は、無意識の内にシーツをきつく握り締めて自分の胸を押さえていた。
 ごろりと上を向き、大きく息を吐き出す。
 真っ白な天井に狂わされる遠近感。窓外へと視線を移せば、紺碧の空は既に白みかけている。
 あと数時間で夜が明ける。混乱した頭のどこかで冷静に考えられたことは、たったそれだけだった。
 どうする。俺はどうすればいい? 何をどこから、どう考えればいいんだ?
 噛み締めた奥歯が、ぎり、と嫌な音を立てた。何もかもが行き詰まり、混迷し続けている考えが現実との間で板挟みとなって、ますます訳が解らなくなっていく。
 このまま記憶を失ったままでいてくれれば。そう思う反面、ルルーシュの本質について確かめたい気持ちは増していくばかり。
 だとしたら、俺はどうすべきなのか。
 いや……俺は。
 本当はどうしたい――?

Lost Paradise 9(スザルル)




「――え?」
 端的に言い切った途端、澄んだ菫色が驚愕に見開かれ、傷付いたように揺らいだ。
「ここまで言えば解るだろう? 俺が君に嘘を吐かれたくないと思う理由が」
 蒼白になったようにさえ見えるルルーシュを前に、心が散々に乱れていく。
 記憶回復するかもしれない? すればいい。すぐにでも捕まえて、問い詰めて――。
 でも、その後俺はどうするんだろう。ルルーシュを本国送りに?
 監視任務中なのだから当然の処置だ。……だが出来るのか? 俺に。
「俺は貴方の……その友達じゃない」
 震える声で呟いたルルーシュが辛そうに唇を噛んでいる。
 酷い言葉をぶつけているのは俺の方だ。ルルーシュの気持ちを考えれば傷付くのは当然のこと。
 でも、打ちひしがれたルルーシュの姿を見ても今は同情する気分になれない。
 冷えた声音のまま俺は告げた。
「それは解っているよ。でも、似ているから思い出すというのが事実とはいえ、嘘を吐かれるのが嫌いというのはそのこととは関係ない。それは俺の性格だ」
「被せて見ていたんですか? その人に」
「……そういう訳じゃない」
 被せるも何も、その友達というのは君だ、ルルーシュ。
「だったら……!」
 嘗て無く激した口調で言い募ろうとしたものの、途中で口を閉ざしたルルーシュはもどかしげな表情のまま消沈した。
 無言で首を振り、小さな声で「すみません」と言ったきり塞ぎ込んでいる。
 打ち消した言葉は何だろう? ふと疑問に感じてから気が付いた。
 ――たった今、「見ているのか」ではなく「見ていたのか」と問われたことに。
 あくまでも冷静にと努めていたものの、ルルーシュが傷付いた本当の理由について思い至るなり酷い罪悪感に襲われる。
 俺の気持ちを慮って口に出さなかっただけで、実は密かに気にしていたのだろうか。俺が今のルルーシュではなく、彼の姿を通してその友達を見ているのではないかと。
 ……思えばこれ以上残酷な話もそうはない。騙すつもりでいた訳でも無いのに、裏切った友達と同じことをしようとしているのかと嫌疑をかけられ、覚えの無い以前の自身と重ねられることであれこれ探られては傷付けられる。
 記憶の一切を書き換えられ、個人としての意思ばかりか人格さえも捻じ曲げられ、自信すら喪失しているせいでこうして俺にも遠慮し、言いたいことも満足に主張出来ず、好いている相手に今の自分を見てさえもらえない。……あまりにも不憫だ。
 仕舞いには疑問にさえ思えてくる。
 ルルーシュは一体何故、俺のような男を好いているのだろう。せめてそういった意味での好意さえ無ければ、ここまで辛い思いをすることなど無かっただろうに。
 感情的になってしまった経緯といい、強い口調で詰問したことといい、さぞかし気難しく扱い辛い斑のある性格に見えていることだろう。それなのに、何故そんな俺を優しいなどと評したり出来るのか解らない。
 今まで自分が口にしてきた台詞を反芻していた俺は、又も唐突に気付いた。
 俺は『俺に嘘を吐くルルーシュ』が許せない。
 秘密主義で本心を隠し、その時々によって都合のいい仮面を被って接してこようとする狡猾なルルーシュが。
 だって『友達だ』と言ったのに。 こんなにも大切だったのに。
 でも……君にとっては嘘という仮面を被って接すればいいと思う程度の存在でしか無かったのか? 俺は。
「貴方はいつも辛そうだ。一体どんな人だったんです? その友達は」
 悲哀に暮れた眼差しを向けてきたルルーシュが、諦めたように嘆じてから問いかけてくる。
 俺も黙然としたまま視線を落として嘆息した。
 どんな人だったのかと問われても、彼の本質を見失ってしまった今の俺には答えることが出来ない。
 特徴ならばよく解る。どんな性格だったのか、どんな話し方だったのか。声も仕草も表情も。
 けれど、それらは全て彼を構成する一部分であり、ほんの断片でしかなくて、ルルーシュという一個の人格へと纏まる前にバラバラに崩れていってしまうのだ。
「誰よりもよく知っていると思っていたよ、彼のこと。幼い頃からずっと、この年になってからも」
 裏切られるまでは、と。
 やっとの思いで捻り出した俺が最後に一言付け加えるなり、ルルーシュは痛ましげに柳眉を顰めた。
「もう戻れないんですか? その人とは」
「そうだな。やり直すことは出来ない。俺も彼も」
「…………」
 リビングに流れる沈黙。
 テーブルに並べられた料理が冷えていく。丹精込めて作り上げたんだろうに、和やかさとは程遠い殺伐とした雰囲気。心が乱れ、平静を装いたくても装えない。
 やりきれない思いの中で俺は思った。
 これじゃまるで鬱憤晴らしだ。子供か、俺は? 引越し祝いと称された晩餐も、非理だと承知の上で続けてきた演技ですら全てぶち壊しじゃないか。
 演技が必要な相手であるとはいえ、ルルーシュの前で『僕』でいる必要はない。俺の生きる意味を奪い、進むべき道を閉ざそうとしたこの男の前では。
 けれど、だからってこのルルーシュ相手に気持ちをぶつけてどうする? 記憶の無いルルーシュ相手に。一方的に。
 嘗てユフィから貰った言葉が耳の奥で蘇る。
『自分を嫌わないで』
 あの時は本当に嬉しかった。自分でもどうやって開けばいいのか、開いてしまっていいものかどうかさえ解らなくなっていた心の扉。
 ルルーシュを失ってからの七年間、固く閉ざされたまま開き方などとっくに忘れてしまっていたそれを、いとも容易く解放してくれた彼女の暖かさ。そして、思いがけない優しさ。
 感謝している。言い尽くせないくらいに。あの時俺は、分不相応にも初めて生きたいと心から願うことが出来た。
 ……でも、俺にはやっぱり無理なのかもしれない。彼女の言葉を否定したくはないけれど、今でも浅ましく我欲に忠実な自分自身がこんなにも疎ましいのだから。
 俺は八年前から迷ってばかりだ。永久の眠りに就いた彼女の胸に父の形見の時計を置いてきたあの日――ブラックリベリオンでルルーシュと決着を着けたあの時から、俺はずっと俺のまま『僕』に戻ることが出来なくなった。
 八年前に時を止めた『俺』
『僕』という仮面をルルーシュが壊した瞬間から、再び動き始めた時計の針。
 また守ることが出来なかった。救いの光を指し示してくれた人を。もっと早くルルーシュを逮捕していたら、彼女は殺されることなどなかったのかもしれない。
 背負った数多の罪に、また一つ。
 やはり俺に芝居は向いていない。そう思っていると、ルルーシュは何を思ったのか突然椅子から立ち上がり、ゆっくりした足取りで俺の傍まで歩み寄ってきた。
「……?」
 ルルーシュは真隣に立って見下ろしてくる。いいだけ感情的になってしまった後だからというのもあるが、さすがに少々ばつが悪い。
 一瞥を送ってから顔を背けたところで、ルルーシュは俺と目線を合わせるようにその場に屈んできた。
「貴方が嘘を嫌う理由はよく解りました。確かに俺は、もっときちんと理解されたい、本当の自分を解ってくれる人だけ残ればいい、そう思っていても、一時はもっと上手く嘘が吐けたらと思った。――でも、」
「もういいよ」
 言葉を選びながら訥々と語っていたルルーシュの言葉を、俺は聞きたくないとばかりに遮った。
 今更なんだ、それは。
 仮面を被る。嘘を吐く。騙して裏切る。――それなのに理解されたいだと? あまりにも身勝手だ。
「貴方とはきちんと向き合いたい。だから最後まできちんと聞いて下さい。俺は貴方の生傷に触れてしまった。まだ塞がっていないと知っていたのに、軽々しく。それなのに謝らせてもくれないんですか?」
 ルルーシュの言い分に、つい自嘲が漏れる。
「生傷か」
「だって、この間も泣いていたじゃありませんか」
「そうだな。みっともないところを見せたと思っているよ」
「そんなことはない!」
「!!」
 ルルーシュの剣幕に驚き、穴が開くほどその顔を見つめてしまう。
 叫んだルルーシュの声に蘇る記憶。……似ている。元のルルーシュに。
 申し訳なさそうに表情を曇らせて小さく「すみません」と謝ったルルーシュが、膝の上に乗せていた俺の拳にそっと掌を重ねてくる。
「何でも思ったことをそのまま言ってしまう癖を直したいと思ったけれど、もっと上手く嘘が言えたらと思いながらも、これで騙さなくて済むとほっとしている自分もいるんです」
「……っ!」
 まただ、と思った俺は固く目を瞑って唇を噛んだ。
 だから、それは一体誰の言葉なんだ!?
「こんなことを言ってしまったら、また貴方の傷口に触れてしまうかもしれない。だけど、貴方を裏切ったその友達も、もしかしたら俺と同じ気持ちだったのかもしれません」
「どういう意味だ」
「本当は、ただ怖かっただけなのかもしれない。貴方に嫌われるのが」
 瞬間、かっと頭に血が上った。
「勝手だ! だったら嘘なんか吐かなければいい! 嘘を吐かなければならなくなるようなことなんかしなければ良かったんだ! 最初から!!」
 俺に嫌われることを怖れていたから嘘を吐いた!? あのルルーシュが? 馬鹿を言え!
 ルルーシュに向き直った俺は、俺の拳に触れていた手を荒々しく振り払った。
「もうやめてくれ!」
 搾り出すような声で俺は叫んだ。
 これ以上耐えられない。本人の口からそんな台詞を聞かされ続けるのは。
 嫌われたくないというのなら嫌われないようにすればいい。せめて仮面を被る前に、一言だけでも本心を伝えてくれていたら。
 正体を隠して嘘を吐くよりずっとマシだ。そうすれば俺だって説得することが出来た。少なくともその機会を持つことくらいは! 上手くいけば思いとどまらせることだって!
 それなのに、何故今頃になってそんな言葉を俺に聞かせるんだ、お前は!
「スザク」
「―――!?」
 不意に名を呼んできたルルーシュに虚を衝かれ、ほんの刹那、全ての思考が停止した。
 力任せに椅子の端を掴んでいた手に再び掌を乗せてきたルルーシュが、殊更優しい声音で告げてくる。
「昔、誰かに教わったことがあるんです。『人の体温は涙に効く』と」
「!」
 ルルーシュ、と呼びかけた声が喉の奥で止まった。
 開いた口が塞がらない。
 覚えている。それは八年前、ナナリーが俺を慰めるためにかけてくれた言葉だ。
「貴方はまだ泣いています。……だから」
 重ねた掌に力を込め、哀願のようにさえ聞こえる響きでルルーシュが呟く。
「誰から聞いたんだ? 人の体温が涙に効くって」
 尋ねた俺に向かって、ルルーシュは淡く微笑んだ。
「わかりません。もしかしたら親かもしれないと勝手に思っているんですけど、正確には……。ただ漠然と誰かから教わったような気がしているだけで、ひょっとするとどこかで聞いた言葉を覚えていただけなのかもしれない。ありませんか? そういうこと」
「…………」
 言葉が続かず黙していると、ルルーシュが「そんな顔しないで下さいよ」と苦笑する。
 どんな顔をしているのか自分では全く解らなかったが、俺は動揺をひた隠しつつ辛うじて無表情を貫いた。
 握り込んだ指先が僅かに強張り、ピクリと手の甲が痙攣する。それに気付いたらしいルルーシュは、重ねた手元に視線を落としてから感慨深そうな顔つきで呟く。
「俺はずっと、貴方にこうしたかったのかもしれない」
「ずっと……?」
「ええ。テレビで貴方の姿を初めて見た時から」
 握り締めた拳が解かれ、一本ずつ開いた指を絡めるようにしながらルルーシュがしっかりと手を繋いでくる。
「貴方の悲しそうな瞳を見た時でした。俺が泣いたのは……。何をどうすればいいのかなんて全く解らない、会うことが出来るような関係でさえ無いのに、ただ何とかしなければならないと気持ちばかり焦って……。自分でも何を訴えたいのか、何を伝えたいのかなんて全く解らない。それでも貴方に会いたくて、何か一言だけでも言葉を交わしたくて。……だから、もしこれが恋だというのなら、なんて辛いものなんだろうと」
「…………」
 黙りこくった俺に訴えるルルーシュの声は微かに震えていた。
 それでも精一杯思いの丈を伝えようと、ルルーシュは尚も話し続ける。
「貴方と出会った初日も、本当は自分から寄って行ったことを少し後悔していました。俺は人見知りが激しいし、いざとなったら思うように話すことなんか出来なくなるくせにって。それなのに衝動的に動いてしまって……。でも、貴方はそんな俺に対しても優しかった」
 それは違うと瞬時に思った。
 あの時は、単にルルーシュを手懐けるためにそう振舞っていただけだ。
「俺は、君にそこまで優しく出来ているとは思っていないよ」
 心の中でごめん、と呟きながら考える。
 優しく出来ていないどころか、再会してからずっと、俺は粗探しするような目でしかルルーシュを見ていない気がする。
 今だってそうだ。不安定な精神状態のまま接しては辛く当たり、取っているのは八つ当たりにも等しい理不尽な態度ばかり。ほんの僅かな綻びも見逃すまい、もう二度と騙されまいと、重箱の隅を突きつつ目を皿のようにしながら、それでも見極めたい思いを消すことすら出来ずに。
 そんな自分にも疲れ切り、いずれは自己嫌悪と罪悪感だけで潰れてしまうのだろうか。そう遠くない未来が目に浮かぶようだ。
 ルルーシュの告白を聞いていても思う。
 何のことはない。ギアスのせいで起こる矛盾なのだ、それも。
 積極性に反した人見知り。いざとなれば話せなくなる不自然。
 確かに、ルルーシュは昔から警戒心が強く人見知りの激しい子供だった。積極的であると同時に内向的でもあるのは元の性格から来る気質かもしれない。
 自分から前に出ようとする性格ではあるものの、ルルーシュは対人面においては完全に受身で、とりたてて接近しなければならない理由でも無い限り自分から寄っていくようなことなどまず有り得ない。
 たが、いざとなると話せなくなる理由についてだけは――間違いなく記憶を改竄された影響なのだ。
 ルルーシュにとっては知る由も無い事実。
 こうしてルルーシュを責めている俺自身も、実は嘘を吐いていることなど。
「君は訊かないのか?」
「?」
 繋いだルルーシュの手を強く握り締めると、はっとしたルルーシュが手元を見てから俺を見上げてくる。
「俺は君にきついことばかり言ったけれど、君は疑問に思わなかったのか? 言い返すことだって出来ただろう。『では、お前は嘘を吐いたことが一度も無いのか』と」
「――――」
 答えを促そうと目で問いかけると、ルルーシュは困った顔をして考え込んでいた。
 その表情を見て、すぐに解った。
 ……彼は、俺を責めるために言い返すことなど考えもつかなかったのだと。
「君は本当に、人のことばかりだな」
「え?」
 昔からそうだと思いながら、俺はポカンとしているルルーシュに「優先順位のことだよ」と告げた。
「自分の気持ちを後回しにして、遠慮して……。今だって、俺が訊いたようなことなんか考えもしなかったって顔だ」
 口を「あ」の形に開いたルルーシュは、ようやく言われたことの意味を察したようだ。かといって、どういったリアクションをとればいいのかも解らないのだろう。さも居心地悪そうに視線をさ迷わせている。
 戸惑うルルーシュの姿を見て、ぎゅっと心臓が締め付けられたような感じがした。
 ……変わっていない。そのいじらしさ。相手に気付かれない限り伝わることのない不器用な優しさ。
 捻くれていて、素直じゃなくて、意地っ張りで。クールに見せかけているけれど、本当は情熱的で気高くて。
 口では自分の損得中心にしか物事を考えないような悪びれた物言いをしながらも、いつだって大切な人のことばかり。
 俺が信じたルルーシュの本質。壊れた虚像そっくりの姿。
 あの日見失った筈のルルーシュがここに居る。何故かそんな気がした。
 俺にとって放っておけないと思える部分全てが、どうあってもルルーシュのまま。
 嘗て守りたいと願った大切な友達。初めて出来た、たった一人の……。
「さっきも言ったけど、俺は君が言うほど優しくはないよ。でも君は、『自分は本当は冷たい人間なのかもしれない』なんて心配するほど冷たい人間じゃない」
 ――本当に優しいのは君だろう、ルルーシュ。
 その一言だけ、俺はまだ、どうしても口にすることが出来なかった。
 抑揚に欠けた硬い声。自身の心の狭さにほとほと嫌気が差しながらも、可能な限り衒いの無い言葉で伝えてやれば、ルルーシュは「いいえ」と答えながら緩く首を振る。
「そんな風に言わないで下さい。今はまだ傷付いているだけで、貴方はとても優しい人だと俺は思う。地位の高い方なのに偉ぶることなく手を差し伸べてくれた上に、俺に対して友達になろうとまで言ってくれた。自分から寄って行ったのに上手く喋れなかった俺を、鬱陶しそうに突き放すことだって無かった……。本当はもっとぞんざいに扱うことだって出来た筈です。この国では、立場のある人が貴方のように振舞うことは決して当然のことじゃない」
 誤解だ、ルルーシュ。
 それは俺が君を手懐けるために……接近して信頼させるために演出された優しさだ。矛盾した思いに混乱して、荒れる感情をぶつけてばかりの俺を宥めようとしている君の方が余程――。
 否定も肯定も出来ない代わりに、俺はルルーシュの手を強く握り締めた。すると、そんな俺に応えるようにルルーシュもぎゅっと俺の手を握り返してくる。
 そして……。
「俺は、貴方になら嘘を吐かれても構わない。もし嘘を吐かれたとしても、きっと何か事情がある筈なんだと信じます。それがどんな理由だったにせよ、貴方が俺に優しくしてくれた事実は変わらない。貴方は理屈じゃなく俺に惹かれていると言ってくれたけれど、俺だってそんな貴方が好きだ。仮に思いの全てを裏切られたとしても、もしこの先貴方を憎むことがあったとしても、俺はきっと、心の底から貴方を憎み切ることなど出来はしない。たとえ憎んでも、決して嫌いになり切ることなんか俺には出来ない」
「…………」
「貴方もそうでしょう? だからこそ、そんなにも苦しんでいるんじゃないんですか?」
「――――」
 滔々と話すルルーシュに図星を突かれた瞬間、遂に心のどこかがポキリと折れた気がした。
 ――敵わない。
 ただそう思った。
 頭の中が滅茶苦茶だ。仮面を被る嘘吐きのルルーシュ。俺の友達だったルルーシュ。そしてルルーシュの本音とも受け取れることを頻繁に口にする純粋な今のルルーシュ。
 理想? 願望? それとも具現化された俺自身の欲望だろうか、この状況は。
 今度こそという思いがある。監視として傍に居ることを選びながら、いつの間にかプラスされている目的。
 改めて指摘されるまでもない。
 解っている。とっくに気付いている。ルルーシュと離れてからの一年間、俺がずっと求め焦がれ続けてきたのは、本当のルルーシュに会って真意を確かめることなのだと。
 だが、ルルーシュにだけ本当であることを求めるのか。それは果たして正しいことなのか?
 ルルーシュに告げた自身の言葉が頭を過ぎる。
 もし『本当のお前の顔とはどれか』と尋ねられたら、俺はどう答えるのだろう。『僕』と『俺』、どちらが本物だと言えるのだろうか。
 この期に及んで、俺はまだ自分が救われることを求めている。
 助けてくれと、ルルーシュに。お前しか俺を救える者はいないのだと。
 何もかもが混ざり合い、暗闇のような混沌となって押し寄せてくる。遠ざかる。見失う。何一つ見極められないまま、より見えなくなっていく。
 信じたい思い。裏切られた過去。新たに突きつけられた現実。――真実はどれだ?
 ……向き合わなければならない。もう目を逸らすことは出来ない。そういうことなのだろうか。
 ルルーシュに対する憎しみを消せない理由。心の奥底に潜む本心。
 それを認めなければ、俺はもう、一歩も先に進むことなど出来ないのかもしれない。
「初めて呼んでくれたな、俺の名前」
 どさくさ紛れだったけど、と指摘してやれば、ルルーシュはほんの少し照れ臭そうにしながらも花が綻ぶような笑みを向けてくる。
「違和感が無くて驚きました。まるで欠けていたパズルのピースが嵌まった時みたいだ。……どんな時でも、こんな風にしっくり来ることなんかあんまり無いのに」
 話しているうちに、ルルーシュは段々茫洋とした眼差しになっていく。
 表情を翳らせながらぽそりと漏らされた一言に意識を引かれ、何となく嫌な予感が胸に過ぎった。
「しっくり来ることが、無い?」
 やけに引っかかる物言いだと思って訊き返すと、ルルーシュは冗談めかした仕草で肩を竦めた。
「いけませんよね。特に理由も無いのに苛々しちゃって……。焦燥感というか、常に違和感が付き纏う感じで、ついソワソワしてしまうんです。もし貴方と出会えていなかったら、俺はギャンブルにでも手を出していたかもしれないな」
「――――」
 ルルーシュが答えるたびに、背筋に冷たいものが駆け抜けていく。
 焦燥感と違和感。
 考えるまでもない。元の人格を抑圧されていることが原因だ。
「……ギャンブルって、もしかして賭けチェスとか?」
「ええ、俺、得意なんです。チェスが」
 ルルーシュは「よく解りましたね」と驚きながらも、俺が言い当てた理由について言及してくることもなく、ごくあっさりした口調で答えてくる。
「どうしてギャンブルなんか。危ないだろう? まだ未成年なのに」
 ギャンブル。それも、よりにもよって賭けチェス。あまりにも元のルルーシュに酷似した発言だ。
 しかし、顔色を変えた俺を訝しがることもなく、ルルーシュは淡々と話し続ける。
「変なんですよ、俺……。とにかく苛々するんです、自分自身に。さっきの話についてもそうですけど、今の俺は本当の自分じゃないと思うことが時々あって」
「どういう意味?」
「とにかく変なんです。記憶にも曖昧な箇所があるし――それに、考えてみればみるほどおかしい。俺は元々隠し事が出来ない性格だった筈なのに、失敗した記憶はここ一年の間に集中しているんです。昔からそれで通っていたんだとしたら、どうして急に? って思いませんか? そう考えると、自分でも途端に解らなくなる。もっと早く本音を隠そうと思うことは無かったのか、どうして今までこの性格のまま一度も失敗していないのか……それも十七年間も。ただ運が良かっただけなんでしょうか。何だか都合が良すぎるような気がして、自分でも腑に落ちない」
 すいと目を眇めて話すルルーシュの横顔に、嘗ての怜悧な面影が重なっていく。
 自分自身を俯瞰し、客観視する限りなく冷静な視点。
 やはり、ある程度の自己分析はしていたか。
 気付いていないのは女性恐怖症の原因となった記憶に関してのみ。――ルルーシュは既に、都合よく書き換えられた記憶の矛盾点について、ほぼ完全に把握している。
 ルルーシュは、もう一度肩を竦めてから冴え冴えとした表情を和らげた。
「何だか、貴方には出会ってから変なことばかり言ってしまってますね、俺は。……でも、」
「?」
「さっきスザクって呼んだ時は、その苛々が少し治まったような気がしたんです。……何だか、ずっと前からそう呼んでいたみたいに馴染むというか……」
「……ルルーシュ」

「スザク」

 ふと真顔になったルルーシュが、俺の呼ぶ声に重ねて名を呼んでくる。

 ――約束します、と。

 目を閉じたルルーシュの囁くような声音が耳朶に響いた。
 欠けた心の隙間を満たし、染みこんでくる心地よいテノール。そして、繋いだ掌越しに伝わる体温。
 ルルーシュの本当の顔など俺は知らない。解らない。見たことさえ無いのかもしれない。
 でも本物だ。これだけは。この暖かさだけは……。
 やがて、静かな声でぽつりと落とされたものは、ルルーシュから俺に対する誓いの言葉だった。


「俺は貴方に嘘は吐かない。――貴方にだけは」

Lost Paradise 8(スザルル)




「……今も?」
 荒くなりかけた語気を収めて尋ねながら、言われてみればと思い出す。
 再会したばかりのルルーシュは、自分から寄って来た割には積極的に口を開こうとしなかった。
 校内の案内を兼ねて玄関まで送ると言われた時も、二人きりになってからはおどおどした態度をとるばかり。俺との距離を測りかねて何か言いかけては口ごもることの繰り返しだったように思う。
 どうして俺に憧れていたのか話せと迫った時も、最初はすぐに話そうとしなかった。
 初対面という設定上、ただ緊張しているだけ。告白に至ってはほとんど強要するに等しい尋ね方だった為、ああして抵抗を示すのも無理はないと思っていたが……。
 会話の流れが不自然になるほど正直になれと暗示をかけた訳ではないのだから、その時々の感情や心の動きに正直さの度合いが左右されるのは解る。
 この場合も然りと考えれば許容範囲だろうか。元のルルーシュのように演技出来る状態にまで戻っているとは断定出来ない。
「今は……どうでしょう」
 言いながら、ルルーシュは口の前で組んでいた両手をずらして顔を隠した。
 まただ。また顔が赤い。
 何故そこで赤くなるのかさっぱり解らないが、これだけは解る。
「君、まだ俺に何か隠してるだろう」
「……っ」
 口に出さないようにしていても、顔色だけはごまかしが効かない。
 今のルルーシュは書き換えられた記憶の中で『自分は元々好きになった相手に嘘が吐けない』という認識を反復させられ、思い込みを強化されている。
 慣れや癖というものは意識しなければ直せない。当然、何も隠さない自分に慣れているルルーシュは、俺という対象の前で欲求に任せて話してしまいたいと考えている筈だ。
 加えて皇族だった頃の記憶も消されているので捻れたところが無く、かなり素直な性格。余計偽ることには慣れていない。
 喩えるなら、お菓子の隠し場所をついチラチラと見てしまう子供のようなものか。隠したいと思っていることだからこそ自然と頭に浮かび、嫌でも反応として現れてしまうのだろう。
「俺とは普通に話してくれていると思っていたけど、敬語をやめないのも名前で呼ぼうとしないのもそのせいか?」
「……はい」
「そんなに口が悪いようには見えないし、隠さなきゃならないほど性格が悪いとも思わないけど」
「でも、俺には自制が必要なんです。思った通りのことをストレートに言い過ぎてはいけないと解っているのに、無神経だと思うより先に口から出てしまうことが多くて……」
「俺は傷付いたりしないし嫌ったりもしないよ。君が本当はどんな性格だったとしても」
「そんな……出来ません。だって、結構酷いことを考えている時があるんですよ? 本人に直接言えないようなことだって」
「それでも構わない。初めて会った時にも言っただろう? 命令しろと。俺は理屈じゃなく君に惹かれてる。――好きなんだ、君のこと。抱いたことについても説明なんかしなかったけど……君もそれは解っているよな?」
「――――ぁ。…………は、はい……」
 俺が一息に話し切るや否や、しどろもどろになりながら答えたルルーシュは真っ赤になって俯いた。
 元々感情が激しく口が悪いことなどよく知っている。出自のせいだけではなく、幼い頃から聡明であるが故に考え方や物言いにきつい側面があったことも。
 今更見せられたところで動じる訳も無いと思ったが、しかし、傍に置かれたグラスにちらりと視線を走らせたルルーシュは、突然何を思ったのか素早くそれを手に取り一気にシャンパンを煽った。
「あ、おい……!」
 制止しかけた手が宙に浮く。そんな飲み方をして大丈夫なのかと思ったが止める暇も無い。
 喉を潤すためというより、どちらかというとアルコールの勢いを借りようとしているのだろうか。ナプキンで口元を拭ってから息を吐き出したルルーシュは、ようやく意を決したように打ち明けてくる。
「考えていたんです。貴方に会う前から。もし本当に会うことが出来たら、名前で呼び合えるほど親しくなれたら……きっと幸せだろうなと、色々と」
「……要するに、実際に呼び合ってるところを想像してたってこと?」
「っ! そ、そうです……っ!」
「――――」
 やけくそのように言い放ったルルーシュがプイと横を向く。
 ――納得すると同時に気が抜けた。実際に会えるかどうかも解らないうちからあれこれ想像を巡らせていたという訳か。それは知られたくないと思うのも無理はない。
 頭でっかちなルルーシュらしいというか、随分想像力豊かなことだと妙に感心する。まさか今の今まで砕けた態度で接することを必死で回避しようとしていたのが、よりにもよってそんな理由だったとは。……道理で赤くなる訳だ。
「呆れたでしょう、俺のこと。笑わないんですか?」
「いや、可愛いよ」
「……っ!」
 ごく正直に感想を述べたつもりだったが、ルルーシュは余程恥ずかしかったのか、そっぽを向いたまま不満げに鼻を鳴らした。
「どうしたの?」
「男に向かって可愛いなんて言わないで下さいよ」
「変かな」
「変とか変じゃないとか、そういう問題ではなく……」
「いいじゃないか、別に」
 軽く笑いながら答えてやれば、うなだれて溜息を吐いたルルーシュが歯切れも悪く話し出す。
「夢だったんです。ずっと。でも俺は口が悪いし、物言いもきついから……。慣れれば慣れるほど出てしまうんです、そういう所が。だから、どうしても貴方には見せたくなくて」
「…………」
 決して理解出来ない心理ではない。プライドが邪魔をしたのだと思えば何となく頷ける答えでもある。
 どころか、ある意味ルルーシュらしいといえばらしい答えでさえあるのかもしれない。
 俺がそんな風に考えていると、ばつが悪そうにしていたルルーシュが神妙な面持ちになって続けてくる。
「たまに思うんです。俺は本当は冷たい人間なのかもしれないって……。だから、もしかしたら貴方にだって嘘をつくことがあるかもしれませんよ?」
「ありえないよ」
 即答した俺は、心の中で今はまだ、と付け足した。そして、ようやくある推論に辿り着く。
 ……要するに、ルルーシュは学習し始めているのだ。
 僅か一年の間に経験した失敗。何でも話してしまうことによって傷付いた経緯。それらが要因となり、元々の性格――本心を隠そうとする気質を刺激しているのだろう。
 皇帝陛下のギアスには絶対の強制力は無い。
『好意を抱いた相手に嘘が吐けない』という偽の記憶の植え付け。それとて「自分は元々そうだった」という思い込みをさせただけに過ぎず、明確なトラウマを刻み込むことによって発症した女性恐怖症よりも根が浅い。
 完全に解けた訳ではないので何でも話してしまう部分は残っているが、元々の性格を無視した記憶を植え付けられたばかりか失敗した経験までもが重なり、自制する必要に迫られたルルーシュはそのための術を身に付け始めているということだ。
 冷静に考えれば充分すぎるほど予想可能な展開だった。全く本心を偽らずに生きられる者も世の中にはいるが、ルルーシュは元々そういうタイプではない。
「貴方は強い人だ。大切な人に一度裏切られたのに、信じる姿勢を崩さないなんて」
「俺は強くなんかないよ」
 そうかな、と呟いたルルーシュがやんわりと微笑む。
「みんながみんな、貴方のような人だったら良かったのに」
「…………」
 好意が増したとはっきり解る微笑みを向けられ、同じように笑顔で返しながらも俺の気分は沈んだ。
 問い詰めたつもりが却って信頼を深める形になろうとは。意図せず招いた結果とはいえ、どこまでも皮肉なものだ。
 ――今後のことも踏まえて、一応念を押しておくべきかもしれない。
 本心を隠したがる兆候が既に出てきてしまっている。……これは不味い。もし今よりも隠したい欲求が増し、演技することに慣れてしまえば、記憶回復の度合いについて調べることが出来なくなってしまう。
 以前話した友達が君に似ているのだと打ち明けるかどうか、俺は悩んだ。
 下手を打てば隠蔽した記憶を刺激してしまう可能性もある。寧ろ記憶回復の手助けをするようなものだ。
「君に一つだけ頼みがある」
「頼み?」
「ああ。君に言われた通り、俺は以前大切な友達に嘘を吐かれている。――だから、君は決して俺に嘘を吐かないでくれ。もう嫌なんだ、あんな思いをするのは。……だから、俺には本当の姿を見せて欲しい。君の本当の顔を」
 ほとんど無理難題に等しいことを言っている自覚はある。
 この要求を飲めと迫ることは、疚しいことのある無しに関わらず、俺にとって疑わしいことが出てくる度に詰問される関係を受け入れろという意味だ。このまま記憶が戻らなかった場合、ルルーシュにとっては別段痛くもない腹を探られ続けるのと何も変わらない。
「本当の顔、ですか?」
 ルルーシュは案の定、困惑と戸惑いに大きな瞳を揺らしながら遠慮がちに訊き返してくる。
「そうだ。繕っていない君を見ていたい。でないと本当の友達とはいえないだろう?」
「…………」
 黙り込んだルルーシュは俺から視線を逸らさない。
 まるで聞き分けの無い幼子を諭すような眼差しに心がかき乱される。
「スザク様」
「何?」
 敢えて素っ気無く返答してやれば、ルルーシュは漂う拒絶の空気に怯みながらも毅然とした態度で応えてきた。
「本当の顔って、何です?」
「……本当の君自身という意味だけど」
 意思に反することに対して安易に同調しない自意識の高さ。本来のルルーシュの姿を彷彿とさせると思う反面、こうも思う。
 自分で言っておきながら、俺は『本当のルルーシュ』がどんな顔をしているのかなど全く掴めていない。
 見極めようとすればするほど遠ざかる。たとえ「これが本物です」と言われたところで、今更信じることなど出来るのだろうか、と――。
「言っている意味は解ります。間違っていないとも思う。でも俺だって、自分の全てを把握出来ている訳じゃない。人には色々な側面があるでしょう? そのうちのどれか一つだけを本物と決めてしまえる訳でもなければ、もう片方を偽物と判じてしまえる訳でもない」
 理路整然とした反論が続いた。
 口の立つルルーシュを理屈で言い負かすのは俺にとって荷が重い。だが、歪んだ思考の片隅で納得出来る部分があると判じつつも、やはり反発の方が上回った。
「確かにその通りかもしれないけど、裏表を作ることは決して良いこととは言えないよ。君の言い分も解るけど、俺相手に繕う必要はないって言ったよな?」
「それは……」
 俺も引かずに尋ねてやれば、ルルーシュは途端に口ごもる。
 秘密を一切持たない関係がいかに不自然であろうとも、記憶を失ったままなのであれば特に隠さねばならないことなど無い筈だ。
 ルルーシュは暫く眉を寄せたまま考え込んでいたが、やがて長い睫に縁取られた瞳を数回瞬かせてから再び尋ねてきた。
「嘘って、どこからどこまでを嘘っていうんです?」
「……どこまでって?」
「疾しさを感じるかどうかということですか?」
「――――」
 間髪入れずに問いかけられ、今度はこちらの言葉が詰まる。
「疾しさなんて……そんなもの感じずに嘘を吐ける人間だっているよ」
 それが以前の君だ。
 そうだろう? ルルーシュ。
 抑圧していても滲み出る敵意は隠せない。只の質問に対する返答にしてはやや厳しい口調で吐き捨てた俺を、ルルーシュは心の奥底まで見通すような落ち着いた眼差しで見つめていた。
 ややあって、ぽつりと一言だけ返してくる。
「いるんですか? そんな人」
「え……?」
「大切な友達に嘘を吐いて、裏切っても平気でいられるような『人間』なんて」
「――――」
 呆けたように口を開けたまま俺は自失した。
 ただ「それは一体誰の言葉なんだ?」と、再会した時にも感じた疑問を繰り返す。
 出来ることなら今すぐにでも、本来のルルーシュ相手に問い詰めてやりたい。
 ――お前の本音を言えと。今のルルーシュに迫った時のように。
「そうだな。でなければ、最初からその友達というのは、その人にとって『大切な友達』なんかじゃなかったのかもしれない」
「そういう人だったんですか? 貴方の友達は」
「……わからない」
 堆く降り積もった澱を攪拌するようなルルーシュの言葉。
 敢えて考えないよう意識してきた疑問を改めて突きつけられ、無意識下で拒否を示す思考が徐々に硬直していく。
 誰に問えば正しい答えが聞けるというのだろう。
 このルルーシュを抱いた時にも思ったことだ。敵として対峙することになる以上、どうせこの先も叶わぬ望みなのだと知りながら。
 ……それとも、ルルーシュの記憶が戻れば聞けるのだろうか。俺を裏切った彼の本音が。
 聞き出したい。問い詰めたい。
 そんな思いが込み上げると同時に、こうも思う。―――「聞いてどうする」
「もし平気だったんだとしたら、その人はきっと人間じゃない。だから俺はいないと思う。大切な友達に嘘を吐いても平気でいられる『人間』なんて」
 ルルーシュが紡ぎ出したのは、更に胸を抉る言葉だった。
 掌に爪が食い込む感触。テーブルの上で握り締めた拳が震え出す。
 ルルーシュはそのさまをじっと見つめていた。愁いを帯びた紫玉に映り込む純真。混じり気の無い慈しみの色。
 俺がルルーシュを慈しんでいたというのなら、ルルーシュは――本当のルルーシュはどうだったというのだろう。
 心の中で、俺は目の前のルルーシュに問いかけた。今の彼には決して尋ねられない質問を。
 ……俺は一体どうすれば本物の君の声を聴くことが出来るんだ?
 どうすれば本当の君に会える?
 とうとう耐え切れなくなった俺は、大きく深呼吸してから切り出した。
「ルルーシュ」
「はい」
「君はこの間、俺が夢の中に出てくる人に似てるって話をしてくれただろう」
「ええ」
「……実は、君も俺の友達に似てるんだ」

Lost Paradise 7(スザルル)




「……そうだな。俺は味付けの濃いものというか、結構こってりしたものが好きだ。君は?」
「俺はプリンが好きです」
「それはデザートだろ。食事じゃなくて」
 つい呆れたような声が出た。ルルーシュは気にせず続けてくる。
「いいじゃないですか。食べ物ですよ。ちなみに海老も好きです、ぷりぷりしてて」
「どうも主食って感じじゃないな。ちゃんと食べないと」
 ――まずい。何気なく言ってしまってから気付いて臍を噛む。
 これはまるで、元から食が細いことを知っているような口ぶりだ。
 しかし、ルルーシュはこれも然程気に留めなかったのか「はいはい」と苦笑しながら掬ったスープを口に運んでいた。
 ……そういえば、何か飲んでいるところならともかく、ルルーシュがまともに食べている姿なんて滅多に見たことが無い。
「この間も思ったことだけど、君ってかなり細いよな。毎日食事摂ってるのか?」
 フォローのつもりも兼ねて尋ねてみれば、千切ったパンを小口で食べていたルルーシュがナプキンで手を拭いてから顔を上げてくる。
「嫌だな、ちゃんと食べてますよ。いつも自分で作っているんだし。そういうスザク様こそ、今までずっと一人暮らしだったんでしょう? 外に食べに行ったりはしないんですか?」
「ああ、俺は――」
 言いかけた瞬間、またもギクリとした俺は慌てて口を噤んだ。
 今まで君に作ってもらっていたことだってあったじゃないか。
 尋ねられて反射的に浮かんだのは、あろうことかそんな台詞だった。
 ……抜けている。あまりにも。 警戒心に欠けているどころの話ではない。よりにもよってルルーシュ本人を相手に、言える訳もない思い出について語り合うつもりでもいるのか? 俺は。
「スザク様?」
「あ、いや。なんでもないよ」
 頬を引き攣らせた俺を見て、ルルーシュが不思議そうに首を傾げている。
 こんな態度を取り続けていたら不審に思われるのも時間の問題かもしれない。そう思ってちらりと様子を伺えば、目が合ったところでにっこり微笑まれてドキリと心臓が跳ねた。
「もし嫌じゃなければ、俺が作りましょうか?」
「え?」
「好きなんでしょう? こってりしたもの。何ならご馳走しますよ」
 善意や好意以外何も含むところの無いルルーシュの申し出に、チクリと胸に痛みが走る。
 罪悪感と疾しさだ。この疼痛は。
「あ、ああ……有難う。嬉しいよ」
 平静を装って答えながら、自分でも自分の考えがよく解らないと俺は思った。
 何もかも忘れて安穏としているルルーシュに抱く苛立ち。忘却の檻に閉じ込めたつもりでいたのに、檻を盾にして身を守る卑怯さに見えてくる。
 イラつくなんて勝手だ。彼に何もかも忘れさせてしまうよう仕向けたのは他ならぬ俺自身だろう。それなのに、忘れられていることを許せなく思うなんてつくづく矛盾している。
 自分が傷付けられたからといって、癒えぬトラウマを与えて苦しませてもいいことにはならない。
 湧き上がる不快感と情に翻弄され、俺は理性と感情の狭間で葛藤し続けていた。
 ――俺はもしかすると、元のルルーシュとして記憶回復して欲しいとでも望んでいるのだろうか。ゼロとしての人格を封じられ、悪としての部分から解放されたルルーシュに安堵すら覚えているのに……?
 ルルーシュに悟られないよう、ひっそりと奥歯を噛み締めながら考える。
 ……一体何をやっているんだ? 俺は。
 冷静になって考えれば考えるほど現状の奇怪さに改めて気付く。
 と、同時に、苛立ちに塗れた頭の隅に過ぎるものは、たった今感じていた不安や不快をも遥かに上回る焦りだった。
 異常だ、こんなのは。
 自分を裏切った元友人にもてなされて、食事をしながら笑い合っている。自分でも重々おかしな関係だと解っているのに。
 ルルーシュと一緒にいるとおかしくなる。感覚にズレが起こるこの感じ。
 思えば再会した時からそうだった。未知の引力にも似た何かに引き摺られるように彼を求め、結局元通りの関係に戻ってしまっている。
 今更自分の思いについて否定するつもりはない。
 だが、それ以上に受け入れられない部分があることも事実だった。
 確かに、報告書に書かれた内容を踏まえれば、こういった関係に戻ることとて予想に難くは無い筈だ。設定そのものを考えれば、寧ろ関係が深まること前提での接触だったとさえ言える。
 でも、本当はそれでさえ只の言い訳に過ぎないんじゃないのか――? 俺自身がルルーシュに抱いている激しい執着を欺くための。
 記憶があろうが無かろうが、ルルーシュはルルーシュだ。
 ここに来た当初は、こんな関係に戻る気もなければ戻れるとも思っていなかった。憎悪に駆られるあまり、身体を重ねていた事実についてさえおぞましく思っていた程。
 それなのに何故だろう。
 何もかも水に流してしまったかのように、また彼に捕らわれてしまっている。
 悲しい顔をされれば慰めたくなるし、嬉しそうな顔をされれば同じように嬉しさが込み上げる。
 あれだけ忘れまいとしてきたのに。どころか、忘れられないからこそ苦しんできたのに、喉元過ぎてもいないうちに熱さを忘れてしまうつもりなのだろうか、俺は?
 ……いや、許してなんかいない。許せるものか。
 この男に何をされたのか忘れるな。決してあの絶望を忘れるな。――彼から受けた、あの裏切りを。
 こんなごっこ遊びなんか、俺には到底向いていない。
 でも続けなければ。……けれど何のために?
 ルルーシュとこうして再会したのは、一体何のためだったのか。
 本来の目的は? と自問したところで既に解らなくなり始めている自分に気付き、俺は心底ぞっとした。
 油断するな。こいつはゼロだ。
 忘れるな。この男は俺の敵。
 幾度自分に言い聞かせみても、憎んでいるのかそうでないのかさえ解らなくなっていく。
 高まる焦燥を断ち切ろうと、俺は勢いよくグラスを煽った。ともすればすぐに緩みがちになる気を引き締めてルルーシュを見たところで、喉を通っていく液体が只の炭酸ではないことに気付く。
「これ、ノンアルコールじゃないじゃないか」
「……バレました?」
 眉を上げてあっさりと白状するルルーシュにはまるで後ろめたいところがない。
「バレました? じゃないだろ」
「いいじゃないですか、別に。今日だけですよ」
 悪びれもせず慣れた仕草でグラスを傾けるルルーシュを見て、これが初の飲酒ではないと即座に勘付く。
「今日だけって、君、アルコール初めてじゃないだろ」
「ええ」
「ええって……。開き直って言うことなのか?」
「別に、これくらい普通ですよ。もしかして飲めませんか?」
「飲める飲めないの問題じゃないだろ」
「真面目ですね」
「君が不真面目なんだよ。俺はこう見えても一応役人だ。肩書きは軍人・兼学生でもあるけど、未成年の飲酒を見逃す訳にはいかないな」
 ――思い出した。そういえばルルーシュはこういう性格だった。
 神経質そうに見える反面ガサツでもあり、一見模範的・規範的に見えるのに実は奔放。生徒会副会長という肩書きを持ち合わせているにも関わらず、その実、授業エスケープに居眠り常習犯。
 根が享楽的かつ快楽主義的で、ルールに対して緩いところは変わっていないということか。悪としての素質・素養は充分だ。
 表面的な性格が激変したせいで忘れていたが、ルルーシュはこういった対極の要素を持ち合わせている男でもあった。
 以前は裏社会の賭けチェスにまで手を出していたが、まさか記憶を失った今も監視の目をかいくぐって悪い遊びをしている訳じゃないだろうなと急激に不安が募っていく。
「さっきも思ったことだけど……」
「?」
「そろそろ慣れてくれたって思ってもいいのかな」
「え?」
「え? じゃないよ。こんなに大胆な面があるなら、名前の一つくらい呼べても不思議は無いだろう? 呼んでみて」
「――――」
 胡乱な目つきになっていると自覚しながら、俺は今度こそ言えるだろうとばかりに切り出した。
 たかが名前一つ呼ぶのに、何故あれほどまでに抵抗を示したのか正直理解しがたい。
 ……ところが、ルルーシュは又しても頬を赤くして顔を背けている。
「後で呼ぶって言ったじゃないですか」
 つい先程までの調子とは打って変わって、ぼそりと呟く声に張りが無い。
 まさかとは思うが演技だろうか? いや、ギアスで性格を改変されている以上俺に嘘は吐けない筈――。しかしルルーシュは演技が得意な男でもあったのだから、決して油断は出来ない。
「後でって、俺はいつまで待っていればいいんだ?」
「いつまでって言われても」
「君の後でを待ってたら、そのまま本国に戻ることになってしまうかもな」
「せっかちですね。そんな意地悪なこと言わないで下さいよ」
「君だって結構不良だろ。まさか君みたいな人がいきなり酒なんか薦めてくるとは思わなかったよ。もしかして今まで猫を被っていたのか?」
 畳み掛けるように問い質してやれば、ルルーシュはほんの少しだけ傷付いた顔をして俺を見た。
「猫ってほどかどうかは……。というか、解りませんか?」
「解るけど、何もそこまで照れることないだろう」
「べ、別に照れてる訳じゃ……」
「ふうん? だったら何?」
 演技で顔色まで変えられるのだとしたら、ルルーシュはテロリストではなく俳優になるべきだ。
 それに、俺がここで監視を行う意味もない。今すぐにでも捕らえて本国に送りつけるしかないだろう。
「……本当は、呼んでみたいって思ってますよ、俺だって」
「なんだ。だったら――」
「でも……」
「?」
 言いかけてから口ごもったルルーシュは、一旦俯いてから再び顔を上げてきた。
「本当は俺、結構口が悪いんです。きついというか。だから、名前で呼び合うようなことになったら……その、色々と不都合が……」
「――――」
 一瞬で血の気が下がった。
 態度を繕っている? 素の自分ではないということか。俺に見せる面を選んで?
 いつからだ。最初から? まさかとは思ったが演技をしていた?
 ――どういうことだ。好意を抱いた相手に対しては隠しごとが出来ないんじゃなかったのか?
「それ、どういうこと?」
「え?」
 自然と詰問調になり、声のトーンも低くなる。 不穏な気配を察したルルーシュが僅かに息を飲んだ。
 ひょっとすると、ギアスの効力が弱まっているということなんだろうか。
 考えすぎか? 嘘というほどでも。
 いや、それよりも記憶の方はどうなっている……?
「俺に対して遠慮してしまうのは解るけど、過剰な遠慮ならする必要はないよ。前にも言っただろ、ルルーシュ。俺は正直な君が好きだ。だから、もし俺相手に取り繕った面を見せようと思っているのなら、それはちょっと、本当の友達らしい付き合い方とは言えないんじゃないかな」
「…………」
 真顔になった俺に驚きながらも、黙って俺の話に耳を傾けていたルルーシュがきゅっと唇を引き締める。
 ――ルルーシュ。君はまた、俺に裏表を作って接しようとしていたのか?
 以前の君と同じように?
 そう思った瞬間、自分でも信じられないほど激しい怒りが腹の奥底から湧き上がってくる。
 蘇る記憶に触発され、暴れ出す感情。
 高圧的になりすぎてはいけない。只でさえ初日にあれだけ怖がらせてしまっているというのに、焦る思いのまま言葉を紡げば、演技どころかせっかく構築しかけていた今の関係すら破綻させてしまう。
「思い出しているんですか? 前に言っていた貴方の友達のこと」
「――――」
 鋭い指摘に場の空気が凍りつく。
 たとえ記憶を失っていても、人の心理分析に長けた聡い頭脳は健在だ。
 今すぐにでも問い詰めたいと逸る心。動揺を押し隠そうとした俺の顔は引き攣りかけ、辛うじて堪える代わりにきつく眉が寄っていく。
 そんな俺の反応を前に、ルルーシュは複雑な笑みを浮かべてからふっと消した。
 俺を見つめる瞳はどことなく寂しげで、何故? と問う前に胸の奥が鈍い痛みを訴えてくる。
「この間、俺には『思ったことをそのまま言ってしまう悪い癖がある』って話、しましたよね」
「ああ」
「俺はその癖のせいで、今まで結構失敗してしまっているんです。……だからかもしれない。今貴方と一緒にいても、やっぱり隠したくなってしまうのは」
 ルルーシュに沈黙で返す傍ら、心の中で「やはりそうか」と俺は思った。
 人格、及び記憶改変の影響によって傷付いた過去。――ある程度予想出来ていたことではあった。
 しかし、ギアスがかかっているにも関わらず何故隠すことが出来たのだろう。こうして結局自分から口を割るということは、完全に効力が切れている訳ではないということか。
 探るような目を向けているだろう俺から視線を逸らしたルルーシュは、持っていたナイフとフォークをテーブルに置いてから組んだ両手で口元を隠した。
「もっと器用に嘘が吐けたらと思うこともあります。都合の悪いところや見せたくない部分は特に、好きな人には秘密にしておきたい。誰だってそう思うものでしょう? それに、もし俺がもっと上手く嘘を吐くことができたとしたら、人に嫌がられることも――傷つけてしまうことだってなかったのかもしれない」
 目を伏せて一呼吸置いたルルーシュが、まっすぐに俺を射抜く。
「だから俺は、好きな人であればあるほど、上手く話せなくなりました」

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夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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