夜空のゆりかご(スザルルC・2013年ルル誕)


 C.C.は「遂に来たか」と思った。
 意外にも頭を下げてきたのだ、ルルーシュに負けず劣らずの頑固者が。
 ルルーシュ絡みだろうとは想像がつく。何より、この男から持ちかけられそうな話といえば二つに一つだった。

 男は奇数、女は偶数。人付き合いにおける法則はこれだという。では、男女混合の場合はどうなのか。上手く居続ける為にはやはり偶数で集うのが望ましい。奇数で集まった場合、ほか二人の仲が良ければ残り一人があぶれてしまう。
 三人で暮らすことになった時、ルルーシュも危うい均衡だと解してはいた。とはいえ然したる懸念も抱かず、深刻な仲違いも起こさずやってこられたのだ。自分が「二、あまり一」の「一」にならずに済んでいたからかもしれない。ちなみに今のルルーシュとスザクは友達だった、あくまでも。

 帰宅したルルーシュが居間で目撃したものは、仲睦まじい友人という域をやや逸脱した二人の姿だった。同居人その一とその二。ソファに腰掛けているスザクと、向かい合ってスザクにまたがるC.C.。抱っこちゃん人形よろしく互いの背に腕を回したまま、二人はドアを開けるなり凍りつくルルーシュにのんびりと話しかけてくる。
「「おかえり、ルルーシュ」」
 完璧なユニゾンだった。重なる声に返事も出来ず、その場で棒立ちになっていたルルーシュは平静を取り戻すのにたっぷり三十秒を要した。その間、ただ真っ白になっていた訳ではない。十五秒ほど経過した辺りでルルーシュの頭は自動的に回転を始めた。
 からかわれている、きっとそうだ。でなければもっと隠す筈。だが普段、恥じらいの欠片もないC.C.とてこれでも女。スザクとて健常な男子であれば欲の一つくらい持つだろう。仮に深い関係になっていたとして、だからどうした。止め立てする権利なんて自分には無いのではないか。
 に、しても。いつからだ。
(秘密にしていたなんて水臭いじゃないか、なあ。もしかして今からそれを打ち明けようとしているのか?)
 通常、類稀なる優秀な頭脳に解けない問題などない。だが設問自体を読み違え、途中式が公式通りでなければ正解には辿り着けないものだ。
(この俺が動揺している? まさか)
 ルルーシュは鼻に抜いて笑った。明らかに強がりだ。完成された数式は美しいというが、ルルーシュのはごちゃごちゃだった。
「おい、今にも泣き出しそうだぞ」
「なっ!?」
 キスしそうなほど顔を寄せ合ったままC.C.が囁き、ぎょっと目を剥くルルーシュをスザクが一瞥する。「ああ」と一拍置き、視線を逸らしたスザクはC.C.に向かって言った。
「ルルーシュはイレギュラーに弱いから」
 混乱しているだけだよ、という口ぶりに混乱させられている当のルルーシュは呆然としていた。ひとまずドアを閉め、やり場のない感情を吐き出しにまっすぐキッチンへ向かう。外に出ている間、無性に喉が渇いていた。冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを取り出し半分ほど煽る。
 はあっ、と吐息するルルーシュをC.C.とスザクはじっと観察していた。リアクション待ちのつもりだろうか、ぴったりとくっついたままどちらからも離れようとしない。
(そんなに仲が良かったか? こいつら)
 シュールな光景だ。知らぬ間に宗旨替えでもしたのだろうか。もともとこの二人は折り合いが悪く、急接近する動機も特になさそうに見えていたのに。
(話だけでも聞いておくか)
 人心地つき、ルルーシュが余裕を取り戻しかけたその時。
「君もこっちおいでよ」
 スザクが手招きしていた、膝上にC.C.を乗せたままで。
 ルルーシュは二人を見比べつつ再度混乱に陥った。まず降ろせ、その女を。「というか降りろ」
 気付けば考えの通り口走っていた。
「いいから来いよ、ルルーシュ」
 C.C.を降ろすことなくスザクが自分の横をポンポンと叩く。ルルーシュが『降りろ』と言った時、薄く笑ったように見えたC.C.は真顔に戻っていた。
 このおかしな状況に伸るか反るか。暫し逡巡したものの、ここで引くのは負けたようで少々癪に障る。ルルーシュはペットボトルを持ったまま静々と歩み寄り、まっすぐ見上げてくるスザクの隣にポスンと腰を下ろした。
「おかえり、ルルーシュ」
 改めてスザクが微笑む。「まだ君のただいまを聞いてないな」
 C.C.もスザクに凭れたまま話しかけてきた。「お疲れ様、ルルーシュ」
 ルルーシュは黙って二人を見つめ、「これは新しいお遊びか何かか?」と訊ねてみた。スザクはC.C.と顔を見合わせてまた振り返り、「そうだよ」と気軽に答えてくる。
「ルルーシュも一緒に遊ぼう?」
 楽しいぞ、とC.C.が語尾を引き継いだ。……何故だか気が抜ける。
 ふとルルーシュは、つい先日この二人が派手に喧嘩していたことを思い出した。調理中にキッチンに立つ自分の後ろでタバスコのビンが飛び交い、罵声の応酬にたまりかねて雷を落としたことも。
 今この三人が住むマンションの家主となっているのも、日々の食事作りを担当しているのもルルーシュだ。スザクや自分の分だけでなく、もちろん毎日のようにC.C.が食べるピザも作ってやっている。腕は職人というより達人の域だった。スザクも家事が出来るので手伝うのだが、C.C.は基本的に横着なので呆れるほど動こうとしない。やっていることといえば食っちゃ寝と無駄に部屋を散らかすことくらいで、下着の洗濯をさせられたスザクが苦言を呈したのが争いの発端だった。
「反省したんだ、ルルーシュを困らせないようにしようって」
 ね、とスザクが緑の髪を梳きながら言う。優しくロングヘアを梳く手を許してC.C.はルルーシュへと腕を伸ばした。
「慰労のようなものだ。今まで通りピザは作ってもらうが」
 尊大な物言いにルルーシュが苦笑する。眉尻を下げた淡い笑みはほどける花弁のようで、傍で見ていたスザクは眩しげに目をそばめた。頬に触れてくるC.C.の手を黙って受け入れ、ずっとこちらを見つめているスザクをルルーシュも見つめ返す。
 異性と触れ合っていた頃のスザクをルルーシュは知らない。いや、知ってはいても実際に見たのは初めてだった。
 C.C.の髪を梳きながらもスザクはルルーシュから視線を逸らそうとしない。片腕は相変わらず丸みを帯びた腰に回されている。思った以上に新鮮だ、女性に触れているスザクというのは……。そう思いながら、ルルーシュはC.C.の手に頬をすり付けた。
 女の手というのは柔らかい。耳をくすぐってくる指をルルーシュは好きにさせていた。スザクも愛玩動物を眺めるかのように戯れる二人の姿を楽しんでいる。
 ルルーシュはC.C.のことも好きだった、人として。彼女も同じように自分を好いてくれている――愛してくれていると言った方がいいかもしれない――ことを知っていたからでもある。
 そしてスザクも、そんなルルーシュの気持ちを知った上で三人暮らしを続けてきたのだった。

 廊下でまごつくルルーシュにスザクが立ち止まり、先にバスルームへと送り出す。後をついて行くC.C.に続き、三人分のタオルとガウンを用意してスザクも浴室へ向かった。この部屋を買う決め手となった広い浴室は三人一緒に入っても窮屈とまではいかない。当然という体で脱衣所へと踏み込んでくる二人にルルーシュは閉口していたが、大胆に脱ぐ二人に気圧されて結局タオルを巻き付けたまま入ってしまった。
 いくら見慣れた女だろうと、至近距離で全裸になられれば落ち着かなくもなる。耳まで赤くしているルルーシュに引き替え、一度たりとも裸の付き合いなどしていない筈のスザクはごく平然としていた。黙々と身体を洗うルルーシュの脇腹をからかい混じりにスザクが突っつく。C.C.はじゃれ合う二人を余所にバスタブを占領し、身体を流し終えて入りたがるスザクに黄色いヒヨコの玩具を取りに行かせていた。
(いつの間に買ったんだ、あんなもの)
 無駄遣いした分は小遣いから差っ引いてやる。棚にずらりと並ぶバスグッズを眺めながら、ルルーシュはタオルでしつこく下半身を隠していた。が、頭を洗っている隙に誰かに取られてしまう。「返せ」と手をばたつかせていると、これまたどこからか解らない方向から勢いよく湯が飛んできた。
 パシャッ! パシャッ!
 頭にかかって泡が乱れ飛ぶ。一方からだけだったのが今度は二方向からになり、合間にカチャカチャとプラスチックのような音が聞こえていた。泡だらけになったルルーシュの頭めがけて一直線に、ピュッと飛んでくるのは水鉄砲か何かに違いない。
「お前らいつの間に……っ、やめろ!」
 ルルーシュが抗うたびに忍び笑う気配。「やめなよC.C.」とスザクが諌め、やっとお湯攻撃が止まった。途端、ターゲットが別の相手に移ったようだ。「うわっ!」とか「目はやめて!」とか、虐げられるスザクの悲鳴が聞こえてくる。
 湯船を出入りする水音と背後で行き交う足音。その中でルルーシュがシャンプーを追加して洗髪を再開する。たびたび頭に固いものが突き刺さってくるのでルルーシュは苛立っていた。何を刺されているのか解らないが、指ではない。無視してすすいでいるうちに悪戯は収まり、やがて二人とも大人しくなった。
「何してる、なんだ今の?」
 トリートメントのポンプを押しながらルルーシュが顔を上げると、ちょうど鼻先の辺りに虹色の丸い物体がふよふよと漂ってきた。
「懐かしいだろう?」
 赤いストロー状のものを咥えたC.C.がふうっと息を吹き込む。
 量産されていたのはシャボン玉だった。浴室全体がメルヘンチックな空間に変えられている。つい魅入ってしまったルルーシュは爪先へと緩やかに落ちていくそれを無意識に目で追っていた。パチンと弾け、シャボン玉が消える。
 はっと我に返り、ルルーシュは鋭くC.C.を睨んだ。
「お前か。さっき刺しただろそれで」
 C.C.はニヤリと笑ってスザクに視線を送った。「私じゃないぞ」
「嘘だ!」
 スザクが慌てて言い返す。
「犯人はC.C.だ、騙されるなルルーシュ!」
 溢れ出た湯がルルーシュの足元まで流れてきた。真面目くさったスザクの顔は、しかしタイミングよく頭の上からずり落ちてきたルルーシュのタオルに覆われてしまう。素っ裸の覆面姿が異常に怪しい。ルルーシュは思わず噴き出した。
「喧嘩両成敗だ、疑わしきは罰する」
 悪い笑みに切り替えたルルーシュがシャワーヘッドを二人の方に向ける。そして、湯温を「冷」にしてハンドルを思い切り捻った。
「うわ冷たっ!!」
「やめろ水はよせ!」
 真水を浴びせられた悪者達が湯に沈んでいく。ルルーシュはシャワーを二人に向けたまま悠然と前髪をかき上げた。
 無意味に楽しい。やたらとハイになっている。奪われたハンドタオルがバスタブに浮いていて、けれど取り返そうとルルーシュは思わなかった。C.C.の水鉄砲から逃れようとしたスザクの仕業に違いない。
「反省したか?」
 勝者の笑みを浮かべながら、ルルーシュはふと考えた。
(このまま浮いてこなければ、二人とも死んでしまうだろうか?)

 ひとしきりふざけ合っているうちにルルーシュの羞恥心は大分薄まっていた。浴室のライトが少し暗めにされていたのが良かったのかもしれない。後片付けは大変そうだったが、そこはスザクが気を利かせた。出しっぱなしの玩具を片付け、乾燥機のスイッチをドライに設定し、絞ったタオルで一通り壁の水気を拭き取っている。
 先に出たC.C.とルルーシュは着心地の良いパイル地のガウンに袖を通し、リビングでのんびりと寛いでいた。
「ハーゲンダッツ」
 冷蔵庫に向かったルルーシュにC.C.が声を掛け、要求通りルルーシュが投げてやると続けて「スプーン」と訴えてくる。
 冷えたミネラルウォーターを取り出したルルーシュはキャップを開けてカップボードの引き出しを開いた。デザートスプーン片手にリビングへ戻ったところでスザクが濡れた髪を拭きながら上がってくる。
「お前は?」
 ルルーシュが訊ねると、ピタリと止まってスザクは腹に手を当てた。
「お腹すかない?」
 口にしてからルルーシュの手元を見て、「あ、水欲しいな」と呟く。一口飲んでルルーシュが渡してやると、アイスを包み持って溶かしていたC.C.がルルーシュの持っていたスプーンを手から器用に引き抜いた。
「出来合いのものならあるぞ」
「それでいい。ナッツあったっけ?」
「ナッツ?」
 怪訝そうに眉を寄せるルルーシュに片目を瞑り、「寝室で飲もうよ」とスザクが言い出す。アイスの蓋を開けているC.C.にも同意を求めるように顔を向けたので、C.C.はルルーシュを見上げながらアイスを一口運び、無言でスザクへと親指を立てていた。


 マンション最上階の角部屋。たったの三人で住むにしてはかなり広い造りだ。
 ルルーシュがここを買い取ったのは贅沢を好んでではなく、単にプライバシーとセキュリティを重んじてのことだった。嘗てのエリア11、トウキョウ租界。この地が日本という国名を取り戻したのは遥か昔の話だ。
 僥倖か奇禍か。長い永い時を生き、渇求を抱いて再会を果たした。ルルーシュが英雄の剣に貫かれる日まで生を共にした人らは皆、天寿を全うして思い出の中へと溶け込んでいった。
 ゼロ・レクイエム以降のルルーシュはC.C.と旅を続け、徐々に平和を取り戻していく世界の傍観者となった。そのC.C.とも百数十年ののちに自然と連れ添うのをやめ、ルルーシュは一人きりで二世紀目を跨いだ。
 スザクがこの世を去り、ナナリーを喪ってからルルーシュは何度か餓死した覚えがある。欲という欲が消えてしまったのだ。ゼロとなったスザクと同じだった。ルルーシュのように食べなくなった訳ではなくともスザクの心は半分死に至り、約束を果たす器でさえ居られれば良いと考えて無機質な人生を送った。
 心は穏やかに凪いでいただろう、苦悩の元凶であった自分自身はルルーシュと共に逝ったのだから。けれど、ルルーシュとの約束を果たす為だけに生きたスザクは最後の最期まで、ルルーシュの望み通りに生きることはなかった。わけてもスザクという人間はルルーシュにとって、思い通りにならないものの筆頭にいた男だ。
 スザクは死ぬまで償った。ルルーシュは既に死した者として、存命中のスザクに会いに行くことを決して己に許さなかった。本末転倒の結果だ。もう生きていると嘘を吐くのは嫌だったからこそ、あの無謀ともいえる反逆に踏み切ったというのに。
『成すべきことは成した。生きた証も立てられた。あとは無為に生き続けていくだけ……。これも罰なのか? 死に損なったことだって――』
 痩せ衰えた身体を寝台に横たえたまま『あいつに顔向けできない』とルルーシュが嘆く。スザクが死んだ後も拘りを捨て切れず、強い自責の念に囚われ続けていた。人里離れたあばら家で虫の息。途切れ途切れに苦しげな喘鳴が響く。
 悪業を一身に背負い、平和の礎となった二人の少年。十八歳の彼らが出した結論はあまりに正しく、また世界は、全てが計算の裡に収まり切るほど単純でも都合のいいものでもなかった。不老不死の呪いも同じ。ルルーシュ自身が受けると決めた通りの罰にならなかっただけだ。
 寝台の縁に腰掛けていたC.C.は背を向けたまま俯き、穏やかに尋ねた。
『それも罪なのか?』
 喘ぐような呼吸の狭間でルルーシュが薄く嗤う。
『皮肉なものだ』掠れた自嘲は譫言のようだった。『罪じゃないのか? 大勢殺してきた俺が生き延びているのは』
 問い返しながらルルーシュは咳き込んだ。C.C.にとっては繰り返し耳にしてきた台詞だ。
『相変わらず自己完結が得意か、ルルーシュ』
 ……答えはなかった。喘鳴を残してルルーシュが昏睡に陥る。不意に静まり返った背後へと振り返り、返る声は無いと知りながらC.C.は呟いた。
『似た者同士だな』
 その言葉が届いていたかどうかは解らない。もう暫くすれば呼吸が止まるだろう。一度死んで、また生き返る。
『馬鹿は死んでも治らんらしい』
 コードを継承した者はCの世界の先へは行けない。百数十年間見続けてきた顔を見下ろしながらC.C.は細く吐息した。やつれているとはいえ綺麗な面差しだ。苦悶の表情を浮かべていた名残だろうか、眉根だけが寄せられているのが勿体なく思えるほどに。
『マゾには付き合い切れん』
 目覚めを待たずにC.C.は去った。
 ルルーシュは精神世界から帰ってくるだろうか。やろうと思えば引きこもることも出来る。但し、覚醒するたびに後悔するのが関の山だ。
 生に縛られた二人。ルルーシュは父、シャルルのコードを受け継いだ。何の覚悟も持たぬまま蘇った時の絶望は、瞬く間に死ねない未来への不安で塗りつぶされていく。この先もし核戦争が起こっても、掴まって実験台にされたとしても、たとえ地球が滅んで無酸素状態の宇宙に放り出されたとしても死ねないのだ。その不安と恐怖は時を選ばず浮き上がり、絶望よりもいや増して、生きる苦しみに色濃い影を落とすのだった。
 C.C.も経験したことだ。だがルルーシュほど潔く諦めてしまえる訳でも渇望を捨て切れる訳でもなく、シアン化合物をロケットペンダントに仕込んで生きる自殺志願者の如く、呪いとしかいえぬ生に終止符を打てるいつかを頼りに、百万の諦めを引きずりながら生きるしかなかった。
 数週間後。幾度か死んだルルーシュが幾度目かに目覚めた時、隣に立っていたのは消えた筈のC.C.だった。そしてルルーシュは、全身を蝕む壮絶な痛みに耐えていた。
『死ぬのは飽きたか? そろそろ適当に生きるぞ』
 ぞんざいな言い方だった。「これから買い物に出かけるぞ」とでも言い出しそうな口調。
 ルルーシュは死ねないことを身を持って思い知った。蘇った直後は苦痛を感じていても、身体は勝手に回復し続けてしまう。その途中で目覚めてしまったのは今回が初めてではない。
『懲りない奴だ』
 息も絶え絶えなルルーシュをC.C.は冷ややかな目つきで眺め下ろしていた。超然とした琥珀色の瞳――何世紀にも渡って生き続けてきた者の。その瞳に自己憐憫に浸る甘さを見抜かれているようで、ルルーシュは久々に烈しく苛立った。
『何をしに来た』
『御挨拶だな』
 淡々と言い返しながらC.C.が寝台に腰掛ける。死ぬのも生きるのも億劫で、ルルーシュはとても相手をする気にはなれなかった。絶望の先には諦めがあり、諦めの彼方には無気力が横たわっている。無気力の果てにあったものは緩慢な死だったが、死にさえ見放され拒絶された現実はどこまでも残酷だった。
 一息ついてからC.C.が切り出す。
『スザクを見つけたぞ』
 一瞬、名前を聞かされてもルルーシュはピンとこなかった。蹲ったまま身動きも碌にとれず、生ける屍そのもののように呆けている。
 なにせ、たった今まで死んでいたので、
『早く起きろ。明日からこの家は取り壊される』
 そう急かされても何とも思わなかった。
 起きてどこへ行く? 行く場所も目的も何も無いのに……。ルルーシュの中に湧いてきたのは純粋な怒りだけだった。
 忌々しげに吐き捨てる。『死ぬ方法が見つかったという意味か?』
 こいつはどこかで死んできて、運よくスザクに会えたのだろうか?
 今になって思えばこれほど頓珍漢な質問もないだろう。けれど、その時のルルーシュは心の底からC.C.を羨んだものだ。
『馬鹿かお前は』
 呆れの中に幾許かの哀れみを滲ませてC.C.は素っ気なく告げた。『生まれ変わったようだ』
 驚きにルルーシュが目を瞠る。怒りが霧散したのも束の間、鈍痛に苦悶の声を噛み殺して海老のように背を丸めた。荒い呼吸が数回。どうにか枕に頭を戻し、茫洋とした瞳を壁に向けてルルーシュが鼻で笑う。
『……だから?』
 C.C.が予想した通りの答えだった。『冗談なら止してくれ』と。
『冗談は嫌いだ』
『冗談だろう。それもとびきり笑えない』
 押し黙るC.C.にルルーシュが視線を向ける。
『まさか会いに行け、なんて言うつもりじゃないだろうな?』
 内臓の痛みも相まって目付きは剣呑だ。睨まれたC.C.はそれでも、堪え切れず緩むルルーシュの口端を見て不憫に思った。緩慢な動作で額の汗を拭い、震える声を誤魔化しつつルルーシュが懸命に嘯く。
『新しい人生を生きるべきだ、だったら……。記憶があろうと無かろうと、関わるべきではない』
 まごうことなき本心だった。口先で幾ら嘯こうとも。
 生きている限り会いたい想いは消えない。消えることはない。せめて一目だけでもいい、元気な姿を見たい。焦がれるように願い縁を求めてしまうのは、生に意義を見出せなくなった者の足掻きなのだから。
 未来永劫死ねない身体。思い知ったからこそルルーシュは拒むのだろう。再び別の形でスザクを巻き込むまい、もう二度と関わってはなるまいと。


 赤ん坊の頃から生きている実感のない人間なんて果たしてこの世にいるのだろうか。
 思春期に「自分は変――という名の特別な人間」という、ごくありきたりな空想に耽るのであればまだ解る。しかしスザクは何の原因も根拠もなく、この世にタイムスリップでもしてきたのではないかと自身を疑っていた。
 生まれから生い立ちに至るまで何にでも違和感が付きまとう。違うと頭では解っているのに、『僕の生きていた世界では戦争をしていたような気がする』とか、『よその国から来た幼馴染がいたような気がする』とか、訳の解らないことばかり言うスザクに両親は大層手を焼かされたそうだ。
 それでいて、幼馴染の顔も名前も思い出せなかった。『いないんだよ』と幾ら諭されても悲しげにするばかりなので、ただ想像力豊かなだけなのか、でもやはりこの子はおかしいと危ぶんだ両親に精神科へ連れて行かれたこともあった。スザクはおぼろげにしか記憶していないのだが、その時下された診断名は『離人症』。――小学校五年生、スザクが十歳の時だった。
 何々な気がする。その“何々”の部分だけが不自然に欠けていて、分厚い膜で覆い隠されているかのよう。
 まだ口もきけぬ赤ん坊の頃から兆候はあった。両親が呼びかけても笑い返さず、ただ不思議そうな顔で見たという。
 まるでビー玉のような、他人を見る目。魂の抜け殻のようで心ここにあらず。おおよそ自我といえるものが感じられなかったと聞かされた。いつも外ばかりぼんやりと眺めていて、常にこの世そのものに居心地の悪さを感じているようだった、と。
 疎みたくなくともそんな我が子を薄気味悪く感じてしまうのは無理もなかったかもしれない。中高一貫の男子校に進学したスザクは高校に行ってから、親許を離れて寮に入った。その頃には二人目の子供――スザクからすれば妹が生まれていたので、もともと女の子を欲しがっていた両親は幼い娘に夢中になっていた。
 桃色の髪の可愛らしい女の子だ。外見はスザクにそっくりで、ふわふわの髪も大きな瞳も、色こそ違えどとてもよく似ていた。スザクは何の気なしに、
『この子は大きくなったら僕と結婚するのかな』
 そう尋ねた息子を見た時の両親の顔は、今でもスザクの脳裏に焼き付いている。
 ……そんな出来事があって、スザクは何不自由なく一人で暮らしてきた。成長した妹は懐いてくれたが、その頃にはスザク自身「やっぱり違うな」と解っていたし、付き合っていた女の子も何人かいたので実家にはあまり寄り付かなくなっていた。
 頻繁に頭が痛くなり、それだけが悩みの種だったといえる。でも「もうすぐだ」という安心と確信がどこかにあって、もうじき、やっと本来の自分自身に戻れる――焦げつきそうな切なさの中でほとほとと涙しながら、やがて訪れるであろうその日を指折り数えて待ち続けていた。
 十八歳の誕生日。朝を迎えたスザクは生まれ変わっていた。
 一度死んだ訳ではなくとも全てを悟っていた。教えられた訳でもない、それでも解った。この身体は今の自分に戻るための器だったのだ。だから、今まで生きている実感が全然なかったのだ、と。
『ルルーシュ』
 ただただ、涙が零れた。
 ルルーシュはこの世にいない。ずっと昔にスザクが殺してしまった。
 でも、たった一つだけ希望が残されている。スザクがこうして生まれ変わったのだから、半身の彼も世界のどこかで生まれ変わっているかもしれない。
『俺は君の騎士だ』
 この身体に生まれついて初めて、スザクは「俺」という呼称を使った。なんだか不思議な感じがして(やっぱり「僕」でいいか)と思った瞬間、寮の部屋のチャイムが高らかに鳴り響いた。
『お迎えだ。わざわざ来てやったぞ』
 ドアの向こうに居たのは懐かしい顔。泣きべそで出迎えたスザクを見てC.C.は満足げに笑った。
『説明は不要のようだな』


「――酷いよな、もう。感動して泣いてるのに『汚い』なんて」
 半年ほど前の話に花を咲かせながら、寝室にこもって三人は飲んでいた。身体はともかく中身は全員未成年ではない。部屋の中央にはクイーンサイズのベッドが鎮座し、スザクのジム用具とC.C.専用のマッサージチェア、オットマンとセットになったテーブルが入口ドアの手前に置かれている。
 広々としたベッドの上でスザクは胡坐をかき、クッションに凭れ掛かったルルーシュの足を枕にしてC.C.が寝そべっていた。
 作り置きの料理やつまみがヘッドボード上の台に並べられ、長テーブルのようなそこには空になったワインやシャンパンのボトルも数本並んでいる。
 ラスト一本のコルクを抜きながらルルーシュはクスクスと機嫌よく肩を揺らしていた。スポンと景気の良い音がする。
「二百年経っても直らなかったんだ。これから何年経とうが、こいつの口の悪さはそのままだ」
 ルルーシュに注いでもらってからスザクがボトルを受け取り、自分以外のグラスにも注いでいく。
「改めて乾杯する?」
「何回目だ」
 台にボトルを戻すスザクにC.C.がすかさず突っ込む。幾つかアーモンドを掴むスザクにルルーシュは「いい」と首を振り、その膝でC.C.が代わりのようにあんぐりと口を開いた。スザクは苦笑混じりにルルーシュと顔を見合わせて、
「雛みたい。見て?」
 餌を与えるように一粒ずつC.C.の口の中に落としていく。小気味よい音を立てて咀嚼していたC.C.はスザクの指まで齧った。
「いったッ……!」
 懐かしい光景に思えてルルーシュがふっと微笑む。
「こいつの方が明らかにズボラだ」
 優雅にグラスを傾けるルルーシュの隣でスザクは呻いていた。猫がするようにC.C.が齧った指を舐める。そして、いかにも不味そうに顔を顰めた。もう、と不平を漏らしながらスザクが手首を叩き、残ったナッツを飛ばして自分の口でキャッチする。C.C.が雛か猫ならば、スザクはさしずめ犬だろう。
「相変わらず器用な奴」
 感心したルルーシュが皿からピスタチオを摘み、丁寧に殻を剥いていく。合図として一度スザクに翳し、天井近くまで放ってやると、スザクはまたも見事に口で受け止めていた。喉にストレートに入って噎せ返っている。注いだばかりのワインをスザクは一気に飲み干した。ほろ酔いのC.C.が意地悪そうな笑みを浮かべ、
「フリスビーをキャッチするのも得意だろう、今度買ってきてやろうか?」
「いらないよ、そんなの」
 茶化すC.C.に涙目になり、スザクが情けない顔で言い返す。ルルーシュはC.C.と目くばせを交し合いながら一緒にぷっと噴き出した。他愛ないやり取りが妙に可笑しくて、楽しくて嬉しくて、有難くて。肩を寄せ合いながら三人はいつまでも笑っていた。
 一番笑っているのはルルーシュだ。アルコールのせいだけではなく、この場の空気が常になくルルーシュを陽気にさせていた。
 どうしようもなく愛おしい。……なのに、ほんの少しだけまだ寂しい。
 この寂しさがどこからくるのかルルーシュには解らなかった。他の二人にしてみてもそうだろう。互いに口に出さずとも想いを共有出来ているし、その実感があるだけで充分だ。何の因果か偶然か、こうしてもう一度巡り合うことは出来たけれど……でも、しみじみと胸に迫りくる何かがある。
「ところでさ」
 と、笑いがおさまった頃にスザクが切り出した。
「君は覚えてる? 自分の誕生日」
 出し抜けに尋ねられてルルーシュはぱちくりと瞬いた。C.C.が「わからいでか」と起き上がり、ワインを喉に流し込む。
「あ――」
 思い当たったらしいルルーシュに微笑みかけながらC.C.と連れ立ってスザクはベッドから降りた。
「先に気付かれるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
「ここのはさすがに開けないだろう」
 口々に言い合いながら、二人して部屋の奥に設えられた簡易冷蔵庫へと向かっていく。そこから恭しく掲げられてきたものは真っ赤なリボンで飾られた上品な箱だった。
「開けてみて?」
 スザクに促されてルルーシュが箱を見下ろす。リボンの端をC.C.に持たされて緩く手前に引っ張ってみた。
 解いたリボンをよけるルルーシュを二人が見守っている。おそるおそる開いた箱から現れたものは、宝石のように粒ぞろいの苺がぎっしりと乗ったバースデーケーキだった。格子状のチョコが飾られていて、よく見るとところどころに細かい金箔が散らされている。厚めのプレートにはルルーシュの名前と祝いの言葉が優美な書体で記されていた。
 光る苺の赤が純白のクリームに映える。その美しさにルルーシュが魅入っていると、突然ふっと照明が落ちた。
「暗すぎだ、何も見えん」
 C.C.に言われてスザクが一旦眩しくなるくらいまで明るくする。再び暗くなっていく視界の中で、ルルーシュは夢うつつのままだった。向かいでぽっと火が灯る。C.C.が点けたライターだ。スザクがダイヤルを調節し、手元が見える程度まで明かりを落としていく。
 C.C.がカラフルなキャンドルを取り出して数字の先端に火を点けた。一の形をした緑のものと、八の形をした紫色のキャンドル。
 ルルーシュはそこでようやく、自分がまだ十七歳までしか迎えていなかったことを唐突に思い出した。数え年では十八だ。だが、正式には十七歳。スザクの誕生日をささやかに祝ったあと、翌々月の二十八日にはゼロ・レクイエムを決行していたのだから。
 今日は十二月五日――ルルーシュの生まれた日だ。
 小さな炎を灯した一のキャンドルがプレートの前に挿し込まれ、その横に八の字が並ぶ。ベッドに座ってケーキを覗き込むルルーシュの顔とC.C.の顔が煌々と照らし出されていた。スザクが足音も立てずに寄ってきて、ルルーシュの肩を後ろから抱きかかえる。C.C.が両手を打ち鳴らし始めると同時に、ルルーシュの耳元に心地の良い低音が流れ込んできた。

 Happy Birthday To You.
 Happy Birthday To You.
 Happy Birthday Dear Lelouch.
 Happy Birthday To You.

 朗々と響く歌声。一足早い聖夜が訪れたかのよう。
 ルルーシュが灯火を吹き消すとぱらぱらと拍手が鳴り響く。どこからともなくフォークを取り出したC.C.がスザクへと一本渡し、スザクが手前の苺を刺してルルーシュの口元へと運んだ。
 好物だった、ずっと昔から……。砂を噛むような思いでしかものを食べられなくなっていた頃、ルルーシュは自分の好物でさえ忘れていた。真っ赤に熟れたつやつやの苺。唇を開き、こんなものを食べるのは何年ぶりだろうと思いながらルルーシュは口に含んだ。甘酸っぱい果汁が口の中全体に広がっていく。C.C.がもう一粒、切り分ければ別のカットの上に乗りそうな部分から取ってきて、ルルーシュは一個目を飲み込んでからフォークの先に齧り付いた。
「美味いか?」
 C.C.に問われてこくりと頷く。溢れた汁を舐め取っているうちに残り半分をC.C.が食べていた。スザクが抱いていたルルーシュの肩を揺らし、
「これでやっと同い年になれたな」
 感慨深げに覗き込んできて、「でも、僕の方が半年お兄さんのままだ」
 言いながら抱く腕に力を込める。
 寄ってきたC.C.がルルーシュの頬に口付けて、頷き合ったスザクも逆側の頬に唇を押し付けた。代わる代わる交互に口付けが続く。掠めるような感触は羽のようだ。
 C.C.が箱ごとケーキを避けている間、スザクは示し合わせたようなタイミングでルルーシュをベッドに押し倒した。
 真上から見下ろし、密やかな声で囁く。
「昔は嫉妬したよ、君が選んだのはC.C.なんだって。僕と君が道を違えてしまったのも、C.C.がギアスを与えたせいだ、と」
 今は大丈夫。そう呟いてスザクが目を瞑る。瞬きを挟んで落とされた視線はルルーシュではなく、遠い過去を探っているようだ。深い翠が揺れる。呼び起こされた苦悩に。ルルーシュの紫も水気を含み、共振するように揺れ動いていた。
 規則正しく拍動を続ける心臓。ルルーシュのそこに手を置いたスザクが押し殺したトーンで言葉を紡いでいく。
「キスも抱き合うことも、もう二度としなくていいと思ってた。それだけの覚悟があった、共犯者になると決めた時から……。ゼロ・レクイエムの前夜でさえ、その判断は正しかったと疑わなかった」
 ――君もそうだろ?
 断定するように尋ねながらスザクはゆるりと首を傾げた。ルルーシュは無言で頷き、スザクの両頬を引き寄せて額を重ねる。
 絡み合う目線。互いに応えようと鼻先を触れ合わせる。スザクはルルーシュの胸元をきつく握り、戻ってきたC.C.へと視線を流した。先にルルーシュが手を差し伸べ、次にスザクが。二人に導かれてC.C.もベッドに上がった。隣に横たわるのを見届けてからルルーシュが口を開く。
「ゼロ・レクイエムで、俺たちは一つになった」
「……そして離れた」
 スザクの声音はひび割れていた。乾き切った響きが越えてきた年月の長さを物語る。ルルーシュの隣に寄り添いながらC.C.は粛として尋ねた。
「これで良かったのか?」
 スザクが神妙に頷く。納得したという表情でルルーシュは緩く吐息を漏らした。心臓の辺りを掴むスザクの拳を覆い、その上からC.C.が自分の手を重ねる。微笑を浮かべるスザクを見上げながらC.C.は「そうか」と呟いた。……つい先日の出来事を思い出す。

『協力して欲しい』
 意外、というほどではないのかもしれない。ただ「そっちを選ぶのか」とは思った。スザクとの間にはある種の隔意があったので、C.C.は正直すぐ頷く気持ちにはなれなかった。
 ルルーシュは今でも信頼しているのだろう、この男のことを。愛してもいる。唯一無二の親友、運命の相手、魂の半身として。
『あいつは死に損なった身だ。それでもか?』
 C.C.の問いかけにスザクは黙考していた。ややあって、静かに瞼を伏せる。
『枢木スザクは死んだ。今の僕も枢木スザクであって、そうじゃない』
 この男の言うことは抽象的で解りづらい。だが、とC.C.は悟る。見つめてくるスザクの眼差しは真摯だった。
『確かにな。以前のお前はもっと厳格だった』
 断言したに違いない。「たとえ幾度死んだとしても許される罪などない」と。ゼロ・レクイエムは二人にとって世界への償いであり、互いを赦す為の儀式でもあった筈だ。ルルーシュが何度か死んだことも予め伝えてある。
 それでも――。
『僕はルルーシュの騎士だ』
 君は盾だろ?
 問う声は嘗てのように当てつける響きではなかった。『有難う』とスザクが口にする。
『まだ言ってなかったよね、迎えに来てくれたお礼』
 そのことか、とC.C.は黙って聞いていた。スザクが押し殺した声で言う。
『大切な友達が死ぬより辛い罰を受けている。君と同じ、誰かに押し付けることでしか逃れられない罪の……。それに』
『…………』
『ルルーシュを裁く権利なんて、僕は持っていないよ』
 その一言にC.C.の胸はズクリと疼いた。
 遥か昔、もう彼岸の手前で佇む時くらいにしか思い出すことの出来ぬ記憶がC.C.を苛む中、スザクは思う。
 ――もし生きているのなら。もう二度と死ねないというのなら。
(君が引き受けた罰とは何だったんだ? ルルーシュ)
 幾度も死に、また蘇り、今後も世紀を跨ぎ続けていくことに何の意味がある?
『生きていたって死んでしまったって、罪は消えない』
 ならばその罰とは、一体誰が定めるものなのか。
『十八歳の僕らにはそれが解らなかった』
 大人たちが言った。『これは戦争だよ?』
 人を殺した他の人達だって生きていた。笑っていた。等しく罪を背負ったまま、その誰もが過ちを繰り返そうなどとは思ってもいなかっただろう。それなのに望んだ明日の中に居場所がなかったのはルルーシュ本人だけだ。
 赦せなかったのは。赦したくなかったのは……。
『喪ってから気付いた。本当は解ってた。でも通らなければならない道だと思っていた、あの時は』
『そうだろうな』
 うん、と頷き、スザクが悲しげな笑みを浮かべる。
『あれは結局、僕ら二人の業だった』
 言い切るスザクをC.C.は咎めない。今となっては全てが過去だからだ。しかし、思いは一緒だった。スザクの答えを受けて足元に視線を落とす。
 ……誰になら裁き切れるというのだろう。何をもってすれば罰は罰たりうるのか。愛を求め、弄び、その果てに裏切られたC.C.も天に向かって幾度となく問いかけてきたものだ。答えが返ることは遂になく、C.C.はやがて一人きりで気付いた。
 赦しのない永劫の罰など裁きですらない。見放されただけだ、世界から。断ち切られてしまった者の生でない生など放逐と同じだった。この先幾ら良いことをしようと悪いことをしようと、世界にとってはもう何ら関係がない。昇天することすら赦されず、あてどもなく彷徨い続ける幽鬼と同じ。
 行き着いてしまった地の果ては荒漠とした砂礫の世界だった。その光景を見届けても尚、流れ着いてしまったことさえ誰にも伝えられぬまま虚ろと化すのだ。そして叫ぶ。叫び続ける。どこにも届かぬ声と知りつつ呪い続けていく。縛られ続ける不自由と無意味でしかなくなってしまった人生、この世の全てに向かって。
 ――『理不尽だ』と。
 スザクは微笑みながら言った。
『だったらもう、好きに生きるしかないじゃないか。無責任かもしれなくても』
『そうだな』
 C.C.も笑った。解っている、これは只の悪あがきだ。でなければ人間でなくなってしまった者による人間の真似事。
 記憶はある。後悔も。それらを背負ったまま苦しみ続けるのも、何かに寄与することで贖おうとするのも、あるいはより良く生きようと人に優しくあろうとすることも。
 本来それが、人という罪深い生き物にとっての『生きる』ということではなかったか。
 ……ならば愛でよう、せめてその営みを。まだ人であった頃を懐かしみ、永遠に慈しみながら足掻き続けよう。
 百万の諦めの中で祈りは土に還る。光など届かぬこの土の底、もう贖いさえ叶わぬ身となり果ててしまっても。
『仕方がない』
 C.C.は負けてやることにした。ルルーシュもこの男の不器用さに絆されていた。正反対なようでいて本当に、よく似ている。
 ルルーシュにとってこの男は太陽なのだろう。この男にとってのルルーシュは月の如く不実で掴み切れない存在だったかもしれないが、眠れぬ夜に思い出す光ではあったことだろう、たとえ離ればなれの時であろうとも。
 頭まで下げたのだ、認めてやるしかない。C.C.はチェシャ猫のような笑みを浮かべ――いや、腕組みをしてつい、と鼻先を見る角度で答えてやった。
『いいだろう』

 一番最初に受け入れていたのはC.C.だったのかもしれない。スザクもまた、抗ってはいたが受け入れたのだ。もう一人の共犯者と、他ならぬルルーシュのために。
 固く手を握り合ったまま三人は横たわっていた。この後どうするのかは決まっている。ルルーシュは肩を竦めた。
「礼を言った方がいいのか?」
 真顔でスザクはその台詞を受け止めた。伺い合うような間が空いても誰も喋らない。二人にベッドに流れる黒髪を梳かれながら、ルルーシュだけが口元に淡い笑みを浮かべている。
(ずっと思っていた、俺は)
 この二人の愛を引き比べてみたところで、片側だけに天秤が傾くことなど有り得ない。だから、この内のひとりだけがもしあぶれてしまうのだとしたら、それはほんの少し寂しいことなのだと。
(今はもう、あの頃よりずっと許し合えている)
 そのことに、ルルーシュは深く安堵した。
 死に損ねた罪、更なる罰を畏れる孤独。決して赦されない、赦してはいけないからこそ、歓びを胸にルルーシュは目を閉じた。
 仄かな明かりの中で衣擦れの音が響く。開かれた喉元に触れてくる優しい掌――スザクとC.C.の。
 ルルーシュは満たされていた、心の底から。自分の目だけでは見られない箇所にある不死の紋章のことも、未来永劫に続く命の果てについても、今だけは忘れていても良いと己に許せる気がした。
 正義の剣に貫かれ、一つになれた瞬間こそ全て。真に許し合えたその先の世界をルルーシュは知らない。
 長い永い時の間の、まばたきほどの時間。どうしようもなく「まだ寂しい」どこかを埋める為。その時はまた、冬の夜空に並ぶ三つ星のように。

 ……ごく穏やかな交わりだった。確かな安息でもある。またするかもしれないし、もう二度としないかもしれない、どちらでもいい。
 抱き合ったあと、二人が両側からルルーシュの頬にキスをする。それは共犯者三人で決めた新しい儀式だった。


 ルルーシュが微睡む。
 まだ生まれる前、夜空のゆりかごに抱かれた幼子のように、その寝顔は幸せそうに微笑んでいた。




・゚・☆・゚・。★**・゚・☆・゚・。★**



スザク:「喧嘩ばかりしていたけれど、二人で愛することに決めました!」
そんなIfルートがあってもいいよね。
考えてみたら不老不死ネタも転生ネタも書くの初めてでした。ずっと書けなかったんですよね、何故か。
るるしゅは他の人も幸せになれないと嫌がるだろうしなぁ。

えぐい話ですが、「餓死したことがある」って書いちゃってから「不老不死でも餓死するのか」という疑問に陥って一人でぐるぐるしてました。
るるしゅは積極的には自殺しなさそうだけど欲はなくなりそうで……。
ただ、細胞の壊死や内臓の損傷があれば治癒してしまうかもですし、その辺どうなんだろうと。如何せん餓死についても不老不死についても詳しくないのでよく解りません。「わたし詳しいよ!」って人もそういないでしょうが。
居たら訊くんですけどね。「リアリティないよ!」と思われた方、もしいらっしゃいましたらすみません。
不死の概念が曖昧なので、そもそも「食べなくても死なない」のか、「食べなければ一度は死ぬけれど蘇りはする」ということなのか。解らないままベリーハードモードな後者を選択してしまいました。

るるしゅは一人ぼっちにされたら死んじゃうとおもう、たとえ不老不死でも。
ルルーシュのことが好きなのであれば、皆でルルーシュを愛でればよいのですよ!
だので、このスザクは年とりませんきっと。最初から規格外だったということにしてあげてください。(酷い!)
原作のスザクも有り得ないレベルで人外だったからいいよね……。

ちなみに文中(序盤)でのお風呂シーンのことですが、るるしゅのタオルを奪ったのはスザクではなくC.C.です。
最初にバシャバシャしていたのはスザクが手でお湯を飛ばしていた音で、便乗したC様が水鉄砲攻撃を開始。
スザクはその間タオルで水風船を作って遊んでいましたが、自分がターゲットにされたので盾代わりにタオルを使ってました。
るるしゅ惜しい!(これぞ濡れ衣)

これも余談ですが、「わからいでか」って大阪弁なのだそうで。このC様は大阪にも住んでいた可能性が。
小説か漫画で知った言い回しだったのでてっきり全国区なのかと。ン十年間生きてきて初めて知りました。
調べてみて「えっ」と思ったけどなおさない、あえて。


最初はなんも考えずにスザルルCで3P書こうと思ってたんですよ?
ボツにした分コミで、気付いたら全部で一万五千文字くらい書いててビックリでした。
遅刻した代わりに愛だけはたっぷり詰まってます。るるーしゅ脱・童貞おめでとう!
じゃなかった。おめでとうお誕生日! これからもずっとずっとあいしてる!


【追記】2014/2/2 どうしてもまとまらない、納得出来ていなかった箇所を修正・加筆しました。

裏切りの代償


 華美な装飾が施された眼帯は仮面に似ている。死による償いを放棄させる呪いとは異なり、皇帝のギアスは対象に複数回かけることが可能のようだ。抗いこそ生の証だと、ルルーシュの――ジュリアスと名を変えられた男が呻く。頻繁な頭痛と意識の混濁。乗り物酔いではないと知っていながらスザクは無視して室外へと出た。
 護衛とは名ばかりの目付け役。力を失ってはいても、仮面にも似た眼帯の下でギアスはひっそりと息づいている。改竄された記憶が復活すれば、ただちに殺せるように。
 下された命にスザクは背かない。だが、煮えたぎる思いに心は反駁する。部屋を出た真の理由は拭い切れぬ葛藤への、せめてもの抵抗であった。しかしながら、背を向けるという行動をとることはスザクにとっては実に簡単だった。
 反して、憎しみを持続させるのは難しいことだろうか? 何故この傲慢な男が生きていて、ユフィがこの世にいないのか。怒りと憎しみが復讐心へと転じ、諦念となって心を汚していく。暗澹とした未来、先は見えない。コールタールにも似た憎悪と絶望は、打ち砕かれた友情と希望の前では酷く儚く、むなしいものに思えた。
 敬愛した彼女はもう戻らない。苦悶に顔を歪める狡猾な幼馴染の変わり果てた姿を、その不幸を、手を打って喜べるほどの下劣にも慣れはしないのだろう。当然の報い? 甚だ軽い。それでも――つい癖で「ルルーシュ」と呼びかけそうになる。
「スザク……水、水をくれないか」
 部屋に戻るなり掠れた声と共に頼りなく手が伸ばされ、甘えるなと叫んだことを思い出した。突き放したい思いは今も変わらず、スザクは塵芥でも眺める目付きをジュリアスへと向ける。
 グラス一杯の水ひとつ満足に飲めない軍師。記憶を書き変えられていても、この男の性質は変わらない。他人を自分の思い通りに動かしたがる、動かせると思い込んでいる都合のいい本性も。
「キングスレイ卿、まだご気分が優れないのですか?」
 目付役であって世話係じゃない。今やブリタニアの駒となっているのはお前自身だ。軽蔑と悪意を針のごとく台詞に散らすと、顔を上げたジュリアスはその半分を掌で覆いながらきつく眉をひそめた。
 まるで憎まれているかのようだ、そう思っているらしき自嘲の笑みが薄い唇を彩る。自分が引き起こした惨劇を、その責任ごと忘却の檻に閉じ込めているからのうのうとしていられる。スザクにとっては犯した罪を彼方へと追いやり、卑しく己を守る姿としか映らなかった。
「俺達の間に地位の差はないだろう。友人としての頼みだよ」
 皮肉っぽい口調とは裏腹に、ジュリアスは寂しげな笑みを浮かべた。余裕を取り戻した風に見せかけているのは無論、演技だ。
 スザクの嫌悪感は消えない。芝居がかった声を聴くだけで、顔を見るだけでも吐き気を催しそうになり、ぐっと堪えて瞼を伏せる。布巾を用意させ、濡れたテーブルを拭いていると「早く」とジュリアスが急かした。苛立ちに拍車がかかり、無視しようとしてからスザクは手を止める。
 絨毯の敷かれた床に転がるグラスを拾い上げ、水差しの中身を入れ替えてから新しく持ってきたグラスになみなみと注ぎ入れる。幾らかほっとした表情でありながら、クリスタルのグラスを眺めるジュリアスは蒼褪めていた。生気を失って震える指先。一度口元を押さえた手でグラスを取り、苦しげに水を煽る。弱々しい動作は押し込めた情を揺り動かすに充分なものだった。
 どうやら疎まれていると気付いているのに、見え隠れするのは縋ろうとするいじましさだ。健気にも見えるし、惨めにも見える。だからこそスザクにとっては恐ろしく、また、疎ましい。
 凶悪な殺人犯はこう口にするそうだ。「他人に同情される人間になりたい」と。
 スザクは思う。「二度と惑わされるまい、騙されるまい、絆されるまい」と。

 握手を交わした時間はごく短く、触れるだけだったその手を男は背中側へと回した。見えない位置で下賤な者に触れたと穢れをこそぎ落とそうとしている。
「どちらですかな? 皇帝陛下の覚えもめでたき軍師殿とは……」
 男が慇懃無礼に辺りを見回し、下車してきたジュリアスが朗々と口上を述べる。階段を下りる優雅な足取りを横目に、スザクは黙って引き下がった。悔しさとも軽んじられた屈辱ともいえぬ感情を押し殺して僅かに腰を折る。
 傲岸不遜なジュリアス。華々しい戦歴でさえ偽りのものだったが、着任したてのナイトオブラウンズ、成り上がりのイレブンとの格差は歴然としていた。所詮、友人という関係内でしか通用せぬおためごかしだとスザクも解っている。少なくとも、解っているつもりだった。
 ギアスのこと、マリアンヌのこと、ナナリーのこと。大切なものと力の全てを剥奪し、過去さえ捻じ曲げて徹底的に貶めた。唯一、スザクとの記憶だけがルルーシュ――ジュリアスの寄る辺となって人格の根底を支えている。スザクも理解しているからこそ葛藤する。ルルーシュを逃がさぬため、スザクに裏切らせぬため、皇帝は自分たち二人を同時に利用しているのだから。
 ルルーシュを売って地位を得た。「結託は認める、だが弁えよ」。そういうことなのだろう。解りやすい肩書や権力にこだわっているのは自分の方だと、今なお変わらぬ現状を目の当たりにしてスザクの内で妬みが渦巻く。
 越えられない部分がある。幼い頃感銘を受けた純粋無垢な心が。信頼を保とうと、友としての絆を失うまいと、ジュリアスはスザクの態度を責めなかった。
 他人の善意や厚意、あるいは好意によって昇進してきた自覚がスザクにはある。そしてまた、スザク自身がこれから立てる武勲でさえもルルーシュの手柄となるのだ。
 貶めた筈のルルーシュがまだ「下にいるのに上にいる」ように思えて、焦燥にも似たもどかしさをスザクは感じた。未だ受け続けているこの差別もまた、罪人としての自分にはふさわしい罰なのかもしれない。我が身の不遇に際してスザクは考える。
 裏切り者の友人。けれど、この暴虐もまた然り。
 復讐という名の建前で飾った卑劣の代償を、スザクは今も支払い続けている。


*****

公開初日に見に行って、次の日に感想吐き出しがてら書いたものです。
どうやら初対面設定では?という意見の方が多いらしいのですけど、
友人設定で書いてからそのままいじってません。
スザクの方がルルーシュよりも根本的に野心強いんじゃないかと思ってます。
台詞のメモがないままうpるのも何かと思いつつ、そのままアップ。もしかしたら後で直すかも?
実はもう一本R18のが書き上がってるのですが、推敲がまだなのでもうワンクッション置いてからにします。

正反対という才能


(何故、俺たちは正反対である必要があったのだろう)
 雲の上からスザクの姿――かつて、枢木スザクという名だった男の姿を見下ろしながらルルーシュは思った。
 昔から、あいつは俺がいいと思ったことと正反対の方向にばかり行く。俺の言う通りにしていれば間違いないのに。あの行政特区に参加しないかと言いに来た日だってそう思っていたし、怒っていたし、何より酷く悲しんでいた。損得勘定では人は付いてこない、などと訴えられて頷く奴があるものか。『失敗すると分かっているところにみすみすお前を行かせることはできない』。そう否定した自分のことを、あの時スザクはどう思ったのだろう。
 スザクが恐れていたものは、ただ立ち止まって手をこまねいてしかいられない自分だ。何かを成さねばならない焦りならよく知っていた。そのための犠牲など厭わない覚悟で動いていたから、失敗の可能性の方がはるかに高かろうが、命を奪うことにも自分の命を失うかもしれないことにも躊躇はなかった。一介の学生が吠えたところで、どうせ世界は変わらない。『死んでいるのに生きている』と自分に嘘を吐いていた頃がルルーシュにもあったのに、解ってやれなかった。
 悲しいということは怒っているということだし、怒っているということは悲しんでいるということなのかもしれないとルルーシュは解りかけていた。けれど、腹がたって腹がたってどうしようもなかったので、自分のそんな気持ちには蓋をして、無視をした。
 特区は失敗する。何故なら俺が一計案じるからだと言った訳ではない。だが、たとえルルーシュが自分の目的のために阻止しようとしなかったとしても、ゆくゆくは利用されるだけされてから潰されていただろう。
 理由もないのに一つの属領だけ特別扱いすることは出来ない。あの計画に許可を出したのはシュナイゼルで、シュナイゼルにはシュナイゼルの目的があった。ユフィはルルーシュと同じことをして我儘を通したが、ユフィもユフィ自身の目的を叶えるために生きていた。共感したスザクとて、同じではないのか。
(お前の目的はどこにある?)
 昔からスザクはそうだ。――そうで、あった。けれど、今のスザクはまるでルルーシュになり切ろうとしているようだった。今のゼロはスザクなのに、やはりルルーシュと同じには振舞えない、僕じゃ本物のゼロには届かないと、とげとげした黒い仮面の下でいつもぼやいている。
(俺はお前がいいと思う通りにしろと言ったのに)
 これからの世界はお前が導け。ルルーシュはスザクにそう言い残して死んだ。だから今のルルーシュは、なんとも微妙な気持ちでスザクの動作を見守っていることしか出来なかった。
(だいたい何だ、その腰の動きは。お前は俺じゃないんだぞ、演説する時の身振り手振りまで真似しなくていい。今は戦時中とは違う、平和を目指す時に突き上げる拳など必要ない。あいつに余計なことを吹き込んだのは誰だ、C.C.か?)
 ――いや、スザクは自分の意思でルルーシュを模倣しようとしている。模倣には限界が来る。いつか誰かに見抜かれる。そんな当たり前のことにさえ気づきもせずに。
 正しくはこうだ! と口にこそ出さなかったものの、ルルーシュは一人ポーズを決めてからハッと我に返った。辺りには誰もいない。鋭くツッコミを入れてくるC.C.もいなければ、ルルーシュより先に逝った筈の人達でさえ一人もいない。それなのに、ルルーシュは人目を憚るように周囲をそろりと見回して、少しだけ肩を落とした。
 なぜ雲の上にいるのか。それはルルーシュにも解らない。気付いたらここにいて、他に行ける所もなさそうだからずっとこうしている。毎日毎日、飽きもせずに見下ろしているのだ。ルルーシュになり切ろうとしているかのような、無駄というよりはズレた努力を重ねているスザクの姿を。
 スザクには昔とは違う敵がたくさん出来た。仮面をかぶっているのが枢木スザク――だった男、だとは奇跡的にバレていないようだったが、祖国の民から奸賊、逆賊などと呼ばれなくなった代わりに、世界各地に敵が散らばるようになった。中にはルルーシュの名を叫びながら襲いかかる者もいる。そして、スザクにとってはそれが最も堪えるようだった。
 もちろんスザクは泣きもしないし笑いもしない。死んだように生きろと言った訳ではないのに、心が半分死んでしまって良かったと思っている節さえある。しかし、スザクは公務が済んでから、仮面の下でよくルルーシュに零している。その時だけ、スザクはやっぱり枢木スザクのままのようにルルーシュには感じられた。どう聞いても腹を立てているとしか思えないスザクの言葉を聞くたびに、ルルーシュはやっぱり「怒るということは悲しいということなんだ」と再確認する。
(昔の俺ならどう思っただろう?)
 演説を終えたスザクを狙う狙撃手がいる。三百メートルほど離れた所で光る銃口と、ゼロの服に身を包んだスザクとを見比べながらルルーシュは考えた。スザクは正しい。自分とは正反対の生き方を貫こうとするスザクをルルーシュは認めた。それは結果として自らの生き方を否定することにも繋がってしまったが、悔いはない。生きていた頃は何かと衝突したし、理想を押し付けがちだった。また、スザクに同意されることを当然だと思ってもいたけれど、ルルーシュは自分とスザクがまったく別個の存在で、だからこそあんなにも烈しく欲したのだともう受け入れていた。
 死してなお、受け入れられなかったのだとしたら問題だ。ルルーシュが軽く笑った時だった。銃口が火を噴いた。
 スザクは避けなかった。
(昔の俺ならどう思っただろう?)
 ルルーシュは再び考えた。胸に手を当てて、のけぞりながらスザクがうつ伏せに倒れる。
 『駄目だ、そんなの』――そう言っていたのではないだろうか。
 スザクがもう動かないことをルルーシュは知っていた。そして、自分がいる空にスザクも来られるかどうか、と考えてもいなかった。生きている人達の世界に、ルルーシュは干渉できない。
 果たして、あの時託した願いのどこまでをスザクは正しく理解していたのだろう? ルルーシュはそれも確かめたいとは思わなかった。昔から、あいつは俺がいいと思ったことと正反対の方向にばかり行く。ルルーシュは毎日毎日飽きもせずに、そんなスザクを見下ろしてきただけだ。だから……。
(あいつなりに、何かを全う出来たと思える人生だったなら)
 ルルーシュは横たわるスザクから目線を外し、淡く、かなしく微笑んだ。


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

「こういうケースもあるかも?」と思って書いた、というよりは、
「もしこうなってたとしたら辛いな~」というパターンで書いてみました。

(`=ω=´)

……うん。
ルルーシュはどうなったとしても優しく抱きしめてくれるよ、多分。

Where am I going? (8月18日インテ無配ペーパー)

 
 
 
※スザユフィ好きな方はご注意下さい。



.:*゜..:。:.:*゜..:。:.  ・゚・☆・゚・。★**.:*゜..:。:.:*゜..:。:.  ・゚・☆・゚・。★**



「ルルーシュ。僕はもしかしたら、女の子に興味がないかもしれない」
「…………」
 クラブハウス内、リビング。
 俺にどう反応しろと言いたいのかわからないが、スザクは椅子に腰かけて一息つくなり突然こう切り出した。
 何かあったんだろうか。まさか体育着にらくがきをしていた奴らの中に女子がいたのか。それとも規律の厳格な軍にいるうちに、まともな感覚が麻痺してしまったのか。その時、俺の頭の中では七百十一通りのパターンが勢いよく駆け巡っていた。何も言えずに固まっていると、じっと俺の反応を窺っていたスザクが僅かに眉を下げて「あ……」と後ろめたそうな顔をする。
「ごめん、ホントはこんなこと言うつもりなかったんだ。でもなんか、君と会ったら気が緩んじゃって」
 はは、と乾いた笑いを漏らしたものの、スザクの言葉はそれ以上続かない。テーブルを挟んで座る俺もどう応えればいいやら解らず、ただ低く唸ることしか出来なかった。
 手指を組み、申し訳なさそうにしていたスザクの目元が陰る。俯きがちになった顔が上げられた時には何故か目が据わっていた。それがとても不吉というか不穏な兆候に思えて、ごくりと喉を鳴らしてから俺も唇を開く。
「あのな、お前に何があったか知らないが――」
「ルルーシュ」
「はっ――?」
 唐突に呼ばれて背筋が伸びる。この切羽詰まった空気は何だろう? スザクは酷く思いつめた様子で拳を握り、俺を凝視したままゆらりと立ち上がった。
「これから言うことをよく聴いて欲しい―――あのね?」
「待て」
「えっ」
 制止したのは直感からの行動だった。ここで好きに喋らせるのはまずい気がする。理性的な判断ではないぶん本能というのはあまりアテにならないものだが、ことスザクに関する嫌な予感だけは外れない自信があった。
「まあ座れ、話は聞く」
「…………」
 スザクは鋭い目付きを俺に向けたまま大人しく座りなおした。――よし、それでいい。
「とにかく落ち着け。いきなり本題に入る前に、まずどうしてそう思ったのかだけでも聞かせてくれないか? 話が読めない」
「あ、そうだね」
 スザクの顔から物騒な面がスルリと剥がれ落ちる。論理的に説明するのがこいつはあまり得意じゃない。どう筋道を立てて話すべきか迷っているようだったが、再び意を決してこちらを見る表情から迷いは既に消えていた。うん、と一人頷き、スザクが深く息を吸い込む。
「誤解しないで聞いて欲しい。僕が、ユーフェミア副総督の騎士になったことは君も知っていると思う」
「ああ」
「それでね? 彼女はルルーシュの、君の妹だろ?」
「腹違いだけどな」
「うん…………でね? 彼女にはどうやら、好きな人がいるらしい」
「好きな人?」
「だから、ええっと……。それは、僕かもしれない。そういう意味で」
「…………」
 解るよね? と上目遣いで訊ねられ、とりあえず曖昧に頷いておく。
 確かに、好意がなければわざわざ自分の騎士に採りたてたりはしないだろう。信頼度も重要視すべきだが、それを言うなら俺だって………。
まあ、好意といっても色々ある。
「憶測じゃないだろうな。本人に直接そう言われたのか?」
「言われてはいないけど、多分間違いないと思う」
 自信ありげに話すスザクは真剣そのものだった。『多分』なのか『間違いない』のかどっちなんだ。そう訊こうとしたところで、溜息をついたスザクが暗い表情で肩を落とす。
「僕はね、ルルーシュ。彼女にはもっとふさわしい相手がいるし、その人と幸せになって欲しいと思っている。……いや、本当はそこまで考えること自体おこがましいんだ。僕は名誉ブリタニア人で、イレブンで、今まで恋愛という目で誰かを見たことはない……本当は人を好きになっていい人間じゃないから」
 最後の一言でぎこちなく視線を逸らすスザクに、つい俺の表情も曇る。
「その話がどうなったらさっきの話に繋がるんだ」
 不機嫌になりつつ尋ねると、スザクはどこか寂しげに微笑んだ。両の拳を握りしめ、痛々しく瞼を伏せ……。そして、スザクは自己嫌悪の滲む笑みを消して正面からひたと俺を見据える。
「だから、ユフィも僕なんかを選ぶべきじゃない。哀しいことだよ。だってそれは、僕みたいな人間がユフィの心を奪ってしまうってことだろ?」
 まっすぐな瞳を前にして『卑下するな』とは言えなかった。……いつも相手のことばかり。お前の本心はどうなんだ?
ユフィの心を奪いたいのか、問い質したくても無闇に口には出せない。それに、選ぶべきじゃないと言うならどうして――。今からでも遅くはない。難しくても不可能ではないだろう、ナナリーと俺の隣に戻ってくることは。未練が責め立てる想いに変換されていくのを押し殺して、何とか首を振る。
「ユフィの気持ちだ。お前がどうこう言ったって……」
「それは解ってる。でも――」
「?」
 話を遮られて瞬く俺へと、テーブルに肘をついたスザクが身を乗り出してくる。
「なあルルーシュ。君とシャーリーのことを、訊いてもいいかな」
「シャーリー?」
 何故そこでシャーリーが引き合いに出されるのだろう。疑問に思いつつ「ああ」と答えれば、スザクは中途半端な笑みを張りつけて複雑そうな面持ちになった。
「君が他の人と付き合っていることは知ってるよ。それで、シャーリーに好きって言われた時はどう思った?」
「す―――?」
 何の話をしているんだ、こいつは?
 思考がストップすると同時に、記憶を消す寸前のシャーリーの叫びが蘇ってチクリと胸が痛んだ。
「どうかした?」
「ん?」
「ルルーシュ顔色悪いよ。大丈夫?」
「いや……何でもない」
「本当?」
 心配そうにされたので適当に頷くと、ちょうど目を合わせたところで苦笑を返される。
「喧嘩中だっけ、仲直りはした?」
「さあな。それより話は?」
「うん………君が女子にモテることも、好きな相手が複数いるってことも知っている。部屋に呼んでるんだろ? 緑の髪の女の子とか」
「とっ――!」
 とか!? と言いかけて失敗した。間抜けな顔になっている、そう気付いて慌てて口を閉じた。自分の吐いた嘘を忘れていた訳では決してない。
 スザクは詳しく問い返す間もなく話し続ける。
「学園では誰とも付き合っていないことにしているようだけど、君とシャーリーの仲は公認みたいなものだ。――でさ」
「あ、いや待て。今なにか誤解が」
「隠さなくていいって、ちゃんと黙っているから」
「そうじゃなく!」
「いいよ。シャーリーのことも気になってるんだろ? 無理もないよな。特に、彼女はどう見ても君が好きだし……。ちゃんとした告白はもうされた? 言われなくても、気付いてはいるんだろ?」
「――――――」
 一方的にまくしたてられ、何かがおかしいと思いながらも言葉にならない。こいつの中では独自の思考回路が形成されている。腹立たしいことに、俺はかなり節操のない人間に分類されているようだ。スザクは訳知り顔で「早く仲直りしないと」と窘めてくる。そして、気遣わしげに眉を寄せながら小首を傾げた。
「えっと……あの、ルルーシュ。聞いてる?」
「聞こえてはいる」
「そう………それでね?」
「スザク」
「なに?」
 きょとんとされて脱力する。これ以上勝手に話を進められてはたまらない。やたら滑舌のいい口を呆然と見つめているばかりだったが、ここで否定しておかないと後々もっと面倒なことになる。
「お前の勘違いだ。シャーリーには何も言われていない」
「そうなのか――? 意外だな」
 台詞の合間にスザクの胸元がくすんと揺れる。意外だったら笑うのかお前は。人を混乱の渦に叩き込んでおきながら。
「俺に言われたって知る訳ないだろ。だいたい俺に好きな人が複数いるなんて、いつ誰に聞かされたんだ」
 スザクは何事かを思案してから困ったように首を振る。
「だって、君はモテるじゃないか。さっきも言ったよ?」
「お前の勘違いだって言ってるだろ!」
「そうかな……いつの間にか彼女を作っていたし、部屋にまで呼んでる。きっと校内にも校外にもそういう相手が――」
「いない!」
「でも、彼女はアッシュフォードの子じゃないよね? グリーンの髪なんて」
「っ、それはだな……」
 思い込みが強すぎてとことん噛み合わない。しかも、自分の吐いた嘘が原因なだけに弁解もしづらい。決めつけられて言いよどんでいると、再びクスッと笑ったスザクが柔らかい笑みを向けてくる。
「僕に遠慮してるのか……安心して? さっきも言った通り、今後も女の子と付き合うつもりはないんだ。だからユフィとも、なるべく立場を考慮した上で接しているつもりだった」
 面映ゆくなりそうな笑みに中てられながら「なるほど」と思う。つまり、今後のユフィとの関係に悩んでいるということか。
 たとえ空気が読めないとはいえ、スザクがここまで言うのだから本当なのだろう。……問題はこいつ自身の気持ちだ。好意を寄せられていようが自分の答えは決まっているというのなら、もし告白されたとしても断ればいいだけの話。しかし、そこで何故俺の経験について知りたがる?
「女に興味がないかもしれないと言っていたな」
「うん」
「ユフィと付き合うつもりがないというのは、それが理由でもあるのか?」
 スザクはまた思いつめた表情に戻った。
「それなんだけど………軍属である上で支障さえきたさなければ、僕は性そのものに興味を失ってしまっても構わないと思っている」
「なっ――」
 絶句する俺に労わりの眼差しを向けて、「僕は本気だ」とスザクは付け加えた。
「ユフィはルルーシュの妹だろ? だからルルーシュに相談しようと思って。もちろん、ユフィは女性としてとても魅力的な人だし、シャーリーだってそうだ。でも君は別の人と付き合っている……。そんな君なら、客観的に見て可愛いと思える女性に好意を向けられても何とも思わないものなのか、それとも付き合うつもりはなくても、やっぱり男として意識してしまうものなのか、参考になる意見を聞けると思ったんだ」
「お前……それは人として不自然だろう。三大欲求のうちの一つを失うんだぞ? 病気だ」
 目を閉じたスザクは首を振り、諦めた声で呟く。
「僕はいいんだ、それでも…………ただ」
「?」
「ここで一つ、気になることがある。性そのものに関心が失せて、女性をそういう目で見られなくなっているだけならいい。でも今度は、同性に興味が出てくることはないかって」
「な、んだと……?」
 喘ぐような声しか出なかった。さらりと言い放つことではない。
 すごい勢いで喉が干上がっていくのが解る。けれどスザクは自分が突拍子もないことを言っているとは微塵も思わないのか、俺に言い含めるようにして淡々と説明し続ける。
「もしそうなってしまっているとしたら、性そのものに関心がなくなった訳じゃないことになるだろ? ――確かめたい」
 どうやって。
 そんな心の声が通じたようなタイミングで、スザクは一呼吸おいてから切り出した。
「君に頼みがある。僕に『好き』って、言ってみてくれないか?」
「………………」
 若干眩暈がした。声が耳を素通りしていく――何を伝えても届かない。 胸を覆ったのは酷いショックと失望だった。マオとの一件以降、こいつが辛い過去を一人きりで抱え込んできたのは知っている。救われるよりも罰を求め、償いにその身を捧げるつもりでいることも。そして俺の、ゼロとして差し伸べた手をはねのけたこともそれが理由なのだと………でも。
「ルルーシュに言われても何も感じないなら大丈夫だろ。こんなことを言えば君は怒るかもしれない……でも君は、僕の最高の友達であると共に、僕の知り得る同性の中で一番の美形だ。並の女性よりもはるかに綺麗だしね」
 だから頼むよ、とスザクは続けた。――――この、馬鹿が。
 暫しの自失のあと、湧いてきたのは猛烈な怒りだった。別に綺麗呼ばわりされたからじゃない。死地に自らを追いやる生き方にも腹を立てていたが、どうして二度に渡ってこいつが自分自身を蔑ろにするところを見せ付けられなければならない? しかも、俺で試すだと? そんなことにこの俺が協力すると本気で思っているのか。
「断る」
 きっぱり拒否すれば、スザクは「えっ」と問う形に開けた唇を無言のまま閉じた。気まずそうに下がっていく目線。けれど、そのままズルくやりすごそうとするでもなく、スザクは俺としっかり向き合ってから沈黙を破る。
「そうだよな……。ごめん、変なこと言って。本当は違うとはいえ、男相手に『好き』って言わされるのなんてやっぱり嫌か。忘れて?」
「そうじゃない」
 その諦めきった態度に腹が立つんだ。それに。

『君に「好き」と言われても何とも思わない』
 もし、そんな風に言われてしまったら……?

「ルルーシュ?」
 スザクが不安げな目を向けてくる。まるで捨てられた子犬のような――。いや、捨てられてしまっても仕方がないと思っているだけかもしれない。覚悟しているのでもなく、ただそうなってしまっても構わないと。
 どうせスザクは誰からの好意も受け取らない。そう思うと、ひたすら虚しくなった。こいつに受け取るつもりなど最初からないのだ。だったら、伝えたところでフラれる心配もしなくていいってことだ。この先もずっと……。
 うっすらと自嘲の笑みを浮かべた俺を見て、スザクは少しほっとしたようだ。
「お前は本当に無神経だな」
 改めて告げてやれば、スザクがはっと目を瞠る。
「不快にさせて悪かった、謝るよ」
「まだ解ってない」
「え――?」
 俺が睨んでいるからか、スザクは単に怒らせただけだと思っているようだ。謝罪の言葉と一緒に下げた頭をぴたりと止めて、おずおずと上げた顔に戸惑いを浮かべている。
「そんなの、本気でお前のことを好きでもない奴に言われたって、何とも思わないのは当然だろ」
「うん」
「で……? もし俺が、お前のことを本気で好きだったとしたらどうする?」
「――――――」
 今度はスザクが固まる番だった。大きな常盤色の瞳を零れ落ちそうなほど見開いている。相手が俺だったから良かったようなものの、本当にスザクのことを好きな女に言わせていたとしたら、それはスザクにとっては良くても………多分、俺が嫌だ。
 ぱちくりと瞬いたスザクは呆けていたのが嘘のように、あっさりと真顔に戻った。
「ルルーシュ……。それ、本当?」
「冗談に決まってるだろう」
 怒りもあらわに吐き捨てる。本心を伝えるつもりはない、この先も。だからこれは、ただ『こういうケースも想定しろ』と促してやっただけだ。
 しかし、スザクが示した態度は俺の予想とは全然違っていた。一言「冗談」と呟いて、ワントーン低い声になって訴えてくる。
「女性に興味がなくなったのは、僕はもしかしたら、他にも理由があるんじゃないかと疑っている」
「理由?」
 スザクは頷きも瞬きもせずまじまじと見つめてきた。
「あと一つだけ、別の可能性が」
「…………?」
 ひっそりと眉を顰めながら、『この俺に気付けない可能性が?』とひとりごちる。常に俺を俯瞰しているもう一人の俺が、心のどこかでスザクに気持ち悪がられなかったかと気にしていて――だから、上の空だった。
「――――す、」
 いつの間にか真隣に立っていたスザクがふっと微笑んでいて、離れていくその唇がたった今、自分の唇に触れたのだと解るなり頭が真っ白になった。
「…………なんで」
「ん?」
 屈みこんだスザクがゆるりと首を傾げる。冒頭で感じた不穏な気配。作為の欠片もなさそうな笑顔で覗き込まれているのに、どうしてだろう。こいつの目元がこんなにも暗いのは。
「性欲が消えたならそれでもいいと思ってた。誰に好意を向けられてもそういう目では見られないし……。だけど、前々から不思議だったよ。どんなことであっても、僕の興味や関心が向く相手はいつも君ひとりだけだと」
「………………」
 呆然としている俺を余所に、スザクは軽く鼻を鳴らした。そして諦め切っているようないないような、それでいて開き直った口調でぼそりと尋ねてくる。
「それってさ、『もう好きな人がいるから』かもしれない。………どうしたらいいかな、ルルーシュ?」
 テーブルに付いていた手を離して、スザクは俺の手をそっと握った。見上げてくるその表情は「捨てるって言うなら噛み付いちゃうよ?」という、猛犬の顔だった。



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……手遅れでした。という話。
元ネタはコブラのブックレット、もといRRRスザクさんです。
ほんとはスザクさんのバースデーにUPしようと思っていたのですが、
スザユフィDisってんのかと思われそうな内容だったので躊躇してしまって。
性欲なくなってもいい、って思ってはいないでしょうけど、とにかく私にはこんな風に見えたという。

君の囁き、僕のうた。(2012年スザクBD)


 草いきれをかき分けて僕は一心に歩いていた。背丈より高い草などそうそう生えているわけもないのに、藪の中にいるかの如く鬱蒼と生い茂っている。
 重なり合っては行く手を遮り、視界に割り込む一面の草葉。合間を縫って降り注ぐ光は柔らかく、進んでも進んでも光源に辿り着くことは出来ないように感じられた。
 ――日光のようにも思えるけれど、これは蛍光灯だ。
 むっとする緑の匂いと土の匂い。荒い息遣いが耳の奥にこだまする。
 進む先に、こぢんまりとした建物が見えた。
 ひと目見た瞬間「僕の家だ」と思った。……でもよく見てみると、段々見覚えのある建物に思えてきて、僕は目を凝らす。
 よぎる既視感、郷愁。
 ああ違う、あれは家じゃない。
 目を眇めて確かめた其処は古びた土倉だった。さあっと一陣の風が吹き抜けて、遠くで鳥が囀っている。
 真昼の青空、ゆったりと流れる雲。時折靡く木々のざわめき。
 辺りはしんとしていて、ひとけは無い。

 懐かしい。帰りたい。……ただそう思った。

 春の風。いや、夏だろうか。でも暑さも寒さも感じない。
 着ている自分の服には覚えがあるのに知らない服に思える。
 妙に現実感が無い中で姿を気にしながら、これは夢だとどこかで悟っていた。

 さっきまで草をかき分けながら進んでいたのに、立ち尽くして土倉を見ている僕は、膝丈までの草しか生えていないことに気付いた。
 土倉の正面を見据える間、足元を這う蟻の行列を意識する。
 耳を澄ましても何も聞こえない。つい先程までは、あんなにもリアルに自然の音が聞こえていたのに。
 同時に「当たり前だ」とも思った。
 これは昔の光景。それを今見ているのだから……。
 あそこには――あの中には十歳の僕らとナナリーがいて、ちょうどルルーシュが洗濯をしていて。もうじき外に遊びに行こうと僕が誘い出すんだ。
 もし出てきたら僕はどんな顔で彼らを――昔の自分達を見ればいいのかと考えていたけれど、あの中にはもう誰もいないのだと僕は何故か知っていた。
 うららかな日差しを照り返す白い外壁。この蔵はこんなにも小さかっただろうか。
 時の流れに忘れ去られたかのように、ひっそりと佇む土倉。懐旧の情や追慕の念をも呼び起こすこの光景は、思い出という名の輝きに包まれた永遠のようにさえ感じられた。

 寂しい。帰れない。もう二度と。
 ……頬に優しい風がそよいだ。

 歩を進めたのかそうでないのか、いつの間にか僕は土倉の入り口に突っ立っていた。
 外にいるのに、戸口に立つ自分を見る視点は内側からのものだ。
 この土倉の中がどうなっているのか、よく覚えている。
 年中薄暗くて、掃除をしても埃っぽくて、湿っぽい。
 古い木や積み上げられたガラクタの匂い。壁側に寄せられた不用品の山は天井近くまで届いている。
 中央に立つ柱の毛羽立った感触。表面に残るのは、身長を競い合って色違いの鉛筆で引かれた何本もの線。
 隣に掛けられた不恰好な梯子は梁まで伸びていて、少し頭を低くしなければ動けないほど窮屈な屋根裏へと続いている。
 内緒話をする時も、大事な相談を交わす時も、いつもそこだった。
 寝台ともいえないような、ただ木箱を三つ並べた上に綿入りの布が数枚重ねられただけの粗末なベッド。……ルルーシュの。
 その上に二人で座って、夜通し色んなことを語らった。

 どこをどう通ってきたのか、僕は階段を下っていた。
 地下へと続く長い階段。明かりはなく、木製だからか一歩下りる度にギシギシと軋んだ音がする。
 こんなものがあったか? と伝ってきた手元を見れば、壁一面だけが金属で造られていた。
 戦艦・アヴァロンの通路。
 浮かんだとおりに反復しただけなのに、悲哀を帯びた空虚が僕を襲った。
 瞬時に「違う」と過ぎり、ではどこだ? と自問するも答えは出てこない。
 眼下に四角く拓けた場所が覗く。ぼんやりとオレンジ色に光るそこは、どうやら廊下のようだった。
 夕方でもないのに、と思いながら、放課後の教室に続いているような錯覚を抱く。
 階段の終わりが見えてきた。一番下まで下りきった右手の壁にはスライド式の大きなドアがあり、そこだけがやけに近代的だ。
 教室じゃない。それだけは解った。
 カードキーを通して暗証番号を打ち込みながら、訳の解らない番号だと思う。……こんな番号じゃなかったような。
 だいたい僕は今何桁入力したんだ? 間違えると入れない。
 それに、何となくこの奥に入りたくないのは何故なんだ?
 タッチパネルを見てぎょっとした。明らかにおかしい。並んでいるのは数字だと解るのに、意味不明な文字が不規則に羅列しているように見える。
 一応扉は開くだろう。根拠の無いその確信にも違和感を覚えながら、図書室と土倉の薄暗さは似ていると前にも思ったような気がした。
 けれど、それがいつの記憶だったのか定かではない。
 それよりここが図書室なのか、全く違うどこかなのか。
 知らない場所だと解っているし、振り返ったところで本棚なんてひとつも無いのに、僕は無意識に7と書かれた札の付いた棚を探している。
 ある訳が無い。
 しかし僕は、ここは学園の図書室だと思っている。

 ……あいつに知られてはいけないんだ。あと、確かめないと。
 いや、それはもう終わったことだろう……?
 自分に言い聞かせると、全身から力が抜けるくらいほっとした。
 背中にかいた冷や汗が徐々に引いていく。――大丈夫だ。

 開いた扉の向こうはリビングに続いていた。
 どこだっけ?
 一瞬呆けた後、「なんだ、ルルーシュの家じゃないか」と独り言つ。
 本当は呟いたつもりになっただけかもしれない。だって声は聞こえなかったから。
 窓辺から差し込む光。グリーンのカーテン。隅に置かれた観葉植物。テーブルの上には花瓶があって、いつも通り綺麗な花が活けられている。
 ……でもそれも昔の花で、今咲いている花じゃない。
 もしこれが悪夢なら、花は見る間に枯れ落ちるだろう。早送りのように茶色く萎れていくビジョンを思い描いたものの、特に何も起こらなかった。
 ふと辺りを見渡して、こんな部屋だったかな、と思う。壁に飾られた額入りの絵に目をとめたところで、やっと「ここはルルーシュの家でいいんだ」と納得した。

 ここにもやっぱり、誰もいない。

 今は昼間だから、ルルーシュもナナリーも学校にいるんだろう。まあサボり癖のあるルルーシュはどうか解らないけれど。
 何の疑問もなくそう思った僕は室内をうろついていた。
 そういえば、リビングからはどこに繋がっているんだっけ。どこからどう出ればいいんだ?
 僕が知るリビングとここは、微妙に造りが違う。
 ……そこで突然、どうやってここまで来たのか解らなくなってしまった。
 確か階段を下りてきたんだよな。じゃなくて、その前。
 ああそうだ、土倉にいたんだ。
 思い出せたことにほっとして、今度は中を思い浮かべる。
 覚えている。覚えている―――覚えて、おかないと。
 けれど蘇ったのは、ランタンの光。

 違う。僕は土倉の中を通ってきた筈だ。
 あれっ? 入っていない?
 だって……じゃあ、あの階段は?

 記憶がふっつりと途切れている。というより、抜け落ちているらしくて僕は軽く混乱した。
 土倉の入り口から階段に至るまで、どこを辿って来たのだろう。
 頭の中に浮かんでいるのは洞穴にも似た秘密基地だった。
 僕が地面に掘った穴。土くれの壁に布を張って、上からランタンを吊るして……。
 初めて三人で入ったのは雨の日だ。全身ずぶ濡れで泥んこだらけになった僕とルルーシュ。間に座ったナナリーの服も汚れていて、車椅子が無い。
 目の前に置かれた箱にはキャッチボール用のミットや、色が綺麗だからとっておいたガラス瓶などが乱雑に詰められている。
 歌うナナリー。僕が教えた日本の童謡。
 彼女を挟んで打楽器代わりに空き缶の底を打ち鳴らす僕と、玩具のラッパを抱えているルルーシュ。
 もっぱら合いの手を入れるのは僕ばかりで、せっかく使える楽器を貸したのに、ルルーシュはほとんど鳴らそうとしなかった。

 僕はあそこを通ってきたんだろうか?
 そうかもしれない。
 ……いや、やっぱり違う。

 唐突に気付いた。
 土倉と秘密基地の共通点なんて、薄暗いところだけじゃないか。


 真っ暗で窓一つ無い部屋。僕はそこにいた。
 いつもそこに帰るんだ。本当に帰りたい場所は、もうどこにも無いから。

 頭の横にところどころ尖った黒くて丸い物が置かれていて、僕はそれを薄目で見ていた。
 ふいに聞き覚えのある声と沢山の足音がして、誰かが僕に触れてくるのが解る。
 その人達は僕の顔を覗き込みながら何か叫んでいた。動く口元だけがスローモーション映像のように見える。
 悲鳴だろうか。それとも怒号か。僕はまた責められているのか?
 ……構わない。とっくの昔に慣れた筈だ。憎まれることになら。
 それに僕だって、人を憎んだことがある。
 大切な人を。世界を。
 運命や宿命。何より自分自身を――。
 
 そして僕は、気付くとあの階段を下っていたんだ。

 ………ところで、僕の名前って、何だっけ?


 思い出したように僕はドアを目指した。リビングから抜けるための出口。
 不思議と足取りに迷いは無いものの、そこがいつの間に造られたのか、それとも『ここにだけは』最初からあったのか、僕は知らない。
 細く奥まった其処は勿論見たことの無い場所で、白い壁と壁の間が異様に狭くて、まるで寝かせた煙突のような不可思議な造りをしていた。
 長い長い通路。突き当たりの壁がドアになっている。――袋小路みたいに、そこにしかない。
 このドアを開くとルルーシュの部屋だ。来たこともないのに知っている。そんな気がした。
 おかしいな。ルルーシュの部屋の入り口はこんな形じゃないのに、どうして僕はそう思うんだろう?
 でもここはルルーシュの家なんだから、多分ルルーシュの部屋なんだ。

 ドアは自動ではなく、手でノブを捻るようになっていた。
 こんなドアじゃなかった筈。
 変だな、と首を傾げる傍ら、ノブの中央に鍵穴があることに気付く。
 この鍵が閉まっていたらどうしよう。もし開かなかったら――。
 そっとノブを捻り、おそるおそる手前に引くと、果たしてドアは開いた。

 ああ良かった。開いた。
 でも閉じているわけが無いんだ、ここが。

 ところが一歩踏み入れると、そこは僕が思い描いていたルルーシュの部屋じゃなかった。
 全く知らない部屋。それなのに見たことがあるような気もするし、ルルーシュの部屋がここだったのを僕は覚えている――ような気もする。
 ベッドが一台。ダブルかもしれない。その横には本棚があって、分厚くて難しそうな本が何冊も並んでいた。
 背表紙に書かれた文字がまた読めない。これが文字とは認識出来るし、僕はこの言葉が読める筈なのに。
 テーブルの上にはチェス盤が置かれていて、それだけが唯一見知った物だった。
 でも、盤上に並べられていたのは、黒のキングだけだ。

 他の駒はどうしたんだろう?――と。
 そこで僕はようやく、「クラブハウスは無くなったんだ」と思い出した。

 いつ、どうしてそうなったのかは、解らない。


 暗いような、それでいて明るいような、何も無い空間。
 別のどこかへと続く道を一人歩みながら、水底から沸きあがるように『ほんとうの造り』を思い出す。
 たった今通り過ぎてきたあの部屋は、確か手前にもう一部屋あって。そこにはソファとテーブルが置かれていて、さっき見た迷路の行き止まりにも似た通路など実は無かった。
 あれは寝室だ。ルルーシュと、もう一人の。
 窓の無い僕の部屋に、そっくりな――。


 頭上で誰かが会話している。
 頷き合い、ぼそぼそと喋る人の声。カチャカチャと鳴り響く金属音。
 聞き慣れない電子音と引き摺るような足音。
 瞼越しに感じる赤い光。……時々暗くなる。

 そうだ。あれをどこにやったんだ? あれを僕から引き離さないでくれ。
 約束したんだ。――これは僕にとっても罰だと。
 けれど、手を伸ばそうとしたのに指一本動かせなかった。

 僕は今、どこにいるんだ……?


 目覚めると真横からすすり泣きが聞こえた。ゆっくり視線を巡らせた其処には、椅子に座ったままベッドに突っ伏すナナリーの姿。
 呼びかけようとしても声が出ない。
「泣かないで」――そう言いたいのに。
 彼女が何故泣いているのか。そしてここはどこなのか。
 嘗て見上げた天井。包帯だらけの僕。
 次第に意識がはっきりしてきて、今自分の居る場所はシンジュクだと何となく思った。
 特派ヘッドトレーラー内の、医務室。

 そういえば、あの頃からもうとっくに、目覚めたくなんかなかったな。
 普段疲れているなんて思ったことは一度も無かったけれど、僕は酷く疲れていて。撃たれた瞬間も『熱い?』としか思わなかった。
 七年もの歳月を経て、どうしようもなく壊れかけていることなら知っていた。
 でもあの時、さながら他人事のように――「ああ、僕はここまで壊れていたのか」と。

 死は予告なく訪れる。こんなにも呆気なく。
 撃たれたと理解したのは熱さが激痛に変わってからだ。銃口を押し当てられた時でさえ現実感は無く、反射的に『まさか』と思っただけだった。
 倒れゆく中で、ただ『逃げろ』と。
 ……そして本当は、もっと薄情なことも考えた。

 終息への安堵。解放への陶酔。
 恐怖は無く、訪れる最期の時を待ち詫びてさえいた。
 どうか無事で。そう言い残して去ることが、限りなく放棄に似ていると知っていて。
 死に際に覚えたかすかな満足。甘美な達成感。
 命令に逆らったとしても、ルールは守った。再会出来た彼のことも。
 僕に出来るのはここまでだ。
 あとは何とか、自力で逃げ延びてくれれば……。

 責任が無いから悔いも無いのか?
 ――そんな筈は無い。
 後のことがどうなろうと、僕の咎じゃない?
 ――そんなの間違ってる。

 最後まであがくべきだ。生きるとはそういうことだから。
 でも僕は。
 俺は………。

 ならどうすればいいんだ。
 矛盾だけが際限なく膨らみ、内側から僕を蝕んでいく。

 僕は気付きたくなかったのかもしれない。
 それは生きるために生きるのではなく、償いのための死を受け入れる生き方しか出来なくなった者のエゴなのだと。
 内側から問いかける声なら常に聞こえていた。
 でも、いつも蓋をした。
 未練は無い。そう言い切れる生き方が出来ていなければならなかったから。
 理想に殉じた生き方。死に方だろうか。
 あるいは、本当に求めていたのは生きる意味だった筈。
 それが手に入らないのなら、叶わないのなら、自分は一体どうすればいいのかと。
 いつだって誰かに尋ねたかったし、いっそ喚き散らしたかった。救われたいと望むこと、許されたいと希うことが、こんなにも醜く愚かなことだと知ってしまったから。

 罪は一生背負うもの。解放される日など永遠に来ない。
 たとえ償い終えたとしても、犯した罪そのものが消えて無くなる日だけは絶対来ないのだ。
 その事実と絶望を受け入れることこそ、真の償いの始まりだと気付いたのはいつだっただろう。

 君には生きて欲しい。見届けたい。
 出来ることなら助けたい。救いたい。
 ……そう願ったことも、本当だ。

 ああそうか。僕はもしかすると、もう一度あの頃に戻れたのかもしれない。
 やり直せるのかもしれない。繰り返すのではなく。
 ……そうだったらいいな。
 離ればなれになる前に戻れるなんて、さすがに思えないから。
 だから、せめて――。

 ナナリーがここに居るということは、ルルーシュは無事なんだろう。あの女の子も。
 良かった……。
 またおぼろげになってゆく意識を手放して、僕は再び目を閉じた。


「どうか死なないで下さい、ゼロ……。いいえ、スザクさん。お兄様もきっと、貴方が生きることを望んでいらっしゃるから」


 ナナリーが泣いている。
「大丈夫だよ」って、言ってあげなきゃ。
 君を守ることも約束なんだ。だからもう少しだけ、待っていて欲しい。

 僕はさっきの場所に戻らなければいけない。
 まだ見ていない景色がある筈だから――きっと。


 遮るものなど何も無い吹き抜けの回廊。一枚の絵の前で僕は佇んでいた。
 土倉の中。ナナリーの笑顔。僕の笑顔。……ルルーシュの笑顔。
 僕には解る。これは、彼が最期に見た記憶なのだと。
 無邪気な笑い声。そこかしこで誰かがこちらを窺っていた。
 柱の陰、壁の裏、あちこちに置かれた椅子の横。但し、姿を覗かせてはこない。
 行き交う気配は確かにあるのに、振り返った瞬間に消えてしまう。

『ここに来てはいけない』
 輪唱のようにさざめき合いながら、声なき幾つもの意思が伝わってくる。


 二度目の覚醒。
 僕は目を閉じたまま、さっきと同じ病室にいるのだと思っていた。
 隣にナナリーの気配は無い。もう帰ったんだろうか。
 あれからどのくらい経ったんだろう? 今が何月何日で、いつから眠っていたのかも解らない。

 目を閉じているにも関わらず、窓の外が明るい。
 突然辺りが輝いて、光の渦の中へと巻き込まれていく。
 錯綜する黄色と茶色。大きなハート型の葉っぱ。途切れ途切れに揺れ動いていたものは、重そうに首を垂らした真夏の花だった。
 ――向日葵畑。
 燦々と照りつける太陽。網膜を焦がすような眩しさが続き、僕は手を翳しながらようやく目を見開いた。

 霞む視界。立ち上る蜃気楼。
 はるか彼方に、人が立っているのが見える。
 ぽつりと一人。ただ真っ直ぐにこちらを見つめて。


 ルルーシュ。


 顔はほとんど見えない。でも見間違える筈なんか無い。
 淡く発光する輪郭。光そのもののように。
 真っ白な衣装。皇帝服。
 その裾と、艶やかな黒髪を風に靡かせて、彼がじっと僕を見つめている。


 待て! 待ってくれ!!


 叫んでから気付いた。まだベッドに横たわり、目も閉じたままだったのだと。
 その証拠に、駆け出そうとした足は地面に縫い取られたかのごとく動かなかった。
 今すぐ追いかけなければ。このままでは消えてしまう。
 ルルーシュ、ルルーシュ、ルルーシュ!!
 酷い焦燥に急き立てられながら、僕は幾度も名を呼んだ。
 追いかけて、捕まえて。
 ……もう二度と、彼を喪わないように。

 窓の横。ベッドの上。僕は動けない。
 スッと光が遠ざかり、すぐ傍に誰かが居るのが解った。
 寝ている僕の足元。どこから入ってきたのか、ベッドを迂回して静かに歩み寄ってくる。
 カタリと枕元に響く小さな音。伏せられていた写真立てが起こされた音だ。
 ふっと笑う気配。少し困ったような、それでいて呆れてもいるような独特の笑い方。
 顔の横に、何かが置かれたのが解った。
 僕の掌は布団の上に投げ出されていて、そこに手をかぶせるようにしてのせられたのは、軽い、まるで紙のようなもの。

 これは―――?


 頬を辿る細い指先。ほんのりと温かく、リアルな感触。
 同時に、聞き取れないほど小さな囁きが耳に届いた。





『   』





 真摯で力強い声。
 同じ台詞を、前にもどこかで聞いた気がした。



 いつの間にか僕は列車の中に居た。
 流れる景色。走馬灯。実際は、死の際に見るそれとは違うと気付いていたけれど。
 無声映画のように様々な場面が外をすり抜けていく。
 一場面ごとに、丁寧に再生される映像。聞こえもしないのに古い映写機の音が聞こえるようだった。
 ……どれも覚えがある。僕の記憶だ。
 中には果たせなかった約束まで混ざっていた。
 海辺で釣りをする、僕とルルーシュとナナリー。目覚めた時には何もかも忘れてしまうのかもしれない。
 一つとして取りこぼすまいと、僕は目を凝らした。

 見たかったルルーシュの部屋も通り過ぎた。
 クラブハウスの、十七歳だった彼の部屋。
 残しておいてあげたかった。壊したくなんかなかった。……それなのに。

 そうだ。
 僕が消してしまった。
 僕が彼から、奪ってしまったんだ。

 校門前。先を歩く学生服姿。
 背中に向かって呼び止めると振り返るルルーシュ。駆け寄る僕。
 彼が浮かべた控えめな微笑み。そこに滲み出る嬉しさ。
 僕は気付けたし、察することが出来た。ルルーシュが隠そうとするものですら手に取るかのように。
 そんな自分が誇らしかった。
 見えない糸で固く繋がれている。その相手が彼なのだと、僕は信じた。

 頬に一筋の涙が伝っていく。零れ落ちると同時に視界がクリアになった。
 今見ているこの記憶こそが本物だと、確かめずとも解る。多分終着点が近いのだろう。
 ……この夢はもうじき、終わりを告げる。

 偽りの経歴、嘘の名前。それでもルルーシュが本当は帰りたいと願っていた場所。
 一つ一つ、彼は居場所を失っていった。大切なものも、人も。沢山。
 そこにどれだけの後悔と悲しみがあったのか。
 僕らは互いに否定し合い、対立することしか出来なかった。
 手を取り合えたのは、わずか数ヶ月。
 悲哀を帯びた空虚と決意の狭間で、僕は世界の無常さと不条理、運命や宿命が齎すあらゆる理不尽への怒りを押し殺していた。
 約束だから。その一言に、心ごと無理やり閉じ込めて。

 彼は笑っていた。只の悪になり切って。
 それは優しい嘘だった。
 僕がずっと出来ずにいた、受け入れること。
 彼はやってのけた。誇り高く。
 自分だけのためじゃない。守りたい全ての人々のために。


 最後に見たのは、やはりあの土倉だった。
 薄暗い中に差し込む窓の光。
 ……十歳のルルーシュが、そこに居た。
 彼は一人きりで、一生懸命何かを作っている。




 色とりどりの折り紙。
 座り込む彼の足元を埋め尽くすのは、数え切れないくらいの、無数の折鶴。




 こめかみが震えて、どっと涙が溢れた。
 一気に歪む視界。急いで目頭を擦るその間も、ルルーシュは拙い手つきでひたむきに鶴を折り続けている。
 すれ違っていく。触れられない。
 愛しい景色は確かに、そこにあるのに。
 両手と頬を窓ガラスに押し付けて、僕はたった今見た彼の姿を必死で追う。



 折り終えた鶴を掌にのせて、小さなルルーシュはそっと微笑んだ。




「ああ……あああっ……! ああああっ、わああああああああっっ……!!」




 無人の車両に声にならない叫びが響く。
 立っていられなくなり、膝から崩れ落ちた。


 ルルーシュ。
 君は今も悼んでいるのか? 懺悔しているのか?
 何枚折るんだ。
 幾つ作るんだ?

 それは死者の数と同じだろうか。

 違う。それだけじゃない。
 彼は祈っているのだ。心から。


 今を生き、明日へと向かう、万人の平和と幸福を。






 列車がトンネルに差し掛かる。
 通り過ぎてきた日々はどれも輝いていた。
 辛く苦しい記憶。憎悪と悔恨に塗れた夜。
 忌まわしいはずの過去でさえ、大切に思えた。

 君がいない。
 でも、この先も決して消えることは無いんだ。
 ルルーシュはいる。今もまだ。
 あの向日葵畑に。あの土倉に。――僕の心に。



 目を閉じれば蘇る。


 君は囁く。
 いつかと同じ。



 たった三文字の、願いの言葉。






「スザクさん! スザクさん!………………ゼロ!」



 目尻から流れ落ちる涙。
 今度こそ知らない天井だった。
 低い嗚咽はやがて慟哭となり、僕は消えゆく夢の欠片を我武者羅にたぐり寄せた。
 身を引き裂かれるような哀しみの名前。
 それは、狂わんばかりのいとおしさ。
 あんなにも尊いひとを、僕は他に知らない。

 ルルーシュ。
 ルルーシュ。


 君がいない。


 …………いいや、いる。



 隣に目を向けると、顔の横に置かれていたのは写真立てだった。
 窓一つ無い、暗い部屋。
 その中で笑う幼い頃の僕とルルーシュ、そしてナナリー。
 いつからか伏せるようになっていたそれを、僕は久しぶりに見た。


 死んだ者の名を呼び起こす。
 溢れてくる万感の想い。
 尽きぬ謝罪と深い感謝。

 涙、涙、涙。



 腕へと伸びる細い点滴の管。
 僕はもう、自分の掌の中に何があるのか知っていた。
 そこへと重ねられた別の手もまた、夢の中と同じく、優しくてあたたかい。




 七月十日。
 僕が生まれたこの日。




 僕は無事、この世に生還した。







+++++



いらないかもしれないあとがきが以下反転で隠れてます。
携帯の方は白字でも表示されてしまうのでそのまま閉じて下さい。






ルルーシュがスザクにプレゼントするなら何をあげるだろうなって、想像してみたらこうなりました。
夢特有の意味のわからなさ、不思議さが出せていれば成功です。

多分このスザクさんはゼロレクから数十年後くらいのスザクさんで、そろそろスザクだった部分も完全に消えかけてたんじゃないかという気がします(ゼロレクの時に死んだは死んだけれども)

ルルーシュって、漢字で「神様」じゃなくて、「かみさま」みたいだよね……。
生きろスザク。お誕生日おめでとう。


プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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