と条例について、ギアスになぞらえて考えてみた。


明日、可決になるかどうか決まってしまうという局面ですね。
ここ最近ずっとモヤモヤし続けているので、吐き出してみました。
ずっと自粛していたのですが、ついったで呟くとTL汚してしまうので、ブログで。

色々と抜けてるよー、足りないよー、考え浅いよーwwって思われるところがあると思いますが、一個人の意見としてうpっておきます。
一個人っていうか、あくまでも一オタクの意見にすぎませんが……。
批判等ありましたら、どうかお手柔らかにです。(´・ω・`)


*****


条例について詳しく知らない一般の人たちは、アダルト作品を取り締まる法だとしか思っていないらしいね。
石原さんがやろうとしていることは、エヴァでいうところの人類補完計画、ギアスでいうならラグナレクの接続。
「自分に優しい世界」を創ろうとしている人が、(意に沿わない・気に入らない)他人を「自分と同じ存在」に作り変えようとして奨めているのがこの条例。

平たく言えば、只の支配。ブリタニアが繰り返していた侵略戦争。
もっと言えば、青少年保護を謳った「押し付けられた善意」
……それは、悪意と何も変わらないものだよね。

石原さんは、どうやらシャルルやマリアンヌ寄りの人間であるようだ。

オタクはオタク、一般人は一般人。
全ての人間達が理解し合うなどということは決してあり得ないけれど、相容れない部分があるからこそ「個人」というんじゃないかな。

それでも同じ社会で共存していかなければならない以上、たとえ両者相容れない存在であろうとも、あくまでも「個人」であることを尊重し合うのであれば、仕切りとまではいかなくとも暖簾くらいは必要。
そして何より、互いに歩み寄る姿勢を崩してはいけないと思う。

互いに相容れないからといって、どちらか片方が相手を自分と同じ存在に作り変えようとするのは「卑劣」な行為。
ところが、この条例は元々、人が「個人」であるための仕切りを突き抜けて、介入してはならない他者の領域を侵すもの。

……つまり、「ギアス」じゃないのかと。

でも。
ルルーシュの辿り着いた答え。
ギアスとは、「願い」に似ているということ。

「王の力(=権力)」っていうのは、本来ルルーシュが最後に自らかかろうとした、「(人々にとっての)願い」のために使うものなんじゃないのか。

間違ったものを間違っていると言える世界。人が「個人」であり続けることが出来る世界。
その上で、人が「他人に優しくなれる世界」
それが、ルルーシュやスザクたちの欲した「明日」

彼らのように個であり続けることを尊重し、且つ、民主主義寄りの考えをもって人々に自立と啓発を促し、「他人に優しくなれる世界」を目指そうとするなら、自分達で新しい法を設定出来る「明日」を目指すべき。





ただ、今角川さん達が率先してやろうとしていることは、ギアスに喩えて言うなら、レジスタンスや日本解放戦線がやろうとしていたことと似ているように思えます。
彼らはアニメフェアをボイコットするという手段を経て、その後どうするんだろうと昨日思っていました。

勿論、抗議を訴えるための勇気ある行動は賞賛に値するし、表現の自由を守りたい者の一人として応援するし、敬意も表します。
ただ、仕掛けられているのが卑劣な戦争であったとしても、それを戦争のまま続けていくのではなく「話し合い」に持って行くためには、もっと具体的な手段を講じるしかないと思うのですよね。

要するに、四聖剣(他の出版社や、自分達の会社の作家さんたちが連載している漫画のアニメ会社)と組んで神風を吹かせようとしているだけなのだとしたら、ただアニメフェアそのものを失敗させるだけで終わってしまうんじゃないかと。
反対を貫く姿勢はともかくとして、どこまで、そして今後どういった方法で対抗していこうと思っているのか知りたいんですよね……。

たとえ阻止したとしても、今のままでは何度でも条例は復活してしまう。
感情に感情で対抗してみても戦争になるだけで、根本的な解決にはならない気がする。

出版社側が「不当な条例への抗議」と言っていても、主催者側や協賛側だけでなく、一般参加者の中にも楽しみにしていた人たちはいるし、その中に規制賛成派がいないという保障も無い。
そうなれば、抗議行動としては成功したとしても、その責任は主催者の石原さんだけでなく、出版社側にも降りかかってきてしまうかもしれない。

悲観的すぎますか?

でも、石原さんが「アニメフェアが失敗した責任はボイコットした出版社側にもある、邪魔した奴らが悪い」とか言い出したりしたら、どうするのかなと思って……。
責任の丸投げや問題のすり替えなんて得意中の得意だろうし、規制賛成派の人たちは話し合う気なんて最初から無いよね。

この条例が可決してしまったら尚のこと、下手をすれば、規制に反対されていることをこれ幸いとばかりに、出版社側を軒並み潰しにかかる危険性さえある。
だって、元々の目的は、選民思想に基づいた、国民に対する意識操作だから。

往々にして、戦いっていうのは必ずしも正しい方が勝つ訳じゃなく、大抵の場合、権力を持っている方が勝つ。
特にそれが「国」であった場合、権力というのはこの上なく厄介な代物で。
この場合においては、権力というより暴力に等しいですが。

それに対抗しようとするなら、状況・情報の把握と先読み(戦術)と数(駒=規制反対派+中間層)の確保、そして相手の繰り出す一手に対抗し得る効果的なカード(チェック=民間で設けた規制の具体案)だけは、最低限必要になるんじゃないかと。

今ネット上などで出来ていることは、情報の把握と数の確保だけだと思う。
でも、それだけでは足りない。
現に、陳述や嘆願の類は碌に目も通されないまま取り下げられているという事実がある。

さっきも書いたけれど、「聞く耳を持たない」のが石原さんたちのやり方で、幾ら正しい主張をしても、このままではまかり通らない訳で。

要するに、ルルーシュ風に言えば、リスクが高い上に「チェックをかけるには駒が一つ足りない」んだよね……。

石原さん主催ということは、相手のフィールドにいるということ。
そこを対等な話し合いの場として、まともに話も聞こうとしない理不尽な相手を凌駕しようと思うなら、「民間団体でこういう規制を用意しましたという具体案」でも持って行かない限り、話し合いに持ち込むことすら出来ないんじゃないかと思う。

言うだけなら容易くも、実行するのは限りなく難しくて大変なことだとわかってはいます。
どうやってその規制を作るのか、誰が決めるのかという、ごく初歩的な問題に立ち返ってしまうことでもあるし、仮にその規制を設けたところで、国側は取り合おうとさえしないかもしれない。

でも、現段階で条例可決阻止と平行してこれを手がけていないとなると、十中八九負けてしまう。
本当ならば、こうした不意打ちを受ける前に、自衛としてやっていなければならなかったことだからこそ、今回こういう条例を持ち出されてしまった訳で。

只でさえ先手を打たれて後手に回っている現状、「国からの支配」に対抗するには、条例可決を阻止しつつ、こちらも「民間で新しい規制を作る」という手段に打って出る必要がある。

そしてこれは、社会的に影響力を持つ団体が主体となって、先導しなければ出来ないことでもあるように思います。

可能かどうか解らないけれど、出来ることなら彼らに、もしくは有志を募って新しい団体を作って、これをやって欲しいなと思う訳です。
無理だろうか……。

ルルーシュは最初、それを「超合集国」という「国」を創ることで成し遂げようとしていたけれど、後手に回った今の段階で打てる一手がまだあるとしたら、それは「自治を守る為の新しい法(具体的な規制)の作成と提示」しかない気がします。

私は条例に関する全ての情報をくまなく把握出来ている訳でもないので、これはあくまでも一個人の戯言にしか過ぎないんですけれども……。

無茶言うなよって話なのは、重々承知してます。
ちなみに、角川さんたちの行動への批判でもないです。
これからどうなるか解らないし、彼らがどう動くつもりでいるのかも、わたしは把握出来ていないので。
ただ、寧ろ期待していることがあるんですって話なんだけど……それを実際に言っていいものかどうか判断つきかねるので、こうしてブログに綴ってみたのでした。


……いずれにせよ、過激なエロっていうのは確かにアングラ。
でも、私個人としては必要悪だとも思う訳で。

「これが善ですよ」って決められたものだけ見ていても人は育たないし、何を善とするか決める自由は個人個人に許された当たり前の権利だと思うから。

ただ、個人的には、そういったアングラなものは黙認しておくしかないものだと思うけれど、そこを隙と見做されて干渉させてしまった原因や責任は、需要のあるものを無法地帯並みに供給させすぎてしまった出版社側にもある訳で。
(※もちろん、出版社さん達だけに責任があるって意味でもないです。)

だので、幼児や青少年の過激な性描写や強姦シーンなどの正誤については、敢えてここでは論じません。
なんでかっていうと、最初に言ったように、互いが受け入れられないと思うものを潰そうとするんじゃなく、あくまでも話し合いによる共存の道を模索すべきだと思うから。

仕切りまでいかなくとも暖簾くらいは設けて、個々の領域を守りつつ、干渉し過ぎることの無いように。
互いが互いに不快な思いをさせないように。

そうやって「相手を思いやる」こと、「互いの存在を許し、認め合う」ことを「理解」って言うんだと思うし、本来、人と人とが理解し合うために必要なのは、「権利の主張」でも「強制された義務」でもなく、「思いやりという名の想像力」だと思うのね。

別にね、お互い手と手を取り合って、「同化する」ことだけを理解と呼ぶ訳じゃない。
……なんていうかね、すれ違いざまに挨拶する程度の仲でいればいいと思うんだよ。
顔つき合わせる度に否定し合うんじゃなく。

法や規制を用いて他者に理解を促すことだって、厳密に言えば「強制」であって、個人の自由意志を尊重していることにはならないし。
たとえ話としてはおかしいかもしれないけど、バスや電車のシルバーシートとかだって、別にそれを作らなくても個人個人が譲り合いの精神を持ってさえいれば、元々は不要なもので……。

もちろん、自然な成り行きで、人と人とが溶け合うことが出来れば何よりだよ。
……でも、全人類にそれを求めるのは無理なことだと思うし、だからといって迫害するなんてもっての他。
悲しいかな、皆が皆、良識を持ち合わせている訳ではないからこそ、法や規制が必要になっちゃうんだよね。


理解し合える喜びを味わえるのって、一瞬だけのこと。
もっと平たく言えば、「変わり続ける時の中で、ほんのちょっと触れ合えるからこその喜び」な訳だよ。
永遠なんて、そんなものは無い訳で。
だからこそ、その一瞬をいとおしむことが出来る訳でしょう?

だからルルーシュは言ったんじゃないの?


「時の歩みを止めないでくれ」
「それでも俺は、明日が欲しい」


って。


これもギアス見て、ルルーシュやスザクの進んできた道や、選んだ生き方を見ていて感じたことの一つなんですけど。

これを読んで下さっている皆さんだって、ギアスから学んだこととか感じたこととか、いっぱいあるよね。
……でも、もし明日可決してしまったら、相容れない者同士が戦うのではなく、話し合うことで理解し合おうとする人々の可能性(=ルルーシュが欲した「明日」)は潰えてしまう。

そして、こんな素晴らしいことを教えてくれた作品も、この作品が存在していた文化でさえも、無くなってしまうかもしれない。
ギアスに喩えれば、ちょうど今、全国各地で大地震が発生している頃ですよ……。


なので私は、民間で新しく作った規制を皆が守ることで、アングラ的なものを普及させすぎてしまった責任だけ取る道を創るのが一番いいんじゃないかなと思っています。

ここは民主主義の国だもの。
これは友達の言葉だけれど「人は人が育てるべし。判断は自由意志で行うべし。国は個人の権利を侵すべからず」だよね。

だってねえ、「自ら由とする」と書いて、「自由」っていうんだもの。




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長々しい文章をここまで読んで下さった方々、どうも有難うございました。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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