Lost Paradise 7(スザルル)
7
「……そうだな。俺は味付けの濃いものというか、結構こってりしたものが好きだ。君は?」
「俺はプリンが好きです」
「それはデザートだろ。食事じゃなくて」
つい呆れたような声が出た。ルルーシュは気にせず続けてくる。
「いいじゃないですか。食べ物ですよ。ちなみに海老も好きです、ぷりぷりしてて」
「どうも主食って感じじゃないな。ちゃんと食べないと」
――まずい。何気なく言ってしまってから気付いて臍を噛む。
これはまるで、元から食が細いことを知っているような口ぶりだ。
しかし、ルルーシュはこれも然程気に留めなかったのか「はいはい」と苦笑しながら掬ったスープを口に運んでいた。
……そういえば、何か飲んでいるところならともかく、ルルーシュがまともに食べている姿なんて滅多に見たことが無い。
「この間も思ったことだけど、君ってかなり細いよな。毎日食事摂ってるのか?」
フォローのつもりも兼ねて尋ねてみれば、千切ったパンを小口で食べていたルルーシュがナプキンで手を拭いてから顔を上げてくる。
「嫌だな、ちゃんと食べてますよ。いつも自分で作っているんだし。そういうスザク様こそ、今までずっと一人暮らしだったんでしょう? 外に食べに行ったりはしないんですか?」
「ああ、俺は――」
言いかけた瞬間、またもギクリとした俺は慌てて口を噤んだ。
今まで君に作ってもらっていたことだってあったじゃないか。
尋ねられて反射的に浮かんだのは、あろうことかそんな台詞だった。
……抜けている。あまりにも。 警戒心に欠けているどころの話ではない。よりにもよってルルーシュ本人を相手に、言える訳もない思い出について語り合うつもりでもいるのか? 俺は。
「スザク様?」
「あ、いや。なんでもないよ」
頬を引き攣らせた俺を見て、ルルーシュが不思議そうに首を傾げている。
こんな態度を取り続けていたら不審に思われるのも時間の問題かもしれない。そう思ってちらりと様子を伺えば、目が合ったところでにっこり微笑まれてドキリと心臓が跳ねた。
「もし嫌じゃなければ、俺が作りましょうか?」
「え?」
「好きなんでしょう? こってりしたもの。何ならご馳走しますよ」
善意や好意以外何も含むところの無いルルーシュの申し出に、チクリと胸に痛みが走る。
罪悪感と疾しさだ。この疼痛は。
「あ、ああ……有難う。嬉しいよ」
平静を装って答えながら、自分でも自分の考えがよく解らないと俺は思った。
何もかも忘れて安穏としているルルーシュに抱く苛立ち。忘却の檻に閉じ込めたつもりでいたのに、檻を盾にして身を守る卑怯さに見えてくる。
イラつくなんて勝手だ。彼に何もかも忘れさせてしまうよう仕向けたのは他ならぬ俺自身だろう。それなのに、忘れられていることを許せなく思うなんてつくづく矛盾している。
自分が傷付けられたからといって、癒えぬトラウマを与えて苦しませてもいいことにはならない。
湧き上がる不快感と情に翻弄され、俺は理性と感情の狭間で葛藤し続けていた。
――俺はもしかすると、元のルルーシュとして記憶回復して欲しいとでも望んでいるのだろうか。ゼロとしての人格を封じられ、悪としての部分から解放されたルルーシュに安堵すら覚えているのに……?
ルルーシュに悟られないよう、ひっそりと奥歯を噛み締めながら考える。
……一体何をやっているんだ? 俺は。
冷静になって考えれば考えるほど現状の奇怪さに改めて気付く。
と、同時に、苛立ちに塗れた頭の隅に過ぎるものは、たった今感じていた不安や不快をも遥かに上回る焦りだった。
異常だ、こんなのは。
自分を裏切った元友人にもてなされて、食事をしながら笑い合っている。自分でも重々おかしな関係だと解っているのに。
ルルーシュと一緒にいるとおかしくなる。感覚にズレが起こるこの感じ。
思えば再会した時からそうだった。未知の引力にも似た何かに引き摺られるように彼を求め、結局元通りの関係に戻ってしまっている。
今更自分の思いについて否定するつもりはない。
だが、それ以上に受け入れられない部分があることも事実だった。
確かに、報告書に書かれた内容を踏まえれば、こういった関係に戻ることとて予想に難くは無い筈だ。設定そのものを考えれば、寧ろ関係が深まること前提での接触だったとさえ言える。
でも、本当はそれでさえ只の言い訳に過ぎないんじゃないのか――? 俺自身がルルーシュに抱いている激しい執着を欺くための。
記憶があろうが無かろうが、ルルーシュはルルーシュだ。
ここに来た当初は、こんな関係に戻る気もなければ戻れるとも思っていなかった。憎悪に駆られるあまり、身体を重ねていた事実についてさえおぞましく思っていた程。
それなのに何故だろう。
何もかも水に流してしまったかのように、また彼に捕らわれてしまっている。
悲しい顔をされれば慰めたくなるし、嬉しそうな顔をされれば同じように嬉しさが込み上げる。
あれだけ忘れまいとしてきたのに。どころか、忘れられないからこそ苦しんできたのに、喉元過ぎてもいないうちに熱さを忘れてしまうつもりなのだろうか、俺は?
……いや、許してなんかいない。許せるものか。
この男に何をされたのか忘れるな。決してあの絶望を忘れるな。――彼から受けた、あの裏切りを。
こんなごっこ遊びなんか、俺には到底向いていない。
でも続けなければ。……けれど何のために?
ルルーシュとこうして再会したのは、一体何のためだったのか。
本来の目的は? と自問したところで既に解らなくなり始めている自分に気付き、俺は心底ぞっとした。
油断するな。こいつはゼロだ。
忘れるな。この男は俺の敵。
幾度自分に言い聞かせみても、憎んでいるのかそうでないのかさえ解らなくなっていく。
高まる焦燥を断ち切ろうと、俺は勢いよくグラスを煽った。ともすればすぐに緩みがちになる気を引き締めてルルーシュを見たところで、喉を通っていく液体が只の炭酸ではないことに気付く。
「これ、ノンアルコールじゃないじゃないか」
「……バレました?」
眉を上げてあっさりと白状するルルーシュにはまるで後ろめたいところがない。
「バレました? じゃないだろ」
「いいじゃないですか、別に。今日だけですよ」
悪びれもせず慣れた仕草でグラスを傾けるルルーシュを見て、これが初の飲酒ではないと即座に勘付く。
「今日だけって、君、アルコール初めてじゃないだろ」
「ええ」
「ええって……。開き直って言うことなのか?」
「別に、これくらい普通ですよ。もしかして飲めませんか?」
「飲める飲めないの問題じゃないだろ」
「真面目ですね」
「君が不真面目なんだよ。俺はこう見えても一応役人だ。肩書きは軍人・兼学生でもあるけど、未成年の飲酒を見逃す訳にはいかないな」
――思い出した。そういえばルルーシュはこういう性格だった。
神経質そうに見える反面ガサツでもあり、一見模範的・規範的に見えるのに実は奔放。生徒会副会長という肩書きを持ち合わせているにも関わらず、その実、授業エスケープに居眠り常習犯。
根が享楽的かつ快楽主義的で、ルールに対して緩いところは変わっていないということか。悪としての素質・素養は充分だ。
表面的な性格が激変したせいで忘れていたが、ルルーシュはこういった対極の要素を持ち合わせている男でもあった。
以前は裏社会の賭けチェスにまで手を出していたが、まさか記憶を失った今も監視の目をかいくぐって悪い遊びをしている訳じゃないだろうなと急激に不安が募っていく。
「さっきも思ったことだけど……」
「?」
「そろそろ慣れてくれたって思ってもいいのかな」
「え?」
「え? じゃないよ。こんなに大胆な面があるなら、名前の一つくらい呼べても不思議は無いだろう? 呼んでみて」
「――――」
胡乱な目つきになっていると自覚しながら、俺は今度こそ言えるだろうとばかりに切り出した。
たかが名前一つ呼ぶのに、何故あれほどまでに抵抗を示したのか正直理解しがたい。
……ところが、ルルーシュは又しても頬を赤くして顔を背けている。
「後で呼ぶって言ったじゃないですか」
つい先程までの調子とは打って変わって、ぼそりと呟く声に張りが無い。
まさかとは思うが演技だろうか? いや、ギアスで性格を改変されている以上俺に嘘は吐けない筈――。しかしルルーシュは演技が得意な男でもあったのだから、決して油断は出来ない。
「後でって、俺はいつまで待っていればいいんだ?」
「いつまでって言われても」
「君の後でを待ってたら、そのまま本国に戻ることになってしまうかもな」
「せっかちですね。そんな意地悪なこと言わないで下さいよ」
「君だって結構不良だろ。まさか君みたいな人がいきなり酒なんか薦めてくるとは思わなかったよ。もしかして今まで猫を被っていたのか?」
畳み掛けるように問い質してやれば、ルルーシュはほんの少しだけ傷付いた顔をして俺を見た。
「猫ってほどかどうかは……。というか、解りませんか?」
「解るけど、何もそこまで照れることないだろう」
「べ、別に照れてる訳じゃ……」
「ふうん? だったら何?」
演技で顔色まで変えられるのだとしたら、ルルーシュはテロリストではなく俳優になるべきだ。
それに、俺がここで監視を行う意味もない。今すぐにでも捕らえて本国に送りつけるしかないだろう。
「……本当は、呼んでみたいって思ってますよ、俺だって」
「なんだ。だったら――」
「でも……」
「?」
言いかけてから口ごもったルルーシュは、一旦俯いてから再び顔を上げてきた。
「本当は俺、結構口が悪いんです。きついというか。だから、名前で呼び合うようなことになったら……その、色々と不都合が……」
「――――」
一瞬で血の気が下がった。
態度を繕っている? 素の自分ではないということか。俺に見せる面を選んで?
いつからだ。最初から? まさかとは思ったが演技をしていた?
――どういうことだ。好意を抱いた相手に対しては隠しごとが出来ないんじゃなかったのか?
「それ、どういうこと?」
「え?」
自然と詰問調になり、声のトーンも低くなる。 不穏な気配を察したルルーシュが僅かに息を飲んだ。
ひょっとすると、ギアスの効力が弱まっているということなんだろうか。
考えすぎか? 嘘というほどでも。
いや、それよりも記憶の方はどうなっている……?
「俺に対して遠慮してしまうのは解るけど、過剰な遠慮ならする必要はないよ。前にも言っただろ、ルルーシュ。俺は正直な君が好きだ。だから、もし俺相手に取り繕った面を見せようと思っているのなら、それはちょっと、本当の友達らしい付き合い方とは言えないんじゃないかな」
「…………」
真顔になった俺に驚きながらも、黙って俺の話に耳を傾けていたルルーシュがきゅっと唇を引き締める。
――ルルーシュ。君はまた、俺に裏表を作って接しようとしていたのか?
以前の君と同じように?
そう思った瞬間、自分でも信じられないほど激しい怒りが腹の奥底から湧き上がってくる。
蘇る記憶に触発され、暴れ出す感情。
高圧的になりすぎてはいけない。只でさえ初日にあれだけ怖がらせてしまっているというのに、焦る思いのまま言葉を紡げば、演技どころかせっかく構築しかけていた今の関係すら破綻させてしまう。
「思い出しているんですか? 前に言っていた貴方の友達のこと」
「――――」
鋭い指摘に場の空気が凍りつく。
たとえ記憶を失っていても、人の心理分析に長けた聡い頭脳は健在だ。
今すぐにでも問い詰めたいと逸る心。動揺を押し隠そうとした俺の顔は引き攣りかけ、辛うじて堪える代わりにきつく眉が寄っていく。
そんな俺の反応を前に、ルルーシュは複雑な笑みを浮かべてからふっと消した。
俺を見つめる瞳はどことなく寂しげで、何故? と問う前に胸の奥が鈍い痛みを訴えてくる。
「この間、俺には『思ったことをそのまま言ってしまう悪い癖がある』って話、しましたよね」
「ああ」
「俺はその癖のせいで、今まで結構失敗してしまっているんです。……だからかもしれない。今貴方と一緒にいても、やっぱり隠したくなってしまうのは」
ルルーシュに沈黙で返す傍ら、心の中で「やはりそうか」と俺は思った。
人格、及び記憶改変の影響によって傷付いた過去。――ある程度予想出来ていたことではあった。
しかし、ギアスがかかっているにも関わらず何故隠すことが出来たのだろう。こうして結局自分から口を割るということは、完全に効力が切れている訳ではないということか。
探るような目を向けているだろう俺から視線を逸らしたルルーシュは、持っていたナイフとフォークをテーブルに置いてから組んだ両手で口元を隠した。
「もっと器用に嘘が吐けたらと思うこともあります。都合の悪いところや見せたくない部分は特に、好きな人には秘密にしておきたい。誰だってそう思うものでしょう? それに、もし俺がもっと上手く嘘を吐くことができたとしたら、人に嫌がられることも――傷つけてしまうことだってなかったのかもしれない」
目を伏せて一呼吸置いたルルーシュが、まっすぐに俺を射抜く。
「だから俺は、好きな人であればあるほど、上手く話せなくなりました」
「……そうだな。俺は味付けの濃いものというか、結構こってりしたものが好きだ。君は?」
「俺はプリンが好きです」
「それはデザートだろ。食事じゃなくて」
つい呆れたような声が出た。ルルーシュは気にせず続けてくる。
「いいじゃないですか。食べ物ですよ。ちなみに海老も好きです、ぷりぷりしてて」
「どうも主食って感じじゃないな。ちゃんと食べないと」
――まずい。何気なく言ってしまってから気付いて臍を噛む。
これはまるで、元から食が細いことを知っているような口ぶりだ。
しかし、ルルーシュはこれも然程気に留めなかったのか「はいはい」と苦笑しながら掬ったスープを口に運んでいた。
……そういえば、何か飲んでいるところならともかく、ルルーシュがまともに食べている姿なんて滅多に見たことが無い。
「この間も思ったことだけど、君ってかなり細いよな。毎日食事摂ってるのか?」
フォローのつもりも兼ねて尋ねてみれば、千切ったパンを小口で食べていたルルーシュがナプキンで手を拭いてから顔を上げてくる。
「嫌だな、ちゃんと食べてますよ。いつも自分で作っているんだし。そういうスザク様こそ、今までずっと一人暮らしだったんでしょう? 外に食べに行ったりはしないんですか?」
「ああ、俺は――」
言いかけた瞬間、またもギクリとした俺は慌てて口を噤んだ。
今まで君に作ってもらっていたことだってあったじゃないか。
尋ねられて反射的に浮かんだのは、あろうことかそんな台詞だった。
……抜けている。あまりにも。 警戒心に欠けているどころの話ではない。よりにもよってルルーシュ本人を相手に、言える訳もない思い出について語り合うつもりでもいるのか? 俺は。
「スザク様?」
「あ、いや。なんでもないよ」
頬を引き攣らせた俺を見て、ルルーシュが不思議そうに首を傾げている。
こんな態度を取り続けていたら不審に思われるのも時間の問題かもしれない。そう思ってちらりと様子を伺えば、目が合ったところでにっこり微笑まれてドキリと心臓が跳ねた。
「もし嫌じゃなければ、俺が作りましょうか?」
「え?」
「好きなんでしょう? こってりしたもの。何ならご馳走しますよ」
善意や好意以外何も含むところの無いルルーシュの申し出に、チクリと胸に痛みが走る。
罪悪感と疾しさだ。この疼痛は。
「あ、ああ……有難う。嬉しいよ」
平静を装って答えながら、自分でも自分の考えがよく解らないと俺は思った。
何もかも忘れて安穏としているルルーシュに抱く苛立ち。忘却の檻に閉じ込めたつもりでいたのに、檻を盾にして身を守る卑怯さに見えてくる。
イラつくなんて勝手だ。彼に何もかも忘れさせてしまうよう仕向けたのは他ならぬ俺自身だろう。それなのに、忘れられていることを許せなく思うなんてつくづく矛盾している。
自分が傷付けられたからといって、癒えぬトラウマを与えて苦しませてもいいことにはならない。
湧き上がる不快感と情に翻弄され、俺は理性と感情の狭間で葛藤し続けていた。
――俺はもしかすると、元のルルーシュとして記憶回復して欲しいとでも望んでいるのだろうか。ゼロとしての人格を封じられ、悪としての部分から解放されたルルーシュに安堵すら覚えているのに……?
ルルーシュに悟られないよう、ひっそりと奥歯を噛み締めながら考える。
……一体何をやっているんだ? 俺は。
冷静になって考えれば考えるほど現状の奇怪さに改めて気付く。
と、同時に、苛立ちに塗れた頭の隅に過ぎるものは、たった今感じていた不安や不快をも遥かに上回る焦りだった。
異常だ、こんなのは。
自分を裏切った元友人にもてなされて、食事をしながら笑い合っている。自分でも重々おかしな関係だと解っているのに。
ルルーシュと一緒にいるとおかしくなる。感覚にズレが起こるこの感じ。
思えば再会した時からそうだった。未知の引力にも似た何かに引き摺られるように彼を求め、結局元通りの関係に戻ってしまっている。
今更自分の思いについて否定するつもりはない。
だが、それ以上に受け入れられない部分があることも事実だった。
確かに、報告書に書かれた内容を踏まえれば、こういった関係に戻ることとて予想に難くは無い筈だ。設定そのものを考えれば、寧ろ関係が深まること前提での接触だったとさえ言える。
でも、本当はそれでさえ只の言い訳に過ぎないんじゃないのか――? 俺自身がルルーシュに抱いている激しい執着を欺くための。
記憶があろうが無かろうが、ルルーシュはルルーシュだ。
ここに来た当初は、こんな関係に戻る気もなければ戻れるとも思っていなかった。憎悪に駆られるあまり、身体を重ねていた事実についてさえおぞましく思っていた程。
それなのに何故だろう。
何もかも水に流してしまったかのように、また彼に捕らわれてしまっている。
悲しい顔をされれば慰めたくなるし、嬉しそうな顔をされれば同じように嬉しさが込み上げる。
あれだけ忘れまいとしてきたのに。どころか、忘れられないからこそ苦しんできたのに、喉元過ぎてもいないうちに熱さを忘れてしまうつもりなのだろうか、俺は?
……いや、許してなんかいない。許せるものか。
この男に何をされたのか忘れるな。決してあの絶望を忘れるな。――彼から受けた、あの裏切りを。
こんなごっこ遊びなんか、俺には到底向いていない。
でも続けなければ。……けれど何のために?
ルルーシュとこうして再会したのは、一体何のためだったのか。
本来の目的は? と自問したところで既に解らなくなり始めている自分に気付き、俺は心底ぞっとした。
油断するな。こいつはゼロだ。
忘れるな。この男は俺の敵。
幾度自分に言い聞かせみても、憎んでいるのかそうでないのかさえ解らなくなっていく。
高まる焦燥を断ち切ろうと、俺は勢いよくグラスを煽った。ともすればすぐに緩みがちになる気を引き締めてルルーシュを見たところで、喉を通っていく液体が只の炭酸ではないことに気付く。
「これ、ノンアルコールじゃないじゃないか」
「……バレました?」
眉を上げてあっさりと白状するルルーシュにはまるで後ろめたいところがない。
「バレました? じゃないだろ」
「いいじゃないですか、別に。今日だけですよ」
悪びれもせず慣れた仕草でグラスを傾けるルルーシュを見て、これが初の飲酒ではないと即座に勘付く。
「今日だけって、君、アルコール初めてじゃないだろ」
「ええ」
「ええって……。開き直って言うことなのか?」
「別に、これくらい普通ですよ。もしかして飲めませんか?」
「飲める飲めないの問題じゃないだろ」
「真面目ですね」
「君が不真面目なんだよ。俺はこう見えても一応役人だ。肩書きは軍人・兼学生でもあるけど、未成年の飲酒を見逃す訳にはいかないな」
――思い出した。そういえばルルーシュはこういう性格だった。
神経質そうに見える反面ガサツでもあり、一見模範的・規範的に見えるのに実は奔放。生徒会副会長という肩書きを持ち合わせているにも関わらず、その実、授業エスケープに居眠り常習犯。
根が享楽的かつ快楽主義的で、ルールに対して緩いところは変わっていないということか。悪としての素質・素養は充分だ。
表面的な性格が激変したせいで忘れていたが、ルルーシュはこういった対極の要素を持ち合わせている男でもあった。
以前は裏社会の賭けチェスにまで手を出していたが、まさか記憶を失った今も監視の目をかいくぐって悪い遊びをしている訳じゃないだろうなと急激に不安が募っていく。
「さっきも思ったことだけど……」
「?」
「そろそろ慣れてくれたって思ってもいいのかな」
「え?」
「え? じゃないよ。こんなに大胆な面があるなら、名前の一つくらい呼べても不思議は無いだろう? 呼んでみて」
「――――」
胡乱な目つきになっていると自覚しながら、俺は今度こそ言えるだろうとばかりに切り出した。
たかが名前一つ呼ぶのに、何故あれほどまでに抵抗を示したのか正直理解しがたい。
……ところが、ルルーシュは又しても頬を赤くして顔を背けている。
「後で呼ぶって言ったじゃないですか」
つい先程までの調子とは打って変わって、ぼそりと呟く声に張りが無い。
まさかとは思うが演技だろうか? いや、ギアスで性格を改変されている以上俺に嘘は吐けない筈――。しかしルルーシュは演技が得意な男でもあったのだから、決して油断は出来ない。
「後でって、俺はいつまで待っていればいいんだ?」
「いつまでって言われても」
「君の後でを待ってたら、そのまま本国に戻ることになってしまうかもな」
「せっかちですね。そんな意地悪なこと言わないで下さいよ」
「君だって結構不良だろ。まさか君みたいな人がいきなり酒なんか薦めてくるとは思わなかったよ。もしかして今まで猫を被っていたのか?」
畳み掛けるように問い質してやれば、ルルーシュはほんの少しだけ傷付いた顔をして俺を見た。
「猫ってほどかどうかは……。というか、解りませんか?」
「解るけど、何もそこまで照れることないだろう」
「べ、別に照れてる訳じゃ……」
「ふうん? だったら何?」
演技で顔色まで変えられるのだとしたら、ルルーシュはテロリストではなく俳優になるべきだ。
それに、俺がここで監視を行う意味もない。今すぐにでも捕らえて本国に送りつけるしかないだろう。
「……本当は、呼んでみたいって思ってますよ、俺だって」
「なんだ。だったら――」
「でも……」
「?」
言いかけてから口ごもったルルーシュは、一旦俯いてから再び顔を上げてきた。
「本当は俺、結構口が悪いんです。きついというか。だから、名前で呼び合うようなことになったら……その、色々と不都合が……」
「――――」
一瞬で血の気が下がった。
態度を繕っている? 素の自分ではないということか。俺に見せる面を選んで?
いつからだ。最初から? まさかとは思ったが演技をしていた?
――どういうことだ。好意を抱いた相手に対しては隠しごとが出来ないんじゃなかったのか?
「それ、どういうこと?」
「え?」
自然と詰問調になり、声のトーンも低くなる。 不穏な気配を察したルルーシュが僅かに息を飲んだ。
ひょっとすると、ギアスの効力が弱まっているということなんだろうか。
考えすぎか? 嘘というほどでも。
いや、それよりも記憶の方はどうなっている……?
「俺に対して遠慮してしまうのは解るけど、過剰な遠慮ならする必要はないよ。前にも言っただろ、ルルーシュ。俺は正直な君が好きだ。だから、もし俺相手に取り繕った面を見せようと思っているのなら、それはちょっと、本当の友達らしい付き合い方とは言えないんじゃないかな」
「…………」
真顔になった俺に驚きながらも、黙って俺の話に耳を傾けていたルルーシュがきゅっと唇を引き締める。
――ルルーシュ。君はまた、俺に裏表を作って接しようとしていたのか?
以前の君と同じように?
そう思った瞬間、自分でも信じられないほど激しい怒りが腹の奥底から湧き上がってくる。
蘇る記憶に触発され、暴れ出す感情。
高圧的になりすぎてはいけない。只でさえ初日にあれだけ怖がらせてしまっているというのに、焦る思いのまま言葉を紡げば、演技どころかせっかく構築しかけていた今の関係すら破綻させてしまう。
「思い出しているんですか? 前に言っていた貴方の友達のこと」
「――――」
鋭い指摘に場の空気が凍りつく。
たとえ記憶を失っていても、人の心理分析に長けた聡い頭脳は健在だ。
今すぐにでも問い詰めたいと逸る心。動揺を押し隠そうとした俺の顔は引き攣りかけ、辛うじて堪える代わりにきつく眉が寄っていく。
そんな俺の反応を前に、ルルーシュは複雑な笑みを浮かべてからふっと消した。
俺を見つめる瞳はどことなく寂しげで、何故? と問う前に胸の奥が鈍い痛みを訴えてくる。
「この間、俺には『思ったことをそのまま言ってしまう悪い癖がある』って話、しましたよね」
「ああ」
「俺はその癖のせいで、今まで結構失敗してしまっているんです。……だからかもしれない。今貴方と一緒にいても、やっぱり隠したくなってしまうのは」
ルルーシュに沈黙で返す傍ら、心の中で「やはりそうか」と俺は思った。
人格、及び記憶改変の影響によって傷付いた過去。――ある程度予想出来ていたことではあった。
しかし、ギアスがかかっているにも関わらず何故隠すことが出来たのだろう。こうして結局自分から口を割るということは、完全に効力が切れている訳ではないということか。
探るような目を向けているだろう俺から視線を逸らしたルルーシュは、持っていたナイフとフォークをテーブルに置いてから組んだ両手で口元を隠した。
「もっと器用に嘘が吐けたらと思うこともあります。都合の悪いところや見せたくない部分は特に、好きな人には秘密にしておきたい。誰だってそう思うものでしょう? それに、もし俺がもっと上手く嘘を吐くことができたとしたら、人に嫌がられることも――傷つけてしまうことだってなかったのかもしれない」
目を伏せて一呼吸置いたルルーシュが、まっすぐに俺を射抜く。
「だから俺は、好きな人であればあるほど、上手く話せなくなりました」