Lost Paradise 5(スザルル)
5
「裏切られたんだ。そして失った。かけがえのない女性と共に、俺は、その友達を」
低く唸るような声が出た。
ルルーシュはひっそりと眉を寄せている。
「裏切られたって、一体何があったんです? 何か理由があったんじゃ――」
訝しげに言い募るルルーシュを俺は敢えて遮った。
「どんな理由があろうが関係ない。……大切だった。とても。それなのに彼は俺に嘘をついた。何の罪も無いその女性を、卑劣としか言いようの無い手を使って死に追いやったんだ」
俺の怒りの激しさにたじろいだルルーシュが身体を引こうとする。
俺はそんなルルーシュの腕を引き、もう一度強く抱きしめた。
「……ごめん。でも憎いんだ。今でも」
脳裏に焼きつく最後の応酬。一年経った今も、消えるどころか薄れることさえ無い鮮烈な記憶。
『全ては過去。終わったことだ』
――この男、何を言っている? そう思った。
たった今殺してきたばかりだろう。平和に繋がる唯一の光を消してきたばかりだろう?
それなのに、お前は何も感じていないのか――?
頭が真っ白になったと思った次の瞬間、凄まじい勢いで湧き上がってきたものは殺意にも似た強烈な憎悪。
痛みが痛みのまま胸の内に存在しているというならば、そんな台詞を口に出来る訳が無い。人を殺し、命を背負うとはそういうことのはずだ。……少なくとも俺はそうだった。だからこそ贖罪の道を歩もうと決めもした。
過ぎ去ったことに痛み一つ感じていないからこそ、そうして過去だと割り切れるのだ。
この男は何も感じていない。反省も後悔もしていない。痛みはおろか、苦しみの一つでさえも。
だから言えるのだ。平気で。
『お前も父を殺しているだろう』
懺悔など、あとで幾らでも出来るだと――?
出来る訳がない。お前に。妹しか見えていない、見ようともしないお前なんかに。
罪の重さに苦しみ、足掻き、生きる理由を探してやり場の無い後悔と虚しさで潰れそうな日々を送ったことも無いお前なんかに――!
たった一言だけで、俺は今までの自分を全て否定されたのだと悟ってしまった。……だからこそ許せない。今でも、こんなに。
俺に嘘を吐き、裏切り、想いの全てを容易く軽んじて否定したルルーシュが憎くて憎くてたまらなかった。
父を殺してでも守りたいと思った友人の口から、まさかそんな台詞が出てくるなんて。
最後の最後まで信じていた。仮にルルーシュが本当にゼロであったのだとしても、あんな悪意の塊のような化け物になっているなどと誰が思うものか。
絶望した。そして激しく後悔した。愚かだとさえ思った。嘗てこの男を助けようと思ったことも、守りたいと願ったことも、全てが間違いだったとはっきり解った。
彼の存在に捕らわれ道を踏み外し、贖罪の道を歩もうとし続けてきたことですら否定したルルーシュが心の底から憎い。いっそ殺してやりたいと思うほどに。
こんな男、世界に必要無い。誰もこんな奴のことなど必要としていない。自分だって。
ルルーシュは、俺にとって最悪の友達だった。
こんなにも人を憎んだのは生まれて初めてだ。彼一人だけ。一度きり。今でも憎悪で眠れない夜がある。
『一時休戦といかないか?』だと?
ナナリーを助けた後、貴様は一体どうするつもりだ。自分の野望を果たすために、またその仮面を被るのか?
お前は以前俺に言ったな。『償う方法が一つだけある』と。
そうやって俺のことも駒にするのか? 自分自身の目的の為に!
……違うと思っていた。最後まで。
俺の過去について知る人間は三人。たとえその中にルルーシュが含まれていたとしても、考えようによっては酷い邪推でしかないだろうと自分を責めもした。
それなのに、握った俺の秘密を盾に仲間になれと迫ったゼロがルルーシュだったなんて……信じたくもなかった。
そのお前が、また俺を利用し駒になれと言うのか。妹を言い訳に?
そんな頼みなんか、俺が聞き入れると思うのか?
――甘えるな。ナナリーにお前なんか必要ない。妹の存在を必要としているのも、妹がいなければ生きることさえ出来ないと依存しているのもお前の方だろう。
その妹にさえ嘘を吐いていたくせに、一体どの面を下げて会うつもりでいるんだ?
ゼロは父と同じだ。俺はそう思っていた。
この男は、世界は自分を中心に回っていると思っている。争いを巻き起こし、人の善意を踏み躙り、俺や妹ばかりか世界までも裏切っておきながら自分の都合ばかりを主張する。
人の命を意の赴くままに弄び、壊し尽くし、平然と居直るその態度。幼稚で傲慢で独善的で、どこまでも身勝手なその本質。
この男は、最早世界にとっての害悪でしかない――そう思った俺は、引き金を引こうとした。
……けれど、出来なかった。
命を奪うこと。ルルーシュを殺すこと。……それだけは、どうしても。
狂いそうなほど憎いのに。ゼロを殺さなければと思っているのに。それなのに、銃を構えているその時ですら瘧のような全身の震えを止めることが出来なかった。
どうしたいのか。どうすればいいのか。――まるで解らない。
彼はゼロで、ルルーシュで。敵で、でも友達で。殺してやりたいほど憎いのに思い出が邪魔をする。
彼の笑顔も、優しさも、不器用なところも、潔癖で気高いところも、全て全て愛していたのに。
それが壊れていく? あれが嘘? 全部嘘? お前は俺を騙していたのか? どちらが本当でどちらが嘘なんだ。俺が大切だと思った友達としてのお前の姿は、単なる仮面でしかなかったのか?
詰っても足りない。踏み躙って滅茶苦茶になるまで痛めつけて、思い切り傷付けてやりたい。何が友達だと思いの侭に罵り、這い蹲らせて謝らせたい。―――違う。全部違う! では罪を認めさせて責任を?……そうじゃない。
だったら何だ。僕は、俺は、どうしたい?
全部嘘だったと言って欲しい。これは悪い夢だと。
でも現実だ。現実なんだ。認めなければ。
――そうだ。
ゼロが消えればいい。ルルーシュの中から、ゼロだけを消し去ってしまえば。
……その結果が、今なのだ。
「好きだったんですね。その友達のこと」
「――――」
唐突なルルーシュの言葉に、俺は自失した。
お前が言うな。
途端、湧き上がる強烈な憎悪に任せて睨み付けそうになり、俺は必死の思いでその衝動を堪えて歯を食いしばる。
ほんのついさっきまで愛しいと思っていたルルーシュの顔。……けれど、同時に見たくもないと昏く矛盾した思いが込み上げる。
ルルーシュの言葉などこれ以上聞きたくない。そう思いながらも、意識の内に潜むもう一人の俺は、彼が何を言おうとするのか聞き耳を立てていた。
今のルルーシュならどんなことを言うのか。ルルーシュが本当はどう思っていたのか。何も飾らない今のルルーシュからであれば聞き出せるかもしれないと期待している自分がいる。
俺の背中に回されたルルーシュの腕が上がり、あやすような手つきで頭を撫でてくる。髪へと潜らせた細い指。いとおしげに梳くその動きでさえも残酷なまでに優しい。
何も答えられずにいる俺の想いを代弁するかのように、ルルーシュは深く長い溜息を漏らした。
「忘れられないんでしょう、その『友達』のこと。裏切ったのにまだ想われているなんて、その人は幸せな人だ」
「想われている?」
ええ、と呟いたルルーシュが「憎い、か」とひとりごちる。
「知ってますか? 愛の反対は無関心であって、憎しみではないんだと」
「――――」
ざっくりと刺さった。
……でも、どこに?
ルルーシュは訥々と話し続ける。
「どうでもよく思われるよりずっといい。俺にはそんな相手はいなかったから、少しだけ羨ましいです」
「……っ!」
これ以上聞いていられない。
反射的に気色ばんだ俺の様子に、ルルーシュが我に返ったようにビクリと肩を竦めた。
「す、すみません。不謹慎ですよね、こんなこと言うなんて……。気を悪くさせてしまったらすまない。俺は昔から少し配慮に欠けているところがあって、いつも思ったことをそのまま言ってしまったりするんです。――悪い癖だ」
「いや、いい。……それより癖って、どういう……」
ルルーシュにそんな癖はない。
だが、言いかけてから気が付いた。
好意を抱いた相手に隠し事が出来ない今のルルーシュ。昔から気を許した相手であればあるほど口が悪くなるところはあったが、そういった軽口とはまた別の意味合いで、常に思った通りのことしか口に出来なくなっているのだとしたら……?
正直なところ、ルルーシュの今の発言は俺にとってそこまで癇に障るものではなかった。ただ、精神状態があまり良くなかったというだけだ。
自分の意見と相手の意見を分けて考える分別くらい持っている。しかし、これが仮に混同する相手であれば、もしかすると腹を立てることだってあるのかもしれない。
「君は自分の意見を言っただけだろう。大丈夫、謝らなくていい」
ピーピングされるのは誰にとっても嫌なものだ。ことに俺の場合は。
正直なのは結構なことだが、正直さというのはあくまでも親密さの上にこそ成り立つものであって、面識の浅い相手に対する正直さなど単なる無礼でしかない。
……ひょっとすると、この一年の間に嫌がられたりしたことがあったのではないか?――それも、好意を抱いた相手本人から。
そう思って様子を伺えば、ルルーシュは可哀相なほどに萎縮してしまっていた。
怯えた眼差しを俺に向けて縮こまっているルルーシュの手を取り、俺は出来る限り優しい声音で告げてやる。
「ルルーシュ」
「はい……」
「いいんだ。嘘を吐かれるよりずっといい。だから気にするな。君の正直なところ、俺は好きだ」
気持ちが安定していようといなかろうと、今のルルーシュを冷たくあしらうのは間違っている。だから安心させる為にそう言ってやれば、ルルーシュは目を閉じてほっと吐息した。
『どうか嫌わないで』
必死の面持ちで俺に訴えてきたルルーシュのあの言葉は、おそらくそういう意味も含まれていたのだろう。
ルルーシュは――少なくとも今のルルーシュは、多分、俺に嫌われることが何よりも怖いのだ。
「君の、今の話だけど……」
「え?」
「愛の反対は無関心、って言っただろ」
「はい」
「……なら、憎しみの反対って何なんだ?」
ルルーシュは、しんとした眼差しで俺を見た。
「それは、『慈しみ』です」
「――――」
慈しみ……? 愛ではなく?
瞬時に浮かんだ疑問――そんな馬鹿な。
俺は、一人の人間として彼を愛しているのだと思っていた。八年前からずっと。けれど違うというのだろうか。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、ルルーシュは静かな声でこう述べた。
「慈しみという言葉の意味は、『慈愛』です」
「――――」
今度こそ、俺は完全に言葉を失った。
愕然とするという言葉はきっと、こういう時にこそ使う表現なのだろう。
半開きになった唇の端が震え、頬が引き攣り、喉が詰まった。
やがて、瞼の裏側が熱くなり……そして。
「泣かないで」
「…………」
「どうか泣かないで下さい」
蹲ったまま両手で顔面を覆った俺は、声を圧し殺して泣いていた。うろたえたルルーシュが俺の名を呼びながら慌てて取り成そうとする。
噛み締めた歯の隙間から、堪え切れない嗚咽が漏れ出した。
……この一年間、涙を流したことなど一度も無い。たとえ激しい憎悪を感じても、過去を反芻しては激情に駆られることがあったとしても、こんな風に泣いたことなど、只の一度も。
戦闘の最中で人を殺しているその時でさえ、欠けた心は静まり返ったまま、風の音さえしない無音の中。
心ならば疾うに死んだ。そう思っていた。この先誰を手に掛けることになろうとも、彼から受けた裏切り以上に深く傷付くことなど永遠に無いだろうと。
――それなのに、俺は今、堰を切ったように溢れ出す涙を止めることが出来なかった。
認めろというのか、今更それを。
愛よりも深く、彼を慈しんでいたのだと。
言い得ようの無い想いで今にも頭が割れそうだ。本当は恥も外聞も全て捨て去って、今すぐにでもわめき出してしまいたい。
どうして。どうして。
この問いに答えられる者がいるなら答えて欲しい。
――ルルーシュ。君は何故、俺を認めない? 何故俺の選んだ道を否定する?
どうして君はいつも、そうして暗い方へばかり行こうとするんだ。
俺と同じ川の向こうになど来て欲しくはなかった。もっと違う方法だってあった筈。それなのに、君は何故俺の手を取ろうとしない。何故大人しくしていてくれなかったんだ?
昔も今も、一年前も、君はいつも俺から離れていく。
……俺はただ、本当の君を知っていたかっただけだ。花を愛でるように見守っていたかっただけだ。
本当の君で居て欲しかった。いつだって守りたかった。あんな仮面など被ることなく、いつの日か君が本当の笑顔で笑える日が来ることを俺は心の底から願っていたのに。
それなのに、君はどうして俺に本心を明かさない? 何故俺に嘘を吐いた? どうして俺を騙したんだ?
助けてくれ、ルルーシュ。どうか頼むから。俺を救えるのはもう、君だけしかいないのに。
溺れる者が空気を求めて喘ぐかのように、俺はルルーシュに口付けた。
ルルーシュ、ルルーシュ。君はどうして。
「守ってくれ」と、俺に乞わないんだ――。
……勝手な願いだと知っている。過去の俺を知るルルーシュを疎ましく思う気持ちだって、俺にはあった。
だから――。
ルルーシュと唇を重ねながら、俺は思った。
ルルーシュにかけられたこれは、嘘を何よりも嫌う皇帝らしいギアスだと。……そしてきっと、俺にも似合いの呪いなのだろうと。
けれど、もしルルーシュのこれが演技なら、その果てを見届ける権利を持つ者は、世界できっと俺一人だけだ。
「裏切られたんだ。そして失った。かけがえのない女性と共に、俺は、その友達を」
低く唸るような声が出た。
ルルーシュはひっそりと眉を寄せている。
「裏切られたって、一体何があったんです? 何か理由があったんじゃ――」
訝しげに言い募るルルーシュを俺は敢えて遮った。
「どんな理由があろうが関係ない。……大切だった。とても。それなのに彼は俺に嘘をついた。何の罪も無いその女性を、卑劣としか言いようの無い手を使って死に追いやったんだ」
俺の怒りの激しさにたじろいだルルーシュが身体を引こうとする。
俺はそんなルルーシュの腕を引き、もう一度強く抱きしめた。
「……ごめん。でも憎いんだ。今でも」
脳裏に焼きつく最後の応酬。一年経った今も、消えるどころか薄れることさえ無い鮮烈な記憶。
『全ては過去。終わったことだ』
――この男、何を言っている? そう思った。
たった今殺してきたばかりだろう。平和に繋がる唯一の光を消してきたばかりだろう?
それなのに、お前は何も感じていないのか――?
頭が真っ白になったと思った次の瞬間、凄まじい勢いで湧き上がってきたものは殺意にも似た強烈な憎悪。
痛みが痛みのまま胸の内に存在しているというならば、そんな台詞を口に出来る訳が無い。人を殺し、命を背負うとはそういうことのはずだ。……少なくとも俺はそうだった。だからこそ贖罪の道を歩もうと決めもした。
過ぎ去ったことに痛み一つ感じていないからこそ、そうして過去だと割り切れるのだ。
この男は何も感じていない。反省も後悔もしていない。痛みはおろか、苦しみの一つでさえも。
だから言えるのだ。平気で。
『お前も父を殺しているだろう』
懺悔など、あとで幾らでも出来るだと――?
出来る訳がない。お前に。妹しか見えていない、見ようともしないお前なんかに。
罪の重さに苦しみ、足掻き、生きる理由を探してやり場の無い後悔と虚しさで潰れそうな日々を送ったことも無いお前なんかに――!
たった一言だけで、俺は今までの自分を全て否定されたのだと悟ってしまった。……だからこそ許せない。今でも、こんなに。
俺に嘘を吐き、裏切り、想いの全てを容易く軽んじて否定したルルーシュが憎くて憎くてたまらなかった。
父を殺してでも守りたいと思った友人の口から、まさかそんな台詞が出てくるなんて。
最後の最後まで信じていた。仮にルルーシュが本当にゼロであったのだとしても、あんな悪意の塊のような化け物になっているなどと誰が思うものか。
絶望した。そして激しく後悔した。愚かだとさえ思った。嘗てこの男を助けようと思ったことも、守りたいと願ったことも、全てが間違いだったとはっきり解った。
彼の存在に捕らわれ道を踏み外し、贖罪の道を歩もうとし続けてきたことですら否定したルルーシュが心の底から憎い。いっそ殺してやりたいと思うほどに。
こんな男、世界に必要無い。誰もこんな奴のことなど必要としていない。自分だって。
ルルーシュは、俺にとって最悪の友達だった。
こんなにも人を憎んだのは生まれて初めてだ。彼一人だけ。一度きり。今でも憎悪で眠れない夜がある。
『一時休戦といかないか?』だと?
ナナリーを助けた後、貴様は一体どうするつもりだ。自分の野望を果たすために、またその仮面を被るのか?
お前は以前俺に言ったな。『償う方法が一つだけある』と。
そうやって俺のことも駒にするのか? 自分自身の目的の為に!
……違うと思っていた。最後まで。
俺の過去について知る人間は三人。たとえその中にルルーシュが含まれていたとしても、考えようによっては酷い邪推でしかないだろうと自分を責めもした。
それなのに、握った俺の秘密を盾に仲間になれと迫ったゼロがルルーシュだったなんて……信じたくもなかった。
そのお前が、また俺を利用し駒になれと言うのか。妹を言い訳に?
そんな頼みなんか、俺が聞き入れると思うのか?
――甘えるな。ナナリーにお前なんか必要ない。妹の存在を必要としているのも、妹がいなければ生きることさえ出来ないと依存しているのもお前の方だろう。
その妹にさえ嘘を吐いていたくせに、一体どの面を下げて会うつもりでいるんだ?
ゼロは父と同じだ。俺はそう思っていた。
この男は、世界は自分を中心に回っていると思っている。争いを巻き起こし、人の善意を踏み躙り、俺や妹ばかりか世界までも裏切っておきながら自分の都合ばかりを主張する。
人の命を意の赴くままに弄び、壊し尽くし、平然と居直るその態度。幼稚で傲慢で独善的で、どこまでも身勝手なその本質。
この男は、最早世界にとっての害悪でしかない――そう思った俺は、引き金を引こうとした。
……けれど、出来なかった。
命を奪うこと。ルルーシュを殺すこと。……それだけは、どうしても。
狂いそうなほど憎いのに。ゼロを殺さなければと思っているのに。それなのに、銃を構えているその時ですら瘧のような全身の震えを止めることが出来なかった。
どうしたいのか。どうすればいいのか。――まるで解らない。
彼はゼロで、ルルーシュで。敵で、でも友達で。殺してやりたいほど憎いのに思い出が邪魔をする。
彼の笑顔も、優しさも、不器用なところも、潔癖で気高いところも、全て全て愛していたのに。
それが壊れていく? あれが嘘? 全部嘘? お前は俺を騙していたのか? どちらが本当でどちらが嘘なんだ。俺が大切だと思った友達としてのお前の姿は、単なる仮面でしかなかったのか?
詰っても足りない。踏み躙って滅茶苦茶になるまで痛めつけて、思い切り傷付けてやりたい。何が友達だと思いの侭に罵り、這い蹲らせて謝らせたい。―――違う。全部違う! では罪を認めさせて責任を?……そうじゃない。
だったら何だ。僕は、俺は、どうしたい?
全部嘘だったと言って欲しい。これは悪い夢だと。
でも現実だ。現実なんだ。認めなければ。
――そうだ。
ゼロが消えればいい。ルルーシュの中から、ゼロだけを消し去ってしまえば。
……その結果が、今なのだ。
「好きだったんですね。その友達のこと」
「――――」
唐突なルルーシュの言葉に、俺は自失した。
お前が言うな。
途端、湧き上がる強烈な憎悪に任せて睨み付けそうになり、俺は必死の思いでその衝動を堪えて歯を食いしばる。
ほんのついさっきまで愛しいと思っていたルルーシュの顔。……けれど、同時に見たくもないと昏く矛盾した思いが込み上げる。
ルルーシュの言葉などこれ以上聞きたくない。そう思いながらも、意識の内に潜むもう一人の俺は、彼が何を言おうとするのか聞き耳を立てていた。
今のルルーシュならどんなことを言うのか。ルルーシュが本当はどう思っていたのか。何も飾らない今のルルーシュからであれば聞き出せるかもしれないと期待している自分がいる。
俺の背中に回されたルルーシュの腕が上がり、あやすような手つきで頭を撫でてくる。髪へと潜らせた細い指。いとおしげに梳くその動きでさえも残酷なまでに優しい。
何も答えられずにいる俺の想いを代弁するかのように、ルルーシュは深く長い溜息を漏らした。
「忘れられないんでしょう、その『友達』のこと。裏切ったのにまだ想われているなんて、その人は幸せな人だ」
「想われている?」
ええ、と呟いたルルーシュが「憎い、か」とひとりごちる。
「知ってますか? 愛の反対は無関心であって、憎しみではないんだと」
「――――」
ざっくりと刺さった。
……でも、どこに?
ルルーシュは訥々と話し続ける。
「どうでもよく思われるよりずっといい。俺にはそんな相手はいなかったから、少しだけ羨ましいです」
「……っ!」
これ以上聞いていられない。
反射的に気色ばんだ俺の様子に、ルルーシュが我に返ったようにビクリと肩を竦めた。
「す、すみません。不謹慎ですよね、こんなこと言うなんて……。気を悪くさせてしまったらすまない。俺は昔から少し配慮に欠けているところがあって、いつも思ったことをそのまま言ってしまったりするんです。――悪い癖だ」
「いや、いい。……それより癖って、どういう……」
ルルーシュにそんな癖はない。
だが、言いかけてから気が付いた。
好意を抱いた相手に隠し事が出来ない今のルルーシュ。昔から気を許した相手であればあるほど口が悪くなるところはあったが、そういった軽口とはまた別の意味合いで、常に思った通りのことしか口に出来なくなっているのだとしたら……?
正直なところ、ルルーシュの今の発言は俺にとってそこまで癇に障るものではなかった。ただ、精神状態があまり良くなかったというだけだ。
自分の意見と相手の意見を分けて考える分別くらい持っている。しかし、これが仮に混同する相手であれば、もしかすると腹を立てることだってあるのかもしれない。
「君は自分の意見を言っただけだろう。大丈夫、謝らなくていい」
ピーピングされるのは誰にとっても嫌なものだ。ことに俺の場合は。
正直なのは結構なことだが、正直さというのはあくまでも親密さの上にこそ成り立つものであって、面識の浅い相手に対する正直さなど単なる無礼でしかない。
……ひょっとすると、この一年の間に嫌がられたりしたことがあったのではないか?――それも、好意を抱いた相手本人から。
そう思って様子を伺えば、ルルーシュは可哀相なほどに萎縮してしまっていた。
怯えた眼差しを俺に向けて縮こまっているルルーシュの手を取り、俺は出来る限り優しい声音で告げてやる。
「ルルーシュ」
「はい……」
「いいんだ。嘘を吐かれるよりずっといい。だから気にするな。君の正直なところ、俺は好きだ」
気持ちが安定していようといなかろうと、今のルルーシュを冷たくあしらうのは間違っている。だから安心させる為にそう言ってやれば、ルルーシュは目を閉じてほっと吐息した。
『どうか嫌わないで』
必死の面持ちで俺に訴えてきたルルーシュのあの言葉は、おそらくそういう意味も含まれていたのだろう。
ルルーシュは――少なくとも今のルルーシュは、多分、俺に嫌われることが何よりも怖いのだ。
「君の、今の話だけど……」
「え?」
「愛の反対は無関心、って言っただろ」
「はい」
「……なら、憎しみの反対って何なんだ?」
ルルーシュは、しんとした眼差しで俺を見た。
「それは、『慈しみ』です」
「――――」
慈しみ……? 愛ではなく?
瞬時に浮かんだ疑問――そんな馬鹿な。
俺は、一人の人間として彼を愛しているのだと思っていた。八年前からずっと。けれど違うというのだろうか。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、ルルーシュは静かな声でこう述べた。
「慈しみという言葉の意味は、『慈愛』です」
「――――」
今度こそ、俺は完全に言葉を失った。
愕然とするという言葉はきっと、こういう時にこそ使う表現なのだろう。
半開きになった唇の端が震え、頬が引き攣り、喉が詰まった。
やがて、瞼の裏側が熱くなり……そして。
「泣かないで」
「…………」
「どうか泣かないで下さい」
蹲ったまま両手で顔面を覆った俺は、声を圧し殺して泣いていた。うろたえたルルーシュが俺の名を呼びながら慌てて取り成そうとする。
噛み締めた歯の隙間から、堪え切れない嗚咽が漏れ出した。
……この一年間、涙を流したことなど一度も無い。たとえ激しい憎悪を感じても、過去を反芻しては激情に駆られることがあったとしても、こんな風に泣いたことなど、只の一度も。
戦闘の最中で人を殺しているその時でさえ、欠けた心は静まり返ったまま、風の音さえしない無音の中。
心ならば疾うに死んだ。そう思っていた。この先誰を手に掛けることになろうとも、彼から受けた裏切り以上に深く傷付くことなど永遠に無いだろうと。
――それなのに、俺は今、堰を切ったように溢れ出す涙を止めることが出来なかった。
認めろというのか、今更それを。
愛よりも深く、彼を慈しんでいたのだと。
言い得ようの無い想いで今にも頭が割れそうだ。本当は恥も外聞も全て捨て去って、今すぐにでもわめき出してしまいたい。
どうして。どうして。
この問いに答えられる者がいるなら答えて欲しい。
――ルルーシュ。君は何故、俺を認めない? 何故俺の選んだ道を否定する?
どうして君はいつも、そうして暗い方へばかり行こうとするんだ。
俺と同じ川の向こうになど来て欲しくはなかった。もっと違う方法だってあった筈。それなのに、君は何故俺の手を取ろうとしない。何故大人しくしていてくれなかったんだ?
昔も今も、一年前も、君はいつも俺から離れていく。
……俺はただ、本当の君を知っていたかっただけだ。花を愛でるように見守っていたかっただけだ。
本当の君で居て欲しかった。いつだって守りたかった。あんな仮面など被ることなく、いつの日か君が本当の笑顔で笑える日が来ることを俺は心の底から願っていたのに。
それなのに、君はどうして俺に本心を明かさない? 何故俺に嘘を吐いた? どうして俺を騙したんだ?
助けてくれ、ルルーシュ。どうか頼むから。俺を救えるのはもう、君だけしかいないのに。
溺れる者が空気を求めて喘ぐかのように、俺はルルーシュに口付けた。
ルルーシュ、ルルーシュ。君はどうして。
「守ってくれ」と、俺に乞わないんだ――。
……勝手な願いだと知っている。過去の俺を知るルルーシュを疎ましく思う気持ちだって、俺にはあった。
だから――。
ルルーシュと唇を重ねながら、俺は思った。
ルルーシュにかけられたこれは、嘘を何よりも嫌う皇帝らしいギアスだと。……そしてきっと、俺にも似合いの呪いなのだろうと。
けれど、もしルルーシュのこれが演技なら、その果てを見届ける権利を持つ者は、世界できっと俺一人だけだ。