オセロ 第29話(スザルル)

29

 皇暦2019年、6月。
 学生服姿の少年二人が神聖ブリタニア帝国を制圧した。
 僭帝ルルーシュ。――全世界に中継された映像によって、傲然と玉座に就いた少年に与えられたそれが、新皇帝となったルルーシュ・ヴィ・ブリタニアへと最初に与えられた世界の評価だった。
 たった一日で帝位簒奪劇を成し遂げた二人は今、皇宮ペンドラゴン内、玉座の間から続く天井の高い渡り廊下を歩いている。
 強化ガラスで全面に渡って防弾加工が施されたその傍らに広がるのは、燦々と降り注ぐ日の光に照らされた緑の庭園。風雅というより抜けてるなと思いながら、嘗てここを追われたルルーシュは皮肉な想いに囚われるまま口端を吊り上げた。
 一見目に優しいこの光景も、本当はいつ何時フレイヤによって消滅させられるか解らない緊張に満ちている。
 無論、その事実を知る者は、まだこの二人以外には誰も居ないのだが……。
「潜伏先の情報は?」
 一歩後ろを歩くスザクへと振り返ったルルーシュが、つかつかと足早に歩を進めながら言葉少なに問いかけた。
 纏う衣装の色は純白。黒ばかりを好んで着ていたルルーシュが『死に装束に相応しい』と誂えさせた皇帝服を見つめていたスザクは、動きにつられて揺れるマントの端からゆっくりと視線を上げてきた。
「本国の文書に記載されている施設については全部調査済みだ。捜索隊からの連絡はまだ……」
 返されたのは固く抑揚に欠けた声だった。
 騎士服に身を包んだスザクは僅かに眉を寄せている。ルルーシュもまた、予想通りの回答に整った柳眉をひっそりと動かした。
「極秘裏に建設していた施設……恐らく地下だな」
「航空からの捜索も行わせているけど、現段階で上がってきた報告を見る限りでは」
「もしくは海中……。この件に関しては完全に後手だ。捜索範囲を広げたところで無駄に終わる」
「君の読み通りなら、トロモの離反も時間の問題だ。どうする?」
「現状で可能な限りの手は打ってある。離反するならさっさとしてくれた方がこちらとしても都合がいい。脱走してくる機関員を使う。情報提供者への褒賞と保護。情報もリーク済みだ」
 互いの靴音が木霊する中、ルルーシュは皇帝服の裾を翻しつつ淀みない足取りで歩いた。
 向かう先は、プライベート用に設えられた一室だ。
 嘗ての友人同士とはいえ、皇帝と騎士になった二人の間にそれらしき甘さを伺わせる気配は一切無い。
 帝国各地で頻発する反乱の鎮圧に奔走していたスザクが、ここペンドラゴンへと帰還したのはつい先程のこと。帝位に就く以前に計画の大略については予め話してあるものの、定期連絡を除けば、ここ数日は話す暇も無いどころか碌に顔を合わせてさえいなかった。
 硬質な会話の内容は、即位直後に追討令を発したシュナイゼルたちの所在に関することであり、これから先に控えているのも戦略の内容を密に詰めていく為の打ち合わせだけだ。
 辿り着いた部屋に入るなりソファに腰掛けたルルーシュは、向かいの椅子に座ったスザクを前にいきなり本題へと切り出した。
「潜伏先でこちらの動向を伺っている最中だとすれば、動く時期はある程度特定できる。最も警戒しなければならないタイミングが来るとしたらこれからだよ。超合衆国連合への加盟決議前後……いや、前か。内乱の山を越え、国としての大枠が定まった後であれば、対抗策を練られてしまうことくらいは読んでくるだろう」
 言いながら足を組んだルルーシュは、テーブルの上に置かれた資料を手に取った。
「旧ラウンズたちの潜伏先については割れたよ。俺は先にそちらを叩いておくべきだと思うが」
「来るさ、向こうから。その前に国内の平定だけでも終えておきたいところだが、今の状態が続くようではまず無理だろうな」
 遠征が重なった疲れもあるのだろうが、スザクの声は相変わらず平坦で感情の色に乏しいままだ。
 不謹慎極まりないと解っていながら、手元の資料に目を通していたルルーシュはクスリと笑った。
 騎士と皇帝。――互いに装っているこの仮面ですら、どこか滑稽に思えてくるのは何故なのか。
「即位早々、ブリタニア臣民からの俺の評判は地を這っている。これも予定通り……だが、まだほんの序章だ」
 笑った理由を摩り替えることにはどうやら成功したようで、スザクは生真面目そうな顔をほんの少しだけ和らげた。
「貴族制度の解体と、ナンバーズ制度の廃止……」
「ああ。当然それだけで終わらせるつもりはない。全臣民を奴隷化する計画は既に開始されている。他国の奴らもそろそろ気付き始めるさ。法改正という名の下に仕掛けたられた巨大な落とし穴に……。ゆえに起こる反乱。その為の所信演説だ」
 ――そして、いずれは全世界が奴隷と化す。
 怜悧な眼差しをふっと緩めたルルーシュを見て、スザクは和らげた表情を再び凍てつかせる。
(本当に、不謹慎極まりないな)
 ふっと心を閉ざしたスザクを前に、ルルーシュは自嘲も已む無しと考えた。
 自ら被った悪の仮面でさえ、引き起こした行動の結果によって、こうして本物の顔と同化していくのだから。
 けれど、今のルルーシュは「何が可笑しいのか」と問われれば「何も可笑しくなどない」と本心から答えるだろう。
 それが、一年前のルルーシュとの大きな違いだった。
(命を賭けたゲームだからこそ、本気でやる価値がある)
 心の中で唱えたのは、敢えての確認。
 悪逆皇帝の剣として日々多くの命を奪い続けているスザクにとっては、こういったズレた感覚など皆無なのだろうが。もしかすると何かのゲームか、でなければ、ごっこ遊びの延長なのではないかという錯覚すら起こしそうになる。
 ……あるいは、冷静に狂気を装うとは、そういうことなのだろうか。
 だとしても。
(踊り続けてやるさ。終幕の瞬間まで)
 地獄の釜の蓋を、自ら開けた者として。
 これは悲劇か、はたまた喜劇なのか。どちらも嘘ではないのだと、多分お互いが解っているのだけれど――。
「ランスロットの調整は?」
「予定通りだ。近日中には。MVSは以前と変わらず実戦投入しているけど、エナジーウイングと新型ヴァリスの微調整がまだ残っている」
「その為にも、お前には一度戻ってもらう必要があった。元貴族たちの討伐には、今ジェレミアを向かわせている」
「俺は強襲に備える」
「そういうことだ。お前には暫くこっちに居てもらう」
「……シュナイゼルが国内の反乱を統合してくる恐れは?」
「その線は無い。旗頭になれるほどの目ぼしい勢力も居ないことだしな」
「解った」
 静寂が訪れるのを無意識に拒む二人は切れ間無く会話を続けていた。合間に、ルルーシュがテーブルへと資料を置く。
 パサリと音を立てた紙束に目を向けたスザクが無言でルルーシュの言葉を待つ間、暫し固い空気が両者の間に流れた。
 ルルーシュはまだ残るぎこちなさを隠したまま息を詰め、スザクを一瞥してから、
「ラウンズたちの迎撃時には映像を全世界に放映する。超合衆国への参加表明もその時だ。――勝てるか?」
「イエス・ユア・マジェスティ」
 腕を折り、恭しく右手を胸に当てたスザクに、ルルーシュが小さく頷く。
 畏まるスザクの姿を目にするのは幾度目のことだろう。透き通った翠玉は思い詰めたように眇められ、敬意と全幅の信頼、そして厳格なまでの覚悟だけを表しているように見える。
 詰めた息を静かに吐き出しながら気だるげに背凭れへと身を預けたルルーシュは、「では次だ」と口にしながら緩やかに足を組み換えた。
「超合衆国との交渉の舞台だが……俺は、アッシュフォード学園を指定しようと思っている」
 唐突なルルーシュの宣言に戸惑ったのだろう。体の横へと手を下ろしたスザクの動きがはたと止まった。続けて漏らされたのは「え?」という純粋な驚きの声だ。
 ルルーシュは悪戯っぽく、鼻先を見る角度でスザクへと斜めに視線を向ける。
「理由は二つある。交渉と銘打ってはいるが、目的は乗っ取り。緩衝地帯であれば向こうも是と言わざるを得ない」
 椅子の上で身じろぎしたスザクが向き直り、訝しげに眉を寄せてきた。
「しかし、何故わざわざアッシュフォード学園を? ギアスを使うにしても、あそこはまだ機情の監視システムが生きている。黒の騎士団も駐留している以上、下手な真似は出来ない」
 その答えにまんじりともせずルルーシュは頷く。予め予想していた返答ではあったのだろう。ソファに深く腰掛けたまま腕を組む動作は緩慢なものだったが、ふと思い出したように目頭へと触れてから言った。
「ギアスの情報がどこまで漏れているかは正直なところ未知数だ。だからこそ、悪用を避けて止めておくことを奴らは選ぶ……。それに、これは世界を敵に回すための算段。ギアスを使うまでも無い」
 コンタクトに覆い隠された両目から手を離し、こともなげにルルーシュは言い切った。
 見る者に「至高の紫玉」とさえ評されてきたルルーシュの瞳。――しかし、それはもう嘗ての色合いを残してはいない。
「超合衆国への参加を表明してみたところで、まともに決議が通らないことなど自明の理。例の最高評議会システムについてもそうだが、そもそも合衆国憲章の条文でさえ、設定したのは他ならぬ俺自身なんだからな。その上で正面から直属軍を伴って赴くなど論外だ。丸腰で来たとアピールすることこそが重要なんだよ」
 それまでルルーシュの一挙一動をずっと無言で見守っていたスザクは、複雑な表情を隠すように顔を背けた後、少々思案してから呟いた。
「では、奇襲でもかけるつもりか……?」
「正解だ」
 答えたルルーシュがにこりと笑った。顔にかかるサイドの髪をかき上げながらスザクの方へと振り返る。
「その為にも、わざわざ駐留させられて動きづらい他国ではなく、単身で来たと見せかける必要がある。その点でアッシュフォード学園はベストだ。立地条件が格段にいい。幸い、周りも海に囲まれていることだしな……」
 懐かしげに細められていたルルーシュの瞳に、その時ふと不穏な色が混じった。だが、それでもスザクは口を挟もうとしない。
「直属軍は海中にて索敵を避け、お前はアヴァロンの上から更に離れた上空にて待機。俺の合図と同時に校舎に突っ込む。――シンプルな方法だろう?」
「……つまり、加盟を認めても、認めなくても?」
「そう。そこで両取り(フォーク)だ」
 冷えた声で呟くルルーシュへとスザクは不思議そうに尋ね返した。
「両取り? 各国代表を人質に?」
「それは最初から一つ目の理由の方に組み込まれている。確保すべき重要な駒なら、他にもう一人居るじゃないか」
「もう一人……?」
「ニーナだよ」
 言い終えたルルーシュが不敵に笑った。
 組んだ手元ごと身を乗り出して前屈みになっていたスザクは、又もはたと動きを止めてから顎を引く。
「そうか……日本はブリタニアと超合衆国の中立地帯。検問も動かせる」
「ああ。ニーナはフレイヤ対策には絶対欠くことの出来ない最重要人物。彼女を確保するためというのが、二つ目の理由だ」
 ルルーシュは「ミレイ会長にも謝らなければならないな」と口にしてから、おもむろに席を立った。
 スザクはどこへいくのかと首を巡らせて見ていたが、ルルーシュは冷蔵庫の中から取り出したミネラルウォーターをグラスになみなみと注いでから戻ってくる。
 スザクの前にもグラスが置かれ、目を丸くしたスザクは弾かれたようにルルーシュを見上げた。
「別にいいだろ、これくらい」
 ルルーシュがグラスとこちらとを見比べているスザクに向かって困り顔で眉を下げれば、スザクは僅かな沈黙を挟んでからグラスを手に取り「ありがとう」と小さな礼を返した。元の位置に腰を下ろしたルルーシュは、聞きつけた礼に対しては何も答えぬまま冷たい水で喉を潤している。
 話し続けているうちに、随分と喉が渇いていたようだ。スザクもそれは同じだったようで、グラスの中身を一気に飲み干し空にしていた。
 ルルーシュはその間黙ってスザクの様子を眺めていたが、そのうちゆっくりと目を逸らしてから組んだ膝の上にグラスを立て、手にしたそれを戯れのように揺らしたり傾けたりする遊びに興じ始める。
 そうして、暫くしてから口を開いた。
「貴族の位を剥奪しただけに留まらず、学園の校舎まで派手にぶっ壊すことになるとはな。恩を仇で返すとは正にこのことだ」
 フレイヤでも被害を被ってはいたが、消滅したのはクラブハウスだけだ。
 それを思い出したらしいスザクは一瞬表情を曇らせはしたものの、冗談めかしたルルーシュの口調を内心本気だと受け取ったのだろう。「後悔を?」と尋ねてきたが、ルルーシュは薄く笑ったまま「まさか」と答えるだけだった。
「俺たちは事実上中退したも同然だが、母校を守るのも生徒会役員の務めだろ? 何のために学生服姿なんかでパフォーマンスしたと思ってるんだ」
 ブリタニア入り前日にルルーシュが言い出したことを思い出したのか、揶揄する口調にスザクも「そういうこと?」と呟きながらようやく相好を崩した。
 ……もっとも、それはほとんど苦笑いにも等しい表情ではあったが。
「『久しぶりに着たくないか?』なんて言い出すから困惑したよ。一体どうやって調達したんだ?」
「ちゃんと国内に入ってから買ったに決まってる。サイズもピッタリだっただろ?」
 得意げに答えるルルーシュは「当然だ」とでも言わんばかりに胸を反らしている。いつも通りの不遜さを崩さないルルーシュの調子に、スザクも浮かべた笑みを深くした。
「そうだね……。君は突飛に見えても、実は計画的だから」
 スザクは「逆な場合もあるけど」と付け足してから、
「でも、本当は何か他にも理由があるんだろう?」
 と、ルルーシュがしれっとした顔でグラスを空けているところへ的確に核心を突いてくる。
「相変わらず鋭いな、お前は」
 含んだ水をこくりと飲み下してから目を瞠ったルルーシュが、口元に薄く刷いていた笑みを消してスザクを見た。
 スザクは「長い付き合いだからね」と答えながらも、翳りのある表情で瞼を伏せている。
 ルルーシュは両手でグラスを包み込んだまま、遠い目をして呟いた。
「学園は残させるさ。地上の楽園だからな、あの場所は。……だから取り戻すんだ。俺たち二人の手で」
「――――」
 慈しむようなルルーシュの声に顔を上げて何かを言いかけたスザクだったが、言葉にならなかったのかすぐに俯く。
「……学園の、生徒会の皆は?」
「生きている」
「それは、誰から?」
「リヴァルだよ。会長にニーナ……それから、カレンも」
「カレン……」
 スザクは昏い表情のまま、重々しくその名を口にした。語尾を引き継ぐようにルルーシュが言葉を続ける。
「お前が倒すのはあくまでも紅蓮だ。あれさえ壊せればいい。ギアスがかかっている以上お前が易々と死ぬことはまず無いだろうが、ダモクレス攻略の際にはくれぐれも上手く負けてくれ。でないと――」
「ああ。解っている」
 途端、顔を上げたスザクの瞳に力が宿る。
 真に迫った空気の中、ルルーシュも重々しく首肯を返した。
「ゼロ・レクイエムのために」
「イエス・ユア・マジェスティ」
 一言呟いたルルーシュに向けて、スザクはもう一度掌をさっと胸の上に翳した。
 ルルーシュはそんなスザクを満足げに見遣ってから、手遊びのようにずっと触れていたグラスの表面を眺めている。嵩の減った水面が、透き通ったクリスタルの中でゆらゆらと揺れていた。
 何気なく置かれている物も含め、室内の調度は全てが一級品だ。今二人が使っているグラス一つとっても、ただ触れているだけで掌にひんやりとした感触を伝えてくる極上の名品。
 シャープなカッティングが施された底面は重厚。対する飲み口はというと、爪で弾けば涼やかな音を立てそうなほど繊細な薄さを保っている。
 ……しかし、先程からルルーシュが魅入っているのは、美しくカットされた模様などではない。
 角度を変えるたび、部屋の照明を反射してキラキラと輝く硝子。
 どんなに高価な宝石の輝きよりも、硝子の放つ透明な煌きの方が余程美しいとルルーシュには思えた。
 スザクはグラスを傾けるルルーシュの姿を無言で見守っている。……だが、相変わらず何を考えているのかはいまいち判然としない。
 決してまがい物ではない白い光をじっと見つめながら、ルルーシュは再び話し出す。
「世界統一後、日本は皇帝直轄領とし、ゼロ・レクイエム後に独立させる。ブリタニアの暫定代表はお前だ。国交正常化交渉締結後に新代表を選出。人事に関してはお前に一任する」
 ルルーシュは自分自身の死後に関する計画を、明日の天気について話す時のように口にした。
 救世の英雄・ゼロとして、スザクはその後も世界平和の為に、命ある限り政治の第一線にて尽力し続ける。
 ……しかし、その世界の中に、ルルーシュが求めた明日の中に、ルルーシュ自身の姿は無い。
 常人の精神では決して平静に振舞ってなどいられないであろう重いプレッシャーの中、それでも平然とグラスを玩びながら話すルルーシュをスザクは不安そうに見つめていた。
「だが……本当に可能なことなのか? それは」
 スザクが言い出すのも無理はない。それは事後を託される者として当然の疑問だった。
 問題は、世界平定後の人事だ。身分制度廃止後の皇族たちに政治的実権はなく、新たに選出するにしても問題が山積みなのである。
 それに、スザクはそもそも肉体的な労働にしか従事してきたことがない。そのスザクに対して、いきなり一国のみならず世界情勢そのものを左右する重責を一人で担えというのはあまりにも酷な話だ。
 ルルーシュは一呼吸おいてから、ちらりとスザクを一瞥した。
「補佐にシュナイゼルを付ける」
「……!」
 両膝の間で手を組んで座っていたスザクが、ハッとしたように全身を強張らせる。
 ――それは、これから討つべき敵の名だ。
 スザクは一瞬我が耳を疑った――が、しかし。ルルーシュが述べてきたのは疑問に対する回答の全てを集約させた一言だ。
 たった一言だけでスザクは全てを理解し、そして納得した。
「生かすのか。ギアスを使って」
 スザクが硬質な声で呟く。
 ルルーシュはそれにこくりと頷きを返しながら、底を持ったグラスを掌の中でくるりと器用に回してみせた。
 こぷんと音を立てながら、グラスの中で水が踊る。
「策はある。――それに」
 ルルーシュは言い置いてから、端正なその顔に冷然とした気配を漂わせた。
 辺りの温度が二、三度は下がったような体感。だが、ルルーシュの瞳に浮かぶものは明らかな怒りの炎だった。触れれば即、凍傷にもなりかねないほどの凄絶な冷気を周囲に撒き散らしておきながら、ルルーシュ自身は全身の血液が煮え滾るような凄まじい怒気を内在させ、押し殺している。
「あの男にも罪がある」
 諸悪の根源が、この俺自身であることとは別にしてもだ。――と、付け加えたルルーシュを見たところで、スザクの真剣な表情は変わらない。
 ただ一言、静かな声で「それで?」とだけ尋ねられ、ルルーシュはふと我に返ったように「ん」と瞬いた。
「理由は本当にそれだけか?」
「理由……?」
「うん」
 スザクは何らかの確信をもって強く頷き、まっすぐな瞳で凝視してくる。
「最初から無駄なことをしようとするような君じゃない。追われている身にも関わらず、わざわざ買ってまで用意するくらいだ。本当はそれなりの理由がもっと他にあるんじゃないのか?」
「――――」
 よく観察された上での的確な推論に、ルルーシュが一瞬口ごもる。見解に対する答えを求めているのか、スザクは何かを訴えるようにルルーシュを射抜いた。
「それに、いくら大胆に振舞っていても、君は基本的に慎重派だ」
 古くからの知己であるからこその指摘なのだろう。確かにその意見は正しいと判じながらも、ルルーシュはとりあえず笑っておいた。
「やけにはっきり断言してくれるじゃないか」
「でも、そうだろう?」
「確かに否定はしない」
 ルルーシュが曖昧に答えると、スザクはルルーシュを見つめたまま「それに」と続けた。
「君は、一回の行動で出来るだけ多くの目標をクリアしようとする。一つや二つで済む訳ないよ」
「…………」
 さすがによく解っているとでもいうべきか。ルルーシュは思わず閉口した。
 ここまで見切られてしまうと笑うしかない。……それに、こうして追求されることで何かを思い出しかけたような気もする。
 過去へと繋がる、これは既視感だ。
 スザクがどこまで察した上で聞き出そうとしているのか危ぶむ気持ちはある。――が、しかし。
 スザクは理解している。そう判じたルルーシュは、感じたデシャヴュをわざと無視して口を開いた。
「知って欲しかっただけだよ。たった二人の学生にも、世界を変えられるだけの可能性があるのだと。本来、そういうことだろう? 生きるとは」
 ルルーシュが自分の手元へと視線を落としながら、今度は腿の上に立てたグラスを左右に傾けて遊んでいる。
 穏やかなルルーシュの問いかけにスザクも柔らかく頷き、次いで、囁くような声音で淡々と述べた。
「解っているだろう、ルルーシュ。今の俺は君と同じだと」
「……だからこそ、説明は不要かと思ったんだが?」
「気付いているくせに、まだそんなことを? 理由に理由が必要なのか?」
 ルルーシュは目を閉じて軽く笑った。
「……まあ、そうだな」
 スザクの申し出を聞き入れたルルーシュは、細く吐息してからようやく語り出す。
「あれは単なる啓発だ。世界に自立を促すための……。支配する側は当然悪だが、人々は知る必要がある。体制に阿り支配に甘んじることも、また悪なのだと。支配者と被支配民という二分化の構図。身分格差が生んだ世界の歪み、既存の間違ったシステム。あれは、そういったもの全てに対する反逆でもある」
 スザクは先を促すように、更に台詞を繋いだ。
「支配を許すとはどういうことか、思い知る必要がある……?」
 ルルーシュは意図を集約してきたスザクの発言に「そうだ」と鷹揚に頷いてから、
「お前たちはそれでいいのか? という問題提起だよ。つまりはな」
 と、スザクに向かって簡潔に答えを述べてやる。
 おそらくルルーシュの物言いについて何か思い当たる節が自分の中にもあったのだろう。聞きつけたスザクは曲げた唇の端からふっと息を漏らした。
「……たった二人の学生に支配される世界か」
 背を屈めたまま俯いたスザクが低い声で呟く。吐き出されたそれは、紛れも無い自嘲だった。
 常のスザクらしくもなく、皮肉っぽい独白。自分のことを『僕』と呼んでいた頃には見られなかった姿だと思いながら、ルルーシュは笑んでいたスザクの口角が下げられていくさまをじっと見つめていた。
「それはそうだろう。だからいいんじゃないか。暴君だと一目で解るだろ?」
 ルルーシュはいかにも挑発的な口調で語りかける。
 しかし、酷薄そうに歪められた唇とは裏腹に、瞳の奥に見え隠れするものは紛れも無い愁い。対するスザクはというと、これもまた沈鬱そうな真顔だった。
 スザクがゆっくりと顔を上げてくる。偽悪に徹するルルーシュの姿を目の当たりにして、スザクもまた――。
 けれど、もう一度とようやく微笑んだその顔ですら、果てしない悲しみと苦渋の色に満ちていた。
 聞く者が聞けば正気とも思えないような話だが、生憎この二人は本気なのだ。
 スザクは悪辣な笑みを浮かべているルルーシュへと、落ち着いた声音で問いかける。
「隷属を望み、自己不在のまま追従したがる者も悪……。そういうことだろう? 君が言いたいのは」
「…………」
 真顔に戻ったルルーシュは、その問いには答えない。話すスザクを心持ち険しい目つきで眺めていたが、突然ついと視線を逸らした。
 スザクは構わず話し続ける。
「啓発というより挑発と言った方がわかりやすいとは思うけど……それも全て、反逆という括りに収めてしまうのか?」
「……そうだと言ったら?」
「やっぱり、君はガサツだ」
 スザクは軽く肩を揺らした。
 困った人だとでも言いたげな優しい口調。声音に滲む懐古の念。
 暫くの間、横目で咎めるような眼差しを送っていたルルーシュだが、やがて諦め混じりに嘆息した。 
 それ以上は何も言うなと牽制されていることに気付いていながら、スザクは尚も引こうとせずに言い募る。
「確かに楽だったよ、人に従っている方が。自分でありたくなかったのは俺も同じだ。今の世界と……」
「……………」
 ルルーシュは気まずい思いをどうにか抑えて黙り込んだ。もう一度手元のグラスに目をやってから、こくりと一口水を飲み込む。
 別に、どうしてもという訳ではないが――だから聞かせたくなかったのだ。
「今のが『理由を言わせたかった理由』か? スザク」
 ルルーシュが組んだ足のつま先を揺らしながら皮肉っぽく尋ねると、解っているくせにとでも言いたげなきつい視線が返された。
 スザクは左右にかぶりを振ってから、
「ルルーシュ、俺たちは共犯者だ。――だったら」
「秘密主義はもう終わり……そういうことだろ?」
 促されて答えたルルーシュはふんと笑い、、勘弁してくれとばかりに肩を竦める。
 スザクがたった今口にした台詞は、嘗て式根島でルルーシュがゼロとしてスザクへと突き付けた言葉だ。スザクは開き直りでも居直りでもなく淡々としているが、口に出せば例の過去について嫌でも想起させることになるだろうとは思っていた。
 とりたてて伏せようと思っていた訳ではなくとも、詳細については敢えて言わずにおこうと思っていたのもそのためだ。
 ルルーシュは仕方なく、フォローするかのようにぼそりと呟く。
「お前は、お前自身のルールに従っていただけだろう」
「そうだ、ルルーシュ。だから変な遠慮はいらないよ」
 渋面を作ったルルーシュに、スザクはここぞとばかりに告げてくる。
「そんなつもりじゃない」
 ルルーシュは居心地の悪さを誤魔化すように嘯くものの、スザクはどうやらまだ言い足りないらしい。
「俺が気付いていないと思っていたのか?」
「別に……そんなことは思っていない」
 歯切れ悪く呟いたルルーシュを見て、スザクは困った顔をしながらすとんと背凭れに寄りかかった。
「君は変わらないな」
「ああ。俺は俺だからな」
 強気な答えに「らしい」と思ったのか、スザクの口元がほんの少しだけ緩んだ。
 ルルーシュはまたも仕方なく話し出す。
「……もう随分と前のことだ。俺が『想いの力』などという、抽象的かつ曖昧なものを信じてみたくなったのは――」
 ルルーシュがようやく空になったグラスをテーブルへと下ろした。置かれたグラスの底が、ことりと音を立てる。
 表面に水滴の残るグラスの縁を、ルルーシュはそっと指先で辿っていた。グラスを撫でるルルーシュの指は男にしては華奢と表現してもいいほどの細長さで、時折見せる動作も酷くいとけない。
 けれども、それでいてルルーシュは人一倍貴かった。か細いその背中の上に、自分一人きりでは決して抱えきれないほど多くの命を背負いながら、今も尚。
 銃よりも鍵盤の方が良く似合いそうな白い指先は、まるで触れれば溶ける雪のような儚さだ。はらりと綻ぶ真白き花弁のようなルルーシュの姿を、スザクは無表情で見つめていた。
 ルルーシュが纏っている皇帝服の色と同じ、白のイメージ。その印象こそが、今在るルルーシュ自身の本質――心の内側に存在する核という、彼自身の高い精神性そのものを表していた。
 やがて、沈黙していたスザクはルルーシュから目を逸らして、
「とは言っても、君のことだ。そう昔ってほどでもないんだろう?」
 と、穏やかな声で尋ねた。
 ルルーシュはクスリと苦笑して、指先に付いた水滴を邪魔くさそうに弾いている。行儀悪く辺りに水しぶきを散らすそのさまを見て、スザクは珍しそうに眉を上げていた。
「そう、あれは……合衆国中華を進言した折のこと。天帝八十八陵での戦闘終了後だ。お前もあの場にいただろう?」
「ああ」
 向けられたルルーシュの視線に合わせてスザクが首肯する。ルルーシュはまだ湿り気の残る手を組み合わせ、自分の膝を支えに肘をついた。
 やや上体を屈め、余所へと向けられた眼差し。そして、組んだ手で覆い隠された口元。
 顔や胸の前を遮ろうとするのは心の内側を知られまいと構えている証拠だ。ルルーシュは、自分でもそのことに気付いていながら手を退かそうとはしなかった。
 その代わり、
「星刻と和解した時だ。人の想いを信じてみたい、見てみたいと、俺がそう思ったのは……」
 滅多に本心を吐露することのないルルーシュの言葉に、スザクは眩しげに目を細めた。
「人を信じないのは、子供の頃からの君の悪い癖だよ」
「…………」
 やんわりと指摘されたルルーシュは沈黙し、スザクがそれを破った。
「君は泣きたかったのか? ルルーシュ」
「―――!」
 瞬間、ドキリと胸が高鳴った。
 ルルーシュはハッとしたものの、硬直していると気付かれないよう体の動きを止めたまま何も答えず、表情も変えない。
 ただ、一度だけスザクを見遣ってから閉じた瞳をゆっくりと見開き、表した紫玉を下へと落としただけだ。
 そうして、考えた。
 もう二度と口にはしないと決めた想いがある。だから、心の中での線引きはどうしても必要だった。……けれども、それが思った以上に難しいのだ。
 今交わしている会話とて、本来ならば特に話す必要の無いこと。開示出来る範囲や限度などとっくに超えているようにも思える。
(もう充分なんだ。俺にとっては)
 識り合うことが出来た。変わり合うことも……。本当に充分すぎるくらいだと心から思えるほどに。
 ただ、『共犯者』となった者同士、決して振り返るべきではない過去がある。
 それを「もう要らない」と切り捨てる訳ではなくとも、スザクの気持ちを考えれば、心の奥底に触れるような会話を交わすのはなるべくならば避けておきたかった。
 言うまいと決めた想いがあるのなら、尚のこと――。
(否定するのは簡単だ。だが――)
 吐き出した溜息ですら聞き咎められはしないかと戸惑いながら、ルルーシュは結局、悩んだ末にぽつりと呟いた。
「……覚えていたのか」
「まあね」
「自分で忘れっぽくないと言うだけのことはあるな」
 そう言ってやれば、スザクは黙ったまま目元を和らげている。
 軍人としての影響というより、幼い頃から武道全般を極めてきた名残なのだろう。足を組んでいる姿など見たことはないが、一人掛けの椅子に浅く腰掛ける姿勢でさえもきちんと背筋が伸びていて、見るからに律儀そうな印象を周囲に与えている。
(迂闊なことを言うものではないな)
 そんな所もスザクらしいとぼんやり考えながら、ルルーシュは内心自省した。スザクの問いかけは、ルルーシュが潜伏中に何気なく口にした一言だ。
 ――まさか、こんなことを訊かれるなんて思ってもみなかった。
「お前やナナリー以外を、本当の意味で信じようとしたことなど無かったからな。俺は」
 スザクの姿を視界の端で捉えながらルルーシュが告白する。
 真の意味で自立から程遠いところにいるのだとルルーシュが悟ったのは、スザクとの別離を受け入れてからのことだ。
 身内と他人。……本当は、ギアスのことを詳しく知らされる以前から、ルルーシュの世界はいつだってそんな風に切り分けられていた。
 白か黒か。そこにグレーという選択肢は無い。
 自身ですら灰色となって溶け合うことをひたすらに拒み、ルルーシュの心は常に二極化され続けるばかり。そして、最後にはとうとう黒く染まり切ることだけを選んでしまった。
 懐へと招き入れることで、一旦身内だと判じた者以外を、決して心の深部まで迎え入れることも無く――。
(スザクは身内だった。ずっと)
 ルルーシュにとって、唯一の。その想いは今でも変わらない。寧ろ新たな関係へと創りかえることによって、より強くなったとさえ言えるのかもしれない。
 培われた経験の蓄積が人を象っていくというのなら、その生き方以外選べなかったなどと殊更悲劇ぶってみる必要は無いし、ましてや、否応無く人生に流され続けてきただけなのだと思うことにも意味などないのだろう。
 ルルーシュはもう、そんな風には思わない。……いや、思えなかった。
(選んだのは俺だ)
 悔いはある。慙愧に耐えない後悔の念が。
 しかし、安易に自己卑下へと走る醜悪を、ルルーシュの潔癖さは頑なに拒否する。
 時折立ち尽くすことがあったとしても――嘆き悲しむ心の内側を無視してでも、決して歩みを止めることなく進み続けてきたルルーシュ自身の過程こそが、何よりも明確に意思の在処を示していた。
 ただ、ルルーシュにとっては新たな形でやり直したいと願うことも、実際にやり直せると思えることも、今はもうこれだけなのだ。
 だからこそ、ルルーシュは振り返らないし自問もしない。
『大切なのは手段』
 スザクに言われたあの時に、立ち止まれる自分であったなら、などと――。
 自ら選ばざるを得なかったのがこの生き方でしかなかった事情を考慮するにせよ、それとて只の言い訳だとルルーシュは思う。
 幼い頃から、知らず頼り続けることで背負わせすぎてしまっていた。……例え、実際に助けて欲しいと口にしたのが、たった一度きりのことであっても――。
 長いこと物思いに耽っていたルルーシュが、やがて独白する。
「先に自立されていたことを受け入れられず、ずっと拒んでいたのは俺の方……。ただ、それだけのことだ」
 スザクが生真面目そうな顔をこちらに向けてくる。視線を感じてはいたが、ルルーシュは伏せた顔を上げることはしなかった。
「ルルーシュ」
「…………」
 スザクの呼びかけにも、ルルーシュはやはり俯いたまま答えない。――何を言われるのか、なんとなく察していたからだ。
「君は……。だから、この計画を?」
「馬鹿を言え」
 途端、ぱっと顔を上げたルルーシュは、ぎゅっと眉根を寄せてスザクを睨んだ。
「勘違いするな」
「………………」
 テーブルを挟んで斜めに向き合う二人は互いに譲ろうとしない。
 複雑な感情を胸の内で渦巻かせているのはルルーシュだけではなく、きっとスザクも同じなのだろう。膝の上で握られているスザクの拳に気付いたルルーシュは、不意に顔を歪めてそこから目を背けた。
 つい先程、ルルーシュが触れていたグラス。まだ水滴で濡れているその表面を見つめてから、スザクがゆっくりと唇を開く。
「安心しろ、ルルーシュ。君の覚悟を穢すつもりはない」
「……だったら何だ」
 ルルーシュが低く尋ねると、スザクは表情をぴくりとも動かさぬまま一度だけ瞬いた。
 それから、何を考えているのか全く読み取れぬ顔つきでルルーシュへと向き直り、そして言った。
「俺はただ、気付けていたのかと思っただけだ。君が泣きたかった本当の理由に……」
「――――!」
 ルルーシュはこれ以上無いほど大きく目を見開き、絶句した。
 僅かに仰け反らせた上体に震えが走り抜け、指先がすうっと冷えていく。
 だが、ルルーシュは二、三度ほど目をしばたたかせてからすぐに正気を取り戻した。
「よせ、スザク」
「ルルーシュ、」
「俺たちは『共犯者』だ」
 そうだろ、と目配せしながら、ルルーシュはスザクが短く名を呼ぶ声に覆いかぶせるようにして遮った。眉間に刻んだ皺を更に深めながらスザクをねめつけ、往なすようにわざと突き放す。
「ルルーシュ……」
 不意に、スザクの顔が悲しげに歪んだ。
「……っ」
 正視に堪えなくなったのか、息を飲んだルルーシュはそれきり力無く肩を落として項垂れた。スザクはそんなルルーシュの姿を見て眉を寄せていたが、噤んだ唇を真一文字に引き締めたまま続く言葉を辛抱強く待っている。
 一旦俯いたルルーシュは苦悶の表情を素早く無へと切り替え、毅然と顔を上げてからスザクと目を合わせた。
「スザク……俺は満足しているんだ、今の関係に。それに、まだ何も終わってはいない。これからだ」
 諫める響きで言い募れば、今度はスザクが握り締めた拳へと力を込めながら目線を下に落としていく。
 その途中、ちらりと上げられたスザクの瞳が捉えたものは机上のグラスだった。――但し、それはルルーシュのものではなく、スザクの前に置かれていたもの。
 スザクは名残惜しさを断ち切るようにそこから目を引き離し、そのまま黙り込んだ。
 ……一部始終をしかと見届けていたルルーシュの中で、痛ましい想いが疚しさへと変換されていく。
 ルルーシュは、今も尚変わらぬスザクの優しさをひしひしと感じながら思った。
 年月を経たところで変わらないものはある。表層的にはどうあれ、個人主義というスザクの根幹は変わっていなかった。
 それでも時の針は進み続け、常に変化し続けていく。――世界も、そして、人も。
 ならばきっと、スザクにとっては重荷でしかなかった筈だ。
『お前なら協力してくれるだろう』
 そうやっていつまでも自分、ルルーシュに乞われ、頼られ、甘えられ、そして心理的に依存され――まるで永遠を追い求めるように変わらぬ関係性をずっと求められ続けるのは……。
 ルルーシュはスザクの柔らかそうな癖毛をじっと見つめていた。こうしてただ見ているだけで、いつかこの手で触れた時の感触が蘇ってくる。
 こみ上げる何かを堪えるように大きく上下していたスザクの背中。それは今既に落ち着きを取り戻し、静かに沈黙を保ってはいたけれど――。
 やがて、スザクは暗く翳らせた顔をようやく上げてきた。凪いだその表情は細められた翡翠と同様どこか空虚さを帯びていたが、スザクは何を思ったのか突然ぽつりと漏らしてくる。
「君が俺の前で泣いたのは、三回だ」
 まだそんなことを、と思いながら、ルルーシュはスザクへと無言で非難の眼差しを送っていた。
「三回……?」
 それでも尋ね返したルルーシュに、スザクは「子供の頃を除けばだけどね」と補足のように継ぎ足してくる。
 再会してからのことを言われているのだと気付いたルルーシュは思わず「二回だろう?」と訊き返しそうになったが、寸でのところで思い止まり、反芻した記憶の中でその回数を数えた。
(あ……)
 思い当たるまでに、然程時間はかからなかった。
 何故か今までずっと二回きりだとばかり思っていたのは、去年のバースデーにスザクと会った時の記憶が抜けていたからだ。
 決して忘れていた訳ではない。覚えているし思い出せる。……すぐにでも。
 それなのに、ルルーシュは自分でもいっそ不思議に思えるほど自然に「二回きりだ」と思い込んでいた。
 きっと、のち二回の記憶があまりにも鮮明すぎたからだ。
 ……と、思い返したルルーシュは直後に打ち消した。
(違う)
 本当は――。
 ルルーシュは呆然としたまま眼前のスザクを見つめた。急速に現実感が遠ざかり、みるみるうちに過去へと立ち返っていく。
 意識的に避けてきた既視感。……それはまるで、白昼夢のような。
(そうだ。忘れていたんじゃない。俺は――)
 一年前のことでさえ、あまりに遠く。
 けれどルルーシュの明晰な頭脳は、こんな時でさえ勝手に結論をはじき出す。
 ルルーシュは辿り着いた自らの答えに愕然とし、くらりと世界が回った気さえした。

 ――忘れたかったのだ。耐え難い痛苦を伴う記憶だからこそ。
 だから無意識に追いやっていた。記憶の片隅へと。
 ……何故なら、ルルーシュにとってはあの夜こそが、スザクとの別離を決定的なものにしてしまった記憶だったのだから。

 ルルーシュは貪欲だった。――確かにその筈だった。
 どんなに酷い記憶も、どんなに凄惨な過去も、全ては自分自身のもの。
 知人、友人、兄、姉、弟、妹、両親、そして名も知らぬ人々。
 奪い続けてきた大勢の命。
 果ては、今この世界に渦巻いている悪意、憎しみ、怨嗟の声でさえも、全てがルルーシュのもの。
 そうなるよう望んだのも、仕組んだのも、今仕向けているのも、他ならぬルルーシュ自身だというのに。

(その俺が、忘れたがっていた? 手放したがっていた? それとも、逃れたがっていたというのか?)

 何故?

(そんなことは、ありえない。あってはならない)

 ――それなのに。 

「……ルルーシュ?」
 目の前でスザクが何か喋っている。すぐに反応しなければおかしく思われてしまう。
 ルルーシュは焦った。……けれど、意識が剥離していて実感が伴わない。
「ぇ――?」
 喉から漏れたものは、声というにはあまりにか細く、掠れた音だった。
 内側から湧き上がるものと、それを無理やり押し戻そうとする意識。
 ……その合間で、ルルーシュは目頭を手で覆いながら泣いている自分自身の姿を見たような気がした。
 心臓の動悸が早い。耳の裏に走る血管がドクドクと音を打ち鳴らしている。全身がかあっと熱くなり、その直後、血の気が一気に引いていった。
 ルルーシュはたった今見えたそのイメージをかき消そうと、スザクを見つめたまま数回瞬きをする。それで少しでも気を確かにすることが出来れば――そう思った。
「なんだ、スザク?」
 気付けば、ルルーシュは踏み込むだけで開く自動ドアのように答えていた。
 スザクは少しだけ不思議そうにしていたものの、気を取り直したように口元を綻ばせる。
「どうしたんだ? ぼうっとして」
「ん? いや……なんでもない」
 ルルーシュが平静を装ってかぶりを振れば、スザクは懐かしげに瞼を伏せてから呟いた。
「色々あったな。俺たちは」
「――――」
 過去を懐かしむその声も口調も、まるで昔話を語っているかのようだ。
 ルルーシュは答えない。というより、何も答えられなかった。
 その様子を傍で見ている限りでは、単に答えるのを拒んでいるようにしか映らないのだろう。スザクは凪いだままの顔に諦めの色を滲ませながら、それでもルルーシュの口を開かせようと質問を続けてくる。
「何を思い出していたんだ?」
 と、尋ねられただけでルルーシュの心臓はドキリと跳ね上がった。
 耳に響く優しいスザクの声。
 ルルーシュは、低く甘いトーンで話すスザクの声が好きだった。耳に心地良いその声は今も変わらずルルーシュの胸を打ち震わせ、高鳴らせ、惑わせ――そして揺さぶり続けている。
 負担を強いてしまうことは嫌というほど解っているのに、今すぐにでも全てを委ね、この心でさえも余すところ無く明け渡してしまいたい衝動に強く駆られてしまう。
 関係を新しいものへと変えた今でさえ、まだ。……未だに。
(やめろ)
 今の自分たちは共犯者であって、友達ではない。
 己にそう言い聞かせながら、ルルーシュはスザクに対して無意識のうちに「そうだな」と答えていた。
 けれども、鼓膜に届く自分の声は、何故か全く自分のものでは無いようにさえ思える。
 水底で聞く音に、よく似ている。ただそう思った。
 水中深く潜っている時のようにくぐもっていて、どこまでも静かで。――けれど。
(どうしてこんなにも遠い?)
 一足先に、ルルーシュが十八歳になった誕生日。
 今思えば、あの時が初めてだった。スザクと共に泣いたのは……。
 続く言葉を探す頭が、ルルーシュ自身の意思とは全く無関係に回転を続けていた。秒針やマウス音にも似たデジタルチックな音が聞こえてくる。そんな妙な錯覚にさえ陥りそうだ。
 ――やがて、心と連携の切れた頭は勝手に答えを見つけ出し、ルルーシュへと差し出してくる。
 ルルーシュは、いつのまにか唇を笑みの形そっくりに作り上げている自分に気付いた。
 スザクに向かって微笑しながら、ルルーシュは言う。
「ちなみに、お前は七回だ、と。そう思っていただけだよ」
「えっ……?」
 驚いたスザクが一瞬だけ大きく瞳を見開いた。その瞬間のみ、常の固さが剥がれ落ちている。
 まだ表情豊かだった頃の片鱗を、ルルーシュは確かに垣間見た。
 ほんの少しだけ覗く、懐かしいスザクの本質。一年前のスザクと重なるその姿を見て、ルルーシュの胸がズキリと痛んだ。
 ――こんな風に、頻りに在処を訴え続ける心がいつもルルーシュの邪魔をする。殺せるものなら殺してやりたいと幾度思ったか解らない。
 けれど、いつも死なないのだ。何度打ち倒しても、凍らせても、この心という厄介な代物は。
 スザクは緩んだ表情をすぐ元に戻した。取り繕った上でもまだ意外そうではあったが、スザクは仄かに苦笑しながら「そうだっけ?」と返してくる。
 ――涙が出るかと思ったが、出なかった。
(上出来だ)
 ぼやけた思考の何処かでそんなことを考えながら深く息を吐き出したルルーシュは、足を組み替えてからのんびりとソファに凭れかかる。
「お前は泣き虫だからな」
 不遜な調子でふんと鼻を鳴らしながら、ルルーシュはほとんど無意識に胸を反らしていた。
 そして、誰に聞かせるでもなく胸の内で呟く。
(俺は正気だ)
 意識は疾うにはっきりしている。……ほんの刹那、ぐらついていただけだ。
「そんなことはないよ」
 スザクは即座に言い返してきた。その負けん気の強さも変わらない。
 ともすればすぐにでも焼き切れそうになる神経を意思の力のみで押し留めながら、腕を組んだルルーシュは「そういうことにしておいてやるさ」と素っ気無く答えた。
 ルルーシュは、スザクからは見えない角度で自分の腕を強く握り締める。
 白く細長いその指先が、元々の白さを増すほどに強く。そして、よりきつく。
(馬鹿らしい。全く……どうかしているな、俺も)
 時計の針は、進めるためにあるものだ。
『歴史の針を戻す愚を、私は犯さない』
 自分が言ったことではないかと冷ややかに思いながら、ルルーシュは平然と前髪をかき上げた。
(スザクの泣き顔も、笑顔も、全て覚えているに決まっている)
 ゼロ・レクイエムの詳細について話した時。黄昏の間で話した時。枢木神社で問い詰められた時。ブラックリベリオンでブリタニアへと連行された時。どうして俺を頼らないのかとルルーシュが詰め寄った時。
 そして、一年前のバースデー。
 巻き戻した時計の針を、ルルーシュはすぐに元通りの位置へとリセットする。
(やはり七回だ) 
 内心、記憶力は悪くない筈なのに、お互い自分のことを差し置いて、相手のことだけはよく覚えているものだとルルーシュは呆れていた。

 まだテーブルの上に置かれている二つのグラスは離れたまま、けれど同じように透明な光を反射させている。

 しかし、ルルーシュはそれでも、被った仮面のひび割れる音にだけは、とうとう知らん顔を貫いた。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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