オセロ 第25話(スザルル)

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 ルルーシュは今、孤島で一人、穴を掘っていた。
 名も知らぬ島で夜を過ごすのは、これで二度目だ。
 あの時ルルーシュの傍に居たのはユフィで、離れたどこかで同じように夜を過ごしていたのはスザクとカレン。
 ……だが、今この島に生きている人間など誰も居ない。逝く順番が違うだろうと思いながら、素手で穴を掘り続けているルルーシュ以外、誰一人。
 ルルーシュが掘っているのは墓穴だった。黒の騎士団の造反。超合衆国CEO・ゼロの失脚。
 そのルルーシュを救ったのは、皮肉にも唯一の味方となったロロだった。
 物言わぬロロの躯は蜃気楼の中だ。まだ五月とはいえ、土を掘る道具一つ持たずに人一人を納める穴を掘っているのだ。流れる汗は滝のようだった。
 しかし、汗は流れても涙は出ない。……一滴も。
 ああまで酷く詰られたというのに、それでも心から慕う兄を救おうと自らの命を犠牲にしたロロの為に、流してやる涙の一粒すら持たぬのか。
 悪魔だからこそ、人の心など捨て去った鬼畜だからこそ、自らの為に流す涙はあっても、弟の為に流す涙は無いというのか。
 そう問われれば、残念ながら答えは否だった。
 ロロを酷く詰ったからこそ、彼の為に流す涙などあってはならない。……何故なら、ロロを殺してやりたいほど憎んでいた気持ちとて、ルルーシュにしてみれば本心だったのだから。
 本物の肉親でも無いルルーシュを慕い、たった一つの宝を尊ぶが如く崇め奉る硝子のような脆い心。それを完膚なきまでに打ち砕き、いつ命を奪ってやろうかと機を狙い続けてきた。
 本来ナナリーの居るべき場所を奪い、平然と成り代わって弟の座に居座り続けていた浅ましい偽者。疎ましい監視者。――そう思っていたのだって本当のことだ。
 それこそ、命を賭してまで兄としてのルルーシュを救おうとした姿を見る、その瞬間まで。
 守るべきものに縋る心理を理解出来ないルルーシュではない。それどころか、よく知っている。熟知している。……だからこそ、まるでもう一人の自分を見せ付けられているようで吐き気がした。
 心を許し切った笑顔を見せられ、甘えられるたびに、虫唾が走るとさえ。
 数奇な生まれは決してロロ自身の所為ではない。少なからず情はあった。だが憐れむ方が残酷だ。
 本質的に似た部分があると気付いたからこそ、余計にそう思った。
 ロロの居場所など、本当はこの世のどこにもありはしない。作ってやることさえも出来はしない。……例え、そう思いながら心の中で突き放し続けていた気持ちとて、偽らざる本心だったのだとしても。
(もしも生まれ変わることが出来たとしたら、ロロ。その時は、お前と――)
 穴を掘る手を止めてその場へとしゃがみ込んだルルーシュは、ほの暗い穴の底を見つめながら思った。
 誰かに対する愛を本物にするために、もう一方の誰かへの冷徹さを捨て切れない心理など、所詮、実際に愛する者を奪われた者にしか解るまいと。
 そう。あるいは、敬愛する主君を奪われたスザクなら――。
(これでまた、俺の名を呼ぶ者が一人消えてしまったな)
 立ち上がったルルーシュは覚束ない足取りで歩き出しながら、また同じことを考えていた。
 いつぞやに思ったことと、全く同じことを。
 ……だが、そのいつかとは、一体いつのことだったのか。
(何度も何度も同じことばかり繰り返し続けて、俺は一体何がしたい?)
 墓の上に立てる十字に出来そうな棒切れを探しながら、ルルーシュはいっそ不思議なほどリンクし続けている過去と現在を思ってひとりごちた。
 哀惜に暮れているようでありながらも、その表情は黙然としている。凪の如き静けさを侍らせた瞳だけが、ただ夜闇に霞む森の奥をひたと見据えていた。
 一歩進むごとに、さく、さく、と鳴り響く足元。かき分けられた草むらの立てる音でさえ、今はどこか遠い。
 自分が自分であり続ける限り、人は同じことを繰り返してしまうものなのかもしれない。
 勿論、全ての者が同じ道ばかり歩むのだとは思わない。それでも、よくよく業の深い、罪深い存在だと、まるで他人事のようにそう思う。
 意識はある。実感もしている。けれど、心だけが剥離していて無感動でもあった。
 こういう感覚を、離人とでもいうのだろうか。
(防御している? 無意識に?)
 だとしたら、何から……?
 悲哀。哀悼。そんなものを感じ、捧げる自由など許されていいとさえ思わない。守るべき唯一の存在を死の闇へと追いやっておきながら、この身にそんな自由など。
 まだ何も終わっておらず、始まってすらいない。
 生きる理由と仰いだ最愛の妹ですら喪った現状。孤島というより地の底だ。
 迷宮のような森の中で、ルルーシュは声も無く立ち竦んだ。月の光でさえ届かない森の中は、真の暗闇。それなのに、何故か怖いとさえ思わない。
 ……当然だ。肉体の死ですら凌駕するほどの恐怖など、疾うに経験済みなのだから。
(この期に及んで恐れるものなど、俺には何一つ在りはしない)
 例えどれだけ多くの絶望をかき集め、失意の果てを極めたとしても、人は生きながらにして無の境地になど辿り着けない生き物なのだろう。
 夜闇に目が慣れていく。絶望に慣れるのと同じように。
 だから、人に行き着くことが許されるのは、孤独さえ通り抜けた先にある虚無までだけなのだ。
(だが、俺が其処に行き着くのは、まだ先だ)
 やるべきことが残されている。あと一つだけ。その為に永らえた命だと言ってもいい。
(C.C.はどうしているだろうか。学園の皆は……)
 せめて安否だけでも確認してやりたいが、墓を作る方が先だった。納める棺も無い以上、遺体が腐乱し始める前に埋めてやらなければならない。
 蜃気楼のエナジーはほとんど残っていない。限界まで飛ばし続けて辿り着いたのがこの島だ。
 だが、それさえも幸いだと今は思った。涙さえ流してやれない以上、せめて墓だけは自分の手で掘ってやることが出来るのだから。
(涙ごときで済むというのなら、その方が余程簡単だ)
 不甲斐ないこの兄の、安い涙でいいというのなら。
 もしかするとロロなら、それでもいいと言うかもしれない。自分の為に泣いて欲しいと望みさえするかもしれない。
 それとも、自分の為になど泣かないでくれと言われてしまうだろうか。健気で、どこまでも一途な弟だったから……。
 出会い方さえ違っていれば、もっと愛してやることが出来た。飢え切った心を満たしてやることだって。
 ――けれど。
(いずれにせよ不要な感傷だ。今の俺には)
 ユフィを殺し、スザクを裏切り、裏切られ、シャーリーを死なせ、C.C.に続いて最愛のナナリーをも喪い、黒の騎士団も失くし、カレンも突き放し……そしてロロも逝った。
 その他にも大勢の人間を手にかけ、破壊と殺戮の限りを尽くしてきた呪われし皇子。――それがルルーシュだ。
(もう誰も、俺の名を呼ぶ者など居ない。……居なくなる)
 たった一つだけ残したこの名の意味すら失い、存在価値ごとこの世から永遠に消え失せる。
 それが運命だったというのだろうか。あるいは宿命?……どちらであったにせよ、もう構うものかとルルーシュは思った。
『王の力は人を孤独にする。その覚悟があるのなら』
 ギアスを手にした時点で、その力を他者へと向けた時点で、何もかもを失い、最後には一人きりになる。
 全て解っていたことだった。
(だからこそ、今までの己の所業に後悔などしていないと言えなければならない。俺は……)
 でなければ、悪魔と成り果てても尚、まだ残るこの心が許しはしない。決して。
 後はあの憎むべき男――皇帝を始末するだけ。ルルーシュに出来るのはそこまでだった。
 混迷を極めた世界の情勢。引き金となった責が自分にもあることなどルルーシュとて解っている。だが、その責を全て贖うことなど、もう出来ない。
 但し、こうして無様に生き残ってしまった今、何一つやり遂げぬまま死ぬ訳にもいかなかった。
 誰かから「お前にはまだやるべきことが残されているだろう」と諭されたのも、初めてではない。
 常に、誰かに支えられて生きてきた。何度も命を救われ、心を支えられ。
 そんな他者からの善意があったからこそ、今がある。……だからこそ。
(俺には、安易に死を選ぶことなど許されないんだ)
 たった一人きりになった今、ルルーシュは本当の意味で多くの命を背負って生きていることを急速に実感し始めていた。
 俺なんかを庇って死ぬことはないと、ロロに言った言葉も本当だ。
 けれど、幾らこの命の重みが限りなく軽いものだと知っていても、他者を犠牲にして生き延びてきた以上、せめて価値でも与えてやらねば逝った者たちに対する申し訳が立たない。
 それこそ、奪ってきた生命に対する冒涜というもの。
(ロロも、シャーリーも……そしてスザクも。俺を助けようとした者たちは皆、すべからく不幸に陥ったというのに)
 ――こんな命を、庇った所為で。
 鬱蒼とした森を抜けたルルーシュは、拾ってきた二本の棒を傍らに置いてから崖の先を見渡した。
 とっぷりと暮れた空の色同様、海もまた深い紺碧の色合いに染まっている。
 ただ、天高く広がる星々の煌きだけが、酷く目に眩しかった。
 ルルーシュは何となく辺りを見回してからその場へと座した。ロロの遺体を包む為にマントを使っているので、冷えた体を覆うものは何も無い。
 土に汚れた手も、汗に塗れた体も、何一つ食物を入れられぬまま頻りに痛みを訴えてくる胃も、何もかもどうでも良かった。
 することが何も無ければ眠ればいい。そうは思えど、眠りに就くことさえ出来ないとは。
 冴えたままの瞳を緩やかに瞬かせながら、悪魔とはそれ即ち、災厄そのものだとルルーシュは思っていた。
(俺のような者にこそ相応しい、うってつけの呼び名だ)
 スザクが撃ったフレイヤによって命を落とした人間は、総数にして約三千万人以上。
 エリア11の首都であるトウキョウ租界は完全に機能を失い、一個の都市としては死滅したといっていい。
 フレイヤとは、北欧神話に登場する女神の名だ。戦乱を司る最高神オーディンの妻であり、戦死者を自分の配下に変える残酷な女神。
(命名したのはシュナイゼルか。ニーナではないな)
 今のルルーシュにとって干渉するだけの余地など既に無いが、この先フレイヤは量産されることになるだろう。
 シュナイゼルが騎士団本部へと直接乗り込んできた理由とて、元々は一時的な停戦交渉を兼ねてのこと。
 枢木神社で交わしたスザクとの会話は聞かれていた。だとしたら、あの場に居合わせたシュナイゼルの耳にも当然入った筈だ。
 スザクのランスロットにフレイヤを搭載させるよう命じたのも、恐らくはシュナイゼルの差し金に違いない。
 嘗てルルーシュがスザクに託した願い。『生きろ』と命じたギアス。
 それを知ったシュナイゼルはルルーシュの心理を読み、スザクとの対立の図式を利用したのだろう。
 スザクは恐らく撃たない。いや、戦略的な虐殺を良しとしないスザクが撃てないだろうと判断した上で、敢えてギアスの効力を逆手に取って暴発させる。
 同時に、ギアスというカードを使ってゼロ――ルルーシュという駒の足場を崩壊させて盤上から廃し、フレイヤによって日本開放戦を終結させるというシナリオ……。
 あのギアスは、スザクに人を殺させる為にかけたものではないというのに。
 ――だが。
(結果的には、俺がやらせたようなものだ)
 またスザクに辛い思いをさせてしまった。背負わせてしまった。父殺しだけではなく、より重い罪を。
 スザクは今どうしているだろう。何を考え、何を感じ、どんな顔をしてこの空を見上げているのか。
 嘗てルルーシュが『生きろ』と命じ、何があっても死なせたくない、殺したくないと願ったスザクは今、どこで何を想っている――?
『ルルーシュ。君はゼロか?』
 不意に、電話越しに聞いたスザクの声が蘇った。
 遂に訪れたタイムリミット。束の間に見た、幸せな夢の終わり。
 スザクから突きつけられた質問へと正直に答えることだけが、あの時のルルーシュにとって示すことの出来る唯一の誠意だった。
『場所は枢木神社。……二人っきりで、会おう』
 スザクとの通話はそこで途切れた。
 アラームと同時に終了する悪夢ではなく、生憎ながらの現実。元々バレるのは時間の問題だったと解ってはいたものの、まさかあんな形で明かすことになろうとは。
 水面を緩やかに流れていったオレンジ色の光を、ルルーシュは思い出した。
 ユーフェミアの名を刻んだ蝋の船。追悼施設として建造された霊廟を後にした時、心の中での区切りは済ませたつもりだった。
 勿論、スザクとの別れも。……もう、ここに未練は無いと。
(思い出した)
 スザクとの通話を終えた時だ。「これでまた一人、俺の名を呼ぶ人間が減ることになるのか」と思ったのは。
 シャーリー、C.C.そしてスザクでさえも、そうなるのだろうかと。
『俺がゼロだ』と名乗ってから呼びかけたルルーシュを、スザクは敢えてゼロと呼んできた。
 ジェレミアとの交戦で負傷した咲世子は一応回復していたが、シャーリーの葬儀には間に合わなかった。特区日本の件以降休学中とはいえ、スザクは当然参列した筈。
 遺跡の中でCの世界へと飛ばされていた間も、クラブハウスは当然もぬけの空だ。嚮団殲滅作戦に同行したロロは勿論のこと、咲世子も、そしてルルーシュ自身も其処には居ない。
 スザクとの通話と入れ替わるようにして届いた一通のメール。――リヴァルからだった。
 シャーリーの葬儀後、どうやらスザクがルルーシュを探していたらしい。それも、血相を変えて。
 何度かけても留守電のままだったことに業を煮やしてのメールだったのだろうが、タイミングの悪いことに、残念ながら完全に後手へと回ってしまった。
 イケブクロでスザクとシャーリーに会った時にはどちらが先に呼び出したのか判然としなかったが、記憶回復していたことを考えれば、スザクを呼び出したのはシャーリーだ。
 恐らく、父の仇であるルルーシュ――ゼロのことを、スザクに伝えるつもりだったのだろう。錯乱して飛び降りようとしたシャーリーを、ルルーシュが身を挺して救おうとするまでは。
 次に蘇ったのは、シャーリーの言葉だった。
『ルルは一人きりで戦っていたんだね』
 ……これは、スザクがルルーシュの味方ではないと気付いていなければ出てこない台詞だ。
(俺と別れた後、スザクと話したのか)
 シャーリーは銃を携帯していた。ルルーシュを守ろうとしていたのか、それとも護身の為か。恐らく前者だろう。
 後者であれば、わざわざ厳戒態勢の間を縫ってまでルルーシュの元へと駆けつけてくる筈など無いのだから。
 銃に付着していた指紋から自殺と断定されたようだが、幾らシャーリーに隔意を抱いていたロロとて嫉妬だけでは殺すまい。
 ルルーシュの味方かどうかロロに尋ねたからこそ、記憶が回復していると気付かれて殺されてしまったのだ。
 ……そして、あるいはスザクにも同じように尋ねていたのだとしたら、スザクはシャーリーの記憶が回復していることにも気付いた筈だ。
 エリア11へと戻る前、最悪、スザクはルルーシュが口封じの為に自らシャーリーを手にかけたと考えている可能性さえあると思ってはいた。
 葬儀にすら出ていないのだから疑われるのも無理はないが、姿を見せないルルーシュを探してクラブハウスにやって来たとまで聞かされてしまえば、その怒りようなど改めて聞くまでも無い。
 ユフィの件に重ねてシャーリーの死。彼女が自殺などする筈が無いと思ってこその行動。
 形振り構っていられなくなったスザクの心情は想像に難くない。シャーリーの死に責任を感じて追い詰められたがゆえに、スザクは単身、直接ルルーシュを問い詰めるつもりで乗り込んできたのだろう。
 憤激したスザクの怖さをよく知っていたルルーシュは、ナナリーを守るという約束への期待とは裏腹に、心の底から震撼してもいた。
 記憶を失ったC.C.を放置したまま司令室の椅子に力無く座り込み、成す術もなく頭を抱えていたことを思い出す。
(確かその時にも、やはり一年前と同じことを考えていたような気がするがな)
 お前はまた嘘を吐いたと、責められるだけならばまだいいと。
 組んだ両腕で顔を覆いながら、ルルーシュは自嘲した。
 愛憎に駆られていたスザクを受け入れると決めた時から解っていたことだ。……後悔など、するに決まっているのだと。
 最後の賭けとして、スザクが打ち明けてきた八年前の秘密。幼少時よりずっと向けられ続けていた純度の高い愛情。
 その二つをもってしても、スザクに縛られ続けてやることなど出来はしないと知っていた。既に再開していた反逆を止めるつもりはないと、心に決めるだけの理由があったのだから。
 どうしても取り戻さねばならない存在がいる以上、立ち止まる訳にはいかなかった。
 心の底で、どれだけスザクとの別れを惜しんだか解らない。愛していることも本当だった。
 それでも、三度に渡って、結局スザクを切り捨てたことは事実だ。だからこそ、地べたに這い蹲って頭を下げもした。
 自身のことながら、なんたる醜態。
 齎された結果を思うだけで、あまりのみっともなさに呆れてしまう。
 騙されていたと知ったスザクの怒りは激烈だった。真実を明かせと問い詰められ、土下座した頭を足蹴にされ、胸倉を掴んで突き飛ばされ――その挙句、待っていたのは再びの裏切り。
 今まで『ゼロ』と『ルルーシュ』を分けたがっていたスザクだ。敢えて学園の制服に身を包んだ『ルルーシュ』として姿を現したことも怒りの火に油を注いだ一因だっただろうが、あれは『ゼロ』としてではなく『ルルーシュ』の頼みでなければならなかった。
 何故なら、スザクに嘘を吐いたのは、他ならぬ『ルルーシュ』なのだから。
 しかし、『もう一度、君と――』そう言って伸ばされた手でさえ嘘だった。
 ルルーシュを捕らえる為の、只の策略。
 頼るべきではなかった。最初から考慮し、弁えておくべきだったのだ。敵としてのお互いの立場を。
 それでも、嘘ではないと思いたかった。嘗て語られた愛も、その想いも、信じていたし信じ続けていたかった。
 理由が何であれ、ルルーシュは結局、自らの情に負けたからこそ破滅したのだ。
 何度も傷付けておきながら自分の都合だけでスザクを頼り、一方的に縋るこの身勝手さを許して欲しいと、心の底から詫びてもいた。
 一瞬、想いが通じたと喜びさえしたのだ。……たった一発の銃弾によって、向けた信頼が引き裂かれたのだと知るまでは。
 どんな謗りでも受けるつもりでいた。例えその全てが真実ではなかったとしても、そして、こちらが信じるだけならともかく、信じて欲しいなどとは口が裂けても言えはしないと解っていても。
 けれど、寄せた信頼は手酷く裏切られ、それまで抱いていた真摯な気持ちなど霧散してしまった。
 嘗て二人で抱き合いながら、殺したくないと涙ながらに思った気持ちでさえ。
 ルルーシュがスザクの前で涙を流したのは、あれが二度目だ。
 その瞬間、暖かな想い出の地であった筈の枢木神社は……幼い頃三人で過ごした緑の境内は、ルルーシュにとって最も忌むべき地へと成り下がったのだった。
 あんな形で――ルルーシュにとって一番許せない形で裏切られるなど、誰が想像するものか。
 だからこそ、蓬莱島司令部へと帰り着いたルルーシュは、来るべき日本開放戦――第二次トウキョウ決戦にて、スザクを討つと心に決めたのだ。地に顔を擦り付けた時の泥の跡と、乾くことの無い涙の跡を頬に残したまま……。
(だが、あいつはきっと、もう笑わない。笑えなくさせてしまった。この俺が)
 組んだ両手から、乾いた土が降ってくる。汚れた自分の手を見つめていたルルーシュは、一年前、絡めたこの手に頬を寄せながら、泣き笑いのように寂しげに微笑んだスザクの顔を思い出した。
 あの時、愛しくも尊いものに触れるような恭しさで、スザクはルルーシュの手に触れたのだ。……この、血に染めてしまった悪魔の手を、そうとも知らずに。
(我ながら記憶力の良いことだ)
 ほんの一年前のことなのに、こうも遠い記憶のように感じるとは。
 たった今目にしたスザクの笑顔は、きっと脳裏に焼き付いたまま、永遠に消える事は無いだろう。
 寧ろ、一生覚えていようとさえ思っていた。
 あれだけ痛烈な目にあったというのに、懲りていないとは正にこのこと。未だに未練たらしく忘れられずにいるとは、一体どういう了見か。
(これではまるで、人間だ)
 煩悶するからこその人間か。
 それとも、欲と煩悩に塗れているからこその悪魔なのか。
(馬鹿か俺は。一体何人殺してきたと思っている?)
 ルルーシュは己に自問した。今更罪悪感を抱くとは、煩わしいことこの上ない。
 紛うことなき真性の魔性でありながら、何故か完全に凍り切ることのない自身の心。
 全てを失くした今も尚、消し去ることのできないスザクの笑顔。
 消えない。消えてくれない。……どうしても。
(俺の所為だ。ユフィのことも、シャーリーのことも。そしてナナリーのことも)
 例えギアスのことがあったとしても、自分にさえ関わらなければ誰も死なずに済んだ。不幸な最期を遂げることなど無かった。
 それだけは間違いない。
(結果的に、俺が殺した。――誰も彼も)
 これも皮肉なことに、今のルルーシュと同じ思いを味わい、知っていると言える者もまた、多分スザクだけなのだった。
 生きることに理由が必要な者の苦しみと、守るべき対象を失った者の孤独。
 地獄の業火に身を焼かれるよりもまだ辛い、肉体の死ですら凌駕するほどの、喪失の恐怖。
 それらを全て、経験しているのも……。
(恨まれ、憎まれているだけならば、まだ良い)
 空と交じり合った水平線の彼方を見つめながら、ルルーシュはもう何度も繰り返し思い続けてきたこととは少し違う言葉を、心の中で呟いた。
 裏切られたと知っていても、まだ心のどこかで信じる気持ちを捨て切れていないのは、今でも思い出そうとすれば易々と蘇るスザクの声のせいだった。
 スザクが紡いだ言葉の数々。愛していたように見せかけていた。何もかも単なる策略の一環でしかなかったのだと、一時は信じた。
 それなのに、何故言えない?
 抱き締めてきた腕も、愛していると幾度も囁かれた言葉でさえも、全て嘘だったのだと。何故そう言い切ることが出来ずにいる?
 あまりにも愚かで滑稽だ。交し合った想いですら否定したのはスザクの方だと解っているのに、蘇るスザクの声こそが裏切りを否定し続けるこの矛盾。
 演技とは到底思えないほど真に迫ったあの告白――八年前の悲劇について語られたスザクの想い。
 もし、それだけは嘘でなかったというのなら、スザクは今頃酷く悔やんでいることだろう。
 同情を求めたのではなくとも、話すまいと思って隠し続けてきた秘密でさえ無駄にされ、きっと、以前とは比較にならないほどの激しさで憎んでいる。
 愛する者を……守りたいと願った者を、二度ならず三度までも奪ったルルーシュ自身のことを。
(あいつは穢らわしいと思っているだろうか。俺のことを)
 ここへと至るまでの二人は、騙し合い、裏切り合いの連続だった。
 ルルーシュと体を重ねたことも、愛し合ったことでさえも、今のスザクは恥じているだろうか。
 一年前よりも更に激しく、過去の自分がルルーシュへと抱いていた想いでさえ、疎んじているのだろうか。
(それでもいい)
 潰れた心臓が上げる悲鳴など、聞きたくもない。
 全ての思考を追いやるように、膝を抱えて小さく蹲ったルルーシュは固く瞼を閉じた。
 過去を取り戻すことなど、誰にも出来はしない。――ただ、スザクを傷付けたくなかった。もう、これ以上。
(スザク。俺の夢は、叶いそうにない)
 青空の下で。スザクの傍で。……そんな夢など。
 学園の者たちと交わした約束も、無論果たされることは無い。
『いつかここで、また皆で花火を上げよう』
 よく言えたものだとルルーシュは再度自嘲した。
 どんなに激しい怒りも、どんなに深い憎しみも、元を糺せば全て、その原点は「悲しみ」から始まっている。そして、その悲しみこそが、世界にとって何よりの災厄なのだ。
 だからこそ、終わらせなければならない。役目を終えれば消し去らねばならない。
 最後には必ず、この不毛な生を。命を。
 世界に悲しみを撒き散らすことしか出来ぬ、災厄そのものとしか言いようの無い、自分自身の存在ごと。
 雷に打たれたように、ルルーシュは唐突に気付いた。
 心が無いから悪魔なのではない。
 心が在りながら、悪を重ねることしか出来ないからこそ、真の悪魔なのだと。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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