オセロ 第10話(スザルル)
10
自分が笑われたと思ったのだろう。スザクは複雑そうに眉を顰めながら上半身を起こした。
勿論、ルルーシュの手首を掴む手だけは離さずに。
「変な夢見たからって、変態呼ばわりするみたいな言い回し使うの止してくれないかな。それに、あまりこういう事言いたくないけど、君だって似た様な夢見たんだろ?」
あれだけさらりと言い放っておいて、今更ばつの悪そうな顔をしなくても良さそうなものだが。
幾ら空気を読まないスザクでも、さすがに嫌味が通じない訳では無かったらしい。
「言いたくないなら言わなければ良かっただろ。その話なら終わりだと、さっき言った筈だが?」
ルルーシュはふん、と鼻を鳴らしながら口を返した。
しっかり握られたままの手首へと目をやり、無言の抗議を続けてみる。こんな風に無理矢理暴かれるのが趣味ではない事くらい理解しているだろうに、つくづく強情な男だ。
「続いてるんだよ。君は嫌かもしれないけど。僕も話したんだから、君にも話してもらうよ。言っただろ? きちんと言うまで離さないって」
「ふ……それも込みなのか」
「嫌とは言わせない」
一度言い出したら聞かない事は解っていたが、こと、対象が自分に設定されたとなると、これ程厄介な相手もいない。
オレンジ事件の事を思い出し、ルルーシュはうっそりと自嘲した。
「スザク……。俺は、命令されるのは大嫌いなんだよ」
お前と同じ様に、と続けようとしたがやめておく。
この件に関しては、以前に一度失言しているからだ。
「これは命令じゃないよ。約束だ」
「成程? それはいい答えだ。……お前は、自分が干渉される事は拒むくせに、俺には干渉するんだな」
手首を掴むスザクの手がビクリと痙攣した。
明らかに動揺した瞳を真っ向から捉え、ルルーシュは今スザクが言われたら最も困るだろう事を敢えて口にする。
「心配も度が過ぎれば只の過保護だろ。夢の中でまで縛り付けておかなければ気が済まない程、お前が俺を案じている理由ってのは何なんだ?」
納得のいく答えが返ってくるとは最初から思っていない。散々不意打ちを食らったのだ。返答次第ではこちらも対応を変えていかなければならないだろう。
話してしまえば歯止めが効かなくなる程の、一体何を腹の底に仕舞っていたと言うのか。
先程聞いた時は単に夢の内容に関する話だとばかり思っていたが、案外そうでもないらしい。
(お前が俺の何を知りたがっていたのか。口に出した以上は説明してもらうぞ、スザク)
予め何通りかの打開策は用意してある。……その為に、わざわざ日頃から不真面目ぶりを強調していた様なものだ。
「……僕は、」
「言えないのか?」
体勢的に見下ろされる形になっているからといって、そう易々と主導権まで握らせてやるつもりはない。逆にこちらが睥睨している位の心持ちで追い討ちをかける様に尋ねてやれば、言葉を詰まらせていたスザクの瞳がふっと翳った。
「………?」
「僕は――君には、僕と、同じになって欲しくないんだ」
迷いながらスザクがおずおずと口にした台詞に、ルルーシュは柳眉を顰めた。
(同じになって欲しくない、だと? どういう意味だ)
それは、たまに見かける表情だった。
がらんどうで、底なしで、真っ黒な穴ぼこの様なスザクの瞳。
頑なな無表情とも質の異なる、まるで能面の様な。
(何故そんな顔をする?)
時折目にするスザクのその表情が、ルルーシュにはたまらなく不快に感じられた。
(お前は望んだ道を歩いている筈だろう。自分で納得して選んだ道を進んでいるんじゃないのか? 俺達とまた会えて嬉しいとお前は言っていたじゃないか。だったら、何故そんな顔をする?)
今の世を憂えているからか。決してそれだけでは無いだろう。
辛い事なら沢山あった筈だ。学園に転入してきてからだって、謂れ無き差別や偏見から、何度も嫌がらせを受けていた事も知っている。
スザク自身が口で言う程、決して幸福なんかじゃない事も。
(だからこそ、俺はお前を守ろうと思ったんだぞ!)
生徒会に入れるよう口添えした事だって、騎士団に勧誘した事だって、元はといえば全てその想いがあったからこそだ。
……それなのに。
「俺は、お前が思っている程脆弱でもなければ惰弱でも無い。俺とお前、例え能力の質は違っていても、俺は、お前とはあくまでも対等な関係でありたいと思っている。……はっきり言うが、俺はお前に監督されたり守られたりしなければならない程、無力な存在じゃない」
「…………」
言い切った瞬間、スザクは放心した様に薄く唇を開いたまま、ぱたりと手首を離した。
繋がれた糸がふっつりと途切れる瞬間を現実とも思えず眺めている様な、最後通牒を突きつけられた者の顔。
少なくとも、ルルーシュにはそう見えた。
今の俺をこいつは見ていない。深く関わる事を拒んでいる。本当は興味関心すら薄く、全くの他人よりは近しい程度の付き合いに留めておこうと考えている……そんな風にさえ、感じていたのに。
(思えば、こいつは昔からそうだったな)
スザクに対して感じていた通り、心の内側で一線引かれていたのは事実だ。
けれど、こちらの及びも付かない深さで想われていた事も、また事実なのだ。
『理由の無い善意は信用出来ない』
嘗て、ルルーシュはその言葉を盾に、スザクから向けられた無償の好意と善意を頑なに拒んだ。
それでも。
『理由が無ければ、守ってはいけないのか』――幼少の砌、スザクは確かにそう言ったのだ。
そんなスザクだったからこそ、余計傍に置きたいと願った。
例え、どんなに汚い手段を使っても。
それなのに、今のスザクはこうして泣き言の一つも言わず、愚痴も零さず、ひたすらストイックに軍務という名の規律に身を捧げ、自分自身を誤魔化してまで、騙してまで、磨り減らしてまで、幸せだと言い張っていなければ生きていけないというのだろうか。
(お前は修道者にでもなったつもりか! それは欺瞞だ!)
スザクの抱えている矛盾がはっきり見える。存在軽視も甚だしいスザクの傲慢に、再びルルーシュの中でどす黒い怒りが湧き上がった。
自分は物では無い。そしてスザク自身も。
望まれるまま、ただ大人しく守られるだけの存在になどなってやるものか。
(何の為に、今お前の傍に俺が居ると思っているんだ!?)
何故軍に入ったのか。何故中から変えていきたいなどと無謀な事を考える様になったのか。
そもそも、ここまで性格が激変した理由は何なのか。
(お前との間に感じる壁の正体。それは、お前自身にも解らない事なのか? スザク!)
今のスザクを見ていると、どうもそんな風に思えてならない。
時々表情が抜け落ちている理由も、やんわりと拒絶されている様に思える理由も、スザク自身には答えられない事なのだろうか。
もっと解り合いたい。――そう、望んでは、いけないのだろうか。
「スザク」
「―――……」
何を口にしたつもりなのだろう。声にもならない掠れた音を発したスザクは、僅かに上下するだけの唇を震わせながら抜け殻の様に座り込んでいる。
――七年前、たった一人きりで、戦火の中に置き去りにしてきてしまった子供の姿がそこにあった。
「お前は、どうして俺を頼らない?」
「……え?」
スザクの言葉を待たず、ルルーシュは衝動の赴くまま口火を切った。
平時ならば、想いをそのまま口に乗せるような事などしない。だが、元々激情家である以上、理性によってどんなに強力な枷を施してあったとしても、箍が外れる瞬間はある。
「離れて暮らしてきた間、お前に何があったのか俺は知らない。どんな風に暮らしてきたのか、何を思い、何を感じ、どんな苦しみを抱えて生きてきたのか。……辛い事なら山程あっただろう。苦しい事だって、悲しかった事だって! それなのに、何故お前は俺に何も話してくれない? 今だって、苦しんでいる事があるなら何故言わない? 何故だ!? 友人とは、本来そういうものだろう!」
「………!!」
スザクの顔がくしゃりと歪んだ。
打ちひしがれ、愕然としているのが解る。
しかし、今ここで言っておかなければ、きっと何か取り返しのつかない失敗を犯してしまう。……失ってしまう。
(何を……?)
解らない。
けれど、ルルーシュは逸る心のまま躊躇せず言い募った。
「それとも、お前にとっては違うのか? 俺は……」
まるで、たった一人きりでこの世に生きると決めてしまったかのように、いつも遠くばかり見ているのは何故なのか。
傍にいるのに傍にいない。そんな風に、遠く感じてしまう理由は何なのか。
「俺は、お前の友達なんじゃなかったのか?」
スザクがさっき自分でそう言ったのだ。『友達なのだから、聞く権利が無いとは言わせない』と。
「ルルーシュ……」
「……?」
「ごめん、ルルーシュ……ごめん」
何かを恐れる様なか細い声で、スザクは何度も頭を振りながら同じ言葉を繰り返し始めた。
「そうじゃない……そうじゃないんだ。違う、そうじゃ……!」
「!?」
スザクの様子が豹変した。混乱しているのだろうか。
「おい、何呆けてる!」
スザクの瞳は焦点を失い、虚空を彷徨っている。
眼前の何物をも映していないその瞳を見た瞬間、反射的に「駄目だ」と思った。
(くそ……! 尋常じゃない!!)
ひきつけを起こした様に浅く荒く呼吸しながら、スザクは許しを希う様に見開いた眼に薄く涙の膜を張りつけながらガタガタと震えている。
「おい……!!」
あの雨の日を思い出す。
こうして我を忘れたスザクの姿は、ずっと昔にも見た事があった。
(失敗した!)
これ以上立ち入れば、スザクを壊してしまう。
スザクの恐慌は、嘗て部屋を滅茶苦茶に荒らしていた頃のナナリーの姿に通じるものがあった。
まさかとは思うが、何らかの精神的外傷でもあるのだろうか。山と積まれた死体の間を通っても理性を保っていられた自分と違って、スザクは多分、もっとナイーブだ。
「あ……。ル、ルルー、シュ……」
「もういい、何も言うな! 俺が悪かった」
肘をついて体を起こし、背中を摩りながら「無理して話さなくていい」と伝えてやれば、瘧の様にガクガク震えていたスザクは、暫くしてからようやく正気を取り戻した。
「大丈夫か?」
「…………っ、ルルーシュ!!」
起き上がって尋ねた瞬間、縋る眼差しを向けてきたスザクにいきなりがばりと抱きすくめられ、ルルーシュは声を失った。
「なっ……!? ス、スザク!? おい!!」
「ルルーシュ、約束して」
「……!?」
「危ない事はしないで。お願い。お願いだから……」
「………………」
まだ震えの止まらないスザクの背に手を置いたまま、「お願い」と必死で繰り返す声を呆然と聞いていた。
(一体何があったんだ……!)
七年前、軍に保護という名の監視を受けていた頃から再会するまでの間に、スザクに何があったのか。
(情報が足りなさ過ぎる。こいつに関する情報が)
日本で別れてから名を変えてすぐの頃、スザクは唯一の家族だった父を――当時の日本国首相だった枢木ゲンブをも亡くしている。
(確か自殺だった筈だが、その後、こいつはたった一人きりで……)
傍目から見ても、決して円満な親子関係では無かった記憶がある。だが、それでも……孤立無援となったスザクのその後は、想像するに余りある程悲惨な境遇だったに違いない。
自分にはナナリーという存在が居た。血肉を分けた、たった一人の兄妹が。
(肉親が居るか居ないか、それだけでも違う。だが、こいつには……!)
たった一人きりで残されたスザクの孤独を思うと堪らなくなり、ルルーシュは背に回した腕に力を込めた。
耳元で、怯えたスザクの声が響く。
「ルルーシュ、僕は……僕はね、守る為に、軍に居る。……もう、誰も喪いたくないんだ。誰一人」
「……………」
違う、と思った。
(守る為だと言うのなら、お前は軍なんかに居るべきじゃないんだ!)
何故解らないのか。そうは思えど、今のスザク相手にそれを言い出す事はどうしても出来なかった。
「既に作られたルールがあるなら、それに沿った形で、中から変えていきたい。そうするべきだ。でないと、また沢山の人が死ぬ事になる。……今の僕はね、人を死なせない為に、生きてるんだよ」
ぎゅっと目を瞑ったルルーシュは心の中で叫んだ。
(なら、お前はどうなる……!)
聞いていられない程、悲痛な台詞だった。
(これ程までに固い決意を覆す事が出来るのか、俺は!)
言葉にして伝えられない事が、こんなにも歯痒く感じられるなんて。
でも、いつか必ず解らせてやらなければならない。これ以上、スザクがあの非情な国に搾取され続けるなど到底耐えられるものではない。
「解って欲しい。君にだけは。……だから、」
「スザク」
これ以上痛々しい言葉を紡がせたくなくて、ルルーシュは話を遮る様に名を呼んだ。
「もういい。言うな。俺だって同じだ」
「……?」
肩に埋めていた顔を上げてきたスザクと目を合わせる。
(約束は出来ない。……そんな、もう既に破られている約束など!)
不安そうに瞳を揺らすスザクを見つめながら、ルルーシュは少しでも安心させてやる為に手を握ってみる。
驚いた様に膝の上で重ねられた手を見下ろしたスザクが、再び顔を上げてくるのを待ってから静かに話し出した。
「お前と再会してから、俺は、お前が昔と随分変わってしまった様に思えていた。そんなのはお前らしくないと、何度思ったかしれない。だが、根っこの部分は変わっていない。何も。……お前はスザクだ。俺の、大切な友達の。そう思えたからこそ、今もこうして付き合えている」
「…………」
「だがな、例え人の秘密を穿るのが下品な事であったとしても、対話出来ない関係は、そこで終わると俺は思う。人と人とが言葉も無く解り合うのは容易な事じゃない。ましてや、七年も離れていれば尚の事だ」
スザクは声も無く俯いた。責められていると感じたのだろう。
「お前を責めてるんじゃない。寧ろ俺の非だ。あんな風に追い詰めるつもりは無かったんだ。……悪かった」
儚げな笑みを口元に浮かべたスザクが、無言で首を振る。
「ルルーシュの所為じゃないよ」
口でそう言いながらも、スザクが自分を責めているのだと伝わってくる。
(駄目だ。まだ通じていない)
一体どう言ってやれば、スザクに通じるのだろうか。
肝心な時に使い物にならない自分の頭に、心底憤りを覚える。……こういうのは、全くもって柄じゃない。
スザクの手を握り締める自分の手に力を込めながら、いっそ祈りにも似た思いでルルーシュは語り続けた。
「なあスザク。俺は、お前と一緒に居るだけで、時を忘れる程楽しい。例えお前の全てを知らなかったとしても、二人で笑い合っている時の気持ちは本物だと、それだけは信じられる。俺も同じなんだよスザク。お前と……」
「……?」
頭に疑問符を張り付かせているスザクに、言い辛い思いを押して更に言葉を重ねてみる。
「俺だって不安なんだ。解ってくれ」
「……………」
ただそれだけだと呟いたルルーシュを、スザクはしんとした眼差しで見つめていた。
そっと目を閉じ、握り込んだ手の上からもう片方の手を重ね、口元へと運んでいく。
尊いものに触れる様な、恭しい仕草。……指先に、温かな唇の感触がした。
「ありがとう」
羽が触れたのかと思う程軽く、柔らかな口付け。
話すスザクの吐息が、緩く握り締められた手の甲に掛かる。
「ごめんね、ルルーシュ」
絡めた手に頬を寄せながら、スザクは泣き笑いの様な顔で寂しげに笑った。
自分が笑われたと思ったのだろう。スザクは複雑そうに眉を顰めながら上半身を起こした。
勿論、ルルーシュの手首を掴む手だけは離さずに。
「変な夢見たからって、変態呼ばわりするみたいな言い回し使うの止してくれないかな。それに、あまりこういう事言いたくないけど、君だって似た様な夢見たんだろ?」
あれだけさらりと言い放っておいて、今更ばつの悪そうな顔をしなくても良さそうなものだが。
幾ら空気を読まないスザクでも、さすがに嫌味が通じない訳では無かったらしい。
「言いたくないなら言わなければ良かっただろ。その話なら終わりだと、さっき言った筈だが?」
ルルーシュはふん、と鼻を鳴らしながら口を返した。
しっかり握られたままの手首へと目をやり、無言の抗議を続けてみる。こんな風に無理矢理暴かれるのが趣味ではない事くらい理解しているだろうに、つくづく強情な男だ。
「続いてるんだよ。君は嫌かもしれないけど。僕も話したんだから、君にも話してもらうよ。言っただろ? きちんと言うまで離さないって」
「ふ……それも込みなのか」
「嫌とは言わせない」
一度言い出したら聞かない事は解っていたが、こと、対象が自分に設定されたとなると、これ程厄介な相手もいない。
オレンジ事件の事を思い出し、ルルーシュはうっそりと自嘲した。
「スザク……。俺は、命令されるのは大嫌いなんだよ」
お前と同じ様に、と続けようとしたがやめておく。
この件に関しては、以前に一度失言しているからだ。
「これは命令じゃないよ。約束だ」
「成程? それはいい答えだ。……お前は、自分が干渉される事は拒むくせに、俺には干渉するんだな」
手首を掴むスザクの手がビクリと痙攣した。
明らかに動揺した瞳を真っ向から捉え、ルルーシュは今スザクが言われたら最も困るだろう事を敢えて口にする。
「心配も度が過ぎれば只の過保護だろ。夢の中でまで縛り付けておかなければ気が済まない程、お前が俺を案じている理由ってのは何なんだ?」
納得のいく答えが返ってくるとは最初から思っていない。散々不意打ちを食らったのだ。返答次第ではこちらも対応を変えていかなければならないだろう。
話してしまえば歯止めが効かなくなる程の、一体何を腹の底に仕舞っていたと言うのか。
先程聞いた時は単に夢の内容に関する話だとばかり思っていたが、案外そうでもないらしい。
(お前が俺の何を知りたがっていたのか。口に出した以上は説明してもらうぞ、スザク)
予め何通りかの打開策は用意してある。……その為に、わざわざ日頃から不真面目ぶりを強調していた様なものだ。
「……僕は、」
「言えないのか?」
体勢的に見下ろされる形になっているからといって、そう易々と主導権まで握らせてやるつもりはない。逆にこちらが睥睨している位の心持ちで追い討ちをかける様に尋ねてやれば、言葉を詰まらせていたスザクの瞳がふっと翳った。
「………?」
「僕は――君には、僕と、同じになって欲しくないんだ」
迷いながらスザクがおずおずと口にした台詞に、ルルーシュは柳眉を顰めた。
(同じになって欲しくない、だと? どういう意味だ)
それは、たまに見かける表情だった。
がらんどうで、底なしで、真っ黒な穴ぼこの様なスザクの瞳。
頑なな無表情とも質の異なる、まるで能面の様な。
(何故そんな顔をする?)
時折目にするスザクのその表情が、ルルーシュにはたまらなく不快に感じられた。
(お前は望んだ道を歩いている筈だろう。自分で納得して選んだ道を進んでいるんじゃないのか? 俺達とまた会えて嬉しいとお前は言っていたじゃないか。だったら、何故そんな顔をする?)
今の世を憂えているからか。決してそれだけでは無いだろう。
辛い事なら沢山あった筈だ。学園に転入してきてからだって、謂れ無き差別や偏見から、何度も嫌がらせを受けていた事も知っている。
スザク自身が口で言う程、決して幸福なんかじゃない事も。
(だからこそ、俺はお前を守ろうと思ったんだぞ!)
生徒会に入れるよう口添えした事だって、騎士団に勧誘した事だって、元はといえば全てその想いがあったからこそだ。
……それなのに。
「俺は、お前が思っている程脆弱でもなければ惰弱でも無い。俺とお前、例え能力の質は違っていても、俺は、お前とはあくまでも対等な関係でありたいと思っている。……はっきり言うが、俺はお前に監督されたり守られたりしなければならない程、無力な存在じゃない」
「…………」
言い切った瞬間、スザクは放心した様に薄く唇を開いたまま、ぱたりと手首を離した。
繋がれた糸がふっつりと途切れる瞬間を現実とも思えず眺めている様な、最後通牒を突きつけられた者の顔。
少なくとも、ルルーシュにはそう見えた。
今の俺をこいつは見ていない。深く関わる事を拒んでいる。本当は興味関心すら薄く、全くの他人よりは近しい程度の付き合いに留めておこうと考えている……そんな風にさえ、感じていたのに。
(思えば、こいつは昔からそうだったな)
スザクに対して感じていた通り、心の内側で一線引かれていたのは事実だ。
けれど、こちらの及びも付かない深さで想われていた事も、また事実なのだ。
『理由の無い善意は信用出来ない』
嘗て、ルルーシュはその言葉を盾に、スザクから向けられた無償の好意と善意を頑なに拒んだ。
それでも。
『理由が無ければ、守ってはいけないのか』――幼少の砌、スザクは確かにそう言ったのだ。
そんなスザクだったからこそ、余計傍に置きたいと願った。
例え、どんなに汚い手段を使っても。
それなのに、今のスザクはこうして泣き言の一つも言わず、愚痴も零さず、ひたすらストイックに軍務という名の規律に身を捧げ、自分自身を誤魔化してまで、騙してまで、磨り減らしてまで、幸せだと言い張っていなければ生きていけないというのだろうか。
(お前は修道者にでもなったつもりか! それは欺瞞だ!)
スザクの抱えている矛盾がはっきり見える。存在軽視も甚だしいスザクの傲慢に、再びルルーシュの中でどす黒い怒りが湧き上がった。
自分は物では無い。そしてスザク自身も。
望まれるまま、ただ大人しく守られるだけの存在になどなってやるものか。
(何の為に、今お前の傍に俺が居ると思っているんだ!?)
何故軍に入ったのか。何故中から変えていきたいなどと無謀な事を考える様になったのか。
そもそも、ここまで性格が激変した理由は何なのか。
(お前との間に感じる壁の正体。それは、お前自身にも解らない事なのか? スザク!)
今のスザクを見ていると、どうもそんな風に思えてならない。
時々表情が抜け落ちている理由も、やんわりと拒絶されている様に思える理由も、スザク自身には答えられない事なのだろうか。
もっと解り合いたい。――そう、望んでは、いけないのだろうか。
「スザク」
「―――……」
何を口にしたつもりなのだろう。声にもならない掠れた音を発したスザクは、僅かに上下するだけの唇を震わせながら抜け殻の様に座り込んでいる。
――七年前、たった一人きりで、戦火の中に置き去りにしてきてしまった子供の姿がそこにあった。
「お前は、どうして俺を頼らない?」
「……え?」
スザクの言葉を待たず、ルルーシュは衝動の赴くまま口火を切った。
平時ならば、想いをそのまま口に乗せるような事などしない。だが、元々激情家である以上、理性によってどんなに強力な枷を施してあったとしても、箍が外れる瞬間はある。
「離れて暮らしてきた間、お前に何があったのか俺は知らない。どんな風に暮らしてきたのか、何を思い、何を感じ、どんな苦しみを抱えて生きてきたのか。……辛い事なら山程あっただろう。苦しい事だって、悲しかった事だって! それなのに、何故お前は俺に何も話してくれない? 今だって、苦しんでいる事があるなら何故言わない? 何故だ!? 友人とは、本来そういうものだろう!」
「………!!」
スザクの顔がくしゃりと歪んだ。
打ちひしがれ、愕然としているのが解る。
しかし、今ここで言っておかなければ、きっと何か取り返しのつかない失敗を犯してしまう。……失ってしまう。
(何を……?)
解らない。
けれど、ルルーシュは逸る心のまま躊躇せず言い募った。
「それとも、お前にとっては違うのか? 俺は……」
まるで、たった一人きりでこの世に生きると決めてしまったかのように、いつも遠くばかり見ているのは何故なのか。
傍にいるのに傍にいない。そんな風に、遠く感じてしまう理由は何なのか。
「俺は、お前の友達なんじゃなかったのか?」
スザクがさっき自分でそう言ったのだ。『友達なのだから、聞く権利が無いとは言わせない』と。
「ルルーシュ……」
「……?」
「ごめん、ルルーシュ……ごめん」
何かを恐れる様なか細い声で、スザクは何度も頭を振りながら同じ言葉を繰り返し始めた。
「そうじゃない……そうじゃないんだ。違う、そうじゃ……!」
「!?」
スザクの様子が豹変した。混乱しているのだろうか。
「おい、何呆けてる!」
スザクの瞳は焦点を失い、虚空を彷徨っている。
眼前の何物をも映していないその瞳を見た瞬間、反射的に「駄目だ」と思った。
(くそ……! 尋常じゃない!!)
ひきつけを起こした様に浅く荒く呼吸しながら、スザクは許しを希う様に見開いた眼に薄く涙の膜を張りつけながらガタガタと震えている。
「おい……!!」
あの雨の日を思い出す。
こうして我を忘れたスザクの姿は、ずっと昔にも見た事があった。
(失敗した!)
これ以上立ち入れば、スザクを壊してしまう。
スザクの恐慌は、嘗て部屋を滅茶苦茶に荒らしていた頃のナナリーの姿に通じるものがあった。
まさかとは思うが、何らかの精神的外傷でもあるのだろうか。山と積まれた死体の間を通っても理性を保っていられた自分と違って、スザクは多分、もっとナイーブだ。
「あ……。ル、ルルー、シュ……」
「もういい、何も言うな! 俺が悪かった」
肘をついて体を起こし、背中を摩りながら「無理して話さなくていい」と伝えてやれば、瘧の様にガクガク震えていたスザクは、暫くしてからようやく正気を取り戻した。
「大丈夫か?」
「…………っ、ルルーシュ!!」
起き上がって尋ねた瞬間、縋る眼差しを向けてきたスザクにいきなりがばりと抱きすくめられ、ルルーシュは声を失った。
「なっ……!? ス、スザク!? おい!!」
「ルルーシュ、約束して」
「……!?」
「危ない事はしないで。お願い。お願いだから……」
「………………」
まだ震えの止まらないスザクの背に手を置いたまま、「お願い」と必死で繰り返す声を呆然と聞いていた。
(一体何があったんだ……!)
七年前、軍に保護という名の監視を受けていた頃から再会するまでの間に、スザクに何があったのか。
(情報が足りなさ過ぎる。こいつに関する情報が)
日本で別れてから名を変えてすぐの頃、スザクは唯一の家族だった父を――当時の日本国首相だった枢木ゲンブをも亡くしている。
(確か自殺だった筈だが、その後、こいつはたった一人きりで……)
傍目から見ても、決して円満な親子関係では無かった記憶がある。だが、それでも……孤立無援となったスザクのその後は、想像するに余りある程悲惨な境遇だったに違いない。
自分にはナナリーという存在が居た。血肉を分けた、たった一人の兄妹が。
(肉親が居るか居ないか、それだけでも違う。だが、こいつには……!)
たった一人きりで残されたスザクの孤独を思うと堪らなくなり、ルルーシュは背に回した腕に力を込めた。
耳元で、怯えたスザクの声が響く。
「ルルーシュ、僕は……僕はね、守る為に、軍に居る。……もう、誰も喪いたくないんだ。誰一人」
「……………」
違う、と思った。
(守る為だと言うのなら、お前は軍なんかに居るべきじゃないんだ!)
何故解らないのか。そうは思えど、今のスザク相手にそれを言い出す事はどうしても出来なかった。
「既に作られたルールがあるなら、それに沿った形で、中から変えていきたい。そうするべきだ。でないと、また沢山の人が死ぬ事になる。……今の僕はね、人を死なせない為に、生きてるんだよ」
ぎゅっと目を瞑ったルルーシュは心の中で叫んだ。
(なら、お前はどうなる……!)
聞いていられない程、悲痛な台詞だった。
(これ程までに固い決意を覆す事が出来るのか、俺は!)
言葉にして伝えられない事が、こんなにも歯痒く感じられるなんて。
でも、いつか必ず解らせてやらなければならない。これ以上、スザクがあの非情な国に搾取され続けるなど到底耐えられるものではない。
「解って欲しい。君にだけは。……だから、」
「スザク」
これ以上痛々しい言葉を紡がせたくなくて、ルルーシュは話を遮る様に名を呼んだ。
「もういい。言うな。俺だって同じだ」
「……?」
肩に埋めていた顔を上げてきたスザクと目を合わせる。
(約束は出来ない。……そんな、もう既に破られている約束など!)
不安そうに瞳を揺らすスザクを見つめながら、ルルーシュは少しでも安心させてやる為に手を握ってみる。
驚いた様に膝の上で重ねられた手を見下ろしたスザクが、再び顔を上げてくるのを待ってから静かに話し出した。
「お前と再会してから、俺は、お前が昔と随分変わってしまった様に思えていた。そんなのはお前らしくないと、何度思ったかしれない。だが、根っこの部分は変わっていない。何も。……お前はスザクだ。俺の、大切な友達の。そう思えたからこそ、今もこうして付き合えている」
「…………」
「だがな、例え人の秘密を穿るのが下品な事であったとしても、対話出来ない関係は、そこで終わると俺は思う。人と人とが言葉も無く解り合うのは容易な事じゃない。ましてや、七年も離れていれば尚の事だ」
スザクは声も無く俯いた。責められていると感じたのだろう。
「お前を責めてるんじゃない。寧ろ俺の非だ。あんな風に追い詰めるつもりは無かったんだ。……悪かった」
儚げな笑みを口元に浮かべたスザクが、無言で首を振る。
「ルルーシュの所為じゃないよ」
口でそう言いながらも、スザクが自分を責めているのだと伝わってくる。
(駄目だ。まだ通じていない)
一体どう言ってやれば、スザクに通じるのだろうか。
肝心な時に使い物にならない自分の頭に、心底憤りを覚える。……こういうのは、全くもって柄じゃない。
スザクの手を握り締める自分の手に力を込めながら、いっそ祈りにも似た思いでルルーシュは語り続けた。
「なあスザク。俺は、お前と一緒に居るだけで、時を忘れる程楽しい。例えお前の全てを知らなかったとしても、二人で笑い合っている時の気持ちは本物だと、それだけは信じられる。俺も同じなんだよスザク。お前と……」
「……?」
頭に疑問符を張り付かせているスザクに、言い辛い思いを押して更に言葉を重ねてみる。
「俺だって不安なんだ。解ってくれ」
「……………」
ただそれだけだと呟いたルルーシュを、スザクはしんとした眼差しで見つめていた。
そっと目を閉じ、握り込んだ手の上からもう片方の手を重ね、口元へと運んでいく。
尊いものに触れる様な、恭しい仕草。……指先に、温かな唇の感触がした。
「ありがとう」
羽が触れたのかと思う程軽く、柔らかな口付け。
話すスザクの吐息が、緩く握り締められた手の甲に掛かる。
「ごめんね、ルルーシュ」
絡めた手に頬を寄せながら、スザクは泣き笑いの様な顔で寂しげに笑った。