オセロ 第2話(スザルル)



 鞄からテキストを取り出していると、隣からおもむろに声をかけられた。
「おはよう! ルルーシュ」
 声の方へと目をやれば、ちょうど斜め後ろの席に鞄を置いたスザクがにっこりと笑いかけてくる。
「ああ、スザク。おはよう」
 気のおけない笑顔につられ、ルルーシュの顔にも微笑みが浮かぶ。
 ついさっきまで無数の刺々に覆われていた心が嘘のように和んだ。さながら清涼剤だ。ささくれ緩和にかなり効く。
「今日は早いね」
「お前こそ。午後までは軍の方で仕事があるんじゃなかったのか?」
「うん。それがね、機体の調整とかで、今日は丸一日休みって事になったんだ。だから」
(ん?)
 技術部に所属しているスザクの口から出た聞き慣れない単語に、一瞬ルルーシュの表情が曇る。
「機体……?」
「いや! ああ! だから、その……」
 不思議そうに聞き返してみれば、スザクは何故かあたふたと慌てていた。
(なんだ? 朝っぱらから寝ぼけているのか?)
 キョトキョトと目を泳がせる様子が可笑しく思えて笑ってしまう。……別に、只の言い間違いくらいでそこまで慌てる必要も無いだろうに。
「何だよ。お前、もしかして機材って言いたかったのか?」
「へっ!?……あ、うん、そう! だから機材とか……その他諸々、全部点検したりするんだって」
「ふうん」
 スザクは助け舟を出された事に酷く安心した様だった。息せき切って話す様子が、千切れんばかりに尻尾を振る仔犬の様に見えてくる。
(それにしても、こいつは本当に変わったな)
 鞄を仕舞い込みながらルルーシュは一人ごちた。
 強引で頑固な上に人の話を聞かない所は相変わらずだったが、スザクが辿っただろう経緯を思えば、今の性格へと変容を遂げた理由について納得出来なくも無い。
 まだごそごそと落ち着かないスザクが何をしているのかと思って見てみれば、まだHR前だというのに早くも一時限目のテキストを机の上に並べている。
 律儀というより生真面目がかった行動に、笑ってはいけないと思いつつ苦笑が漏れた。
「おいおい。まさか予習でも始めるつもりか? 随分真面目だな」
「いや、予習じゃなくて。っていうか、いっそソッチだったら良かったんだけど」
「うん?」
「実はさ、僕、昨日出された宿題、まだ終わってないんだ」
「ああ、確かに結構なページ数だったからな。俺もいっその事、全て潔く投げ出そうかと悩んだ」
「またそんな事言って……。でも君の事だから、どうせちゃんと終わらせてるんだろ?」
「ま、一応はな」
「もー……」
 肩を竦めながら答えを返せば、むくれたスザクが唇をへの字に曲げたままぼやいてくる。
「ホント、君のそういうトコ、たまに羨ましくなってくるよ」
「一応不真面目なりに、宿題くらいはやっておかないとな。……で?」
「ん?」
「どの辺りまで終わってるんだ?」
 上半身を捩って椅子の背に凭れながら尋ねてみると、淀みなくテキストを捲るスザクの手が一瞬止まった。
「うん。一応途中までは終わってるんだけど。……昨日はその、ちょっと、時間無くて」
 言い終えた直後に呼吸が詰まる。
 捉えどころの無い表情のまま淡々とノートにペンを走らせてはいたが、普通ならば見落とす程度でしかない反応の違いに気付かないルルーシュではない。
「なんだ。そんな事情があったんなら早く言えよ。手伝おうか?」
 条件反射的に口をついたのは、本心とは真逆の台詞だった。
「ダメだよ、宿題なんだから。こういうのは、ちゃんと自分でやんなきゃ」
「ふ……お前は……。自分でやらなければ意味は無い、か? 全く、予想通りの答えだな」
 あまりにもらしい台詞に、「堅物め」と思いながらも一応笑っておく。
「ルルーシュ。ボクを甘やかしても、いい事はないよ」
「はいはい……。そうかもな」
 いつからそんな真面目な男になったのか。最早くそ真面目の領域だ。
 苦笑の中に複雑な思いを押し隠したまま、ルルーシュは演技を続けた。
(時間がない、か……)
 こういうぎこちない瞬間に立ち会うのは、別に今回が初めてではない。
 時折走る緊張と、垣間見える心の乱れ。
 それは例えて言うなら、互いの間を隔てる透明な壁だった。
 一歩間違えば崩壊と紙一重な関係だと知るルルーシュだからこそ、こうして突き刺さってくる棘に気付く瞬間がある。
「解らない所があったらいつでも言えよ? その範囲なら、教えてやれない事もないからさ」
「ありがと。心強いよ。やっぱ、持つべきものは頭のいい友達、ってね……。まあ、ホントにわかんないトコが、あったらだけど……。あった、時だけって……ああぁー……」
「ふふ。じゃ、頑張れよスザク」
 早速障壁にぶつかったらしいスザクが頬を引き攣らせながらテキストと睨み合っているが、ルルーシュはそれきりスザクに背を向けた。
 一応ここは進学校だ。スザクとて人並み以上の学力はあるのだろうが、学生としてのブランクの長さに加えてレベルの高いカリキュラム――加えて軍務も掛け持ちとなれば、授業についていくのは決して容易な事ではないのだろう。
 背後で唸るスザクに対して知らんふりを貫きながら、ルルーシュは賑わい始めた教室をぼんやりと見渡していた。
(隠しているのは、お互い様か)
 踏み込んでいいものかと悩むのは、ちょうどこんな時だった。
(大体、コイツも少しは人に頼るという事を覚えたらどうなんだ)
 先程ああは言ったものの、スザクは決してこちらが望む通りに頼ってなどこない事をルルーシュはとっくに知っていた。
(ここに、スザクの味わっている苦労や苦痛を知る人間は、一体どれくらい居るんだろうな)
 この学園に漂う空気は、平穏しか知らぬ人間の幸福な日常そのものだ。無責任な程平和で、残酷な程『普通』な、けれど酷く居心地の良いぬるま湯の中。
 ――まるで、檻で鎧われた鳥篭だ。
 軍にいる理由を、ルルーシュは問い質さない。
(責める気なんか無いんだ、俺は)
 スザクは自分で選んだ道を進もうとしているだけだ。割り切れていなくても、理解しているつもりだった。
(ただ、こいつはまだ解っていない。ブリタニアという国の醜さを)
 ルルーシュは目を細く眇めて宙を睨んだ。
 例えベクトルは違っていても、何かを守りたいという気持ちは本物なのだ。
(ならば共に在るべきだ、お前は。……軍ではなく、俺の傍に)
 そうすれば、必ず守ってやれるのに。
 七年前、一人ぼっちで置き去りにしてしまった世界から、今も傷付いたままのスザクを救ってやりたかった。
(こいつは昔から頑固だからな)
 ゼロの言う事に耳を貸さなかったとしても、ルルーシュとしての言葉ならどうだろうか。自信が無いとは言わないが、正直まだ解らない。
(だが、いずれ必ず同じにしてみせる。俺達が進む道行きを)
 スザクと離れた日を、今も鮮明に覚えている。
 夕日を背に、遠ざかる車をずっと見送っていたスザクの姿。……身が引き千切られるようだった。
 ずっと案じていた。ようやく会えたのだ。手離してなるものかとルルーシュは思った。
(お前を傷付ける全てから、今度こそお前を守ってやる)
 八年前の借りは、まだ返し終わっていない。
 俯いたルルーシュは思考を閉じ、いつの間にか静かになった斜め後ろへと首を傾けた。
「おい、終わったのか? そろそろHRが……」
「……………」
 解らなかった問題は解けたのだろうか。結局尋ねてはこなかったスザクを気にかけつつ振り返ったそこには、さっきまでとは全く違う幼馴染の顔があった。
 集中しすぎて呼びかけられた事に気付かなかったのだろう。唇を真一文字に引き結んだスザクは、こちらが干渉する隙も無い程真剣な面持ちで問題を解いている。
(スザク……?)
 もう一度声をかけようとしたが、思わず躊躇した。
 スザクが普段から他人に対して笑みを絶やさない理由が、何となく解ったからだ。
 こちらの視線に気付いているのかいないのか、スザクは無言でペンを走らせ続けている。さすがは現役の軍人。集中力が違うといったところか。
(それにしても、改めてこういう顔を見ていると、幼い頃のこいつを思い出すな)
 地金が出ていると言ってやったら、スザクは傷付くだろうか。
 表情の無いスザクは少し冷たく、いつもと違って近寄りがたく見える。
 果たして本人が認識出来ているかどうか知らないが、スザクは普段から誰に対しても平等に優しく、常に温和温厚で、いつ如何なる時でも柔和な笑顔を絶やさない。
 幼い頃のスザクは、今でも人からきつい性格と評される事の多いルルーシュと同等、もしくはそれ以上に口も愛想も悪かった。
(いつまでもあのままだと確かにまずいだろうが……しかし、ああいう時の顔よりはマシか)
 これも自覚があるかどうか解らないが、スザクは時々、感情ごとストンと表情が抜け落ちている時がある。……まるで、ぽっかりと口を開いた黒い穴のように。
 それに気付いたのは、一体いつの事だっただろう。
 日頃見せる屈託の無さや朗らかさが消え、完全な無表情になっているスザクを見かける度に、ルルーシュは何故か、ずっと昔からよく知っているような、それでいて全く知らない誰かを見ているような錯覚に陥る。
(まあ、誰であっても、無表情の時は少なからずそう見えるものなんだろうがな)
 鳴り響く始業ベルを遠い気持ちで聴きながら、ルルーシュはぼんやりと物思いに耽っていた。体をスザクの方に向けたまま、視線だけは別の所を彷徨っている。
「ルルーシュ?」
「えっ?」
 名前を呼ばれ、突然現実に引き戻された。
 顔を上げてからふっと笑ったスザクが、閉じたテキストとノートの上に肘をついて身を乗り出してくる。
「どうしたの? なんだかボーッとしてる」
「……いや、別に」
「そう?」
「ああ。ただ、そろそろHRが始まるぞ、って言いたかっただけだ。気にするな」
「あ、そう……」
 歯切れの悪い物言いがおかしく思えたのだろう。スザクはハッキリしないルルーシュを不思議そうに見ていたが、ルルーシュは何故かスザクの顔を直視出来ず、何事も無い素振りで前へと向き直った。
(あんな夢を見たりしたせいだ)
 夢の中のスザクは酷く寂しがりで、何でも打ち明けてくれたのに。
 やはり、夢には願望が現れるものなのだろうか。愕然とするが、外れていない。
 いつの間にか教師が出席を取っている。頬杖をついたルルーシュは、スザクに聞こえないよう溜息をついた。
 イレブンのスザクに友人は居ない。特別親しくしているのはルルーシュだけだ。
(それなのに、俺にさえ何も話してくれないのか、お前は?)
 話せと言われても、何をどうと聞かれれば返答に困るのだが。……それでも。
 今は遠い、心の距離がもどかしかった。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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