Lost ParadiseⅡ 3(スザルル)




 朝食の準備を整え、弁当も何とか詰め終わったところで、突然背後からノックの音が響いた。
 続いて、返事をする間も無く無造作にドアが開かれる。
「ああ、居た。おはよう、ルルーシュ」
「お……はよう、ございます……?」
 ノックの直後にドアを開くのでは、ノックの意味が無いだろう。
 驚くというより困惑しながら振り返った其処には、制服姿のスザクが立っていた。……何故ここに?
 そのまま入ってくるかと思いきや、スザクは入り口の戸を開け放ったままこちらを眺めている。先に来るとしたらリビングの方だと思っていたのに、いきなりキッチンに現れるとは思わなかった。
「よくここにいるって解りましたね。もう少ししたら呼びに行くつもりだったんですよ?」
「リビングに行ったらいなかったから、多分ここだろうと思って」
 勝手知ったる他人の家だ。プライベートスペース以外共用とはいえ、越してきた翌日とは思えない。
 昨夜はもっと客らしかったのに、早くも自分の家として自在に行き来するスザクに笑いが漏れる。良い意味での遠慮の無さは親しくなりたい者としては大歓迎だが、もしかして余所でもそうなのだろうか。
「待っていてくれたら運んだのに。俺、支度もまだで……」
 既にきっちりと制服を着込んでいるスザクに引き換え、俺はまだ制服のズボンとシャツ、その上からエプロンという格好だ。
「いいよ、ここで」
「ここでって……キッチンで食べるんですか?」
「食卓もあるし、別にいいだろ? 運ぶ手間とか時間も勿体無いしな」
 堅苦しいばかりかと思えば、案外大雑把な面もあるらしい。
 邪魔したら悪いとでも思っているのか、スザクはキッチンの入り口に佇んだまま動かなかった。
 慇懃な態度を取られるより、気安くしてくれた方がずっといいのに。ふと、そんな考えが浮かんで苦笑する。
 無遠慮にされることを望んでいるだなんて、今までの俺からすれば考えられない話だ。でも、スザクにされるなら腹が立たない自信があった。
 入って来ないんですか、と一声掛けようかと思ったが、何にせよ、奔放な振る舞いに苛立ちを感じないのは、多分相手がスザクだからだろう。砕けた態度で接されることが寧ろ嬉しく、好ましい。
「一人で待っててもつまらないから来ちゃったんだけど……何か手伝うことは無い?」
「駄目です。制服が汚れる」
 とんでもないとばかりにキッパリ断ったのがおかしかったのか、後ろからふっと忍び笑いが聞こえてきた。
 帝国最強の十二騎士を顎で使えというのだろうか。それも憧れの人を。シチュエーションとして心惹かれるものが無いとは言わないが、正直勘弁してもらいたい。
 冷蔵庫からジュースのボトルを取り出す俺に向かって、スザクは「エプロン着けてないと駄目なんだ?」と悪戯っぽい口調で尋ねてくる。
 いかにも天然らしい悪気の無さゆえ、からかわれているのかどうか判然としない。……ついでに、返答を求められているのかどうかも。
 シンクに戻って飲み物をピッチャーに移し変えている間、見られていると如実に解る視線を背中に感じて落ち着かない気分になった。
 ……あまりじっと見つめないで欲しい。スザクの眼差しには一種独特の艶気があって、どうにも緊張してしまう。
「いい匂いだな。おいしそうだ」
 トレーニングの後で空腹なのだろうか。スザクの声は嬉しそうだった。
「昨夜の残りですけど、本当にいいんですか?」
「構わないって言ったろ? 豪華でいいじゃないか、朝からフルコースだなんて」
「ソルベとアントルメは冷蔵庫の中です。朝から全部じゃ重いですよ」
「じゃあ夜に」
「わかりました」
 さすがに一旦ナイフを入れてしまったステーキの方は処分してしまったけれど――これは、スザクには言えない。
「これ、かかってるソースって?」
 入り口近くに置かれたワゴンを見ているのだろう。スザクが興味深そうに訊いてくる。
「鴨ですか? オレンジソースです」
「手作り?」
「ええ。フォンドヴォーがまだ残ってるので、夜にシチューでも作りますよ」
「シチュー?」
「ええ、牛肉もまだあるし、ルウを足してビーフシチューでも。フォン作りが一番時間かかるんですけど、それさえ作ってしまえばデミグラスソースもすぐ出来ますし。……こってりしたもの、好きなんでしたよね?」
「――うん。好きだよ」
 歩み寄る足音と共に近付いてくる声。
 やっと入ってきたのかとスザクの方へ振り返れば、思いのほか距離が近くてドキリとする。
「……どうかした?」
「え? ああ、いや、別に何でも」
 慌てて取り繕う俺を見て、スザクは不思議そうに首を傾げていた。
 いちいち魅入ってしまう癖をどうにかしたい。これでは挙動不審だ。
 目覚めてからずっと会いたいとばかり思っていたせいか、穏やかで大人びた笑顔でさえ目に毒だった。
 接近する気配と共に息遣いまでもが直に迫ってくるように感じられて、決して不快ではない緊張を覚える。
 洗った手をエプロンの裾で拭い、脱いだそれを綺麗に畳み終えたところで、スザクが「あれ?」と声を漏らした。
「髪、まだ濡れてるじゃないか」
「あ、これは……」
 真横から伸びてきた手にサイドの髪をひと房掬い取られ、傍らに置いておいた取り皿へと伸ばした手が止まってしまう。
 米神に滲む汗がスザクの手に付くのでは、と気が気ではない。想定外な事態に遭遇し、長引いてしまったシャワーの後で慌しく調理していたせいだ。
「何、乾かす時間無かった?」
「いえ、ちょっと」
「じゃあ、寝坊でもした?」
「…………」
 浴室での出来事を思い出した俺は、違うと首を横に振りながら、それを誤魔化そうと目を逸らした。
 尋ねてくる声は限りなく優しくて、続けざまに「やっぱり起こしに来れば良かったかな」と鼓膜を震わせる響きですら甘く感じる。
 するりと離れていく手に若干の名残惜しさを感じながらも、些細な触れ合いにさえ胸が高鳴り、酷く意識してしまっていることに気付く。……それでいて、接触されることを心のどこかで待ち侘びているというのだから本当に始末に負えない。
 浅ましい思考に侵されて後ろめたさを感じている俺の気持ちに気付いているのかいないのか、スザクはあっさりと離した手で頬にかかる俺の髪を耳にかけてくれた。
「……っ」
 指先が敏感な部分を掠めた刹那、肩を竦めて息を飲む俺の様子に、スザクが僅かに目を瞠った。
 感触がしつこく残り、触れられた箇所を中心にじんわりと熱が広がっていく。スザクにとっては特に他意など無い行動だったのだろうに、俺ばかりが意識してしまっているようで妙に恥ずかしい。
 さっと身を翻し、取り皿を持ってテーブルへ運ぼうと、俺は一歩踏み出した。
 と、そこで、重みがふっと消えたことに気付いて手元を見れば、重ねた二枚の皿はいつの間にかスザクの掌中へと収まっている。
「急がなくてもいいよ。まだ時間あるから」
 やんわりと笑んだスザクが俺から取り上げた皿を一旦他所へ置き、対面になるようテーブルをセットし始めた。
 ワゴンの上から、次々と料理が移されていく。海老と帆立のテリーヌ、トマトのムースやそら豆のスープ、スズキの包み焼きに鴨肉のオレンジソース、チキンのハーブサラダ……。
 いそいそと、とでも表現するべきか。率先して動く挙措には淀みも躊躇いも無い。
「えっと……マットどこかな。ああ、これか。敷くよね?」
「あ、はい……」
 ワゴンの上に丸めておいたランチョンマットを敷き、その上に手早く食器やカトラリーを並べていくスザクの背中を、俺は半ば唖然としながら見守っていた。
 しかも、そのセットの手順というか、皿やグラスの配置の仕方に至るまで、俺のやり方にそっくりであることに気付いて二度驚く。
「……!?」
 昨夜見たままを真似たのだろうか。……いや、それにしても。
 一度見ただけのものを、こうも完璧に覚えられるものなのか?
 天下のナイトオブラウンズが朝食の準備という驚きもあったけれど……何故か、只こなれているだけというよりは、まるでいつも通りのことを淡々とこなしているような「慣れ」が見える気がして変に戸惑う。
 さっきも思ったことだが、これがスザクでなければ「ここは元からお前の家だったのか?」と口にしているところだ。
「……なんか、慣れてますね」
 スザクから滲み出る、この「慣れ」は一体何だろう。
「言ったろ? 俺も一人暮らしだって」
 ポカンと立ち尽くす俺の前を通り過ぎたスザクは、シンクに置かれたままのピッチャーを我が物顔でテーブルへと運んでいく。
 阿吽の呼吸とは、このことだろうか。俺が調理、スザクがテーブルセット。元々役割分担が決まっていたかのようだ。
 普通、もっとぎくしゃくするだろう。こうまでしっくりと、全てにおいてスムーズにとはいかない。
 そもそも、俺は典型的なA型で、完璧主義と自負してもいる。スザクがそれに気付いているかどうか解らないものの、俺は本来どちらかといえば細かい方で、よほど慣れた相手とでない限り同居などストレスにしかならないのだ。
 ……それなのに、この鮮やかとしか言いようの無いスザクの手並みに関しては、文句など無いどころか満点だった。
 幾らなんでも協調性が高すぎやしないか。一体どうなっているんだ? この人は。
 驚きや感心を通り越して、素朴な疑問さえ感じてしまう。
 あまりにも違和感が無さすぎる。却って不自然なくらいに。
 出会って間もない相手と、二人三脚どころか二人羽織並みの連携プレーが自然にこなせてしまう、なんてことがあるのだろうか。
 さながら、これが何の変哲も無い日常の一幕であるかのように――どころか、ずっと昔から一緒に生活してきた家族のように。
「それより、シャワーの時、困らなかった?」
「?」
 振り返りざまにランチョンマットのずれを直すスザクの手つきにも、やっぱり「あれ?」と思う。
 意外と細やかかと思えば、丸まった端の部分を手の甲でサッと払う仕草はやたらとぞんざいで。
 ……それがまた、気遣いで手伝ってくれている割には、どうも「私物を扱う」手つきに見える。
 何の気なしにすぐ触れてきたりするところもそうだが、考えるより先に手が出る感じで触ってくるので、毎回距離感が異常に近くてびっくりするのだ。――さながら、自分の所有物に触れる手つきのようで。
 スザクは一見真面目だが、性格は神経質でも几帳面な方でもなさそうだ。
 それなのに、自分で敷いたマットのズレによく気付けたものだと、俺はまたも感心した。スザクがそのままにしていたら、俺が後で直そうと思っていたのに。
 こちらの意図を見計らった絶妙なタイミングで、それもごく自然に先回りされ、気になっていた部分をピンポイントで「これでしょう?」と指し示されるこの感覚。
 痒いところに手が届くというよりは、水中に落とした大切なものを掬い上げるような的確さ。
 長年一緒に暮らしてきた家族でも、こうはいくまい。かといって、この場合においては「以心伝心」と言い表すのも何か違う気がした。
 よっぽど性格が似ているのだろうか。もしくは考え方が近いのか? そう思ってから、俺は即座に違うと打ち消した。
 ……有り得ない。真逆な印象しか無い。
 昨日までは、もっと違っていた。スザクの態度は確かに他人であり、客だった筈なのだ。
 それが、今日は……。
 いや、昨日までのように余所余所しい態度を取られるよりはいいのだが……でも、ただ合わせてくれているだけの筈なのに、それが不自然なほど完璧過ぎるからこそ腑に落ちない。
 そう。譬えて言うなら――「一心同体」。一緒に生活していく上で一番必要な「習慣の一致」を感じるのだ。
 こういう時は、うちではこうする。
 他人とは易々と共有し得ない、目に見えない決まり。各家庭独自のルール。そういった部分が、不思議と示し合わせていたかのように重なっていく感覚。
 そして、またそこに、本来ならば長年連れ添った相手くらいにしか感じないであろう「慣れ」が見える――。
「ルルーシュ?」
「えっ?」
「聞こえてる?」
「あ、ああ……はい」
 スザクの所作に見入って考え事に終始していたせいか、反応が遅れてしまった。
 ほとんど上の空で聞いていた台詞。……確か、シャワーがどうとか。
 スザクは、普段から誰に対してもこうなのだろうか。それとも、単純に他人の家で相伴にあやかることへの気遣いなのか?
 ――どうしてだろう。理解されているのとは別の意味合いで「知り尽くされている」感じがするのは。
 傍目から見れば呆けているようにしか映らないだろう俺の顔を見て、スザクがクスリと笑った。
「どうしたの、ボーッとして」
「いえ、何でも」
「そう。ならいいけど……昨夜そのままにしちゃっただろ。髪乾かす時間が取れなかったのも、もしかしてその所為だったのかと思って」
「……!」
 スザクからの鋭い指摘に、俺はようやく我に返った。
 暫しの間、顔から火が出そうな思いを味わう。その通りだとも言えず口ごもる俺を見て、スザクが今度はうっそりした笑みを口元に刻んだ。
 肯定よりも雄弁な沈黙。言えない言葉を飲み込んだ俺は俯くしかなくて、足音も立てずに近寄ってきたスザクの気配に気付けなかった。
 爪先へと降ってきた影にハッと顔を上げれば、覗き込んでくる一対の深緑と真っ向からぶつかり、射竦められたように呼吸が止まってしまう。
「跡、残っちゃったね」
 ぽつりと落とされた低い囁き。
 まろみを帯びた翡翠の色合いを連想させるスザクの瞳が、第二ボタンまで開いていた襟ぐりの内側を見つめている。
 どこを見られているのか悟った瞬間、激しい羞恥に見舞われた俺は、身動き一つ取れぬまま固まってしまった。
 心の奥底まで暴かれそうな強い眼差しが、殊更ゆっくりと皮膚の上を辿っていく感覚。……視線が通った道筋に沿って、肌が焦げ付いてしまいそうだ。
 そうやって見つめないでくれ。耐えられない。今すぐにでも逃げ出してしまいたくなる。
 俺がそう思った時、ようやく張り詰めていた空気が緩んだ。
「ごめんね」
「別に、謝らなくても……」
 鋭かった視線は和らいだのに、まだ瞳の奥に危険な光が宿っている気がして緊張を解くことが出来ない。
「そうじゃない。処理出来なかったことについてもそうだけど、それだけじゃなくて」
「じゃあ何――」
「わざとなんだ」
 これはね、と言いながら、スザクは開かれたシャツの襟ぐりへそっと手を差し込んでくる。
「! な、何……」
 予告も前触れも無い唐突な接触。指先でさらりと掠められただけで、背筋にぞくりと震えが走った。
 反射的に後ずさろうとした俺の腰に腕が回され、すかさず引き寄せられてしまう。
「いっぱい付けられててビックリしただろ。……嫌だった?」
 シャツの内側へと滑り込んだ掌が鎖骨の上を辿り、首筋を包み込むように撫でていく。
 こそばゆいだけではなく、内側に眠る何かを呼び起こすような生々しい触れ方。どこまで耐えられるか試す手つきに追い詰められ、知らず肌の表面が粟立っていく。
 全身に伝染してゆく震えを悟られぬよう肩を竦ませている間、スザクは項を覆う俺の後ろ髪を指先で遊ばせていた。髪をかき上げながら後頭部へと巡らせた手で、肩口へと押し付けるように頭を抱き寄せてくる。
「嫌じゃ、ないです……」
「そうか」
 やっとの思いでそれだけ告げると、耳元に落とされた呟きの語尾が安堵の色に染まった。
「どうしてって訊かないのか?」
「な、何で」
「訊きたそうな顔してたから」
「じゃあ……どうして、ですか?」
「付けずにはいられなかったんだ――ごめんね」
「…………」
 なんてことを言うんだろう。
 衒いなく語られた台詞はあまりにもストレートすぎて、俺には一生かかっても言えそうに無い。
 腰に緩く巻きつく腕も、頭を抱き寄せてくる掌も、そして仄かに伝わってくる体温やこの声も……何もかもが夢のように気持ち良くて、水底で揺蕩う魚になった気分だった。
 卸したての衣類の匂いが鼻先を擽り、俺はスザクの制服が新品であることに気付く。
 ――でも、スザクの匂いだ。
 ただそれだけで、何ともいえない心地がした。


プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

スザルル大好きサイトです。版権元とは全く関係ないです。初めましての方は「about」から。ツイッタ―やってます。日記作りました。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

感想・連絡等ありましたらばお気軽にどうぞ★ メルアド記入は任意です(返信不要の場合は文末に○入れて下さい)

Twitter

現在諸事情につき鍵付となっております。同士様大歓迎。

義援金募集

FC2「東北地方太平洋沖地震」義援金募集につきまして

月別

>>

ブロとも申請フォーム