Lost ParadiseⅡ 2(スザルル)
2
実際に接してみて解ったことがある。
単なる思い込みの範囲をやや逸脱し、妄想の領域に踏み込んだ感さえあった俺のスザクへの印象は、あながち外れてはいなかったらしい。
スザクはやはり、心に深い傷を負っていた。
『大切な友達』から受けた酷い裏切り。
嘘を吐いた友達の卑劣な手によって死に追いやられた『かけがえのない女性』の存在。
どちらとも親しい間柄だったのだろうが、スザクは彼にとって大事な人間を二人同時に失ってしまったことになる。
俺とて幼い頃に両親を殺され、癒えぬ傷を植え付けられた者のうちの一人だ。しかし、俺にスザクの心底を推し量る術などありはしない。
何故なら俺の場合、犯人は赤の他人であって、身内ではないからだ。
一つだけ確かなのは、スザクがその過去ゆえに嘘を嫌い、俺に対して『本当の顔』で接するようにと望んでいること。
初めて出会ったあの日。
『慈しみという言葉の意味は、『慈愛』です』
そう述べた俺の言葉を聞きつけたスザクは、嗚咽を漏らし、声を圧し殺して号泣していた。
あんな泣き方をするなんて……よほど辛かったに違いない。
俺にとっては生まれて初めての経験だった。ああまで痛々しく涙を流す人の姿を見たのは。
一体どんな人だったんだろう、その『友達』は。それに、殺されてしまった『かけがえのない女性』というのは?
本人の口からそんな言葉が出てくるくらいだ。ひょっとすると恋人だったのかもしれない。
殺されたと言っていたが、どうやってそれを知ったのか……まさかとは思うが、俺のように現場に立ち会ってしまったのか?
それに、殺した相手であるその『友達』はどうなったんだろう。もう既に逮捕されているのだろうか……。
体を重ねる関係にこそなったものの、俺はまだスザクのことを何も知らない。
一体どんな思いで生きてきたのか。略歴で語られる人生や人となりを知るだけでは決して量れない、彼の本心についてまでは。
不幸という安易な一言では括り切れないほど凄惨な過去。
只でさえ重すぎる身の上のせいで謂れなき差別や偏見を受ける過酷な環境下、更に大切な友人が殺人者となったばかりか、かけがえのない女性を殺した相手が、あろうことかその友人だったなんて。
気になることは他にもある。
軍人としての資質や能力が高いことについては疑う余地も無いが、彼は決して戦いを好むような人物ではない。
借り物の力を自らの力と勘違いし、高みに立ったつもりになって他人を見下す者など幾らでもいる。特に貴族の子息女ともなれば、自身を誇ることと、他者を見下し、蔑むことが決してイコールでは無いことすら解らない馬鹿も多い。
ブリタニアというのはそういう国だ。……それなのに、あれだけの地位にいながら、スザクには少しも驕ったところが無い。
元々心根の優しい性格なのだろう。自分では短気だと言っていたが、偉ぶらずフランクに接しようとしてくれて、親切で。ちょっと堅苦しいくらい生真面目なのに天然なところもあって。
それに、出会って間もない俺の話を、あんなにも親身になって聞いてくれた。
敗戦国の首相の息子という立場上、おそらくは色々な事情もあった筈。
しかし、だとしても、逆風しか吹かないと解り切った場所に居続ける理由がどこにある?
軍とは、日常的に人殺しを強要される場所。――即ち、もっと直接的な言い方をすれば、殺人を生業とする職業だ。
あのスザクがそんな生き方を望み、自ら選んだとは到底思えない。
大体、銃火器どころか携帯電話の所持さえ認められない名誉ブリタニア人が、こともあろうに軍属として一から出世の道を目指すなど自殺行為も甚だしい。本当に出世できるだけの力があったから良かったようなものの、碌な後ろ盾の一つも持たないナンバーズ一人の命など、軍にとっては使い捨ての駒か消耗品以外の何物でもあるまい。
この国は階級制度による格差が激しく、生粋のブリタニア人であっても認められることは難しいのだ。公然と差別の横行する軍であれば尚更のこと、幾ら努力したところで正当な評価を得られる保障などほぼ皆無。
スザクのような立場であれば、目立てば目立つほど周囲への反感を煽ることにもなる。
前例の無い出世へのやっかみ。人も羨むその裏に、何らかの不正があるのではといった勘繰りの度合いが増すにつれ、水面下で、あるいはもっとあからさまに足を引っ張る動きだって増えていく。
……下手をすれば、命を狙われることだって。
首相が鬼籍に入ったとはいえ、親族の反対などは無かったのだろうか。祖国の人々からも裏切り者扱いされ、スザクにとっていいことなど何一つとして無いというのに。
スザクの生き方は、俺にとっては、まるで自分自身を苦しみの中へと追い込んでいるようにしか見えなかった。
自虐的と言い換えてしまってもいいかもしれない。
俺は正直に言えば、「競い、奪い、獲得し、支配しろ」という、この国の基本理念自体が大嫌いだ。
主義者と勘違いされれば只ではすまないと解っているから口にこそ出さないものの、本当は、この非情な国そのものに対して生理的な嫌悪感さえ覚えているほど。
実際に、社会的弱者になってみれば解る。
幼い頃に家族を失い、一人きりになった時の孤独と不安。人の痛みを無視したこの国で、どう生きていけばいいのかと途方に暮れていた十歳の俺。
スザクも俺と同じだったのだろうか。
日本が敗戦したのは今から八年前のこと。母親はどうか知らないが、父親である枢木首相は戦後まもなく自決している。
同い年であるならば、彼も当時十歳だった筈だ。きっと俺の想像など絶するほどの辛苦と悲嘆とを味わい、その中で認められようと人知れず努力を重ねてきたに違いない。
出身がこのエリア内だとは知っていても、正確な地域までは解らない。故郷からそう遠く離れてはいないと思うが、どの辺りに住んでいたんだろう。
ブリタニアではなく、嘗ての故郷に居るのだ。蹂躙されて久しい祖国とはいえ、望郷の念だって感じているんじゃないのか?
スザクは今、何を感じている?
――知りたい。共有したい。たとえ、ずっと一緒には居られない相手なのだとしても。
ふと、昼休みにでも訊いてみようか、と俺は思い立った。あまり深入りした質問さえしなければ、少しだけなら答えてくれるような気がする。
いい考えだ。
そういえば、スザクはもうトレーニングに行っただろうか。走ると言っていたが、どこを走るのだろう。そう思いながら背後のカーテンを引けば、空は生憎の曇天だった。
約束したのに、と俺の顔も曇る。
たった数時間前に離れたばかりなのに、もう会いたくてたまらない。
昼までには晴れてくれればいいが、天気予報のチェックが先だ。「雨だけは降るなよ」と誰に言うでもなく呟いてから、俺はまだ温もりの残る寝床からようよう這い出て床へと降り立つ。
足裏に広がる、ひんやりとしたフローリングの感触。ベッド下へと視線を移すと、そこらかしこに脱ぎ捨てた衣類が点々と散乱していた。
否が応にも情事後であることを匂わせてくる惨状を目の当たりにして、一糸纏わぬ姿でいることが突然気恥ずかしくて堪らなくなる。誰に見られている訳でもないのに後ろめたい気分になった俺は、散らばった服を一枚ずつ拾っては畳み始めた。
無駄なことをしたと気付いたのは、全て畳み終えた後だ。どうせこのままランドリーボックスに入れてしまうのだから、別に畳む必要なんか無いのに……。
何をやっているんだ? 俺は。それも素っ裸のままで。
みっともないと自分に呆れながら、シーツを掻き抱いて再びベッドへと寝転び、時計を見遣ってからぎょっとして跳ね起きる。
朝の十分は貴重だというのに、気付けば十五分ものタイムロス。余裕を持って目覚めたつもりが、朝っぱらからあれこれと頭を悩ませて十五分も……!
いつまでも布団と仲良くしてなどいられないとばかりに俺は立ち上がった。畳んだ衣類を片手に束ねてバスルームへと向かう。
さっさと朝食の支度をしなければ。それから、今日は弁当も拵えなければならない。
何より、寝汚い奴だと軽蔑されるのだけは絶対に御免だ。……勿論、そんな人ではないと解っているけれど。
バスルームへと続くドアを開いた俺は、洗濯物を籠の中へと放り込む。
まずは歯を磨こう、と洗面台の前に立ってから、鏡に映った自分の上半身を見て絶句した。
――嘘だろ。
制服の襟でも隠せるかどうかという際どい部分にまで――それも、なんと首の両側全面に渡ってキスマークだらけにされている。
「何だ、これは……?」
その場に立ち尽くしたまま、俺は呆然と呟いた。
こうして見ていると、まるで皮膚病のようだ。
さっき視認出来た分だけではなかったということか……道理で、首を動かす度にチクチクと痛む訳だ。
「………………」
ぶるぶると全身に震えが走り、次いで、鏡に映った顔がみるみるうちに赤面していく。
直視出来ずに目を逸らした俺は、歯ブラシだけを掴んでパーテーション代わりのカーテンを開きかけ、歯磨き粉を忘れたことに気付いて全力でリターンした。
棚に置かれたカップごと目的のものを引っ掴み、なるべく鏡が視界に入らないよう顔を背けながら、逃げるようにしてバスタブの中へと飛び込む。
勢いよくカーテンを引いた俺は、呻きにも似た声を漏らしながらズルズルとその場に蹲った。
「ス、スザク……これは……」
ちょっとどころではなく、困る。……どう考えても付けすぎだ。
首を押さえて軽く混乱しながら屈んでいると、つい先程までは気付かなかった場所――ちょうど内腿から足の付け根に至る箇所にまで鬱血の跡が散っているのが目に入った。
「――っ!?」
大慌てで両足を閉じた俺は、居た堪れない思いに苛まれながら倒れた手元のカップを立てた。
転がった歯ブラシを拾って口に突っ込むと、乾いた毛先の感触に気付く。震える手で引っこ抜き、カランを捻って出した湯をカップに注いでから濡らした歯ブラシをもう一度咥えるまでの間、俺はほぼオートで動いていた。
どうしよう……どうしよう。制服の襟できちんと隠せるだろうか。こんな状態で体育着なんか着たら……。
「!!」
ぐるぐると回る頭の中で突如閃いたのは、本日の時間割。
――絶望的だ。
いざとなったらスザクに口を利いてもらうしか……とにかく、何としても、体育の授業だけは休むしかない!
「ほわぁぁっ!?」
湯を出すつもりだったのに、うっかり逆に回してしまったせいで頭上からまだ冷たいシャワーを浴びる羽目に陥った。
おかしな叫び声を上げて竦みあがった俺は、慌ててカランに切り替えて湯温が整うのを待つ。咥えていた歯ブラシだけは辛うじて落とさずに済んだものの、全身冷たい上に目に水は入るし散々だった。
今更ながら、酷い動揺の仕方だ。冷静さを失うと、俺はいつも頭が真っ白になっては訳の分からないことばかりしてしまう。
口を漱いだ湯を足元に吐き出すのが何となく嫌で、一度洗面台に戻ろうかと思案する。数秒ほど逡巡してから、俺は結局諦めた。
まだ朝になったばかりだというのに、既に一日分の精神力を消費してしまった気分だ。
「なんで、ここまで……」
溜息交じりに漏らしながら、改めて疑問に思う。
優しく柔和でありながらも、激しい側面を持ち合わせているのは知っている。
しかし、それにしても――。
再びおかしな方向に思考が流れそうになった俺は、シャワーのコックを捻って暫く流してから、目を閉じて降り注ぐ湯に打たれていた。
温かな湯が全身を伝っていく感触に、ようやく人心地がつく。
ほうっと吐息した俺は、取り留めなく揺蕩う思考の波へと再び身を委ねた。
……馬鹿なことを。
彼だって、異性ならともかく、同性を抱くことに慣れているのかというと決してそうではあるまい。
ナンバーズとはいえ、異例の大出世を遂げた上に、あの外見だ。本来なら俺の手など届かないどころか、会うことすら叶わないような権威ある相手。
女性から秋波を受けることなど山ほどあるに違いない。今日だって、皇帝陛下直属の騎士が初登校するともなれば、学園の女子達が色めき立つだろうことも容易に想像がつく。
そこまで考えて、また大きなため息が出た。
……元々の癖なんだろうか。こんな風に跡を残すのは。
この異様とも思えるほどの痕跡の数といい、妙に執着めいた行為のように感じられるのは気のせいか?
それに、ついさっきも考えたことだが、同性を抱くことに嫌悪感を覚えたりはしないのだろうか。
俺は女が苦手だが、見ている分には男よりも女の方がいい。過去の記憶が邪魔をして、女と接したり恋愛対象として見るのが難しくなってはいても、やはり本能では、男に抱かれるよりは女を抱く側でいたいと感じている部分もある。
スザクはどうなんだろう。元々ゲイなのか? だとしたら納得はいく。
『……実は、君も俺の友達に似てるんだ』
不意に、晩餐の最中に打ち明けられたスザクの台詞を思い出し、ズキリと胸が痛んだ。
被せて見ていたのか、と尋ねた俺の言葉に、スザクは「そういう訳じゃない」と答えてくれた。だが、その台詞の前にほんの少しだけ沈黙があったことを思い出した俺は、何となく気分が沈んでいくのを感じていた。
物腰は柔らかくても、スザクが時々刺すような鋭い目線で俺を見ていたことには気付いていた。
まだ出会ってから日が浅いし、職業が職業だ。目つきが鋭いなど、一々些細なことを気にしすぎるのも良くない。そう思って誤魔化してきたけれど、何か決定的なことを突きつけられてしまったような気がしてショックだった。
言われた瞬間、一番最初に頭を過ぎったのは、生徒会室で初めてスザクと言葉を交わした時のこと。
『君はすごく頭がいいそうだな。今度俺に勉強を教えてくれないか?』
まさかの、スザクからのアプローチ。
そんなことを言い出されるだなんて思ってもいなかった俺にとっては、本当に嬉しい台詞だった。
たとえそれが、親交を深めるための社交辞令でしかないのだと解っていても。
『でもその、勉強って……俺が、ですか?』
『駄目かな』
『い、いえっ! そんな……俺で良ければいつでも』
『君がいい』
手を握ったまま間髪入れずに言い切られ、あの真っ直ぐな眼差しに見つめられ、まさに天にも昇る気持ちだった。
気に入ってくれたということだろうか――俺を見て。……そう思っていたのに。
スザクの泣き顔を思い出しながら、俺は考えた。
よくよく考えてみれば、おかしな話だ。口で憎いという割に、スザクはどうにも矛盾している。
何故、わざわざ憎い友達に似た俺を選んで重ねようとするのか。普通は避けるだろう。今も憎んでいるだけだというならば。
スザクの悲しげな瞳。
今も傷付いたまま、頑なに嘘を嫌うその姿勢。
そして、その原因となったらしい、彼の『友達』……。
スザクは、とても大切だったと言っていた。そして俺の目から見ても、スザクの心は今もまだ、その『友達』の存在に捕らわれたままのような気がする。
それはそうだろう。心の傷となるほどの悲劇だったのだから。
でも……。
『友達』に殺されたらしい『かけがえのない女性』
仮に、その女性がスザクの元恋人だったとしよう。
けれど、俺にとって少し不思議に思えるのは、スザクはどちらかというと、その女性を殺されたことよりも、『友達に嘘を吐かれたこと』の方に傷付いているように見えるということだ。
確証は無い。強いて言えば、只の勘。
一応、何事も事実に基づいて判断するべきだと解ってはいる。事件の詳細について聞き及んだ訳でもないのに、憶測だけでそうだと結論付けてしまうなど俺らしくもない。
殺されてしまった女性に対する思いが深いからこそ、そして、その友達のことを大切に思っていたからこそ、今も怒りや憎しみから解放されずに苦しんでいるのだろう。
けれど、だからこそ余計疑問に感じるのだ。
どうして、憎んでいる筈の『友達』に似ている俺と……?
……その時、唐突に、心臓の裏に冷たいものが走った。
ある考えが頭に浮かび、俺は悪寒と共に凍りつく。
もし、その『友達』とも。
――いやだ。
俺と同じような関係だったのだとしたら?
――イヤダ。違う!
本当は、
――駄目だ、これ以上考えるのは!
俺と、その『友達』を重ねていたからこそ、俺ともこういう関係に至っただけなのだとしたら……?
―――嫌だ!!
咄嗟に頭を強く振った俺は、覗き見に等しい下品な妄想を無理やり追い払った。
……やめよう。あまりにも悪趣味だ。
考えようによっては、酷い邪推でしかないじゃないか。
只の嫉妬にしたって、醜いにも程がある。
そう考えてから、俺は、スザクの『友達』に嫉妬している自分にようやく気付いた。
見当違いだ。まだ決まった訳じゃない。いや、そうじゃないだろう。根拠など何も無い以上、単なる勘違い。俺が勝手に、ズレた思い込みに嵌まっているだけに過ぎない……。
変なことばかり考えていないで、さっさと上がって朝食の支度をしよう。
そう思いながら急いで体を洗い終え、全て流し終わったところで、俺は股座に妙なぬるつきを覚えた。
まだ流し切れてなかったのか。
止めたシャワーをもう一度出し、残る泡を洗い流そうと湯を当てる。
……ところが。
もういいだろうとシャワーを止めた直後、また同じ箇所にぬるつきを感じた。
「……?」
どういうことだ? なんでここばっかり……。
もしかして泡じゃないのか、と思いながら問題の箇所を触ってみると、透明とも白濁しているともつかない液体が掌に付着する。
泡ではないが、出したばかりのボディーソープのような感触。
なんだ、これは? シャワーがおかしいのか?
全て落としきった筈なのに、何故こんなものが?
そう思いながら、掌を擦っていた俺は唐突に気付いた。
――俺から出ている……?
泡が残っているのでも、シャワーの湯がおかしくなったのでもない……?
その予想が確証に変わったのは、おそるおそる自分の後孔へと触れた時だった。
「――!!」
驚きが確信に変わると同時に、俺は派手な混乱に陥った。
後処理されていない体液が流れているのだ。……スザクのものが、俺の中から。
今度こそ本気で居た堪れない思いになり、俺はその場へと蹲る。
どうすればいいんだ、こういう時は!?
一度目の時は、こんなことは無かったように思うが……まさか俺は、自分の中に指を突っ込んで掻き出さなくてはならないのか!?
――いや、ちょっと待て。
背中に冷や水を当てられたような感覚。
俺は、不自然な体勢で固まったまま放心していた。
「俺、なんで……」
どうして、そんなことを知っている……?
何の疑問もなく後処理の方法について考えていた自分に気付くなり、俺は再度酷い混乱に陥った。
――俺は、どこでそんな方法を……?
いや……いや、落ち着け。
普通に考えて、その方法しかないだろう。別に問題はない。いや、問題というか……本当に問題なのは。
流れ続けるシャワーの音だけが浴室に木霊する中、俺は泣きたくなるような気持ちで、流れ続ける昨夜の残滓を何度も何度も洗うことになったのだった。
実際に接してみて解ったことがある。
単なる思い込みの範囲をやや逸脱し、妄想の領域に踏み込んだ感さえあった俺のスザクへの印象は、あながち外れてはいなかったらしい。
スザクはやはり、心に深い傷を負っていた。
『大切な友達』から受けた酷い裏切り。
嘘を吐いた友達の卑劣な手によって死に追いやられた『かけがえのない女性』の存在。
どちらとも親しい間柄だったのだろうが、スザクは彼にとって大事な人間を二人同時に失ってしまったことになる。
俺とて幼い頃に両親を殺され、癒えぬ傷を植え付けられた者のうちの一人だ。しかし、俺にスザクの心底を推し量る術などありはしない。
何故なら俺の場合、犯人は赤の他人であって、身内ではないからだ。
一つだけ確かなのは、スザクがその過去ゆえに嘘を嫌い、俺に対して『本当の顔』で接するようにと望んでいること。
初めて出会ったあの日。
『慈しみという言葉の意味は、『慈愛』です』
そう述べた俺の言葉を聞きつけたスザクは、嗚咽を漏らし、声を圧し殺して号泣していた。
あんな泣き方をするなんて……よほど辛かったに違いない。
俺にとっては生まれて初めての経験だった。ああまで痛々しく涙を流す人の姿を見たのは。
一体どんな人だったんだろう、その『友達』は。それに、殺されてしまった『かけがえのない女性』というのは?
本人の口からそんな言葉が出てくるくらいだ。ひょっとすると恋人だったのかもしれない。
殺されたと言っていたが、どうやってそれを知ったのか……まさかとは思うが、俺のように現場に立ち会ってしまったのか?
それに、殺した相手であるその『友達』はどうなったんだろう。もう既に逮捕されているのだろうか……。
体を重ねる関係にこそなったものの、俺はまだスザクのことを何も知らない。
一体どんな思いで生きてきたのか。略歴で語られる人生や人となりを知るだけでは決して量れない、彼の本心についてまでは。
不幸という安易な一言では括り切れないほど凄惨な過去。
只でさえ重すぎる身の上のせいで謂れなき差別や偏見を受ける過酷な環境下、更に大切な友人が殺人者となったばかりか、かけがえのない女性を殺した相手が、あろうことかその友人だったなんて。
気になることは他にもある。
軍人としての資質や能力が高いことについては疑う余地も無いが、彼は決して戦いを好むような人物ではない。
借り物の力を自らの力と勘違いし、高みに立ったつもりになって他人を見下す者など幾らでもいる。特に貴族の子息女ともなれば、自身を誇ることと、他者を見下し、蔑むことが決してイコールでは無いことすら解らない馬鹿も多い。
ブリタニアというのはそういう国だ。……それなのに、あれだけの地位にいながら、スザクには少しも驕ったところが無い。
元々心根の優しい性格なのだろう。自分では短気だと言っていたが、偉ぶらずフランクに接しようとしてくれて、親切で。ちょっと堅苦しいくらい生真面目なのに天然なところもあって。
それに、出会って間もない俺の話を、あんなにも親身になって聞いてくれた。
敗戦国の首相の息子という立場上、おそらくは色々な事情もあった筈。
しかし、だとしても、逆風しか吹かないと解り切った場所に居続ける理由がどこにある?
軍とは、日常的に人殺しを強要される場所。――即ち、もっと直接的な言い方をすれば、殺人を生業とする職業だ。
あのスザクがそんな生き方を望み、自ら選んだとは到底思えない。
大体、銃火器どころか携帯電話の所持さえ認められない名誉ブリタニア人が、こともあろうに軍属として一から出世の道を目指すなど自殺行為も甚だしい。本当に出世できるだけの力があったから良かったようなものの、碌な後ろ盾の一つも持たないナンバーズ一人の命など、軍にとっては使い捨ての駒か消耗品以外の何物でもあるまい。
この国は階級制度による格差が激しく、生粋のブリタニア人であっても認められることは難しいのだ。公然と差別の横行する軍であれば尚更のこと、幾ら努力したところで正当な評価を得られる保障などほぼ皆無。
スザクのような立場であれば、目立てば目立つほど周囲への反感を煽ることにもなる。
前例の無い出世へのやっかみ。人も羨むその裏に、何らかの不正があるのではといった勘繰りの度合いが増すにつれ、水面下で、あるいはもっとあからさまに足を引っ張る動きだって増えていく。
……下手をすれば、命を狙われることだって。
首相が鬼籍に入ったとはいえ、親族の反対などは無かったのだろうか。祖国の人々からも裏切り者扱いされ、スザクにとっていいことなど何一つとして無いというのに。
スザクの生き方は、俺にとっては、まるで自分自身を苦しみの中へと追い込んでいるようにしか見えなかった。
自虐的と言い換えてしまってもいいかもしれない。
俺は正直に言えば、「競い、奪い、獲得し、支配しろ」という、この国の基本理念自体が大嫌いだ。
主義者と勘違いされれば只ではすまないと解っているから口にこそ出さないものの、本当は、この非情な国そのものに対して生理的な嫌悪感さえ覚えているほど。
実際に、社会的弱者になってみれば解る。
幼い頃に家族を失い、一人きりになった時の孤独と不安。人の痛みを無視したこの国で、どう生きていけばいいのかと途方に暮れていた十歳の俺。
スザクも俺と同じだったのだろうか。
日本が敗戦したのは今から八年前のこと。母親はどうか知らないが、父親である枢木首相は戦後まもなく自決している。
同い年であるならば、彼も当時十歳だった筈だ。きっと俺の想像など絶するほどの辛苦と悲嘆とを味わい、その中で認められようと人知れず努力を重ねてきたに違いない。
出身がこのエリア内だとは知っていても、正確な地域までは解らない。故郷からそう遠く離れてはいないと思うが、どの辺りに住んでいたんだろう。
ブリタニアではなく、嘗ての故郷に居るのだ。蹂躙されて久しい祖国とはいえ、望郷の念だって感じているんじゃないのか?
スザクは今、何を感じている?
――知りたい。共有したい。たとえ、ずっと一緒には居られない相手なのだとしても。
ふと、昼休みにでも訊いてみようか、と俺は思い立った。あまり深入りした質問さえしなければ、少しだけなら答えてくれるような気がする。
いい考えだ。
そういえば、スザクはもうトレーニングに行っただろうか。走ると言っていたが、どこを走るのだろう。そう思いながら背後のカーテンを引けば、空は生憎の曇天だった。
約束したのに、と俺の顔も曇る。
たった数時間前に離れたばかりなのに、もう会いたくてたまらない。
昼までには晴れてくれればいいが、天気予報のチェックが先だ。「雨だけは降るなよ」と誰に言うでもなく呟いてから、俺はまだ温もりの残る寝床からようよう這い出て床へと降り立つ。
足裏に広がる、ひんやりとしたフローリングの感触。ベッド下へと視線を移すと、そこらかしこに脱ぎ捨てた衣類が点々と散乱していた。
否が応にも情事後であることを匂わせてくる惨状を目の当たりにして、一糸纏わぬ姿でいることが突然気恥ずかしくて堪らなくなる。誰に見られている訳でもないのに後ろめたい気分になった俺は、散らばった服を一枚ずつ拾っては畳み始めた。
無駄なことをしたと気付いたのは、全て畳み終えた後だ。どうせこのままランドリーボックスに入れてしまうのだから、別に畳む必要なんか無いのに……。
何をやっているんだ? 俺は。それも素っ裸のままで。
みっともないと自分に呆れながら、シーツを掻き抱いて再びベッドへと寝転び、時計を見遣ってからぎょっとして跳ね起きる。
朝の十分は貴重だというのに、気付けば十五分ものタイムロス。余裕を持って目覚めたつもりが、朝っぱらからあれこれと頭を悩ませて十五分も……!
いつまでも布団と仲良くしてなどいられないとばかりに俺は立ち上がった。畳んだ衣類を片手に束ねてバスルームへと向かう。
さっさと朝食の支度をしなければ。それから、今日は弁当も拵えなければならない。
何より、寝汚い奴だと軽蔑されるのだけは絶対に御免だ。……勿論、そんな人ではないと解っているけれど。
バスルームへと続くドアを開いた俺は、洗濯物を籠の中へと放り込む。
まずは歯を磨こう、と洗面台の前に立ってから、鏡に映った自分の上半身を見て絶句した。
――嘘だろ。
制服の襟でも隠せるかどうかという際どい部分にまで――それも、なんと首の両側全面に渡ってキスマークだらけにされている。
「何だ、これは……?」
その場に立ち尽くしたまま、俺は呆然と呟いた。
こうして見ていると、まるで皮膚病のようだ。
さっき視認出来た分だけではなかったということか……道理で、首を動かす度にチクチクと痛む訳だ。
「………………」
ぶるぶると全身に震えが走り、次いで、鏡に映った顔がみるみるうちに赤面していく。
直視出来ずに目を逸らした俺は、歯ブラシだけを掴んでパーテーション代わりのカーテンを開きかけ、歯磨き粉を忘れたことに気付いて全力でリターンした。
棚に置かれたカップごと目的のものを引っ掴み、なるべく鏡が視界に入らないよう顔を背けながら、逃げるようにしてバスタブの中へと飛び込む。
勢いよくカーテンを引いた俺は、呻きにも似た声を漏らしながらズルズルとその場に蹲った。
「ス、スザク……これは……」
ちょっとどころではなく、困る。……どう考えても付けすぎだ。
首を押さえて軽く混乱しながら屈んでいると、つい先程までは気付かなかった場所――ちょうど内腿から足の付け根に至る箇所にまで鬱血の跡が散っているのが目に入った。
「――っ!?」
大慌てで両足を閉じた俺は、居た堪れない思いに苛まれながら倒れた手元のカップを立てた。
転がった歯ブラシを拾って口に突っ込むと、乾いた毛先の感触に気付く。震える手で引っこ抜き、カランを捻って出した湯をカップに注いでから濡らした歯ブラシをもう一度咥えるまでの間、俺はほぼオートで動いていた。
どうしよう……どうしよう。制服の襟できちんと隠せるだろうか。こんな状態で体育着なんか着たら……。
「!!」
ぐるぐると回る頭の中で突如閃いたのは、本日の時間割。
――絶望的だ。
いざとなったらスザクに口を利いてもらうしか……とにかく、何としても、体育の授業だけは休むしかない!
「ほわぁぁっ!?」
湯を出すつもりだったのに、うっかり逆に回してしまったせいで頭上からまだ冷たいシャワーを浴びる羽目に陥った。
おかしな叫び声を上げて竦みあがった俺は、慌ててカランに切り替えて湯温が整うのを待つ。咥えていた歯ブラシだけは辛うじて落とさずに済んだものの、全身冷たい上に目に水は入るし散々だった。
今更ながら、酷い動揺の仕方だ。冷静さを失うと、俺はいつも頭が真っ白になっては訳の分からないことばかりしてしまう。
口を漱いだ湯を足元に吐き出すのが何となく嫌で、一度洗面台に戻ろうかと思案する。数秒ほど逡巡してから、俺は結局諦めた。
まだ朝になったばかりだというのに、既に一日分の精神力を消費してしまった気分だ。
「なんで、ここまで……」
溜息交じりに漏らしながら、改めて疑問に思う。
優しく柔和でありながらも、激しい側面を持ち合わせているのは知っている。
しかし、それにしても――。
再びおかしな方向に思考が流れそうになった俺は、シャワーのコックを捻って暫く流してから、目を閉じて降り注ぐ湯に打たれていた。
温かな湯が全身を伝っていく感触に、ようやく人心地がつく。
ほうっと吐息した俺は、取り留めなく揺蕩う思考の波へと再び身を委ねた。
……馬鹿なことを。
彼だって、異性ならともかく、同性を抱くことに慣れているのかというと決してそうではあるまい。
ナンバーズとはいえ、異例の大出世を遂げた上に、あの外見だ。本来なら俺の手など届かないどころか、会うことすら叶わないような権威ある相手。
女性から秋波を受けることなど山ほどあるに違いない。今日だって、皇帝陛下直属の騎士が初登校するともなれば、学園の女子達が色めき立つだろうことも容易に想像がつく。
そこまで考えて、また大きなため息が出た。
……元々の癖なんだろうか。こんな風に跡を残すのは。
この異様とも思えるほどの痕跡の数といい、妙に執着めいた行為のように感じられるのは気のせいか?
それに、ついさっきも考えたことだが、同性を抱くことに嫌悪感を覚えたりはしないのだろうか。
俺は女が苦手だが、見ている分には男よりも女の方がいい。過去の記憶が邪魔をして、女と接したり恋愛対象として見るのが難しくなってはいても、やはり本能では、男に抱かれるよりは女を抱く側でいたいと感じている部分もある。
スザクはどうなんだろう。元々ゲイなのか? だとしたら納得はいく。
『……実は、君も俺の友達に似てるんだ』
不意に、晩餐の最中に打ち明けられたスザクの台詞を思い出し、ズキリと胸が痛んだ。
被せて見ていたのか、と尋ねた俺の言葉に、スザクは「そういう訳じゃない」と答えてくれた。だが、その台詞の前にほんの少しだけ沈黙があったことを思い出した俺は、何となく気分が沈んでいくのを感じていた。
物腰は柔らかくても、スザクが時々刺すような鋭い目線で俺を見ていたことには気付いていた。
まだ出会ってから日が浅いし、職業が職業だ。目つきが鋭いなど、一々些細なことを気にしすぎるのも良くない。そう思って誤魔化してきたけれど、何か決定的なことを突きつけられてしまったような気がしてショックだった。
言われた瞬間、一番最初に頭を過ぎったのは、生徒会室で初めてスザクと言葉を交わした時のこと。
『君はすごく頭がいいそうだな。今度俺に勉強を教えてくれないか?』
まさかの、スザクからのアプローチ。
そんなことを言い出されるだなんて思ってもいなかった俺にとっては、本当に嬉しい台詞だった。
たとえそれが、親交を深めるための社交辞令でしかないのだと解っていても。
『でもその、勉強って……俺が、ですか?』
『駄目かな』
『い、いえっ! そんな……俺で良ければいつでも』
『君がいい』
手を握ったまま間髪入れずに言い切られ、あの真っ直ぐな眼差しに見つめられ、まさに天にも昇る気持ちだった。
気に入ってくれたということだろうか――俺を見て。……そう思っていたのに。
スザクの泣き顔を思い出しながら、俺は考えた。
よくよく考えてみれば、おかしな話だ。口で憎いという割に、スザクはどうにも矛盾している。
何故、わざわざ憎い友達に似た俺を選んで重ねようとするのか。普通は避けるだろう。今も憎んでいるだけだというならば。
スザクの悲しげな瞳。
今も傷付いたまま、頑なに嘘を嫌うその姿勢。
そして、その原因となったらしい、彼の『友達』……。
スザクは、とても大切だったと言っていた。そして俺の目から見ても、スザクの心は今もまだ、その『友達』の存在に捕らわれたままのような気がする。
それはそうだろう。心の傷となるほどの悲劇だったのだから。
でも……。
『友達』に殺されたらしい『かけがえのない女性』
仮に、その女性がスザクの元恋人だったとしよう。
けれど、俺にとって少し不思議に思えるのは、スザクはどちらかというと、その女性を殺されたことよりも、『友達に嘘を吐かれたこと』の方に傷付いているように見えるということだ。
確証は無い。強いて言えば、只の勘。
一応、何事も事実に基づいて判断するべきだと解ってはいる。事件の詳細について聞き及んだ訳でもないのに、憶測だけでそうだと結論付けてしまうなど俺らしくもない。
殺されてしまった女性に対する思いが深いからこそ、そして、その友達のことを大切に思っていたからこそ、今も怒りや憎しみから解放されずに苦しんでいるのだろう。
けれど、だからこそ余計疑問に感じるのだ。
どうして、憎んでいる筈の『友達』に似ている俺と……?
……その時、唐突に、心臓の裏に冷たいものが走った。
ある考えが頭に浮かび、俺は悪寒と共に凍りつく。
もし、その『友達』とも。
――いやだ。
俺と同じような関係だったのだとしたら?
――イヤダ。違う!
本当は、
――駄目だ、これ以上考えるのは!
俺と、その『友達』を重ねていたからこそ、俺ともこういう関係に至っただけなのだとしたら……?
―――嫌だ!!
咄嗟に頭を強く振った俺は、覗き見に等しい下品な妄想を無理やり追い払った。
……やめよう。あまりにも悪趣味だ。
考えようによっては、酷い邪推でしかないじゃないか。
只の嫉妬にしたって、醜いにも程がある。
そう考えてから、俺は、スザクの『友達』に嫉妬している自分にようやく気付いた。
見当違いだ。まだ決まった訳じゃない。いや、そうじゃないだろう。根拠など何も無い以上、単なる勘違い。俺が勝手に、ズレた思い込みに嵌まっているだけに過ぎない……。
変なことばかり考えていないで、さっさと上がって朝食の支度をしよう。
そう思いながら急いで体を洗い終え、全て流し終わったところで、俺は股座に妙なぬるつきを覚えた。
まだ流し切れてなかったのか。
止めたシャワーをもう一度出し、残る泡を洗い流そうと湯を当てる。
……ところが。
もういいだろうとシャワーを止めた直後、また同じ箇所にぬるつきを感じた。
「……?」
どういうことだ? なんでここばっかり……。
もしかして泡じゃないのか、と思いながら問題の箇所を触ってみると、透明とも白濁しているともつかない液体が掌に付着する。
泡ではないが、出したばかりのボディーソープのような感触。
なんだ、これは? シャワーがおかしいのか?
全て落としきった筈なのに、何故こんなものが?
そう思いながら、掌を擦っていた俺は唐突に気付いた。
――俺から出ている……?
泡が残っているのでも、シャワーの湯がおかしくなったのでもない……?
その予想が確証に変わったのは、おそるおそる自分の後孔へと触れた時だった。
「――!!」
驚きが確信に変わると同時に、俺は派手な混乱に陥った。
後処理されていない体液が流れているのだ。……スザクのものが、俺の中から。
今度こそ本気で居た堪れない思いになり、俺はその場へと蹲る。
どうすればいいんだ、こういう時は!?
一度目の時は、こんなことは無かったように思うが……まさか俺は、自分の中に指を突っ込んで掻き出さなくてはならないのか!?
――いや、ちょっと待て。
背中に冷や水を当てられたような感覚。
俺は、不自然な体勢で固まったまま放心していた。
「俺、なんで……」
どうして、そんなことを知っている……?
何の疑問もなく後処理の方法について考えていた自分に気付くなり、俺は再度酷い混乱に陥った。
――俺は、どこでそんな方法を……?
いや……いや、落ち着け。
普通に考えて、その方法しかないだろう。別に問題はない。いや、問題というか……本当に問題なのは。
流れ続けるシャワーの音だけが浴室に木霊する中、俺は泣きたくなるような気持ちで、流れ続ける昨夜の残滓を何度も何度も洗うことになったのだった。