拝啓、黒猫さん。


 ことん、と肩に当たる重みを感じて目が覚めた。
 通勤帰りの電車内。ガタゴトと揺れる車両の中で、運良く一席確保して気持ちよく居眠り……している真っ最中、だったんだけど。
 眠っていたといっても熟睡していた訳じゃない。ただ、隣に座っている人がゆらゆら揺れているのは視界の隅に映ってた。
 危ないなーとは思っていたけど、このところ新規開拓に忙しくて眠気が酷くて、全くもってそれどころじゃなくて。
 で、気付けば僕の肩は、見知らぬ誰かさんに、いつの間にか枕にされていたって訳だ。
 僕の肩、固くないですか? と思ったところで、ダジャレじゃないんだから、と即効自分に突っ込む。
 ああ、なんか空しい。もしかして疲れでも溜まってるのかな、僕。
 ほんの少し顔の角度を変えてみると、頬に触れるさわさわとした感触。――髪の毛だ。黒髪。
 今時黒髪なんて珍しいな。それにサラサラのストレート。
 いいなぁ、直毛。雨の日とか最悪なんだよな、癖っ毛は。元々寝起きはいい方だけど、一分一秒でも長く布団の中にいたい日に限って何とかしなきゃならない事態に陥る。この間も危うく遅刻しかけたことを思い出して、つい溜息が漏れた。
 男かな、女かな。俯いてるせいで顔がよく見えない。
 これが可愛い女の子だったら、男としては結構嬉しいというか、ラッキーだよね。
 ……と、思ったんだけど。これ、多分男だ。
 体型はかなり細身だし、僕の肩に乗っかっている頭も寄りかかってくる肩も羽のように軽い。でも、靴、鞄、服装と順繰り流し見て、最後に腕組みされたままの手元までしっかり確認してから、僕は「やっぱり男だ」と断定した。
 どうしようかな。払い除ける訳にもいかないし。僕も同じ状況に陥ったことがあるから、ここで「迷惑ですから退けて下さい」なんて言う訳にもいかないし。
 それに、今目覚めたら相当恥ずかしいだろうな、これは。
 うーん、しょうがない。寝かせておくか、と考えてから、寝たふりを決め込もうともう一度目を閉じたところで、突然電車がガタンと大きく揺れた。
 途端、僕の肩に乗っていた頭がずるりと落ちる。
「あっ!」
 危ない! と口に出す間もなく、ガクンと前のめりになったその人はハッとしたように慌てて体を起こした。
「……!?」
 自分が寝ていたことにようやく気付いたんだろう。緩慢な動作で額を押さえてから目頭を擦った彼は、まだ少し寝ぼけた顔をしたまま僕の方へと振り返ってきた。
 ――うわぁ。
 目が合った瞬間、パカリと僕の顎が落ちた。
 周囲の視線もそっちのけで、ついまじまじと魅入ってしまう。……何にって、その人の顔に。
 透き通った菫色の大きな瞳に、すっと通った鼻筋。肌色なんか抜けるように白くて、驚くほど睫が長い。
 随分かっこいい人だ。ちょっとビックリ。
 芸能人? モデル? 浮世離れした美形すぎて、そういう人達でさえ霞みそう。まず見ないってくらい……っていうか、僕が今まで見てきた人達の中で一番って言ってもいいくらい整ってるんじゃないだろうか、この人。
「大丈夫、ですか?」
 ホントにいるんだ、こういう人。
 なんだか凄いなぁと思いながらも、あんまりジロジロと見つめ過ぎてしまうのも失礼なので、とりあえず声をかけてみる。
「あ……」
 お人形さんみたいなその人は、ぱちぱちと瞬きながら上体を起こし、ばつが悪そうな顔をして僕を見た。
 一言で言うと「どうしよう」みたいな顔。
 そりゃあそうだろう。男が見ず知らずの男の肩に寄りかかって眠っていた挙句、思いっきりぐらついて転びそうになってる所を見られたんだから。
 それにしても、顔ちっちゃいなぁ。やっぱりお人形さんみたいだ。表情出ると、また雰囲気変わるんだな。
 まあそうか。マネキンじゃなくて人間なんだから。
 と、そこまで考えた時、彼の唇が固く引き結ばれ、眉根がきゅっと寄せられた。
 ――あ。もしかして僕、警戒されてる? こいつ何者? とか思われてないか。
 後ろめたい思考を読んだかのようなタイミングに、内心ギクリとする。あんまり綺麗だから生きてるのかどうか解んないくらいだけど……それとも、何言えばいいのか解んないだけなのかな? ごめん、僕もわからないよ。
 じゃなくて。
 こういう時、こっちから話しかけるのと、そのまま知らんふりするのとどっちがいいんだろう。
「えっと、」
「俺、」
 あっ……。
 話し出すタイミングが見事に重なってしまって、二人同時に沈黙する。
 き、気まずい……! あと0.5秒くらい黙っとけば良かった!
 彼は完全に固まってしまっている。桜色の唇を僅かに震わせて、一瞬目を泳がせてから、今度は「困ったな」という具合に眉が下がった。
 幸い、僕に対する非難の色は特に無い。……良かった。どうやら戸惑ってるだけみたいだ。
 僕は、人当たりがいいと褒められることの多い笑顔を彼に向けて、やっぱり、とりあえず微笑んでみた。
「寝不足ですか?」
 すると、形良くつんと尖った唇が薄く開かれ、小作りな顔にこれ以上無いほど完璧に配置された中でも一際目を引く綺麗な紫が大きく瞠られていく。
 えっ。僕、何か変なこと言ったかな。
 どう反応しようか決めかねているのか、涼やかでありながらも華やいだ印象の瞳を零れ落ちそうなほど大きく見開いた彼は、ピタリと動きを止めたまま僕の顔を凝視していた。
 宝石みたいな、と言えば月並みな表現になるけど、吸い込まれそうって多分こういうことを言うんじゃないのかな。
 っていうか、何か言ってよ……。別にからかってる訳じゃないってば。察して欲しいな。
 僕の笑顔がそろそろ引き攣りそうになってきた頃、ようやく小さな声で応えが返される。
「少し……」
「あ、ああ」
「あの……」
「えっ?」
「重かった、ですよね? 俺……」
 乱れた漆黒の髪が頬にかかっているのが気になったのか、彼は右手で持った鞄を膝の上に置き直しながら、ぎこちない手つきで髪をかき上げた。
 続いて、僕の顔色を伺うようにチラリと横目を向けられて心臓が跳ねる。
 ちょ、ちょ、ちょっと待って。
 ――何それ? 何、今の。
「いえ、僕も寝てましたから」
 動揺が顔に出ないようにするだけで精一杯だった。
 何気ない仕草の筈なのに、どこからどう見ても男だってのに……何だろう、この色気。
 正直、かなり困る。別にソッチの気がある訳でもないのにこんなにドギマギしてるだなんて、僕、一体どうしちゃったんだろう。この人が綺麗すぎるからだろうか。
 男だけど、ここまで整ってると……いやいや、バレたら怪しい目で見られちゃうじゃないか。気持ち悪いとか思われたらショックだよ。
 これ以上話しかけたらおかしく思われそうなので、再び目が合ったところで微笑んでおく。
 すると彼は、座席に深く座り直しながら軽く会釈を返し、そのまま黙って俯いていた。
 整った横顔をこっそりと盗み見ながら思う。
 あー、ホントに綺麗だよ、この人。もうちょっとだけ話したい。別に見てるだけでもいい、けど……でもなぁ、さすがにマズいよな、これ以上は。
 そう思いながら、僕は雪のように真っ白な横顔から無理やり引き剥がすようにして目を逸らした。
 幾つくらいなのかな。僕とそんなに離れてはいなさそうだけど……もしかして年下か?
 どこで降りるんだろう。駅近いのかな。一回も乗り合わせたこと無かったよな。一回でも見かけたら絶対に忘れないよ、これは。
 営業の特技は、人の顔と名前を覚えることだ。……でも、そういう意味じゃなくて。
 ああ。どこまでですか? って訊きたい。教えて下さい。すんごく話したい。けど、どこの駅で降りるんですか? なんて訊くのは、どう考えても怪しすぎるよな。
 僕より先に降りてくれ。頼むから。
 いや、だから……駅知ってどうするつもりなんだよ? と自問した僕は、ほんの少し落胆している自分に気付いた。
 一期一会ってこういう意味だっけ? そもそも、別に降りた駅がこの人の住んでる家の近くって訳でもないだろう。単に用事があってこの路線に乗っただけなのかもしれないし。
 ストーカーじゃあるまいし、知ってどうするんだよ、僕は。
 それにしても、男……男かぁ。勿体無い! 女の子だったら絶対ナンパしてたよ。電車の中でさえなければ、もっとこう、上手く話せたんだけどな。あと、連絡先とか……。
 いや、だから! 男だって。相手、男だ。落ち着け僕。
 我に返るなりガックリきてしまった。
 気持ち悪いなぁ、僕。なんでこんなトチ狂ったことを考えてるんだろう。恋愛とか、長らくしていないせいだろうか。
 どこかピントのズレたことを考えていると、はあっ、と思いのほか大きなため息が出た。隣に座る彼の肩がピクリと動いたような気がしたけれど、何となく顔を合わせ辛かったので気付かぬふりを装う。
 恋……恋か……。確かに女の子と付き合ったことは何度かあるけど、本気だったのかどうかって訊かれると、実はちょっと微妙だったりする。どうにも熱くなれないというか、好きは好きだけど、相手に心底溺れるほど夢中になったことは、まだ無いような。
 物思いに耽る最中、ふぁ、と欠伸が出た。
 まだちょっと眠い。今日も帰ったらベッドに直行コースだな。夕飯は……近所の弁当屋で買って適当に済ませるか。
 楽しいデートとか出来る彼女もいいけど、それよりも奥さんが欲しい。家事とか料理が得意で家庭的な子、どっかに落ちてないかな。今ならもれなく拾って帰るよ。美味しい和食が食べたいんだよな。煮物とか、こう、手間隙かけて作りましたって感じの……。
『次は池袋、池袋です。お出口は~』
 車内アナウンスと同時に、座っていた数人がバラバラと立ち上がり始める。ここでお別れか、と名残惜しく感じながら、僕も鞄を手にゆっくりと立ち上がった。
 僕の職場は品川。社宅は池袋のマンションだ。短い逢瀬だったけど、さよならです。隣に座っていた彼のつむじを見下ろしながら、僕より後に降りるのか、と残念に思っていると、彼はなんと、首に巻いていたマフラーをごそごそと直しながら席を立とうとしている。
 ――えっ!?
 まさか、まさか。君もここで……?
 立ち上がった彼は、つり革に掴まってからチラリと僕を見た。
 お互い同じことを考えていたのか、目が合ったところで彼がふんわりと微笑する。
 わ……! 笑っ……!!
 瞬間、僕の思考は完全にフリーズした。
 緩く弧を描いた薄い唇。そして、そばめられた瞳の甘やかさに目を奪われる。――一瞬、時が止まった。
 か、可愛い…………!! 
 見たこともないほど極上のスマイルに、ドキン、ドキン、とたてかましく心臓が高鳴り始める。
 どうしよう……どうしよう……! 信じられないほど可愛い!
「あ、あのっ!」
 とにかく、何でもいいから話しかけよう。
 そう思ったところで運悪くドアが開いた。背後からどっと押し寄せてくる人波に揉まれて、勢い良く外へと押し流されてしまう。
 彼は何か言いかけた僕の様子に気付いたものの、どこか物言いたげな一瞥を寄越してから飄々と去っていく。
 止まって! いや、ちょっと、待って!
 反射的に、僕は彼を追おうとしていた。捕まえてどうする? と思ったけれど、とにかくここで彼を見失うのだけはどうしても嫌だった。
 ただ、それだけの理由で。
 黒いコートの後姿が人波に紛れていく。もたもたと歩く前の人が邪魔だ。頼むからどけてくれ。でなきゃもっと早く歩いてくれ!
 本当はもっと早く走れるのに、追いかけて、追いついて……でも、何を話せばいいんだろう?
 彼は地下に向かって歩いていく。迷いの無い足取りが猫みたいだ。どんどん距離が遠ざかっていくことに、僕は何故か酷く焦っていた。
 去り際の一瞥が気になる。意味ありげだった。何か言いかけてくれたのかも。いや、僕が一方的にそう思いたがってるだけなのかもしれない。
 ――それでもいい。
 座ってる時は気付かなかったけど、彼は結構背が高かった。すらっとしている。振り向いたりしないかな、と期待する半面、追いかけられていることに気付かれるのも困ると思いながら、僕は早足で彼を追っていた。
 もしかして乗り換えか? 慣れてるな。……とか、そうじゃないだろ。
 僕、怪しいよ。初対面で、しかも電車の中で乗り合わせただけの人を追いかけてる。どうなってるんだ? 頭おかしくなったのかな。いや、ただ彼と話がしたいだけ……って、これじゃまるで変質者の言い分みたいじゃないか。
 よく聞くよ、そういうこと。ニュースとかで。「ただ話したかっただけなんだ」とか。
 今の僕は普通じゃない。明らかに頭がおかしい。どう考えても異常だ。
 もし彼に気付かれたら……駄目だ! 絶対に怖がられる。
 ……だけど、自分でも自分の行動が普通じゃないってことに気付いてるのに止められない。
 彼は、別の路線の改札へと消えていった。……どこだ、ここ?
 ふと、いい匂いに誘われて真横を見ると、何かの店がある。
「アンデルセン」
 店内の棚に並んでいるものを見て気付いた。――パン屋か。
 続いて見た改札口には。
「東武東上線……」
 普段、滅多に乗ることの無い路線だ。
 池袋から乗るってことは、終着駅は成増。……ということは、きっとそれまでのどこかで降りるんだろう。
 北池袋―下板橋―大山―中板橋―ときわ台―上板橋―東武練馬―下赤塚―成増。この九駅のうちのいずれか。
「――――」
 彼の行き先に大体の見当が付くなり、ほうっと溜息が漏れた。何やってるんだ、と肩を落としかけ、癖のある髪をクシャクシャとかき混ぜながら、僕はようやっとの思いで踵を返す。
 振り返った改札口のどこにも、黒猫のような彼の後姿は無い。
 けれど、不思議なことに、もう二度と彼に会えなくなるかもしれない不安は僕の中から消えていた。
 さっきまで必死で追いかけていたのに、まるで、その焦りが嘘のように。
「困ったなぁ」
 ぽつりと呟いてから考える。
 多分、僕と彼は、タイプが真逆だ。
 僕はバリバリの体育会系だけど、彼はいかにも文化系でインドア派っぽかった。大人しそうで、物静かそうで、カフェでお茶したり図書館で読書している姿などが容易に思い浮かびそうな草食系。
 服装も決して派手ではない。黒のコートに黒の靴。グレーのパンツに白いシャツ。焦げ茶の鞄。赤とグレーと、白と黒の、ストライプのマフラー。全体的にモノトーンの印象。……寧ろ地味だ。
 どこにでもいる――そう、学生っぽい格好。遊んでいる感じなんて微塵も無くて、どことなく奥手そうな雰囲気。
 ……でも。
 澄み切った菫色の瞳と、去り際に何か言いかけた彼の表情。
 それから、あの眩しすぎる笑顔が目に焼きついたまま離れない。
「また、会えるかな」
 そうひとりごちてから、再び溜息が漏れる。
 僕、猫に懐かれたことって無いんだよな。
 人からよく言われること――「お前って、動物にたとえると犬っぽい」
 猫って、犬苦手だよね、きっと。
 一気にネガティブ思考へと陥りそうになりつつ、それでも僕は思った。

 拝啓、黒猫さん。
 どうか僕に、もう一度だけチャンスを下さい。

 僕、君と、友達になりたいです。
 



*****


久々短編。初・現代パラレル。出会い編? もしかしたら、続くかも。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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