Lost Paradise 11(スザルル)
11
八年前、父の企みを知り「戦争を止めなければ」という思いもあった。
けれど、その思いの裏側にあったものは決して純粋な思いなどではなく、もっと生々しく個人的な欲望だったように思う。
罪に手を染めるまでの間にプラスされる要素――戦争を止めるという大義名分さえなければ、俺はもしかするとそこまで踏み切ることなど無かったのかもしれない。
……いや、寧ろそう思えれば少しは救いになっただろうか。
『戦争を止めなければならないと思ったんだ』
『そんなつもりじゃなかった』
ずっと、自分にそう言い聞かせながら生きてきた。
あの時、父は死ななければならなかった。俺はああするしかなかったんだと。日々降り積もっていく後悔と罪の意識の中で呪いの如く幾度も唱えながら。
……けれど、父を殺しても殺さなくても、結局戦争は止められなかった。
じゃあ、父さんは何のために命を落とした? 俺は一体、何のために父の命を奪ったんだ?
俺のたった一人の友達。生まれて初めて出来た友達――ルルーシュを、そしてナナリーとの生活を俺から奪おうとした俺の父親。
そう。父は自分の目的のために、彼らを殺そうとしていたんだ。
――だから何だ。
父と俺と、どう違う?
所詮後付けの理屈でしかないと、名も知らぬ男に言い当てられたこともある。
……知っている。自分でも解っている。戦争を止めようと思ったなどと、所詮その男の言う通り後付けの理屈でしかないのだと。
認めなければならない。いや、認めていたつもりだった。だからこそ贖罪の道を選んだのだ。
確かに俺は、ルルーシュたちとの生活を壊されたくなかったがゆえに父をこの手にかけた。
奪われたくなかった。友達との楽しい日々を。
父を殺せば戦争を止められると思った。戦争さえ起こらなければ、ルルーシュたちとの楽しい毎日がこれからもずっと続いていく。
だから、その父が彼らを手にかけようとしていたことなど、言うなれば彼らと一緒に居たいと思っていた俺の動機に理由を与えるための、ほんの切欠にしか過ぎなかったのだ。
彼らを失いたくないという俺のエゴ。自身の欲を叶えるための理由や言い訳。
ルルーシュの言葉こそがトリガーになった。……ただそれだけのことだ。
日本に来てから誰一人として信用しなかったルルーシュ。
俺とは比較にならない重さと冷静さで自分の置かれた環境を見つめていた彼にとっては、戦争など自分たちとは関係ない大人の世界の出来事だと思い込もうとしていた俺との付き合いなど、きっとのんきな友情ごっこにしか映らなかったことだろう。
それなのに、彼は、俺のことだけは信じてくれた――。
父がルルーシュたちを殺すために、ブリタニア皇室と関連のある貴族たちを嗾けていたことは知っていた。
ナナリーが浚われたあの日。そして、俺が父を殺したあの日。荷物が置かれたままだった道場の鍵を渡そうと、俺は父と話している藤堂さんを探しに行った。
多分、父の書斎で話しているのだろう。そう思って向かったところで聞いてしまったのだ。父たちの会話を。
難しい話はほとんど解らない。けれど、これだけは解った。
――ブリタニアとの戦争が始まってしまう。
そして『人質』の意味も。
ルルーシュたちが影でこう呼ばれていたことは知っていた。だから、その言葉だけがひたすら頭の中でがんがんと鳴り響いていた。
戦争が始まる? なら、ルルーシュたちはどうなる?――殺される? 何故? どうして? 皇子と皇女なんだろう? 何故見捨てるような真似をする? どうして守ってやらない!
俺は屋敷の離れに向かって一心不乱に走った。青ざめ、顔を引き攣らせ、吐き気と怒りと混乱の中で。
中に入った時には既に部屋は滅茶苦茶に荒らされており、もう日が翳っているにも関わらず明かりの一つさえついていなかった。
薄暗い室内。不吉な静寂の中で悪い予感が駆け抜けていく。俺は大声で名前を呼んだ。
ルルーシュ、ナナリー、どこだっ! 返事しろ!……それでも、誰も答えない。
まさか、まさか。もう……?
わんわんと鳴り響く耳鳴り。おぞましい予感に全身が総毛立ち、体の芯から震えが来る。
――死。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、鼓膜を掠めた微かなうめき声。
どこだ!? 二階だ。弾かれるように上を見てから、俺は全力で階段を駆け上った。
扉をぶち抜くようにして寝室に入る。
そこには、ルルーシュが粗末な寝台の横で倒れていた……。
たった一人の妹を誘拐され、抗った末に薬物で昏睡させられたルルーシュ。
ぐったりと力無く寝台に横たわった彼の姿を見て思った。
――許せない。
あの、いつも綺麗に澄んでいた筈の瞳が、焦点を失って濁っていた。たった数時間前に俺の名を呼んだ声音でさえも、憎悪の色に染まって掠れていた。
どこか懐かしい響き。
まるで、近しい兄に名を呼ばれているような。
可愛い弟に慕われているような。
馬鹿なことだ。
そんなもの、自分にはいないのに。いるはずもないのに……。そう思ったあの声で、必死で叫んで、猛然と抵抗して、ひしと俺の胸に縋って……。
あの、誰にも頼ろうとしなかったルルーシュが――。
妹を守ろうとして抗ったんだろう。たった一人で。
一人きりで。
ルルーシュが一体、どんな悪いことをしたっていうんだ? こいつは一生懸命生きていただけだ。自分だって弱いくせに、いつだって妹のためにと必死で生きていた。
――そんなルルーシュに、何故こんな酷い真似をする……?
『……ナナリー……ス、スザク……ナナリーを……』
『……ごめん……君のこと……最初……誤解して……た……ごめん……だから……ナナリーだけは……』
『だ、だから……ナナリーの……こと、だけは……』
意識を失う前に彼が言った一言は、決して俺の姿を見とめてのものではない。
ルルーシュは、俺がそこに居ると思って助けを求めたのではない。
でも、確かに呼んだのだ。他の誰でもない俺の名を。
ごっこ遊びじゃなかった。……それだけで良かった。
『――分かった。待ってろ、ルルーシュ』
一瞬でありとあらゆる感情が封殺された。
肉親への愛さえ簡単に上回るほどの情。……激情。その裏に潜んでいた執着という名の凄まじい我欲。
生まれて初めて得た絆。何としても守る。ルルーシュとの約束を必ず果たしてやる。
俺が守るんだ。
その為なら、この手を汚すことなど厭わない!
あの瞬間、ルルーシュは間違いなく俺の世界の全てだった。例えどんな手段を使っても、彼の願いを叶えることこそが――。
離れを出た俺は、屋敷の方角に向かってまっすぐにひた走った。
力。
力がいる。
友達との約束を果たすための。
今の自分には力が無い。
力さえあれば――。
数時間前に聞いた、涼やかなルルーシュの声が蘇る。
『なんだ? これは』
『先生の荷物だよ』
『ふ~ん。剣も置いてあるぞ』
『それは剣じゃなくてカタナっていうんだ、カタナ』
懐から鍵を取り出し、古びた鍵穴へと差し込む。
がらがらと引き戸を開ける音が無人の道場に響いた。
夕闇に染まった空。薄暗い道場内に落ちる、長々とした俺の影。
開け放たれた戸の隙間。がらんと広い床板の上で、ぽつんと置きっ放しにされている風呂敷の包み。
……その横に、それは置かれていた。
俺はひたひたと歩を進め、躊躇いも無くそれを掴み取る。
ぎゅっと握り締めた柄は冷たく、ずっしりと重い。自分の背丈ほどもある鞘をすらりと抜けば、抜き身の刀身がぎらぎらと鈍い光を放っていた。
暫しその光を見つめていた俺は、やがて、ゆっくりと立ち上がる。
その間、俺は自分でも驚くほどに落ち着き払っていて冷静だった。全ての動作を淀みなくスムーズに終わらせて、戸に鍵をかけ直す。
去り際、何かを思い出しかけたような気がした俺は、一度だけ振り返った。
昼間、稽古の最中に藤堂さんが俺に言った一言。……確か、覚悟がどうとか。
――覚悟ならある。
そう思った俺は、もう振り返らなかった。
父を殺し、返り血に染まった胴着と袴。絶命した父が倒れ込むと同時に刀を取り落とした。
師と仰いだ人の刀。竹刀とは全く異なる重みを持つそれは、確かに武器であり凶器だった。
所々乾いていながらも、まだぬめる指先。辺りに漂う錆びた鉄のような匂い。
刺した箇所は父の腹だ。背丈の低い俺の目線とほぼ同じ場所だった。
顔面に浴びた返り血が、じっとりと血を吸い込んだ合わせの襟から胸元へと伝っていく。
生暖かい血液の感触。閉じ込められたナナリーに声をかけ、平静を装おうとしたところで、前髪から垂れた血が唇に向かって滴り落ちてくる。
途端、酷い吐き気に襲われた俺は駆け出した。震える手で唇を拭うと頬にまでぬるりと血が伸びる。薄く伸ばされた部分だけすぐ乾き、頬が突っ張るのが解った。
取れない。落ちない。擦っても擦っても、血で血を洗っているようなものだ。何故なら、俺の手そのものが血に塗れていたのだから……。
再び戻った書斎には巨大な血だまりが広がっていた。その真ん中に転がっているのは、無残な肉塊と化した俺の父。
昏い穴ぼこのように見開かれた瞳孔。
――動かない。喋らない。もう二度と。
俺が殺した。
殺人。
それは、出来る人間と出来ない人間との間に決定的な隔たりを伴う行為。
憎い人間を衝動的に殺害することは過失。
……だが。
桐原さんは言った。
『一度抜いた刃は血を見るまで鞘には納まらぬ。言っておくが、おぬしの刃はまだ納まっていない』
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
『おぬしの目がそう言っておる。これを行うことのできたおぬし自身の血と体がそう言っておる』
そう。
出来てしまったのだ、俺は。
剣を抜き、実の父親の血に塗れた俺は、そんな己の本性にこそ慄いた。
そして、その時になってからようやく思い出した。稽古の最中に藤堂さんから教えられていた一言を。
『剣は一度抜いた以上、覚悟を決めておくべきだ』
『一度抜いた真剣は血を見なければ納まらない。そして、その血を覚悟しておくのが、剣の道というものだ』
……俺だけが知っている。父を殺したのは、俺がルルーシュたちに対して一方的に抱いていた情が招いた結果だと。
だからこそ、彼らに罪の肩代わりなど決して求めてはいけない。そう思っていた。
――だけど。
八年前のあの出来事は、正しい選択だったのだと言って欲しい。
たとえ大義名分を失ってしまっても、決して正当な理由とはいえないと悟ってしまっても、俺は誰かに認めて欲しかったのだ。
ルルーシュが願った通り、たとえ父親の命を奪ったとしても、彼らの命を優先した俺の選択は正しかったのだと。
一生守ろうと心に誓った。それ以外生きる術は無いとさえ。
彼の願いを叶えたいと剣を抜いたあの日から、ルルーシュは俺にとって守るべき存在になった。
彼が俺に守らせてやるとさえ言ってくれるなら、俺はそれを理由にして生きることが出来る。
まだ幼かった俺はルルーシュに縋り、心の底から守らせて欲しいと願っていた。
そして持ち掛けられた約束――相互扶助。
二度と自分のために自分の力を使わないと言った俺に、ルルーシュは言った。
『君が自分のために自分の力を使わない。そう言うのなら、僕が――いや』
、
『俺が』
『君のために力を使う』
ただ一方的に助けられ、守られることを受け入れるのではなく、俺が彼を守るというのなら、彼もまた俺を守るのだとルルーシュは約束してくれた。
その二十日後のことだ。
キョウトから寄越された使者が俺に、ルルーシュたちが近いうちに、アッシュフォードに引き取られることになるだろうと伝えに来たのは。
父さんを殺したあの時、藤堂さんと共にその場へとやってきた桐原さんも、また知っていたのだった。キョウト側と敵対関係にあった俺の父が、ブリタニアに日本を売り渡すためにルルーシュたちの命を狙っていたことを。
ふらつく足取りで書斎を出た俺の後を追い、藤堂さんは血に塗れた俺の体を洗って着替えさせてくれた。
父の監視として枢木の本邸に来ていたのだと明かされたのも、その時だ。
『私はもう、君の師ではない』と。
父が勝手に事を起こさぬための監視。
ナナリーが誘拐された時も、殺害を阻止するために動いていたのだと藤堂さんは言った。
戦争が不回避となるまでブリタニアとの関係が悪化せず、また、父が死ぬ前であれば、時機を見て丁重に送り返すことも出来たのだと。
藤堂さんに謝られた俺は悟ってしまった。
戦争回避という意味でも、ルルーシュたちを守るという意味でも。
俺が父を衝動的に殺めたことは――二重の意味で無駄なことでしかなかった。
でも……。
だったら、ブリタニアに帰れなくなったルルーシュたちは、これからどうなるんだろう――?
藤堂さんは謝ってくれた。……だけど、それなら何故、戦争が回避出来ないところまで進んでしまう前に送り返さなかったのか。
それも、殺されるかもしれないと知っていて。
ブリタニアは元々人質という手が通用するような国ではないが、日本側へと送りつけられた「預かりもの」であるルルーシュたちを殺してしまえば、決定的な開戦の口実を与えてしまうことになる。
父の目的は、日本をキョウトから奪うためにブリタニアに売ること。
日本の実質的権力者であるキョウトからの支配を脱するためにブリタニアに敗戦し、敵国の狗となって統治者としての地位を得る。
皇族に関連する貴族、果てはブリタニア皇帝とまで密に通じ、地位を確約するという契約を違えさせぬため、ルルーシュとナナリーの命を約束手形として……。
父の遺志は、徹底抗戦などではない。
だが、俺が父を殺害したことにより、その事実を隠して死を活用するシナリオを立てるより他なくなってしまった。
「余力を残した最善の負け方」のために選ばれたシナリオは、「軍部を抑えるための首相の自決」。
そして、抗戦を叫んだ口で「ブリタニアからの預かりもの」を大事に抱えていては、敵にも味方にも信を失う……。
仮にだ。
貴族達がルルーシュたちを殺害するのではなく、ブリタニアへの帰国を条件にスパイ紛いの真似をさせようとしてきたら?
そうなれば、日本側の軍部の情報が流れるだけではなく、いずれは政務やサクラダイト採掘権等を取り仕切る者達を暗殺せよと指示される等、ルルーシュたちが陰謀のために利用されるケースもある。
抗わせない方法などいくらでもあるだろう。どうせ殺すのなら利用した上でと考える者がいないとも限らない。
そもそも、ブリタニアがルルーシュたちを預けてきたのも、そして敢えて返せと言ってこないのも、自分達が預けた彼らを日本側が『人質』として扱っていると難癖をつける為。
実質的には『生贄』だ。
懐に置いて生かしておくにしても、殺すにしても厄介な存在。
出来れば送り返したかったのだろうが、時機などとっくに逸して尚、ルルーシュたちを枢木の家に置いていた理由……。
要は、タイミングの問題だ。
情勢は既に芳しくない。日本もブリタニアも、双方血を見なければ収まらない所まで行っている。
――それならば、いっそ決定的な開戦の切り口をブリタニア側が作ったのだと世界に知らしめるために、「ブリタニアに殺された」として処理するほうが都合がいい。
元々『人質』として預けられていた皇子と皇女。日本側が彼らを手にかけるより、父と通じていたブリタニアの貴族が勝手にルルーシュたちを始末するならば良し。
だが、失敗した場合は――。
……つまり、俺が父を殺害したというイレギュラーは、残されたルルーシュたちの帰国という道を完全に閉ざし、「ブリタニアからの預かりもの」である彼らを、日本側にとって爆弾のような存在に変えてしまう行為でしかなかったのだった。
俺がこの件に関して完全に理解出来るようになったのは、ルルーシュたちと離ればなれにされて暫く経ってからのことだ。
だから、この時の俺にとって理解出来たことは、たった一つ。
――このまま枢木の家にいれば、ルルーシュたちはどのみち殺されてしまうかもしれない。
ブリタニアの貴族がルルーシュたちの命を狙っている。日本にとって完全に厄介ものとなってしまった彼らを助けてくれる人は、きっともう誰もいない。
俺は、先に別邸へと移されたルルーシュたちのもとへと向かった。
ルルーシュたちには、その事実を伏せたまま――ただ守らなければと。腰に一本の木刀を携えて。
ところが。
枢木の別邸で過ごしていた俺たちを襲った者達は、ルルーシュたちの命を狙う貴族達から彼らを守るために誘拐しようとしていた、アッシュフォードの手の者達だった。
ルルーシュを逃がした俺は彼らに捕まり、戻ってきたルルーシュが巡らせた姦計によって辛うじて助けられたものの、俺たちの身を案じた藤堂さんは、その後彼らと接触。単身、ルルーシュを逃がすよう話を付けたらしい。
藤堂さんが桐原さん達にどう事情を説明したのかはわからない。だが、それで厄介払いは済んだことになったようだ。
父の死を最大限に活用するシナリオ。そして、ルルーシュと引き離されること。
……その話を聞かされた俺は、父を殺してからずっと肌身離さず持ち歩いていた木刀を、とうとう手放した。
不要になった木刀。――ルルーシュを守るための。
がらんとした道場に置かれたそれが、何故か俺自身の姿とだぶって見えた。
もう、これを俺の腰に差すことは無いんだ。これが誰かの為に使われることは、二度と無い……。
そう思いながら向かった先は、ルルーシュたちと三人で釣りをした海だった。
父の代理を務めていた藤堂さんと久しぶりに顔を合わせ、改めて知らされた現実。
やはり、戦争は止められないということ。
――本当は、誰も望んでなんかいないのに……。
『藤堂さん、俺、剣道をやめます。でも、多分……剣は捨てない、と思います』
藤堂さんに俺がそう話していた頃、ルルーシュも戸籍上死亡したことにするようアッシュフォードと話し合っていたようだ。
それは、さしあたって難を逃れるための方法――。
しばらくしてから俺の座る海辺へとやってきたルルーシュに、俺は『またここで、三人で釣りがしたいな』と話した。
そう言った俺に呆れ顔になったルルーシュは、『いつかと言わずに、今日だって出来るじゃないか』と答えたが、真実を知らない彼は、これからブリタニアが攻めてくるという事実についても当然まだ知らない。
そして、近いうちに俺たちが離ればなれにならなければならないということも、また「何故そうなってしまったのか」ということも――。
皇族としての身分を捨て、戸籍上死んだことにすれば、まだ一緒にいられる。
今は、まだ……。
ただ、漠然とした別れの予感だけが俺たち二人の間に漂っていた。
互いにそこから目を背けながら交わし合った、ささやかな約束。
……それが決して果たされることの無い約束であることを、多分俺だけが知っていた。
数ヵ月後、神聖ブリタニア帝国は日本に対して正式に宣戦布告。
俺は、故・日本首相の息子として、ブリタニアの保護もとい監視下に入ることとなった。
堆く積み上げられた死体の山。人の焼ける匂い。
爆撃を受け、荒れ果てた周囲の光景を目の当たりにした俺は思った。
俺が父を殺さずに目論見を阻止することさえ出来ていれば、もっと違う未来があったんじゃないのか。
あるいは、たとえそれがいかに困難なことであり、状況から見てほぼ無理に等しいことであったとしても、真実を全て白日の下へと晒し、首相を交代して一から外交をやり直すというという方法だってあった筈。
少なくとも、俺が間違った手段を選んでさえいなけなければ、ここまで酷い結果にはならなかったんじゃないのか……?
せめて、父が生きてさえいれば……。
俺が衝動的に殺したりさえしなければ。
――全て俺のせいだ。
遂に一歩も前に進めなくなってしまった俺へと、ナナリーを背負ったまま先を歩いていたルルーシュが振り返った。
手を伸ばそうとするナナリーが俺に触れられるよう、ルルーシュが背中を向けてくる。
『人の体温は涙に効くって、昔、お母様が教えてくれました』
ナナリーに涙を拭われている俺の姿を、ルルーシュは暫くの間無言で見つめていた。
やがて、ゆっくりと逸らされていく視線。
俺に背を向けたその時の彼がどんな顔をしていたのか――俺は知らない。
引き離される直前に知ったのは、彼が俺と同じく道を違えようとしていたことだ。
自分を捨てた祖国に対する凄まじい怒り。
……ルルーシュはあの時、一体どう思っていたのだろう。
一番腹を立てていたのは命を軽んじられたことか。妹を傷付けられたことか。――それとも、俺と引き離されたことだろうか。
今となっては解らないことだが、もしくは全てが同列だったのかもしれない。
生き別れたあの日、怒りの炎を瞳に宿した彼は祖国を壊すと俺に誓った。
――ルルーシュも、いつか俺と同じになるのだろうか。
そう思った途端、胸に酷い悲しみが過ぎった。
言わなければ……俺が。俺にしか伝えられないことをルルーシュに言わなければ。
でないと彼は、いつか道を踏み外してしまう。俺と同じように、もう二度と戻れない遠くに行かなければならなくなる日が来てしまう。
間違った手段で得た結果に価値など無いと。
激情に任せ、力を求めた行動の果てに待つものは悲劇でしか無いのだと、彼に伝えなければ。
……でも、俺は言えなかった。最後まで。
ただ、壊れかけた心のどこかで「失ったのだ」とだけ理解した。
そして、目的の為に殺人という手段を選んだ罪――守るべき存在を守ることでしか償えない、肯定出来ない罪だけが俺に残され、ルルーシュの影を無意識に模倣した『俺』は、いつの日か『僕』という仮面を被って生きるようになった。
本来の自分を殺し、暗闇の中で手探りしながら歩む日々。
毎日のように俺は考え続けた。
俺のために力を使う。そう約束してくれたルルーシュの中にも、俺の中にあるものと同じ我欲が潜んでいるのだとしたら――?
誰かの為に……そう、例えば妹の為にと、いつか激情に任せて力を求める時が来るとしたら?
目的の為には手段を選ばず、陽の当たる明るい道ではなく、いずれ暗い方へと続く道のりを選ぶ日が来るとしたら……?
そんな考えに至るたび、俺は声も無く震える思いだった。
これとて俺の背負うべき罪か。そう思えばほんの少しだけこの世との繋がりを感じられ、空しさの中で己を偽りながらでも何とか呼吸することは出来たけれど。
どう償えばいいのか解らず煩悶し、懊悩し、罪人となった己の生き方を探してさ迷い続ける日々。
生きていてもいい理由が見つからない。
何のために生きているのか。どうしたら生きることが許されるのか。守るべき存在と生きる意味とを同時に失った俺に、正しい答えなど導き出せる筈もなく。
そうして俺は、八年前に贖罪の道を選んだ。
敗戦して尚、抵抗活動が盛んなエリア11。余力を残した敗戦。捨てられない国としてのプライド。
テロが盛んな原因の一端は間違いなく俺にあった。……だからこそ、これ以上戦わせてはならないと。
多くの人々が命を落としていく。たった今、この瞬間にも。
そんな中で、罪を犯した自分一人だけがのうのうと守られ、生き延びてしまっているこの罪は、一体誰になら裁けるというんだ?
規律と罰を求めた俺は軍属になり、結果、守るべき対象だけに留まらず、家族も親族も全員失った。
……その頃の『僕』は、こう思っていた。『弱いことはいけないことだろうか』と。
十歳の時に見た世界はとても悲しいものに見えた。だからせめて、大切な人を失わなくて済む世界を目指そうと。
勿論、そうした悲しみを全て無くせるとは思わない。でも、目指すことを止めたら、父さんは無駄死にになってしまう。
それでも、生きる意味や理由、戦いを終わらせるための具体的な方法だけはいつまでたっても見つけることが出来ず。
そんな中、次第に目の前にちらつき始めたのは、俺自身の死だった。
……本当は、軍に入った時からずっと考えていた。人知れず心の奥底で。
『軍人は死ぬものだ』と。
価値の無い俺自身の死が世界の役に立てば、それが価値となり償いとなるだろう。俺は罪人だ。生きる意味も目的も理由も無い。
自身の空虚さに気付けば気付くほど、より強く死に心が傾き、引き寄せられ、正義に殉じた死そのものに魅せられていく自分がいた。
――だが、口では贖罪の為と言いながら、背負った罪からの解放を求めている狡さに気付く。
本当はいつだって救われたくて。許されたくて……。
なんて浅ましい。何故こうまで醜いんだ、本当の俺は。
そこまで死について考えるくらいなら、とっとと自殺でも何でもすればいいものを。結局本当の自分から目を背けていたいだけか?
足掻き続ける自らの姿を醜いと貶めながらも、自罰の如く己を責め続け、殊更に死へと追い込むことで償っているつもりになっているだけ。
裏切り者。それでも日本人か。ブリタニアの狗。――人殺し。
違う! ルールに則った戦い方だ。俺は誰かを罰するために軍に居る訳じゃない!
……でも、どう罵られようが構わない。イレブンと呼ばれるようになった祖国の人に憎まれようと、恨まれようと、自分ひとりが悪者になることで少しでも平和を齎すことが出来るなら。
しかし、それも単なる偽善。所詮は只の自己満足。
本当はいつだって許されたい、解放されたいと願い続けているだけのくせに。
だからこそ、俺はやはり死ぬべきだ。たとえどれだけの年月を経ても、犯した罪は増えていくことこそあれ減ることなど無い。解っているだろう……?
けれど、心のどこかで期待していた。
戦いを、争いを巻き起こした責任を取ることでしか解放されない罪の重みに押し潰されそうになりながらも、この命の正しい使い道を示し続けることで償えば、いつの日か許される日が来るのだろうかと。
……そして、いつか「もういいよ」と誰かに言われる日が来ることを……。
――けれど。
その願いを叶えるためのたった一つの光を、たった一本の道筋を指し示してくれた人は、もうこの世にはいない。
他ならぬ彼が消したのだ。
俺の全てを否定して。
誰よりも「助けて良かった」と思える人であって欲しかった、ルルーシュが。
全てを壊した。
全ての始まり、全ての終わりには、必ずルルーシュの影がちらついている。
だからこそ離れようとした。だからこそ、離別して異なる道を歩み始めたのだと知った時から、俺は別の対象を求めてさ迷ってきたのに。
一年前。
七年の歳月を経て再び巡り合ったルルーシュは、自分のことを『俺』と呼んでいた。
『ブリタニアをぶっ壊せ!』
まるで過去の写し身。合わせ鏡。
封じ込めた筈の俺に、どこか似ている。
……嫌な予感がした。
そして。
『ルルーシュ。君は、殺したいと思うくらい憎い人がいるかい?』
『憎めばいい。ユフィの為だろう? それに、俺はもうとっくに決めたよ。引き返すつもりはない』
『ナナリーの為?』
『ああ。切るぞ、そろそろ』
『ありがとう……ルルーシュ』
『気にするな。俺たち、友達だろう?』
『七年前からずっと』
『ああ。じゃあな』
、、
『それじゃあ、後で――』
憎しみに支配されたまま戦えば、それは只の人殺しだ。
俺は結局、自身に課したそんなルールさえ守ることが出来なかった。
あれはギアスが犯させた罪だろうか。ルルーシュのせいか? ゼロとしての。
そう考えてから、すぐに気付く。――あれは、俺の激情。本性。俺が俺であるからこそ犯してしまった罪なのだと。
数え切れないほどの罪の重さに喘ぎながら生きる辛さに匹敵する痛み。
八年前に抜いた己の刃。返す刃に切りつけられる苦しみこそが俺にとっての生だった。
……でも。
腑抜けたようにベッドに横たわったまま、俺は明けていく空を見ていた。
ルルーシュに記憶を戻させるか、否か。
そう考えてから思った。
俺は、何故こうまでして、ルルーシュの本心を確かめようとしているんだろう。
国の命に背いてまで見極めようとする必要など、どこにもないのに。
俺が許そうが許すまいが、ルルーシュの罪は消えない。犯した罪は無くならない。
償わせなければならない。ルルーシュに。そんな俺自身の責任からも逃れられはしない。
それなのに、俺は何故、許すか許すまいかなどということで悩んでいるんだ?
自分が憎しみから解放されて楽になりたいからか?
……違う。
だったら何だ。
自問したところで、俺はようやく答えに辿り着く。
いや増す苦しみにさえ反する抗いがたい誘惑。そして、いとおしさ。
このままルルーシュが記憶を失っていれば、ずっと傍に置いて守ってやることが出来る。
「俺を愛せ」と命じられた通りにしてやれる。
俺はもう一度、「生きる理由」を手に入れることが出来るんだ。
――痛い。本当に痛い。それを認めてしまうことは、彼を慈しんでいたのだと知らされた時よりもっと辛い。
寝ても覚めても消せない憎しみ。任務に打ち込んでいる間だけその苦しみから逃れることが出来た。辛うじて忘れていることが出来た。
それがどうだ。
憎み切ることなど出来ない。嫌いになり切ることも出来ない。
どうあっても、ルルーシュが好きだ。
彼を求めている。――だから、許したい。
それなのに許したくない。許せないからこそ苦しい。
だから、許させて欲しい。
そのための口実が欲しい。ただそれだけだ。
願っているのだ。
彼を、ルルーシュを、生きる理由を、俺の王を。
「取り戻したい」と。
関係ないっていうのか、俺は。
たとえユフィを殺した男でも、俺の進むべき道を閉ざそうとした男でも、最悪の形で裏切った友達だったとしても。
憎んでいようがいまいが、ルルーシュの行動を一番傍で見守り、彼を俺の目と手の届くところに置いてさえおければ、それで。
――許したいと願う時点で、そうなのだ。
忠誠を誓った国に背き、ルールなど無視してでも。
それが、俺の本性。
だとしたら、これほど酷い話も無い。
自身の本音を悟った俺は、愕然としながら両腕で瞼を覆った。
憎しみの本質。裏の裏は表だ。
だからこそ俺は消せないのだ。……この慈しみを。
……おそらく、王が剣を選ぶというならば、剣もまた仕えるべき主を選ぶのだろう。
だからルルーシュ。答えて欲しい。
王が何故王たり得るのか、君は正しい答えを言えるだろうか。
仕えるべき主君を失った騎士の気持ちが、君には解るのか?
真に敬われる存在であるからこそ、王は王であることが出来るのに。
記憶を無くしたルルーシュに再会した初日、彼が俺の王なのだと理由もなく確信していた。
それはそうだ。八年前から決まっていたこと。
たとえ何に引き離されようが、俺は彼の剣としてしか生きられないのだろう。
だからこそ、八年前に彼を失った時から、俺はずっと暗闇の中にいたのだ。
もう二度と使われることは無いと、道場に置き去りにされた、あの木刀のように。
けれど、もしルルーシュが俺の王であるならば、彼は誰よりも正しくなければならない。
仕える者を迷わせる存在であってはならないのだ。
もしも王に間違いがあるならば、それを正せるのは王の騎士たる剣だけだ。
……たとえ、主君たる王そのものを亡くしても。
だからルルーシュ。
君が俺と道を違えることなど、本当はあってはならなかったんだ。
NEXT→ 「Lost Paradise.Ⅱ」 To be continued.
八年前、父の企みを知り「戦争を止めなければ」という思いもあった。
けれど、その思いの裏側にあったものは決して純粋な思いなどではなく、もっと生々しく個人的な欲望だったように思う。
罪に手を染めるまでの間にプラスされる要素――戦争を止めるという大義名分さえなければ、俺はもしかするとそこまで踏み切ることなど無かったのかもしれない。
……いや、寧ろそう思えれば少しは救いになっただろうか。
『戦争を止めなければならないと思ったんだ』
『そんなつもりじゃなかった』
ずっと、自分にそう言い聞かせながら生きてきた。
あの時、父は死ななければならなかった。俺はああするしかなかったんだと。日々降り積もっていく後悔と罪の意識の中で呪いの如く幾度も唱えながら。
……けれど、父を殺しても殺さなくても、結局戦争は止められなかった。
じゃあ、父さんは何のために命を落とした? 俺は一体、何のために父の命を奪ったんだ?
俺のたった一人の友達。生まれて初めて出来た友達――ルルーシュを、そしてナナリーとの生活を俺から奪おうとした俺の父親。
そう。父は自分の目的のために、彼らを殺そうとしていたんだ。
――だから何だ。
父と俺と、どう違う?
所詮後付けの理屈でしかないと、名も知らぬ男に言い当てられたこともある。
……知っている。自分でも解っている。戦争を止めようと思ったなどと、所詮その男の言う通り後付けの理屈でしかないのだと。
認めなければならない。いや、認めていたつもりだった。だからこそ贖罪の道を選んだのだ。
確かに俺は、ルルーシュたちとの生活を壊されたくなかったがゆえに父をこの手にかけた。
奪われたくなかった。友達との楽しい日々を。
父を殺せば戦争を止められると思った。戦争さえ起こらなければ、ルルーシュたちとの楽しい毎日がこれからもずっと続いていく。
だから、その父が彼らを手にかけようとしていたことなど、言うなれば彼らと一緒に居たいと思っていた俺の動機に理由を与えるための、ほんの切欠にしか過ぎなかったのだ。
彼らを失いたくないという俺のエゴ。自身の欲を叶えるための理由や言い訳。
ルルーシュの言葉こそがトリガーになった。……ただそれだけのことだ。
日本に来てから誰一人として信用しなかったルルーシュ。
俺とは比較にならない重さと冷静さで自分の置かれた環境を見つめていた彼にとっては、戦争など自分たちとは関係ない大人の世界の出来事だと思い込もうとしていた俺との付き合いなど、きっとのんきな友情ごっこにしか映らなかったことだろう。
それなのに、彼は、俺のことだけは信じてくれた――。
父がルルーシュたちを殺すために、ブリタニア皇室と関連のある貴族たちを嗾けていたことは知っていた。
ナナリーが浚われたあの日。そして、俺が父を殺したあの日。荷物が置かれたままだった道場の鍵を渡そうと、俺は父と話している藤堂さんを探しに行った。
多分、父の書斎で話しているのだろう。そう思って向かったところで聞いてしまったのだ。父たちの会話を。
難しい話はほとんど解らない。けれど、これだけは解った。
――ブリタニアとの戦争が始まってしまう。
そして『人質』の意味も。
ルルーシュたちが影でこう呼ばれていたことは知っていた。だから、その言葉だけがひたすら頭の中でがんがんと鳴り響いていた。
戦争が始まる? なら、ルルーシュたちはどうなる?――殺される? 何故? どうして? 皇子と皇女なんだろう? 何故見捨てるような真似をする? どうして守ってやらない!
俺は屋敷の離れに向かって一心不乱に走った。青ざめ、顔を引き攣らせ、吐き気と怒りと混乱の中で。
中に入った時には既に部屋は滅茶苦茶に荒らされており、もう日が翳っているにも関わらず明かりの一つさえついていなかった。
薄暗い室内。不吉な静寂の中で悪い予感が駆け抜けていく。俺は大声で名前を呼んだ。
ルルーシュ、ナナリー、どこだっ! 返事しろ!……それでも、誰も答えない。
まさか、まさか。もう……?
わんわんと鳴り響く耳鳴り。おぞましい予感に全身が総毛立ち、体の芯から震えが来る。
――死。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、鼓膜を掠めた微かなうめき声。
どこだ!? 二階だ。弾かれるように上を見てから、俺は全力で階段を駆け上った。
扉をぶち抜くようにして寝室に入る。
そこには、ルルーシュが粗末な寝台の横で倒れていた……。
たった一人の妹を誘拐され、抗った末に薬物で昏睡させられたルルーシュ。
ぐったりと力無く寝台に横たわった彼の姿を見て思った。
――許せない。
あの、いつも綺麗に澄んでいた筈の瞳が、焦点を失って濁っていた。たった数時間前に俺の名を呼んだ声音でさえも、憎悪の色に染まって掠れていた。
どこか懐かしい響き。
まるで、近しい兄に名を呼ばれているような。
可愛い弟に慕われているような。
馬鹿なことだ。
そんなもの、自分にはいないのに。いるはずもないのに……。そう思ったあの声で、必死で叫んで、猛然と抵抗して、ひしと俺の胸に縋って……。
あの、誰にも頼ろうとしなかったルルーシュが――。
妹を守ろうとして抗ったんだろう。たった一人で。
一人きりで。
ルルーシュが一体、どんな悪いことをしたっていうんだ? こいつは一生懸命生きていただけだ。自分だって弱いくせに、いつだって妹のためにと必死で生きていた。
――そんなルルーシュに、何故こんな酷い真似をする……?
『……ナナリー……ス、スザク……ナナリーを……』
『……ごめん……君のこと……最初……誤解して……た……ごめん……だから……ナナリーだけは……』
『だ、だから……ナナリーの……こと、だけは……』
意識を失う前に彼が言った一言は、決して俺の姿を見とめてのものではない。
ルルーシュは、俺がそこに居ると思って助けを求めたのではない。
でも、確かに呼んだのだ。他の誰でもない俺の名を。
ごっこ遊びじゃなかった。……それだけで良かった。
『――分かった。待ってろ、ルルーシュ』
一瞬でありとあらゆる感情が封殺された。
肉親への愛さえ簡単に上回るほどの情。……激情。その裏に潜んでいた執着という名の凄まじい我欲。
生まれて初めて得た絆。何としても守る。ルルーシュとの約束を必ず果たしてやる。
俺が守るんだ。
その為なら、この手を汚すことなど厭わない!
あの瞬間、ルルーシュは間違いなく俺の世界の全てだった。例えどんな手段を使っても、彼の願いを叶えることこそが――。
離れを出た俺は、屋敷の方角に向かってまっすぐにひた走った。
力。
力がいる。
友達との約束を果たすための。
今の自分には力が無い。
力さえあれば――。
数時間前に聞いた、涼やかなルルーシュの声が蘇る。
『なんだ? これは』
『先生の荷物だよ』
『ふ~ん。剣も置いてあるぞ』
『それは剣じゃなくてカタナっていうんだ、カタナ』
懐から鍵を取り出し、古びた鍵穴へと差し込む。
がらがらと引き戸を開ける音が無人の道場に響いた。
夕闇に染まった空。薄暗い道場内に落ちる、長々とした俺の影。
開け放たれた戸の隙間。がらんと広い床板の上で、ぽつんと置きっ放しにされている風呂敷の包み。
……その横に、それは置かれていた。
俺はひたひたと歩を進め、躊躇いも無くそれを掴み取る。
ぎゅっと握り締めた柄は冷たく、ずっしりと重い。自分の背丈ほどもある鞘をすらりと抜けば、抜き身の刀身がぎらぎらと鈍い光を放っていた。
暫しその光を見つめていた俺は、やがて、ゆっくりと立ち上がる。
その間、俺は自分でも驚くほどに落ち着き払っていて冷静だった。全ての動作を淀みなくスムーズに終わらせて、戸に鍵をかけ直す。
去り際、何かを思い出しかけたような気がした俺は、一度だけ振り返った。
昼間、稽古の最中に藤堂さんが俺に言った一言。……確か、覚悟がどうとか。
――覚悟ならある。
そう思った俺は、もう振り返らなかった。
父を殺し、返り血に染まった胴着と袴。絶命した父が倒れ込むと同時に刀を取り落とした。
師と仰いだ人の刀。竹刀とは全く異なる重みを持つそれは、確かに武器であり凶器だった。
所々乾いていながらも、まだぬめる指先。辺りに漂う錆びた鉄のような匂い。
刺した箇所は父の腹だ。背丈の低い俺の目線とほぼ同じ場所だった。
顔面に浴びた返り血が、じっとりと血を吸い込んだ合わせの襟から胸元へと伝っていく。
生暖かい血液の感触。閉じ込められたナナリーに声をかけ、平静を装おうとしたところで、前髪から垂れた血が唇に向かって滴り落ちてくる。
途端、酷い吐き気に襲われた俺は駆け出した。震える手で唇を拭うと頬にまでぬるりと血が伸びる。薄く伸ばされた部分だけすぐ乾き、頬が突っ張るのが解った。
取れない。落ちない。擦っても擦っても、血で血を洗っているようなものだ。何故なら、俺の手そのものが血に塗れていたのだから……。
再び戻った書斎には巨大な血だまりが広がっていた。その真ん中に転がっているのは、無残な肉塊と化した俺の父。
昏い穴ぼこのように見開かれた瞳孔。
――動かない。喋らない。もう二度と。
俺が殺した。
殺人。
それは、出来る人間と出来ない人間との間に決定的な隔たりを伴う行為。
憎い人間を衝動的に殺害することは過失。
……だが。
桐原さんは言った。
『一度抜いた刃は血を見るまで鞘には納まらぬ。言っておくが、おぬしの刃はまだ納まっていない』
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
『おぬしの目がそう言っておる。これを行うことのできたおぬし自身の血と体がそう言っておる』
そう。
出来てしまったのだ、俺は。
剣を抜き、実の父親の血に塗れた俺は、そんな己の本性にこそ慄いた。
そして、その時になってからようやく思い出した。稽古の最中に藤堂さんから教えられていた一言を。
『剣は一度抜いた以上、覚悟を決めておくべきだ』
『一度抜いた真剣は血を見なければ納まらない。そして、その血を覚悟しておくのが、剣の道というものだ』
……俺だけが知っている。父を殺したのは、俺がルルーシュたちに対して一方的に抱いていた情が招いた結果だと。
だからこそ、彼らに罪の肩代わりなど決して求めてはいけない。そう思っていた。
――だけど。
八年前のあの出来事は、正しい選択だったのだと言って欲しい。
たとえ大義名分を失ってしまっても、決して正当な理由とはいえないと悟ってしまっても、俺は誰かに認めて欲しかったのだ。
ルルーシュが願った通り、たとえ父親の命を奪ったとしても、彼らの命を優先した俺の選択は正しかったのだと。
一生守ろうと心に誓った。それ以外生きる術は無いとさえ。
彼の願いを叶えたいと剣を抜いたあの日から、ルルーシュは俺にとって守るべき存在になった。
彼が俺に守らせてやるとさえ言ってくれるなら、俺はそれを理由にして生きることが出来る。
まだ幼かった俺はルルーシュに縋り、心の底から守らせて欲しいと願っていた。
そして持ち掛けられた約束――相互扶助。
二度と自分のために自分の力を使わないと言った俺に、ルルーシュは言った。
『君が自分のために自分の力を使わない。そう言うのなら、僕が――いや』
、
『俺が』
『君のために力を使う』
ただ一方的に助けられ、守られることを受け入れるのではなく、俺が彼を守るというのなら、彼もまた俺を守るのだとルルーシュは約束してくれた。
その二十日後のことだ。
キョウトから寄越された使者が俺に、ルルーシュたちが近いうちに、アッシュフォードに引き取られることになるだろうと伝えに来たのは。
父さんを殺したあの時、藤堂さんと共にその場へとやってきた桐原さんも、また知っていたのだった。キョウト側と敵対関係にあった俺の父が、ブリタニアに日本を売り渡すためにルルーシュたちの命を狙っていたことを。
ふらつく足取りで書斎を出た俺の後を追い、藤堂さんは血に塗れた俺の体を洗って着替えさせてくれた。
父の監視として枢木の本邸に来ていたのだと明かされたのも、その時だ。
『私はもう、君の師ではない』と。
父が勝手に事を起こさぬための監視。
ナナリーが誘拐された時も、殺害を阻止するために動いていたのだと藤堂さんは言った。
戦争が不回避となるまでブリタニアとの関係が悪化せず、また、父が死ぬ前であれば、時機を見て丁重に送り返すことも出来たのだと。
藤堂さんに謝られた俺は悟ってしまった。
戦争回避という意味でも、ルルーシュたちを守るという意味でも。
俺が父を衝動的に殺めたことは――二重の意味で無駄なことでしかなかった。
でも……。
だったら、ブリタニアに帰れなくなったルルーシュたちは、これからどうなるんだろう――?
藤堂さんは謝ってくれた。……だけど、それなら何故、戦争が回避出来ないところまで進んでしまう前に送り返さなかったのか。
それも、殺されるかもしれないと知っていて。
ブリタニアは元々人質という手が通用するような国ではないが、日本側へと送りつけられた「預かりもの」であるルルーシュたちを殺してしまえば、決定的な開戦の口実を与えてしまうことになる。
父の目的は、日本をキョウトから奪うためにブリタニアに売ること。
日本の実質的権力者であるキョウトからの支配を脱するためにブリタニアに敗戦し、敵国の狗となって統治者としての地位を得る。
皇族に関連する貴族、果てはブリタニア皇帝とまで密に通じ、地位を確約するという契約を違えさせぬため、ルルーシュとナナリーの命を約束手形として……。
父の遺志は、徹底抗戦などではない。
だが、俺が父を殺害したことにより、その事実を隠して死を活用するシナリオを立てるより他なくなってしまった。
「余力を残した最善の負け方」のために選ばれたシナリオは、「軍部を抑えるための首相の自決」。
そして、抗戦を叫んだ口で「ブリタニアからの預かりもの」を大事に抱えていては、敵にも味方にも信を失う……。
仮にだ。
貴族達がルルーシュたちを殺害するのではなく、ブリタニアへの帰国を条件にスパイ紛いの真似をさせようとしてきたら?
そうなれば、日本側の軍部の情報が流れるだけではなく、いずれは政務やサクラダイト採掘権等を取り仕切る者達を暗殺せよと指示される等、ルルーシュたちが陰謀のために利用されるケースもある。
抗わせない方法などいくらでもあるだろう。どうせ殺すのなら利用した上でと考える者がいないとも限らない。
そもそも、ブリタニアがルルーシュたちを預けてきたのも、そして敢えて返せと言ってこないのも、自分達が預けた彼らを日本側が『人質』として扱っていると難癖をつける為。
実質的には『生贄』だ。
懐に置いて生かしておくにしても、殺すにしても厄介な存在。
出来れば送り返したかったのだろうが、時機などとっくに逸して尚、ルルーシュたちを枢木の家に置いていた理由……。
要は、タイミングの問題だ。
情勢は既に芳しくない。日本もブリタニアも、双方血を見なければ収まらない所まで行っている。
――それならば、いっそ決定的な開戦の切り口をブリタニア側が作ったのだと世界に知らしめるために、「ブリタニアに殺された」として処理するほうが都合がいい。
元々『人質』として預けられていた皇子と皇女。日本側が彼らを手にかけるより、父と通じていたブリタニアの貴族が勝手にルルーシュたちを始末するならば良し。
だが、失敗した場合は――。
……つまり、俺が父を殺害したというイレギュラーは、残されたルルーシュたちの帰国という道を完全に閉ざし、「ブリタニアからの預かりもの」である彼らを、日本側にとって爆弾のような存在に変えてしまう行為でしかなかったのだった。
俺がこの件に関して完全に理解出来るようになったのは、ルルーシュたちと離ればなれにされて暫く経ってからのことだ。
だから、この時の俺にとって理解出来たことは、たった一つ。
――このまま枢木の家にいれば、ルルーシュたちはどのみち殺されてしまうかもしれない。
ブリタニアの貴族がルルーシュたちの命を狙っている。日本にとって完全に厄介ものとなってしまった彼らを助けてくれる人は、きっともう誰もいない。
俺は、先に別邸へと移されたルルーシュたちのもとへと向かった。
ルルーシュたちには、その事実を伏せたまま――ただ守らなければと。腰に一本の木刀を携えて。
ところが。
枢木の別邸で過ごしていた俺たちを襲った者達は、ルルーシュたちの命を狙う貴族達から彼らを守るために誘拐しようとしていた、アッシュフォードの手の者達だった。
ルルーシュを逃がした俺は彼らに捕まり、戻ってきたルルーシュが巡らせた姦計によって辛うじて助けられたものの、俺たちの身を案じた藤堂さんは、その後彼らと接触。単身、ルルーシュを逃がすよう話を付けたらしい。
藤堂さんが桐原さん達にどう事情を説明したのかはわからない。だが、それで厄介払いは済んだことになったようだ。
父の死を最大限に活用するシナリオ。そして、ルルーシュと引き離されること。
……その話を聞かされた俺は、父を殺してからずっと肌身離さず持ち歩いていた木刀を、とうとう手放した。
不要になった木刀。――ルルーシュを守るための。
がらんとした道場に置かれたそれが、何故か俺自身の姿とだぶって見えた。
もう、これを俺の腰に差すことは無いんだ。これが誰かの為に使われることは、二度と無い……。
そう思いながら向かった先は、ルルーシュたちと三人で釣りをした海だった。
父の代理を務めていた藤堂さんと久しぶりに顔を合わせ、改めて知らされた現実。
やはり、戦争は止められないということ。
――本当は、誰も望んでなんかいないのに……。
『藤堂さん、俺、剣道をやめます。でも、多分……剣は捨てない、と思います』
藤堂さんに俺がそう話していた頃、ルルーシュも戸籍上死亡したことにするようアッシュフォードと話し合っていたようだ。
それは、さしあたって難を逃れるための方法――。
しばらくしてから俺の座る海辺へとやってきたルルーシュに、俺は『またここで、三人で釣りがしたいな』と話した。
そう言った俺に呆れ顔になったルルーシュは、『いつかと言わずに、今日だって出来るじゃないか』と答えたが、真実を知らない彼は、これからブリタニアが攻めてくるという事実についても当然まだ知らない。
そして、近いうちに俺たちが離ればなれにならなければならないということも、また「何故そうなってしまったのか」ということも――。
皇族としての身分を捨て、戸籍上死んだことにすれば、まだ一緒にいられる。
今は、まだ……。
ただ、漠然とした別れの予感だけが俺たち二人の間に漂っていた。
互いにそこから目を背けながら交わし合った、ささやかな約束。
……それが決して果たされることの無い約束であることを、多分俺だけが知っていた。
数ヵ月後、神聖ブリタニア帝国は日本に対して正式に宣戦布告。
俺は、故・日本首相の息子として、ブリタニアの保護もとい監視下に入ることとなった。
堆く積み上げられた死体の山。人の焼ける匂い。
爆撃を受け、荒れ果てた周囲の光景を目の当たりにした俺は思った。
俺が父を殺さずに目論見を阻止することさえ出来ていれば、もっと違う未来があったんじゃないのか。
あるいは、たとえそれがいかに困難なことであり、状況から見てほぼ無理に等しいことであったとしても、真実を全て白日の下へと晒し、首相を交代して一から外交をやり直すというという方法だってあった筈。
少なくとも、俺が間違った手段を選んでさえいなけなければ、ここまで酷い結果にはならなかったんじゃないのか……?
せめて、父が生きてさえいれば……。
俺が衝動的に殺したりさえしなければ。
――全て俺のせいだ。
遂に一歩も前に進めなくなってしまった俺へと、ナナリーを背負ったまま先を歩いていたルルーシュが振り返った。
手を伸ばそうとするナナリーが俺に触れられるよう、ルルーシュが背中を向けてくる。
『人の体温は涙に効くって、昔、お母様が教えてくれました』
ナナリーに涙を拭われている俺の姿を、ルルーシュは暫くの間無言で見つめていた。
やがて、ゆっくりと逸らされていく視線。
俺に背を向けたその時の彼がどんな顔をしていたのか――俺は知らない。
引き離される直前に知ったのは、彼が俺と同じく道を違えようとしていたことだ。
自分を捨てた祖国に対する凄まじい怒り。
……ルルーシュはあの時、一体どう思っていたのだろう。
一番腹を立てていたのは命を軽んじられたことか。妹を傷付けられたことか。――それとも、俺と引き離されたことだろうか。
今となっては解らないことだが、もしくは全てが同列だったのかもしれない。
生き別れたあの日、怒りの炎を瞳に宿した彼は祖国を壊すと俺に誓った。
――ルルーシュも、いつか俺と同じになるのだろうか。
そう思った途端、胸に酷い悲しみが過ぎった。
言わなければ……俺が。俺にしか伝えられないことをルルーシュに言わなければ。
でないと彼は、いつか道を踏み外してしまう。俺と同じように、もう二度と戻れない遠くに行かなければならなくなる日が来てしまう。
間違った手段で得た結果に価値など無いと。
激情に任せ、力を求めた行動の果てに待つものは悲劇でしか無いのだと、彼に伝えなければ。
……でも、俺は言えなかった。最後まで。
ただ、壊れかけた心のどこかで「失ったのだ」とだけ理解した。
そして、目的の為に殺人という手段を選んだ罪――守るべき存在を守ることでしか償えない、肯定出来ない罪だけが俺に残され、ルルーシュの影を無意識に模倣した『俺』は、いつの日か『僕』という仮面を被って生きるようになった。
本来の自分を殺し、暗闇の中で手探りしながら歩む日々。
毎日のように俺は考え続けた。
俺のために力を使う。そう約束してくれたルルーシュの中にも、俺の中にあるものと同じ我欲が潜んでいるのだとしたら――?
誰かの為に……そう、例えば妹の為にと、いつか激情に任せて力を求める時が来るとしたら?
目的の為には手段を選ばず、陽の当たる明るい道ではなく、いずれ暗い方へと続く道のりを選ぶ日が来るとしたら……?
そんな考えに至るたび、俺は声も無く震える思いだった。
これとて俺の背負うべき罪か。そう思えばほんの少しだけこの世との繋がりを感じられ、空しさの中で己を偽りながらでも何とか呼吸することは出来たけれど。
どう償えばいいのか解らず煩悶し、懊悩し、罪人となった己の生き方を探してさ迷い続ける日々。
生きていてもいい理由が見つからない。
何のために生きているのか。どうしたら生きることが許されるのか。守るべき存在と生きる意味とを同時に失った俺に、正しい答えなど導き出せる筈もなく。
そうして俺は、八年前に贖罪の道を選んだ。
敗戦して尚、抵抗活動が盛んなエリア11。余力を残した敗戦。捨てられない国としてのプライド。
テロが盛んな原因の一端は間違いなく俺にあった。……だからこそ、これ以上戦わせてはならないと。
多くの人々が命を落としていく。たった今、この瞬間にも。
そんな中で、罪を犯した自分一人だけがのうのうと守られ、生き延びてしまっているこの罪は、一体誰になら裁けるというんだ?
規律と罰を求めた俺は軍属になり、結果、守るべき対象だけに留まらず、家族も親族も全員失った。
……その頃の『僕』は、こう思っていた。『弱いことはいけないことだろうか』と。
十歳の時に見た世界はとても悲しいものに見えた。だからせめて、大切な人を失わなくて済む世界を目指そうと。
勿論、そうした悲しみを全て無くせるとは思わない。でも、目指すことを止めたら、父さんは無駄死にになってしまう。
それでも、生きる意味や理由、戦いを終わらせるための具体的な方法だけはいつまでたっても見つけることが出来ず。
そんな中、次第に目の前にちらつき始めたのは、俺自身の死だった。
……本当は、軍に入った時からずっと考えていた。人知れず心の奥底で。
『軍人は死ぬものだ』と。
価値の無い俺自身の死が世界の役に立てば、それが価値となり償いとなるだろう。俺は罪人だ。生きる意味も目的も理由も無い。
自身の空虚さに気付けば気付くほど、より強く死に心が傾き、引き寄せられ、正義に殉じた死そのものに魅せられていく自分がいた。
――だが、口では贖罪の為と言いながら、背負った罪からの解放を求めている狡さに気付く。
本当はいつだって救われたくて。許されたくて……。
なんて浅ましい。何故こうまで醜いんだ、本当の俺は。
そこまで死について考えるくらいなら、とっとと自殺でも何でもすればいいものを。結局本当の自分から目を背けていたいだけか?
足掻き続ける自らの姿を醜いと貶めながらも、自罰の如く己を責め続け、殊更に死へと追い込むことで償っているつもりになっているだけ。
裏切り者。それでも日本人か。ブリタニアの狗。――人殺し。
違う! ルールに則った戦い方だ。俺は誰かを罰するために軍に居る訳じゃない!
……でも、どう罵られようが構わない。イレブンと呼ばれるようになった祖国の人に憎まれようと、恨まれようと、自分ひとりが悪者になることで少しでも平和を齎すことが出来るなら。
しかし、それも単なる偽善。所詮は只の自己満足。
本当はいつだって許されたい、解放されたいと願い続けているだけのくせに。
だからこそ、俺はやはり死ぬべきだ。たとえどれだけの年月を経ても、犯した罪は増えていくことこそあれ減ることなど無い。解っているだろう……?
けれど、心のどこかで期待していた。
戦いを、争いを巻き起こした責任を取ることでしか解放されない罪の重みに押し潰されそうになりながらも、この命の正しい使い道を示し続けることで償えば、いつの日か許される日が来るのだろうかと。
……そして、いつか「もういいよ」と誰かに言われる日が来ることを……。
――けれど。
その願いを叶えるためのたった一つの光を、たった一本の道筋を指し示してくれた人は、もうこの世にはいない。
他ならぬ彼が消したのだ。
俺の全てを否定して。
誰よりも「助けて良かった」と思える人であって欲しかった、ルルーシュが。
全てを壊した。
全ての始まり、全ての終わりには、必ずルルーシュの影がちらついている。
だからこそ離れようとした。だからこそ、離別して異なる道を歩み始めたのだと知った時から、俺は別の対象を求めてさ迷ってきたのに。
一年前。
七年の歳月を経て再び巡り合ったルルーシュは、自分のことを『俺』と呼んでいた。
『ブリタニアをぶっ壊せ!』
まるで過去の写し身。合わせ鏡。
封じ込めた筈の俺に、どこか似ている。
……嫌な予感がした。
そして。
『ルルーシュ。君は、殺したいと思うくらい憎い人がいるかい?』
『憎めばいい。ユフィの為だろう? それに、俺はもうとっくに決めたよ。引き返すつもりはない』
『ナナリーの為?』
『ああ。切るぞ、そろそろ』
『ありがとう……ルルーシュ』
『気にするな。俺たち、友達だろう?』
『七年前からずっと』
『ああ。じゃあな』
、、
『それじゃあ、後で――』
憎しみに支配されたまま戦えば、それは只の人殺しだ。
俺は結局、自身に課したそんなルールさえ守ることが出来なかった。
あれはギアスが犯させた罪だろうか。ルルーシュのせいか? ゼロとしての。
そう考えてから、すぐに気付く。――あれは、俺の激情。本性。俺が俺であるからこそ犯してしまった罪なのだと。
数え切れないほどの罪の重さに喘ぎながら生きる辛さに匹敵する痛み。
八年前に抜いた己の刃。返す刃に切りつけられる苦しみこそが俺にとっての生だった。
……でも。
腑抜けたようにベッドに横たわったまま、俺は明けていく空を見ていた。
ルルーシュに記憶を戻させるか、否か。
そう考えてから思った。
俺は、何故こうまでして、ルルーシュの本心を確かめようとしているんだろう。
国の命に背いてまで見極めようとする必要など、どこにもないのに。
俺が許そうが許すまいが、ルルーシュの罪は消えない。犯した罪は無くならない。
償わせなければならない。ルルーシュに。そんな俺自身の責任からも逃れられはしない。
それなのに、俺は何故、許すか許すまいかなどということで悩んでいるんだ?
自分が憎しみから解放されて楽になりたいからか?
……違う。
だったら何だ。
自問したところで、俺はようやく答えに辿り着く。
いや増す苦しみにさえ反する抗いがたい誘惑。そして、いとおしさ。
このままルルーシュが記憶を失っていれば、ずっと傍に置いて守ってやることが出来る。
「俺を愛せ」と命じられた通りにしてやれる。
俺はもう一度、「生きる理由」を手に入れることが出来るんだ。
――痛い。本当に痛い。それを認めてしまうことは、彼を慈しんでいたのだと知らされた時よりもっと辛い。
寝ても覚めても消せない憎しみ。任務に打ち込んでいる間だけその苦しみから逃れることが出来た。辛うじて忘れていることが出来た。
それがどうだ。
憎み切ることなど出来ない。嫌いになり切ることも出来ない。
どうあっても、ルルーシュが好きだ。
彼を求めている。――だから、許したい。
それなのに許したくない。許せないからこそ苦しい。
だから、許させて欲しい。
そのための口実が欲しい。ただそれだけだ。
願っているのだ。
彼を、ルルーシュを、生きる理由を、俺の王を。
「取り戻したい」と。
関係ないっていうのか、俺は。
たとえユフィを殺した男でも、俺の進むべき道を閉ざそうとした男でも、最悪の形で裏切った友達だったとしても。
憎んでいようがいまいが、ルルーシュの行動を一番傍で見守り、彼を俺の目と手の届くところに置いてさえおければ、それで。
――許したいと願う時点で、そうなのだ。
忠誠を誓った国に背き、ルールなど無視してでも。
それが、俺の本性。
だとしたら、これほど酷い話も無い。
自身の本音を悟った俺は、愕然としながら両腕で瞼を覆った。
憎しみの本質。裏の裏は表だ。
だからこそ俺は消せないのだ。……この慈しみを。
……おそらく、王が剣を選ぶというならば、剣もまた仕えるべき主を選ぶのだろう。
だからルルーシュ。答えて欲しい。
王が何故王たり得るのか、君は正しい答えを言えるだろうか。
仕えるべき主君を失った騎士の気持ちが、君には解るのか?
真に敬われる存在であるからこそ、王は王であることが出来るのに。
記憶を無くしたルルーシュに再会した初日、彼が俺の王なのだと理由もなく確信していた。
それはそうだ。八年前から決まっていたこと。
たとえ何に引き離されようが、俺は彼の剣としてしか生きられないのだろう。
だからこそ、八年前に彼を失った時から、俺はずっと暗闇の中にいたのだ。
もう二度と使われることは無いと、道場に置き去りにされた、あの木刀のように。
けれど、もしルルーシュが俺の王であるならば、彼は誰よりも正しくなければならない。
仕える者を迷わせる存在であってはならないのだ。
もしも王に間違いがあるならば、それを正せるのは王の騎士たる剣だけだ。
……たとえ、主君たる王そのものを亡くしても。
だからルルーシュ。
君が俺と道を違えることなど、本当はあってはならなかったんだ。
NEXT→ 「Lost Paradise.Ⅱ」 To be continued.