Lost Paradise 9(スザルル)
9
「――え?」
端的に言い切った途端、澄んだ菫色が驚愕に見開かれ、傷付いたように揺らいだ。
「ここまで言えば解るだろう? 俺が君に嘘を吐かれたくないと思う理由が」
蒼白になったようにさえ見えるルルーシュを前に、心が散々に乱れていく。
記憶回復するかもしれない? すればいい。すぐにでも捕まえて、問い詰めて――。
でも、その後俺はどうするんだろう。ルルーシュを本国送りに?
監視任務中なのだから当然の処置だ。……だが出来るのか? 俺に。
「俺は貴方の……その友達じゃない」
震える声で呟いたルルーシュが辛そうに唇を噛んでいる。
酷い言葉をぶつけているのは俺の方だ。ルルーシュの気持ちを考えれば傷付くのは当然のこと。
でも、打ちひしがれたルルーシュの姿を見ても今は同情する気分になれない。
冷えた声音のまま俺は告げた。
「それは解っているよ。でも、似ているから思い出すというのが事実とはいえ、嘘を吐かれるのが嫌いというのはそのこととは関係ない。それは俺の性格だ」
「被せて見ていたんですか? その人に」
「……そういう訳じゃない」
被せるも何も、その友達というのは君だ、ルルーシュ。
「だったら……!」
嘗て無く激した口調で言い募ろうとしたものの、途中で口を閉ざしたルルーシュはもどかしげな表情のまま消沈した。
無言で首を振り、小さな声で「すみません」と言ったきり塞ぎ込んでいる。
打ち消した言葉は何だろう? ふと疑問に感じてから気が付いた。
――たった今、「見ているのか」ではなく「見ていたのか」と問われたことに。
あくまでも冷静にと努めていたものの、ルルーシュが傷付いた本当の理由について思い至るなり酷い罪悪感に襲われる。
俺の気持ちを慮って口に出さなかっただけで、実は密かに気にしていたのだろうか。俺が今のルルーシュではなく、彼の姿を通してその友達を見ているのではないかと。
……思えばこれ以上残酷な話もそうはない。騙すつもりでいた訳でも無いのに、裏切った友達と同じことをしようとしているのかと嫌疑をかけられ、覚えの無い以前の自身と重ねられることであれこれ探られては傷付けられる。
記憶の一切を書き換えられ、個人としての意思ばかりか人格さえも捻じ曲げられ、自信すら喪失しているせいでこうして俺にも遠慮し、言いたいことも満足に主張出来ず、好いている相手に今の自分を見てさえもらえない。……あまりにも不憫だ。
仕舞いには疑問にさえ思えてくる。
ルルーシュは一体何故、俺のような男を好いているのだろう。せめてそういった意味での好意さえ無ければ、ここまで辛い思いをすることなど無かっただろうに。
感情的になってしまった経緯といい、強い口調で詰問したことといい、さぞかし気難しく扱い辛い斑のある性格に見えていることだろう。それなのに、何故そんな俺を優しいなどと評したり出来るのか解らない。
今まで自分が口にしてきた台詞を反芻していた俺は、又も唐突に気付いた。
俺は『俺に嘘を吐くルルーシュ』が許せない。
秘密主義で本心を隠し、その時々によって都合のいい仮面を被って接してこようとする狡猾なルルーシュが。
だって『友達だ』と言ったのに。 こんなにも大切だったのに。
でも……君にとっては嘘という仮面を被って接すればいいと思う程度の存在でしか無かったのか? 俺は。
「貴方はいつも辛そうだ。一体どんな人だったんです? その友達は」
悲哀に暮れた眼差しを向けてきたルルーシュが、諦めたように嘆じてから問いかけてくる。
俺も黙然としたまま視線を落として嘆息した。
どんな人だったのかと問われても、彼の本質を見失ってしまった今の俺には答えることが出来ない。
特徴ならばよく解る。どんな性格だったのか、どんな話し方だったのか。声も仕草も表情も。
けれど、それらは全て彼を構成する一部分であり、ほんの断片でしかなくて、ルルーシュという一個の人格へと纏まる前にバラバラに崩れていってしまうのだ。
「誰よりもよく知っていると思っていたよ、彼のこと。幼い頃からずっと、この年になってからも」
裏切られるまでは、と。
やっとの思いで捻り出した俺が最後に一言付け加えるなり、ルルーシュは痛ましげに柳眉を顰めた。
「もう戻れないんですか? その人とは」
「そうだな。やり直すことは出来ない。俺も彼も」
「…………」
リビングに流れる沈黙。
テーブルに並べられた料理が冷えていく。丹精込めて作り上げたんだろうに、和やかさとは程遠い殺伐とした雰囲気。心が乱れ、平静を装いたくても装えない。
やりきれない思いの中で俺は思った。
これじゃまるで鬱憤晴らしだ。子供か、俺は? 引越し祝いと称された晩餐も、非理だと承知の上で続けてきた演技ですら全てぶち壊しじゃないか。
演技が必要な相手であるとはいえ、ルルーシュの前で『僕』でいる必要はない。俺の生きる意味を奪い、進むべき道を閉ざそうとしたこの男の前では。
けれど、だからってこのルルーシュ相手に気持ちをぶつけてどうする? 記憶の無いルルーシュ相手に。一方的に。
嘗てユフィから貰った言葉が耳の奥で蘇る。
『自分を嫌わないで』
あの時は本当に嬉しかった。自分でもどうやって開けばいいのか、開いてしまっていいものかどうかさえ解らなくなっていた心の扉。
ルルーシュを失ってからの七年間、固く閉ざされたまま開き方などとっくに忘れてしまっていたそれを、いとも容易く解放してくれた彼女の暖かさ。そして、思いがけない優しさ。
感謝している。言い尽くせないくらいに。あの時俺は、分不相応にも初めて生きたいと心から願うことが出来た。
……でも、俺にはやっぱり無理なのかもしれない。彼女の言葉を否定したくはないけれど、今でも浅ましく我欲に忠実な自分自身がこんなにも疎ましいのだから。
俺は八年前から迷ってばかりだ。永久の眠りに就いた彼女の胸に父の形見の時計を置いてきたあの日――ブラックリベリオンでルルーシュと決着を着けたあの時から、俺はずっと俺のまま『僕』に戻ることが出来なくなった。
八年前に時を止めた『俺』
『僕』という仮面をルルーシュが壊した瞬間から、再び動き始めた時計の針。
また守ることが出来なかった。救いの光を指し示してくれた人を。もっと早くルルーシュを逮捕していたら、彼女は殺されることなどなかったのかもしれない。
背負った数多の罪に、また一つ。
やはり俺に芝居は向いていない。そう思っていると、ルルーシュは何を思ったのか突然椅子から立ち上がり、ゆっくりした足取りで俺の傍まで歩み寄ってきた。
「……?」
ルルーシュは真隣に立って見下ろしてくる。いいだけ感情的になってしまった後だからというのもあるが、さすがに少々ばつが悪い。
一瞥を送ってから顔を背けたところで、ルルーシュは俺と目線を合わせるようにその場に屈んできた。
「貴方が嘘を嫌う理由はよく解りました。確かに俺は、もっときちんと理解されたい、本当の自分を解ってくれる人だけ残ればいい、そう思っていても、一時はもっと上手く嘘が吐けたらと思った。――でも、」
「もういいよ」
言葉を選びながら訥々と語っていたルルーシュの言葉を、俺は聞きたくないとばかりに遮った。
今更なんだ、それは。
仮面を被る。嘘を吐く。騙して裏切る。――それなのに理解されたいだと? あまりにも身勝手だ。
「貴方とはきちんと向き合いたい。だから最後まできちんと聞いて下さい。俺は貴方の生傷に触れてしまった。まだ塞がっていないと知っていたのに、軽々しく。それなのに謝らせてもくれないんですか?」
ルルーシュの言い分に、つい自嘲が漏れる。
「生傷か」
「だって、この間も泣いていたじゃありませんか」
「そうだな。みっともないところを見せたと思っているよ」
「そんなことはない!」
「!!」
ルルーシュの剣幕に驚き、穴が開くほどその顔を見つめてしまう。
叫んだルルーシュの声に蘇る記憶。……似ている。元のルルーシュに。
申し訳なさそうに表情を曇らせて小さく「すみません」と謝ったルルーシュが、膝の上に乗せていた俺の拳にそっと掌を重ねてくる。
「何でも思ったことをそのまま言ってしまう癖を直したいと思ったけれど、もっと上手く嘘が言えたらと思いながらも、これで騙さなくて済むとほっとしている自分もいるんです」
「……っ!」
まただ、と思った俺は固く目を瞑って唇を噛んだ。
だから、それは一体誰の言葉なんだ!?
「こんなことを言ってしまったら、また貴方の傷口に触れてしまうかもしれない。だけど、貴方を裏切ったその友達も、もしかしたら俺と同じ気持ちだったのかもしれません」
「どういう意味だ」
「本当は、ただ怖かっただけなのかもしれない。貴方に嫌われるのが」
瞬間、かっと頭に血が上った。
「勝手だ! だったら嘘なんか吐かなければいい! 嘘を吐かなければならなくなるようなことなんかしなければ良かったんだ! 最初から!!」
俺に嫌われることを怖れていたから嘘を吐いた!? あのルルーシュが? 馬鹿を言え!
ルルーシュに向き直った俺は、俺の拳に触れていた手を荒々しく振り払った。
「もうやめてくれ!」
搾り出すような声で俺は叫んだ。
これ以上耐えられない。本人の口からそんな台詞を聞かされ続けるのは。
嫌われたくないというのなら嫌われないようにすればいい。せめて仮面を被る前に、一言だけでも本心を伝えてくれていたら。
正体を隠して嘘を吐くよりずっとマシだ。そうすれば俺だって説得することが出来た。少なくともその機会を持つことくらいは! 上手くいけば思いとどまらせることだって!
それなのに、何故今頃になってそんな言葉を俺に聞かせるんだ、お前は!
「スザク」
「―――!?」
不意に名を呼んできたルルーシュに虚を衝かれ、ほんの刹那、全ての思考が停止した。
力任せに椅子の端を掴んでいた手に再び掌を乗せてきたルルーシュが、殊更優しい声音で告げてくる。
「昔、誰かに教わったことがあるんです。『人の体温は涙に効く』と」
「!」
ルルーシュ、と呼びかけた声が喉の奥で止まった。
開いた口が塞がらない。
覚えている。それは八年前、ナナリーが俺を慰めるためにかけてくれた言葉だ。
「貴方はまだ泣いています。……だから」
重ねた掌に力を込め、哀願のようにさえ聞こえる響きでルルーシュが呟く。
「誰から聞いたんだ? 人の体温が涙に効くって」
尋ねた俺に向かって、ルルーシュは淡く微笑んだ。
「わかりません。もしかしたら親かもしれないと勝手に思っているんですけど、正確には……。ただ漠然と誰かから教わったような気がしているだけで、ひょっとするとどこかで聞いた言葉を覚えていただけなのかもしれない。ありませんか? そういうこと」
「…………」
言葉が続かず黙していると、ルルーシュが「そんな顔しないで下さいよ」と苦笑する。
どんな顔をしているのか自分では全く解らなかったが、俺は動揺をひた隠しつつ辛うじて無表情を貫いた。
握り込んだ指先が僅かに強張り、ピクリと手の甲が痙攣する。それに気付いたらしいルルーシュは、重ねた手元に視線を落としてから感慨深そうな顔つきで呟く。
「俺はずっと、貴方にこうしたかったのかもしれない」
「ずっと……?」
「ええ。テレビで貴方の姿を初めて見た時から」
握り締めた拳が解かれ、一本ずつ開いた指を絡めるようにしながらルルーシュがしっかりと手を繋いでくる。
「貴方の悲しそうな瞳を見た時でした。俺が泣いたのは……。何をどうすればいいのかなんて全く解らない、会うことが出来るような関係でさえ無いのに、ただ何とかしなければならないと気持ちばかり焦って……。自分でも何を訴えたいのか、何を伝えたいのかなんて全く解らない。それでも貴方に会いたくて、何か一言だけでも言葉を交わしたくて。……だから、もしこれが恋だというのなら、なんて辛いものなんだろうと」
「…………」
黙りこくった俺に訴えるルルーシュの声は微かに震えていた。
それでも精一杯思いの丈を伝えようと、ルルーシュは尚も話し続ける。
「貴方と出会った初日も、本当は自分から寄って行ったことを少し後悔していました。俺は人見知りが激しいし、いざとなったら思うように話すことなんか出来なくなるくせにって。それなのに衝動的に動いてしまって……。でも、貴方はそんな俺に対しても優しかった」
それは違うと瞬時に思った。
あの時は、単にルルーシュを手懐けるためにそう振舞っていただけだ。
「俺は、君にそこまで優しく出来ているとは思っていないよ」
心の中でごめん、と呟きながら考える。
優しく出来ていないどころか、再会してからずっと、俺は粗探しするような目でしかルルーシュを見ていない気がする。
今だってそうだ。不安定な精神状態のまま接しては辛く当たり、取っているのは八つ当たりにも等しい理不尽な態度ばかり。ほんの僅かな綻びも見逃すまい、もう二度と騙されまいと、重箱の隅を突きつつ目を皿のようにしながら、それでも見極めたい思いを消すことすら出来ずに。
そんな自分にも疲れ切り、いずれは自己嫌悪と罪悪感だけで潰れてしまうのだろうか。そう遠くない未来が目に浮かぶようだ。
ルルーシュの告白を聞いていても思う。
何のことはない。ギアスのせいで起こる矛盾なのだ、それも。
積極性に反した人見知り。いざとなれば話せなくなる不自然。
確かに、ルルーシュは昔から警戒心が強く人見知りの激しい子供だった。積極的であると同時に内向的でもあるのは元の性格から来る気質かもしれない。
自分から前に出ようとする性格ではあるものの、ルルーシュは対人面においては完全に受身で、とりたてて接近しなければならない理由でも無い限り自分から寄っていくようなことなどまず有り得ない。
たが、いざとなると話せなくなる理由についてだけは――間違いなく記憶を改竄された影響なのだ。
ルルーシュにとっては知る由も無い事実。
こうしてルルーシュを責めている俺自身も、実は嘘を吐いていることなど。
「君は訊かないのか?」
「?」
繋いだルルーシュの手を強く握り締めると、はっとしたルルーシュが手元を見てから俺を見上げてくる。
「俺は君にきついことばかり言ったけれど、君は疑問に思わなかったのか? 言い返すことだって出来ただろう。『では、お前は嘘を吐いたことが一度も無いのか』と」
「――――」
答えを促そうと目で問いかけると、ルルーシュは困った顔をして考え込んでいた。
その表情を見て、すぐに解った。
……彼は、俺を責めるために言い返すことなど考えもつかなかったのだと。
「君は本当に、人のことばかりだな」
「え?」
昔からそうだと思いながら、俺はポカンとしているルルーシュに「優先順位のことだよ」と告げた。
「自分の気持ちを後回しにして、遠慮して……。今だって、俺が訊いたようなことなんか考えもしなかったって顔だ」
口を「あ」の形に開いたルルーシュは、ようやく言われたことの意味を察したようだ。かといって、どういったリアクションをとればいいのかも解らないのだろう。さも居心地悪そうに視線をさ迷わせている。
戸惑うルルーシュの姿を見て、ぎゅっと心臓が締め付けられたような感じがした。
……変わっていない。そのいじらしさ。相手に気付かれない限り伝わることのない不器用な優しさ。
捻くれていて、素直じゃなくて、意地っ張りで。クールに見せかけているけれど、本当は情熱的で気高くて。
口では自分の損得中心にしか物事を考えないような悪びれた物言いをしながらも、いつだって大切な人のことばかり。
俺が信じたルルーシュの本質。壊れた虚像そっくりの姿。
あの日見失った筈のルルーシュがここに居る。何故かそんな気がした。
俺にとって放っておけないと思える部分全てが、どうあってもルルーシュのまま。
嘗て守りたいと願った大切な友達。初めて出来た、たった一人の……。
「さっきも言ったけど、俺は君が言うほど優しくはないよ。でも君は、『自分は本当は冷たい人間なのかもしれない』なんて心配するほど冷たい人間じゃない」
――本当に優しいのは君だろう、ルルーシュ。
その一言だけ、俺はまだ、どうしても口にすることが出来なかった。
抑揚に欠けた硬い声。自身の心の狭さにほとほと嫌気が差しながらも、可能な限り衒いの無い言葉で伝えてやれば、ルルーシュは「いいえ」と答えながら緩く首を振る。
「そんな風に言わないで下さい。今はまだ傷付いているだけで、貴方はとても優しい人だと俺は思う。地位の高い方なのに偉ぶることなく手を差し伸べてくれた上に、俺に対して友達になろうとまで言ってくれた。自分から寄って行ったのに上手く喋れなかった俺を、鬱陶しそうに突き放すことだって無かった……。本当はもっとぞんざいに扱うことだって出来た筈です。この国では、立場のある人が貴方のように振舞うことは決して当然のことじゃない」
誤解だ、ルルーシュ。
それは俺が君を手懐けるために……接近して信頼させるために演出された優しさだ。矛盾した思いに混乱して、荒れる感情をぶつけてばかりの俺を宥めようとしている君の方が余程――。
否定も肯定も出来ない代わりに、俺はルルーシュの手を強く握り締めた。すると、そんな俺に応えるようにルルーシュもぎゅっと俺の手を握り返してくる。
そして……。
「俺は、貴方になら嘘を吐かれても構わない。もし嘘を吐かれたとしても、きっと何か事情がある筈なんだと信じます。それがどんな理由だったにせよ、貴方が俺に優しくしてくれた事実は変わらない。貴方は理屈じゃなく俺に惹かれていると言ってくれたけれど、俺だってそんな貴方が好きだ。仮に思いの全てを裏切られたとしても、もしこの先貴方を憎むことがあったとしても、俺はきっと、心の底から貴方を憎み切ることなど出来はしない。たとえ憎んでも、決して嫌いになり切ることなんか俺には出来ない」
「…………」
「貴方もそうでしょう? だからこそ、そんなにも苦しんでいるんじゃないんですか?」
「――――」
滔々と話すルルーシュに図星を突かれた瞬間、遂に心のどこかがポキリと折れた気がした。
――敵わない。
ただそう思った。
頭の中が滅茶苦茶だ。仮面を被る嘘吐きのルルーシュ。俺の友達だったルルーシュ。そしてルルーシュの本音とも受け取れることを頻繁に口にする純粋な今のルルーシュ。
理想? 願望? それとも具現化された俺自身の欲望だろうか、この状況は。
今度こそという思いがある。監視として傍に居ることを選びながら、いつの間にかプラスされている目的。
改めて指摘されるまでもない。
解っている。とっくに気付いている。ルルーシュと離れてからの一年間、俺がずっと求め焦がれ続けてきたのは、本当のルルーシュに会って真意を確かめることなのだと。
だが、ルルーシュにだけ本当であることを求めるのか。それは果たして正しいことなのか?
ルルーシュに告げた自身の言葉が頭を過ぎる。
もし『本当のお前の顔とはどれか』と尋ねられたら、俺はどう答えるのだろう。『僕』と『俺』、どちらが本物だと言えるのだろうか。
この期に及んで、俺はまだ自分が救われることを求めている。
助けてくれと、ルルーシュに。お前しか俺を救える者はいないのだと。
何もかもが混ざり合い、暗闇のような混沌となって押し寄せてくる。遠ざかる。見失う。何一つ見極められないまま、より見えなくなっていく。
信じたい思い。裏切られた過去。新たに突きつけられた現実。――真実はどれだ?
……向き合わなければならない。もう目を逸らすことは出来ない。そういうことなのだろうか。
ルルーシュに対する憎しみを消せない理由。心の奥底に潜む本心。
それを認めなければ、俺はもう、一歩も先に進むことなど出来ないのかもしれない。
「初めて呼んでくれたな、俺の名前」
どさくさ紛れだったけど、と指摘してやれば、ルルーシュはほんの少し照れ臭そうにしながらも花が綻ぶような笑みを向けてくる。
「違和感が無くて驚きました。まるで欠けていたパズルのピースが嵌まった時みたいだ。……どんな時でも、こんな風にしっくり来ることなんかあんまり無いのに」
話しているうちに、ルルーシュは段々茫洋とした眼差しになっていく。
表情を翳らせながらぽそりと漏らされた一言に意識を引かれ、何となく嫌な予感が胸に過ぎった。
「しっくり来ることが、無い?」
やけに引っかかる物言いだと思って訊き返すと、ルルーシュは冗談めかした仕草で肩を竦めた。
「いけませんよね。特に理由も無いのに苛々しちゃって……。焦燥感というか、常に違和感が付き纏う感じで、ついソワソワしてしまうんです。もし貴方と出会えていなかったら、俺はギャンブルにでも手を出していたかもしれないな」
「――――」
ルルーシュが答えるたびに、背筋に冷たいものが駆け抜けていく。
焦燥感と違和感。
考えるまでもない。元の人格を抑圧されていることが原因だ。
「……ギャンブルって、もしかして賭けチェスとか?」
「ええ、俺、得意なんです。チェスが」
ルルーシュは「よく解りましたね」と驚きながらも、俺が言い当てた理由について言及してくることもなく、ごくあっさりした口調で答えてくる。
「どうしてギャンブルなんか。危ないだろう? まだ未成年なのに」
ギャンブル。それも、よりにもよって賭けチェス。あまりにも元のルルーシュに酷似した発言だ。
しかし、顔色を変えた俺を訝しがることもなく、ルルーシュは淡々と話し続ける。
「変なんですよ、俺……。とにかく苛々するんです、自分自身に。さっきの話についてもそうですけど、今の俺は本当の自分じゃないと思うことが時々あって」
「どういう意味?」
「とにかく変なんです。記憶にも曖昧な箇所があるし――それに、考えてみればみるほどおかしい。俺は元々隠し事が出来ない性格だった筈なのに、失敗した記憶はここ一年の間に集中しているんです。昔からそれで通っていたんだとしたら、どうして急に? って思いませんか? そう考えると、自分でも途端に解らなくなる。もっと早く本音を隠そうと思うことは無かったのか、どうして今までこの性格のまま一度も失敗していないのか……それも十七年間も。ただ運が良かっただけなんでしょうか。何だか都合が良すぎるような気がして、自分でも腑に落ちない」
すいと目を眇めて話すルルーシュの横顔に、嘗ての怜悧な面影が重なっていく。
自分自身を俯瞰し、客観視する限りなく冷静な視点。
やはり、ある程度の自己分析はしていたか。
気付いていないのは女性恐怖症の原因となった記憶に関してのみ。――ルルーシュは既に、都合よく書き換えられた記憶の矛盾点について、ほぼ完全に把握している。
ルルーシュは、もう一度肩を竦めてから冴え冴えとした表情を和らげた。
「何だか、貴方には出会ってから変なことばかり言ってしまってますね、俺は。……でも、」
「?」
「さっきスザクって呼んだ時は、その苛々が少し治まったような気がしたんです。……何だか、ずっと前からそう呼んでいたみたいに馴染むというか……」
「……ルルーシュ」
「スザク」
ふと真顔になったルルーシュが、俺の呼ぶ声に重ねて名を呼んでくる。
――約束します、と。
目を閉じたルルーシュの囁くような声音が耳朶に響いた。
欠けた心の隙間を満たし、染みこんでくる心地よいテノール。そして、繋いだ掌越しに伝わる体温。
ルルーシュの本当の顔など俺は知らない。解らない。見たことさえ無いのかもしれない。
でも本物だ。これだけは。この暖かさだけは……。
やがて、静かな声でぽつりと落とされたものは、ルルーシュから俺に対する誓いの言葉だった。
「俺は貴方に嘘は吐かない。――貴方にだけは」
「――え?」
端的に言い切った途端、澄んだ菫色が驚愕に見開かれ、傷付いたように揺らいだ。
「ここまで言えば解るだろう? 俺が君に嘘を吐かれたくないと思う理由が」
蒼白になったようにさえ見えるルルーシュを前に、心が散々に乱れていく。
記憶回復するかもしれない? すればいい。すぐにでも捕まえて、問い詰めて――。
でも、その後俺はどうするんだろう。ルルーシュを本国送りに?
監視任務中なのだから当然の処置だ。……だが出来るのか? 俺に。
「俺は貴方の……その友達じゃない」
震える声で呟いたルルーシュが辛そうに唇を噛んでいる。
酷い言葉をぶつけているのは俺の方だ。ルルーシュの気持ちを考えれば傷付くのは当然のこと。
でも、打ちひしがれたルルーシュの姿を見ても今は同情する気分になれない。
冷えた声音のまま俺は告げた。
「それは解っているよ。でも、似ているから思い出すというのが事実とはいえ、嘘を吐かれるのが嫌いというのはそのこととは関係ない。それは俺の性格だ」
「被せて見ていたんですか? その人に」
「……そういう訳じゃない」
被せるも何も、その友達というのは君だ、ルルーシュ。
「だったら……!」
嘗て無く激した口調で言い募ろうとしたものの、途中で口を閉ざしたルルーシュはもどかしげな表情のまま消沈した。
無言で首を振り、小さな声で「すみません」と言ったきり塞ぎ込んでいる。
打ち消した言葉は何だろう? ふと疑問に感じてから気が付いた。
――たった今、「見ているのか」ではなく「見ていたのか」と問われたことに。
あくまでも冷静にと努めていたものの、ルルーシュが傷付いた本当の理由について思い至るなり酷い罪悪感に襲われる。
俺の気持ちを慮って口に出さなかっただけで、実は密かに気にしていたのだろうか。俺が今のルルーシュではなく、彼の姿を通してその友達を見ているのではないかと。
……思えばこれ以上残酷な話もそうはない。騙すつもりでいた訳でも無いのに、裏切った友達と同じことをしようとしているのかと嫌疑をかけられ、覚えの無い以前の自身と重ねられることであれこれ探られては傷付けられる。
記憶の一切を書き換えられ、個人としての意思ばかりか人格さえも捻じ曲げられ、自信すら喪失しているせいでこうして俺にも遠慮し、言いたいことも満足に主張出来ず、好いている相手に今の自分を見てさえもらえない。……あまりにも不憫だ。
仕舞いには疑問にさえ思えてくる。
ルルーシュは一体何故、俺のような男を好いているのだろう。せめてそういった意味での好意さえ無ければ、ここまで辛い思いをすることなど無かっただろうに。
感情的になってしまった経緯といい、強い口調で詰問したことといい、さぞかし気難しく扱い辛い斑のある性格に見えていることだろう。それなのに、何故そんな俺を優しいなどと評したり出来るのか解らない。
今まで自分が口にしてきた台詞を反芻していた俺は、又も唐突に気付いた。
俺は『俺に嘘を吐くルルーシュ』が許せない。
秘密主義で本心を隠し、その時々によって都合のいい仮面を被って接してこようとする狡猾なルルーシュが。
だって『友達だ』と言ったのに。 こんなにも大切だったのに。
でも……君にとっては嘘という仮面を被って接すればいいと思う程度の存在でしか無かったのか? 俺は。
「貴方はいつも辛そうだ。一体どんな人だったんです? その友達は」
悲哀に暮れた眼差しを向けてきたルルーシュが、諦めたように嘆じてから問いかけてくる。
俺も黙然としたまま視線を落として嘆息した。
どんな人だったのかと問われても、彼の本質を見失ってしまった今の俺には答えることが出来ない。
特徴ならばよく解る。どんな性格だったのか、どんな話し方だったのか。声も仕草も表情も。
けれど、それらは全て彼を構成する一部分であり、ほんの断片でしかなくて、ルルーシュという一個の人格へと纏まる前にバラバラに崩れていってしまうのだ。
「誰よりもよく知っていると思っていたよ、彼のこと。幼い頃からずっと、この年になってからも」
裏切られるまでは、と。
やっとの思いで捻り出した俺が最後に一言付け加えるなり、ルルーシュは痛ましげに柳眉を顰めた。
「もう戻れないんですか? その人とは」
「そうだな。やり直すことは出来ない。俺も彼も」
「…………」
リビングに流れる沈黙。
テーブルに並べられた料理が冷えていく。丹精込めて作り上げたんだろうに、和やかさとは程遠い殺伐とした雰囲気。心が乱れ、平静を装いたくても装えない。
やりきれない思いの中で俺は思った。
これじゃまるで鬱憤晴らしだ。子供か、俺は? 引越し祝いと称された晩餐も、非理だと承知の上で続けてきた演技ですら全てぶち壊しじゃないか。
演技が必要な相手であるとはいえ、ルルーシュの前で『僕』でいる必要はない。俺の生きる意味を奪い、進むべき道を閉ざそうとしたこの男の前では。
けれど、だからってこのルルーシュ相手に気持ちをぶつけてどうする? 記憶の無いルルーシュ相手に。一方的に。
嘗てユフィから貰った言葉が耳の奥で蘇る。
『自分を嫌わないで』
あの時は本当に嬉しかった。自分でもどうやって開けばいいのか、開いてしまっていいものかどうかさえ解らなくなっていた心の扉。
ルルーシュを失ってからの七年間、固く閉ざされたまま開き方などとっくに忘れてしまっていたそれを、いとも容易く解放してくれた彼女の暖かさ。そして、思いがけない優しさ。
感謝している。言い尽くせないくらいに。あの時俺は、分不相応にも初めて生きたいと心から願うことが出来た。
……でも、俺にはやっぱり無理なのかもしれない。彼女の言葉を否定したくはないけれど、今でも浅ましく我欲に忠実な自分自身がこんなにも疎ましいのだから。
俺は八年前から迷ってばかりだ。永久の眠りに就いた彼女の胸に父の形見の時計を置いてきたあの日――ブラックリベリオンでルルーシュと決着を着けたあの時から、俺はずっと俺のまま『僕』に戻ることが出来なくなった。
八年前に時を止めた『俺』
『僕』という仮面をルルーシュが壊した瞬間から、再び動き始めた時計の針。
また守ることが出来なかった。救いの光を指し示してくれた人を。もっと早くルルーシュを逮捕していたら、彼女は殺されることなどなかったのかもしれない。
背負った数多の罪に、また一つ。
やはり俺に芝居は向いていない。そう思っていると、ルルーシュは何を思ったのか突然椅子から立ち上がり、ゆっくりした足取りで俺の傍まで歩み寄ってきた。
「……?」
ルルーシュは真隣に立って見下ろしてくる。いいだけ感情的になってしまった後だからというのもあるが、さすがに少々ばつが悪い。
一瞥を送ってから顔を背けたところで、ルルーシュは俺と目線を合わせるようにその場に屈んできた。
「貴方が嘘を嫌う理由はよく解りました。確かに俺は、もっときちんと理解されたい、本当の自分を解ってくれる人だけ残ればいい、そう思っていても、一時はもっと上手く嘘が吐けたらと思った。――でも、」
「もういいよ」
言葉を選びながら訥々と語っていたルルーシュの言葉を、俺は聞きたくないとばかりに遮った。
今更なんだ、それは。
仮面を被る。嘘を吐く。騙して裏切る。――それなのに理解されたいだと? あまりにも身勝手だ。
「貴方とはきちんと向き合いたい。だから最後まできちんと聞いて下さい。俺は貴方の生傷に触れてしまった。まだ塞がっていないと知っていたのに、軽々しく。それなのに謝らせてもくれないんですか?」
ルルーシュの言い分に、つい自嘲が漏れる。
「生傷か」
「だって、この間も泣いていたじゃありませんか」
「そうだな。みっともないところを見せたと思っているよ」
「そんなことはない!」
「!!」
ルルーシュの剣幕に驚き、穴が開くほどその顔を見つめてしまう。
叫んだルルーシュの声に蘇る記憶。……似ている。元のルルーシュに。
申し訳なさそうに表情を曇らせて小さく「すみません」と謝ったルルーシュが、膝の上に乗せていた俺の拳にそっと掌を重ねてくる。
「何でも思ったことをそのまま言ってしまう癖を直したいと思ったけれど、もっと上手く嘘が言えたらと思いながらも、これで騙さなくて済むとほっとしている自分もいるんです」
「……っ!」
まただ、と思った俺は固く目を瞑って唇を噛んだ。
だから、それは一体誰の言葉なんだ!?
「こんなことを言ってしまったら、また貴方の傷口に触れてしまうかもしれない。だけど、貴方を裏切ったその友達も、もしかしたら俺と同じ気持ちだったのかもしれません」
「どういう意味だ」
「本当は、ただ怖かっただけなのかもしれない。貴方に嫌われるのが」
瞬間、かっと頭に血が上った。
「勝手だ! だったら嘘なんか吐かなければいい! 嘘を吐かなければならなくなるようなことなんかしなければ良かったんだ! 最初から!!」
俺に嫌われることを怖れていたから嘘を吐いた!? あのルルーシュが? 馬鹿を言え!
ルルーシュに向き直った俺は、俺の拳に触れていた手を荒々しく振り払った。
「もうやめてくれ!」
搾り出すような声で俺は叫んだ。
これ以上耐えられない。本人の口からそんな台詞を聞かされ続けるのは。
嫌われたくないというのなら嫌われないようにすればいい。せめて仮面を被る前に、一言だけでも本心を伝えてくれていたら。
正体を隠して嘘を吐くよりずっとマシだ。そうすれば俺だって説得することが出来た。少なくともその機会を持つことくらいは! 上手くいけば思いとどまらせることだって!
それなのに、何故今頃になってそんな言葉を俺に聞かせるんだ、お前は!
「スザク」
「―――!?」
不意に名を呼んできたルルーシュに虚を衝かれ、ほんの刹那、全ての思考が停止した。
力任せに椅子の端を掴んでいた手に再び掌を乗せてきたルルーシュが、殊更優しい声音で告げてくる。
「昔、誰かに教わったことがあるんです。『人の体温は涙に効く』と」
「!」
ルルーシュ、と呼びかけた声が喉の奥で止まった。
開いた口が塞がらない。
覚えている。それは八年前、ナナリーが俺を慰めるためにかけてくれた言葉だ。
「貴方はまだ泣いています。……だから」
重ねた掌に力を込め、哀願のようにさえ聞こえる響きでルルーシュが呟く。
「誰から聞いたんだ? 人の体温が涙に効くって」
尋ねた俺に向かって、ルルーシュは淡く微笑んだ。
「わかりません。もしかしたら親かもしれないと勝手に思っているんですけど、正確には……。ただ漠然と誰かから教わったような気がしているだけで、ひょっとするとどこかで聞いた言葉を覚えていただけなのかもしれない。ありませんか? そういうこと」
「…………」
言葉が続かず黙していると、ルルーシュが「そんな顔しないで下さいよ」と苦笑する。
どんな顔をしているのか自分では全く解らなかったが、俺は動揺をひた隠しつつ辛うじて無表情を貫いた。
握り込んだ指先が僅かに強張り、ピクリと手の甲が痙攣する。それに気付いたらしいルルーシュは、重ねた手元に視線を落としてから感慨深そうな顔つきで呟く。
「俺はずっと、貴方にこうしたかったのかもしれない」
「ずっと……?」
「ええ。テレビで貴方の姿を初めて見た時から」
握り締めた拳が解かれ、一本ずつ開いた指を絡めるようにしながらルルーシュがしっかりと手を繋いでくる。
「貴方の悲しそうな瞳を見た時でした。俺が泣いたのは……。何をどうすればいいのかなんて全く解らない、会うことが出来るような関係でさえ無いのに、ただ何とかしなければならないと気持ちばかり焦って……。自分でも何を訴えたいのか、何を伝えたいのかなんて全く解らない。それでも貴方に会いたくて、何か一言だけでも言葉を交わしたくて。……だから、もしこれが恋だというのなら、なんて辛いものなんだろうと」
「…………」
黙りこくった俺に訴えるルルーシュの声は微かに震えていた。
それでも精一杯思いの丈を伝えようと、ルルーシュは尚も話し続ける。
「貴方と出会った初日も、本当は自分から寄って行ったことを少し後悔していました。俺は人見知りが激しいし、いざとなったら思うように話すことなんか出来なくなるくせにって。それなのに衝動的に動いてしまって……。でも、貴方はそんな俺に対しても優しかった」
それは違うと瞬時に思った。
あの時は、単にルルーシュを手懐けるためにそう振舞っていただけだ。
「俺は、君にそこまで優しく出来ているとは思っていないよ」
心の中でごめん、と呟きながら考える。
優しく出来ていないどころか、再会してからずっと、俺は粗探しするような目でしかルルーシュを見ていない気がする。
今だってそうだ。不安定な精神状態のまま接しては辛く当たり、取っているのは八つ当たりにも等しい理不尽な態度ばかり。ほんの僅かな綻びも見逃すまい、もう二度と騙されまいと、重箱の隅を突きつつ目を皿のようにしながら、それでも見極めたい思いを消すことすら出来ずに。
そんな自分にも疲れ切り、いずれは自己嫌悪と罪悪感だけで潰れてしまうのだろうか。そう遠くない未来が目に浮かぶようだ。
ルルーシュの告白を聞いていても思う。
何のことはない。ギアスのせいで起こる矛盾なのだ、それも。
積極性に反した人見知り。いざとなれば話せなくなる不自然。
確かに、ルルーシュは昔から警戒心が強く人見知りの激しい子供だった。積極的であると同時に内向的でもあるのは元の性格から来る気質かもしれない。
自分から前に出ようとする性格ではあるものの、ルルーシュは対人面においては完全に受身で、とりたてて接近しなければならない理由でも無い限り自分から寄っていくようなことなどまず有り得ない。
たが、いざとなると話せなくなる理由についてだけは――間違いなく記憶を改竄された影響なのだ。
ルルーシュにとっては知る由も無い事実。
こうしてルルーシュを責めている俺自身も、実は嘘を吐いていることなど。
「君は訊かないのか?」
「?」
繋いだルルーシュの手を強く握り締めると、はっとしたルルーシュが手元を見てから俺を見上げてくる。
「俺は君にきついことばかり言ったけれど、君は疑問に思わなかったのか? 言い返すことだって出来ただろう。『では、お前は嘘を吐いたことが一度も無いのか』と」
「――――」
答えを促そうと目で問いかけると、ルルーシュは困った顔をして考え込んでいた。
その表情を見て、すぐに解った。
……彼は、俺を責めるために言い返すことなど考えもつかなかったのだと。
「君は本当に、人のことばかりだな」
「え?」
昔からそうだと思いながら、俺はポカンとしているルルーシュに「優先順位のことだよ」と告げた。
「自分の気持ちを後回しにして、遠慮して……。今だって、俺が訊いたようなことなんか考えもしなかったって顔だ」
口を「あ」の形に開いたルルーシュは、ようやく言われたことの意味を察したようだ。かといって、どういったリアクションをとればいいのかも解らないのだろう。さも居心地悪そうに視線をさ迷わせている。
戸惑うルルーシュの姿を見て、ぎゅっと心臓が締め付けられたような感じがした。
……変わっていない。そのいじらしさ。相手に気付かれない限り伝わることのない不器用な優しさ。
捻くれていて、素直じゃなくて、意地っ張りで。クールに見せかけているけれど、本当は情熱的で気高くて。
口では自分の損得中心にしか物事を考えないような悪びれた物言いをしながらも、いつだって大切な人のことばかり。
俺が信じたルルーシュの本質。壊れた虚像そっくりの姿。
あの日見失った筈のルルーシュがここに居る。何故かそんな気がした。
俺にとって放っておけないと思える部分全てが、どうあってもルルーシュのまま。
嘗て守りたいと願った大切な友達。初めて出来た、たった一人の……。
「さっきも言ったけど、俺は君が言うほど優しくはないよ。でも君は、『自分は本当は冷たい人間なのかもしれない』なんて心配するほど冷たい人間じゃない」
――本当に優しいのは君だろう、ルルーシュ。
その一言だけ、俺はまだ、どうしても口にすることが出来なかった。
抑揚に欠けた硬い声。自身の心の狭さにほとほと嫌気が差しながらも、可能な限り衒いの無い言葉で伝えてやれば、ルルーシュは「いいえ」と答えながら緩く首を振る。
「そんな風に言わないで下さい。今はまだ傷付いているだけで、貴方はとても優しい人だと俺は思う。地位の高い方なのに偉ぶることなく手を差し伸べてくれた上に、俺に対して友達になろうとまで言ってくれた。自分から寄って行ったのに上手く喋れなかった俺を、鬱陶しそうに突き放すことだって無かった……。本当はもっとぞんざいに扱うことだって出来た筈です。この国では、立場のある人が貴方のように振舞うことは決して当然のことじゃない」
誤解だ、ルルーシュ。
それは俺が君を手懐けるために……接近して信頼させるために演出された優しさだ。矛盾した思いに混乱して、荒れる感情をぶつけてばかりの俺を宥めようとしている君の方が余程――。
否定も肯定も出来ない代わりに、俺はルルーシュの手を強く握り締めた。すると、そんな俺に応えるようにルルーシュもぎゅっと俺の手を握り返してくる。
そして……。
「俺は、貴方になら嘘を吐かれても構わない。もし嘘を吐かれたとしても、きっと何か事情がある筈なんだと信じます。それがどんな理由だったにせよ、貴方が俺に優しくしてくれた事実は変わらない。貴方は理屈じゃなく俺に惹かれていると言ってくれたけれど、俺だってそんな貴方が好きだ。仮に思いの全てを裏切られたとしても、もしこの先貴方を憎むことがあったとしても、俺はきっと、心の底から貴方を憎み切ることなど出来はしない。たとえ憎んでも、決して嫌いになり切ることなんか俺には出来ない」
「…………」
「貴方もそうでしょう? だからこそ、そんなにも苦しんでいるんじゃないんですか?」
「――――」
滔々と話すルルーシュに図星を突かれた瞬間、遂に心のどこかがポキリと折れた気がした。
――敵わない。
ただそう思った。
頭の中が滅茶苦茶だ。仮面を被る嘘吐きのルルーシュ。俺の友達だったルルーシュ。そしてルルーシュの本音とも受け取れることを頻繁に口にする純粋な今のルルーシュ。
理想? 願望? それとも具現化された俺自身の欲望だろうか、この状況は。
今度こそという思いがある。監視として傍に居ることを選びながら、いつの間にかプラスされている目的。
改めて指摘されるまでもない。
解っている。とっくに気付いている。ルルーシュと離れてからの一年間、俺がずっと求め焦がれ続けてきたのは、本当のルルーシュに会って真意を確かめることなのだと。
だが、ルルーシュにだけ本当であることを求めるのか。それは果たして正しいことなのか?
ルルーシュに告げた自身の言葉が頭を過ぎる。
もし『本当のお前の顔とはどれか』と尋ねられたら、俺はどう答えるのだろう。『僕』と『俺』、どちらが本物だと言えるのだろうか。
この期に及んで、俺はまだ自分が救われることを求めている。
助けてくれと、ルルーシュに。お前しか俺を救える者はいないのだと。
何もかもが混ざり合い、暗闇のような混沌となって押し寄せてくる。遠ざかる。見失う。何一つ見極められないまま、より見えなくなっていく。
信じたい思い。裏切られた過去。新たに突きつけられた現実。――真実はどれだ?
……向き合わなければならない。もう目を逸らすことは出来ない。そういうことなのだろうか。
ルルーシュに対する憎しみを消せない理由。心の奥底に潜む本心。
それを認めなければ、俺はもう、一歩も先に進むことなど出来ないのかもしれない。
「初めて呼んでくれたな、俺の名前」
どさくさ紛れだったけど、と指摘してやれば、ルルーシュはほんの少し照れ臭そうにしながらも花が綻ぶような笑みを向けてくる。
「違和感が無くて驚きました。まるで欠けていたパズルのピースが嵌まった時みたいだ。……どんな時でも、こんな風にしっくり来ることなんかあんまり無いのに」
話しているうちに、ルルーシュは段々茫洋とした眼差しになっていく。
表情を翳らせながらぽそりと漏らされた一言に意識を引かれ、何となく嫌な予感が胸に過ぎった。
「しっくり来ることが、無い?」
やけに引っかかる物言いだと思って訊き返すと、ルルーシュは冗談めかした仕草で肩を竦めた。
「いけませんよね。特に理由も無いのに苛々しちゃって……。焦燥感というか、常に違和感が付き纏う感じで、ついソワソワしてしまうんです。もし貴方と出会えていなかったら、俺はギャンブルにでも手を出していたかもしれないな」
「――――」
ルルーシュが答えるたびに、背筋に冷たいものが駆け抜けていく。
焦燥感と違和感。
考えるまでもない。元の人格を抑圧されていることが原因だ。
「……ギャンブルって、もしかして賭けチェスとか?」
「ええ、俺、得意なんです。チェスが」
ルルーシュは「よく解りましたね」と驚きながらも、俺が言い当てた理由について言及してくることもなく、ごくあっさりした口調で答えてくる。
「どうしてギャンブルなんか。危ないだろう? まだ未成年なのに」
ギャンブル。それも、よりにもよって賭けチェス。あまりにも元のルルーシュに酷似した発言だ。
しかし、顔色を変えた俺を訝しがることもなく、ルルーシュは淡々と話し続ける。
「変なんですよ、俺……。とにかく苛々するんです、自分自身に。さっきの話についてもそうですけど、今の俺は本当の自分じゃないと思うことが時々あって」
「どういう意味?」
「とにかく変なんです。記憶にも曖昧な箇所があるし――それに、考えてみればみるほどおかしい。俺は元々隠し事が出来ない性格だった筈なのに、失敗した記憶はここ一年の間に集中しているんです。昔からそれで通っていたんだとしたら、どうして急に? って思いませんか? そう考えると、自分でも途端に解らなくなる。もっと早く本音を隠そうと思うことは無かったのか、どうして今までこの性格のまま一度も失敗していないのか……それも十七年間も。ただ運が良かっただけなんでしょうか。何だか都合が良すぎるような気がして、自分でも腑に落ちない」
すいと目を眇めて話すルルーシュの横顔に、嘗ての怜悧な面影が重なっていく。
自分自身を俯瞰し、客観視する限りなく冷静な視点。
やはり、ある程度の自己分析はしていたか。
気付いていないのは女性恐怖症の原因となった記憶に関してのみ。――ルルーシュは既に、都合よく書き換えられた記憶の矛盾点について、ほぼ完全に把握している。
ルルーシュは、もう一度肩を竦めてから冴え冴えとした表情を和らげた。
「何だか、貴方には出会ってから変なことばかり言ってしまってますね、俺は。……でも、」
「?」
「さっきスザクって呼んだ時は、その苛々が少し治まったような気がしたんです。……何だか、ずっと前からそう呼んでいたみたいに馴染むというか……」
「……ルルーシュ」
「スザク」
ふと真顔になったルルーシュが、俺の呼ぶ声に重ねて名を呼んでくる。
――約束します、と。
目を閉じたルルーシュの囁くような声音が耳朶に響いた。
欠けた心の隙間を満たし、染みこんでくる心地よいテノール。そして、繋いだ掌越しに伝わる体温。
ルルーシュの本当の顔など俺は知らない。解らない。見たことさえ無いのかもしれない。
でも本物だ。これだけは。この暖かさだけは……。
やがて、静かな声でぽつりと落とされたものは、ルルーシュから俺に対する誓いの言葉だった。
「俺は貴方に嘘は吐かない。――貴方にだけは」