ココロノヤミ(仮)
ああ、調子が悪いな。そう思いながら目覚めるのは久しぶりのことだった。
僕は寝起きが悪い方じゃない。起きてすぐ体を動かすのだって別に平気だ。走り込みに行って竹刀を振り、軽く汗を流して学園へと向かう。いつも通りの朝ならそうする筈だった。
でも、今朝はたて続けにこう思った。――今日はルルーシュに会いたくないな。
どうしてそう思うのかは解らない。ただ、具合が悪い時の僕はたまにこうなる。理由は謎だ。軍に入った頃からだろうか……きっと気のせいだろう。
具合が悪い。そう思う場合にも二種類あって、単純に体調が良くない場合、そして人に会うのが億劫な場合。今日は後者だ。
そういう日は起きた瞬間に解る。心も体も鉛のように重くて、特に理由も無いのに苛々するからだ。手足を動かす神経が脳から切り離されたように、思い通りに動けなくなる。
とりたてて何かあった訳じゃない。面白くない出来事に遭遇したとか、不快な目にあったとか。それなのにそういう日は人に優しくするのがとても難しい。普段なら呼吸するのと同じくらい自然に出来ることが、何も手につかなくなる……出来なくなる。
いや、出来ないんじゃない、したくないんだ。暴君のように我侭な衝動。誰も彼もを傷付けたくてたまらない気持ち。人目も憚らず怒鳴って暴れて殴りつけて、気に入らない相手がいれば片っ端から喧嘩を吹っかけたくなる。目一杯好き勝手に振舞っては困らせてやりたい、特に大事な人を。
――彼が。ルルーシュが俺の一挙一動に振り回される姿が見たくなる。きっと豹変したように見えるだろう、それとも昔のままだと思うだろうか。
試してみたくなる。俺に酷い台詞を吐きつけられ、追い詰められ、俺と同じように心を揺らして泣いてくれるかどうか。俺の言動に傷付き、それでも離れたがったり実際に離れていったりしないかどうかを。
そんなの嫌だ、僕は嫌なのに……だから誰にも会いたくない。
多分、僕はどこかおかしいんだろう。頭か、でなければ心か。その両方か。好きな人であればあるほど、大切な相手であればあるほど、全て遠ざけて一人きりになりたくなる。
租界とゲットーの境。時折一人きりで其処に佇んで、僕が壊したも同然な瓦礫の山を見渡しながら思う。「ああ、これが俺の本性だ」と。
忘れてはいけない、そう思いながらルルーシュのことを考える。生き別れたあの日に言えなかった言葉を何度も繰り返し、何故言わなかったのだと自分を責める。どうやって伝えれば良かったんだろう、どう伝えるのが正しかったんだろう? 省みているんじゃない、顧みているだけ。ただ悔やんでいるだけでどうにも出来ない自分を嫌になりながら、力が欲しいと。そのために歩んでいるのだと。
でも本当は、「もし懼れている日が来たら、その時は――」。覚悟を決めたつもりになっていつまでも迷い続けている。
考えているのに動かないなら考えていないのと同じだ。誰かに「考えている」と言いたくなる時は大抵、本音ではやりたくないと思っている、という意味だから。
軍に居さえすれば死ぬ日は確実に来る。それだけが免罪符。避けていたいんだろう、逃げていたいんだろう。相変わらず俺はどこまでも醜いままだ。
指針が欲しい、進む道ならとうに決めた筈なのに。そうして迷う時、僕はルルーシュが自分の懼れの象徴だからこそ執着していて、実はルルーシュ個人にはもう然程の興味も関心も持っていないのではないかと疑っている。……特に、再会した後のルルーシュには。
そのたびにほんの少しだけ安心して、こう思うんだ。「ルルーシュは僕がいなくてもやっていけるだろう」と。
だって、再会を果たすまでのルルーシュだってそうやって生きてきた。離ればなれになり、いつしか互いにとってそれが当たり前になった。七年は長い。僕にとっては短かった。でもルルーシュにとってはそうじゃないだろう。たとえ僕がそこにいなくても、命を失ったとしても――大丈夫だ、ルルーシュはきっと生きていける。 なのに、昏い気持ちが湧いてくる。
別にいいじゃないかそれで、何がいけない? 大好きな筈のルルーシュを不安にさせて、傷つけて。向けられた信頼を粉みじんに打ち砕いてしまいたい。
どうしてなんだろう。凶暴で獰猛な感情。昔のまま変わらない、変われもしない俺がいいというなら何が何でも見せたくない。突き放したいし遠ざけたい。
でも……。
『なあスザク、お前はいつだって俺達兄妹の味方だろ? お前だけは』
『本当は違うのか? もうブリタニアに染まってしまったのか? 俺達兄妹を捨てたあんな国に』
『そうだよな、ブリタニアの軍人だもんな。だったらもう、お前に心は開かない』
うるさいうるさい、うるさいうるさいうるさい。
やめてくれルルーシュ、そんな目で俺を見るな。もう死んだと思ってくれていて良かったんだ、君の幼馴染は死んだ。
君を遠ざけたいんじゃない、俺が遠ざかりたい。理解して欲しいなんて思わない、君に対してだけは。
矛盾している……僕だって君には幸せになってもらいたいと思っている。笑うルルーシュの姿を見るのは楽しいし嬉しいし、何より喜ばしい。ルルーシュの幸せこそが僕の幸せなのかもしれない。
ところで幸せの形って何だろう。昔ルルーシュやナナリーと話したことがあったっけ……? でも今はどうでもいい。後からそう思ったことを死ぬほど後悔すると解っていても、今この瞬間だけはその記憶を遠ざけていたかった。
こうやって、何度も何度も自分を裏切る。これではいけないと立て直しては、また他ならぬ俺自身が全てを壊そうとする。まるでいたちごっこ。自分の中に自分が二人いるみたいだ。
何か我慢していることでもあるんだろうか。ストレスでも感じてるっていうのか? 確かに僕はイレブンで、ここはブリタニアで。名誉ブリタニア人といっても差別され迫害される立場であることに変わりはない――実際、嫌がらせを受けたことだって。
いい人の振り、優しい振り。意図しなければ理想通りの自分になれない自分。そんな自分を俯瞰している自分と目を背けていたいもう一人の自分。いつもならば無視出来る。知らない振りや気付かない振りをしていられる。蓋を被せて無かったことに。
無い訳じゃない、そこにある。過去だって消えてなくなる訳じゃない。それでも見るなと言い聞かせて、誰よりも醜い俺自身を必死で隠している。
さっきから自分自分ってうるさいな、馬鹿じゃないのか俺は。さっさと起きろよ。
そこまで考えてから唐突に気付いた。僕は無かったことになんかしていない、いつだってもう一人の自分を直視していたじゃないか。見たくなくても見えてしまう俺自身を――醜いと。
だからそう思っていたのは過去の俺であって、僕じゃない。
じゃあ僕は、一体いつの話をしているんだ……?
確かに、何もかもが汚くて何もかもが嫌だ。世界は僕の思い通りにはならない。そんな当たり前のことに腹を立て続けていることも……。
ルルーシュはこんな時どうするんだろう。俺のように考えることがあるのか? 人知れず悩んだり苦しんだりすることが。
ある。きっとある。ルルーシュは誰にも自分の本心を打ち明けないし悟らせようとしないけれど、きっとルルーシュだけが俺の本心を理解する。
でも知られたくない、気付かれたくないんだ。気付かせたくない気付かせてはならない近付けたくない近付けてはならない……。
でも――傍にいて欲しい。困った奴だと笑って慰めて、あの細長い綺麗な指で僕の頭を撫でてくれ。毎日毎日毎日毎日無性に寂しくて苦しくてたまらない、空虚なんだ。真っ暗でがらんどうだよ、それでいいって決めたのに。
もう一生このままだ。そう受け入れてる筈なのに、まだ縋りたがっている。生きる意味を探してる、求めてしまう。
ごめん、ルルーシュ。何も言わずに君を抱きしめて、抱きしめ返されたい。何があっても、どんなことがあっても、俺だけはお前を全て受け止めてやると。あの困ったような美しくも優しい笑顔を僕一人の為だけに向け続けていて欲しい。
自分の甘さに絶望する。僕の中の、僕も俺も。
違う……ルルーシュに綺麗なままでいて欲しい。だからそんなことは願っていない、望んでしまってはいけないんだ。君は俺みたいな醜い人間から一刻も早く離れて、幸せにならなければいけない。そのために遠ざけてきた、本心だろう……?
俺だって思ったじゃないか。ルルーシュを失った十歳の時、もう大切な人を失わなくても済む世界が欲しいと。
そのためにここまで来たんだ。力が欲しかった。いつ死ぬか解らない場所でならそれが許される気がした。
だから――――だから。
ああ、頭の中が煩い。うるさいんだよルルーシュ。
憎みそうになってしまう。愛しているのに。
気付けば僕は勃起していた。
夢想のルルーシュ。秘密も隠し事もせず、もちろん危ないことには手を出さない。僕の説得に反発しても、最終的には「解ったよ」と必ず素直に応じる。プライドが高いくせに淋しがりやで、でもその本性は僕の前だけでしか露わにしない。
『生きるんだ』。僕を熱い矢で撃ち抜いたあの日の気高さを損なうことなく、どこまでも純粋で綺麗なままのルルーシュが好きだ。
布団に包まったまま下着の中へと手を突っ込んで、硬く立ち上がった性器を掴みかけてから思った。
最低だ、理想の押し付けでしかない。いったい何度彼を裏切れば気が済むんだろう?
そう思った瞬間、僕の中で僕を誘っていたルルーシュの目が一転して軽蔑の眼差しへと切り変わる。冷たい、そこらに転がる石ころを見るよりもまだ無機質な、見下し切った眼差し。
許されたい。
許して、許して、許して欲しい。
愛して、助けて、愛して欲しい、僕のルルーシュ。
ゴミみたいな理性をかき集めながら、やっとの思いで下着の中から手を引っこ抜き、ふらふらしながら起き上がった。
何だか眩暈がする。足元が覚束ない。歪んだ視界が陽炎のように揺れる。
もしかして熱でもあるんだろうか?
あればいいのに。
そうしたら僕は………………俺は……。
時代遅れにも程がある水銀温度計。腋から抜いたそれを目の前に掲げてみた。
目盛りは三十八度を超えている。蟻の行列にも似た数字に焦点が合った瞬間、訪れたのは異常ともいえるほどの安堵と静寂だった。
二度ほど意識が落ちて、泥の中。まどろみともつかないヘドロの中でチャイムの音が鳴り響く。
誰か来た。
――ルルーシュだ。
僕は確信していた。これからきっと悪いことが起こる。
とてもとても酷い、夢の始まり。
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逃げて! ルルーシュ!(笑)
スザクって時々こうなるんじゃないかな~なんて考えながら書いたものでありました(・ω・)
一時期限定でプライベッターに上げていたものをサルベージ。
「大人の階段2」までの閑話休題にしては結構厳しい内容のものですね……_(:3 」∠)_