Lost Paradise 4(スザルル)
4
もしも一瞬で互いを理解し合うことがあるとするならば、きっと今がそうなのだろう。
言葉も要らない。説明も不要。
そのままルルーシュの部屋になだれ込んだ俺たちは、それが当然のことのように体を重ねた。
一年ぶりに感じる熱に溺れ切る俺とは違い、記憶の無いルルーシュは物慣れないながらも抵抗なく受け入れてしまえる自身の身体に戸惑っているようだった。
行為を終えてからもぼんやりと天井を見つめたまま、気が抜けたようにベッドに横たわっている。
「大丈夫か?」
汗ばむ額の髪を掻き分けて指の甲で頬を撫でてやると、ルルーシュはしっとりと艶めいた横目で俺を見た。
「はい……」
小さく掠れた声と共に、ことん、と傾いてくる頭。肩口に寄せられたその下へと腕を通して抱き寄せてやれば、身じろぎしたルルーシュは恥ずかしそうに目を伏せていた。
「あの、スザク様」
「ん?」
「不思議ですね」
「……そうだな」
「どうして、俺に……?」
「…………」
俺を見上げてきたルルーシュが言いづらそうに目を泳がせている。
「どうして、か――」
独白するように応えを返しながら、それもそうだなと俺は思った。
言いたいことは解らないでもない。急転直下の出来事にも程があるだろう。仮にも今のルルーシュにとっては初恋の相手。こうして組み敷かれたことにしてもそうだろうが、幾らそういった流れだったとはいえ、決して初対面の相手とするようなことではない。
「そういう君こそ、どうして俺を?」
「え?」
「一度も会ったことなかっただろう、俺たちは。それなのにそこまで好きになってくれた理由、訊いてもいいかな」
澄んだ菫色の瞳を揺らめかせていたルルーシュが、「それは……」と一旦考え込んでから唇を開いた。
「懐かしい感じがしたからかもしれないな」
「懐かしい感じ?」
ええ、と頷いたルルーシュが困ったように笑う。
「言っても笑いませんか?」
「真面目な話なら笑ったりしないよ」
すると、ルルーシュの笑みが安心したように深まった。
「似ているんです。時々夢に出てくる人に」
「え……?」
まさか記憶が? そう思いかけてドキリとする。何も知らないルルーシュははにかみながらも言葉を続けた。
「夢の中で、見知らぬ少年と木登りを」
「木登り? 君が?」
「ええ。俺は運動があまり得意ではないんですが、その少年はとても身軽で、上手く登れない俺に手を差し伸べてくれて。俺はそれがすごく嬉しくて、楽しくて……」
「それで?」
「それだけです。昔会ったという訳でもないから本当に只の夢で、実際は知らない。でも、何故かとても懐かしく思える不思議な夢なんです。時々見るっていう、ただそれだけの」
「その子が俺に?」
「はい。少し似ています」
「――――」
酷く複雑な気分だった。
ルルーシュ、それは俺だ。その夢というのは多分、まだ幼い頃の俺とお前の記憶なんだ。
昔、枢木神社の境内で、二人で木登りをしたことがあった。ルルーシュは自分の見た夢に覚えが無いだろうが、それは隠蔽された本来の記憶の断片であって只の夢などではない。
蘇りかけているのか、それとも――。
「もし、それが夢じゃなかったとしたら?」
「まさか」
何の躊躇いも無くルルーシュはころころと笑い飛ばした。
「俺は初等部の頃からずっとこのクラブハウスに住んでいるんです。あんな緑の豊かな場所に行った覚えは無いし、勿論友達も……」
「…………」
「それに、もし実際に会っていたとしても関係ないですよ。子供の頃のことなんだし、相手だってきっと忘れてる」
ルルーシュはどこか寂しげでありながらも明るく振舞おうとする。
頭のいいルルーシュのことだ。過去実際に会っていた可能性についてなら、わざわざ第三者から示唆されなくても考えたことくらいあるのだろう。
でも夢じゃない。それは夢じゃないんだ、ルルーシュ。
思い出して欲しいのか、それとも忘れたままでいて欲しいのか自分でも解らず、俺は軽い苛立ちのようなものを感じながら黙り込んだ。
「あの……?」
「うん、なんでもないよ」
難しい顔をしているように見えたのか、ルルーシュが気遣う眼差しで見上げてくる。額に唇を落としてやれば、ルルーシュは照れ臭そうにしながらも大人しく目を閉じた。
浮かべられた無垢な微笑み。幸せそうなそれはとても綺麗なのに、何故か正視出来ない。
「ずっとこのクラブハウスでって、ご両親は本国に住んでいるのか?」
話題を変えようと切り出したこの質問も、既に知っている情報だ。ルルーシュはそれにも柔らかく笑んでから言葉を返してくる。
「俺に両親はいません。まだ幼い頃に二人とも亡くなっています。身寄りの無い俺を引き取ってくれたのがここの理事長で、それ以来、ずっと世話になっているんです」
「両親共って、事故か何か?」
「…………」
遠い目になったルルーシュが無言で身をすり寄せてくる。
「どうした?」
「いいんですか?」
「ん?」
「あまり愉快な話じゃない」
「いいよ。話してごらん」
「でも……」
おずおずと胸元に触れてくるルルーシュの指先は頼りない。握ったその手ごと背に回して抱き寄せてやると、愁いを秘めた菫色が不安げに瞬いていた。
別に訊かなくても知っていることではある。だが、信頼関係を深める為にも本人に直接語らせた方がいいだろう。
ルルーシュは沈黙したまま中々話し出そうとしなかった。何か声をかけてやろうとしたが、俺も言葉にならない。
代わりのようにきつく抱いてやれば、腕の中に納まる線の細い身体から徐々に力が抜けていく。今の今までずっと全身を強張らせたままだったのかと気付いたのはその時だった。
「俺の両親は事故で亡くなったんじゃない。殺されたんです」
「殺された?」
重い口をようやく開いたルルーシュが、こくりと静かに頷いた。
「俺はその現場を見てしまった。犯人の顔も」
「まさか……」
「ええ、俺も殺されかけました。長い髪を振り乱しながら刃物を振り翳している女性に」
「よく助かったな」
「追いかけてくる犯人から必死で逃げて、気付いたら病院のベッドに寝かされていて……奇跡的に怪我一つ無かったものの、記憶が曖昧で。それ以来、俺は女性が……」
「そうか」
それまで淡々と話していたルルーシュが辛そうに瞼を伏せた。
植え付けられた記憶を真実だと思っているルルーシュ。――寂しくはないのか。そう尋ねかけてから俺は思い留まった。
訊いてどうする。目覚められたら困ると思っているのは自分の方だろうに。
たとえ偽りの記憶とはいえ、彼が感じている痛みや苦しみは本物だ。
確かにルルーシュには罪がある。多くの人々を争いに巻き込んだ責任が。実際に殺された人々のことを思えば、ルルーシュの背負う苦しみなどちっぽけなものでしかないだろう。
……けれど、幾ら記憶を奪わなければならない理由があったとしても、これはあまりにも非人道的な手段ではないのか。
こんな風にじわじわと傷付けるやり方が正しいとは到底思えない。
心の内側で渦巻く迷いと共に、俺はルルーシュを強く抱きしめた。
彼の人生を歪ませ、こうまで狂わせてしまった元々の原因。それは一体どこに、そして誰にあるのだろう。ルルーシュ自身か。俺か。皇帝か。それとも世界なのか?
彼一人にここまでしてもいい権利など本当は誰にも無い。元はといえば、ゼロとしてのルルーシュを止められなかった責任は俺にある。そうも思った。
今更とは思えども悩みは尽きない。答えの返らない問いかけも。
けれど、ルルーシュをゼロに戻す訳にはいかないのだ。どうしても。だから肯定しなければならない。例えどんなに非道な手段を用いたとしても――。
思い悩む俺をじっと見つめていたルルーシュが、その時おもむろに口を開いた。
「初めて貴方を見た時、俺がどう思ったか知りたいですか?」
「…………」
「お話しますよ。俺が貴方に憧れていた理由」
悪戯っぽくも見える瞳の奥に映り込む不思議な色。
ルルーシュにこんな瞳で見つめられたことはあっただろうか。……嬉しそうで、幸せそうで、けれどそれでいて切なげな瞳。
「俺、テレビに映った貴方を見て、泣いてしまったんです」
「え?」
唐突な台詞に驚く俺に、ルルーシュは「変でしょう?」と笑った。
「見たことも会ったことも無い人なのに、何故か懐かしくて、酷く切なくて。まるで魂の半分を引き裂かれたような……。初めて貴方を見た時、俺はそんな気持ちで泣いていました」
「――――」
思いもよらない事実に俺は絶句した。
それは一体、誰の言葉なのだろうか。心臓の動悸が激しくなり、目の前にいるルルーシュと一年前のルルーシュの姿が重なっては剥離していく。
告白は尚も続いた。
「会いたかったんです。ずっと。一目でいいから会って話をしてみたくてたまらなかった。どうしてそんな風に思うのかは解らない。けれど、何か大事なことを伝えなければならないような、何かとても大切なことを忘れているような……。貴方を見ていると、何故かいつもそんな気持ちで一杯になるんです」
ルルーシュの赤裸々な告白。俺は戸惑いを隠せない思いで一杯だった。
まさかずっと、そんな想いを抱えていたとでもいうのだろうか? 俺に嘘を吐いて、裏切って、想いの全てを踏み躙ってきたルルーシュが?
まさか。有り得ない。でも……。
即座に打ち消しては困惑が生じる。これは、このルルーシュは一体誰なんだ?
「人に対してこんな思いを抱いたのは生まれて初めてです。勿論こんなことをしたのも……。本当に会えるだなんて思っていなかった。だから今、俺はとても嬉しいんです」
夢みたいだ、と呟くルルーシュの雰囲気は消え入りそうなほどに儚い。
不遜で毒舌で気が強くて、けれど誰よりも気高くて。そんな嘗ての面影など、もうどこにも――。
最後に見た歪んだ笑顔と悲痛な絶叫が耳の奥で木霊した。
封殺されたゼロ。闇の人格を取り除かれただけで、こんなにも変貌してしまうものなのだろうか。だとしたら、今まで俺が見てきたルルーシュは一体何だったというのだろう。
深呼吸したルルーシュが、ふっと笑みを零してから俺を見た。
「こう見えても、俺は今幸せなんです。一応勉強だけは出来たから、こうして面倒も見てもらえるし。将来は教師にでもなろうかと」
「――――」
あっけらかんと告げられた将来の展望。ルルーシュは無邪気に肩を竦めているが、俺はルルーシュであってルルーシュではない男の言葉に又も絶句する。
こういった素養が初めから全く無いものであるならば、どこを叩いても出てはこない筈だ。だから、一見全く別人のように見えたとしても、これはやはりルルーシュなのだろう。
そう思って納得するより他に、成す術は無い。
「それにしても、貴方は不思議な人だ。どうしてこんなに俺に優しくしてくれるんです?」
特に優しくした覚えは無いが、幾ら以前と比べて口が軽くなったとはいえ、そう易々と他人に過去を明かしてばかりいるとも思えない。
相変わらず純度の高い好意だけを伝えてくるルルーシュに、俺はなるべくさりげない口調で告げてみた。
「理由が無ければいけないことなのか?」
それとも、何か裏があるとでも? そう訊こうとして俺は瞬時に口ごもる。
鈍る頭の隅に浮かぶ台詞。……馬鹿なことを。裏があるのか無いのかと問われれば、答えなど疾うにはっきりしているのに。
「だって、メリットが無いでしょう? 俺には貴方に返せるものなんか何も無いのに」
ふわりと笑んだルルーシュが、布団の下で俺の背に抱きついたまま密やかな声で答えてくる。
幼少時と似たような物言いだ。理由の無い善意を容易く信じないその姿勢。
そして、彼を守ろうとしていたあの頃に持ちかけられた約束――相互扶助。
メリットやデメリットの問題じゃない。助けたいから助ける。守りたいから守る。そんな当たり前の好意でさえ、ルルーシュはすぐに受け取ろうとはしない子供だった。昔から。
「……俺にも友人がいたよ」
このルルーシュだろうと一年前のルルーシュだろうと、決して言いたいことでは無い。
にも関わらず、俺は気付けば話してしまっていた。
「友人?」
「ああ。とても大切な友達が」
「…………」
ルルーシュは物言わぬままじっと俺を見つめている。
確認するまでもないことだが、今のルルーシュには記憶が無い。これが演技ではないという確証などどこにも無いけれど、人格を操作された今の彼は隠したいことであればあるほど話してしまう。
人格を操作されている以上、俺に対して嘘が吐けないことだけは明白。たとえ記憶が戻りかけていたとしても、これであれば途中経過の時点ですぐに解る。
だから、俺は――。
もしも一瞬で互いを理解し合うことがあるとするならば、きっと今がそうなのだろう。
言葉も要らない。説明も不要。
そのままルルーシュの部屋になだれ込んだ俺たちは、それが当然のことのように体を重ねた。
一年ぶりに感じる熱に溺れ切る俺とは違い、記憶の無いルルーシュは物慣れないながらも抵抗なく受け入れてしまえる自身の身体に戸惑っているようだった。
行為を終えてからもぼんやりと天井を見つめたまま、気が抜けたようにベッドに横たわっている。
「大丈夫か?」
汗ばむ額の髪を掻き分けて指の甲で頬を撫でてやると、ルルーシュはしっとりと艶めいた横目で俺を見た。
「はい……」
小さく掠れた声と共に、ことん、と傾いてくる頭。肩口に寄せられたその下へと腕を通して抱き寄せてやれば、身じろぎしたルルーシュは恥ずかしそうに目を伏せていた。
「あの、スザク様」
「ん?」
「不思議ですね」
「……そうだな」
「どうして、俺に……?」
「…………」
俺を見上げてきたルルーシュが言いづらそうに目を泳がせている。
「どうして、か――」
独白するように応えを返しながら、それもそうだなと俺は思った。
言いたいことは解らないでもない。急転直下の出来事にも程があるだろう。仮にも今のルルーシュにとっては初恋の相手。こうして組み敷かれたことにしてもそうだろうが、幾らそういった流れだったとはいえ、決して初対面の相手とするようなことではない。
「そういう君こそ、どうして俺を?」
「え?」
「一度も会ったことなかっただろう、俺たちは。それなのにそこまで好きになってくれた理由、訊いてもいいかな」
澄んだ菫色の瞳を揺らめかせていたルルーシュが、「それは……」と一旦考え込んでから唇を開いた。
「懐かしい感じがしたからかもしれないな」
「懐かしい感じ?」
ええ、と頷いたルルーシュが困ったように笑う。
「言っても笑いませんか?」
「真面目な話なら笑ったりしないよ」
すると、ルルーシュの笑みが安心したように深まった。
「似ているんです。時々夢に出てくる人に」
「え……?」
まさか記憶が? そう思いかけてドキリとする。何も知らないルルーシュははにかみながらも言葉を続けた。
「夢の中で、見知らぬ少年と木登りを」
「木登り? 君が?」
「ええ。俺は運動があまり得意ではないんですが、その少年はとても身軽で、上手く登れない俺に手を差し伸べてくれて。俺はそれがすごく嬉しくて、楽しくて……」
「それで?」
「それだけです。昔会ったという訳でもないから本当に只の夢で、実際は知らない。でも、何故かとても懐かしく思える不思議な夢なんです。時々見るっていう、ただそれだけの」
「その子が俺に?」
「はい。少し似ています」
「――――」
酷く複雑な気分だった。
ルルーシュ、それは俺だ。その夢というのは多分、まだ幼い頃の俺とお前の記憶なんだ。
昔、枢木神社の境内で、二人で木登りをしたことがあった。ルルーシュは自分の見た夢に覚えが無いだろうが、それは隠蔽された本来の記憶の断片であって只の夢などではない。
蘇りかけているのか、それとも――。
「もし、それが夢じゃなかったとしたら?」
「まさか」
何の躊躇いも無くルルーシュはころころと笑い飛ばした。
「俺は初等部の頃からずっとこのクラブハウスに住んでいるんです。あんな緑の豊かな場所に行った覚えは無いし、勿論友達も……」
「…………」
「それに、もし実際に会っていたとしても関係ないですよ。子供の頃のことなんだし、相手だってきっと忘れてる」
ルルーシュはどこか寂しげでありながらも明るく振舞おうとする。
頭のいいルルーシュのことだ。過去実際に会っていた可能性についてなら、わざわざ第三者から示唆されなくても考えたことくらいあるのだろう。
でも夢じゃない。それは夢じゃないんだ、ルルーシュ。
思い出して欲しいのか、それとも忘れたままでいて欲しいのか自分でも解らず、俺は軽い苛立ちのようなものを感じながら黙り込んだ。
「あの……?」
「うん、なんでもないよ」
難しい顔をしているように見えたのか、ルルーシュが気遣う眼差しで見上げてくる。額に唇を落としてやれば、ルルーシュは照れ臭そうにしながらも大人しく目を閉じた。
浮かべられた無垢な微笑み。幸せそうなそれはとても綺麗なのに、何故か正視出来ない。
「ずっとこのクラブハウスでって、ご両親は本国に住んでいるのか?」
話題を変えようと切り出したこの質問も、既に知っている情報だ。ルルーシュはそれにも柔らかく笑んでから言葉を返してくる。
「俺に両親はいません。まだ幼い頃に二人とも亡くなっています。身寄りの無い俺を引き取ってくれたのがここの理事長で、それ以来、ずっと世話になっているんです」
「両親共って、事故か何か?」
「…………」
遠い目になったルルーシュが無言で身をすり寄せてくる。
「どうした?」
「いいんですか?」
「ん?」
「あまり愉快な話じゃない」
「いいよ。話してごらん」
「でも……」
おずおずと胸元に触れてくるルルーシュの指先は頼りない。握ったその手ごと背に回して抱き寄せてやると、愁いを秘めた菫色が不安げに瞬いていた。
別に訊かなくても知っていることではある。だが、信頼関係を深める為にも本人に直接語らせた方がいいだろう。
ルルーシュは沈黙したまま中々話し出そうとしなかった。何か声をかけてやろうとしたが、俺も言葉にならない。
代わりのようにきつく抱いてやれば、腕の中に納まる線の細い身体から徐々に力が抜けていく。今の今までずっと全身を強張らせたままだったのかと気付いたのはその時だった。
「俺の両親は事故で亡くなったんじゃない。殺されたんです」
「殺された?」
重い口をようやく開いたルルーシュが、こくりと静かに頷いた。
「俺はその現場を見てしまった。犯人の顔も」
「まさか……」
「ええ、俺も殺されかけました。長い髪を振り乱しながら刃物を振り翳している女性に」
「よく助かったな」
「追いかけてくる犯人から必死で逃げて、気付いたら病院のベッドに寝かされていて……奇跡的に怪我一つ無かったものの、記憶が曖昧で。それ以来、俺は女性が……」
「そうか」
それまで淡々と話していたルルーシュが辛そうに瞼を伏せた。
植え付けられた記憶を真実だと思っているルルーシュ。――寂しくはないのか。そう尋ねかけてから俺は思い留まった。
訊いてどうする。目覚められたら困ると思っているのは自分の方だろうに。
たとえ偽りの記憶とはいえ、彼が感じている痛みや苦しみは本物だ。
確かにルルーシュには罪がある。多くの人々を争いに巻き込んだ責任が。実際に殺された人々のことを思えば、ルルーシュの背負う苦しみなどちっぽけなものでしかないだろう。
……けれど、幾ら記憶を奪わなければならない理由があったとしても、これはあまりにも非人道的な手段ではないのか。
こんな風にじわじわと傷付けるやり方が正しいとは到底思えない。
心の内側で渦巻く迷いと共に、俺はルルーシュを強く抱きしめた。
彼の人生を歪ませ、こうまで狂わせてしまった元々の原因。それは一体どこに、そして誰にあるのだろう。ルルーシュ自身か。俺か。皇帝か。それとも世界なのか?
彼一人にここまでしてもいい権利など本当は誰にも無い。元はといえば、ゼロとしてのルルーシュを止められなかった責任は俺にある。そうも思った。
今更とは思えども悩みは尽きない。答えの返らない問いかけも。
けれど、ルルーシュをゼロに戻す訳にはいかないのだ。どうしても。だから肯定しなければならない。例えどんなに非道な手段を用いたとしても――。
思い悩む俺をじっと見つめていたルルーシュが、その時おもむろに口を開いた。
「初めて貴方を見た時、俺がどう思ったか知りたいですか?」
「…………」
「お話しますよ。俺が貴方に憧れていた理由」
悪戯っぽくも見える瞳の奥に映り込む不思議な色。
ルルーシュにこんな瞳で見つめられたことはあっただろうか。……嬉しそうで、幸せそうで、けれどそれでいて切なげな瞳。
「俺、テレビに映った貴方を見て、泣いてしまったんです」
「え?」
唐突な台詞に驚く俺に、ルルーシュは「変でしょう?」と笑った。
「見たことも会ったことも無い人なのに、何故か懐かしくて、酷く切なくて。まるで魂の半分を引き裂かれたような……。初めて貴方を見た時、俺はそんな気持ちで泣いていました」
「――――」
思いもよらない事実に俺は絶句した。
それは一体、誰の言葉なのだろうか。心臓の動悸が激しくなり、目の前にいるルルーシュと一年前のルルーシュの姿が重なっては剥離していく。
告白は尚も続いた。
「会いたかったんです。ずっと。一目でいいから会って話をしてみたくてたまらなかった。どうしてそんな風に思うのかは解らない。けれど、何か大事なことを伝えなければならないような、何かとても大切なことを忘れているような……。貴方を見ていると、何故かいつもそんな気持ちで一杯になるんです」
ルルーシュの赤裸々な告白。俺は戸惑いを隠せない思いで一杯だった。
まさかずっと、そんな想いを抱えていたとでもいうのだろうか? 俺に嘘を吐いて、裏切って、想いの全てを踏み躙ってきたルルーシュが?
まさか。有り得ない。でも……。
即座に打ち消しては困惑が生じる。これは、このルルーシュは一体誰なんだ?
「人に対してこんな思いを抱いたのは生まれて初めてです。勿論こんなことをしたのも……。本当に会えるだなんて思っていなかった。だから今、俺はとても嬉しいんです」
夢みたいだ、と呟くルルーシュの雰囲気は消え入りそうなほどに儚い。
不遜で毒舌で気が強くて、けれど誰よりも気高くて。そんな嘗ての面影など、もうどこにも――。
最後に見た歪んだ笑顔と悲痛な絶叫が耳の奥で木霊した。
封殺されたゼロ。闇の人格を取り除かれただけで、こんなにも変貌してしまうものなのだろうか。だとしたら、今まで俺が見てきたルルーシュは一体何だったというのだろう。
深呼吸したルルーシュが、ふっと笑みを零してから俺を見た。
「こう見えても、俺は今幸せなんです。一応勉強だけは出来たから、こうして面倒も見てもらえるし。将来は教師にでもなろうかと」
「――――」
あっけらかんと告げられた将来の展望。ルルーシュは無邪気に肩を竦めているが、俺はルルーシュであってルルーシュではない男の言葉に又も絶句する。
こういった素養が初めから全く無いものであるならば、どこを叩いても出てはこない筈だ。だから、一見全く別人のように見えたとしても、これはやはりルルーシュなのだろう。
そう思って納得するより他に、成す術は無い。
「それにしても、貴方は不思議な人だ。どうしてこんなに俺に優しくしてくれるんです?」
特に優しくした覚えは無いが、幾ら以前と比べて口が軽くなったとはいえ、そう易々と他人に過去を明かしてばかりいるとも思えない。
相変わらず純度の高い好意だけを伝えてくるルルーシュに、俺はなるべくさりげない口調で告げてみた。
「理由が無ければいけないことなのか?」
それとも、何か裏があるとでも? そう訊こうとして俺は瞬時に口ごもる。
鈍る頭の隅に浮かぶ台詞。……馬鹿なことを。裏があるのか無いのかと問われれば、答えなど疾うにはっきりしているのに。
「だって、メリットが無いでしょう? 俺には貴方に返せるものなんか何も無いのに」
ふわりと笑んだルルーシュが、布団の下で俺の背に抱きついたまま密やかな声で答えてくる。
幼少時と似たような物言いだ。理由の無い善意を容易く信じないその姿勢。
そして、彼を守ろうとしていたあの頃に持ちかけられた約束――相互扶助。
メリットやデメリットの問題じゃない。助けたいから助ける。守りたいから守る。そんな当たり前の好意でさえ、ルルーシュはすぐに受け取ろうとはしない子供だった。昔から。
「……俺にも友人がいたよ」
このルルーシュだろうと一年前のルルーシュだろうと、決して言いたいことでは無い。
にも関わらず、俺は気付けば話してしまっていた。
「友人?」
「ああ。とても大切な友達が」
「…………」
ルルーシュは物言わぬままじっと俺を見つめている。
確認するまでもないことだが、今のルルーシュには記憶が無い。これが演技ではないという確証などどこにも無いけれど、人格を操作された今の彼は隠したいことであればあるほど話してしまう。
人格を操作されている以上、俺に対して嘘が吐けないことだけは明白。たとえ記憶が戻りかけていたとしても、これであれば途中経過の時点ですぐに解る。
だから、俺は――。