SOSとポーカーフェイス 2(END)

※畳んでませんがBL的表現がありますのでご注意下さい。





 キッチンに立ったルルーシュは、カップとソーサーの乗ったトレイを調理台の上に置き、ケトルで湯を沸かし始めた。
 小型のケトルはすぐに軽快な音を鳴らし始める。ルルーシュは空のポットを軽く濯いでから湯を流し込んだ。
 戸棚から紅茶の缶を取り出し、ティースプーンの反対側を梃子にして蓋を開ける。かこん、と控えめな音を立てて開く蓋。傍らに置き、火を止める。
 温まったポットの湯を捨て、掬った茶葉をさく、さく、とふた匙入れたところで、ふとその手が止まった。
 ――カチャリ。
 そっとスプーンを置いたルルーシュは、台の上に手をついたまま暫くぼんやりしていた。そうして、横に置かれたままのトレイを見る。
 普段は二組。今日は三組あるカップとソーサー。そのうちの一組を取り上げ、シンクに置こうとした手がまた止まった。カップの取っ手に指を掛け、どうしようかと悩む素振り。
 ちりん、ちりん、と涼やかな音色が響いた。鳴っているのは入れっぱなしにされているスプーンだ。
 ソーサーに乗せたまま、ゆらり、ゆらゆら。
 繋いだ手を揺らすように右へ左へと動かすたび、くるくると縁を滑るスプーン。抜き取ったそれを横に置いてから、ルルーシュはようやくカップを取る。
 そんなルルーシュの後姿を、スザクはキッチンの入り口に突っ立ったまま黙って見つめていた。
 気配を殺すのはスザクの特技だ。幼い頃から鍛錬を積んできた成果かと問われればそうかもしれない。
 結局、スザクは帰らなかった。一度場を辞してから引き返してきたのではなく、単に気が変わっただけだ。
 キッチンへと向かったルルーシュの真意を、スザクは知らない。懇意という域をはるかに超えた付き合いとて秘密は付き物だ。人の心底を確かめるなど容易なものか。それがルルーシュであれば尚のこと。……所詮、何もかも只の想像だ。
 だからスザクはやって来た。ルルーシュを追って。
 そして今、声も掛けずに素の姿を見守っている。
 こちらに背を向けているルルーシュはスザクに気付かない。後ろで見られているとも知らず、カップを持ったまま動かなかった。
 その中身が空だとスザクは知っている。何故なら、それは自分が使っていたものだから。
 紅茶に砂糖を入れるのはスザクだけだ。ナナリーはミルク。ルルーシュはストレート。底に溜まった砂糖をかき混ぜながら飲む癖も、使い終えたスプーンを入れたままにしてしまう無作法も、今まで幾度注意されてきたかわからない。
 ポットならとっくに温まっているだろう。紅茶を淹れるには頃合だ。茶葉だってもう入っているのに、何故湯を注がない?
 空のカップに、一体何の用がある?
 持ち上げたカップをルルーシュはじっと見つめていた。
 ……やがて、顔に近付ける右手の動きに伴って、僅かに頭が揺れる。
(―――!?)
 言い得ようのない衝撃に襲われ、スザクは目を瞠った。
(今、何をした……?)
 見間違いではないのか? あのルルーシュが。
 それは、ほんの一瞬の出来事。――まるで、無声映画のワンシーンを見ているようだった。
 緩慢な動作でカップを下ろしたルルーシュは、取っ手を持ったまま肩を落としている。手元のカップを一瞥してから、ゆっくりと下がっていく頭。襟足を覆う黒髪の下から真っ白な項が顕になり、細い肩を更に落としたルルーシュは長い溜息を吐き出した。
 静かなキッチンに響く微かな空笑。……彼が、自嘲している。
(ルルーシュ)
 心の中で呼びかけても声は出ない。指先がピクリと震え、ようやく正気に戻った。
 スザクはただ、両の拳を強く握り締める。力が篭るにつれて、開いた唇から肺に冷たい空気が流れ込んできた。
 たった今見たものは現実なのだと、スザクは急に意識する。まるで何事もなかったかのように、流れるような動作でカップを戻したルルーシュは、少し考えてからもう一度湯を沸かし始めた。
 暖める前に濯ごうとカップに伸びかけた手が、また止まる。
 ルルーシュが取ろうとしていたのはさっきまで触れていたものだ。素早い手つきで別のカップを選んでトレイから目を背けたのを見た瞬間、気付けばスザクは無意識に一歩踏み出していた。
 水道の蛇口に伸びたルルーシュの腕を取り、背後から強く抱きしめる。
「……!!」
 腕の中で、ルルーシュが声も無くビクリと震えた。
 本当に驚いた時、人は叫ばない。恐怖を認識してから紛らわすために叫ぶ。
 巻きついてきた腕をそろそろと見てスザクだと気付いたのか、ルルーシュは辛うじて落とさずに済んだカップを置こうと腕を伸ばした。
 スザクはほとんど毟り取るような勢いでカップを奪い取り、遠くの方へと押しやった。荒々しい動作に驚いたルルーシュが怖々と振り返ってくる。
 大きく見開かれた紫玉に映る純粋な驚きと戸惑い。――そして、疚しさ。
 目が合った瞬間、理性が飛んだ。
 ものも言わず噛み付くように口付けたスザクは、たたらを踏むルルーシュを台の上へと押し倒し、手首を掴んでより深く唇を重ね合わせる。
 息の根も止まるような激しいキス。この人の全てを奪い尽くしたいと心の底から思った。
 ルルーシュはされるがまま抵抗しない。唇をぴったりと塞がれ、一度も離されることなく深い口付けを仕掛けられているのに、いっそ健気なまでに受け入れ続けている。
 掴んでいた手首から強張りが解け、掌が緩んだ。全身が弛緩すると同時に膝から崩れ落ちていくルルーシュの腕を、スザクは自分の首へと回させる。
 首筋を通って背中へと縋る腕。かき抱いた背に爪を立て、溺れて救いを求める者のようにルルーシュはしがみ付いてきた。
 重なり合った胸で感じる互いの鼓動。決して一方的な行為ではないのだと許されている。
 その事実は、スザクの欠けた心を熱く満たした。
 きつく抱きすくめたルルーシュを持ち上げ、開かせた二の足の間に膝を割り入れれば、ちょうど太腿に跨る形になったルルーシュの腰がもどかしげに蠢く。掠めた箇所は既に反応していて、少し押し当てるだけで鼻に抜けるような甘い吐息が零れ落ちた。
 キッチンに響く荒い息遣い。密やかな衣擦れの音とくぐもった声。
 ……神経の焦げ付く音がする。
 長い長い口付けの後、ゆっくり離した唇との間に伸びる透明な糸。もう一度噛み付くように口付けた瞬間、酷く感じ入ったルルーシュの顔が見えた。
 深く絡めた舌を味わいながら、スザクは思う。
 誘われる。幾らでも。際限もなく。だが、こうして求めてしまうのは果たしてルルーシュのみの咎なのか――違う。では、追憶から成る思慕か、慕情か。それとも全部か。
 あってはならないものだろう、それは。一方的な情によって父親を殺め、罪を背負った自分には。
 何のために規律の中へと身を投じた? 自らに贖罪を課したのは何のためだ?
 仮にこれが疾うに禁じられた感情であったとしても、よもや純粋な恋情などではありえまい。雄としての本能がそれを否定するばかりか、混沌さながらに絡み合った糸は縺れに縺れて、今や元の形になど戻せもしない。
 再会なんかしなければ良かった。終わらせるには、断ち切るしか。
 だが、出来るのか。……答えは常に否だった。
 彼は己を忌んでいる。嘗て「要らない皇子」と捨てられて、相変わらず孤独ばかり選ぼうとするルルーシュ。
 思い出に捕らわれる心の根底にあるもの。その正体をスザクは知っていた。だからこそ揺らぐ七年前の誓い。――自分が傍にいなければ。
 でも、本当は解放されたい。昔と違う自分になりたい。早く、早く。
 彼のことをどうでもいいと思えるようになれたら、どんなに楽だろう。
 共に居れば引き摺られそうになる自分がいる。今でも、こんなに。彼が望むなら、どんな願いでも叶えてやりたくなる。求められれば抗えない。求められなければ余計。
 今だって、自制されれば結局こうして駆けつけてしまうのに。
 駄目なのだ、それでは。そんな自分であってはいけない。……だから、本当はいつも必死の思いで押さえつけている。
 今出来ずにいることが、これから出来るようになるものか。こんなにもよく、彼のことを解っているのに。――ああ、誰か。
 再会した彼は過去の写し身。鏡に映る似姿。そんなはずはない。自愛ほど不可能なものに溺れる筈などないのだから。
 似ている? いや、似ていない。
 そんな彼に、何もかも奪われ壊され食らい尽くされる。奪い尽くしたいと願うのは己とて同じなのに、それですら……いや、今となってはそれこそが最大の恐怖だ。
 幼少時からずっと、きっと、この身一つや人生ばかりか、命でさえもいずれ。たとえこの先誰が現れたとしても、きっと最後には。そんな予感がする。
 ――それなのに、こうして縋ってくる腕にしか満たされないのは何故?
 解放されたルルーシュが、ぐったりと肩に額を乗せてくる。甘える仕草に増す愛しさ。甘えるな。甘えないでくれ。同じことを繰り返すわけにはいかないんだ。……そう思うのに。
 罰を求める心とは相反する感情に引き裂かれそうになりながら、スザクは肩口に埋められた顔が僅かに傾いてくるのを待った。
 向けられてきた頬に送るのは慈しみのキス。常の通りに流される。――彼だから。……彼にしか。
 こんな風に、いつも内側から壊されていく。
 ルルーシュは再び肩口へと顔を埋めてきた。多分これから言い辛いことを口にするつもりでいるのだろう。
 そんなことでさえ解ってしまう。まるで遺伝子に刻み込まれた覚書。呪いのように繰り返す過去と今。
 けれど、捕らわれてはいない。
(だって、もう“僕”は違うから)
 こうして免罪符を振り翳す愚かしさ。それは宿命。ないしは何?
 いつまでも続く訳ではない。この関係は。
(だって、僕はいずれ死ぬ)
 だから、それまでは。
 安心。慢心。逃げた先で気付く足元の鎖。
 もしかすると、いずれそんな日が来るのだろうか? 漠然とした予感にスザクは震撼する。
 甘く感じられるからこそ、これは毒だ。
 でも知っている。気付いている。毒そのものに罪など無いと。
「……帰ったんじゃなかったのか」
 か細い声で告げられたのは、予想に違わぬ質問だった。
「それよりも訊きたいことがあるだろ」
 黒髪に鼻先を埋めてから頬をすり寄せたスザクは、ちょうど口元から近い場所にある耳朶に噛り付く。
「……っ」
 逃れようと肩を竦めながらも、ルルーシュは顔を上げてはこなかった。ただじっと息を詰めながら耐えている。
 幼い頃からルルーシュはいつもそうだ。石のようにうずくまり、耐える。堪える。我慢する。いつか壊れてしまっても、彼は「助けて」とは言えない。
 そして、スザクはそんなルルーシュに苛立ちながらも翻弄され、いじらしく思う気持ちを抑えられないのだった。これも、幼い頃からずっと。
 首筋に絡む腕の力が増し、より強く顔を押し当てられると、どうしようもなく狂おしい想いが湧いてくる。一体どこから――? 全身の血液が熱く沸き立ち、触れ合った箇所から肌が粟立つ感覚。
 両肩に掛かるルルーシュの重みに、ほんの刹那「離れたくない」とスザクは願った。出来ることならずっと、いつまでも彼とこうしていたい。
 歯止めが利かなくなりそうな衝動を抑えて食んでいた耳朶を離す。……その途端、耳がおかしくなりそうなほど甘い吐息が聞こえてきた。
 深い酩酊。陶酔。
 溺れるとは、こういうことを言うのだろうか。
「お前……いつから見てたんだ?」
 ぼそっと尋ねてくる声は相当不機嫌だった。只の照れ隠しだとすぐに解る。
(もう気付いてるくせに)
 カップは手なんか繋いでくれないし、キスもしてはくれない。
 余程そう言ってやろうかと思ったが、さすがに意地が悪いだろうか。一応ルルーシュの心情を慮ってやめておく。
 その代わり、
「ナナリーに言ってきたんだ。やっぱり昼食が終わるまで一緒にいてもいいかって。……だから」
「…………」
 答えを待つルルーシュに一呼吸置いてから、スザクは耳元で告げてやる。
「続きは、そのあとで」
「―――っ」
 耳の奥に流し込む。これもまた毒だ。
 腕の中の細い身体が強張った。ぎゅっと握られた手に口元が緩む。どんな顔をしているのか早く見たい。そう思う自分にさえ漏れる嘲笑。
 けれど、焦りは禁物。何故なら彼は、とてもナイーブだから。
「お前……仕事は?」
「僕がしたい。それじゃ駄目か?」
「……どうして」
「どうしてだと思う?」
 ほとんど答えを言ったも同然だ。
 尋ねられたルルーシュの腕が弱まり、胸元へと下りてくる。
 きつく布地を掴む手で示される羞恥。スザクにとっては故意であるからこそ、同情を禁じえない。
「悪趣味だな」
「そうかな」
「そうだ」
 シャツ越しに伝わる睫の感触。ルルーシュはさぞかし困った顔をして瞬いているのだろう。……きっと、眉間にも気難しげに皺を寄せて。
「ルルーシュは?」
「え……?」
「僕としたい?」
「――――」
 ようやく見上げてきた紫玉が惑いのままに逸らされてゆく。至近距離から見下ろす睫は本当に長くて、いっそ作り物めいてさえ見えた。
「俺は―――っ」
 ルルーシュの答えを待つことなく、スザクは襟元から覗く細い首筋に吸い付いた。
 身を捩らせるルルーシュの頭を抱きかかえ、逃げられないよう固定する。
 呻きと共に上がっていく顎と、顕になる白い喉。反った背を抱き寄せると胸が押し当てられ、無意識に引けた腰が跨った太腿から膝下へとずり落ちていく。
「っぁ!」
 割り入れていた膝に前部を刺激されたルルーシュは、辛そうに腰をビクンと跳ね上がらせた。
 スザクはその間も唇を離さない。さながら野犬がとどめを刺すが如く、剥き出しにされた其処に赤い鬱血の痕が浮かぶまで。
 スザクに解放されるや否や、よろめいたルルーシュは調理台の上に後ろ手をついた。腕に掴まったまま台を背にずるずると崩れ落ち、とうとうその場に座り込んでしまう。
「驚かせてごめん」
 折り曲げた片膝を立て、ルルーシュは荒く息をつく。吸われた首筋を押さえる手が細かく震えているのを見て、傍に屈み込んだスザクは柔らかな頬に優しく唇を落とした。
「……先に行ってるから、早くおいで」
 そう言い置いてから立ち上がると、ルルーシュが悔しげに見上げてくる。目が合うなりぎこちなく逸らされ、つい微苦笑が漏れた。
「ナナリーと待ってる」
 後ろめたそうに俯くルルーシュの顔に、ほんのりと朱が上る。潤んだ眼差しに淡く色付いた頬。落ち着くまでには、まだ少し時間が必要だ。
 キッチンから出る間際、スザクは恨めしそうにこちらを見ているルルーシュへと笑いかけた。
 完全に乱されたポーカーフェイスに、やはり満たされた思いを感じながら。

 そうだ。毒花はこんなにも美しい。
 罪はなくとも、やがては手折られる運命。
 スザクは多分、その悲しさを愛している。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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