たとえばこんな恋の始まり




 最近気になっている人がいる。絶賛片思い中のリヴァルと恋愛談義になった時、自分でも意識しないままそんな言葉が出た。「気になる人」という言い方になったのは、本当に恋なのかどうかちょっと自信が持てなかったのと、怪しい趣味――ある意味犯罪――だと言われてしまいそうで口に出しづらかったからだ。
 ちょうど、カーテンを洗濯している日のことだった。家の前に幅の広い道が一本あって、その道を挟んだ向かい側に五階建てのマンションが建っている。見えてしまった、二階に住んでいるすごく綺麗な人が。すらっと背が高くて黒髪で、瞳の色まではさすがに解らなかったけれど、とにかく一目見たら忘れられないくらいの超絶美人だった。
 こんなことしちゃいけない。でも、罪悪感に駆られながらも見てしまう。最初は只の偶然だったというのは、今となっては完全な言い訳だ。気付かれてはいないと思う。相手だって僕みたいに目がいい訳じゃないから、見られているなんて考えもしないだろう。実際、一度も視線が合ったことはない。
 彼女(彼?)はいつも、レースのカーテンの上部をたわませて、下半分だけをタッセルで括っていた。だから、休日になると窓辺を通る時に見える。広々としたリビングでお茶を飲んでいる姿や、ベランダに出て布団を干しているところ、観葉植物に水やりをしている様子などが。
 夕方になって電気を点ける頃になると、どこの家でもカーテンを閉じるものだ。偶然が重なって二回ほど、閉めるタイミングが同じだったことがあった。本格的に気になりだしたのはその頃からかもしれない。その人は綺麗好きらしく、しょっちゅうベランダに出て窓を拭いていた。内側を拭いている時、息で曇らせてから拭く姿はこっちに向かって「おーい」と手を振っているように見えて、そこでドキッとしたのが切欠で目が離せなくなってしまった。もっとすぐ傍で見てみたくなって、「何とか話をする機会がないかな」と考え、さすがに少々行き過ぎているように思えてきた。相手からしてみれば気色悪いだろうし、ものすごく怪しいと自分でも思う。
 そのマンションの道沿いには住人用のゴミ捨て場があって、もうしばらく行った先には僕もよく行くコンビニエンスストアが一軒あった。買い物に来たりしないかな、と期待したけれど、そこであの人と会ったことは一度もない。もしかすると倹約家で、コンビニよりも安いスーパーでしか買わないようにしているのかな、などと想像が膨らむ。全く接点のない人の想像を楽しむなんて、以前の僕であれば考えられないことだ。どこで道を踏み外すか解らないものだなぁ、と他人事のように思う。ただ、想像するだけなら自由といっても、会ってみたくなるにつれて「ストーカー」という単語が頭の中を回るようになるのも事実だった。
 そして、つい先日の話。冷蔵庫に飲み物がなくて買い物に出かけると、コンビニに行く途中にマンションから人が降りてきた。ゴミ袋をぶら下げていて、そこで「あっ」と声を上げそうになった。あの人だ。近くで見ると男だった。薄々「そうかな?」とは思っていたけれど、立派な喉仏がついているからやっぱり男だ。名前さえ知らないくせに余計なお世話だと思いつつ、男にしておくのがもったいないほどの美形だった。瞳の色は赤味がかった紫、抜けるように肌の色が白く、身長は僕と同じくらいの高さでどことなく高貴な雰囲気が漂っている。
 一方的に覗いている家の住人が男であっても女であっても、僕には全然関係のないことだ。それがすごく残念で、男だと解っていても余計目が離せなくなってしまった。綺麗だなと思いながら見ていると、すれ違う時にマンツーマンディフェンス状態に陥ってしまい、二度ほど繰り返した時点でムッと睨まれた。焦って除ける僕の脇をその人が通り抜けていく。なんだこいつ、と言いたげな眼差しだった。ごめんなさい。
 出会いはこの通り最悪で、そこから一転して今度はやたらと会うようになった。
 僕の仕事は配送業で、朝早くて帰りは遅い。休みの日は疲れているから寝ていることが多く、起き出してくる時間はだいたい昼過ぎになる。ところが彼は宵っ張りらしく、僕とほぼ同じ時間にカーテンを開ける。一日中家にいるんだろうか。気になって見ていると、毎晩夜遅くまで電気がついていて、僕が寝る前に明かりが消えることはまずなかった。
 スーパーでも遭遇した。野菜売り場ですれ違い、互いに気付き、言葉を交わす仲でもなかったからさりげなく視線を逸らした。すると今度は、レジに並ぶタイミングが重なって気まずい空気になり、先に前の客の会計を終えた隣のレジに呼ばれるまでぎこちない間を我慢しなければならなくなった。思いっきり警戒されていて、背中にビシバシあの人からの視線を感じた。僕のことを訝しく思っていたのだろう。いっそ声をかけた方が良かったのかと思うほどじろじろ見られていて、勝手に家の中を覗いていた罰を受けている気分だった。
 買ったものを袋に入れ、僕が店を出る頃には彼はもういなくなっていて、レジを通ったのは僕の方が先だったから、たぶん急いで出て行ったんだろう。近所といえども方向は逆だから、帰り道まで一緒になることはない。そこまで露骨に避けなくても、と少し悲しくなった。嫌われていなければいいけど、望みは薄そうだ。
 すれ違ったのは二、三度ほど。以降あまり窓を見なくなった。仕事場と家との往復、たまに友達と飲みに行く程度。平和な反面変化のない日々を送る中、余所の家の窓――正確には彼を――見るのがちょっとしたスリルも味わえる楽しみになっていたんだな、と気付いて落ち込む。出来心で起こす犯罪というのはきっと、こういう何気ないところから発展してしまうものなんだろう。悪趣味なのは解っている。本格的に道を踏み外さずに済んで良かった。そう安堵しかけていた頃、配送先で再び彼に出会うことになった。
「あ」
 住所を見た時、まさかとは思った。開いたドアから現れたのは彼で、名前はルルーシュ・ランペルージというらしい。帽子を目深にかぶっていたから、ランペルージさんは最初僕だと解らなかったようだ。でも僕だと気付くと、穴が開きそうなくらいまじまじと顔を見つめてきて、居心地悪い沈黙がその場に落ちた。
「伝票にサインお願いします」
 荷物を渡しがてら「ここに」と指さし、ペンを手渡す。ランペルージさんは大粒のアーモンドみたいな目をぱっちり見開いて僕の顔を凝視していた。荷物を受け取り、ふい、と目線を落としてペンを受け取る。何回か会ってますよね、そんなこと間違ったって訊ける訳もない。
 サインし終えた伝票とペンを受け取ると、もう話すことは何もなかった。僕の顔はこわばっていたと思う。すると、即帰ろうとしていた僕を引き止めるように、ランペルージさんが「その……」と切り出した。
「君とは、何度か会ったことがないか?」
 僕が思っていたことと寸分違わぬことを、すごく言いづらそうに尋ねてくる。
「え――? あ、はい」
「同じマンションじゃないよな」
 慌てて振り返れば、ランペルージさんもばつが悪そうな顔をしていた。
「向かいの通りを一本挟んだところに住んでます」
「そうか、道理でよく会う訳だ」
 なるべく不審に思われないよう明るく返し、僕が笑顔を浮かべたらランペルージさんはほっとした表情になった。話しかけるべきか否か、迷っていたのは僕だけではなかったのと、ランペルージさんもスーパーで僕を避けたことを気まずく感じていたらしいことが何となく伝わった。眉尻を少し下げた笑い方が印象的で、その淡い微笑みが僕の網膜に焼き付いた。
 以来、スーパーで会った時は会釈から始まり、挨拶を交わすようになっていった。二言三言話したり、安売りの商品を薦めてもらったり。最初はたどたどしいやり取りだったけれど、会話するだけですぐ「またね」となるのではなく、レジまで一緒することも増えた。思いがけない展開でわくわくする。僕に対するランペルージさんの警戒心はどこに行ってしまったんだろう。僕は僕で「何だこれ?」と思いながらも、ランペルージさんに会った日は特別な気分になれて――悪いことだと知りつつも――つい窓を見る癖が復活してしまった。
 ある日、空気の入れ替えをしようと窓を開けると、ランペルージさんがベランダにいて僕の家が並ぶ通りを眺めていた。こっちを見ている、ように見える。けど、目線は合わない。まさか僕の家を探しているのかと思い、慌てて物陰に隠れたら、ランペルージさんは空中を見つめる猫みたいに窓が開いている僕の家に目を留めた。
 うちの両隣には戸建ての家が二件建っていて、詳しい住所は教えていないから、どこが僕の家なのかは解らない筈だ。でも、引っ込む直前に見られたような気がする。どうしよう、僕が顔を出すのをランペルージさんが待っていたら。ずっと隠れている訳にもいかないと思い、何気なさを装って窓を閉めようとすると、やっぱりランペルージさんはこっちをじっと見ていてばっちりと視線が合ってしまった。
 ……バレた。気持ち悪いと思って引っ越してしまうかもしれない。そう思いつつ反射的にぺこりと頭を下げる。僕だと気付いただろうか。すると、ベランダで頬杖をついていたランペルージさんは小首を傾げ、肩をすくめてふっと笑って部屋の中に入っていった。
 どう解釈すればいいんだろう、そのリアクションは。まるで「全てお見通し」と言われてしまったみたいで、心臓がバクバク高鳴り始める。緊張した。それ以上に、許されたと思ってしまうじゃないか、そんなことをされたら。もっと好きになってしまう。
 そこでやっと、「ああ好きなんだ」と気付いた。
 気付くのが遅い。僕は君を、とっくに好きになっていたんだ。

「悪いな、家を見つけてしまった。俺は視力がいい方なんだ」
 負けず嫌いなのか勝ちたがりなのか、次に荷物を届けに行った時ランペルージさんはちょっと得意げにそう言った。その前から見ていましたとは口が裂けても言えず、あははと笑って「見つかっちゃいましたね」と誤魔化しておく。
「何となく眺めてたら君が見えてな」
「いいですよ、枢木でもスザクでも」
「枢木スザクが名前か? なら近所の好(よしみ)だ、俺のことはルルーシュでいい」
「じゃあ、僕のこともスザクで」
 名前呼び出来る関係になれるなんて思ってもみなかった。ランペルージさん――いや、ルルーシュは僕より二つ年上で、妹が一人いて、一緒に住んでいたけれど今は一人暮らしをしているそうだ。
「暇でな、つい掃除ばかりしてしまう。……といっても、お前はもう知ってるか」
「えっ?」
 ざっと血の気が引いた。
「見てただろう? 正直に答えろよ」
 仲良くなったと見せかけて、本当はこれを言うために接点を作ったのかもしれない。天国から地獄に突き落とされたような気分で僕が黙っていると、無表情だったルルーシュは人の悪そうな笑みを浮かべてにじり寄ってきた。
「覗きが趣味なのか? この変態め」
「うっ……」
「バレてないと思ってたんだろう?」
「いや、僕は――」
「嘘を吐いても無駄だ。顔に出やすいタチなんだな」
 ドアを背にじりじりと追いつめられていく。ルルーシュはにやにやしていたが目付きは冷たかった。
「仕事が終わったらまっすぐ来いよ」
「は?」
「会いに来い、お前と話したいことがある」
 今じゃ駄目なんでしょうか。そう思ったけれど意見せず、否応なしに首を何度も縦に振る羽目に陥った。
 逃げたい気持ちそのままにすたこら退散し、配送車に戻ってからは生きた心地がせず、仕事を終えるまで僕は酷い動揺に襲われていた。ルルーシュ、いや、前のようにランペルージさんと呼ぶべきだろう。ハンドルを握りながら思惑がいまいち解らず、来いと言われた通り会いに行くべきかと葛藤してしまう。
 覗きというのはどれくらい罪が重いのだろう。行った先でもし警察が待ち受けていたら、僕は前科一犯の犯罪者になってしまうかもしれない。ストーカーと判断されたら、接近禁止命令とかいうのを出されてしまうのだろうか。そしてそうなったら、もう二度とランペルージさんには会えない……?
 どうしてあんな出会い方だったんだろう。もっと違う形で知り合えていたら。今すぐ過去に戻ってやり直したい。でも、何度やり直しても、僕の家とランペルージさんの家は道で隔てられていて、知り合う切欠になり得そうな出来事なんて他に何もないような気がする。
 薄暗い気分でマンションに向かうと、ランペルージさんの部屋に明かりが点いているのが見えた。ああ、一瞬「留守だったらいいのに」なんて思ってしまった。会いに行かなきゃと思うのに足が動かない。この後、いつから見ていたのか、とか犯罪だと解っているのか、とか問い詰められるのだとしたら?
 重い気分で踵を返そうとした時、上の方でカラリと音がしてランペルージさんの部屋の窓が開いた。ベランダに出てきたランペルージさんは、下を見て僕がいるのを確認すると、「いた」と言いたげに軽く眉を上げてまた中に入っていった。逃げられないと悟ってもまだ行く気になれない。黙って見上げているうちにランペルージさんはまたベランダの方に引き返してきて、内側から白いスプレーをシュッと窓に吹きかけた。ガラスクリーナーだろうか、拭き掃除でもする気でいるのかと思って見上げていると、そこに指で何か文字を書いている。
 WELCOME
 目を凝らしてよく見てみると、そう書いてあった。手招きしながらランペルージさんが淡く微笑む。その隣にやってきたのは、僕よりふわふわの髪を腰まで伸ばした可愛らしい女の子だった。
 たぶん妹さんだ。仲良く並んでいる姿がとても絵になる。妹さんはランペルージさんを見上げ、頷くランペルージさんから僕の方へと視線を戻すと、にっこり笑って手を振ってくれた。その瞬間涙が出そうなくらい安心してしまって、僕はランペルージさんの家に一直線に駆けだしていった。





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