二.五次元の君 1




1.

 ルルーシュはピカピカに磨き上げられた重箱を取り出して、手際よく出来上がったばかりのおかずを詰めていく。この重箱はスザク専用のものだった。成人男子の食欲は、弁当箱程度のサイズでは決して補い切れない。
 スザクの好物のうちの一つは納豆で、昨日リクエストされたのはあろうことか納豆巻きだった。カットしない方が食べやすいので切らなくていいと言われても、ルルーシュは正直言ってあれだけは触りたくない。ついでに言えば、匂いも受け付けないのでパックさえ開けたくなかった。
(俺の苦手なものくらい覚えておけよ、朴念仁が)
 なるべく安価なものを、という気遣いは解るのだが、自分の食事を作るついでだと申し出たのはルルーシュの方だ。
 昔からスザクはそうだった。大雑把で天然、異様に勘が良いくせに肝心なところだけ鈍感だ。幼馴染の好き嫌いくらい把握していてもよさそうなのに、とルルーシュは恨めしく思いながら弁当用のアルミホイルを手に取った。
(確かに、栄養価は高い)
 でも、偏るのはまずい。そう判断したルルーシュは重箱の上段に野菜を多めに入れ、ついでに巻きすとひきわり納豆をパックごと鞄に放り込んだ。大き目のお握りを三つ作り、そのほかに炊きたてのご飯で作った酢飯を使い捨てのポリパック二つにたっぷりと盛っておく。半分にカットした海苔を軽く炙って包装用のフィルムに数枚入れておき、密封し終えたところでタイミング良くだし汁入りの鍋が沸いた。次は味噌汁作りだ。
 二人は生まれた頃から一緒だった。家が隣同士で幼馴染、遡れば幼稚園の頃から進学先まで一緒。生徒会副会長のルルーシュと、風紀委員のスザク。つかず離れずな関係は高校卒業後も続き、今のルルーシュは大学生、スザクは駆け出しの漫画家だった。地道に投稿を続けてやっとデビューし、担当が付いたのはついこの間のこと。将来プロとしてやっていくと告げたら親に大反対されてしまい、学業と両立出来なくなるから、と止めさせられそうになって家を飛び出した。
 もちろん仕送りなど期待出来る筈もなく、卒業までに連載が決まらなければ諦めるという条件で、辛うじて一人暮らしが許されたらしい。おかげでバイトを掛け持ちしていても収入が安定せず、スザクは安アパートで絵に描いたような貧乏暮らしを送っている。
 調理器具どころかガスコンロさえない家。ルルーシュはまだ温かいうちに届けてやろうと、今日もまた鞄に三食分の食事を詰めて甲斐甲斐しくスザクのもとへと通うのだった。


「よ、スザク。進み具合はどうだ?」
「担当さんみたいなこと言わないでよ、お腹空いたよルルーシュ……」
 作業机の前に陣取って、スザクは一心不乱にペンを走らせていた。その声は死にかけだ。部屋を見渡せばアニメの設定資料集にラブシーンデッサン集、女体のモデル人形、極め付けに汚い。机の横には雑然と積まれた資料とネーム用紙、床にまでスクリーントーンが散乱している。
「お前……」
 幾らなんでもコレはないぞ、と苦言をぶつけかけたルルーシュにスザクが「うわきたっ!」と小さく叫ぶ。
「わかってる、わかってるよルルーシュ。でも今は無理、色々と無理……」
 ぶつぶつとうわごとのように呟くので、ルルーシュはがっくりと肩を落とした。慣れてはいても嘆かわしいことだ、昨日片付けたばかりでこのザマとは。散らかす才能が並じゃない。
(俺がいないと駄目か)
 世話焼きの才能とセットであるべき、というささやかな自負に浸ってルルーシュは鼻を鳴らした。
「一段落したら食べろ」
「ありがと。このコマ終わったらね」
 その前にまず掃除からか、とルルーシュが腕をまくる。
 会話していても、スザクは勝手に入ってきたルルーシュへは一切目を向けない。修羅場の時はいつもそうだ。Tシャツにスウェット、額に黒のヘアバンドというラフにも程がある恰好で原稿に集中している。ペン入れの最中は特に神経を使うようで、わきまえているルルーシュは散らばったトーンを番号ごとにまとめて片付け始めた。振動が伝わらぬよう折りたたみ式テーブルの足をそっと伸ばし、スザクの生真面目そうな横顔を盗み見る。
(これ以上視力が落ちなければいいが……)
 小さいころ裸眼だったスザクは黒縁眼鏡をかけている。高校時代から常時外さなくなったそれは地味なデザインで、童顔のスザクに似合っているとは今でも言い難い。その野暮ったい眼鏡の奥に光る団栗眼の下には薄く隈が出来ており、昨夜もろくに睡眠をとっていないことが伺えた。
(服といい眼鏡といい、こいつは)
 顔の半分が隠れているというのに、全く頓着していなさそうなのも大雑把だからだろうか。物心ついた頃から漫画一筋、ジョギングする時とバイトの時以外ほとんど外出せず、ルルーシュが見たことのあるスザクの私服は常にジャージか灰色のスウェット上下だ。またはどことなく薄汚れた感のあるジーンズと、オタク然としたチェックのネルシャツ。良くて二、三千円台のTシャツとGショックの腕時計。それが精一杯のお洒落だった。
 真っ白な蛍光灯の下、消しゴムとスクリーントーンのカス塗れになって机にかじりつく姿はお世辞にも格好いいとは言えず。それでもルルーシュは、ずっと前からそんなスザクへと密かに想いを寄せているのだった。
 ルルーシュが鞄の中から重箱を取り出し、蓋を開けてテーブルの上に広げる。箸を並べたところでスザクが軽く息をつき、ようやく手を止めてルルーシュの方へと向き直った。
「今日のも美味しそうだね、君は?」
「俺は食べてきた」
「そっか――え、もうこんな時間?」
 机に置かれたデジタル時計に目をやってスザクが立ち上がる。スウェットの太腿で手汗を拭い、ルルーシュの向かい側に座椅子を移動させてそこに腰を下ろした。
「食事中は切り替えろ。そんなにヤバいのか?」
「消しゴムかけ手伝って」
「馬鹿言え、俺はアシじゃない」
「出世払いでお願いします。肩痛いんだよ、じゃマッサージ」
「甘えるな」
「そこを何とか!」
「いいから食えって」
「うん……いただきます」
 箸を取ってスザクが手を合わせている。昨日何をリクエストしたか忘れた訳ではないだろうに、違うメニューが並んでいても文句ひとつ零さなかった。
「納豆巻きだけどな、昨日の」
「?」
 さっそくお握りにかぶりつき、頬を膨らませながらスザクがぱちくりと瞬く。
「いや、いい」
 ルルーシュが言葉を濁し、スザクは口をもぐもぐさせながら頷いた。
「おいひいよ? 君のおはん」
「空腹が最高のスパイスか?」
「ほうひゃ、――そうじゃなくて」
 途中でごくんと飲み込んで、スザクが大好物のデミグラスソースのかかったミートボールに箸を伸ばす。隣の人参ソテーと玉ねぎも一緒に口へ運ぶのを見てルルーシュも自然と頬を緩めた。
「海苔と米、持ってきたから明日自分で巻け」
「納豆巻き!?」
「俺の前では作るなよ?」
「ほんとに? あるの? パックごと」
「特売だった。ひきわり三パック八十五円」
「普通だ……」
「普通だな」
「ひきわり買わなくても、」
「俺は肉と野菜しか刻まない」
「………………」
 即座に打ち消され、黙り込んだスザクが「そう」と複雑な面持ちになり、箸の先を咥えたまま上目遣いでルルーシュを見る。
「『俺はフ●ーしか泳がない』みたいだった、今」
「何の話だ」
「京ア●ってわかる?」
「知るか」
「つれないでござる」
「完全にアウトだろその口調。お前は新撰組辺りもこじらせてるのか?」
「幕末イコール新撰組じゃないんだよルルーシュ、る●うに剣●だよ。映画見に行こう?」
「原稿が終わったらな」
「映画は夏だよ。解ってるよ……」
「終わらせるんだ、お前が」
「拙者働きたくないでござる。ルルーシュに見捨てられたら死ぬかも」
「!」
 だからその喋り方やめろ、これだからオタクは。寸でのところでルルーシュがその二言を飲み込んだのは、スザクの拗ねたような不意打ちの一言にうっかり萌えてしまったからだ。
(こいつの場合は口だけだ)
 スザクは仕事に関して妥協しない。甘えたことを言っていても両親に止められた時、ルルーシュが不安定な進路だと口にしたら『途中で投げ出すつもりはないよ』と切り口上で反発された。
 普段怒らない奴に限って怒ると怖い。スザクが本当は責任感が強く、言い出したらきかない頑固な性分だとルルーシュは心得ていた。
「良かったな、まだ死ななくて済みそうで」
「まだ……」
 繰り返すスザクからルルーシュは目を逸らした。スザクもそんなルルーシュをじっと見つめ、まばたきに合わせて余所に視線を逃す。
「ルルーシュ」
「ん?」
「ホントに嫌いだよな、納豆」
「苦手と知りつつリクエストしたのか」
「食べたかったんだ」
 ルルーシュへと視線を戻してスザクは「怒った?」と尋ねた。ルルーシュはすぐには答えずスザクを軽く睨む。
「ぬるぬるねばねば……あんなもの」
「恨みがこもってる」
「臭いだろ、腐ってる」
「臭いけど美味しいんだってば、腐ってるけど」
 他愛ない会話をかわしながら、スザクはパクパクとおかずを平らげていった。食欲旺盛なスザクをルルーシュも黙って見守る。
(こいつらしいな)
 悪意がない代わりに遠慮もない。美味しそうに食べる姿だって本当は目の保養だ。幼馴染としての特権と理解、そこに実はちゃんと把握されていたと知ったがゆえの面映ゆさも混じり合い、ルルーシュは胸の内でこっそりと嬉しさを噛み締めながらスザクとのやり取りに和んでいた。
「風呂に入ったのか?」
 忙しい中でも入る暇を無理やり作ったのか、スザクの茶色い癖毛が綿あめみたいにふわふわと膨らんでいる。
「シャワーだよ。ルルーシュ僕の髪の毛見るのやめて?」
「なんで」
「膨らんでるんだろ、かっこわるいよ」
「お前は普段からかっ……こわるくはないぞ」
「『大丈夫だ問題ない』みたいな顔しても駄目だよ、ルルーシュ結構顔に出るんだから」
 そんなことはない、と言い返そうとしてルルーシュはついムッとしてしまい、勝ち誇ったように「ほらやっぱり」とスザクに笑われてしまった。お返しに重箱ごと奪おうとするとスザクがぶるぶると首を振り、口に入れたばかりのものをもぐもぐさせながら必死で取り返そうとする。
 ルルーシュは自分も箸を割り、戻した重箱の中からポテトの欧風炒めを選んでスザクの口に放り込んでやった。
「もっと野菜を摂れ、野菜を」
「おいひい!」
「そうだろうそうだろう、もっと褒めろ」
「るるーひゅ、へんはい!」
「変態はお前の方だろうが!」
 噴き出したスザクが「ちあうよ!」と首を振る。笑いを堪えながら慌てて口を覆い、大急ぎでごくりと飲み込んだ。
「落ち着いて食べろ、この漫画馬鹿が」
「天才っていったのに。次ブロッコリーがいいな」
「天才……? フン」
 当然だ、と言いながらルルーシュが注文通り食べさせてやると、スザクが「うん」と満足げにかぶりつく。
「へんはい」
「どうも『変態』と言っているように聞こえるな……」
 口にものを入れたまま喋るな、と注意したいルルーシュだったが、スザクの締まりのない笑顔を見て諦めた。いったん箸を前に置き、テーブルに肘をついて指を組む。
「難儀な仕事を選んだな、お前も。風呂に入る時間もないとは」
「ん――。時間はあるけど、なくなっちゃうんだ。君がいてくれて助かるよ」
「人を便利屋みたいに言うな」
 ルルーシュが本気で毒づいているとはスザクも思っていないのだろう。ただ、曖昧な笑みを口元に乗せて思わせぶりに黙り込む。
「気になるか?」
「ん?」
「髪だよ、髪」
「ああ……」
 スザクはヘアバンドでずっと頭を締めつけていたことに気付いたようだ。溜息交じりに首元へずらし、癖のついた前髪をかき上げてまた付け直した。
「それよりさ、修羅場が終わったら温泉に行きたいよ、銭湯でもいいし。脱稿した直後でも構わないから」
「温泉、ね……」
 やや唐突に話を逸らされた感じがしたのは気のせいだろうか。ルルーシュがぼやくスザクに頷きつつ三個目のお握りを手渡し、食べ終えた二個分のホイルを片付ける。
(スザクは元々こうだ)
 自分に言い聞かせるようにしてルルーシュは疑惑をかき消した。人の話を聞かないのも話題がぽんぽん飛ぶのもスザクの特徴、ルルーシュも単なる癖としか捉えていない。しかし、スザクは自分の容姿や異性の件、特に恋愛関係に話が及びそうになるとさっさと話題を変えてしまう。
 ルルーシュが水筒のカップにシジミの味噌汁を注いでやると、差し出されたおかわりを勢いよく飲み込んでスザクは「あちっ!」と眉を顰めていた。
「おい、気を付けろ」
 聞こえているのかいないのか、スザクがふうふうと息を吹きかけながら今度は慎重に啜る。はーっと吐息で美味しさを表現し、幸せそうに緩む目元を見ていると、ルルーシュもときおり芽生える小さな違和感など大した問題ではないと流してしまうのだった。
「ルルーシュ温泉行くならどこがいい?」
 水を向けられてルルーシュは肩を竦めた。
「無理するな、お前が忙しいのは知ってる」
「してないよ、もし行くとしたら」
「うん……」
 今の生活に不満はないので、行きたい所と言われてもすぐには思いつかない。スザクと一緒にいた期間は長く、私生活を共に出来るくらい解り合えていて、気を許してくれているとも思っている。幼馴染だから特別と驕っている訳ではなくとも、自分以上にスザクを好いていて理解している奴などいない筈。少なくともルルーシュはそう信じていた。
(こうして食事を作りに来る恋人が他にいる、というのならともかく)
 でも、二人きりの旅行というのは普通、恋人同士でやることではないのか?
(こいつに想いを……俺から?)
 急に現実に引き戻されてルルーシュは憂鬱になった。
 スザクとの関係は一見、安定しているように見える。本当は、いつ割れるともしれない薄氷の上に居るのにだ。今だって付き合っているのと同じようなものではあるけれど、もしこの先、本気で好きな相手がスザクに出来てしまったら?
「どうかした? 黙って」
「あ、ああ……そうだな」
 不審そうに眉を寄せるスザクにルルーシュが頷く。
「なるべく静かな旅館なんかいいな」
 上の空な答え方をして、ルルーシュは物思いにふけった。スザクは「旅館かぁ」と首をひねり、バイト先で貰ってきたらしい旅行雑誌を机の下から引っ張り出す。
 テーブルの向かいでお握りの最後の一口を頬張り、ページをめくるスザクの姿をルルーシュは複雑な気分で眺めていた。実際に行ける訳ではなくとも、一緒に行く相手として想定してくれるだけでも嬉しい。
(他の奴にも同じことを言っていたりはしないよな?)
 まさか、と思う。心の中でなら尋ねられることでも口には出せない。鈍感なスザクがルルーシュの想いに気付く日などこれからも来ないだろうし、そういう対象として意識されているということもなさそうだからだ。
(男同士でも旅行くらい行くものかもしれないが――)
 なら、一度くらい勇気を出してみてもいいだろうか。スザクには今、好きな人や気になる相手はいないのかと。
「スザ――」
「よし食べ終わった、ごちそうさま!」
 話しかけたタイミングと重なってしまい、うん、と伸びをしたスザクがルルーシュに「何?」と問いかける。ルルーシュはきょとんとしているさまに何となく切り出す意欲を削がれ、黙って首を振った。
「食べ終わったら歯を磨けよ。食事の前も手を洗わなかっただろう」
「ルルーシュは細かいな、シャワー浴びたから平気だよ。でもそうしておく」
 スザクは軽口を交えつつ、どこかほっとしたように相好を崩した。
「限界まで描いたらそのまま眠っちゃうだろうし、今夜中にペン入れ終わらせないと」
 頑張ろう、と呟いてスザクはルルーシュの忠告通り洗面所へ向かった。
(なんといっても、こいつはスザクだからな)
 安堵の中に落胆が滲む。ルルーシュはわざとそれに気付かないふりをした。
 もしスザクが貧乏でちょっとダサいオタクではなく、もっと格好良くて恋心にも聡い男だったら、今頃はとっくに別の誰かに奪われていたかもしれない。
 スザクが別の誰か――特に、女が寄ってくるようなタイプでなくて良かった、とルルーシュは改めて胸を撫で下ろすのだった。

→2

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

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