夏風邪のルルーシュ 1

 ゴホンと一回大きな咳が出た。
 思わずクソ、と心の中で毒づく。
 寒風吹きすさぶ真冬ならともかく、くそ暑い真夏のさなかに、この俺が風邪をひくなんて。
 ああいいさ……認めよう。夏風邪は馬鹿がひくものだ。
 俺は愚かだ。
 ベッドでぐったりと横たわるその傍らには、今にも「んもう」と言い出しそうな顔をしたスザク。

「ルルーシュ、どうして黙ってたんだ?」
「お前だって解ってるだろ……」
 思いっきり険しい顔で尋ねてくるのでそう答えてやれば、くっきりと刻まれた眉間の皺がますます深くなる。
「やせ我慢だな」
「うるさい……」
 ナナリーと三人で夕食を楽しむ。そのプランだけはどうにか終了した。
 代償の如く襲ってくる嘔吐感。食したものが胃袋の中でぐるぐると蠢き、せっかく自ら丹精込めて作り上げた料理を全てリバースしそうになっている。
 それが、今の状態だ。
「四十度……」
 俺の腋から引き抜いた体温計を一目見るなり、スザクが呆然と呟く。
「君、馬鹿だろ」
「うるさいと言っている……」
「具合が悪いなら悪いって、なんで言わなかった?」
「…………」
 尋ねられた俺は、思わず口ごもった。
 言えるわけないだろう。ナナリーが楽しみにしていたんだ。ナナリーが。
 横になっている俺の枕元に体温計をそっと置いたスザクは、偉そうに腕組みしながら俺を見下ろしている。
 責めるような目つきに詰問調。どう見ても臨戦態勢だ。
 こいつにとやかく言われる義理は無いが、くそ真面目で口煩いスザクのこと。……おそらくこの後、説教が始まる。
「僕が気付かなかったら、どうするつもりだったんだ」
「…………」
 やはり来たかと思いながら、俺はスザクから目を逸らした。
 案の定、こいつは俺を問い詰めにかかるつもりだ。
「ルルーシュ」
 あまりにしつこいので無視していると、スザクがじろっと睨んできた。
 なんだその顔は。何か文句でもあるのか? なら、さっさと言えばいいだろう。
 とはいえ、黙っていても埒が明かないのは目に見えている。
 俺は渋々口を開いた。
「ナナリーに気付かれなければいい」
「またそれか」
「それ以外に何がある」
 訥々と答える俺を見て、スザクはあからさまに嫌な顔をした。
 はあっと吐き出されたのは、大きなため息。
 おい……何なんだ。そのこれ見よがしな反応は。
「それって、僕が気を回さなかったらそのままだったってこと?」
「……そうだよ」
 だから気付かれたくなかったのに。
 そう思いながらも認めてやれば、スザクは一旦目を閉じてもう一度ため息をもらしてから、今度は心配そうな顔を向けてくる。
「気持ちはわかるけど、過保護すぎるのも良くないよ」
「過保護にした覚えはない」
「充分過保護だよ。君が倒れてちゃ意味ないだろ。またの機会にすることだって出来るのに……。せめてこういう時くらい、素直になったら?」
「…………」
 俺に反論の余地は残されていない。
 スザクに諭された俺は、とうとう気まずく黙り込んだ。
 熱でいよいよ意識が朦朧としてきた頃、そろそろ限界だなと判じたスザクに無理やり部屋まで連行されてきたからでもある。
『僕とルルーシュはそろそろ部屋に戻るよ』
 夕食後、突然そう言い出したスザクに『え?』と見やると、スザクは俺を無視して『宿題、教えてもらうって約束してるんだ。な、ルルーシュ』と嘯いた。
 宿題を教えると約束してあったのは、確かに嘘ではないが……。
 スザクはこっちに目配せしながら『それじゃ、おやすみナナリー』と言い置き、俺の方へと接近。にこにこしていた顔が近寄るにつれて、冷たく平たい目つきに変わっていく。
 苛立ち紛れの仏頂面で見下ろされた挙句、がしっと腕を引っ掴まれ、抵抗しようと腕を引けばじろりと睨まれ……。
 立ち上がらされた俺は、仕方なく諦めた。
 ――だって、そうするよりほか無いじゃないか。
 こういう時のスザク相手に何を訴えたところで、どうせ無駄に終わる。
 蛇に睨まれた蛙の如く、俺は不本意にも奴に従い、素直に『はい、おやすみなさい』と答えたナナリーの声をバックにそそくさとリビングから退散した。
 スザクは俺に気を使ったんじゃない。ナナリーに気を使ったんだ。
 俺の具合が悪いと気付かれたら、ナナリーを悲ませてしまうとわかっているから……。
 スザクは絶対、俺の言うことなんかまともに聞きやしない。昔から……。こいつはそういう男だ。
「もういいだろ……」
 辟易としながら、俺は荒い息を吐き出した。
 本格的に具合が悪い。漏れる息はかなり熱く、普通に話しているだけなのに苦しかった。
 でも、スザクは空気が読めないのか、それとも最初から読む気が無いのか「よくないよ」と即座に言い返してくる。
「いいからタオルを取ってきてくれ」
 苛々しながらうざったそうに言い放つと、スザクは心底むっとしたように顔をしかめた。
「八つ当たりか? それは人にものを頼む態度じゃないな。僕は君の家来じゃないよ」
 ぞんざいな言い方をされたのがよっぽど気に障ったらしい。スザクは常に無くきつい物言いで凄んでくる。
 お前な……さっきから顔が怖いんだよ。
 一応迷惑をかけている自覚はあるが、だからって絡んでくるのはよしてくれ。
 そして、頼むから空気を読め。俺は本気で具合が悪いんだよ……。
「俺を部屋まで引っ張ってきたのはお前だろ……」
「本当に態度デカいな。反省してないだろ」
「何を反省する必要がある……?」
 早々と諦めた俺は、とりあえず視界をシャットアウトした。部屋の照明でさえ刺激になって疲労感が増長されていく。
 こいつが空気を読まないのはデフォルトだ。言うだけ時間と労力の無駄になる。――それにしても、なんという失態。まさかこいつから説教される羽目になるなんて……。
 すると、スザクは突然何を思ったのか呆れ顔のまま椅子から立ち上がった。
「冷却材みたいなものはないの?」
 目を閉じたままの俺を見て、さすがにこのままではまずいと思ったらしい。
 濡れタオルよりアイスノン。確かにお前は正しいよ、スザク。
 少しは聞き入れる気になったのかと、俺は安心した。――ところが。
「咲世子さんに訊けば……」
 と、俺が言っているのに、スザクは完全に上の空だ。
 お前はどこを見ている? 俺の話をちゃんと聞いているのか?……いや、明らかに聞いてないだろ。
 つい今しがた思ったばかりのことは俺の気のせい、もとい只の勘違いでしかなかったのだと気付き、安心が落胆へと変わってこの胸を覆い尽くしていく。
 スザクは「うーん」と唸りながら首を一巡りさせ、突然くるんと身を翻した。
「医務室に行けばあるかな。ちょっと行って貰ってくるよ」
「? 貰う……?」
 貰うとは、一体誰からだ?
 一方的に言い置いてからスタスタと歩いていくスザクの後ろ姿に、なんとなく嫌な予感を覚える。
 ――今、こいつはなんと言った? 医務室?
 どう考えても学園内の施設ではない。そう気付いた俺はハッとして、慌ててスザクを呼び止めた。
「待て!」
 引き止める俺に、スザクが「何?」と振り返る。
 言うや否やドアを目指して一直線か。一体どうなってるんだお前の思考回路は。
 少しはまともに人の話を聞けと怒鳴りつけたくなるが、俺は冷静になろうと敢えて自制を試みた。
 こいつの辞書に「傾聴」という言葉は載っていない。その上、人の話を聞き入れるスキルも無ければ、そもそも機能自体が欠落している。
 だが、人の短所とて所詮は長所の裏返し。
 だとしたら大丈夫だ。問題はない。多分!……一体何が大丈夫で何が問題ないのかは自分でもよく解らなくなりつつあるが。
 しかし、それもきっと熱のせいだろう。そうだ。そうに違いない。
 およそ0.5秒で以上の思考を終えた俺は、掠れた声でスザクに尋ねた。
「医務室って、どこのだ」
「……軍のだけど?」
 すぐそこだし、と、スザクが悪びれもせずクラブハウスの真向かいの方角を顎で指し示す。
 ――やっぱりか。冗談じゃない!
「軍の助けは借りない!」
 ブリタニアに頼るなんて、絶対に御免だ!
 そう思うと同時に、俺はベッドから勢いよく飛び起きた。
 途端、強い眩暈に襲われ視界がぐるりと反転する。
「……っ! ルルーシュ!」
 額に手をやったまま大きく傾いた上体を、スザクが焦ったように支えてきた。
「寝てなきゃ駄目だろ!」
 強く叱責されてから思う。
 ――スザクの前ではあまり言わないようにしていたのに、つい本音が出てしまった。
 スザクは「全くもう……」とぶつくさ呟きながら、俺の体を横たえてくる。
「もっとしっかりしろよ。男だろ? 大体、ルルーシュはいつも僕に頼りすぎなんだよ」
「なっ……! 俺がいつお前に頼ったというんだ!」
「頼ってるだろ」
「別に頼ってなどいない! お前が勝手に……!」
「あーそう。そういう言い方するんだ?」
 スザクの眉が不機嫌そうにぎゅっと寄せられた。
「お前の言い方の方がよっぽど失礼だろ!」
 言い返した俺をじっとりした視線でねめつけながら、スザクがつい、と自分の顎を持ち上げた。
「じゃあ言わせてもらうけど。……いいのか? ナナリーに君が倒れたって言っても」
「お前……っ! 脅迫する気か!」
 ぎょっとした俺は目を剥いた。
 こいつ、しれっとした顔で何を言い出す!
「別に? だって本当のことだろ?」
 開き直ったスザクほど手に負えないものはない。
 ――この俺に向かって、ここまで偉そうな口をきくのはこいつくらいだ。
 半ば切れそうになりながら一言文句を言ってやろうと体を起こしかけると、スザクは「ああ、また!」と怒りながら寝かせようとしてくる。
「別に、俺は平気だ」
「四十度もある病人がなに言ってるんだよ。いいから大人しく寝てろってば。……今、咲世子さんに訊いて保冷材持ってきてやるから」
「……っ!」
 勝手にしろと言いたい気分だ。
 困り果てたように言うスザクに舌打ちしてから、俺はぷいっと顔を背けた。
 なんだかんだ言いつつ、俺を甘やかしているのはお前の方じゃないか。
 掛け布の端を持ったスザクが、俺の襟元まですっぽりと覆い隠すように布団を引き上げてくる。どんな顔をしているのか気になるが、まだ振り返ってやる気にはなれない。
 暫くのあいだ枕に顔を埋めたまま黙っていると、スザクは俺の顔を確認しようと布団に覆われた肩口をぽんぽんと叩いてくる。
「ちょっとルルーシュ、大丈夫?」
「触るなよ」
「なんだよ……具合悪くなったのかと思って心配したのに」
「余計なお世話だ」
 俺に言い返されてうんざりしたのか、もう何度目になるか解らないスザクのため息が布団越しに聞こえてきた。
 喧嘩腰になってしまうのは俺のせいじゃない。大体なんだってお前はそう高圧的なんだ、俺に対してだけ!
「君は本当に危なっかしくて見ていられないよ。放っておけなくて困る」
「……そういう台詞は女にでも言ってやるんだな」
 ぼそっと言い返した俺に、スザクは「ほら、いいからこっち向けよルルーシュ」と言いながら肩を揺すってくる。
 脳が揺れて視界がブレる。
 だからお前は……触るなといってるだろう!
「揺らすな馬鹿が!」
 本気で余裕を失いかけていた俺は、つい声を荒げた。
 放っておけないとか言うんじゃない。頼りすぎだの危なっかしいだの、こいつは本当に失礼な奴だ。
「わけのわからないことを言ってないで、放っておけばいいだろう。別にそれでも構わないんだぞ、俺は」
 腹立ち紛れにちらっと布団から顔を出してそっけなく吐き捨ててやれば、ピクリと眉を動かしたスザクはわざとらしく肩を竦めている。
「残念。言葉の綾だろ、それは。女性相手の時は、もっと優しい言い方をするよ。当然だろ?」
 馬鹿が付くほどのお人よしのくせに、よく言う。
 まあ、場合によっては女相手であっても容赦しない部分のある奴だと俺は知っているんだが。――カレンとかカレンとか、あとはカレンとか。
「心配するなよ。わざわざ言い方を選んだりしなくても、お前はいつだって女に優しいと思われていることだろうさ」
 フンと鼻を鳴らしてから嫌味を織り交ぜて言ってやれば、スザクは言葉の意味がいまいち良くわかっていないのか、ぽかんとしながら「それ、どういうこと?」と不思議そうに尋ねてくる。
 通じていないとは残念だ。皮肉だよ、この鈍感が。
 人の悪意に敏感な俺からすれば考えられない鈍さだが、それもまあ、こいつらしいといえばこいつらしいのか。勘だけは鋭い男だと思っていたのに。
「だからって、こういう甘え方されるのは不本意なんだけど?」
「あまっ……!? 馬鹿を言え! 頼ってなどいないとさっきから言ってるだろ! しつこい奴だな」
「そういう君は可愛くないよ」
「男が可愛くてどうする。気色悪いことを言うな」
「君は昔から素直じゃなさすぎる。僕は、もうちょっと素直な子が好きだよ」
「やめろ馬鹿。俺を女扱いする気か」
「別に、そういうつもりじゃないけど……」
 際限なく言い合いを続けていると、なんだかおかしな空気になってきた。しゅん、と音を立てるようにすぼまったスザクの語尾が妙に不穏だ。
「………………」
「………………」
 お互い、何故かそれ以上会話を続けることが出来ぬまま、部屋に奇妙な沈黙が落ちた。
「……とりあえず、何か冷やせるもの持ってくるから。大人しく寝てろよ、ルルーシュ」
 腰に手を当てたスザクがぴしっ、と人差し指で俺を指差してからくるりと踵を返した。
 だから……お前は、と口を開きかけてから俺はきゅっと口を引き締める。
 俺はほっと一息ついてから枕に頭を預け、そのまま長い息を吐き出す。……もういい。なんだか全て馬鹿らしくなってきた。
 ぱたんと閉まるドアの音を聞いたきり、意識が遠ざかる。
 ぼやけた天井に向けられていた視線を無理やり引き離し、俺は急速にまどろみの中へと落ちていった。

プロフ

夕希(ユキ)

Author:夕希(ユキ)
取扱:小説・イラスト・漫画

スザルル大好きサイトです。版権元とは全く関係ないです。初めましての方は「about」から。ツイッタ―やってます。日記作りました。

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