オセロ 第15話(スザルル)
15
バスルームから戻り、すぐにシーツを取り替えたルルーシュは、朝食も摂らぬままベッドの上へぐったりと横たわった。
「体力無いなぁ……」
呆れたように呟くスザクを無視していると、部屋で摂った朝食のトレイを小脇に抱えたまま、制服に着替えたスザクが振り返ってくる。
今すぐ出られそうな格好だが、一方ルルーシュに起き上がる気配は無い。
「誰の所為だと思ってるんだ」
バスルームで湯あたりでも起こしたのか、余計疲れが増した気がする。
変な事はするなと警告したのに、大声でも出してみる? とからかわれ、困るのは僕じゃないと答えてきたスザクに案の定散々弄られた。
(さっさと学校に行け!)
遠慮はしないと予め言われていたものの、それが翌朝にまで及ぶとなると文句の一つも言いたくなる。
嫌な予感が的中した事に腹を立てながら、ルルーシュは怒気も露にむっつりと黙り込んだ。
「そういえば、今夜は居るの?」
遅刻だと知りながらも律儀に登校しようとしているスザクは、トレイと鞄を手にしたまま悪びれもせず尋ねてくる。
「ああ、居る。出掛ける用事も特に無いしな。夜にまた来るなら夕食を用意しておくが、お前は今日どうするんだ?」
「…………」
軍務があるのかどうか確認しただけのつもりだったが、スザクは何故か無言だった。
トレイと鞄を机に置いた後、踵を返して歩み寄ってくる。
「それ、本当?」
ベッドサイドに立って見下ろしてくる視線は、心持ち険しいものだった。
(成程な……)
質問の意図に気付いたルルーシュはそれを真っ向から受け止め、首を傾げながらスザクを見上げた。
「本当だ。賭け事の予定がオフなんでな」
「いつも出掛けてる用事って、それなんだ?」
詰問してくるスザクの抜け目無さが少々意外に思える。
(案外油断ならないな)
気まずくなるのを恐れていただけで、どうやら訊き忘れていた訳ではないらしい。
(全く、こいつは……。正直で素直な所が取り得だとばかり思っていたのに)
もしかすると侮り過ぎていたのだろうか。スザク相手にこんな腹芸を楽しむつもりなど毛頭無いが、この分だと認識を改めた方が良さそうだ。
ようやく観念した風に見せかけながら、ルルーシュは困り顔で笑って見せた。
「しょうがない奴だな。まだそんな事気にしてたのか? お前もリヴァルから聞いてるだろ」
「聞いてるよ。陰で悪い事ばかりしてるって」
しょうがないのは君の方だと言わんばかりに、むっとしたスザクが嫌味を織り交ぜてくる。
(迷彩ってのは、こうして普段から掛けておくものなんだよ、スザク)
ルルーシュは表情も視線も変えぬまま言葉を続けていた。この迷彩がどこまで通用するかは解らないが、そう易々とボロを出してやるつもりはない。
とはいえ、勘のいいスザクの事だ。この程度の嘘で全ての疑惑を払拭するのは無理があるだろう。
(新しいシナリオを用意しなくてはならないな)
冷酷なもう一人の自分が呟いた。
行き過ぎた理性に、つくづく嫌気が差す。
「最近は特に、一世一代の大勝負ばかりでな。お陰で、毎日生きてるって感じがするよ」
「貴族相手に?」
平たい目つきで尋ねてくるスザクは、まるで犯人に自白を迫る刑事の様だ。
「……貴族相手じゃない事もある」
目を伏せて話す様子は、いかにも言い辛い事を白状し、渋々重い口を割った風に見えている事だろう。
その証拠に、答えた瞬間ぴりっと空気が尖ったような気がした。……だが。
(それは、本当だ)
ルルーシュはつらつらと嘯きながら、最後の一言だけ心の中で呟いた。
「大方、お前はそれを心配していたんだろ? 場所が何処なのかも聞きたいか?」
ゲットーに行く事もあると暗に匂わせつつ、非難されるのも承知の上で柔らかく微笑んでやれば、きつく眉を寄せたスザクがベッドに手をついて乗り上げてくる。
「やっぱり行ってるんだな、ゲットーに。……あんなに注意したのに、どうして昨日の内に言わなかったんだい?」
「言えば止めるだろ、お前は」
「当たり前だよ」
鬼の首を取ったようなスザクの答えに、追求を回避出来たのだと確信する。
だが、今回ばかりは、ほくそ笑む気にならない。
(嘘を重ねれば重ねる程、お前との距離は遠ざかるばかりなのにな)
――いつか、本当の事を言える日は来るのだろうか。
その時の、スザクの反応は?
(俺に嘘を吐かれていたと知ったお前は、一体どんな顔をするんだろうな)
派手に詰られるだけならいい。
だが、それでも軽蔑されたくないと思うのは、やはり勝手な言い分なのだろうか。
「君は退屈なのか? そうやって、いつも危ない事ばかりして」
スザクは顔つきだけでなく、口調まで剣呑なものに変えてしつこく訊いてくる。
嘗て退屈だった事を否定するつもりは無いが、それが反逆を始めた理由かというとそうではない。
「何なら、お前も今度一緒に来るか? 結構愉しいぞ?」
「行かないよ。賭け事なんかに興味は無いもの。……君も、もう二度と行っちゃ駄目だ」
「さあ。毎回俺が場所を指定出来る訳ではないからな。……それに」
「それに、何?」
言いながら詰められた距離には、明らかに何らかの意図が垣間見える。
既に解り切ったその意図を敢えてかわすように、ルルーシュはすい、と顔を背けて横目でスザクを見た。
「軍人が傍に居れば、俺が危ない真似など出来なくなるとは思わないのか?」
スザクの体重に沈むベッドが、ギシリと軋みを立てる。膝を曲げたまま挑発的な視線を逸らさずにいると、目の前で屈んだスザクが顎の先に指を這わせてきた。
「君が大人しく家に居れば済む事だよ」
「嫌だ、と言ったら?」
間近からかかる吐息がくすぐったい。
肩を竦めながら妖艶に笑むルルーシュを見て、スザクが僅かに息を飲む。
「人の気も知らないで」
「どんな気だ? 言えばいいだろう」
出来れば詳しく、と促してみた所で、スザクが口を割る訳も無い。一番訊きたい所でいつも黙り込むスザクを、本当にずるいとルルーシュは思った。
(言えないくせに)
肝心なその部分だけ、まだ隠しているくせに。
踏み込んできて欲しいのか、欲しくないのか。恐らく両方なのだろう。
「君は本当に、僕を困らせるのが上手いよね。だから、縛っておきたくなるのかな」
「俺に訊くなよ」
「退屈なら素直に遊んでって言えばいいのに。ホント、そういう所、猫みたいだな」
繰り返されたその比喩は、確か行為に踏み切る前にも聞いた覚えがある。
スザクは本当に、猫が好きだ。
「そうか。では、言ったら構ってくれるのか?」
出来ないだろう? と言わんばかりの台詞に、スザクが大きな溜息を吐く。
逸らした顔を引き寄せるように、顎へと添えられた指先に力が込められた。
「こっち向きなよ」
ルルーシュは抵抗しなかった。
向き直った正面にある一対の翠玉。今朝方まで欲を滲ませていたその翡翠に真っ向から貫かれても、ルルーシュは動じたりしない。例え幾ら咎められたとしても、既に踏み出した道を引き返すつもりなど無いのだから。
「お前は猫が好きなんだろ?」
「うん。好きだよ?」
「だったら解るだろ。猫は、リードも首輪も嫌うものなんだよ」
つんとした顔で告げてやれば、スザクは呆れたように笑いを漏らした。
「知ってるよ」
猫に似ていると言われて良かったと思ったのも、これが初めてだ。
(スザクと一緒に居ると、初めての事だらけだな)
経験の無い事にばかり遭遇させられる。初めて出会った七年前からずっと。
知らなかった事ばかり知ってしまった。友情も、会えない間に募らせた思慕も、そして、今感じているこの切なさも。
心ならとっくに縛られ、捕らわれているというのに、スザクはなんて鈍感な男なのだろう。
(知っててやってるとしたら、大したタマだな)
そう思う自身とて、無論人の事など言えないが。
「スザク」
「何?」
「俺の手なら、もう打ったぞ」
「……だから?」
「次はお前の手だろう、と言っている。……意味、解るよな?」
顎にかけたまま伸ばされたスザクの親指が、薄く開かれた唇の上を掠めていく。
スザクのしたいようにさせておきながら、ルルーシュはどこか昏い光を宿らせたスザクの瞳を平然と見返した。
「ルルーシュ、それ以上僕を煽ると、後悔するよ?」
「しないと言っただろう」
「いいや、するよ。いつか必ず」
「何故だ?」
「そのうち解るよ。だって君は、まだ本当の僕を知らないから」
シーツの上で握り締めていた拳に力が篭った。静かな声で知らないと告げられ、ツキリと痛んだ胸を押さえたくなる。
(知らないんじゃないだろ)
こちらが知りたいと望んでも、スザク本人が決して応じようとしていないだけだ。
治り切らぬままじくじくと膿み始めた傷口が、またしても開いてしまったような気がした。
「言えよ、スザク」
「……言わないよ」
(ほら、こんな風に)
不毛なやり取りに思えて、ルルーシュはそれきり無言で目を閉じた。
胸が酷く痛む。感じたことの無いこの痛みだけで、今すぐ窒息出来そうだ。
(お前はいつも、そればかりだな)
人には自白を強要するくせに、おいでと手招いておきながら、近付こうとする度にいつも目の前でここまでと線を引かれてしまう。
例え最も選びたくない選択肢であっても、手に入らないと解れば潔く切り捨ててしまえるのに。
でも、スザクはそんな道を選ぶ事すら許してくれない。
望みがあると思える限り、いつまでも縋り続けてしまう。こんな風に翻弄され、振り回されるのは嫌なのに。
いっそ詰ってしまいたい。そう思って開きかけた唇も、近付いてきた柔らかな感触であっさりと封じられてしまう。
「ん……」
息が詰まり、鼻にかかったような声が漏れた。
求められていると錯覚させるような、このキスがいけない。身を捩り、首を振って逃れようとする度に、重ねる角度も深さも変えられていく。
蕩ける程甘いこの口付けに、これから幾度絆される事になるのだろう。
(長考タイプと打つのは、本当に面倒だ)
こんな難しいゲームなどした事も無い。ただ近付こうとしているだけなのに、どうしてこんなにも遠ざかってしまうのか。
嘘の汚さなどとっくに知っているつもりだったのに、嘘の悲しさまで知ってしまって、本当にどうしたらいいのか解らない。
こんな日々は、決して長くは続かない。スザクはいつか遠い所へ行ってしまう。ルルーシュの手など届かない、どこかとても遠い所へ。
安っぽいペシミズムなんかとは無縁の筈なのに、どうしてそんな悪い予感から逃れられずにいるのだろう。
「ルルーシュ」
「……ん? ……っ」
キスの合間を縫うように名を呼ばれ、また深く口付けられては返事が途切れる。
「学校終わったら、また来るから」
「んん……っ」
軍の仕事は? と尋ねかけたが、呼吸ごと飲み込まれて声にならない。
「帰ってきたら、もう一回君を抱くよ。……いいね?」
尋ねておきながら、返事をさせるつもりなど更々無さそうだ。
断る訳も、理由すらも無い。拒まず受け入れてくれるのが、今はもう、この唇だけだというのなら。
「な、んで……」
「遊んでほしいんだろ? だったら僕が、退屈なんか感じないようにさせてあげるよ」
最後に深く重ね合わせた唇が唐突に離され、名残惜しさに喉が鳴る。答える代わりに、ルルーシュも再度自分からスザクへと口付けた。
(俺も登校してしまおうか)
不埒な思考に呆れてしまう。一分一秒でさえ、スザクと離れていたくない。
「だからそれまで、ゆっくり眠ってて……?」
ベッドの上へと仰向けに引き倒され、甘い囁きを耳元に落とされた途端、それまで痛んでいた筈の腰がずくりと疼いた。
どんどん節操を無くしていく自分の体が恐ろしい。
狂わされていくと解っていても、構いはしない。こうして触れ合っていられるのなら、そんな些細な事などもうどうでも良かった。
「それじゃ、僕はもう行くよ。おやすみ、ルルーシュ」
ふわりと笑んだスザクの顔が、目元まで引き上げられた上掛けに隠されて見えなくなる。部屋から出て行くスザクの姿を見ていたくなくて、ルルーシュはそのまま目を閉じた。
ぱたりと閉まったドアの音が聞こえた瞬間、何故か閉じた瞼の裏が熱くなった。
(お前の笑顔なんか、見たくもない)
触れ合う肌のぬくもりや、その感触しか本物だと感じられない。こうして離れてしまった途端、スザクを遠く感じてしまうのだってその所為だ。
スザクの笑顔が壁であるのと同様、こちらの笑顔もまた偽物だと知っていても、卑怯な程欲する気持ちをどうしても止められない。
自分の背中を預けられる相手はスザクだけ。
幼い頃より、もしかすると今の方が、ずっとその想いが強まっているような気がする。
もし、スザクも同じように思ってくれているのなら、今すぐにでも傍に来て欲しい。
(こんな自分は嫌だ)
みっともない執着だと解っていても、どうにもならなかった。情けない事この上ない。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。何にも縋らず、一人きりで立つと決めていた筈なのに。
けれど、いつだって、二人一緒にいて出来なかった事など何も無かった。……だからこそ、常に寄り添うように自分の隣に。
(俺の傍には、いつもお前に居て欲しい)
そう、言えたなら。
もしも願いが叶うなら、真っ先にスザクが欲しいと望むだろう。
(皮肉なものだ。命令すれば手に入らないものなど、叶わない望みなど、何も無いこの俺が)
スザクにギアスは使えない。目の見えないナナリーを除く他の誰に命令出来たとしても、唯一、スザクにだけは。
ギアスとて制約はある。いくら強い力であろうと、決して万能ではないと知っている。
けれど、何より一番欲するものが、命令する事では決して手に入れられないものだったなんて。
スザクの心の扉は固い。とても固くて開けられないのに、隙間から垣間見えるものだけがこんなにもルルーシュの心を惹き付け、捕らえ、離さない。
しかも、嘘を重ねる度に、その扉までもが目の前からどんどん遠ざかっていく。
(せめて鍵を探すけれど、それすら見付からないんだよ。どうすればいい?)
空白の七年間の中で、どこかに落としてきてしまったのか、無くしてしまったのか。それとも、スザク自身がどこかに捨ててしまったのだろうか。……これはもう、要らない物だと。
(なあ、スザク。俺は、お前の心が欲しい)
まだ持っているというのなら、今すぐそれを俺にくれないか?
そう言い出してしまいそうな程には。
(人生とは、どこでどう転ぶか解らないものだな)
そう思うルルーシュの頬へと、無意識のうちに涙が伝っていった。
この涙の意味が解らない。そう言えたらどんなに良かったか。
意味が解らない。疾うに狂わされていたという訳か。そんな風に、誤魔化してしまえたら。
(まさか、同性相手に本気で愛を乞う日が来ようとは)
霞んでいく意識の中で自嘲しながら、ルルーシュは唐突に理解した。
本当の意味でスザクに恋をしていると気付いたのは、多分、今、この瞬間だったのだと。
バスルームから戻り、すぐにシーツを取り替えたルルーシュは、朝食も摂らぬままベッドの上へぐったりと横たわった。
「体力無いなぁ……」
呆れたように呟くスザクを無視していると、部屋で摂った朝食のトレイを小脇に抱えたまま、制服に着替えたスザクが振り返ってくる。
今すぐ出られそうな格好だが、一方ルルーシュに起き上がる気配は無い。
「誰の所為だと思ってるんだ」
バスルームで湯あたりでも起こしたのか、余計疲れが増した気がする。
変な事はするなと警告したのに、大声でも出してみる? とからかわれ、困るのは僕じゃないと答えてきたスザクに案の定散々弄られた。
(さっさと学校に行け!)
遠慮はしないと予め言われていたものの、それが翌朝にまで及ぶとなると文句の一つも言いたくなる。
嫌な予感が的中した事に腹を立てながら、ルルーシュは怒気も露にむっつりと黙り込んだ。
「そういえば、今夜は居るの?」
遅刻だと知りながらも律儀に登校しようとしているスザクは、トレイと鞄を手にしたまま悪びれもせず尋ねてくる。
「ああ、居る。出掛ける用事も特に無いしな。夜にまた来るなら夕食を用意しておくが、お前は今日どうするんだ?」
「…………」
軍務があるのかどうか確認しただけのつもりだったが、スザクは何故か無言だった。
トレイと鞄を机に置いた後、踵を返して歩み寄ってくる。
「それ、本当?」
ベッドサイドに立って見下ろしてくる視線は、心持ち険しいものだった。
(成程な……)
質問の意図に気付いたルルーシュはそれを真っ向から受け止め、首を傾げながらスザクを見上げた。
「本当だ。賭け事の予定がオフなんでな」
「いつも出掛けてる用事って、それなんだ?」
詰問してくるスザクの抜け目無さが少々意外に思える。
(案外油断ならないな)
気まずくなるのを恐れていただけで、どうやら訊き忘れていた訳ではないらしい。
(全く、こいつは……。正直で素直な所が取り得だとばかり思っていたのに)
もしかすると侮り過ぎていたのだろうか。スザク相手にこんな腹芸を楽しむつもりなど毛頭無いが、この分だと認識を改めた方が良さそうだ。
ようやく観念した風に見せかけながら、ルルーシュは困り顔で笑って見せた。
「しょうがない奴だな。まだそんな事気にしてたのか? お前もリヴァルから聞いてるだろ」
「聞いてるよ。陰で悪い事ばかりしてるって」
しょうがないのは君の方だと言わんばかりに、むっとしたスザクが嫌味を織り交ぜてくる。
(迷彩ってのは、こうして普段から掛けておくものなんだよ、スザク)
ルルーシュは表情も視線も変えぬまま言葉を続けていた。この迷彩がどこまで通用するかは解らないが、そう易々とボロを出してやるつもりはない。
とはいえ、勘のいいスザクの事だ。この程度の嘘で全ての疑惑を払拭するのは無理があるだろう。
(新しいシナリオを用意しなくてはならないな)
冷酷なもう一人の自分が呟いた。
行き過ぎた理性に、つくづく嫌気が差す。
「最近は特に、一世一代の大勝負ばかりでな。お陰で、毎日生きてるって感じがするよ」
「貴族相手に?」
平たい目つきで尋ねてくるスザクは、まるで犯人に自白を迫る刑事の様だ。
「……貴族相手じゃない事もある」
目を伏せて話す様子は、いかにも言い辛い事を白状し、渋々重い口を割った風に見えている事だろう。
その証拠に、答えた瞬間ぴりっと空気が尖ったような気がした。……だが。
(それは、本当だ)
ルルーシュはつらつらと嘯きながら、最後の一言だけ心の中で呟いた。
「大方、お前はそれを心配していたんだろ? 場所が何処なのかも聞きたいか?」
ゲットーに行く事もあると暗に匂わせつつ、非難されるのも承知の上で柔らかく微笑んでやれば、きつく眉を寄せたスザクがベッドに手をついて乗り上げてくる。
「やっぱり行ってるんだな、ゲットーに。……あんなに注意したのに、どうして昨日の内に言わなかったんだい?」
「言えば止めるだろ、お前は」
「当たり前だよ」
鬼の首を取ったようなスザクの答えに、追求を回避出来たのだと確信する。
だが、今回ばかりは、ほくそ笑む気にならない。
(嘘を重ねれば重ねる程、お前との距離は遠ざかるばかりなのにな)
――いつか、本当の事を言える日は来るのだろうか。
その時の、スザクの反応は?
(俺に嘘を吐かれていたと知ったお前は、一体どんな顔をするんだろうな)
派手に詰られるだけならいい。
だが、それでも軽蔑されたくないと思うのは、やはり勝手な言い分なのだろうか。
「君は退屈なのか? そうやって、いつも危ない事ばかりして」
スザクは顔つきだけでなく、口調まで剣呑なものに変えてしつこく訊いてくる。
嘗て退屈だった事を否定するつもりは無いが、それが反逆を始めた理由かというとそうではない。
「何なら、お前も今度一緒に来るか? 結構愉しいぞ?」
「行かないよ。賭け事なんかに興味は無いもの。……君も、もう二度と行っちゃ駄目だ」
「さあ。毎回俺が場所を指定出来る訳ではないからな。……それに」
「それに、何?」
言いながら詰められた距離には、明らかに何らかの意図が垣間見える。
既に解り切ったその意図を敢えてかわすように、ルルーシュはすい、と顔を背けて横目でスザクを見た。
「軍人が傍に居れば、俺が危ない真似など出来なくなるとは思わないのか?」
スザクの体重に沈むベッドが、ギシリと軋みを立てる。膝を曲げたまま挑発的な視線を逸らさずにいると、目の前で屈んだスザクが顎の先に指を這わせてきた。
「君が大人しく家に居れば済む事だよ」
「嫌だ、と言ったら?」
間近からかかる吐息がくすぐったい。
肩を竦めながら妖艶に笑むルルーシュを見て、スザクが僅かに息を飲む。
「人の気も知らないで」
「どんな気だ? 言えばいいだろう」
出来れば詳しく、と促してみた所で、スザクが口を割る訳も無い。一番訊きたい所でいつも黙り込むスザクを、本当にずるいとルルーシュは思った。
(言えないくせに)
肝心なその部分だけ、まだ隠しているくせに。
踏み込んできて欲しいのか、欲しくないのか。恐らく両方なのだろう。
「君は本当に、僕を困らせるのが上手いよね。だから、縛っておきたくなるのかな」
「俺に訊くなよ」
「退屈なら素直に遊んでって言えばいいのに。ホント、そういう所、猫みたいだな」
繰り返されたその比喩は、確か行為に踏み切る前にも聞いた覚えがある。
スザクは本当に、猫が好きだ。
「そうか。では、言ったら構ってくれるのか?」
出来ないだろう? と言わんばかりの台詞に、スザクが大きな溜息を吐く。
逸らした顔を引き寄せるように、顎へと添えられた指先に力が込められた。
「こっち向きなよ」
ルルーシュは抵抗しなかった。
向き直った正面にある一対の翠玉。今朝方まで欲を滲ませていたその翡翠に真っ向から貫かれても、ルルーシュは動じたりしない。例え幾ら咎められたとしても、既に踏み出した道を引き返すつもりなど無いのだから。
「お前は猫が好きなんだろ?」
「うん。好きだよ?」
「だったら解るだろ。猫は、リードも首輪も嫌うものなんだよ」
つんとした顔で告げてやれば、スザクは呆れたように笑いを漏らした。
「知ってるよ」
猫に似ていると言われて良かったと思ったのも、これが初めてだ。
(スザクと一緒に居ると、初めての事だらけだな)
経験の無い事にばかり遭遇させられる。初めて出会った七年前からずっと。
知らなかった事ばかり知ってしまった。友情も、会えない間に募らせた思慕も、そして、今感じているこの切なさも。
心ならとっくに縛られ、捕らわれているというのに、スザクはなんて鈍感な男なのだろう。
(知っててやってるとしたら、大したタマだな)
そう思う自身とて、無論人の事など言えないが。
「スザク」
「何?」
「俺の手なら、もう打ったぞ」
「……だから?」
「次はお前の手だろう、と言っている。……意味、解るよな?」
顎にかけたまま伸ばされたスザクの親指が、薄く開かれた唇の上を掠めていく。
スザクのしたいようにさせておきながら、ルルーシュはどこか昏い光を宿らせたスザクの瞳を平然と見返した。
「ルルーシュ、それ以上僕を煽ると、後悔するよ?」
「しないと言っただろう」
「いいや、するよ。いつか必ず」
「何故だ?」
「そのうち解るよ。だって君は、まだ本当の僕を知らないから」
シーツの上で握り締めていた拳に力が篭った。静かな声で知らないと告げられ、ツキリと痛んだ胸を押さえたくなる。
(知らないんじゃないだろ)
こちらが知りたいと望んでも、スザク本人が決して応じようとしていないだけだ。
治り切らぬままじくじくと膿み始めた傷口が、またしても開いてしまったような気がした。
「言えよ、スザク」
「……言わないよ」
(ほら、こんな風に)
不毛なやり取りに思えて、ルルーシュはそれきり無言で目を閉じた。
胸が酷く痛む。感じたことの無いこの痛みだけで、今すぐ窒息出来そうだ。
(お前はいつも、そればかりだな)
人には自白を強要するくせに、おいでと手招いておきながら、近付こうとする度にいつも目の前でここまでと線を引かれてしまう。
例え最も選びたくない選択肢であっても、手に入らないと解れば潔く切り捨ててしまえるのに。
でも、スザクはそんな道を選ぶ事すら許してくれない。
望みがあると思える限り、いつまでも縋り続けてしまう。こんな風に翻弄され、振り回されるのは嫌なのに。
いっそ詰ってしまいたい。そう思って開きかけた唇も、近付いてきた柔らかな感触であっさりと封じられてしまう。
「ん……」
息が詰まり、鼻にかかったような声が漏れた。
求められていると錯覚させるような、このキスがいけない。身を捩り、首を振って逃れようとする度に、重ねる角度も深さも変えられていく。
蕩ける程甘いこの口付けに、これから幾度絆される事になるのだろう。
(長考タイプと打つのは、本当に面倒だ)
こんな難しいゲームなどした事も無い。ただ近付こうとしているだけなのに、どうしてこんなにも遠ざかってしまうのか。
嘘の汚さなどとっくに知っているつもりだったのに、嘘の悲しさまで知ってしまって、本当にどうしたらいいのか解らない。
こんな日々は、決して長くは続かない。スザクはいつか遠い所へ行ってしまう。ルルーシュの手など届かない、どこかとても遠い所へ。
安っぽいペシミズムなんかとは無縁の筈なのに、どうしてそんな悪い予感から逃れられずにいるのだろう。
「ルルーシュ」
「……ん? ……っ」
キスの合間を縫うように名を呼ばれ、また深く口付けられては返事が途切れる。
「学校終わったら、また来るから」
「んん……っ」
軍の仕事は? と尋ねかけたが、呼吸ごと飲み込まれて声にならない。
「帰ってきたら、もう一回君を抱くよ。……いいね?」
尋ねておきながら、返事をさせるつもりなど更々無さそうだ。
断る訳も、理由すらも無い。拒まず受け入れてくれるのが、今はもう、この唇だけだというのなら。
「な、んで……」
「遊んでほしいんだろ? だったら僕が、退屈なんか感じないようにさせてあげるよ」
最後に深く重ね合わせた唇が唐突に離され、名残惜しさに喉が鳴る。答える代わりに、ルルーシュも再度自分からスザクへと口付けた。
(俺も登校してしまおうか)
不埒な思考に呆れてしまう。一分一秒でさえ、スザクと離れていたくない。
「だからそれまで、ゆっくり眠ってて……?」
ベッドの上へと仰向けに引き倒され、甘い囁きを耳元に落とされた途端、それまで痛んでいた筈の腰がずくりと疼いた。
どんどん節操を無くしていく自分の体が恐ろしい。
狂わされていくと解っていても、構いはしない。こうして触れ合っていられるのなら、そんな些細な事などもうどうでも良かった。
「それじゃ、僕はもう行くよ。おやすみ、ルルーシュ」
ふわりと笑んだスザクの顔が、目元まで引き上げられた上掛けに隠されて見えなくなる。部屋から出て行くスザクの姿を見ていたくなくて、ルルーシュはそのまま目を閉じた。
ぱたりと閉まったドアの音が聞こえた瞬間、何故か閉じた瞼の裏が熱くなった。
(お前の笑顔なんか、見たくもない)
触れ合う肌のぬくもりや、その感触しか本物だと感じられない。こうして離れてしまった途端、スザクを遠く感じてしまうのだってその所為だ。
スザクの笑顔が壁であるのと同様、こちらの笑顔もまた偽物だと知っていても、卑怯な程欲する気持ちをどうしても止められない。
自分の背中を預けられる相手はスザクだけ。
幼い頃より、もしかすると今の方が、ずっとその想いが強まっているような気がする。
もし、スザクも同じように思ってくれているのなら、今すぐにでも傍に来て欲しい。
(こんな自分は嫌だ)
みっともない執着だと解っていても、どうにもならなかった。情けない事この上ない。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。何にも縋らず、一人きりで立つと決めていた筈なのに。
けれど、いつだって、二人一緒にいて出来なかった事など何も無かった。……だからこそ、常に寄り添うように自分の隣に。
(俺の傍には、いつもお前に居て欲しい)
そう、言えたなら。
もしも願いが叶うなら、真っ先にスザクが欲しいと望むだろう。
(皮肉なものだ。命令すれば手に入らないものなど、叶わない望みなど、何も無いこの俺が)
スザクにギアスは使えない。目の見えないナナリーを除く他の誰に命令出来たとしても、唯一、スザクにだけは。
ギアスとて制約はある。いくら強い力であろうと、決して万能ではないと知っている。
けれど、何より一番欲するものが、命令する事では決して手に入れられないものだったなんて。
スザクの心の扉は固い。とても固くて開けられないのに、隙間から垣間見えるものだけがこんなにもルルーシュの心を惹き付け、捕らえ、離さない。
しかも、嘘を重ねる度に、その扉までもが目の前からどんどん遠ざかっていく。
(せめて鍵を探すけれど、それすら見付からないんだよ。どうすればいい?)
空白の七年間の中で、どこかに落としてきてしまったのか、無くしてしまったのか。それとも、スザク自身がどこかに捨ててしまったのだろうか。……これはもう、要らない物だと。
(なあ、スザク。俺は、お前の心が欲しい)
まだ持っているというのなら、今すぐそれを俺にくれないか?
そう言い出してしまいそうな程には。
(人生とは、どこでどう転ぶか解らないものだな)
そう思うルルーシュの頬へと、無意識のうちに涙が伝っていった。
この涙の意味が解らない。そう言えたらどんなに良かったか。
意味が解らない。疾うに狂わされていたという訳か。そんな風に、誤魔化してしまえたら。
(まさか、同性相手に本気で愛を乞う日が来ようとは)
霞んでいく意識の中で自嘲しながら、ルルーシュは唐突に理解した。
本当の意味でスザクに恋をしていると気付いたのは、多分、今、この瞬間だったのだと。